衛宮切嗣は、アインツベルン家によって招かれた聖杯戦争必勝の駒である。
過去の聖杯戦争、その全てでアインツベルンは大敗を喫していた。そこで、『魔術師殺し』として多くの戦場を戦ってきた戦歴を買われた切嗣が用意されるに至った。
それだけではない。サーヴァントには7つのクラスのうち最強の『セイバー』。完璧な状態の
アインツベルン家の準備は、万全に万全を重ねた隙のないものだ。
しかしここで、誤算、というべきか、2つの計算違いが起こることになる。
切嗣は幼いころから傭兵として戦場を転々としてきた。よく多くの人を助けるために、少数を切り捨てる、という歪んだ、しかし確固たる信念をもって。
少数を切り捨て、多数を救うためならば、切嗣には手心も容赦もない。どんな悪辣な策であろうとも、冷酷にやってのける覚悟がある。罠を張る、毒を盛る、人質を取る、そんなことは朝飯前だ。
魔術師でありながら、魔術をただの道具として――銃器や爆弾と同じように―――扱う。異端中の異端。
この戦い方を、特に手段を選ばないという点を、騎士王が認めるわけがない。
せっかく用意した必勝が、致命的に噛み合わないのだ。
その絶望的な相性を理解していた切嗣は、サーヴァントとマスターの完全別行動という異例の策を弄すことになった。
セイバーとともに行動し、他のサーヴァントとの正面切って戦闘する役目を妻のアイリスフィール・フォン・アインツベルンに任せ、自分は背後から背中を刺すことに集中する。それが、切嗣の考えた最良の策だ。
そしてもう1つ、切嗣が弱くなったことだ。
アインツベルン家に迎えられたのは、聖杯戦争が始まる9年前になる。9年間戦場から離れていたことによる実力的な衰えはもちろんだが、それ以上に切嗣を苦しめるものがある。
よく多くの人を助けるために、少数を切り捨てる。その正義を貫くには、9年間の間に培った妻、アイリと娘、イリヤへの愛情は大きな足枷となってしまっていた。容赦なく切り捨てるために、大切な存在を作らないできた切嗣にとって、精神を締め付ける荒縄同然だった。
聖杯戦争が進めば、どう頑張ってもアイリは失われる。もしも自分が負ければ、アインツベルンのお城に残してきたイリヤは一人ぼっちになる。
大切な存在がいることによる、負けられないというプレッシャーに苦しみ。勝つことによる失ってしまう未来に苦しんでいた。昔の冷酷な機械に戻り切れないでいた。このままでは勝ち抜くどころか生き残ることも危うい。今にも崩れてしまいそうになっていた。
切嗣を支えているのは、幼い頃から夢見、人には出来る訳がないと諦めてしまった大望。終わらない戦いの連鎖を終わらせる、という聖杯にかける願いだ。
ライフルスコープ越しに見る先ではセイバーの剣劇を紙一重でかわし続けるイレギュラーの姿がある。しかし、問題はそこではない。問題はアイリに持たせた収音器具から聞こえてくる声。今の切嗣を根底から揺るがしかねない言葉だ。
「……なんだと……?」
―――聖杯に願ったところで、その願いは叶わない。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「貴様ッ!! そのような世迷言をまだ続けるかッ!!」
激高したセイバーの不可視の剣が、俺の目の前数センチを通過する。や、正確な距離はわからない。何せ不可視の剣だ。俺は自分の
目の前にいる騎士。戦士には、女性も男性も関係ないのだと改めて理解する。こちらに向けられる闘気、殺気は見えない糸となり、俺を拘束しようとする。
相手のプレッシャーに押しつぶされてはいけない。かすってもいけない攻撃だ。
俺は初めに、武器を出さず、言葉で語りかけようとした。セイバーも、武器を持たない、しかも話がしたいという俺に、いきなり切りかかってくるような真似はしなかった。
が、未来から来た、聖杯が汚染されていて機能しない、願いは叶わない、という話をするともう駄目だった。
セイバーにしてはずいぶん短気な行動だが、俺に切りかかってきたのだ。
「機龍!!」
空間に亀裂が入る。頭だけを出した機龍が99式2連装メーサー砲を吐き出す。それは光の壁を作り、それ以上の追撃を許さない。
「また奇怪な宝具を……ッ」
セイバーは俺に切っ先を向ける。
「私はブリテンの王、アルトリア・ペンドラゴン。答えろ、貴様は何者だ。どうして私の剣の間合いを知っている。円卓に貴様のような男はいなかったはずだ」
「……」
「それだけではない。貴様が持っているその剣。それはいったい何だ」
手に持っている、黄金の聖剣に瓜二つの剣を見る。
「何度も言っている。英霊の座は時間の概念を超越したところにある。だったら、この時間から見て未来の英霊が呼ばれても不思議はないはずだ」
実際には能力を詰め込んだ一般人だけど。そんなことは口が裂けても言えない。
「今回の召喚も俺の意思ではない。でも、ここにいる限りは、この聖杯戦争の悲惨な結果を変えたいと思っている」
「悲惨な結果、ですって……?」
「ああ。結論から言うと、この聖杯戦争は正しく機能しない。第3次聖杯戦争で反英霊によって聖杯が汚染されてしまったからだ。願いが恣意的に捻じ曲げられ、悪意を伴った方向へ解釈されるようになっている。このまま戦って勝ったとしても、あなたが今抱いている願望は、歪んだ形で叶うことになる。しかも、記録ではこの聖杯戦争の終盤、この町が火の海になったとある。俺はそれを止めたい」
ライダーにしゃべったことと同じ説明をする。
セイバーとアイリは無言になり近寄る。
「どう思う、セイバー?」
「何とも言えません。表情と口調を見れば、嘘を言っているようには見えませんが……言っていることが、めちゃくちゃです」
「でも仮に本当だとしたら?」
「戦う目的が変わります。聖杯を求めるのではなく、その災厄を阻止することに」
考え込んでいる2人に、さらなる爆弾を落とす。
「証拠もある」
「証拠? あなたが未来から来たことの?」
「や、そうじゃあない。聖杯が汚染されている証拠だ。円蔵山の中に大きな空洞がある。その最深部にため込まれている魔力、それを見れば俺の言葉が真実だってことがわかってもらえるはずだ」
円蔵山の大空洞『龍洞』は土地のマナを吸い上げて蓄積、聖杯戦争の儀式を行うための巨大な魔力炉だ。魔術の心得がある人なら一目でその異常に気付けるだろうし、証拠としては申し分ない。
詐欺師はふわふわと分かりにくい言葉で人の判断を狂わせる。しかし、こうしてすぐに確認できる上に、一発で証拠になってしまうものを提示できればこっちのものだ。
「確認してくれ。今すぐにでも。この場にいない本当のマスターにそう伝えて、な」
「あなた、そんなことまで……」
「これは、もしかして未来から来た証拠になるか?」
完全に場の空気をもらった俺はおどけて言う。戦闘の空気は完全に無くなっていた。セイバーもこちらを警戒するだけで、剣を振り上げる様子はない。
やったぜ。どうにか成功しそうだな。
切嗣による確認作業が行われているのだろう。俺たちの間に微妙な距離感と空気が漂う。
しばらく経ち、
「わっ! あ、あ、えと、どうすれば?」
鳴り出した携帯にあたふたするアイリさん。相手はおそらくあの人だ。セイバーも困った顔をしている。近代道具は2人とも不得手のようだ。俺は手を差し出し、携帯電話を受け取る。
「もしもし、あっと……」
「……イレギュラーのサーヴァントか。確かに、蓄積された魔力が良くないものに侵され、変質していることを確認した」
なんて名乗ろうかと思案していると、かまわず会話を進めてくれる。
酷く疲れた声をしている。切嗣さんの気持ちも考えると、うかつに喜ぶことはできないな。
「これでは正しく聖杯が機能することはない。他の話の真偽はともかく、その一点では信用しよう」
淡々としているが、その声には何の厚みもなかった。魂が抜けてふわふわのスポンジのような質感だ。
「そうですか。それで、これからのことについて話がしたいのですが。主に俺の行動方針について」
「……聞こう。今迎えの車を出す。乗ってくれ。場所を変えたい」
迂闊すぎる。俺は素直にそう思った。もちろん騙して何かをする気持ちは全くないが……魔術師殺しの異名を持つ衛宮切嗣が枯れてしまっている。まともな判断能力がある切嗣さんなら、正体不明のサーヴァントの話を聞こうなどと二つ返事でする訳がない。
やはり願いが叶わないという事実がこたえているのだろう。しかし、本当に申し訳ないが、俺にとっては好都合。話し合いの機会を向こうから設けてくれるわけだからな。
切嗣さんの助手―――久宇舞弥さん―――の運転する車に乗り、港を後にする。セイバーとアイリさんは自分が乗ってきた車だ。後部座席には多数の銃器や食料、水が積まれているため、助手席に乗り込む。
走る車に乗ると眠くなってしまう体質の俺は、必死に眠気と戦う。街の明かりが遠ざかり、車が山道に入り始めたところで、行き先がどこかを理解した。
(行先はアインツベルンの城か……)
じゃあ、この山道、もう少しかかるな。眠らないといいけど。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
「はぁ、はぁ、はぁ……」
間桐雁夜は乱れた息を必死に整えていた。服が汚れることもお構いなしに地べたに腰を下ろす。聖杯戦争に参加するために受け入れた蟲。サーヴァントを維持するには必須のそれらが、雁夜の体を蝕んだ結果だ。
体のほとんどを食い荒らされ、もって数日の命。聖杯戦争の間だけでも燃えていればよいというような、か細い命の火。
気力だけで動いている男だが、その表情にはほんの少し安堵があった。
「イレギュラーサーヴァントは桜ちゃんの味方だった。ライダーも。それなら、勝てるかもしれない」
翔の目的が聖杯の完成阻止だと知らない雁夜はホッとしたように呟く。目的を知っていたとしても、すでに桜が臓硯の手から離れている以上、翔の撃破目標の中に遠坂のサーヴァントがいる以上、協力体制を築くことに変わりはないが。
この時点で翔の目的の大枠は達成されたことになる。英雄王という難敵が残っているとはいえ、同じくらい難しいサーヴァント同盟を完成させることに成功しているのである。
しかし、
「カカカッ。ずいぶんと苦しそうではないか、雁夜よ」
「ぞ、臓硯!? 生きていたのか!?」
「親に向かって、ひどいことを言うではないか」
世界はそううまく回ってくれない。
闇に浮かび上がる不気味な輝きをともす2つの瞳。間桐の家を束ねる怪人『間桐臓硯』だ。翔の一撃で家は半壊してしまったが、しぶとく生き残っていた。
「何の用だ。いや、そんなことよりも、桜ちゃんの解放の準備をしておけよ。お前は知っているだろうが、あの子はもう間桐家には戻らない。聖杯を掴む算段はついたんだからな!」
「……ふん、イレギュラーサーヴァントめ、余計なことをしおってッ!!」
初めから臓硯は話をするつもりがない。今宵臓硯が雁夜の目の前に姿を現した理由はたった一つ。
ボトリ
「……あ?」
何かが落ちる音。そこまで硬い物ではない、むしろそれなりの重量を持ちながらも柔らかい物だ。
地面に転がっていたのは、令呪が刻まれた雁夜の腕だった。
「――――――――ッ!!」
激痛に叫び声を上げようとして、出来ないことに気が付く。
「愚か者めが。ワシの蟲を受け入れるというのは、つまりワシの傀儡になるということじゃ」
冷たくなってしまった雁夜には、言っても無駄なことだが。
臓硯は亡骸になった愚息には目もくれず、その腕―――正確には令呪―――に視線を移した。
「手早く済ませるかのぅ」
その言葉通り、大した時間をかけずに雁夜の令呪を自分の手に移植してしまった。
「バーサーカー」
「■■■■―――」
ついさっきまで雁夜に従って居たサーヴァントは完全に臓硯に掌握された。
「あの小僧、言うに事欠いて、聖杯戦争を終わらせるだと? そのようなこと、このワシが許すとでも思っているのか」
バーサーカーが霊体となり、臓硯の体も形が崩れ始める。
「聖杯の汚染? 元の形とは違う? そんなことは関係ない。聖杯を完成させる。どんな手段を用いてもなァ、カカ」
翔の間違いは、臓硯の完全な死亡を確認しなかったこと。
翔の準備不足は、突然の襲撃ではぐれてしまった雁夜との連絡手段を用意していなかったこと。
翔が知らないのは、バーサーカーのマスターが雁夜から臓硯になったこと。
簡単に仲間にできると思っていたバーサーカー陣営。説得が難しいと思っていたセイバー陣営。それが全くの反対になってしまったことに、翔はこれから先、苦しめられることになる。
申し訳ない。雁夜ファンの皆さんには本当に申し訳ないことをしました。