夜の駅前、一人の青年が歩いていた。仕事帰りの会社員と制服姿の学生が多い中を、慣れた様子で歩いている。
「はぁ……」
キャスターのマスター、雨竜龍之介は大きなため息をついた。傍から見れば好青年の龍之介の物憂げな顔は、道行く女性の目を引き付ける。
平時なら、少し気に入った女性とは刺激的な夜を過ごそうか、なんて考えるが、今はそんな考えは微塵も浮かんでこない。女性にとってはとてもラッキーだ。死神が、その鎌を放り投げているのだから。
「そう気を落とさないでください、龍之介」
「でもさぁ、旦那ぁ~。やっぱりショックだよ、俺。あんなのってないよ」
霊体化し、不可視の状態になっているキャスターの励ましもそこまで効果がない。
1時間ほど前に、次の素材を仕入れ、意気揚々とねぐらに帰ったこの2人。しかしそんな2人を待っていたのは、完膚なきまでに破壊された作品の数々だった。
そこで少し言い合いになり、神の在り方についてジル・ド・レェが一つの天啓を得たのだが、それはまた別の話だ。
しばらくして冷静になったジル・ド・レェは即座にこの場を離れることを決定した。ジル・ド・レェは狂ってしまう前は軍人。居場所が割れてしまった以上は、そこに留まるのは危険だと判断したのだ。特に工房を持つ必要がない特殊なキャスターの利点が出たといえる。
「これからどうしようか、旦那」
「そうですねぇ……」
ジル・ド・レェもかなり追い詰められていた。サーヴァントである以上、そこら辺のチンピラに負けることはあり得ない。しかし、攻防の要だった宝具『
今日の『仕入れ』も,セイバーをとらえられずに落ち込んでいたジル・ド・レェを元気づけるために龍之介が企画したものだったが、ジル・ド・レェは見ているだけだった。
その点でも、敵に見つかるわけにはいかない。
(あの黒髪のイレギュラーサーヴァント……ッ!! 必ずッ! 必ずやこの手で縊り殺して見せましょうッ!!)
実体のない体で歯ぎしりする。セイバーを捕らえるのを失敗するばかりか、宝具を失った原因はすべて奴にある。そう思うことで、復讐の炎を燃やしていた。しかし、実際に行動に移すのは非常に難しい。
(今はとにかくどこかに身を隠さなければ……)
派手に誘拐を繰り返したことによって警察の目も厳しくなっている。四方八方が敵だらけのこの状況。龍之介は、今自分が置かれている立場をほとんど理解していない。唯一は警察に追われているということだが、大きな問題としてみていない。
「―――龍之介、止まってください」
「旦那?」
不味いものを感じ取ったジル・ド・レェはそう進言する。龍之介は素直に従い、不思議そうに何もいない背後の虚空を見る。
「あなたですか。我々に敵意を向けていたのは」
日常の空間が、そこだけ切り取られ別のものになってしまったかのような錯覚に陥る。それだけ、目の前にいる男が出している空気は別物だった。
「あ、それ、俺の手の奴と似てる……」
右手の甲にある紅い紋様―――令呪だ。ジル・ド・レェは一気に戦闘モードに切り替わる。周りに気を配るがサーヴァントの気配は一切ない。
ならば単身できたのか。様々な可能性を頭に浮かべるジル・ド・レェ。
「私は言峰綺礼。アサシンのマスターだ」
「あ、っと、コトミネさん? 俺は雨竜龍之介です。いや、あんたすごいね! 気配ってやつが全然無いんだもん! もう、気が付いたら目の前にいたって感じ!? なんか武術とかやってたりすんの? カラテとか?」
「雨竜龍之介……それでは君が、キャスターのマスターということで間違いないな?」
「キャスターのマスター……そっすね。はい。旦那がそんなこと言ってました。よくわかってないんですけど」
「そうか」
短く答えた綺礼の手が目にもとまらぬ速さで閃いた。荒事に慣れているはずの龍之介が全く対応できない速度だ。街の殺人鬼の手に負える速度を超えている。
「うわ!!」
「ッ!! 龍之介!!」
周りの目など気にしていられないとばかりに、霊体化を解いて駆け寄るジル・ド・レェ。突如として現れた、大柄で今にも飛び出しそうな眼球を持つ男。周囲を歩く人たちは関わり合いたくないとばかりに顔を背け、立ち去って行く。
「……」
そんな人だかりに紛れ、綺礼もいつの間にか姿を消していた。
「大丈夫ですか、龍之介?」
「いてて……うん、平気だよ、旦那。ちょっと切られただけ」
龍之介の手の平には、横一線に鋭利なもので引き裂かれた跡が刻まれていた。少し血が滲んでいるが、命に別状があるほどではない。
「……ん。毒も塗られて無いなぁ……」
傷口を舐め、唾を吐き出した。これで判断できるらしい。特に異常がないと判断した龍之介は、軽い動作で立ち上がった。この程度のケガにいちいち慌てるほど、ぬるい生活はしていない。
「なんだったんだろうなぁ、今の。あんなにスゲー人なのに、やることこんなにショボいなんて……」
「そう、ですね」
マスターとサーヴァントの間には決定的な考えの違いがあった。
(一体どういうことでしょうか? 間違いなく奴はサーヴァントのマスター。それがあれほど堂々と姿を見せるとは……もしや何かの罠?)
ジル・ド・レェがその謎を解き明かすことは出来ない。少なくとも、聖杯戦争の常識で考えているうちは。
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「貴様も存外慎重な男だな、綺礼」
今夜も待機の命を破り外へ繰り出していた綺礼は、ビルの屋上にいた。もうすっかり聞き慣れてしまった声に鼻を鳴らした。
宵闇の中にいてもなお輝くオーラを纏っている男、英霊ギルガメッシュ。人外の化生がすぐ後ろにいるが、綺礼は眼下の龍之介だけを見ていた。その右手には龍之介を切り裂いた凶器―――スタンドの矢が握られている。
「貴様のようなモノがよこした宝具だ。そのようなものを不用意に使うなどありえんよ」
「ほう? だが、試しに他人に使ってみよう、とは思ったのか?」
「何だと……?」
言われてから綺礼は気が付いた。普段の自分ならば―――いかに過去の英霊と言えど―――この程度の甘言に誑かされたりしただろうか。
一瞬考えるがすぐに首を振った。
そうではない。これまでも様々なものに挑戦し、身に着け、捨ててきた。そのどれもが自分を満たしてはくれなかったからだ。今回もその一つに過ぎない。ただ、相手が相手だけに、慎重になっているのだ。
(勘違いで納得していればいい)
ギルガメッシュは綺礼に何を期待しているのか。綺礼自身も理解はしていない。しかし、決して思い通りになっているわけではない。この聖杯戦争限りの、命とも呼べない影法師に流されているわけではない。
気が付くとざわついていた心が落ち着いていた。
ギルガメッシュはいつの間にか横に並び、綺礼と同じ方向に目線を向けていた。
「なるほど、キャスターのマスターを選んだのか」
「確か、キャスターには討伐指令が出ていたはずだ。倒してしまわなくともよいのか?」
「たわけ。そんなことをしてしまっては、せっかくの貴様の実験が台無しではないか。それに、我が戦うのは聖杯の欲にまみれた最後の一騎のみ。あの程度の雑種に向けられるほど、我の宝物は安くはないぞ」
今回進んで戦うつもりはないということらしい。本来のマスターに言われれば別かもしれないが。
「それに……ふむ。見たところアイツには素質があるようだぞ。喜べ、綺礼。すぐに面白いものが見れるだろう」
さも面白そうに笑うギルガメッシュ。対峙する存在すべてが等しく雑種である彼が、龍之介がどんな人間か記憶しているとは思えない。大方、無作為に暴れまわる怪物に変化させる宝具なのだろう。そうあたりをつけた綺礼は口を開いた。
「ほう、やはりこれは、人間を怪物に変える宝具なのか?」
「人間を怪物に変えるだと? クッ、クハハハハ! 貴様は何を言っている? 言ったはずだぞ。この矢は人間に力を与える宝具だとな。それも、その人間の本質を写し取った力を、だ。我の目は節穴ではない。あいつからは面白い子供が生まれるだろう」
もしもギルガメッシュの言うように龍之介から力が発現して、何かはわからないが、何かが起こってしまったら。
それは絶対にロクでもないことだ。こんな人の多い場所で起きてはいけない類の。
しかし綺礼は、自分の責任を考えるよりも前に、自分がギルガメッシュに見初められた意味を考えた。
(ギルガメッシュの目が節穴ではないのだとしたら……)
綺礼が再び思考の沼にハマりかけた時、
「だがな、綺礼。それを見るには貴様自身にも準備が必要だぞ」
「なん―――」
そこから先は続かなかった。
素早く矢を奪い取ったギルガメッシュが、矢で喉を貫いていたからだ。
「グッ、ガハッ!!」
すさまじい熱を喉の中心に感じた綺礼は、とっさに傷口を抑える。そこにはすでに凶器たる矢は存在していなかった。ギルガメッシュは綺礼の血に汚れた矢を、金の刺繍が施された布で拭う。布は空中に溶けるように消えていく。矢も同様だ。
綺礼はそんなことを気にしている暇はなかった。体の奥底から何かが生まれる予感、何かが這い出てくるような気配がある。どんな過酷な鍛錬でも感じたことのない苦痛だ。
痛みと熱が消えると、なぜか傷口も消えていた。そのことに困惑する綺礼をよそに、ギルガメッシュは面白そうに嗤った。
「喜べ、綺礼。貴様の道は決まったぞ」
その言葉の意味を、綺礼はすぐに知ることになった。眼下の交差点から悲鳴が上がったのだ。魔術で強化された視力で確認する。真っ先に探したのはもちろん。
「キャスターのマスター……」
「そうだ。お前が蒔いた種が芽を出したぞ」
キャスターのマスターの周りに肉の塊が浮いていた。その肉が周りの人に覆いかぶさったかと思うと、その人の上半身は跡形もなくなった。残った下半身は力なく倒れ、中身が飛び出す。
「これは……」
「また醜いものが出たな。さて、この後どうなることか」
「あれはなんだ、アーチャー」
「スタンドさ。その者の魂の形。貴様が呼び起こした、決して偽ることのできない真の姿だ」
被害はどんどん広がっていく。逃げ惑う人々を食らい、肉の化け物はどんどん成長しているようだ。大きさが増し、捕食のスピードが上がっている。
「良いのか綺礼」
「何がだ?」
「何がだ、だと? クク、決まっているだろう。貴様は聖職者であろう? ならばあの惨状を見て、行動を起こさなければならないだろう?」
綺礼はハッとする。なぜ今の今までその考えに至らなかったのか。のんびりと観察していたのか。
「私にはどうにかできると?」
「無論だ。スタンドはスタンドにしか攻撃出来ない。むしろ貴様にしかこの事態を収拾できないだろう。手っ取り早いのは、本体を殺してしまうことだがな」
「……そうか」
そこまでの情報を与えられても、綺礼は足を動かすことが出来ない。重い腰を上げることが出来ない。
そこに、さらなる人物が現れる。
「何やら面白いことをしておるではないか、若造」
「間桐、臓硯……」
何処からともなく、怪人の名前がふさわしい老人が現れた。事前調査で顔を頭に叩き込んでいた綺礼には、すぐに名前が分かった。
「間桐家の当主が、この私に何の用だ?」
「ン? それは、ホレ」
見せられた手にはくっきりと令呪が浮かんでいた。多少の驚きを抑えつつ、綺礼は淡々と続ける。
「間桐家のマスターは間桐雁屋だったはずでは?」
「あの愚息なら、もはやこの世にはおらんさ。この令呪はワシが受け継いだものだ」
「もう一度問う。何の用だ?」
「簡単な話だ。わしと組め、言峰綺礼。聖杯は貴様にくれてやる」
綺礼は鼻を鳴らした。
「何をバカな。私はすでにマスターではない。組んだところでメリットはない」
「それこそバカな話であろう。心配せずともすぐに聖杯は貴様をマスターとして選ぶ。それに―――」
臓硯はギルガメッシュを見る。
「貴様と気の合うサーヴァントも見つかるだろうからのぅ……」
ギルガメッシュは何も言わない。王たる自分が口を利くほどの存在ではないと思っているのか、肯定の沈黙か。
「私は――――グッ!!」
本日二度目の体の底からくる痛みに襲われる綺礼。しかし今度のものは以前にも経験したことのある痛みだ。遠坂家と共謀任務に就くきっかけになった痛みに酷似している。
「まさか―――」
綺礼は信じられないといった風に自身の手を見る。そこにはくっきりと令呪が浮かび上がっていた。
「聖杯も良いタイミングを選ぶものだ」
臓硯はいたずらが成功した子供のようにニヤニヤしている。
「わたし、は……」
「まァ、今すぐ答えを出す必要は無い。今夜の余興を見て、改めて決めるがよいさ」
そう言い残し、臓硯は蟲とともに消えていった。