「そろそろ二ヶ月ですか……」
自室に貼ってある簡素なカレンダーを見ながら、私はぽつりと呟いた。カズマさんが行方不明になってから随分と日が経っている。この二ヶ月間、私の頭の中はごちゃごちゃしっぱなしだった。
彼がいない事への不安、寂しさ。捨てられたのではないかという疑いと怒り。そして、街の人達から感じた嬉しくもない同情と悪意。そのどれもが私に様々な感情呼び起こし、混乱させた。しかし、このような憂いともお別れする時期かもしれません。
「いよいよ明日ですね」
明日は私にとって運命の日です。ダクネスさんが捜索隊を出発させる期日と、クリスさんとの契約の期日がかぶってしまった。私がどのような道を選択するかしないかに関わらず、カズマさんに関して大きな動きがある事は確かだ。
私は銀色に輝く指輪を撫でる。昨日、私はこの指輪を一時失った。でも、じゃりめのおかげで指輪は私の元に戻った。もし無くしたままだった場合、私は今のように冷静ではいられなかっただろう。狂乱しながら、今も指輪を探しているのか、それとも……
「でも、私には“カズマさん”が傍にいてくれる」
頭を大きく振ってから言い聞かせるように声を出す。落ちついて、よく考えてから行動しよう。焦りと混乱の中で下す判断は大抵上手くいかない。そして、落ち着いているからこそ私はいつも通りの日常を歩むべきだと理解した。簡単な朝食を食べた後、私は指輪を撫でたり、ベッドでゴロゴロしたり、マントを抱きしめて心身をリラックスさせる。正午までの暇な時間を使って今日一日を頑張るためのパワーを貯めているのだ。
そして、私は家を出て、いつもの喫茶店に腰を落ち着ける。相変わらず周囲からは嫌な視線や噂話が聞こえてくるが、もうどうでもよかった。その後、しばらく紅茶の琥珀色の水面をじっと見つめる。
「今日もきてくれませんか……」
そっと指輪を撫でてから、私は紅茶を一気に飲み干した。会計を済ませて、喫茶店から出る。そして、歩きながら店ですり減った精神力を癒してくれる“カズマさん”に話しかける。この行為は自分でもダメだと分かっているのに、そうしてしまう自分が情けない。でもひと時とはいえ幸せな気分になれるのだ。だからやめられない。
そして、閑静ないつもの公園にたどり着いた。私がベンチに腰を降ろすと、さっそく草陰から小さくて黒い毛玉、じゃりめが姿を現した。自分の到着を待っていてくれた毛玉を見て、ついつい笑みが浮かんでしまう。
「にゃっ!」
「ふふっ、こんにちはじゃりめ……」
私の挨拶に尻尾をピンと伸ばす事で答えた後、じゃりめは私の膝に飛び乗ってきた。ゴロゴロと喉を鳴らす毛玉を優しく撫でる。このふわふわと暖かさには本当に癒される。
「ねぇ、私の話聞いてくれる?」
「にゃう?」
「聞いてくれるだけでいいの」
じゃりめは私の膝の上で体を軽く伸ばした。これは聞いてくれるという事だろうか。私はじゃりめのお腹をこちょこちょ撫でながら語り掛けた。
「私ね、明日とっても大事な決断をしなきゃならないの」
「にゃうにゃう」
「私はどっちに行くべきなんだろう……?」
「にゃっ!」
私の問いかけに、じゃりめはそんな事知らないとばかりに、体を軽く擦りつけてくるだけであった。そんな姿を見て私は軽く苦笑する。こんな毛玉に相談をするなんて、私も落ちぶれたものだ。頭を軽く振って嫌な感情を飛ばし、私はカバンから小さなボールを取り出した。じゃりめはボールを見て目を鋭く光らせる。
「変な事聞いてごめんね? 今日も遊びましょう」
「にゃふっ!」
「乗り気ですね……えいっ!」
「にゃっ!」
私が投げたボールをじゃりめは高くジャンプしてはじく。そして、地面に転がったボールに対してサイドステップを繰り返しながらネコぱんちで攻撃していく。そのまま、ボール相手に一人遊びをし始めた。
「やっぱり猫ってボールを持って来てはくれませんか」
その光景を見ながら、私は軽く嘆息した。犬は投げて投げてとボールを咥えて戻って来るのに対して、猫はボールを獲物か何かに見立てて一人で遊ぶ。私としては、持って来てほしいのだが、これはこれで癒される光景なので断然ありだ。
「そういえば、私もカズマさんにボール遊びしてもらった事あるんですよね……」
俯きながら思い返すのは屋敷でのメイド生活の事だ。ダクネスさんと一緒になってカズマさんやアクアさんのお世話を一日中するのはなんだか楽しくて充実していた。そして、カズマさんと様々な遊びをした。アクアさんやダクネスさんに隠れて彼をご奉仕するのは何とも刺激的な事であったと今は思う。何だか、私も彼に感化されて変な性癖を持ってしまいそうです……
そんな時、私の耳は小さな風切り音をとらえた。なんだと疑問に思う前に、甲高い苦悶の鳴き声が響き渡る。思わず、私はその鳴き声の方に顔を向けた。
「じゃりめ……?」
ボール遊びに興じていたはずのじゃりめが力なく地に伏していた。そして、赤黒い鮮血で土が赤色に染まっていく。何が起きたか理解したくなかった。でも嫌でも分かってしまう。
何故なら、小さな毛玉のお腹に、大きな矢が刺さっていたからだ。
「じゃりめ! どうして……なんで……!?」
私はすぐさま小さな毛玉に駆け寄った。大きな矢はお腹を綺麗に貫通し、傷口からは血がドロドロと流れ出る。私はすぐさま貫通した矢の矢じり部分をへし折る。そして一気に矢を引き抜いてから、傷口に回復ポーションを振りかけた。
「にゃぅ……」
「じゃりめ……! 良かった息はあるのね……!」
即死ではなかった事にとりあえずは安堵しながら、私はどんどんポーションをかけていく。でも、傷がなかなか塞がらない。それに、じゃりめの呼吸がドンドンと弱くなるのを感じた。
「なんで……なんで治らないのよぉ……!」
市販では一番高級で効果が高いポーションだ。それなのに、じゃりめの衰弱は止まらない。このままでは死んでしまう……私以外の助けが必要だ!
誰かの助けを得ようと、私がじゃりめを抱えて公園を飛び出そうとした時、一人の男性に剣を向けられた。身にまとう制服から、警察官である事が理解できる。また、背中に背負う大弓から、じゃりめを撃った下手人である事も理解した。
「止まれ嬢ちゃん! まったく、この俺がこんな距離で急所を外すとはなぁ……俺も腕が落ちたのか……? いや今日は運が悪かったな……」
そんな事をほざく警官に私は短杖を構えた。いますぐにも燃やし殺したかった。でも、それ以上に困惑と疑問で頭がいっぱいだった。
「どうして……どうしてこんな事を……なんで子猫を撃ったの!?」
「落ち着け嬢ちゃん。俺は昨日、猫に噛まれたって通報を数件受けたから駆除しにやってきただけだ」
「ふざけないでください! じゃりめはそんな事しません! それに子猫を駆除ってどうかしてます……!」
私の叫びを聞いて警官は申し訳なさそうな顔をして剣を下げた。でも、出て行こうとする私を通してはくれない。やっぱり焼き殺してやろうか?
「嬢ちゃん、まさかそいつと遊んでたのか? でも、すまないが、こっちも仕事なんだ。今朝方に通報してきた数人の冒険者がこの公園で初心者殺しの幼獣に引っ掻かれたって話でな」
「初心者殺し……?」
私は警官の言葉を聞いて、思わずじゃりめに視線を落とす。じゃりめは今も私の腕の中で苦しそうにもがいていた。
「ああ、“潜伏”しながら確認させてもらったよ。尋常じゃない身のこなしに鋭い鎌爪、発達した犬歯、どうみても普通の子猫じゃない。それに奴が遊んでた木製のボールを見ろ。真っ二つにされてる。あんな破壊力を持ってる奴がただの子猫ってのは無理があるなぁ……」
「あっ……」
鮮血で汚れていた土の近くに、破壊されたボールが転がっていた。そして、思い当たる点がいくつかあった事を頭の中では認めた。そういえば、じゃりめにはおもちゃをいっぱい壊されました。確かに普通の子猫としては力がかなり強い。でも、この毛玉にはたくさんの癒し貰っているし、返しきれない恩もある。子猫だとか初心者殺しだとかどうでもいい、この子は私の大切な友達なのだ。私は腕の中のふわふわの毛玉ををギュっと抱きしめた。
「数か月前に悪趣味な貴族を楽しませるために捕獲された初心者殺しの幼獣が、ギルドから脱走してるらしい。一応討伐依頼も出されていたが、まさか街中に堂々と潜伏してるとはな。嬢ちゃんが野良猫と見間違えるのも無理はない」
「…………」
押し黙る私の前に、警官が手を差し出した。
「嬢ちゃん、俺が始末しといてやる。そいつの事は忘れろ。そいつは危険なモンスターの幼獣なんだ……」
「いいえ、私も冒険者です。だから冒険者の義務として私がきっちりとこの子を処分します。ですから、ここを通してください」
私の答えを聞いても警官は動いてくれなかった。それよりも、私にキツイ視線を向けて来た。なんだか、面倒臭くなってきた。こうして話しているうちに、どんどんと腕の中のじゃりめが衰弱している事を感じ取れるからだ。
「私がやるんです……だからどいてください……どけ……!」
「信用できないな。後から暴れられて責任取らされるのは俺なんだ。さっさと渡せ!」
イカツイ顔を私に向ける警官に私は再び短杖を構えた。一気に警官はうざったそうにこちらを睨む。その目つきに思わずカッとなって魔法を撃ちそうになったが、片腕の中で感じる僅かな暖かさと、“カズマさん”の囁きで心を落ち着かせた。
「嬢ちゃん、街中で攻撃魔法を使ったら流石にタダではすまさんぞ」
「そんなの分かってます! だから……“クリエイトアース!”」
「初級魔法? そんなもので……」
「“ウインドブレス!”」
「わぶっ!? 目がぁ!? このクソガキ!」
私は顔面を抑えて蹲る警官を飛び越え、公園の外へと走り出した。
公園から離れた所で腕の中のじゃりめを確認する。出血は回復ポーションで止まっているようだが、何やら苦しんでいるし、回復の基調が全くない。このままでは死んでしまうという事が、素人の私でも分かってしまった。
「じゃりめ、今私が助けてあげるからね……!」
「にゃぅ……」
しかし、どこに連れていけばいいか分からない。一瞬バニルさんとウィズさんの顔が浮かんだが、あの人達は治療向きではない。教会やギルドも候補として考えららえるが、じゃりめの正体を暴かれる可能性がある。それならば……!
私は全力疾走で街中を駆け抜けていく。目的地に近づくに連れて私の足が重くなるが、腕の中の小さな暖かみのおかげで何とか踏ん張れた。そして目的地、カズマさんの屋敷へ到着すると、すぐさま玄関の扉を縋り付き、バンバンと叩いた。
「アクアさん助けてください! お願いです治して……この子を治してください!」
しかし、屋敷の中からの反応はない。私が頼りにしたのはアクアさんだ。カズマさんは治療に関してアクアさんに全幅の信頼を置いている。それにアクアさんなら、じゃりめの事も何の疑問もなく治療してくれそうだからだ。
「お願い……! 出て……助けて……じゃりめを助けてよう……!」
屋敷からは反応はない。もしかしたら留守なのだろうか。そんな時、腕の中のじゃりめから、掠れた鳴き声と弱く、そして荒れた呼吸音が聞こえてきた。
「だめ……じゃりめ頑張って……死なないで…………!」
「…………」
「あ……いや……だめ……目を閉じたらだめ……私を置いていかないでよぉ……!」
視界が涙で歪む中、じゃりめを抱えて崩れ落ちるように座り込んだ。腕の中の毛玉から命が消えようとしている。今の私にとってこの毛玉は色んな意味で必要不可欠な存在だ。この子のおかげで私は頑張れたとも言える。それを、失ってしまったら私はどうなる? まともな精神を保っていられるか、自分自身でも良く分からない。
「お願い……助けて……アクアさん……カズマさん……!」
「ちょっとアンタ、私の屋敷の前で何やってんのよ?」
待ち望んだ声が、私の背後から聞こえた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「“セイグリット・ハイネスヒール!”」
アクアさんの輝く両手が、力なく目を閉じるじゃりめに掲げられる。しばらく治癒の光をあてられたじゃりめは、なんだか気持ちよさそうにしながら、ゆっくりと目を開けた。そして、私の方を見て一鳴きした。
「にゃ……」
「じゃりめ……!」
私は小さな毛玉を抱きしめた。暖かい……それに呼吸も安定している。生きている……生きて私の傍にいてくれる。それがたまらなく嬉しかった。
「にしても、一体どうしたのこの子?」
「アクアさん、本当にありがとうございます! ちょっと私が可愛がってた子が怪我しちゃったみたいで……!」
「可愛がってた子ねぇ……でも単なる怪我じゃないわよ?」
もしかして正体がバレたのかと困惑する私を前に、アクアさんは何やら複雑そうな表情を浮かべて問いかけてきた。
「矢傷だけでもおかしいのに、苦しんで死ぬような猛毒と衰弱の呪いが矢に付与されていたようね。かなり悪質で強力なものよ。きっと並のプリーストじゃ治療不可能だったわ。私を頼ったのは良い判断ね」
「え……?」
猛毒と呪いと聞いて、私は意味が分からなかった。警察って害獣駆除にそこまでするのだろうか。でも、もうどうでもいい。だってじゃりめは助かったのだから。
「アンタも心当たりないの? 結構な殺意とか恨みがこもってそうな呪いだったけど……」
「すいません……私には何も分かりません……」
「そう……でも並の子猫じゃ多分死んでたわ! きっと生命力が強い子なのよ。あなたもよく頑張ったわね!」
アクアさんは笑顔を浮かべながら、私の腕の中の毛玉を優しく撫でる。じゃりめは気持ちよさそうに喉をゴロゴロと鳴らす事で答えた。
「まぁいいわ! ともかく、数日は安静にしてちょうだい。そうすれば元通りに元気いっぱいになるわよ」
「アクアさん……! ありがとうございます……ありがとうございます……!」
「や、やめてよ! 今アンタに謝られるのは色々と複雑なんですけど!」
両手を合わせて祈りと感謝の気持ちを伝える私を、アクアさんは嫌そうな目で見て来た。しかし、本当に感謝感謝の大感謝である。
「アクアさん、お礼は何がいいでしょうか? お金はいくらでも払いますよ!」
「バカ! 治療は女神の私にとって当然の行為よ! お金なんていらないわ! でもお礼がしたいって言うなら、ちょっと手伝って欲しい事があるの」
「はいアクアさん! 何でもしますよ!」
「そう……ならこっちに来てちょうだい」
私はアクアさんに連れられて庭をしばらく歩く。そして大きな木の下にある石……墓石の前で足を止めた。墓石には綺麗な花がお供えされ、横には水が張ったバケツと布巾が置いてあった。
「お掃除してる途中だったの。手伝ってくれる?」
「もちろんです! 任せてください!」
アクアさんは周囲の雑草を毟り、私は墓石の汚れを布巾で落としていく。少し元気を取り戻したじゃりめは、何やら空中に向かってしきりにネコぱんちを繰り返していた。小さな墓石であるためか、どことなくのどかで静かな掃除の時間は半刻もたたないうちに終わってしまった。
「ありがとねゆんゆん。この子も喜んでるわよ」
「いえいえ、私の方が感謝してもし足りないですって!」
「私の方こそあなたに感謝よ。この子の笑顔を久しぶりに見たから……」
それから何やら謙遜ありがとう合戦が始まったが、それもじゃりめの小さな鳴き声で終わりを告げる。私は黒い毛玉を腕で抱きかかえて再びアクアさんに感謝を告げた。
「今日は本当にありがとうございましたアクアさん!」
「にゃっ!」
「はぁ……まぁ素直に受け取っておくわ……」
私はそっぽを向くアクアさんに何度もお礼を告げ、屋敷を後にしようとした。しかし、正門を出ようとした所でアクアさんに小さな声で呼び止められた。
「ゆんゆん、カズマの事知ってる?」
「カズマさんの事……はい、私も噂の事は知ってます……」
「そうなの……」
何やら複雑そうな表情を浮かべてアクアさんが俯く。もしかして、アクアさんもあの事に心を痛めているのだろうか。めぐみんもダクネスさんもカズマさんに対して様々な思いを持っている事は実際に接してみて感じた。アクアさんも例外ではないのだろう。私はそんな彼女を励ますように語りかけた。
「アクアさん、あんな噂は嘘です! カズマさんはそんな人じゃありません!」
「え……? あ……うん……」
「だからアクアさんも、カズマさんの事を信じてあげてください」
私の言葉にアクアさんはコクリと頷いた。そして少しバツの悪そうな顔をしてから、私にこっそりと耳打ちした。
「ゆんゆんはカズマの事が心配?」
「心配に決まってます! でも私はカズマさんを信じていますから……」
そう答える私を見て、アクアさんは嬉しそうに笑顔を浮かべた。そして、私が抱くじゃりめを指でつっつく。じゃりめはそんなアクアさんの指をペロペロ舐め返した。治療してもらったのを分かっているからだろうか。なんだかじゃりめもアクアさんに懐いているようだ。
「カズマさんはね、バカでクズで弱っちいヘタレだけど、なんだかんだで頼りになる人なの。だから、ゆんゆんはそのままカズマさんの事を最後まで信じてあげて? きっとカズマにも色々あって姿を見せられないのよ」
「だから言ってるじゃないですか、私はカズマさんを信じているんです! これだけは何があっても変えるつもりはありません!」
「そうなの……なら安心ね……」
私の声を聞いてから、アクアさんはどこか寂し気に微笑んだ後、私に背を向ける。あまり、長居するのもよくない事だ。私も家に帰るとしましょうか。
「大丈夫よゆんゆん。カズマさんもあなたに会いたいって言ってたから……」
「え?」
屋敷から背を向けた私は思わず振り返った。しかし、アクアさんは振り返る事なく屋敷に向かって歩き去っていった。何かを私に呟いた気がしたのだが、聞きとる事はできなかった。ともかく、じゃりめを救えた事により、私は軽やかな足取りで自分の宿への帰路へついた。
そして、宿の前に私の見知った人物、クリスさんがいるのが見えた。彼女は私の方を見て軽く手を振った後、何やらギョッとした表情を浮かべた。同時に、腕の中のじゃりめが突然暴れ出した。私も少し驚いたが、まだ治療直後のためか全快とはいえないため本調子ではないのだろう。私が軽く抱きしめるだけで腕の中の毛玉は大人しくなった。
「なんで生きてるの……!?」
「どうしたんですかクリスさん? また何か私にようですか?」
「え……? ああ、いや何でもないよ! たまたま通りかかっただけだから! それより……その……妙な毛玉を抱いてるねぇ? キミのペットか何かかい?」
「あ、はい! 私の大切なお友達で……ってちょっと暴れないでよじゃりめ!」
何やら居心地悪そうなじゃりめをあやす。そんな私を、クリスさんは何故か血走った表情で見つめてきた。
「ねぇ、その子随分と弱ってるみたいだけど、何かあったの?」
「ええ、ちょっと怪我をしちゃいまして……でもアクアさんが治療してくれました!」
「アクアさん……? ふふっ……そう……本当に……本当に先輩は私の……!」
「クリスさん?」
無表情で呪詛のような言葉を呟きだしたクリスさんに何度か話しかけるが、彼女は反応を示さない。私は暴れるじゃりめを落ち着かせるためにも、仕方なくクリスさんを放置して宿に入る事にした。しかし、肩を復活したクリスさんに掴まれて動きを止められる。彼女は相変わらずの無表情だ。
「ゆんゆん、その猫から強力な呪いの残り香がするの。何があったか詳しく教えてくれない?」
「それは……」
「大丈夫、ちょっと気になる事があるだけだから」
そうおっしゃるクリスさんの言葉を受けて、私はじゃりめが怪我を負った経緯を説明した。もちろん、この子が初心者殺しの幼獣である事も話した。クリスさんは少しの驚きの声を上げただけで、私の話を最後まで聞いてくれた。じゃりめを駆除するように言われるかもしれないといった恐怖もあったが、流石は女神様、私の思いを酌んでくれたのか、そのような事はおっしゃらなかった。
「なるほど、この子が駆除されそうになるっていう話の筋は通ってるね」
「はい、幼獣とはいえ初心者殺しですからね。冒険者としては駆除すべきなんでしょう。それに、被害が会ったというのなら、冒険者や警官が動きを起こすのも当然と言えます。多分カズマさんもこの子を見たら首をへし折りに……わっ!? だから暴れないで!」
落ち着きのないじゃりめを、クリスさんが一撫でした。そうすると、じゃりめは動きをピタリと止めた。しかし、次第に体をぶるぶると震わせ始める。血を失って寒いのだろうか? そんなじゃりめを見てクリスさんがクスクスと笑った後、真剣な表情で私を見つめてきた。
「ゆんゆん、タイミング的におかしいと思わない? 助手君がいない事でキミが精神的に弱っている事は私でも分かる。そんな時に、君と仲が良いこの子が殺されかけるなんてね」
「あの、クリスさんは何がおっしゃりたいのですか……?」
「分からないの? 君を精神的にぶっ壊そうと画策してる人がいるかもって話だよ。助手君を信じて待ち続けるキミは一部の人達にはとても邪魔な存在かもしれないからね」
「え……?」
「想像してごらん? 心の支えになっているようなこの子を、キミの目の前で無残に殺す。今まで可愛がって愛着がある分だけ、キミに大きな精神的ダメージを与えられる。実に合理的で簡単な方法だよ」
理解はしたくなかった。しかし、じゃりめの件はどこか作為的なものを感じてしまう。確かに言われて見ればじゃりめは初心者殺しの幼獣かもしれない。でも、じゃりめは人に危害を加えるような子じゃないはずだ。
じゃりめは随分と思慮深く、私の言う事も良く聞いてくれる。今にして思えば、それは初心者殺しというモンスターの知能の高さに由来しているのかもしれない。でも、知能が高いという事は街を牛耳る人間に手を出す事の無意味さを学習しているはずだ。現に、じゃりめは今まで私以外の人間との接触を避けているようだった。そんな子が突然人を襲うなんて脈絡のない事をするのだろうか。だからといってじゃりめに信頼を置きすぎるのはどうかと思うが……
でも、あの警官は冒険者から通報が数件あったと言った。ここに大きな疑問が残る。駆け出し冒険者が、私さえ気づかなかったじゃりめの正体を把握して通報するなんてありえるのだろうか。もちろん、ベテランもこの街にいるが、その人達なら今のじゃりめ程度は怪我を負う前に即殺できるはずだ。それなのに、都合よく数件のも被害届けが出されるなんておかしいと思う。
何より、あの警官が矢に強力な毒や呪いを付与していたという点が気になる。街中での害獣駆除にそこまで強力な毒を使うのだろうか。そもそも、そのような装備が警察が所持しているかも怪しい。
思案する私を、クリスさんはニヤニヤとした表情を浮かべながら見つめた後、私の耳元にこっそりと囁いた。
「ゆんゆん、もしかしたら次の“駆除”のターゲットになるのはキミかもね」
「っ……!?」
「相手の思惑は失敗してるようだしね。業を煮やした犯人は……って事がないとはいえないねぇ」
クリスさんの言った言葉を聞いて怖気が走った。私が“駆除される”そんな事あるのだろうか? そもそも、なぜ私が狙われる。
エリス様が言うようにカズマさんが何らかの罠にハメられてるとしたら、彼を探し続ける私は確かに邪魔な存在かもしれない。そういえば、指輪の件だって実に不可解であった。もし私が指輪を失ったままだったら私の精神は厳しいものになっていただろう。そこに、じゃりめの死という追い打ちを受けたら、私の精神がどんな事になるかなんて考えたくもない。
確かにクリスさんが言うようにカズマさんがいない事で弱っている私を“壊す”のに実に合理的な手段といえる。もしかして、一連の出来事は、本当に作為的なものだったかもしれない。
「クリスさん、本当にそんな事ってあるんですか? どこか陰謀論を真面目に考えているようでどうにも胡散臭いです」
「さあねぇ……でもあたしはその子を殺してキミに精神的苦痛を与えようとした犯人の目星はある程度ついてるよ」
「……教えてください。参考までに聞いておきます」
私の静な問いかけに、クリスさんはクスクスと笑う事で答えた。それだけで分かってしまう。彼女は私にそれを教える気がないのだろうと。
「言ったでしょ? あたしと契約したら教えてあげる。期日は明日の正午だけど今すぐにあたしと契約してもいいんだよ? 知りたい? ねぇ知りたい?」
「いえ……今夜じっくり考えさせてください」
「はぁ、早くしないと取返しのつかない事になるかもしれないのにね」
クリスさんが呆れた声音でそういった。私は腕の中のじゃりめを軽く抱きしめる事で不安を紛らわせる。彼女は大きなため息をついた後、私の頭を優しく撫でてきた。その瞬間、不安や悩みが吹き飛んで、何だかとても癒されていくのを感じた。でも、同時に脳内を何かに犯されるような感覚がして、私は慌てて彼女の手を振りほどいた。
「と、とにかく今はこの子を休ませたいんです。私も明日には覚悟を決めて見せます!」
「ふーん……後悔のないようにね……」
クリスさんは薄く微笑んでから、溶けるように私の前から消えた。
私はそんなクリスさんを見送ってから、ゆっくりと自室へと入った。そして、じゃりめをソファーの上にひとまず置き、キャットフードと私のご飯を準備する。
「一緒に食べよう?」
「にゃっ!」
ソファーの傍でキャットフードをがっつくじゃりめを眺めながら、私は食事を始めた。そこに今まで感じたような寂しさはあまり感じなかった。ただ、今度は“足りない”という感情で胸がいっぱいになった。私の隣がとても寂しい。
そして、いつもよりかは和やかな食事を終えた後は、嫌がるじゃりめを抱いて無理矢理一緒にお風呂へ入った。じゃりめについた血と泥を洗い流しながら、私は改めてこの小さな命が助かった事に感謝した。
もし、あの時この子が死んでいたら、私がどんな行動を取っていたかは本当に考えたくもない。少なくとも、あの警官には大怪我を負わせていたかもしれない。あの時、冷静でいられたのはじゃりめに息があったおかげだ。そして、“カズマさん”が私の傍にいてくれたからというのもある。
お風呂の後は、水を吸って貧相になった黒い毛並みをしかっりと拭き、魔法の熱風を送って乾かす。これに関しては気分良さそうにするじゃりめを見て、くすりと笑った。
「じゃりめ、しばらく安静にしててね?」
「にゃう……」
「そんなに恨めしそうに私を見てもダメ。あなたはもう普通の子猫というわけにはいかないの……」
私は小さなバスケットに毛布を敷いて、じゃりめをその中に入れる。そして、その簡易的な寝床を枕元に置いて私もベッドへ横になった。
薄暗い部屋の中で、じゃりめはバスケットから顔を出して窓の方を見つめている。私はそんな毛玉の頭を撫でる。毛玉の視線が、私へと移った。
「ねぇ、じゃりめ私と一緒に住みましょう?」
「にゃ……」
「あなたなら分かるよね? もう今までのような街での暮らしはダメ。きっと、今度こそ誰かに殺されちゃう」
「にゃう……」
しょぼくれるじゃりめを私は撫で続けた。本当なら、森に帰すのが一番かもしれないが、冒険者としてそれは許せない。それにこの子が将来人間の敵になる事は避けたかった。何より私がじゃりめと離れたくないと思っている。
「じゃりめ、私と一緒にいて……?」
「にゃ……にゃぅ!」
私の問いかけにじゃりめは一瞬迷ったようだが、しょうがないとばかりに一鳴きした。どうやらこの毛玉も随分とチョロいようだ。私は、嬉しくてじゃりめをバスケットから取り出し、一緒に毛布にくるまった。色んな暖かさに包まれて、私は久方ぶりに幸せな気分になった。そして、同じく気持ちよさそうにしているじゃりめに語り掛けた。
「じゃりめ、前にもいったかもしれないけど、私には大切な人がいるの」
「にゃ」
「だから、きっとあなたと私の大切な人、カズマさんとの生活は絶対楽しいと思う。二人と一匹の幸せで楽しい毎日……それから月日が立てばもっと増えるかも……くふっ……くふふっ……!」
「にゃ、にゃぁ……」
何やら微妙な視線を送ってくる毛玉のお腹を私はくすぐる。幸せな将来を思い描いて脳がとろけそうになる一方で、私は明日の事を考えていた。明日は私のとって決断の日……運命の日だ……
「にゃ」
「じゃりめ……?」
思考が泥沼へと嵌りそうになった所で、じゃりめのネコぱんちで引き戻される。私はこの毛玉の思慮深さに苦笑してしまった。だから、私は明日の事を考えるのはやめた。 大丈夫、これは思考放棄なんかじゃない。明日という日のために体を休めるのだ。私はじゃりめを抱きしめてその毛深い耳元に囁いた。
「じゃりめ、お魚好き?」
「にゃっ!」
「なら約束しましょう。カズマさんが私の元に帰ってきたら一緒に釣りに行くんです……」
「にゃふ」
お魚という単語を聞いて、じゃりめの瞳が暗闇の中で鋭く光った。なんとも現金な猫……いや初心者殺しだ。
「私も本を読んだりして少しは学んだんです。きっと今度は大物がいっぱい釣れちゃいます。そうしたら、私とカズマさんとあなたと一緒に食べましょう?」
「にゃっ!」
「ふふっ、約束ですよ?」
じゃりめのぷにぷにとした肉球を堪能しながら、私はじゃりめと小さな約束した。でも、この約束を果たすためには彼がいなくては始まらない。それに、私との約束だってあるのだ。
「カズマさんも約束してくださいね?」
私の囁きに答えてくれるものはいなかった。でも、私は久しぶり、本当に久しぶりに気持ちの良い眠りにつく事ができた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
翌日、私はウィズさんの魔法具店に朝から訪問した。そして、出迎える二人を前に、じゃりめの入ったバスケットをカウンターに置いた。
「ウィズさん、バニルさん、少しの間この子を預かってくださいませんか?」
「ふむ……よかろう」
「私も別にいいですよ! わぁ可愛い……ふわふわな毛並みに鋭い鎌爪……凛々しくて凶暴そうな口元がとってもチャーミングで……って初心者殺しじゃないですかこれ!?」
ウィズさんに対して鼻をスンスンと鳴らすじゃりめを見て、彼女は驚きの声を上げた。流石というべきかバレてしまったようだ。分かる人には分かってしまうものなんですね……
「ウィズさん、その子は私の大切な家族なんです。少しでいいからお願いできませんか?」
私の訴えを聞いて、ウィズさんは動きを止める。そして、満面の笑みを浮かべて私に答えた。
「そうですか……ええ、大人しい子ですし別に構いませんよ。それにこんな幼獣じゃ今は子猫と対して変わりませんしね!」
「ありがとうございます……この子を……じゃりめをお願いします」
私はウィズさんに深く礼をしたあと、バスケットから頭を覗かせるじゃりめを撫でた。全て終わったら、抱き着いて思いっきりモフろう。
「じゃりめ、行ってくるね!」
「にゃっ!」
元気よく答えるじゃりめをもう一撫でしてから、私は毛玉に背を向けた。私には行かなくてはならない場所があるのだ。そして、店の扉に手をかけた時、背中越しにバニルさんから声をかけられた。
「後悔のない決断をしろ。そして自分の信じる道を行くがいい……ゆんゆん」
「はい!」
声援ともとれるバニルさんの言葉に、私はそう強く答えた。
そして、私はアクセルの街の中心広場に来ていた。今日は私にとって運命の日だ。この選択次第で私の道は大きく変わる。しかし、私はまだどちらの道を選ぶか決めていなかった。
一つ目の道はダクネスさんの捜索隊に加わる事。この道を選ぶと、私は実に様々な物を捨てて捜索の旅に出る事になる。ダクネスさんの話を信じて捜索を続ければ、カズマさんに再会する事が可能かもしれない。見つけさえすれば、こっちのものだ。めぐみんは刑務所に入れるとか何とか言っていたが、ダクネスさんと協力する事でそれも回避可能だろう。
二つ目の道はエリス様と共に捕らわれているというカズマさんを助ける事。エリス様の話を信じるならばカズマさんとの再会はもはや確定事項と言っていい。加えて、この騒動の犯人にも対面できる可能性が高い。カズマさんを罠にはめ、私とじゃりめに陰湿すぎる嫌がらせをした奴との対面……想像しただけでと私の中に怒りと殺意がふつふつと湧き上がる。
ともかく、どちらの道を選んでも、大きく事態が動く事は確かだ。それに、私はこの二つの道に関するとある事実に気付いていた。
「どちらかが嘘をついている……?」
そう、ダクネスさんやめぐみんの証言と、エリス様が示す道は両立しない。どちらかが嘘をついている事は確定だ。だから、私が“ハズレ”を選んだ場合、とんでもない事になりそうだという予感がする。
「でも、決めなきゃ……」
この広場は十字路になっており、私から見て右の道を行けばダクネスさんが待つカズマさんの屋敷へたどり着き、私から見て左の道を行けばクリスさんの待つエリス教会にたどり着く。
「ふふっ、まさに運命の分かれ道って奴ですね……」
私は中心広場で目を瞑り、しばしたたずむ。
そして、顔を上げて自分の進むべき道を見つめた。
「カズマさん……私は……!」
彼女は自分が決めた道へとゆっくりと歩き出した。
無論、その両目には迷いはなかった。
じゃりめ:殺す事でゆんゆんに精神的ダメージを与えるために登場させたオリキャラ。本来はバラバラにされて紙袋に詰め込まれてゆんゆんの部屋に投げ入れられたり、脳天に矢が刺さって即死させる予定だった。
という事で毛玉は初心者殺しでした。何のひねりもないよ!
次回も一週間~二週間後くらいかな……
週末はさまないとキツイね!