正午を告げる時計の鐘が、荘厳なエリス教会に静かに響く。その鐘の音を聞きながら、二人の人影……実質一人の人物が椅子から立ち上がった。
「あらら……やっぱり来ないのか……」
「仕方がありません……作戦も思考誘導もあまり上手く行きませんでしたしね……」
「うう……ちょっと……じゃないくらい不安になってきたけど、あたし達は予定通りに動くよ! こうなったら助手君をものにして見せるんだから! 皆、頼むよ!」
クリスの号令によって、教会内で待機していた数十名の人影が立ち上がる。彼らは純白のエリス教の神官服に身を包む親愛なる信徒の皆さんだ。実は今回の作戦に協力してもらうため、こっそり人を集めていたのだ。
「それじゃあ皆さん、お願いしますね」
エリスの笑顔の見た信徒達が一斉に涙と嗚咽を漏らし始めた。それを見て、エリスも若干引く。少し狂信的なものを集めすぎたかもしれない。しかし、協力者としてこれほど頼りになる存在はないだろう。
そして、エリス教の集団がカズマの屋敷近くへ移動し、作戦を開始した。今日はダクネスが集めた捜索隊という名の“要人暗殺用偽装商隊”が駐屯しているはずだ。まずはクリス率いる信徒数名が奴らの陽動、エリス率いる部隊が隣の屋敷から柵を乗り越え、一気にカズマさんのいる屋敷に突入するとの事だった。
「信号弾……! 皆さん、頑張ってください!」
先に行動を開始していた陽動部隊が放った信号弾を確認し、エリスが突入の号令を発する。それを聞いた信徒達が、我先にと柵を乗り越えて屋敷へ突入していく。エリスは両手を合わせて祈りを捧げるようなポーズをとって優しく見守った。
そして、数分が経過した頃、一人の信徒が屋敷から戻ってきた。どうやら、突入準備が整ったようだ。エリスはここしばらくの間、侵入も覗き見もできなかった屋敷へとゆっくりと侵入した。屋敷中で破壊の音が響くなか、エリスはリビングへと到達する。そこにはエリスにとって因縁の相手、女神アクアがいた。
「や、やめてえええええ!? アンタ達いきなりなによ! なんでおウチ壊すのよおおおおお!」
ただ、女神アクアは泣きながら壁をメイスで破壊している信徒の服を引っ張っていた。そのいつも通りというか、無様とも言えるアクアの姿を見て、エリスは薄く微笑んだ。
「こんにちはアクア先輩! 久しぶりですね!」
「エ、エリス!? なんでアンタここに……というかエリスもこの人達止めてよおおおおお!」
「しょうがないですね……皆さん、協力ありがとうございました。後は、私に任せてください」
メイスを持った信徒はエリスに一礼したあとリビングを去った。これで部屋にいるのは女神アクアと女神エリスの二人だけになった。
「アクア先輩、私の侵入を封ずるのは良い判断かもしれませんが、普通の人間に対する対策がダメダメです。あんな結界、内部から破壊すれば私にとって何の障害にもなりません」
「あっ……そう言われればそうね……」
「ふふっ……先輩って本当にバカですね……!」
「バ、バカって言わないでよ! 私、ルービックキューブで一面揃えられるくらいは頭いいんだから!」
何やら、アホな事を言うアクアをエリスはあざ笑う。そして、涙目のアクアに彼女は詰め寄った。
「さぁアクア先輩、これで詰みです。カズマさんはどこですか?」
「な、なんの話よ! カズマは失踪中で……!」
「アクア先輩、女神が嘘をつくなんてダメですよ。カズマさんを監禁……しているんでしょう?」
エリスの核心を突いた一言にアクアは押し黙る。そして、しばらくの沈黙のあと……
「と、逃走!」
「待ちなさいアクア先輩!」
突然逃げ出したアクアをエリスは追いかける。アクアはリビングの一画に開いた穴に飛び込み、エリスもそれに続く。そして、エリスは確信した。6畳ほどの薄暗い地下室、この場所こそ事前調査で確認していた隠し部屋であると。
その隠し部屋に逃げ込んだアクアを部屋の壁際まで追い詰め、エリスは嗤う。ついに彼の元へたどり着けたこと、久しぶりに会う事、彼を助けるのが自分であるという事がとても嬉しかったのだ。彼女の視線は隠し部屋に設置されているベッドに釘づけだ。人間一人分の膨らみを持った布団、そこには愛しのカズマさんがいる。
「カズマさん、女神エリスが……私が助けに来ましたよ!」
そう言って、エリスは布団を一気にめくった。そこには愛しの彼が……いなかった。布団の中には、数体の西洋人形が仲良く横になっているだけだ。
「なっ……これは……カズマさんはどこに……!?」
「ふっふっふー! なんだか分からないけど上手くいったわ! やっぱり私の勘が正しかったわけね! えいっ!」
「アクア先輩……? 一体何を……? あぐっ……!?」
突如、部屋に重苦しい空気が立ち込める。その空気にあてられて、アクア、エリスの両方が膝をついた。エリスは神力を発動しようとするが、思うように力が制御できない。どうやら、何らかの罠に嵌められたようだ。
「効果時間は短いけど、足止めにはこれで十分ね! さあエリス、あんたにはいっぱい聞きたい事があるんだから! 覚悟しなさいよね!」
「そんな……アクア先輩に出し抜かれた……? なぜです……結界の類はどこにも……!」
そんなエリスの言葉に、アクアは満面の笑みを浮かべながら天井を指さした。釣られてエリスは天井を確認する。そこには、衰弱の魔方陣が刻まれていた。部屋に入った時、ベッドの方しか彼女は見ていなかった。注意力が足りていない……最後の最後に慢心してしまった!
「あっ……そんな……そんな……!」
重い体を引きずって、エリスは部屋の扉に手をかける。しかし、扉は開かない。閉じ込められた……嵌められた……女神アクアに出し抜かれた! そのことに彼女は絶望とも屈辱とも言える激情に捕らわれた。
「まったく、アンタは一体どうしちゃったわけよ? めぐみんはアンタに凄い苦手意識を持っているし、ダクネスだって毎日のようにしていたお祈りを最近はしていないわ! それにウチのカズマさんに手を出してる上に変な約束までしちゃって! さぁエリス、話しなさい! アンタ一体どういうつもりよ!」
アクアの声に、エリスはビクリと体を震わせる。そして、両目に大粒の涙を浮かべて、アクアを睨み付けた。
「なんで……なんでアクア先輩はいつもいつも私の邪魔ばかりするんですか……?」
「え? 別に邪魔なんか……」
「してます! 昔っからいつも私の邪魔ばかりして……! なんで……なんでこんな事に……もう全部滅茶苦茶……おしまいです……うぐっ……ひっぐ……!」
「ちょ、ちょっと泣かないでよ! 何だか私が悪い事してるみたいなんですけど!」
「悪いです……! 全部……全部アクア先輩が悪いんです……!」
ついにボロボロと泣き始めたエリスを見て、アクアはおろおろとするしかない。彼女はとりあえずエリスを慰めようと、ハンカチを持って彼女に近づいた。
「エリス……何だか分からないけど泣き止みなさいな。落ち着いたら、ゆっくり話しましょう……?」
「余計なお世話です! こんなものっ!」
「あっ……」
差し出されたハンカチをエリスは叩き落とす。しかし、次の瞬間、彼女は縋り付くようにアクアの胸に飛び込んだ。アクアはそんなエリスを優しく抱き留める。エリスは抱きしめられながらも、アクアの胸をポカリと叩いた。
「アクア先輩が悪いんです……!」
「うん……」
「先輩が……先輩なんていなきゃいいんです……!」
「うん……」
ぽかり、ぽかりとエリスはアクアを叩き続ける。
「いつも私の邪魔ばかり……本当に最低です……!」
「う、うん……」
「バカ……ゴミ……駄女神……ねろいど……!」
「う、うん……?」
ぼかり、ぼかりとエリスはアクアの腹にボディブローを叩き込んで……
「ってさっきから痛いんですけど! いったい何を……!」
「えいっ!」
「いだっ!? 蹴った!? 先輩女神である私を足蹴にした!? もう許さないわよ! 上司としてアンタに目上のものに対する接し方を叩き込んでやるわ……!」
「わああああああああっ! アクア先輩がパワハラしてくるううううううう!」
「ちょっ!? 人聞き悪い事を……痛いっ!? また蹴った!」
「あああああっ! 先輩なんか死ねええええええええええ!」
「死ね……!? 先輩のこの私に死ねですって……!? いい加減にしてちょうだい! 喰らいなさい! 女神式コブラツイスト!」
「いたっ!? 痛いですアクア先輩!? 偉い人にパワハラで訴えますよ! 痛い……痛いって言ってるでしょうが!」
女神同士の泥沼の戦いが始まった
そして、屋外ではクリスとダクネスが対峙していた。クリスはいつもより3割増しのニヤけ顔で、ダクネスは諦観がこもった無愛想な表情だ。
「ダクネス、なんで私兵を引かせるの?」
「別の優先事項があるからだ。というか何の真似だクリス? 急に私の私兵にちょっかいかけてきて……」
「分からないのダクネス? 監禁されてる助手君を救出にきたんだよ!」
クリスの言葉にダクネスは驚きの表情を浮かべる。しかし、すぐに諦観の表情へ戻った。そんな気の抜けたようなダクネスにクリスは違和感を覚えた。
「あれ、もう少し動揺したりしないの?」
「したさ……でももう何もかも遅い……カズマはもうここにはいない……」
「え……?」
「ふふっ……もうこれで終わり……ふふっ……くははっ……!」
笑い出したダクネスの胸倉をクリスは引っ掴む。そしてぐらぐらと揺らし、内心の焦りを抑えながら問いただした。
「どういう事!? 一体、いつ助手君が脱出したっていうの!?」
「ついさっきだ……というかなんでクリスがカズマの救出を……? まさか……」
不穏な空気を放ち始めるダクネスを放置して、本体との同期を試みるが、上手くいかない。何が起きたか確認しようと動き出した時、一人の信徒が駆け寄ってきて、クリスの前で頭を垂れた。
「クリス様! エリス様が要注意人物Aと接触後、Aと共に地下室に籠られました。それからはこちらに反応を示しませんし、扉にも強固な封印が施されています。我々でも解除は不能です」
「そんな……!」
クリスが唇をギュと噛みしめる。流れ出る鉄の味を舐めながら、思考を巡らす。本体が対応不可能な事が起こっている時点で、人間体のクリスにできる事は残されていない。それならば、一刻も早くカズマを見つけるべきだ。そして、女神エリスというものを彼に出来るだけ刻み付ける。それがリカバリー不能となったこの作戦の最後の使い道だ。
「バカ! 助手君のバカ……!」
クリスは泣きながら街へと駈け出した。失敗した……それでも諦めてはいけない! その気持ちが、倒れ込みそうなほどの混乱をきたした身体を動かす原動力となった。
そして、残されていたダクネスもトボトボと歩き出す。最初はどこかスッキリとした気持ちであったが、今後の事という現実的な話を考え始めてから体が重くて仕方なかった。それでも彼女はゆっくりと歩を進めた。
「めぐみん……」
・・・・・・・・・・・・・・・・
アクセルの街の一画にある小さな喫茶店。お昼時にはそこそこの賑わいを見せる喫茶店の店内は奇妙な静けさに包まれていた。唯一聞こえるのは、クスクスというゆんゆんの抑え気味の笑い声のみだ。
そして、俺は現在めぐみんの手を握って彼女を止めていた。自傷行為といい、今回のこれといい、俺の剣は人を狂わせる呪いでもかかっていたのだろうか……
「めぐみん……やめてくれ……」
「あっ……うっ……はい……」
めぐみんは手に持った剣を素直に腰の鞘にしまった。そして、気の抜けた表情で椅子にストンと崩れ落ちる。彼女は監禁していた俺がここにいる事にどんな思いを持っているのだろうか?
めぐみんの目元に涙が浮かんでいる事から、少なくとも嬉しいとは思っていないだろう。しかし、これ以上何かの行動をしようとする気力は感じられない。それならばと、俺はゆんゆんの方へ向き直る。彼女はめぐみんの痺れ薬によってテーブルに突っ伏してクスクスと笑い声を上げ続けていた。何だか感動の再開とは言い難い。しかし、久しぶりにゆんゆんの姿を確認できて嬉しくてたまらないし、何だか深い安心感が胸の内に広がった。
俺はニヤけそうになる表情を抑えながら、サイドポーチから解毒ポーションを取り出し、ゆんゆんの口元に押し当てる。しかし、彼女は口を閉ざし、何故かこちらにキラキラとした視線を送ってきた。
「おいこら、口を開けろゆんゆん」
「カズマさん、こういう時はお約束って奴があるでしょう……!」
息まで荒くし始めたゆんゆんに嘆息しながらも、俺は解毒ポーションを口に含む。そして、机に突っ伏した彼女を抱き起し、監禁前と変わりない薄桃色の唇に軽くキスをした。要は口移しである。自分の口内の液体を彼女の口に流し込んでから始めてとんでもなく恥ずかしい事をしている事に気が付いた。
「ん……んっ……!」
でも、目を瞑りながら嬉しそうな表情を浮かべる彼女を見ると、そんな気分も吹き飛んでしまう。そして最後の一滴まで流し込んだ後、ゆっくりと口を放す。ゆんゆんは俺から受け取った解毒ポーションをコクリと飲み込んでから目をパチリと開けた。
「よう……! その……久しぶりで……」
「カズマさん!」
「おふっ!?」
「カズマさんカズマさんカズマさん……!」
「落ち着け落ち着け……」
体が動かせるようになった途端、ゆんゆんは俺の胸に飛び込んで来た。そして痛いくらいにぎゅうぎゅうと抱きしめてくる。俺はそんなゆんゆんを軽く抱きしめ返す。彼女の柔らかな感触と温かみがとても懐かしいものに思えた。
「カズマさん……カズマさん……!」
「おう、泣くな泣くな……」
ゆんゆんは固い胸鎧に顔を押し付けて泣き始める。そんなゆんゆんの姿を嬉しいと思う反面、申し訳なさを感じてしまった。彼女の前から不可抗力とはいえ、連絡もなしに消えて数ヶ月、とても不安な思いをさせてしまったに違いない。むしろ、そう思っていて欲しい。
俺は胸の中で体を震わせるゆんゆんの顔をあげさせる。そして、涙を指で軽く拭ってやりながら精一杯の懺悔を呟いた。
「あーその……ゆんゆん……ごめんな……」
「カズマ……さん……!」
「だから泣くなっての」
「あっ……!」
ゆんゆんの艶やかな黒髪を撫でる。その柔らかな感触と嬉しそうな表情で目を細める彼女の姿を見るのも本当に久しぶりだ。
「撫でて……もっと撫でてくださいカズマさん……」
「へいへい」
「んっ……!」
そのまましばらく撫で続けていると、彼女の顔からは涙は完全に引き、にこやかな笑みを浮かべた。そして俺の方を見ながらもじもじとしだした。俺はそんないじらしい様子の彼女を見つめ返しながら言葉を待った。
「カズマさん、こういう時は何を言ったらいいか分からないんですけど……その……お帰りなさい!」
「おうよ、ただいまゆんゆん!」
「はい……ふへっ……ふへへっ!」
満面の笑みを通り越して、もはやニヤケ面になったゆんゆんを軽く小突く。彼女はそれすらも嬉しそうに受け止める。俺はそんな彼女に癒されながらも思考は今後の事について考えを巡らせていた。
「ゆんゆん、この数ヶ月俺が何をしていたか知りたいか?」
「当たり前です! 私、カズマさんに捨てられたんじゃないかって不安でいっぱいだったんですよ!?」
「いまさらお前を手放すわけないだろ。その点は信じてくれとしか言えない」
「あっ……ふふっ……信じてます……私はカズマさんを信じていますよ……!」
クスクス笑い始めたゆんゆんを撫でながら、俺はめぐみんの様子をチラリと確認する。彼女は今も呆けた表情で椅子にもたれかかっていた。それを見て、やはり今回の事は今すぐゆんゆんに話すべきではないと判断する。いつかボロは出るかもしれないが、話すのは落ち着いてからでいい。これ以上、ゆんゆんとめぐみん、ひいては俺との関係をこじらせるわけにはいかないのだ。
「ゆんゆん、この数ヶ月の事は本当に悪いと思っている。だが、もう少し落ち着いて、話してもいいと判断できる状況になるまでは今回の事はお前にも話せない。それで納得してくれるか?」
「話せないですか……」
俺の言葉をきいてゆんゆんが紅い目でじっと見つめてきた。全てを見透かされるような目に視線を逸らしそうになるが、必死に我慢してゆんゆんを見つめ返した。そうしていると、彼女が俺の頬を手で優しく撫で始める。そして、叱られた事に落ち込む我が子を慰めるような慈愛の表情を浮かべた。
「カズマさんにとって、この数ヶ月は必要なものだったんですか?」
「ああ、色々な事について知ったり、気付かされた数ヶ月だったよ。必要……そう俺にとって必要な事だったな……」
「そうですか」
ゆんゆんの優しい笑顔に俺はバツが悪すぎてついにそっぽを向いてしまった。そんな俺の頭を彼女がそっと撫でてきた。何だか、今までとは立場が逆転してしまったようだ。
「カズマさん、それなら私はこの数ヶ月の事を許してあげます。でも、納得したわけじゃないんですよ? いつになっても構いませんから、絶対に話してくださいね」
「絶対にか……分かったよ……」
「よろしい! でも、次の私には絶対に答えてくださいよ? これだけは、あなたの口から今すぐにでも聞きたいんです!」
「な、なんだよ……」
俺はビクビクとしながら身構える。視線はテーブルの上に散らばる写真の向かっていた。先程の会話を聞いていたとはいえ、これについては……!
「カズマさんは、噂になってるような事をしたんですか……?」
「へ? 噂……? ああ、あれはダクネスの嘘っぱちだ。俺はそんな事はしていない! し、信じてくれ!」
「そうですか……そうですか……!」
若干うろたえながら否定するという失態を演じてしまったが、ゆんゆんは嬉しそうにうんうんと頷いて納得してくれたようだ。しかし、やはりダクネスの広めた噂を知っていたようだ。めぐみんの先程の様子といい、どんな意図を持っての行動かは薄々分かって来た。ゆんゆんが俺の“話さない事”を許してくれたのは非常にありがたい事だ。
「ゆんゆん、今回はその噂も含めてめぐみん達とも少し関わる事態が起こってな。めぐみん達も悪気があってさっきみたいな行動に出たんじゃない。分かってくれる……か……?」
自分の苦しすぎる言い分に、嫌な汗が噴き出る。しかし、ゆんゆんは笑顔を浮かべ、クスクスと笑いながら俺の頭を再び撫でた。
「だから言ってるじゃないですか。私はカズマさんを信じていますし、今回の事も許します」
「それでお前はいいのか……?」
「ええ……カズマさんが私の元に再び来てくれた事、それだけで私はとっても幸せなんですよ」
「ゆんゆん……」
朗らかな笑みを浮かべるゆんゆんの姿に、俺は改めて心を揺さぶられる。やっぱり、ゆんゆんはちょろくて都合がいい……いや、素直な上に寛容で慈悲深い。俺なんかにはもったいないくらいの女性だ。
俺はゆんゆんを再びギュっと抱きしめる。彼女の抱き慣れた柔らかな感触とほのかに香る甘い匂いに脳はが痺れ、心の中に渦巻いていた鬱憤やイライラが解きほぐされていく。ゆんゆんの癒し効果は正に俺にとって女神級だ。
「私、カズマさんにもっとお話ししたい事、少しでも早くお伝えしたい事、聞きたい事がたくさんあるんです」
「そうだな……」
「それを後でゆっくり話しましょう? でも、今はめぐみんともっとお話しなきゃ……」
「お、おう……」
先程とは若干ニュアンスが違うクスクスとした笑いに俺は気圧される。ゆんゆんは、そんな俺の頬に軽くキスした後、耳元で囁いて来た。
「カズマさん、あなたは出来れば口出ししないで見ていてくださいね? だってこれは女の戦いなんですから」
思わず体を固まらせてしまった俺をゆんゆんが優しく押す。それだけで、俺は崩れ落ちるように椅子に倒れ込んだ。そして、呆けた表情のめぐみんと、何やら余裕を感じられる笑顔を浮かべたゆんゆんが向き合った。
「ねぇめぐみん、分かったでしょう? カズマさんはいつも私の傍にいる。そして私の事を一番愛している。見ていてそう思わなかった?」
「うぅ……」
「それに、私と再会した時のカズマさんの表情……見ていないとは言わせません。あんなにも分かりやすい表情なら、めぐみんだって分かるでしょう?」
「あぅ……」
「目を逸らさないで……私を……カズマさんを見て……? そして今の状況をきちんと認識してよ……! 逃げるなんて絶対に許さない……!」
俯いて微かな呻き声を上げていためぐみんの顔を、ゆんゆんが無理矢理上げさせる。めぐみんの表情はさっきと変わらない呆けたものであるが、両目からはとめどない涙が溢れていた。
「これが現実なの」
ゆんゆんのクスクスとした笑い声に俺は背筋が寒くなった。ゆんゆんの笑顔は俺の惹かれた表情そのものだ。しかし、今の笑顔はいつものものとは何かが違う。
「めぐみん、結局あなたは何がしたかったの?」
「…………」
「めぐみんは屋敷で会った時に言ったよね? カズマさんには愛想が尽きたって。それなのに、さっきは私をカズマさんから引き離そうと躍起になっていたし、彼に対する執着も持っている……」
「…………」
「さっきから黙って何のつもり……? 質問してるでしょ……答えなさい……何か言いなさいよ……!」
「やぁ……!」
椅子から無理矢理引き剥がそうとするゆんゆんに対し、めぐみんは泣きながらも必死に椅子にしがみついて抵抗していた。以前は修羅場を割と楽しむ傾向にあった俺だが、これは以前のめぐみんとダクネスの修羅場と比べものにならない。胃がキリキリと痛み、首を掻きむしりたいようなムズ痒さに襲われる。口出しするなと言われたが、そろそろ止めた方がいいだろう。
「ゆんゆん、お前もそこまでにしておけ……」
「むっ……カズマさんがそういうのなら、ここまでにしておきます」
俺の制止の声でゆんゆんがめぐみんから名残惜しそうに離れた後、俺にぴったりと体を寄せた。そして、まるで見せつけるように俺の手に取ってギュッと抱き着いた。
「それじゃあ、めぐみん。また後でゆっくり話しましょう? きっと心の整理もまだついてないと思うから……!」
「こえーよゆんゆん! めぐみん泣いてるだろ!? 見ない間にちょっと変わってないか!?」
「カズマさん、私はずーっと変わっていませんよ? 私は親切丁寧に今の現実を……あいたっ!?」
「もうちょっと別のやり方があるだろ! まったく……!」
とりあえず、ゆんゆんの頭を軽く叩いて黙らせる。そして、俺もめぐみんと向き合った。彼女が脱出した俺を見て、今はどんな思いを持っているかは分からない。しかし、ゆんゆんに追い打ちをかけられた事でより悲壮な姿になっている。俺は彼女の頬に伝う涙を拭いてやった。
その瞬間、めぐみんの表情が縋るようなものになった。今すぐにも抱きしめて慰めてやりたいが、ゆんゆんがいる手前そうする事はできない。それに、これ以上事態を拗らせるわけには行かないのだ。
「めぐみん、今回は色々ありすぎてまだ整理ついてないだろう? だから、今は屋敷に戻ろう……」
「カズマ……!」
俺の言葉にめぐみんがゆらりと立ち上がる。そして、倒れ込むように掴みかかってきた。俺は彼女を受け止めるしかない。
「カズマ……何でここに……? 何で……何で……! 何でゆんゆんと……! カズマは私の……私達の……!」
思わず耳を塞ぎたくなるが、何とか耐える。これは俺自身が招いた事態だ。俺が逃げる事は彼女達のためにも、俺自身のためにもあってはならない事だ。
「めぐみん、とにかく今は落ち着け。今回の俺がいない期間の事……それから俺らの今後については今夜話す。アクアとダクネスも一緒にだ」
「カズマ……?」
今のめぐみんがどんな表情をしているか俺はしっかりと目に焼き付ける。そして、めぐみんを元の椅子に座らせた後、俺は彼女に背を向けた。
「めぐみん、今は頭を冷やせ。そして、今夜ゆっくり話すんだ」
そのまま、喫茶店を後にしようと歩を進める。すかさず俺の隣に駆け寄ってくるゆんゆんに苦笑した。とりあえず、今夜に備えてアクアとダクネスにも話を……
「カズマ、あなたも頭を冷やしてください。私から見れば、あなたが一番冷静になるべきだと思います」
「めぐみん……」
振り返ると、めぐみんが椅子から立ち上がり、こちらを睨みつけるように見つめていた。さっきまでの呆けた様子と違い、その両目にはしっかりとした意思が宿っていた。
「カズマ、私は今でも疑問に思っているんです。何故カズマが私達でなく、ゆんゆんに固執するのかと……」
「…………」
「私は思うんです。あなたはゆんゆんに騙されているんじゃないかって……!」
めぐみんが少しずつ、少しずつ……ゆっくりと俺の方へ歩み寄って来た。
「私も認めます。カズマが最初に抱いたのはゆんゆんであると……でも違う。あなたはその事に責任を感じてるだけ……! カズマは単に遊びでゆんゆんに手を出しただけで、本当は“以前”のように私の事が好きじゃ……私の事を愛しているんでしょう……?」
「めぐみん落ち着け……」
「カズマ、そんな事に責任を持つ必要はありません! 一時の感情に流されて、無理してゆんゆんと一緒にいなくてもいいんです! あなたが本当に愛している私と……“私達”と今まで通り過ごしましょう……?」
めぐみんが、ついに俺の前までやってきた。めぐみんの表情は真剣なものだ。でも、顔には玉のような汗が浮き出ているし、足は押せばすぐに倒れてしまいそうな程震えていた。
「私達は駆け出しの頃から一緒に苦楽を共にした大切な仲間……仲間以上の関係なんです。ぽっと出のゆんゆんなんかにカズマを盗られるなんてあってはならない事で……!」
「めぐみん、俺はゆんゆんの事が好きだ。そしてコイツと結婚する。それはもう絶対に変えない」
「っ……!」
「めぐみん!」
めぐみんの顔が一瞬で悲しみに崩れた。そして、逃げるように喫茶店の外へ向かって駆けだした。思わず追いかけようとした時、マントをそっと握られた。振り向くと、嬉しそうな……でも何処か悲しそうな表情をしたゆんゆんと目が合った。
「カズマさん、行っちゃ嫌です……」
「ゆんゆん……そうだな……アイツはこれくらいでへこたれるタマじゃ……いやちょっと不安になってきた……」
足がめぐみんの方へ動こうとした時、ゆんゆんに抱き着かれる。それで、もう彼女を追いかける気力はなくなった。どうせ、同じような事を今夜ダクネスやアクアにも言う事になる。それに、本来ならさっきの断りの言葉を、ゆんゆんとの結婚を決めた時点で言うべきであった。問題を後回しにした事が、今回の事態を引き起こしたと原因と言っていい。
「カズマさん、今は私だけを見てください」
「ゆんゆん……」
俺はゆんゆんをギュっと抱きしめ返す。コイツも俺のせいで随分と傷つき、心配をかけてしまった。もう優柔不断でいい加減な行動をするわけには行かない。俺がコイツを愛し、結婚相手……運命を共にする相手に選んだのだ。
「カズマさん、愛してるって言ってください」
「ああ、愛してる」
「他の誰よりも……めぐみんよりもですか……?」
「当たり前だ」
「んっ……もっと言ってください……!」
ゆんゆんの抱き着く力が強くなる。彼女の豊かな胸が俺の体に押し付けられ形を変える。いつもなら、欲情してすぐにでも押し倒したくなる所だが、不思議とそんな感情は湧いてこなかった。ただ、彼女が愛おしくてたまらなかった。
「今は私だけを見て……」
「ああ」
「もっといっぱい愛してるって言って……!」
「おう、遠慮するな。俺はお前を愛してる」
「カズマさん……もっと……もっとギュっとしてください……」
そんな可愛いお願いを断れるわけがない。だから強く……さらに強くギュっと抱きしめる。俺の頬に彼女の柔らかな黒髪が触れる。そして彼女の熱い吐息が俺の首筋にかかるのも感じる。
「カズマさん、ずっと……ずっと一緒にいましょうね……?」
「そうだな。これからずっと一緒だ……」
胸の中で小さな泣き声が聞こえ始める。それがどんな意味を持つ涙かは分からない。それでも、彼女が泣いているなら泣き止むまで一緒にいる。それが俺の今の役目だろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「んっ……んぐっ……んっ……!」
「いたっ! いたたたたたたたっ!?」
「んっ……んぅ……!」
「やめんかバカ!」
「いたいっ!? カ、カズマさん、久しぶりなんですから、ちょっとくらい良いじゃないですか!」
「限度があるだろ限度が……!」
俺は痛む首元押さえながらゆんゆんを引き剥がす。泣き止んでから彼女は俺の首を吸い始めたのだが、案の定というか甘噛みに変化し、最後には出血しそうになるほど強く噛んできたのだ。
「まったく、お前は相変わらずだな……」
「カズマさんこそ、いつも通りでちょっと安心です! 痛いですけど!」
お互い笑い会いながら改めて再開を確認する。こうして接した限り、彼女は以前と変わっていない……いや、少し精神的にタフになっているかもしれない。ともかく、これなら安心だ。色々聞きたい事はあるが、それは二人っきりで落ち着いた時でいい。今は話をつけに行く事が優先だ。
「よし、それじゃあゆんゆん。行くとするか」
「はい、カズマさん!」
嬉しそうに腕を絡めてくるゆんゆんと一緒に屋敷へ向けて歩き出す。アクセルの街を二人で歩いていると、茶化してくる冒険者が数人現れた。適当にあしらいながらも、奴らから先程の騒動が終息した事を知った。どうやら、あの後、戦いが泥沼のものになった時、ダクネスが現れて騒動を治めたらしい。私兵は撤退、ダクネス自身も騒動を治めた後はすぐに姿を消したらしい。現在、冒険者達は俺の報酬を当てにして盛大に飲み食いしているそうだ。そちらに行きたいという誘惑を振り切り、俺達は屋敷に到着した。庭に展開していたダクネスの私兵や馬車は姿を消し、いつも通りの屋敷へと戻っている。しかし、屋敷に入ってその認識を改めた。
「あの……カズマさんの屋敷ってこんなに荒れてましたっけ……?」
「いやいや、俺がさっきいた時はこんな事には……」
何やらビクビクとしながら聞いて来るゆんゆんに俺も困惑しながら答える。屋敷の中は何故か荒れに荒れていた。壁や天井の一部が破壊されたり、ペンキのようなもので塗りつぶされたりと無茶苦茶な事になっていた。
「こいつは一体……って、そういう事か……」
「何か分かったんですか?」
「いや、ちょっとな……」
俺は破壊された壁を見て、これはエリス様の仕業だと確信した。破壊された箇所はどれもアクアが描いた謎の文字や魔方陣があった場所だ。救出に入ったというエリス様と、脱出した俺のすれ違いでこのような事態が起こってしまったのかもしれない。
そんな時、俺達の前に神官服を着た一人の男が現れた。ダクネスの私兵の残党か、それともただの不法侵入者かと警戒するなか、男は俺の前で跪いた。
「もしや、サトウカズマ殿ですか……?」
「そうだけど、あんた誰だよ」
「私はエリス様の意思に従うもの。我が主が要注意人物A……女神アクアと地下室でおこもりになられました。それ以降、連絡は取れず部屋への強行突入もできません。でも、主に選ばれたあなたなら……!」
そう言ってむせび泣きを始めた神官服の男の周りに、同じ神官服を着た者たちが屋敷中から湧き出るように集まってきた。湧いてきた連中も含めて、一斉に期待や羨望の視線を俺に送ってきた。
「ゆんゆん、とりあえずここで待っててくれ。ちょっと駄女神共を回収してくる……」
「ええっ!? こんな頭おかしそうな人達の所で待つんですか!?」
「そういう事だ。すぐ終わらせる」
「もう……お願いですから早く帰ってきてくださいね!」
俺はもの分かりの良いゆんゆんの頭を軽く撫でた後、開きっぱなしになっている地下室への穴に飛び降りた。そして、例の監禁部屋の扉に手をかける。周囲には破壊の後が広がり、神官服の連中が何とか強行突入しようとしていた事が分かる。俺も開けるのは無理なのではと思ったが、何故かすんなりと開いた。そして、扉の先の光景を目にしてしばし茫然とした。
「も……もうヘロヘロなんじゃないですか、アクア先輩……?」
「そっちこっそ息切らしてるじゃない……! 喰らいなさい! アクシズ式パイルドラ……!」
「ふ……フランケンシュタイナー!」
「ああああああああああああああっ!? く、首が……い……痛い……いたいよぉ……!」
「アクア先輩……!? その……大丈夫ですか……?」
首を押さえて体をバタつかせるアクアに、エリス様が駆け寄った。二人の恰好はお互いボロボロであり、部屋の床には血痕や銀と青色の毛髪が散乱している。随分と苛烈なキャットファイトをやっていたようだ。
「もう怒った! エリス、ここからは手加減なしよ!」
「アクア先輩!? 椅子はいけませんよ椅子は! それなら私も……」
「ちょっと何よそれ!? あんた一体どこから“バールのようなもの”を出したの!? それこそダメよ! ま、待って! 昨日食べ残したドラ焼きあげるから待って!」
「いりませんよ……くひひっ! アクア先輩のカラッポの頭をこれでカチ割って……!」
「やめんかお前ら」
「いたっ!?」
「あぅ!?」
お互いに凶器を持ちだした二人の頭を軽く叩いて止める。とりあえず、これ以上の流血沙汰を引き起こすわけにはいかない。そして、叩かれた駄女神二人はというと、俺の方を見て表情をくしゃくしゃに崩した。
「か、かじゅまああああああっ! エリスがいじめてくるううううう! 助け……うえええええん!」
「アクア先輩こそ私の……私の邪魔ばっかり……うぐっ……うぅ……ひっぐ……うええええええん!」
「おう、落ち着け駄女神共……」
腰に泣きながら抱き着いてくる駄女神二人を受け止める。そして、しばらく二人のされるがままになるが、涙をズボンで拭いたり、匂いをクンクンと嗅ぎだしたため、さっさと強制連行する事にした。無言でベタベタしてくる駄女神をリビングのソファーに放り投げ、俺自身も、床に座り込んだ。なんだか非常に疲れた気がする。そんな時、待機していたゆんゆんが俺の元に笑顔で駆け寄ってきた。
「カズマさん、見てくださいよこれ!」
「なんだよ……」
「さっきの人達から買ったんですけど……なんと! これを持っていると今までの犯した自分の罪が許される素敵なお札らしいですよ! カズマさんの分も購入しておき……いひゃいっ!? いひゃいですかじゅましゃん!」
「お前も本当に相変わらずだな……」
頬を引っ張られて涙目になっているゆんゆんを、駄女神二人のいるソファーに突き飛ばす。なんだか、今はゆっくり一息つきたい……
「出たわね全ての元凶! アンタなんかこうよ!」
「アクアさん、なんで服を脱がせようとするんですか!? ちょっ……やめっ……!」
「そうです! こんな無駄な脂肪もくっつけて……このっ……このっ……!」
「いたっ!? エリス様! そこを叩くのは……んっ……!」
何やら騒がしくなり始めたソファーから目を背けて、そっと溜息をつく。これから大事な話をするっていうに、呑気なもんだ。そして、俺はポケットに忍ばせておいたタバコを取り出し、口に咥える。なんだか色々ありすぎたな。この数ヶ月は……
「ちょっとカズマ、部屋がヤニ臭くなるから外で吸いなさい!」
「タバコは百害あって一利なしです! 私は許しませんよ!」
「カズマさん、私は妊娠した時にあなたを家から追い出したくありません!」
禁煙しよう……
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
夕方、屋敷にめぐみんとダクネスが帰宅した。最悪、俺の前から姿を消す可能性もあったが、二人とも帰ってきてくれたようだ。ただ、ダクネスがめぐみんをおんぶして帰ってきたため、彼女達の間に、何かがあったのかもしれない。
「まぁ、これで全員集まったわけだ……」
俺の声に、リビングの席につくめぐみん、ダクネスが表情を硬くして押し黙る。アクアとエリス様も表情は暗かった。笑顔を浮かべているのは隣に座るゆんゆんだけだ。そして、俺自身の表情も笑顔ではない。
「お前らに言いたい事は一つ。俺はゆんゆんが好きだ。だから、コイツと結婚する。それだけだ……」
ゆんゆん以外の全員が表情を歪める。すでに彼女達は知っているが、ゆんゆんが隣に居る場で言う事に意味があるのだ。それにしても、これほどの女性達が俺に好意を持っている事に改めて驚き、全員に手を出している自分に対して辟易する。しかし、こういう事も今日で終わりにしたい。
「“久しぶり”に会って、急にこんな事を言われても困るかもしれない。でも、これが俺の意思だ。何か意見があるなら言って欲しい」
しばらくは沈黙がリビングを支配する。このまま何事もなく終わって欲しい所だが、もちろんそうはいかない。ダクネスが震えながら身を乗り出した。
「カズマ、お前は結婚すると言ったな? それはいい。もうここまで言われたら認めるとしよう。でも、私達の事はどうする?」
「わ、私達って何の事でせうか……?」
「しらばっくれるな。お前は私達に手を出した……肉体関係を持っているんだ。その事をお前はどう思っているんだ?」
「うぐっ……!」
実に耳が痛い話が始まってしまった。チラリとゆんゆんの方を伺うが、彼女はニコニコとした笑顔を浮かべたままだ。彼女がどのような思いを持っているか分からないが、喫茶店でのやり取りをみた限り、すぐには絶縁というわけには行かないようだ。
「その事だが、俺としては何らかの責任は取るつもりでいる。どんな状況とはいえヤってしまった事には違いない……」
「それなら……!」
「でも、重婚ってわけには行かない。俺にはもうゆんゆんがいる。それに彼女の親族にいきなり不義な所を見せるわけにはいかないんだ」
絶句するダクネスを見ながら、自分の言っている事のクズさに呆れる。しかし、ここまで来たら押し通すしかないのだ。
「ダクネス、悪い言い方をすれば、俺とお前は肉体関係を持った“だけ”だ。俺とゆんゆんは肉体関係を持った上で“結婚”を決めた。肉体関係を持ったからって一々責任取っていたら世の中のお父さんは最低でも三人は妻がいる事に……」
「カズマさん、それは最低すぎです」
「あ、そっちから来るのね……」
少し怒り気味の口調でゆんゆんに浴びせられて俺は委縮する。今は彼女の顔をまともに見る事ができない。
「でも、カズマさんだけじゃありません。あなた達も最低だと思います」
「おう……?」
ゆんゆんの一言で、俺だけじゃなく彼女達も驚きの声を漏らした。
「私はめぐみんやダクネスさんが以前から私達の婚約を知っていたと聞きました。確かに、婚約前に他の女に手を出すカズマさんは最低です。でも、私との婚約を知りながらカズマさんと関係を持ったあなた達も同じくらい最低だと思います」
「あなたがそれを言うのですか!」
ゆんゆんの言葉に、めぐみんが噛みつく。彼女の目と表情には激情が宿っていた。しかし、ゆんゆんはそんな彼女の様子を見ても何処吹く風だ。
「そもそも、この中でカズマさんの方から手を出したのは何人ですか?」
「それは……」
ダクネス以外の女性陣は顔を逸らした。俺はというと、ここにクリスがいない事に安堵するという安定のクズっぷりを晒していた。俺の方から明確に手を出したのはダクネス、クリスだけであるからだ。
「どちらにしろ、重婚なんて私は認めません。カズマさんは内心それでいい、なんて思っていそうですが私は認めません。カズマさんの“奥さん”は私だけで十分です」
「ゆんゆん……あなた自身は本当にそれでいいんですか……? 私は理解できません……カズマは私達と関係を持っているんですよ……!」
めぐみんが怒りと困惑の交じった声で問いかける。ダクネスも同じような表情をゆんゆんに向けているが、アクアとエリス様は諦観を含んだような暗い顔でじっとしている。そんな彼女達を見て、ゆんゆんはクスクスとした笑い声をあげながら言い放った。
「“過去の女”と何があろうがどうでもいいんです。カズマさんの最愛の人は私なんですから……!」
テーブルに身を乗り上げる勢いであっためぐみんとダクネスが力なく椅子に崩れ落ちる。数分の沈黙の後、俺も理解する。もう勝負はついたかもしれない……
「さて、報告は以上だ。これより先は俺達の今後の話……といきたい所だが、今回の俺がいない間に起こった事の落とし前をつけておく」
めぐみん達の肩がビクリと震える。今回は俺の責任が大半だが、彼女達にも一定の責任があるのだ。お咎めなしといえないのだ。
そして、俺は彼女達に与える罰を伝える。ダクネスには妙な噂を広めた罰として、冒険者に支払う予定の半分の金額の罰金を、アクアとエリスは喧嘩で壊した屋敷の修繕を協力してやる事、めぐみんにはゆんゆんにアホな事をしようとした罰として、アンナちゃんの墓掃除を命じた。
「カズマさん……あの事は……」
「エリス様、俺からのお願いです。今は何も言わないでください……」
「…………」
監禁なんてなかった。そうする事が俺達にとって一番都合の良い判断だ。だから、さっさと終息させることにする。ダクネスは不満そうだが、これでいい。罰なんて本来こんなものだ。罰で体を要求した俺がクズすぎただけだ。そして、暗い雰囲気の中、俺は最後の議題を切り出す事にした。
「さあ、退屈な話合いもこれで最後。俺の今後についてだが……ゆんゆん、お前はどうしたい?」
俺の質問に、ゆんゆんは嬉しそうに椅子から立ち上がり、俺の方へ抱き着いてきた。周囲からは歯ぎしりや机を手で打つ音が聞こえる。すっかり煽り上手になったゆんゆんに嘆息しながらも、俺ももう気にしない事にした。そして、ゆんゆんは俺の胸の中でポツリと呟いた。
「私はカズマさんといつも一緒にいたいです。だから、私と二人で暮らしましょう?」
ゆんゆんのお願いは、今の俺の生活を劇的に変えるものだ。しかし、もう彼女は俺の結婚相手であるし、しばらく姿を消した事への負い目もある。だから彼女の提案を受け入れたい。それに、いい機会かもしれないのだ。今までの俺達の関係が変わった事を受け入れるためにも……
「そういう事だ……いいな……?」
「カ、カズマ……?」
「本当にお前は……!」
「アンタがそうしたいなら、そうしなさいよ……」
めぐみん、ダクネスアクアの視線を真っ向から受け止める。もう俺がフラつくわけには行かない。それに、劇的に関係が変わるわけではないのだ。
「アクア、めぐみん、ダクネス! 俺とゆんゆんは結婚する。でも、根本は変わらない。俺はお前達の仲間だ。冒険がしたくなったら……何か困った事があったら俺の所へ来い……俺を頼れ! 用がなくても遠慮せずに俺達の所に遊びに来い。今のゆんゆんはちょっと刺々しいが、コイツの本質は寂しがり屋のかまってちゃんだ。きっとコイツも喜ぶ」
「ふふっ……そうですね。遊びにきてくれるのは私は大歓迎ですよ」
ゆんゆんのクスクスとした笑い声が響くなか、俺はめぐみん達に背を向ける。俺の中でも後悔や悲しみの感情が荒れ狂う。でも、俺の隣に立つ彼女のためにも、こうするべきなのだ。
「またな」
俺とゆんゆんはゆっくりと足を進めて屋敷の外に出る。重い体を引きずるように、長年過ごした場所を出ようとする。しかし、正門の前に来た時、俺の足は止まってしまった。自分の意思の弱さに泣きたくなるが、しょうがないと思ってしまう自分がいる。
俺を呼ぶ声が背後から聞こえる。泣きながら……悲しみながら……俺なんか呼び戻そうとする仲間たちの声がやんでくれない。
「カズマさん……」
「なんだ……?」
「あなたは振り返ってはいけません。だからここで待っていてください。私が何とかしてきます」
「ゆんゆん……」
「いいんです。夫の尻拭いも妻の仕事ですから」
俺は溢れ出そうになる涙を必死に止め、そこに立ち止まる。でも、ゆんゆんのためにも、彼女達のためにも振り返ってはいけない。
「情けねぇな俺って奴は……!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は泣きそうなカズマさんの頬に軽く口づけした後、軽やかな足取りで屋敷の玄関まで戻る。そこにはわんわんと泣くめぐみんがいた。玄関扉の奥からもすすり泣くような泣き声が聞こえてくる。それはとても悲しく、胸が痛くなるものだ。でも、どこか心地よい。
「めぐみん、泣き止んで……」
「あなたは……いまさら私に……何を……!」
怒りと悲しみに表情を崩すめぐみんの顔を私は見つめる。彼女には謝らなければならない事がある。それを自覚していた。
「めぐみん……ごめんね……」
「何が……!」
「ごめんね……」
「っ……!」
めぐみんに思いっきり頬を叩かれた。ヒリヒリと痛み、熱を持つ頬が夜風にあたる。彼女にもっと謝らなければならない。
「めぐみん、あなたがカズマさんに好意を持っていた事を私は知っていた。それを知りながら、私はカズマさんの事が好きになってしまった……いけない事なのに……めぐみんに対する裏切りなのに……だからごめんなさい……」
「それならなんで……!」
「言ったでしょう? 好きになってしまったの……この思いは止まらない……止められないの……!」
私もつい声を荒げてしまった。めぐみんがその事に体をビクリと震わせたが、彼女は気丈にもこちらを睨み返してくる。彼女に謝らなければならない。でも、言わなければならない事もある。
「めぐみん、私はカズマさんを好きになった。でも、それだけなの……」
「カズマを奪っておきながら、何を言っているんですか……!」
「本当よ……私は常に受け身の体勢……カズマさんが私を深みに連れていったの……めぐみんなら分かるでしょう? 好きな人が私を求めてきてくれる……あなたには悪いと思ってる。でも、私だってカズマさんが好きなの……そんな事断れるわけがない」
もう一度、頬を叩かれる。痛い……でも何故か心地いい。上がりそうになってしまう口角を必死に抑える。これは私に対する罰なのだから。
「めぐみん……」
「…………」
「カズマさんが私を選んでごめんね……?」
めぐみんの手がまた顔に飛んでくる。しかし、それを私は短杖で打ち払った。驚きの表情を浮かべるめぐみんは可哀想だ。慰めたい……でも、もう謝るわけにはいかない。
「めぐみん、はっきり言っておくね? 私はあなたに悪いと思っている。でも、私を選んでくれたのはカズマさんなの。あなた達ではなく、この“私”を選んだ。それを理解して欲しいの」
「あなたは……あなたは……!」
「彼を好きになった事は謝る。でも、私に対するカズマさんの気持ちを否定するわけにはいかない。カズマさんはね、私の事が好きなの。ねぇ分かる? 私の事が好きで好きでたまらないの」
詠唱を始めようとしためぐみんの手を蹴り上げる。地面に手に持っていた杖がカランと落ちた。彼女は衝撃に耐えきれず、尻もちをつく。怒りと、憎しみ、悲しみのこもった目が私を見上げてくる。
「ゆんゆん、それでもあなたがカズマを奪った事には変わりません! 友達だと……親友だと思っていたのに……!」
「泣き止んでめぐみん……私は今でもあなたの友達でありたいと思ってる。でも、私はカズマさんを奪ってなんかいない。カズマさんがめぐみんから私を奪ったという方が正しいと思う」
「とんでもない減らず口ですね……」
めぐみんが、ゆっくりと立ち上がる。流石に、これ以上彼女を追い詰めるわけには行かない。せっかく、カズマさんとの事が決着したのだ。彼女とは色々あったけどこれからも友達でありたい。それは本心から思っている事だ。
「めぐみん、私は重婚を認めない。でも、好きに彼を誘惑すればいいし、アプローチをかけても気にしない。それほど彼が好きなら……ね……?」
「え……?」
「それじゃあ私はいくね? カズマさんが待ってるの……」
私はめぐみんから背を向ける。彼女がいつも通りに戻る事を願おう。だってめぐみんは私の大切な友達……親友だから……
でも何故だろう。胸の中が優越感で……勝ったという思いでいっぱいだ。そして抑えていた感情がめぐみんから背を向けた瞬間に溢れ出る。だからであろうか、ついポツリと言葉を漏らしてしまった。
「まぁ、無駄でしょうけど……だってカズマさんに一番愛されているのは私ですから……!」
「“ライトオブ・セイバー!”」
「あっ……」
私は、背後から迫っていた刃を魔法剣で切り払った。真っ二つになった刀身は地面に落ち、めぐみんは折れた剣を握って茫然としていた。私はそんなめぐみんに言い聞かせるように語り掛けた。
「めぐみん、またバカな事したわね……感情に身を任せた行動はやめなさい」
「剣が……私の剣が……」
「特に今のような洒落にならない傷害行為はダメ……私がカズマさんに『めぐみんに切られそうになった』って言ったら彼がどう思うか分からないの? 彼に嫌われたら意味ないでしょ?」
「剣が……カズマの剣が……うぐっ……ひっぐ……!」
剣を抱えて泣き出しためぐみんを私はどうすればいいのだろうか? 慰める……嘲笑する……思いっきり蹴飛ばす……? ぐるぐると回る思考の中で、一歩彼女に近づいた時、めぐみんの隣にダクネスさんが現れた。
「めぐみんは私に任せろ。お前は向こうへ……カズマの所に行け……」
「そうですか……めぐみんの事、お願いしますね?」
「言われるまでもない。そして、そちらもカズマを頼む」
「はい……」
ダクネスさんに縋り付くめぐみんに私は背を向ける。そして、体を震わせながら屋敷に背を向けるカズマさんを優しく抱きしめた。
「すまんなゆんゆん……俺が情けないばっかりに……」
「いいんです……私にとっても必要な機会でしたから。だから、もう行きましょう……?」
「ああ、そうだな」
そして、屋敷を後にする。夜闇に包まれた街中を歩きながら、私は幸せを噛み締める。カズマさんが私の隣にいる。それだけで私は嬉しくて嬉しくてたまらない……
「泣かないで……泣かないで……カズマさん……」
「泣いてねえよ……」
「大丈夫です……あなたには私がいます……」
「…………」
「ひゃぅっ……!?」
カズマさんが私の体をギュっと抱きしめてくれる。それだけで私は幸せでいっぱいになる。心が震える……体が蕩ける……! もうこの暖かさを手放したくない……離れたくない……!
「カズマさん、後悔しないでくださいね……? あなたが私を選んだのですから……!」
ちょびちょび書いていたので少し冗長かも
次回はボツ予定だった息抜き会。じゃりめが生存した事によるテコ入れ話らしいですよ!
しかし、ドロドロじゃない話や、エロってどうやって書いていたんだっけ……(自問自答)
そして、俺の手元には世界樹の迷宮5がある!
もっと自分の趣味に使える時間をくれ……!