「んっ……はむっ……んじゅっ……んはっ……ちゅるっ……!」
薄闇の空間に女の熱い吐息と下品な水音が鳴り響く。俺はそんな状況を呆けた表情で受け入れていた。ここは、天界にある秘密の部屋。外界から隔絶された空間は、彼女との爛れた関係を続けている要因の一つとなっていた。
「んくっ……ふみゅ……んっ……んっ……んんっ……」
いや、それはひどい言い訳だ。単に俺の意志が弱いだけである。椅子にどっかりと座りながら、俺はそう思った。
そして、座っている俺の下半身に無我夢中でむしゃぶりついている女は、この世界の神であるエリス様だ。彼女は犬のように四つん這いになり、俺の勃起した逸物を貪るように口に含んでいる。その光景は男として、人間としての支配欲や優越感に浸れる蠱惑的なものだ。
俺はそんなエリス様の姿を見ながら、新たに口に咥えた煙草に火を灯す。灰皿の上には、すでに吸い殻で満杯になっていた。
「んぶっ……! んっ……その……気持ちよくありませんか?」
「いや、後ちょっとでイける気がする。エリス様、この煙草を吸い終わるまでに俺をイかせる事が出来たら豪褒美上げますよ?」
「……! んんんんっ!? んじゅっ……んぶっ……むぐっ……んはっ……!」
「おふっ!?」
ご褒美という言葉を聞いた瞬間、エリス様がペニスを両手で掴み、自ら狙いを定めて喉奥まで咥え込む。そして、先ほどよりも激しく頭を上下に動かした。彼女は一心不乱でありながらも、舌を裏筋や亀頭に絡めるようにきちんと動かしている。
思えば、エリス様とこのような爛れた関係になってから数か月が経過した。稚拙だった彼女のテクニックもかなり上達している。調教の成果でもあるのだが、これは自然と技術が上がってしまうほど体を重ねている事も意味していた。
「ふぅ……エリス様、煙草はもう半分ほどになりましたよ。女神のくせにこの程度なんですか?」
「んぶっ……! むぅ……! んぐ……んひゅっ……!」
「はっはっは! その怒り顔は可愛いですよ。でも、それだけじゃイけないなぁ……」
俺のモノを口に含みながら睨んでくるエリス様に俺は思わず下卑た笑いを浮かべてしまう。そして、そんな彼女を見ながら俺は残り短くなった煙草をゆっくりと吸って燃焼させた。
性的な快楽と、体に浸透する煙の旨みで俺の我慢が切れ始める。早い話が、射精感がこみあげてきた。俺も随分と情けなくなったものだ。
「あー……前言撤回ですエリス様……もうイキそうです……」
「……! んっ……いいんですよカズマさん……ガマンしないでいっぱい出してくださいね……んぁ……じゅる……はみゅ……!」
「ああー……」
なんだか、全てがどうでも良くなってくる。今はこの快楽をもっと味わいたい。そして、俺の顔を上目遣いで見ながら口淫を続ける女神様の事を可愛がりたい。そんな思いでいっぱいになる。
だから、俺は目下で揺れるエリス様の頭をそっと撫でた。彼女は目を細めながら愛撫を受け入れ、俺のモノを更に強く責め立てる。暖かい吐息と亀頭に絡みつく舌と唾液は最高に気持ちが良かった。仕方ない……こんなに気持ちいいなら射精しても仕方ない。そんな意味不明な事を自分に言い聞かせながら、俺は快楽に身を任せる事にした。
「あっ……あー……」
「んっ……はむっ……んじゅっ……んはっ……ちゅるっ……!」
「おっ……あー出る……あー……う゛っ!?」
「んぶっ!? んっ……んっ……んんんんんんっ……!」
「おふっ……」
ドクドクと脈打つ性器から溢れ出る精液をエリス様の口内に構わずぶちまける。そして、彼女は口内で暴れる竿を口と手で押さえ、射精が続いている亀頭に強く吸い付く。おかげで、俺の精液は残らずエリス様に吸い取られた。快楽と倦怠感に思考に深く沈む中、彼女が淫靡な水音を響かせながら、ゆっくりと性器から口を離す。
そして、エリス様は頬を真っ赤に染めながら俺を見上げて口を大きく開ける。もちろん、露わになった彼女の口内はぷるぷるとした白濁の液体で満たされていた。
「最高でしたよエリス様。女神なのに随分とフェラが上手くなっちゃいましたね」
「んっ……んんっー!」
「照れてる姿も可愛いですよ。じゃあ、残らず飲んでくださいね……」
「んっ……んくっ……ん……! んぁ……全部飲みましたよ……今日のはとても苦くて濃ゆかったです……!」
口を開けて精液を残らず飲んだ事を俺に見せつける。そして、どこか誇らし気に微笑んだ。そのまま、彼女は俺の腰に強く抱き着いてくる。そんなエリス様の頭を撫でながら、俺は煙草を吸って灰皿に吸い殻を押し付けて放り込む。射精後の快楽と倦怠感の余韻を楽しみながら、俺は天井に向かって大きく息を吐いた。
「何やってるんだろう……俺……」
「んっ……いきなりどうしたのですかカズマさん?」
「いや、状況的に最悪ですよこれ! ゆんゆんがいるのに俺はこんな……」
「ふふっ、カズマさんってば射精しちゃって冷静になったんですね? これが賢者タイムというものですか。ふむふむ……」
「それを言わんといてくださいよエリス様!」
我ながら、自分のクズさ加減が嫌になる。全てが終わって出すモノ出してからこんな思いになるなんて、非常に浅ましい。思わず、頭を抱えてしまう俺の事を、エリス様は強く抱きしめてきた。
「大丈夫ですよカズマさん、絶対にバレたりしませんから。それに、あなたはとても頑張っています。少しくらいの息抜きは必要不可欠なんです。そうしないとあなたが壊れてしまいますよ」
「でも……俺は……」
「でもじゃありません。あなたが壊れてしまったら、ゆんゆんさんも、めぐみんさんも、ダクネスも……私だって不幸になってしまいます。だから、いいんです。後悔するのは、さよりちゃんを取り戻してからでいいのですから……」
俺の顔に白くて肌触りの良い彼女の羽衣と、小さいながらも、ふにゅりとして柔らかい胸が押し当たる。その気持ちよさと安心感に思考が鈍る。気が付けば、俺はエリス様を掻き抱いていた。
「カズマさんの罪はこの女神エリスが許します。それに、あなたの頑張り続けている姿が、ゆんゆんさんの心の支えにもなっているんです。ですから、今は一緒に頑張りましょう?」
「…………」
「大丈夫ですよカズマさん。あなたには私がついていますから……」
耳元でそう囁かれて全身から力が抜ける。結局、いつもこうなってしまう。ゆんゆんやさよりへの罪悪感は非常に大きいのだが、今の俺にとってエリス様の存在は手放せないものになっていた。
彼女の存在が絶望に呑まれそうになる俺を奮い立たせてくれる。エリス様の支えと頑張りが、もはや俺の頑張り続ける理由の一つとなっていた。
そして、空振りに終わる捜索や、落ち込むゆんゆんを支える時に抱いてしまう心労を彼女が優しく癒してくれる。自分でも分かってしまうくらい、俺はエリス様の優しさと与えてくれる安心感と快楽に依存していた。
「エリス様、今日の捜索も結局失敗でした。あなたと……クリスと一緒に潰した裏組織にさよりの姿はなかったし、情報すら何も掴めなかった……!」
「そうですね……でも多くの人を救う事が出来ました。カズマさんに感謝している人はたくさんいます。エリス教の信徒達も、ようやくあなたの事を認めるようになってきたのですよ?」
「そんなの俺の柄じゃない。それに、さよりが救えなきゃ意味がない……!」
さよりが行方不明になってもう数か月が経過している。見守れて当然と思っていた彼女の成長が見られない。それが、悔しくて悲しくて、頭がどうにかなりそうだった。溢れ出そうになる熱いモノと、爆発しそうなほどの感情が荒れ狂う。エリス様はそんな俺を慰めるように撫でながら、耳元にそっと囁いて来た。
「カズマさん、あなたの行き場のない感情は私にぶつけてください。そして、泣きたいなら私は喜んで胸を貸します。あなたの弱さも悲しみも私は理解していますし、全て受け入れます」
「…………」
「大丈夫、大丈夫ですから」
「エリス様……!」
「きゃっ!? んんっ……そう……全部私が受け入れますから……!」
気が付けば、俺は彼女の事を押し倒していた。そして、力の限り抱きしめる。そこで、彼女に対してどんな事を言ったかについて、はっきりとした記憶は残っていない。
でも、女々しい泣き言を言った事だけは何となく分かる。
結局、俺はまた流されてしまった。でも、もう後戻りはできない。俺はエリス様の事が必要だ……そして――
ふと、目を覚ます。後頭部に感じる柔らかな感触から起き上がると、微笑みを浮かべたエリス様と目があった。そして、彼女はまたクスリと笑ってから俺の唇を奪う。ぼやけた思考が、また鈍ってしまう。でも、この柔らかくて気持ちのいい感触から離れたくはなかった。
「んっ……浄化は終わりましたよカズマさん」
「…………」
「カズマさん?」
「うぇっ!? ああ、すいませんね本当に……」
思わずペコペコ謝ってしまう俺の頬を彼女は優しく撫でてくる。エリス様にこうされると、俺は何もできなくなる。だから、しばらく彼女の柔らかくて暖かい愛撫を受け続けた。そして、いくらか気分を落ち着けたあと、俺は天界を後にする。名残惜しいと思ってしまう自分自身に深い嫌悪感を覚えた。
でも、もうどうしようもできない。
若干重い足取りで、俺は夕暮れ時のアクセルの街を歩く。屋敷に帰り、玄関の扉を開けるとすぐさまゆんゆんが俺の胸に飛び込んできた。何やら体を擦り付けるように体を揺する彼女を軽く抱く。そうすると、彼女は嬉しそうに微笑んでくれた。
「お帰りなさいカズマさん。もうお夕飯、出来てますよ?」
「ただいまゆんゆん。夕飯か……毎日ありがとな」
「ふふっ、急にどうしたんですか? まぁ、お礼は素直に受け取っておきますね」
そう言ってからゆんゆんは再び体を擦り付けながら、俺の首筋をクンクンと嗅いでくる。その犬っぽい姿に、俺は少しだけ懐かしくなった。あの駄女神も、こんな感じの時があったなと。
そして、俺に引っ付いて離れない彼女を引きずりながらリビングの席につく。そこでやっと体を離したゆんゆんが、てきぱきと食事の準備を始めた。テーブルに並べられたのは白パンとハンバーグだ。ゆんゆんも席に着き、頂きますという食事の挨拶をした時、彼女の視線に気づいた。こちらをじっと見つめてくる彼女に俺は観念した。
「ゆんゆん、今日は前々から言ってた裏組織を潰したんだ。でも、さよりは見つけられなかった」
「え……? あっ……はい。その……ご苦労様です……」
「大丈夫だ。まだ他にアテはある。それに、もうすぐアクアが帰ってくるかもしれない。アイツとエリス様と俺が揃えばもう怖いものなしだ。さよりは絶対見つけるし、お前だって何とかして見せるさ」
顔を俯かせて落ち込むゆんゆんを元気づける。気休めにしかならない言葉だが、彼女にこれ以上の心労は与えたくない。それに、二人の女神が揃えば本当に実現するかもしれない事なのだ。ともかく、今は彼女を元気づけようと決心して俺は席を立とうとする。その時、彼女は俯いた顔をすっと上げた
「私は大丈夫です。カズマさん、今は食べましょう? 頑張っているあなたに、私はこれくらいしかできませんから」
「そうか……なら俺も遠慮なく頂くよ」
先ほどから一転して、ゆんゆんは微笑みを俺に向けてきた。そして、目を紅く輝かせながら俺を再び見つめる。彼女の無言の催促に負けて、俺はハンバーグを口にした。
「美味しいですかカズマさん?」
「…………」
「カズマさん?」
「ああ、すまんな。美味しすぎて我を忘れてた」
「本当ですか!? ふふっ、丹精込めて作ったのでその言葉は嬉しいです!」
屈託のない微笑みを浮かべるゆんゆんの目の前で更に食事を口に運ぶ。そして、笑顔のゆんゆんを見ながら、俺は罪悪感と心配で頭がいっぱいになった。
「ゆんゆん、俺はお前の夫だ。俺にして欲しい事、して欲しくない事、なんだって頼んでいい。悲しみや怒りも全部俺が受け止める。だから、辛い事があるなら俺に相談してくれ。できる限りの事はやってやるさ」
「やっぱり今日のカズマさんはおかしいです! 大丈夫です。私はあなたと一緒にいるだけで幸せですから。だからもっと食べてください。あなたのために作ったんですから」
「本当に大丈夫なのか? 俺も人間だからな。言葉にして貰えないと分からない事もある。何か嫌な事があるなら一人で溜めこまないで、俺をどんどん頼ってくれよ……」
「心配性ですね。私は大丈夫ですから」
ニコニコと微笑むゆんゆんに何故か気圧される。そして、彼女が見つめる中、俺は食事を再開した。彼女の料理の腕は確かだ。もちろん、このハンバーグも非常に美味しい。料理の味に関して全く不満はない。でも、俺はゆんゆんの事が心配で堪らなかった。ここは、はっきりと言うべきだろうか。しかし、それで彼女の気分を害するのは……
「カズマさん、美味しいですか?」
「ああ、美味いさ」
「どんな風に美味しいんですか?」
「これまた難しい質問だな」
俺はハンバーグを口に更に放り込む。溢れる肉汁といい、焼き加減に加えてデミグラスソースによる味付けも完璧だ。文句なしに美味しい。でもこの味を例えるとするならば――
「懐かしい味だ」
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エリス降臨から数か月、私の生活も当初とは変わっていた。カズマとゆんゆんは居住地を私達が昔使っていた屋敷に移し、ダスティネス邸の離れの利用者は私とたまに訪れるクリスのみとなった。
それでも、私の心は少しだけ穏やかであった。悔しい事だが、エリスの登場によりゆんゆんの状況と、さよりちゃんの捜索状況は少し好転した。そして、覇気がなかったカズマも毎日精力的に活動している。おまけに、そろそろ家出をしたアクアが帰ってくるかもしれないのだ。もしかしたら、元通りの生活に戻るのも夢じゃない。私は割と楽観的な思考になっていた。
だが、この数か月、私は毎日不快な夢を見るようになった。
夢の詳細は全く思い出せない。ただ、夢の中の私はいつも激しい憎悪と怒りに支配されていた。そして、“何か”を思いっきり殴り、切り刻み、考えうる限りの苦痛と恥辱を与えた。もちろん、夢の中の私も最初は躊躇いや、自制心というものがあった。
でも、“何か”を排除しないと、奴は私の大切なモノを奪っていくのだ。それはどんな悪夢よりも辛く苦しいものであった。代わりに、“何か”を排除出来れば私の大切なモノは無事であるし、どんな夢よりも幸せで気持ち良くなれる。
『怒りなさい……憎みなさい……恨みなさい……! そして、思い出しなさい! あの女はあなたを裏切った……騙した……大切で愛する男を奪った……!』
『奪った……』
『そうです! あなたから奪ったんです! 許さない……許せない……許したくない……! 心の奥に沈めたといえども、その感情はあなたの中に今もあるのです! さぁ、思い出しなさい! あなたの狂気と殺意と憎悪を!』
『う……あっ……』
『あの女に怒りなさい! 彼女を許した覚えなどない! あの女を憎みなさい! 彼女はあなたを裏切った! あの女を恨みなさい! 彼女はあなたの愛する男を奪った!』
何かが私の頭の中で語りかけてくる。それは私の心をぐちゃぐちゃに踏み荒らす……私の中の思いを塗り替えていく……! それが嫌で嫌で仕方がなかった。そんな事を私が思うはずがない! 私はもう変わった……乗り越えた……! だから私は……!
『あの女はあなたの事を嘲笑しながら見ていますよ』
『え?』
『だって、あなたは惨めな負け犬ですもの。ふふっ、かわいそう……!』
急に“何か”が私の目の前に現れる。そいつの表情は愉悦に歪み、くつくつと私を嘲笑う。
『そんな事、あなたは思ってないですよね……?』
『負け犬』
『嘘です……! 私とあなたはやり直せたんです! あなたは私の大切な……!』
『負け犬』
“何か”の嘲笑と言葉を受けて、私は心の奥底に沈めていた感情が這いあがってくるのを感じる。ダメだ……そんな事を思っては……! でも、私の行き場のない感情は抑える事はできない。そして、私の右手にはいつの間にか宝物であるダガーが握られていた。折れた剣を鍛えなおし、護身用として彼にプレゼントして貰ったのだ。この大切な剣を、こんな事には……!
『あの女を殺せ!』
頭の中に響く声に、私は――
「っ……!」
朦朧とする頭を抑えながら、私はベッドから起き上がる。また、夢を見ていたらしい。だが、心はスッキリとして、気持ちよさと幸せでいっぱいだった。窓から見える光景はまだ暗闇。下着に感じる違和感に思わず赤面しつつ、寝汗やら何やらをもう一度シャワーで流そうと立ち上がる。
そんな時、離れの扉をノックされた。私は右手にいつの間にか握られていたダガーを鞘にしまい、ベッドの下に置く。寝ている間に私は随分と危ない事をしていたらしい。
やっぱり、刃物と一緒に寝るのはあまりよろしくない。でも、カズマのダガーがあると“アレ”も非常に気持ち良くて……
私は頭をぶんぶんと振って変な気持ちを吹き飛ばす。扉越しに聞こえる声は、カズマのものである。彼にこんな姿を見せるわけにはいかない。まさか夜這いなのかと若干ドキドキしながら、急いで下着を履き替える。そして、期待しながら扉を開けたのだが、それは杞憂に終わる。彼は私に情欲を込めた視線など、まったく送ってくれなかった。
ただひたすらに暗い表情である。こうして、私は深夜に突然訪れたカズマの相談を聞く事になった。
「という事でめぐみん、助けてくれ。それとなく、アイツの憂いの原因を探って欲しい。絶対に何かを思い煩っているはずなんだ」
「あのですねカズマ、それはあなたの役目でしょう? 面と向かって聞けないのですか?」
「聞いたさ。でも、ゆんゆんは俺を心配させないように意固地になっている。もしかしたらこれ以上俺に迷惑かけたくない……そんな思いもあるのかもしれん。とにかく、俺だけじゃ彼女の憂いは把握しきれない。なぁ、めぐみん、心当たりはないか?」
「そう言われましてもねぇ……」
私はベッドの上で頭を唸らせる。心当たりはないわけではない。しかし、リッチーの体になった事で今後は子供を産めないかもしれない……なんて事を私はカズマに言いたくなかったし、この事を伝えるのはゆんゆん本人であるべきだと思う。だが、いつかは話すべき事だ。やはり私が伝えるべきかと悩んでいると、カズマは小さく溜息をついた。
「今日の夕食はな、ゆんゆんの“愛”がたっぷり入ったハンバーグだったんだ……」
「なんですか、惚気のつもりですか?」
「ちげーよ。ぶっちゃけて言うと、ゆんゆんの血液たっぷりだった。お前なら、これが意味している事が分かるだろ?」
「はぁ……答えにくい事を聞いてきますね……」
私もカズマの言葉を聞いて溜息をつく。曰く、二月程前から食事にゆんゆんの血が混じり始めたらしい。しかし、混入している血液がかなり少量であった事、リッチー化の前である結婚生活における食事にもたまに混じっていた事はあったので、あまり気にしなかったらしい。
しかし、ここ一か月程でだんだんと血液が食事に混じる頻度と量が倍増。今までは料理スキル持ちじゃなければ気付かない程度の量であったのに、今日のは一口食べて血の味だと分かるくらいに混入していたそうだ。なんだか、聞いていてとても耳に痛い話だ。
「実は紅魔の里でゆんゆんのお母さんとか、ゆいゆいさんと話す機会があってな。彼女達も、昔は血液入り料理を夫に食べさせた事があるらしい。紅魔族の風習の一つとは理解しているんだが、やっぱりあの量は異常で……」
「いやいやいや! カズマは何を言っているんですか!? 紅魔族にそんなおぞましい風習なんてありませんから! というかあの人達も何をやっているんですか…!」
「そりゃあ、紅魔族は頭おかしいしな。お前だってやってたし……今思えばお前のあれも風習の一つだったのか……」
「ぐっ……うぐぐっ……!」
そんな風習なんてありはしないのだが、過去の自分が拗らせて実行済みであるため完全否定する事はできない。モヤモヤとした気持ちで頭を唸らせながら私は地団太を踏みたくなった。ともかく、今はゆんゆんの事だ。カズマの話が確かなら、彼女に何かしらの心境の変化があったと考えるのはおかしくない事だ。
「なぁ、めぐみん、お前が血液を入れた時ってどんな心境だったんだ?」
「それは、あの時言ったじゃないですか。私は自分を傷つける事で何とか心を安定させていました。そして、カズマに私がこんなに痛い思いをしていると気付かせたかった……大丈夫かって心配されたかった……要するにあなたに構って欲しかったんです……」
「なるほどな。でも、今回のゆんゆんの行動はめぐみんのパターンとは違う気がするんだ」
そう言って力なく笑うカズマを見ながら、私も思考をめぐらせる。確かに、ゆんゆんがカズマに甘える頻度は相変わらずだ。彼女のかまってちゃんな所は今も昔も変わってはいない。そうであるならば、なぜ血液を入れたのかという根本的な事に帰結する。
私の場合は血液を入れる事より、自分に傷をつけて痛みを感じる事に意味を見出すようになった。しかし、ゆんゆんのようなリッチーの場合は物理的な痛みはほぼないと言われているし、傷も残らない。私の話の影響を受けた事も原因の一つだろうが、恐らく、彼女は自分の血をカズマに入れる事を重要視している。それは私にもあった原初的な思い……
「カズマ、ゆんゆんは血をあなたに入れる事で、自分をあなたに“刻みつけよう”としている可能性が高いです」
「刻み付ける……?」
「ええ、そうです。私の事をカズマに感じて欲しい……例え離れていても、他の女と関係を持っていようとも、私はあなたの傍にいる……そんな思いを刻み付けているんです。そして、カズマは私のモノだと誇示したい……なんて事を考えているのかもしれません」
「なっ……!」
カズマの表情が一瞬強張った気がした。しかし、彼はすぐさま暗い表情に戻り、私に深く頭をさげてきた。
「めぐみん、日中のゆんゆんの行動を今後も見守って欲しい。それと、何か気付いた点があったら俺に報告してくれ」
「分かってますよ」
「ありがとな、めぐみん。アイツはお前に対しては結構本音でぶつかる奴だからな。本当に……本当に頼む……!」
「はぁ、分かりましたから頭を下げるのはやめてください。カズマには似合いませんから」
私は低姿勢なカズマに了承の返事をしつつ、自分の心の奥底で再び渦巻き始めた暗い感情を必死に抑え込む。私があの精神状態にあった時、カズマはこれほどに心配してくれただろうか? 私の事だけを考え、愛し、心配する。この表情が欲しかった。
そして、不安げなカズマにあなたが傍にいてくれるだけで私は安心だと囁いて、彼もそんな私の願いを聞き入れてくれて……
ダメだ……考えるな! これはもう終わった事だ! 大丈夫、私の心はもう大丈夫!
彼の頼まれ事であるし、私自身だってゆんゆんは心配だ。だから問題ない……全くもって問題ないのだ……!
「ゆんゆんは幸せ者ですね」
「その言葉だけはアイツには当てはまらないな」
苦々しい顔でそう言い放つカズマに、私は閉口した。
という事で、私はゆんゆんの様子をそれとなく窺う日々を開始した。何だか、昔もこんな事していたなぁと懐かしい思いになりつつ、私はいつもどおり“役目”を遂行する。だが、日中の彼女の動きに目立った変化はない。これでも、数か月は彼女と共に過ごしているのだ。
それでも、いくらか不審な動きを確認する事はある。建前としては、ゆんゆんはエリス教の監視下にあるのだが、その監視をしているのは私なのだ。
彼女は数日に一度、30分ほど屋敷から完全に姿を消す事がある。どこに行っているのかは知らないが、私に隠れて何かをやっているのは確かであった。まぁ、この点については深くは聞かないし、エリス教にだって報告はしていない。ゆんゆんが人に仇なす行為をするはずはないという、彼女に対する信頼があったからだ。
また、私が監視をしている事に対する負い目を償う気持ちもある。それに、ゆんゆんは謎の30分間から帰還した後は随分と機嫌が良さそうなのだ。何か、彼女なりの息抜きをしているのかもしれない。
そして、もう一つの不審な動きと言えるのは屋敷での独り言だ。しかし、これには私も慣れてしまった。小虫やなめくじ、サボテンと楽しそうに会話をする姿も慣れてしまえば、微笑ましいとすら思う。
最近では、屋敷に住む幽霊少女と友達になったと私に嬉しそうに話してきた。これも、ゆんゆんなりの楽しみなのだと受け入れる事が出来れば、不審な動きとは言い切れないだろう。
少々おかしい所を見せつつも、割とのんびりとした生活をしているゆんゆんはやっぱり異常なし……と言いたかった。でも、やはりおかしな点はある。
件の数か月前から、彼女は私を夕食に呼ばなくなった。「カズマさんとの時間を邪魔しないで」という強い言葉に負けた私は、これを受け入れていたのだが、カズマの話を聞いた後だと話は違ってくる。
恐らく、ゆんゆんは私を帰らせた後に、“仕込み”をしているのだろう。そして、その時に大きく感情を発露してしまう事を私自身良く知っている。だからこそ、やる事は単純。屋敷に潜伏して“仕込み”の時間帯に何をしているかを観察するのだ。
こうして、私のゆんゆん観察会が始まった。屋敷の事は熟知しているし、以前に穴を開けた監視ポイントは健在だ。私はゆんゆんに別れを告げるフリをして、リビングの隣室に待機した。視界は良好、彼女に気付かれる事もなかった。
それから半刻程経過した時、ゆんゆんが料理を開始した。気分よく食材を切り分けて行く姿に別段おかしな所はない。しかし、窓に西日が差してきた時、彼女は突然料理を中断して天井をじっと睨み付け始めた。
まさか私の気配を察したのかと少し焦ったのだが、どうやら違うようだ。ゆんゆんは、脱力したように床に崩れ落ち、膝を抱えて何かをぶつぶつと呟き始めた。
『ああっ……なんで……どうして……? カズマさん……カズマさんカズマさんカズマさん! 私を愛しているって言ったのに……! いや……お願いやめて……私はこんな事を望んでいなくて……うぐっ……ひっぐ……どうして……どうしてそんな表情を浮かべるんですか……? それは私だけにしか見せちゃいけないんです……だからやめて……やめ……あっ……あああああああああああああっ!』
囁きのようだった小さな呟きが悲痛な叫びへと変化する。ゆんゆんは瞳から大粒の涙を流して床を力なく叩いていた。私はそんな彼女の様子を見て少しばかり心を痛める。慰めてやりたいが、今は私の出る幕ではない。彼女の発狂のトリガーとなったものや、この事態の行方を探る方が優先だ。
『違うんです……違うんですカズマさん……! 私はあなたを拒否したんじゃないんです……! あの言葉を真に受けないでください……そんな事を本心から望んでいるわけありません……! だから……ねぇ……やめましょうカズマさん……それ以上はやめて……やめて……やめて……やめて……やめてやめてやめて!』
金切り声をあげながらゆんゆんは体をばたつかせる。彼女の体が床や壁にぶつかる音、引き倒される椅子の音、そのどれもが私の罪悪感を刺激する。やはり、助けに入った方が良いだろうか。そう、思ってこの場を離れようとした時、彼女は膝を抱えて急に静かになった。ひとまず様子見を続行した私の視界の中で、ゆんゆんはぶつぶつと懺悔を始めた。
「分かってます……私が悪い事は全部分かっています……ごめんなさい……ごめんなさい……あなたもとっても辛いのに……甘えてばっかでごめんなさい……! 何より私はあなたに最低な事を……! ごめんなさい……ごめんなさいごめんなさい……嘘をついてごめんなさい……うぇ……ひっぐ……ごめんなさいカズマさん……」
それから半刻程、ずっと彼女はぶつぶつと呟きながら泣き続けた。私はその様子を見ても、彼女が発狂した原因が分からなかった。だが、断片的ながらも聞き取れた単語から、いくつかの推論が生まれる。しかし、どれも決定的な証拠もなければ根拠もない。そもそも、発狂した状態のゆんゆんの言葉を真に受けていいのだろうか。
結局、私は彼女の精神不安定の理由が分からなかった。そもそも、彼女は子供を失い、左手を亡くし、尚且つリッチーになってしまったのだ。まともな精神状態でない事は最初から理解している。ゆんゆんが突然発狂するのも、おかしくない状況に彼女は置かれているのだ。
『ああっ……やっぱり……やっぱり二重に……これは……つまりはそういう事なんですか……? もしそうなら……私が……私がいる意味はあるの……? これ以上あなたを苦しませたくないし不幸にさせたくない……それなら私は大人しく……うっ……うぁ……いやよ……やっぱりいや……! 死にたくないもの……カズマさんとずっと一緒にいたい……あなたは私の……!』
ぶつぶつ呟いていたゆんゆんが、フラフラと立ち上がって料理を再開する。そして、包丁を何かに叩き付ける嫌な音が聞こえてきた。私からは、彼女が台所に向かっている後ろ姿しか見えない。むしろ、見えなくてよかったと少し安心した。
『カズマさんってば本当に綺麗好きなんですから……いくら匂いをつけたってすぐ消えちゃう……寝ている時にこっそりつけた噛み跡だって……! でもこれなら……ふふっ……カズマさんは私の……私の男なんです……! 私が彼に選ばれた女性で……一番愛されているんです……! もちろん私もあなたを愛しています……だから私をもっと感じて……もっと愛して……私の痕跡を消したりしないで……!』
肉を切る鈍い音と、何かが飛び散る嫌な音が部屋に響く。それ以上は見ていられなくなった私は、屋敷をそっと後にした。分からない事だらけではあるが、分かってしまった事もある。あの精神状態は私にとっては馴染み深い……というか経験したものだ。ゆんゆんは必死に我慢し、思いを溜め込んでいる。そして、経験しているからこそ分かるのだが、あれはいつか“爆発”する。誰が起爆スイッチを押すかは不明だ。しかし、何か良くない事が起ころうとしているのは確実だ。
屋敷を後にした私は、そのまま門前に待機する。程なくして、両手をポケットに突っ込んで気分良さそうに口笛を吹くカズマが現れる。彼は私の姿に気が付くと、若干緩んでいた頬を引き締めて駆け寄ってきた。
「随分とご機嫌ですね?」
「言ってくれるな。少し良い事があっただけだ。それより、ゆんゆんについて何か分かったか?」
「いいえ、具体的には全く。でも、ゆんゆんの精神状態はかなり危険、いわゆる末期の状態です。このままだと爆発するのは確実です」
「爆発……か……」
難しい表情を浮かべながら思案するカズマを私はじっと見つめる。断片的に聞き取れた単語の中でも、最も頻度が高かったのは“カズマさん”という言葉だ。彼女の精神不安定の原因に彼が絡んでいる事は間違いない。内心、心苦しく思いながらも私はカズマに質問を投げかけた。
「カズマ、ゆんゆんに何か隠し事をしていませんか?」
「なっ……なんでそう思うんだよ!?」
「ゆんゆんが思い煩う原因なんて、カズマかさよりちゃんのどちらかにあると思うのが当然ですからね。何より、彼女はあなたの名を呼びながら泣いていました。何か、彼女を泣かせるような事をしているのではないですか?」
「…………」
私の言葉にカズマは口を不機嫌そうに黙り込む。何故このような役回りを私がしなくてはいけないのかと、少し腹が立った。でも、カズマのためにも、ゆんゆんのためにも必要な事なのだと怒りを必死に抑えこんだ。
「心当たりはあるのですか?」
「いいや、ない。ない“はず”だ。でも、原因が俺にあるとするならば、どうしたらいいんだ? 俺に出来る事はないのか? 教えてくれめぐみん……」
不安な表情を浮かべるカズマに私は嘆息する。そんな事、私に分かるわけがない。直接ゆんゆんに聞いて欲しい。でも、こんなカズマはほっとけない。私も、随分と都合の良い女なんだなと自分自身に少し呆れた。
「とにかく今はゆんゆんと一緒にいてあげてください。あなたが傍にいるなら彼女もこれ以上おかしくはならないと思います。それに、あなたも休みなしでさよりちゃんの捜索をしていますよね。その時間を少しゆんゆんに使ってあげる事はできませんか?」
「でも……さよりが……」
「ええ、分かっていますとも。あなたの心配と焦りは当然です。しかし、進展はほとんどありませんよね? それに、もうすぐアクアが帰ってくるかもしれないんです。本格的に探すのは彼女が帰って来てからでいいと私は思います」
私の提案にカズマは再び黙り込む。彼がさよりちゃんの捜索に心血を注いでいるのはもちろん理解している。しかし、結果が伴っていないのが現実だ。そもそも……いや、こんな事は私も思ってはいけない。例え私にとって“他人事”であったとしてもだ。
「カズマ、夫婦関係や、ゆんゆんが壊れてしまっては意味がないんです。そんな状態でさよりちゃんを取り戻しても彼女を余計に不幸にさせるだけです。だから、お願いします。ゆんゆんと一緒にいてあげてください……!」
「めぐみん……」
頭を深く下げているため、カズマの表情は読み取れない。むしろ、私の顔を彼に見せたくなかった。こんな事を言っておきながら、私の顔は嫉妬の感情で歪んでいたのだ。
「ありがとな。めぐみんのおかげで色々と気付く事ができた」
「はい……」
「今は俺が出来る限りの事をアイツにやってやるつもりだ。めぐみんも少し待っててくれ。今回の埋め合わせは必ずするつもりだ」
「期待しないで待っていますよ」
私はぶっきらぼうに言い切って、カズマから顔を見せまいと背を向ける。そして、小さく溜息をつく。後は、当人同士の問題だ。私に出来る事はもうない。だから、帰路につく事にする。私のような“お邪魔虫”は不要だ。
「ああ、カズマ。一つ言い忘れていた事がありました」
「なんだ?」
「夕食のビーフシチューはおかわりしない方がいいですよ」
カズマの返事も聞かずに私は歩き出す。何だか一人になりたい気分だった。
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「おいこら、起きろめぐみん。夕食の時間だぞ」
「うぐぐっ……それはもう血じゃなくて……あううっ……!」
「何をほざいているんだお前は」
ソファーでふて寝をしていた私はダクネスに揺り起こされる。そして、彼女に軽々と抱っこされながら強制的に食事の席につかされた。寝惚け眼をこすりながらテーブルに並べられた料理を見る。それは、よだれが出るほど香ばしい匂いを発する分厚いステーキであった。
「うっぷ……起き抜けに何てものを見せるのですかダクネスは……」
「どうした、食欲がないのか?」
「いえ、ちょっと思う所があっただけです。まぁ、これとそれとは別。焼き立てはきっちり頂きますとも」
私はさっそくステーキの切れ端を口に放り込む。うむ、美味い。やっぱり肉といったら牛肉だ。そんな当たり前の事を再確認しながら、なんだか泣きたくなった。私はおかしくなっていた時に相当ヒドイ事をしていたのだと今になって気付けた。
カズマも良く許してくれたものだ。例えば、カズマが自分の血液を入れた料理を食べさせようなんてしてきたら……絶対に許さ……? あれ……それはそれで嬉しい……むしろ食べたい……!
「さっきからどうしためぐみん? 今日は何か良い事でもあったのか?」
「良い事? むしろ逆です! 悪い事の連続でしたよ!」
「ほぉ? まぁ、アイツらのお守りは骨が折れるからな」
こまごまとした愚痴を吐きながら、私はステーキを口にどんどん放り込んでいく。そんな私の話をダクネスは苦笑しながら聞いていた。そして、料理を平らげた後、未だに半分ほどしか減っていないダクネスのステーキに目をつけた。
「まったく……私の分はやるからその野獣のような眼光はやめるんだ」
「むっ、くれるというなら貰ってあげますよ」
「はいはい。でも、余り食べ過ぎない方がいいぞ。この後、お前に見せたいものがあるんだ。それがちょっとグロテスクなものでな。下手したら吐いてしまうかもな」
「ひゅろへふく? ふぁんてもひょみへるんふもりなんへふか」
「食べながら喋るな」
私は呆れた様子のダクネスの前で彼女のステーキを口に詰め込んで食事を終える。そして、食後のデザートもきっちり食べた後、彼女の案内でダスティネス邸にある倉庫へと赴いた。グロテスクなものなんて見たくはないが、ダクネスがかなり機嫌が良さそうであるという事と、私自身暇で尚且つ好奇心が刺激された事から素直に従った。
こうして、私はダクネスの「見せたいもの」とやらと対面する事になる。倉庫には微かに腐乱臭が漂っており、思わず顔をしかめる。そして、倉庫の作業台の上に置かれているものを見て私は更に顔をしかめた。
「棺ですか……嫌な予感しかしないのですが……」
「いいから開けてみろ。ふむ、浄化がまだ足りないか。匂いが染みつくのはゴメンだ」
そういって、周囲に浄化ポーションを振り撒くダクネスを背に私は棺を開ける。そこには、やっぱりというか人間の死体が入っていた。エリス教の巡礼服に身を包んだ死体は、泥と何かの汚液で不気味に変色している。先ほど食べた肉を戻しそうになるが、私は必死に堪えた。
「それでこの死体は何ですか? 私にはこんな奴は見覚えありません。まぁ、男か女か分からなくなるほど腐ってますけど」
「おっと、随分と余裕そうだな。まぁいい、聞いて驚け! コイツはな、私達の“探し人”なんだよ!」
ダクネスは興奮と喜びで頬を染めながら、この死体を発見した経緯を語り出した。
エリス降臨後、ゆんゆんは私達の計らいで居住地を屋敷に移した。その結果、ゆんゆんの見守りは私に、カズマの支えは私達全員とエリスが行っていた。その中でもダクネスの役割は薄い。だから、彼女は独自に捜索隊を組織して、逃走したと思われる7人目の犯罪者を追っていたらしい。
そして、三日前にこの死体を発見する事に成功したそうだ。見つけたのは紅魔の里へ至る街道近くの土の中。身元は王都の検死官によって判明。しかも、エリス様からも同様のお墨付きを貰ったそうだ。
「つまり、これが7人目の犯罪者というわけですか……」
「そういう事だ」
「よく居場所が分かりましたね。しかも死体の」
「まぁ、地道の調査の結果……と言いたい所だが、正確には違う。何だかここに死体がある……そんな直感が働いたんだ」
複雑そうな表情で、ダクネスは死体を見つめる。もし、本当に直感で見つけたというのなら、凄い事だ。さじを投げた紅魔の里の占い師、ひいてはエリスより凄いと言える。どちらかというと、脳筋な彼女が超能力でも発揮したのだろうか。そうだとしたら、随分と笑わせてくれる。
「ダクネス、寝ている時、夢は見ますか?」
「いきなり何だ?」
「いいから答えてください」
「ふんっ……夢なんてここしばらく見ていない。眠れない毎日でな」
腕を組んで、不機嫌そうに答えるダクネスをしばらくじっと見つめる。私は、何でこんな事を聞いたのだろうか? それは……うっ……? 私は今、何を考えて……
「とにかく! 重要なのはそんな事じゃない! こいつが7人目の犯罪者だと言う事実だ」
「ふむ……」
「しかも、目立った外傷はない。コイツの死因は持病として患っていた心臓病だ。おまけに、検死官やエリス様によると死亡時期はあの事件の前だ! これがどういう意味か分かるか?」
興奮気味のダクネスから聞いた言葉を、私はよく考える。つまり、逃亡したとされた7人目の犯罪者は事件時にはすでに土の中。という事は……
「うーむ……これってかなりマズイ気がします……」
「その通りだ。これでカズマに話した“希望ある推論”の前提が崩れた。お前も紅魔の里の住人も、意図的にそうしていたのが裏目に出たな。カズマのためを思うなら、“希望がない推論”も話しておくべきだった」
「…………」
希望がある推論。それは王都調査官の立てた仮説であり、後にエリスによって補強され、カズマが頑張り続ける根拠になっていたものだ。
曰く、王都地下監獄から脱獄した7人はエリス教の聖地巡礼者に扮して逃走。他の聖地巡礼者と同じように各地でエリス教の支援や市民の施しを受ける。そして、聖地である紅魔の里に流れ着いたとされている。紅魔の里は聖地ではあるものの、今も治外法権と噂される旧魔王領に近い立地だ。
旧魔王領は一種の無法地帯と化しており、後ろ暗い連中の取引場所としても利用される事があるらしい。7人の犯罪者は身を隠しやすい魔王領に逃亡するため、もしくは裏取引をするために紅魔の里に来たとも考えられている。さよりちゃんの誘拐は、今後の生活のための資金を得るため、もしくは行きがけの駄賃として行われた可能性が高い。そして、7人の中で内輪揉めが発生。さよりちゃんと金品を奪って7人目の犯罪者が逃亡したとされるのが、この“希望ある推論”だ。
だが、王都の調査官は“希望がない推論”も仮説として打ち立てている。それは、犯罪者は内輪揉めなどしておらず、モンスターによって全員殺されたという説だ。そもそも、5人の死因は、初心者殺しで2人、犬型モンスターで1人、短刀で2人だ。そして、この短刀が死因となった二人が原因で”希望ある推論”が生まれたのだ。
むしろ、根拠はそれしかないと言っていい。奪った金品というのも、ゆんゆんの“左手付きの指輪”と革製の小さなカバンだけである。持ち去ったのが必ずしも人間だとは限らないのだ。これが、“希望がない推論”。こちらを前提にして動くことを、私達が出来るわけがなかった。
「でも、エリスはこの仮説が正しい可能性があると言っていたではないですか! だってさよりちゃんの……!」
「そうだな。しかし、それはそもそも論に繋がる。さよりちゃんの行方を捜す方法はエリス様にとって実は簡単な事だ。あの犯罪者共の魂を拷問して聞きだせばいい。でも、それが出来なかった。何故なら、彼らの魂も行方不明なんだからな」
「くっ……!」
「彼らは重罪を犯した他に、一つだけ共通点がある。それは悪魔崇拝者であった事。彼らの魂は地獄か、もしくは悪魔に今も弄られているか、それとも悪魔に喰われてしまったか……真相はエリス様も知らない闇の中だ」
私は目の前の死体を睨み付ける。こいつのせいで、“色々”と破綻してしまう。推論だけじゃない! カズマ、ゆんゆん、希望、私達の関係! それが全てこの一つの腐乱死体で壊れてしまうのだ。頭も心も、視界すらも暗くなった。そんな私を見ながらダクネスは悲しそうに笑った。
「エリス様はこの事実をまだカズマに伝えないで欲しいと私に懇願してきた。この意味が分からないとは言わせない」
「…………」
もう何も考えたくない。ふらふらとした足取りで倉庫を出ようとする私を、ダクネスが抱きしめるようにして止める。精一杯もがくが、彼女の力に私は敵わず逃げる事は出来なかった。
「めぐみん、重要なのはここからだ。ゆんゆんはカズマに甘えるくせに、どこか彼に対してよそよそしい。深い悲しみと絶望を抱えているのに、カズマと情交して慰め合わない。事件後のゆんゆんはおかしな点が目立つ。そうは思わないか?」
「その点についてはあなたにも話したはずです。ゆんゆんはもう普通の女性ではないんです」
「そうだな。それを聞いて私も一時は納得したよ。でも、あの死体が見つかってから、色々と思い直したんだ。結果、私はやっぱりアイツはおかしいと思い直した」
ダクネスが、私の顔を透き通るような碧眼で見つめてくる。その瞳を前にして、私は何も反論することが出来なかった。やっぱり、ゆんゆんはどこかおかしい。以前語ったような理由だけでは説明しきれない部分があるのだ。
「なぁ、めぐみん。私は大貴族のお嬢様だ。宮廷での行事や貴族の務めも嫌々ながら果たしてきた。そこで、私は様々な人間を見てきたつもりだ。私に取り入ろうとする人間、媚びを売る人間、嫉妬と憎悪に満ちた人間。彼らは私の観察眼の鍛え、良い反面教師になった。今では彼らにも感謝している」
「…………」
「知っての通り私の観察眼はあまりあてにならない。お父様のようにはまだいかないんだ。でも、そんな私でも一目見て分かるくらいゆんゆんは分かりやすい奴だったよ。アイツはな“嘘つきの目”をしている。どうだめぐみん? お前も何か心当たりがあるんじゃないか?」
そんな事を言われても私は分からない……分からない方がよかった。残念ながら、ダクネスの言う通り、いくつか心当たりがある。ゆんゆんが私達に何か隠し事をしているというのも、その心当たりの一つだ。そして、今日の観察で私は聞いてしまったのだ。
「確かにそうかもしれません。今日の観察で、ゆんゆんはカズマに嘘をついてるって、独り言で言ってました」
「ふむ、それならば奴は黒だ。めぐみん、その独り言の時にゆんゆんは誰かに対して懺悔の言葉を吐いていたか?」
「ええ、断片的にしか聞き取れませんでしたが、どうやらカズマに対してごめんなさいと繰り返し呟いていたようです」
私の話を聞いたダクネスは背中をよくやったとばかりにバンバン叩いて来た。思わず不満顔になると、ダクネスは私の頭を撫でながら押し殺すような笑いをあげた。
「めぐみん、そいつは大当たりだ。今のゆんゆんみたいな奴はエリス教会で多く見かけたさ。嘘つきの一歩先を進んだ人間……“嘘をついている自分に罪悪感を持っている人間”だ。彼らはその罪を許してもらおうと、もしくは裁いて欲しいと神に懺悔する。でも、根本は変わらない。罪悪感を持っていても、嘘をついているという事実は消えないんだ」
「なるほど、ダクネスの言っている事は少しだけ理解できます。でも、結局何が言いたいのですか? 嘘くらい私だってつきます……」
「むしろ、まだ理解できないのかめぐみん? ゆんゆんは事件について深く語らない、カズマとセックスしない、嘘をついている、その事に罪悪感を持って懺悔している。これらは一本の線で繋がっているんだ。そこに、見つかった7人目の犯罪者という事実を加える。そうすると、見えてくるんじゃないか? ゆんゆんのついた嘘って奴がな」
「分かりません……分かりたくありません……」
「なら言ってやろう。アイツは――」
ダクネスは得意気にゆんゆんのついた嘘とやらを語る。私はそれを聞いて溜息をついた。彼女の話には邪推と言える類のものだ。しかし、きっぱりと否定する事は出来ない状況となっている。頭を唸らせる私を、ダクネスは再び抱きしめてきた。
「めぐみん、明日は一緒にゆんゆんに会いに行こう。もちろん、拒否権はなしだ」
「…………」
「無言は肯定と受け取る。それじゃあ、お休みめぐみん。お前も早く寝るんだぞ」
そう言って倉庫を出ようとするダクネスを、今度は私が抱きしめて引き留める。ついでに、眼前にある豊かな双丘に頭突きする。なんだか、むしゃくしゃしているのだ。
「あなたは、ゆんゆんが本当に嘘をついているとしたら何をする気なんですか……?」
「滅ぼすに決まっているだろう」
「そんな……」
「まさか、まだ躊躇っているのか?」
呆れた表情のダクネスに私は敵意の含んだ視線を向ける。むしろ、彼女に躊躇いは一切ないというのだろうか。彼女は私のライバルで、カズマの大切な人で……
「めぐみん、あの事件からもうすぐ半年だ。もしかしたら、アクアが帰ってくるかもしれないんだ。アクアがどう動くかなんて、お前でも予想はつくだろう?」
「…………」
「アクアはお人好しで、肝心な所ではカズマに甘い。あの状態のゆんゆんを浄化しようなんて決してしないだろうし、ましてカズマの懇願があるなら言うまでもない。覚悟の決まっているエリス様との対立は避けられないだろうな」
うんざりとした様子のダクネスに私は無言で答える。確かにアクアはお人好しであるし、身内に対してかなり甘い。彼女がゆんゆんを率先して浄化するなんて姿は全く想像できなかった。
「私達がゆんゆんを滅ぼすべきなんだ。彼女の状況は詰んでいる。今は大丈夫でも、いずれは争いや不幸が降りかかる。そんな人間の化け物が行きつく先はいつも同じ。カズマが語っていたリッチーのように、最後は人間に追いつめられてダンジョンにでも引きこもるんだ」
「確かにアクアが降臨した後、泥沼化は確実ですね。彼女はカズマとゆんゆんを庇う可能性が高い。もしかしたら、逃亡の手助けだって……」
「よく分かっているじゃないか。そして、それが何を意味するか分かるだろう? このままゆんゆんを放置しておくと、何処かに逃げるかもしれない。もちろん、カズマを巻き込んでだ。そうなったら、私達はカズマを失う事になる。そう……“永遠”にな!」
怒気の込められた視線に耐え切れず、私は目を背ける。しかし、私の心の中には不覚にも怒りがふつふつと湧き上がってしまった。ゆんゆんは不死王であるリッチーだ。彼女にカズマを連れていかれたら、私は愛する男を正に“永遠”に失ってしまう。今後の人生で……死後の世界で……来世でさえも彼に会えない。そんなのは嫌だ……絶対に嫌だ……!
「めぐみん、私は正直言ってお前を恨んでいた。カズマを奪い返そうと……ゆんゆんを排除しようと一緒に頑張ったのに、結局お前はあの女を許した。そこまでは、私も仕方ないと思っているし、納得はした。でも、紅魔の里に帰ってからのお前は許せない。お前はカズマの周りでうろちょろする事だけで満足していた。カズマを奪い返そうという、気力が感じられなかったんだ」
「うっ……」
「それに、アクセルに残った私に会おうともしない。私に罪悪感を覚えていたのか? それとも、自分の負け犬面を見せたくなかったからか?」
「わ……私は負け犬なんかじゃ……!」
「いいや、お前は負け犬だ! お前に以前のような強さはない! 現状に甘んじて尻尾を振りまくる哀れな負け犬だ!」
怒鳴りつけるダクネスにビクリと体を震わせながらも、私は理解する。彼女は、あの時から何も変わっていない。むしろ、より“歪んで”しまっている。だが、考えてみれば当然かもしれない。彼女は一人残されていたのだから……
「そんな負け犬なお前でも、カズマを永遠に奪われる事は許せないはずだ! だから思い出せ! あの時の怒りと憎しみと強さを!」
「うあ……あぅ……」
「あの女はお前の親友か? いいや、違う! お前の憎き“敵”だ! 私達三人の平穏と幸せをぶち壊し、ずっと一緒に過ごすはずだった私達をバラバラにした! そんな奴が今度はカズマを永遠に自分のモノにしようとしている!」
「ひぅ……!」
意識が朦朧とする。そして、ダクネスの声が二重に聞こえる気がする。頭の中でも、同じような事を囁いている奴がいるのだ! 何かが……何かがおかしい……!
こんな――
「めぐみん、アクアがいないうちにゆんゆんを滅ぼすんだ」
「…………」
「アイツはカズマに残酷な嘘をついている。もし、嘘をついている事が本当ならば許してはならない。このままだと、カズマを深く傷つけるだけでなく、永遠に失う事になるかもしれない。そんな事は絶対にさせない。そして、傷心のカズマを私とお前で支えるんだ。最初はお互い気まずいかもしれない。でも、きっと幸せになれる。だってカズマとずっと一緒なんだから……!」
興奮と陶酔で頬を染めながら、ダクネスは体を震わせる。かく言う私も、ダクネスの語る未来を夢見て頬を染める。きっと、ゆんゆんを失ったカズマはきっと悲しみ、壊れてしまいそうなほど落ち込む。
そんな可哀相な彼を優しく包み込み、心と体を使って癒してあげるのだ。そして、いつかは持ち直してくれる。その時は、私もダクネスもアクアも一緒。もう叶えられないと諦観していた4人での幸せな生活……賑やかな日常……
もちろん、カズマが立ち直ってくれない可能性もある。そんな可哀相な彼に私は提案するのだ。『もう、一度ゼロからやりなおしましょう』と。そして、私はカズマとベットを共にして……!
「めぐみん、これはあの女からカズマを奪い返す最後の“チャンス”だ。そして取り戻そう。私達の幸せと平穏を……」
「…………」
「もう一度協力しないか?」
ダクネスがそっと差し出した手を、私は迷わず握り返していた。
という事でエリスールートという名のめぐみんアンソロな話でしたね
今回活躍しためぐみんのアンソロジーコミックが絶賛発売中だぞ! 買わなきゃ!
次回はドロドロ……ではなく割とほのぼのな話らしいです
そんでもってここでステマ(露骨な宣伝)のお知らせ
なんと熱心なアクシズ教徒であり、ここでも新人サキュバスのお話を投稿している「あるい椋」さんが、この「てぃーちんぐゆんゆん」の挿絵(くつくつ笑いのゆんゆんとか、ゲロってるめぐみんとか、えっちぃシーンとか)を描いてくださったそうです!
あるい椋さんは今年の年末にあるコミックマーケット91でゆんゆんとのえっちぃ漫画を発売予定だとか! これはもう買うしかねぇなぁ!
そして、てぃーちんぐゆんゆんの挿絵集もコピー本としておまけとしてついてくるんだとか……
コミックマーケットに元々行く予定の方、もしくはこの作品の挿絵がみたいなんて頭のおかしな人は、是非、あるい椋さんのサークルに寄ってみてください!
詳細は活動報告にてお知らせしています
という事で、メリークリスマース!