相変わらずの難産
太陽が真上にある時間帯、そんな真昼間から俺は人目を忍ぶように遠目で我が家を伺っていた。目立った動きがない事に少しだけ安心しつつ、俺は袖口を鼻に持って行って匂いを嗅いだ。
「よし、大丈夫……アイツの匂いはしないな……しないはずだ……」
そう言ってから、俺は少しだけゴワゴワとした服の感触に顔をしかめた。そもそも、こんな目に会っているのはあの諦めの悪いお嬢様のせいである。前日の夜から今朝にかけて、不覚にもダクネスに逆レイプをされてしまったのだ。昔の俺であったら役得としか思えなかったが、今の俺にとっては不安でしかない。
それもそのはず、俺はゆんゆんに無断で“朝帰り”をしてしまったのだ。もちろん、この事をゆんゆんに言い訳できるはずがない。浮気である事は変わりないし、よりにもよって逆レイプされたなんて、事実であっても言い訳としては苦しい。何より、男としてのプライドが傷ついた事を愛する嫁さんにわざわざ言いたくはなかった。
だから、全ての証拠を隠滅した。前日に身に着けていた服は肌着も含めて廃棄して新品を着用、銭湯で体が赤くなるほど擦り洗いをして、のぼせる寸前まで風呂に入った。だが、ゆんゆんも言わずもがなだが、我が家には匂いに敏感なアクアがいる。念のために教会に寄付金を払って浄化魔法だってして貰ったのだ。
「大丈夫……大丈夫……」
自分に言い聞かせるようにぶつぶつ呟きながら、俺は我が家の玄関を開けた。家の中に入ると、ゆんゆんが作る美味しそうな料理の匂いが鼻孔をくすぐる。ちょうどお昼ご飯の時間帯なのであろう。そして、ドタバタと俺を出迎える音がして思わず頬が緩んだ。
「お父さんお帰り!」
「ただいまさより。良い子にしてたか?」
「うん、いい子にしてたよ! それより、お父さんは何で昨日帰ってこなかったの?
夜に遊び歩くのは悪い子だってお母さん言ってた!」
小首を傾げながらそんな事を言い放つ娘によって俺は心に深刻なダメージを受ける。しかし、娘にバレるような事はあってはならない。だから、俺はなるだけ平常を保ちながら買収アイテムを娘へ差し出した。
「うぐっ! 確かにお父さんは悪い子だったよ……まぁ俺と違っていい子にしてたお前には褒美としてこの買ってきたプリンをやろう」
「……! 今食べて良い!?」
「ああ、昼飯を食べた後に好きなだけ食べていいぞ? もちろん、ゆんゆんとアクアの分は残せよ!」
「うん!」
満面の笑顔を見せた後、プリンが入った箱を持って小走りでリビングへ向かった娘の背を一足遅れて追いかける。リビングにつくと、さよりは箱を微笑むゆんゆんとアクアに向けて誇らしげに掲げていた。その光景を目にして、俺は再び心に深刻なダメージを受ける。大切な家族を裏切ってしまった自分自身にどうしようもない怒りを覚えてしまった。そんな俺にエプロン姿のゆんゆんが微笑みかけてきた。
「お帰りなさいカズマさん。昨日は大変だったみたいですね」
「す、すまんゆんゆん! 色々あって昨晩のうちに帰れなくてな……」
「ふふっ、変に言い訳しなくても大丈夫ですよ。事情はダスティネス家の使者に聞いています。酔っぱらってそのまま寝ちゃったんでしょう?」
「あっ……ああそうなんだ! いや、ダクネスの奴が高級ワインをどかどか出してきてな! つい飲みすぎちゃってなあ!」
「ふふっ、そうですか」
苦笑するゆんゆんはいつもと変わらない様子だ。しかし、こちらを射抜くように見る彼女の紅い両目に何故か体がゾクリと震えてしまう。まるで全てを見透かされたような気分だ。
「カズマさんは本当にしょうがない人ですね!」
「だらしない奴ですまん……」
「いいんですよ! そんなだらしない貴方も好きなんですから!」
屈託のない微笑みを浮かべるゆんゆんを俺はまともに見る事が出来なかった。それから、ゆんゆんは俺の分の昼食を追加で作り始める。とりあえずの危機を逃れた俺が視線を食卓へ移すと、そこには昼食をすでに終えて嬉しそうにプリンを頬張る娘と女神の姿があった。自然と緩んでしまった俺の視線に気付いたアクアはスプーンを置いてこちらをチラリと見てきた。
「カズマ、ダクネスは元気だった?」
「ああ、嫌なほど元気だったよ」
「ふーん……あんまりダクネスを悲しませる事はしないでちょうだいね?」
「どういう意味だ……?」
「別に、そのままの意味よ。あの子は純粋なんだから」
そう言ってから再びプリンを突き始めたアクアをしばらく見つめる。どうやら、彼女にダクネスとの情事がバレた様子はない。少し意味深な事を言った気がするが、アクアとはこのような話を実は何度もしている。だから、多分大丈夫……いや……絶対大丈夫だ。
そうやって気分を落ち着かせている俺の前に、ゆんゆんが昼食を盛りつけたお皿をコトリと置く。鼻孔をくすぐる良い匂いは苦い気分を少しだけ忘れさせてくれた。
「カズマさん、お昼出来ましたよ。炒飯……って料理なんですよね?」
「ああ、上手く出来てるじゃないか」
「貴方に教えて貰ったからこそですよ。それに、単純に炒めるだけの簡単料理じゃないですか。炒飯って食事を作る方にも優しい料理ですよね!」
クスクスと笑うゆんゆんの姿は、本当に愛おしくて仕方がなかった。だから、彼女の唇を奪う事も仕方のない事だった。そんな俺の突然のキスを彼女は驚きながらも受け入れてくれる。やはり、俺なんかにはもったいないくらいの嫁さんだ。
「んっ……さよりの前なんですから……めっ! ですよ!」
「ちょっとくらいなら大丈夫だ」
「もうっ……!」
顔を赤くしながらプンスカ怒るゆんゆんを眺めながら、私もちゅーしてと突進してきた娘を抱きとめておでこに軽くキスをする。そして、なら私もとキッチンの床下収納から突然出てきためぐみんとクリスを張り倒しながら自分の気持ちを再確認する。
家族をこれ以上裏切りたくない。
ゆんゆんとさよりの笑顔を曇らせたくない。
そう、固く決意した。
という固い決意を胸に、俺は再びバックパックを背負ってダスティネス邸へと訪れていた。先月はダクネスに対してキツイ事を言ったのは理解している。もう、彼女の家に行かない事だって考えていた。だが、俺の本心はダクネスとの“友達関係”をここで終わらせたくないと訴えていた。そして、心の片隅に少しの不安と恐怖があった。もしからしたら、精神的にダメージを受けているダクネスが俺の家族に“何か”をするかもしれない。それを未然に防ぐためにも、彼女を完全に無視する事なんて出来ない。
「俺は何を考えてるんだろうな……」
かつての仲間に対して俺が何を考えて接しようとしているのか。それを自覚して、自分に対する罪悪感や怒りが湧きおこる。でも、仕方のない事だ。知らないよりは“知って”いた方が良いと冷静な部分の俺が判断したからだ。
そして、俺はダスティネス邸の離れに足を踏み入れる。落ち込んでいるのか、それとも監禁された時のように物騒な思考になっているのか。ある程度の覚悟をして俺は緊張しながら部屋で待っていたダクネスと対面した。
「んっ……カズマじゃないか。もうここには来てくれないのかと少し不安だったんだぞ?」
「お、おう、別にお前を仲間として大切に思ってる事は変わりないし、大事な取引先だ。というか、思ったより元気そうだな」
「ほう、分かるか? 実は、良い事があってすこぶる機嫌が良いんだ。まあ、今日もゆっくり話そうじゃないか。今お茶を用意する」
そう言って、穏やかな笑顔を浮かべながらキッチンへ向かったダクネスを俺は内心で驚きながらも笑顔で見送る。自分が想定していたよりもかなり落ち着いた様子であり、正直拍子抜けした。
そのまま、穏やかな様子のダクネスとお茶をしながら会話を楽しむ。途中途中で適度に探りを入れたが、彼女の機嫌が良くて穏やかな事に嘘偽りはなかった。もう、俺を諦めて次に進むことを受け入れたのか、それともまだ俺を諦めていないのかは分からない。でも、憂い事が一つ減って胸がスッとした気分になったのは確かだ。そして、ダクネスとの時間はゆっくりと過ぎて、窓の外が暗くなってくる。そろそろお暇する時間だ。
「それじゃあダクネス、俺はそろそろ帰るぞ」
「んっ……もうそんな時間か。それじゃあ最後に私がとっておきの話をしてやろう! 耳を貸してくれ!」
「へいへい……」
どうせ、また良い酒でも手に入れたっていう類の話だろう。そう思って適当に受け入れた俺に、ウキウキとした様子で顔を寄せるダクネスは聞き捨てならない事を言い放ってくれた。
「実は妊娠したんだ。もちろん、お前の子だぞ!」
「ほーん……それは……ひょ?」
冗談はやめろ。そう言ってやりたかったが、残念ながら心当たりはある。一か月前、俺はダクネスに逆レイプされて、精液を搾り出された。しかも、事後の様子から、その全てを彼女の膣内に放った事も薄々分かっている。そんな事実を前にして、俺の脳内はパニック寸前の混乱と焦燥感でいっぱいになり、全身から嫌な汗が止まらなくなった。
「ふふっ、私もついに母親になったんだ! これで我がダスティネス家をお前との子に継がせる事が出来る!」
「ま、待て! まだ俺の子供とは決まったわけは……!」
「失礼だなカズマ。私はお前以外とは性的交渉を行っていない。それに、経緯がどうあれ、心当たりがないとは言わせないぞ?」
ニマニマとして微笑みを浮かべるダクネスに、冗談抜きに“殺意”というものが芽生える。しかし、そんな物騒な思いは瞬時に捨てる。今はそれより優先すべき事がある。
「ダクネス、体は大丈夫なのか? ちゃんと医者には診てもらったのか?」
「ああ、病院には昨日行ったさ。私自身も半信半疑だったのだが、もしやと思って行ってみたら、祝福の言葉を貰ったんだ」
「なるほど……妊娠した事は俺以外に伝えたか?」
「いいや、お前が初めてだ。お父様にもまだ内緒にしているんだぞ? やはりカズマに一番最初に……」
「良い判断だ」
俺の言葉に小首を傾げるダクネスの前で、嫌なほど冷静にこの状況を打破する手段を考える。とりあえず、打破できる可能性がある事は理解できた。それならば、後はひたすら行動に移すのみだ。
「いいかダクネス、この事は俺とお前だけの秘密だ。家族やエリス様、もちろんアクアやめぐみんにも話すなよ?」
「何故だ!? めぐみんはまだしも、お父様やエリス様に……!」
「正直言って俺も“家族”もお前を受け入れられる状況じゃない。下手したらお前の死体が出来上がる可能性だってある。そんな新たな争いの火種を作る前に俺がお前を受け入れる環境を確保する。だから、内緒……俺とダクネスだけの秘密だ」
「私とカズマだけの秘密……いいものだな……」
顔を赤らめて俯くダクネスを、俺は優しく抱きしめる。そして、彼女の耳元でこれからの方針を囁いた。妊娠の事を誰にも話さない事、準備が出来たら皆にもちゃんと伝える事、政務などは辞めて離れで絶対安静にする事。そんな、こまごまとした事を伝えた後、彼女に軽く口づけする。そして、小さく手を振るダクネスから逃げるように離れを脱出した。
そして、紅魔の里へテレポートしてから軽くお祈りする。そうすると、すぐさま光柱が現れて愛しの女神様が降臨した。
「どうしたのですかカズマさん? 何かお困りみたいですね」
「いや、さっきダクネスと会って来たんですけど、少し喧嘩になっちゃいましてね。アイツが言うには、俺との時間を誰かに見られている気がして二人の時間を楽しめないって……」
「ダクネスがそんな事を!? ですが、見られているなんて気のせいです! ダクネスとカズマさんの時間は絶対に邪魔しないというのが私達の暗黙の了解なんです! もちろん、彼女が祈りや助けを求めた時はその限りではないのですが……」
「なるほど、ありがとうございますエリス様。アイツにはその事をちゃんと説明しておきます。こんな事で呼び出してすいませんね……」
「そんな事ないですよ! 私は貴方のお役に立つ事が本望ですから!」
満面の笑みを浮かべるエリス様に俺は再度感謝の言葉を告げ、次回の“お遊び”でスゴイ事をしてやると約束して彼女と別れた。何も俺に言って来ないという事は、どうやらエリス様にもダクネスの妊娠はバレていないらしい。これで作戦決行の最低条件は揃った。
そして、俺は大量の酒を買いこんで我が家に帰宅した。家族はいつもと同じように俺を優しく出迎えてくれる。その事にとてつもない罪悪感を覚えながらも、俺は着実にやるべき事を行った。
翌日、俺は商人としての仕事を元ニート共に任せていつもより一時間早く帰宅する。しかし、向かったので我が家ではなくダクネスの屋敷であった。離れの扉を押し開いた俺を、ダクネスは驚愕の表情で見てくる。しかし、数秒後には俺の胸元に勢いよく飛び込んできた。
「カズマ! 次来るのは一か月後じゃなかったのか!?」
「身重になったダクネスを放っておくなんてできるわけないだろ? これからは毎日来てやるからな」
「っ……! カズマ……!」
目に涙を浮かべながら俺を抱きしめるダクネスの柔らかな感触が、俺の体を否応なしに刺激する。それを必死に耐えながら、俺は彼女との短いながらも二人だけの時間を謳歌する事にしたのだ。
「よし、完成だ!」
「おいカズマ、それは本当に祝福の魔法陣なのか? なんだか少し不気味な気がするぞ。というか、この魔法陣はどこかで見たような……」
「ふ、深く考えるな! ちょっとしたおまじないだから!」
「私のためにやってくれているなら嬉しいさ。それが少し怪しいモノでもな」
穏やかに微笑むダクネスの前で、俺はカーペットの裏に書いた神魔から身を隠す魔法陣に誤りがないかを確認してそれを元に戻す。この魔法陣は昨夜アクアをベロンベロンに酔わせて聞き出したものである。これを壁にデカデカと書いてはダスティネス家の人間にいらぬ疑いをかけられるため、回りくどい手段を取る事にしたのだ。
そして、バックパックから綺麗に包装された箱を取り出して目を輝かせているダクネスへと渡す。これも、昨夜に色んな所を駆けずり回って手に入れたものだ。
「ダクネス、この魔法陣の事も俺達の秘密。そんな事より、コイツを受け取ってくれ。妊娠したお前へのプレゼントって奴だ」
「カズマ……! 開けてみていいか?」
「いいぞ」
嬉しそうに包装を剥がすダクネスを俺はじっと見つめる。俺が裏で何を考えてこれを渡したのかを彼女が知ったら、どうなるのだろうか。もしバレてしまったら、ダクネスだけでなくアクアやエリス様にも殺されてしまいそうだ。
そんな俺の苦悩をよそに、ダクネスは包みから取り出した物を手にして満面の笑みを浮かべていた。俺がプレゼントしたのは2着の服である。彼女の好みはイマイチ分からないため、漆黒と純白の両方を用意したのだ。
「これはドレスか! なあ、さっそく着てみてもいいか!?」
「もちろん、そのためにプレゼントしたんだからな」
「ありがとうカズマ……! ふふっ、私のための贈り物か……!」
ダクネスがニヨニヨしながら寝室に引っ込んでから数分後、彼女は純白の方のドレスを着て俺の前に現れる。いつもよりゆったりとしたドレスに身を包んだ彼女をなんだかんだで可愛く思ってしまった自分に内心に呆れてしまった。
「その……似合うだろうか……?」
「ああ、似合ってる。天使みたいだ」
「お、お前は急に何を言うんだ!? この私が天使だなんて……!」
「謙遜するな。むしろ、ダクネスは天使なんかより可愛くて綺麗だぞ」
「ひぅ……!」
俺の臭い言葉に耳まで真っ赤にして俯くダクネスの頭を軽く撫でる。見た限りサイズは問題ない。これなら、2~3カ月は何とか誤魔化す事が出来そうだ。
「重ねて言うが、ありがとうカズマ……本当に嬉しいんだ……」
「感謝の言葉は素直に受け取れないな。そのマタニティドレスは他者の目を欺くためのものだ。そんな事をしなくてもいいように、俺の家族を説得して見せる。だから、少しだけ辛抱してくれ」
「お前の頼みなら断れないな」
クスリと笑うダクネスは俺の腕をそっと手に取って俺を引き寄せる。彼女と唇を重ねられそうなほど顔を近くに寄せる事になってしまい、少しだけ情欲が鎌首をもたげるが慌てて振り払った。
「なあカズマ、私のお腹を撫でてくれないか? きっとお腹の中の子も父親であるお前の愛撫を待ち望んでいるはずだ」
「…………」
「だから……あっ……!」
気付けば、俺はダクネスの手を思いっきり振り払っていた。驚愕と悲しみをごちゃまぜにしたような表情を浮かべる彼女の頭を俺は落ち着かせるように撫でる。何というか、今の俺は色々と危ない気がした。
「ダクネス、実は妊婦のお腹を撫でるのはやめた方が良い行為らしい。分かってくれるか?」
「むっ……それなら仕方ないか……」
渋々引き下がったダクネスを軽く抱きしめてやる。そうすると、彼女は無言で俺の胸元に顔を埋めてきた。そのまま、一時間ほど同じ体勢で他愛もない話を楽しむ。それから、夕日が沈んだのを合図に俺は彼女に別れを告げた。明日もまたくる。そんな別れ際の一言に彼女は目元を潤ませていた。
そして、ダクネスの家から帰って来た俺を家族はいつもと同じように笑顔で出迎える。一番に俺に飛び込んでくるさより、エプロンを着て美味しそうな匂いを漂わせながら労いの言葉をかけてくれるゆんゆん、無邪気にお土産はないのと騒ぐメイド姿のアクア、ボロボロのクリスとめぐみんを噛み噛みしているじゃりめ。
笑顔で家族の輪に加わりながらも、心の中でドス黒いものが渦巻いている。こんな憂いは一刻も早くなくしたかった。だからこそ、俺は自分では手をつけなかった我が家の蔵書や売り物ように確保していた魔導書や、物々交換で手に入れた怪しげな本を読み漁る。俺が求めるものは決して人には聞けない。女神の目がある以上、悪魔にも頼れない。地道に調べるしか方法がなかったのだ。
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後ろ暗い事を調べ始めてから2か月が経過してしまった。あれから毎日ダクネスの所に密かに顔を出しているが、少しずつではあるが膨らみ始めたお腹を目にして愛着を持ちそうになるのを必死に堪える。しかし、調査の進展は全くないため焦りは最高潮に達していた。
今日も今日とて調べもの。本がうず高く積まれた書斎机にイライラをぶつけるように頭を打ち付ける。族長の家や、里の図書館にあった本にも俺の求める情報はない。おまけに、残された時間も少ない。こんな事になるなら、ダクネスの精神を壊す覚悟で素直に思いを告げれば良かった。どうせ、最終的に彼女は……
「カズマさん、まだ寝ないんです?」
「俺は少し調べものがあるんだ。悪いが……先に寝ててくれ……」
「いいえ、今日はそうは行きませんよ。最近の貴方はずっとそう言って夜更かしするじゃないですか。人手がいるなら私も手伝います。それが嫌ならせめて傍にいる事を許してください。本当に心配してるんです」
「ゆんゆん……」
ノックもせずに部屋に入って来たゆんゆんが心配そうにこちらを見つめてくる。俺は彼女に上手い言葉を返せずに黙り込むしかなかった。そんな俺を見て、ゆんゆんはクスクスと笑う。そして、椅子に座る俺を背後からギュッと抱きしめて、耳元で優しく囁いた。
「カズマさんがどんな事で悩んでいるかは分かりません。でも、辛いなら私を頼ってください。頼れないというのなら、せめて貴方の思いを楽にさせたい……癒してあげたいんです……だって私は貴方の妻なんですよ?」
その言葉に俺は心身ともにノックダウンする。ゆんゆんが俺にくれた安らぎは正に女神級だ。全ては話せないにしても、今の自分の正直な気持ちを伝える事にした。
「うっ……分かった降参だ! 俺は悩んでいたというより不安でいっぱいだったんだよ。この世界には俺が元いた世界より格段に物騒だ。そんな世界で生き抜くために脅威となる術式や敵について知識だけでもできるだけ知っておく必要があるんだよ」
「なるほど、物騒な世界である事は同意です。数年前には実際に人類の存亡に関わる戦いをしてましたからね。でも、何故今になってそんな事を気にするんですか? カズマさんが用心深いのは知っていますけど、今更というか……」
ゆんゆんは困惑気味に苦笑しながらも、安心させるように俺の頭を優しく撫でてくる。いつもとは逆の立ち位置になっている自分が本当に情けない。でも、精神的に参り気味な俺には彼女の愛撫に抗えるわけがなかった。
「俺は今の生活を心から幸せだと思っている。だからこそ怖い。俺はお前やさより……ついでに毛玉とアクアを絶対に失いたくない。家族の幸せを壊されたくないんだ! 正直言ってこんな情けない姿を家族には見せたくなかったんだがな」
「それこそ今更ですよ。貴方が臆病なのは前から知っていて……って痛い痛いっ!? なんでおさげを引っ張るんですかカズマさん!?」
「お、俺は臆病じゃないからな! 慎重なだけだから!」
彼女のおさげを軽く引っ張りながら心がスッキリした事を自覚する。思えば、最近は調べ物や罪悪感のせいで家族から一歩引いていた気がする。ゆんゆんが俺に構ってきたのも納得だ。コイツはさびしんぼうの構ってちゃんだからな……
「いたた……とにかくカズマさんが心配しすぎなのは確かです! 危険なモンスターや術がこの世界に溢れているのは確かですけど、紅魔族に加えてアクアさんとエリスさんっていう女神まで私達を守っていてくれているんですよ?」
「うっ……それはそうだが……」
「だから心配する必要は多分ないです! それに、人に害為すモンスターなどについての知識をつけたいならいいものがありますよ! ちょっと待っていてくださいね!」
そう言って勢いよく部屋を飛び出したゆんゆんは大きな本を抱えて戻って来た。そして、彼女から受け取った本を見て少し驚いた。
「これは……図鑑か? なになに、『この怪物にパッと来たらお祈りを!』……なにこれ?」
「ふふっ、これはエリス様がさよりの教育に使って欲しいって、つい先日くれた図鑑なんですよ。内容は女神様が退治すべき怪物について紹介するっていうものなんですけど、怪物の特徴とかがかなり詳しく書いてあるんです。私もさよりと一緒に読んでいて感心したんですよ!」
「ほう……」
パラパラとめくって絵本の内容を少し見てみるが、確かに怪物についての特徴や危険度、対策方法が美麗な絵付きで詳しく説明されていた。そして、何気なく開いたページに目が釘付けになる。そこには、白骨の山の上で凶悪な笑みを浮かべるウィズと、それに対峙するエリス様と俺っぽい冒険者の男の絵があった。
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怪物No66 “リッチー”
禁呪の秘術で不死性と膨大な魔力を手に入れた墜ちた人間。強力な魔法とアンデッドスキルで人間達を弄ぶ。魔法の実験という名の虐殺を引き起こし、自らの魔力を高めるために人間の生命エネルギーを吸いつくして数多の屍を量産する。そして、死者をアンデッドにして死んだ者たちの尊厳すら奪う忌むべき背教者。
要注意スキルは生命エネルギーを吸収する“ドレインタッチ”と様々な状態異常を引き起こす“不死王の手”である。これらのスキルで生きたままリッチーに捕縛された場合、死ぬより悲惨な目に会う事は確実である。
対策方法:救いを求めて神に祈りましょう! 貴方の願いは女神エリスに必ず届きます!
「うーむ、エリス様には悪いけどこの図鑑は物凄く当てにならない気がするぞ」
「いえ、確かにウィズさんの絵を使っているのは少しムッとしましたが、あの人が例外なだけでリッチーって本当は凄く恐ろしい怪物なのは紛れもない真実なんですよ?」
「俺が言いたかったのはそこじゃないんだが……まあいいか……」
とにかく、この図鑑をのリッチーの項目を見て俺はある事を思いついてしまった。今まで必死に探していた外法に成り得るものを自分はすでに持っていたのだ。灯台下暗しというものだろうか。後は詳細を調べるだけ。的も絞れたので答えに辿り着く日も近いだろう。
「ありがとうゆんゆん。やっぱり、お前は最高の嫁さんだ」
「ふふっ、カズマさんも最高の夫ですよ!」
「そうか……」
それだけは絶対ない。そんな事を大声で叫びたかった。
「さて、今日の調べものはこれくらいにしてベッドに行きましょう? ちなみにさよりはアクアさんと一緒にぐっすりです。後は……分かりますね……?」
「まったく、しょうがねえなぁ……」
「しょ、しょうがなくないです! 夫婦の営みは家族円満の秘訣で……ふみゅっ!?」
書斎机にゆんゆんを押し倒し、服を脱ぎ捨てながら俺は計画を頭で練っていく。そして、抱きなれた彼女の肉体と快楽に溺れながらゆっくりと意識を落とした。
それから約一か月後、調査によって手に入れたいくつかの確証をもとに作戦を実行する事にした。この作戦の肝は俺がずっとお世話になっているアンデッドスキル“ドレインタッチ”だ。今まで俺はこのスキルで魔力を吸ったりめぐみんに譲渡したりと便利に使っていたが、アンデッド達はそんなせこい使い方ではなく、文字通り骨と皮になるまで魔力を吸うために使うのだ。これは加減しなければ人を殺せるスキルである事を意味している。
そして、以前めぐみんからゼル帝にドレインタッチを使ってはいけないという注意を受けた事が作戦のヒントになった。
ダクネスのような生命力が強い人間はドレインタッチを受けても死にはしない。
でも、“ひよこ”が耐えられるとは限らない。
のそりとベッドから起き上がった俺は両隣にいる温もりを確かめるようにゆんゆんとさよりをそっと抱き寄せる。そして、一息ついてからテレポートの魔法を唱えた。
周囲の光景は寝室から毎日通い詰めて馴染み深い場所となったダスティネス邸の離れへと変化する。そして、持っていた合鍵で扉を開けて一直線に寝室へと向かい、豪奢な天蓋付きベッドで穏やかに眠るダクネスの枕元に立つ。彼女の無防備な寝顔を目に焼き付けるようにしばらく眺めた後、彼女の毛布を取り払う。
ダクネスは、俺がプレゼントした漆黒のドレスを着ていた。その事にひどく胸を痛めたが、背に腹は代えられない。今の幸せを維持するためにも、存在してはならないものだ。だから、俺は右手にドレインタッチを発動させた。後は、ほんの少し膨らんでいる彼女のお腹に手を直接押し当てるだけだ。
これで、全てが“無かった”事になる。
だが、俺の手はなかなか動いてくれなかった。本当にこれでいいのかと叫ぶ俺と、早くやってしまえと怒鳴る俺が頭の中で言い争っている。おまけに、ドレインタッチを発動させるには彼女のお腹に触れるしかない。それは、俺がダクネスの妊娠が発覚してからずっと避けていた行為で……
「んっ……カズマ……か……?」
「っ……!」
「やっぱりカズマじゃないか。まさか私の寝込みを襲いに来たのか?」
どこか期待するような表情でダクネスが、ゆっくりとベッドから身を起こす。そして、手を差し出した状態で固まっている俺を見て彼女は朗らかな笑顔を浮かべて見せた。
「ふむ、もしや私のお腹でも触りに来たのか? 私が触って欲しいって頼んでも、お前は頑なに触らなかったが、視線はいつも私のお腹。本当は触りたかったんだろう?」
「いや……俺は……!」
思わずしどろもどろになる俺にダクネスは少し怪訝な目で見てくる。とにかく、彼女が起きてしまっては作戦どころじゃない。何か理由をつけてさっさと帰ろう。そう思って俺が手を引っ込めようとした時、ダクネスが俺の手をガッチリ掴んできた。慌てて彼女から逃れようとするが、元々力では敵わないうえに身重という事でつい力を入れる事を躊躇してしまった。
「カズマ、せっかくの機会だ。この事も含めて改めてお前とゆっくり話がしたいんだ。少しくらいの夜更かしは構わないだろう?」
彼女の申し出に、俺は無言でコクコクと頷く事しか出来なかった。そして、二人でベッドに座ってしばらく無言の時間が流れる。横目でチラリとダクネスの様子を伺うと、彼女は目を細めながらお腹をそっと撫でていた。俺はというと、さっき自分がやらかそうとした事をダクネスにバレていないか不安であった。
「なあカズマ、私は妊娠が分かってからずっと浮かれていた。そのせいでお前への謝罪を忘れていた。だから改めて言う。すまない……ごめんなさいカズマ……」
「お、おう急にどうした?」
「分かっているだろう? お前を襲って挙句に妊娠した事を謝罪しているんだ。お前にとっては不本意な事だろう?」
「それに関して全てを否定はしない。でも、妊娠しちまったんもんはしょうがねえだろ……」
俺の言葉に、ダクネスは苦笑を浮かべる。そして、自分のお腹を愛おしそうに撫でながらポツリポツリと語り出した。
「私はな、とても焦っていたんだ。意中の相手であるお前と仲が進展するどころかどんどん疎遠になっていく事に耐えられなかった。それに、最近は時間というものを意識するようになったんだ。お前と知り合ってから気が付けば7、8年経っている。そろそろ、私の“女”としての残り時間も少なくなってきた。だから、子供が欲しかったんだ……」
「相変わらずダクネスはバカだな。お前が女として終わる事なんか死ぬまでねーよ」
「きゅ、急に口説くな……! とにかく、経緯はどうあれ私は妊娠した事をとても嬉しく思っている。しかも、お前との子だ……私の夢だったんだ……」
母親としての表情を見せるダクネスを俺はまともに見る事が出来ない。そして、さっきまで自分がやろうとしていた事の罪の重さを改めて自覚する。もし、作戦に成功していたら彼女がどのようになるかは未知数であったが、少なくとも精神的に壊れる事は今の彼女の様子を見て嫌でも分かった。それなのに俺は……
「子を産むことは貴族の女としての義務だ。でも、絶対というわけではない。我がダスティネス家にも親戚やいわゆる分家というものが存在している。中には、ダスティネス家の当主になっても問題ないし、むしろ適していると私自身思う者もいる。でも、ダスティネス家の血と伝統と歴史は私のかけがえのない誇りだ。その誇りある座に私の子供を……愛した男との子供につかせたいんだ……」
「ダクネス……」
「ふふっ、よく聞く後宮の跡継ぎをめぐっての女の争いもあまりバカに出来なくなったな。まだ生まれてもいないが、愛する子供が栄誉ある座につく事は私にとっての至上の喜びなんだ」
ダクネスはそう言ってクスリと笑った後、俺の手をそっと手に取る。そして、俺の手を彼女のお腹へ押し当てた。ドレス越しに彼女の体温が伝わり、この中に俺の“子供”がいる事を嫌でも自覚してしまう。だから、彼女のお腹には触りたくなかった。俺の子供を殺すなんて事を思いたくなかったのだ。でも、もう逃れられない。この中にいるのは俺の子だ。
「ありがとうカズマ、お前の本意ではないだろうが私は幸せだ。この子は私一人で育てるから大丈夫だ。お前はゆんゆんとさよりちゃんを大切にするんだ……」
「ダクネス……! お前は何を言って……!?」
「無理をしなくてもいい……私はこれ以上の幸せは望まない……この子がいるならカズマだって……カズマ……かずま……」
目に大粒の涙を溜め始めたダクネスが、俺の顔を上目遣いで覗き込んでくる。彼女の弱々しくて不安そうな表情が、俺の心を更に苦しめた。そして、心の奥底に沈めていた欲求が出てきそうになるのを必死に抑えた。
「カズマ、これだけは約束してくれ。この子をお前の子供として認知してくれ。そして、一か月に一回……いや、一年で一度だけでいいからこの子の父親として……私の夫として一緒に過ごしてくれないか……?」
「分かったよ。でも、一年で一度って提案は却下だ。これからも毎日来るからな……」
「かずまっ……!」
ぎゅっと抱き着いて来たダクネスを受け止めながら、ここに来た当初とは真逆の思いが強くなっているのを自覚する。これからどうすればいいのか先の事は何一つ考えられない。でも、彼女の願いは出来るだけ叶えてやりたいと心から思った。
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虫の鳴き声と草木が揺れる音が静かに響く暗闇の中、俺は家の庭のベンチに座り、夜風で混乱気味の頭を冷やしていた。ダクネスの妊娠をこれ以上隠し通す事は厳しい。愚かな作戦も中止した以上、いずれはゆんゆんにも話さなくてはならない事だ。
しかし、今すぐ話す勇気はなかった。彼女がどんな表情をするのか、俺に愛想を尽かすのではないかと考えると怖くてたまらない。ゆんゆんの浮気をしても構わない発言は、以前のめぐみんと同じような一種の強がりである事は理解している。ゆんゆんは俺の浮気を許してくれるだろうが、彼女の心に大きな傷を残す事も確実だ。それに、ダクネスと彼女の子供、との付き合いを考えると……
「どうすりゃいいんだ……」
思わず頭を抱えて項垂れる俺の元に一つの足音が近づいて来た。顔を上げると、何やらニヤニヤとした表情のアクアが目の前に立っていた。
「なになにカズマ! 困っている事があるなら私を頼ってもいいのよ!」
「急に出てくんなよアクア。俺は色々と悩んでいるんだよ……」
「だからこそ私の出番でしょ! さあ頼って! 女神である私に助けてくださいアクア様って泣きながら縋り付きなさいよ! 女神よ! 私は女神様なのよ!?」
「分かったから落ち着け。助けてくださいアクア様……」
「ふふーん! 私に救いを求めるのは良い判断よ! でも、相談料として今度一緒に二人で……!」
「助けてくださいエリ……」
「待って! 変な対価は要求しないからそれだけはやめて! 私だけを頼りなさいよおおおお!」
グスグスと泣きながら座り込んだアクアを見て俺は素直に驚く。何だか、アクアの様子も少しおかしい気がする。まぁ、コイツまで構っていられる余裕はない。それに、アクアの扱いは熟知している。とりあえず、適当に煽てておけばいいのだ。
「悪かったよアクア。困っているのは本当だ。正直どうすればいいか分からない……お前に泣きつきたい気分だ……」
「あら、思った以上に悩んでいるのは本当みたいね。いいわ、この私に話してみなさい。話すだけ楽になる事だってあるのよ?」
俺の隣に腰かけるアクアは体を少し密着させてくる。その気持ちの良い体温と柔らかさを感じながら、色んな意味で重くなってしまった口を開いた。
「実はダクネスが俺の子を妊娠してしまってな……」
「なによ、そんな事で悩んでたの? それならこのアクア様に……んっ……? ごめんなさいカズマ、もう一回言って? よく聞こえなかったの」
「ダクネスを孕ませちまった……」
「…………」
無表情で固まってしまったアクアに、俺は仕方なく今までの出来事を話す事にした。ダクネスに昏睡レイプされて中出ししまくった事、妊娠した事をアクアやゆんゆん達に内緒にして、これからどうするか一人で思い悩んでいた事……
全てを話し終えてスッキリした俺は、気分がいくらか楽になる。対して、アクアは無表情ながらも顔中にダラダラと玉汗をつけていた。どうやら、彼女にとっても予想外の事態であったようだ。
「まったく、最初の威勢はどうしたんだよ? それとも、怒っているのか……?」
「ち、違うわ……アンタの話をよく理解出来なかったのよ……」
「お前……」
「ちょっと! その生暖かい目はやめて! 本当に理解出来ないのよ! そもそも前提がおかしいの! だってダクネスは……そんな……なんで……もしかして……!」
言葉が尻すぼみになるアクアを思わず怪訝な目つきで見てしまう。そんな俺の表情を見たからだろうか、彼女は言葉を震わせながら言い放った。
「ダクネスは妊娠なんかしてないわよ……?」
冗談はよしてくれと言ってやりたがったが、彼女から感じる焦りと恐怖は本物であった。俺は目線でアクアにそれは本当かと問いかける。そうすると、彼女はコクコクと首を前に振った。
「私でも忘れそうになるのだけど、私が女神である事は変わりようがない事実よ。女神は人間の宿す命の光を見る事だってできるわ。命の光が強いものには加護を、命の光が弱い者には救いを、新たな命の光には祝福をってね?」
「やっぱ女神って何でもありなんだな……お前の見間違いって事はないのか……?」
「それだけはないわ! 私のくもりなきまなこはダクネスの命の光しか見ていないの。妊婦になったら母体の光が強くなる上に新たな命が重なって強い輝きを放つの。でもダクネスの光は今までと変わらないし、二重に見えた事はない……もちろん昨日会った時もね……」
悲しそうに語るアクアの声は相変わらず震えている。かくいう俺も、妊娠が嘘だったと分かって安心する一方で、それ以上の恐怖を前に思わず頭がクラクラしてしまった。
「なあアクア……これってかなりマズくないか……?」
「もうマズイってレベルじゃすまないわよ……」
二人して力なく夜空を見上げる。そして、仲良く大きな溜息をついた。
そして、次の日は朝からダスティネス邸の離れへと赴いていた。玄関の前で、俺は息を整える。そんな俺を安心させるように、両隣にいた女神が背中を撫でてくれた。そんな二人の女神達の顔もかなり暗いものになっている。彼女達でさえ、確実な対処法を思いつく事が出来なかったのだ。
「朝から随分気が重い事を話してくれましたね。確かに、ダクネスがゆったりした服を着始めたり、どこか浮かれている様子だったのは知っていましたが……」
「仕方ないでしょ? もしかしたら私の見間違いって事もあるから女神であるアンタにも見て貰いたいの。それに、もし予想通りの結果だったら私一人じゃ正直キツいのよ」
「俺からも頼みますよエリス様。多分、アイツも貴方の言葉ならちゃんと聞いてくれると思うんです……」
「分かっていますよ。私だってダクネスの事は放っておけませんから……」
小さく微笑むエリス様に俺は両手を合わせてお祈りする。それから、覚悟を決めて離れの扉を開け放った。件のダクネスはソファーに座って穏やかな表情でお腹を撫でていた。そして、そんなダクネスをアクアとエリス様は目を細めてじっくりと見る。俺はバクバクと跳ねる心臓を抑えながら、小声で真実を聞く事にした。
「なあダクネスは……」
「ううっ……!」
「ど、どうしましょう……」
「おう、言わなくても分かったぞ」
つまりは、そういう事らしい。
この世界の妊娠検査はあくまで本人による自己申告……体温や妊娠の初期症状、生理不順を聞いて医者や神官が妊娠したかどうか判断を下す前時代的なものらしい。エコーや検査薬がないので当たり前と言えば当たり前なのだが、ゆんゆんが普通に出産したのであまりダクネスの妊娠を疑問に思う事はなかった。
そして、アクア達によるとダクネスの症状はこの世界では“よくある事”らしい。子供を産むことに対するプレッシャーは地球の女性とは比較にならないという事だ。
だが、実際に目にするとなるとどうしていいか分からない。こうして3人でおろおろしているうちに、ダクネスが俺達の存在に気付いてしまった。
「カズマ! それにアクアにエリス様も! 今日は朝から大所帯だな!」
「お、おう……お前にちょっと用があってな……」
「私に? ふむ、もしかして……ついに話すのか!?」
「いや、そうじゃなくてだな! その……どうすりゃいいアクア!?」
「うぇ!? そんな事言われても私も分かんないわよ! どうすればいいのエリス!?」
「アクア先輩、まずは落ち着きましょう」
あたふたと責任の押し付け合いをする俺達を見てダクネスは訳知り顔でうんうんと頷く。そして、俺の横に並んで自慢するかのように自らのお腹を愛おしそうに撫でて見せた。
「すまないエリス様、そしてアクア。実は私はカズマの子を妊娠したんだ。正直、これからゆんゆんとどう折り合いをつけるか不透明だし不安でいっぱいだ。それでも、貴方達が協力してくれるなら私も安心だ。だから、この子を祝福して欲しい……」
「ダクネス……!」
「安心しろカズマ。この事についてはお前ではなく私に責任がある。ゆんゆんやアクア達にも真実を話してお前が無罪だと証明するからな」
「そうじゃなくて……ああもう本当にどうすりゃいいんだよ!」
思わず髪を掻き毟る俺にダクネスが軽くタッチングをしてくる。彼女の表情は曇りなき満面の笑みだ。これを再び絶望に叩きこむのは俺であってもキツイものがあった。だが、狼狽えてる俺の横で、さっきまで同じく狼狽えていたアクアはいつの間にか覚悟を決めていたようだ。
「ダクネス、貴方には今からとても辛い真実を告げるわ。でも、、どうか今から私のいう事を落ち着いて聞いてちょうだい」
「ああ、罵詈雑言でも何でも受け止める所存だ」
「ならはっきり言うわ。ダクネス、貴方は妊娠なんかしてない。そう思い込んでるだけなの……」
悲痛な表情で真実を告げたアクアをダクネスは不機嫌そうに見つめる。そして、大きな溜息を吐いてから彼女はアクアの手を取って自分のお腹へと押し当てた。
「アクア、悪いがその手の冗談は良くないな。この通り、私のお腹はちょっと膨らんでいる。妊娠三カ月……私の子供はここにいる!」
「人間の思い込みって良くも悪くも凄いものなの。貴方の心の変化に合わせて体が変化しただけ。実際は少しお腹が張っている“だけ”よ」
「ふふっ、お前がバカだと思う事は以前にもあったが今日ほどそう思った事はないな。もう生理だって来ていないし、つわりによって毎日のように吐いている。それに、最近は酸っぱいものも食べたくなってきたんだ。そんな私が妊娠していないとでも?」
「ええ、事実は変わらないわ。ダクネス、アンタは妊娠してないわ」
妊娠してない。そう言い切ったアクアをダクネスは茫然と眺めていた。そして、ペタンと床に崩れ落ちる。彼女の両目からは大粒の涙が溢れ出ていた。そして、ソファー近くの籠を引き寄せて中身をぶちまける。そこには、俺にとって少し懐かしいもの……数多のベビー用品が詰まっていた。
「なあアクア、この産着は良く出来てると思わないか? 花嫁修業で裁縫だって出来るようになったんだ! だから、私の子供につける予定の名前だって事前に縫い付けたよ。私の第一子は男の子な気がするんだ。だから……」
「もういいのよダクネス」
「こっちは見様見真似で職人に作らせたでんでん太鼓だ。アクアが見せてくれたカズマの写真……カズマの母親が小さなカズマとこの玩具を持って笑顔を浮かべる写真が妙に印象に残ったんだ。私も、あんな幸せそうな表情をしてみたい……母親になりたいんだ……」
「もういいの」
俺とエリス様が固まっている中、アクアはダクネスと一人で対峙している。微動だにも出来ない緊張感の中、ダクネスは自分の体を抱きしめるように縮こまる。そして、小さな嗚咽が聞こえてきた。
「それに、カズマが毎日来てくれるようになった。毎日が夢のようだったんだ。それに、私にこんな素敵な服をプレゼントしてくれた……嬉しかった……綺麗だって褒めてくれた……どうしようもなく幸せだった……!」
「心と体は正に一心同体。ダクネスの強い思いに体が応えてくれたの。でも、それは体にとっても良くない事、貴方の心にも良くない事。だから、私がその状態異常……“想像妊娠”を治療してあげるわ」
「待ってくれ! 本当に何かの間違いじゃないのか!? そうだ、実は嫉妬しているんだろうアクア! 私が妊娠した事が、お前より先に妊娠した事が憎くてたまらないだろう!? だから私の子供を……赤ちゃんを……!」
「“セイクリッド・ハイネスヒール!”」
アクアがダクネスのお腹に手を当てながら回復魔法を唱える。強い光の中でダクネスは茫然とした表情を浮かべていた。そして、光が収まった頃にはダクネスの少しだけ膨らんでいたお腹がしぼんでいた。アクアは確認するかのようにダクネスのお腹を手で叩く。すると、コンコンという硬質な音が静かな部屋に響き渡った。
「ふうっ……土壇場でやってみたけど偽妊娠にも回復魔法は効くのね。ダクネス、辛いだろうけど……あうっ!?」
「返せええええええっ! 私の赤ちゃんを返せ返せ返せ返せえええええぇっ!」
「お、落ち着けダクネス! アクアはお前の為を思ってだな……!」
憤怒の表情を浮かべてアクアを突き飛ばしたダクネスを慌てて羽交い絞めにする。彼女は怒りに任せて俺を振りほどこうとするが、比較的非力な俺の拘束にもがく事しか出来ていない。どうやら、力を入れる気力すら体の方にないようだ。
「妊娠してないなんて嘘だ! 私が羨ましかったんだろう!? だからお前は……!」
「ち、違うわよダクネス! そんな事は絶対ないわ! これは貴方のためなの!」
「いいや違う! お前は女神失格だ! 人でなしだ! 人殺しだ! 返せ! 私の赤ちゃんを……!?」
パシンという肌を叩く音が暴れるダクネスを大人しくさせた。そして、彼女の頬が真っ赤に腫れる。手を出したのは、いままで固まっていたエリス様だ。彼女は小さく溜息をついてから、アクアを助け起こす。そして、俺の方へアクアをそっと押し出してから再びダクネスと向き合った。
「ダクネス、貴方の言葉を聞いて分かりました。貴方、全部分かっていながらやっていましたね?」
「っ……」
「否定はしないのですか? そんなにカズマさんが毎日来てくれる事が嬉しかったのですか?」
「…………」
エリス様に顔を張られて茫然とするダクネスは、焦点の合わない目で虚空を見つめていた。それを見て、エリス様は再び大きくため息をつく。ダクネスの肩が、ビクリと震えた。
「昔の貴方は高潔で聡明で信心深い子でした」
「…………」
「でも、今では私と同じくらい“浅ましい女”になってしまいましたね……」
エリス様がそっとダクネスの頬を撫でる。そして、ダクネスは聞き取れないほど小さな声でぶつぶつと言いながら滂沱の涙を流していた。
「カズマさん、アクア先輩、この子はしばらく私に任せてください。出来る限りの事はしてみます」
俺達に背を向けるエリス様の表情がどんなものかは分からない。でも、俺とアクアは彼女に頷きを返してから静かに立ち去った。玄関の扉を閉めるその瞬間、小さいながらも俺を呼ぶ声がはっきりと聞こえてしまった。
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それから一か月後、俺は重い足どりでダスティネス邸へとたどり着く。離れに入ると、メイド服姿のクリスと俺のプレゼントした服を着て大きなお腹を撫でるダクネスがいた。ダクネスは、俺が来たことに対して子供のような無邪気な微笑みを見せ、妊娠したと報告してきた。
そして、そんなダクネスにクリスが容赦のない腹パンをした。お腹に詰めていた水枕が床に落下し、ダクネスが泣きじゃくる。流石に可哀相だとクリスを諫めるが、ある程度の荒療治は必要だと突っぱねられた。その日は、ひたすらダクネスを撫でる事しか出来なかった。
三か月目、俺はまたもダスティネス家の門をくぐる。この頃のダクネスは俺が来ても無反応を示すようになった。だが、笑顔を浮かべながら一人で人形をあやし、お腹を撫でる彼女の姿はとても見ていられなかった。エリス様によると、今までのダクネスはいわゆる“演技”をしていたらしい。
しかし、今の状態は本物。狂人を演じているうちに本当に狂ってしまったらしい。エリス様は、治療は順調だと言っていたが少し疑わしい。天井に血文字で書かれた複雑な魔法陣があったが、それが何かを彼女に聞くと秘密ですと言われた。可愛い……
五か月目、ダクネスの親父さんが俺に土下座をしてきた。ダクネスを奴隷でもいいから引き取って欲しいという親にあるまじき発言をしてきた。曰く、あの子は私に似て随分と一途で頑固な性格になってしまったと……
そして、ダクネスの親父さんはゆんゆん、めぐみんの父親と恐ろしい契約をしていた事を告白した。この契約のおかげで娘の幸せは確実だと思っていた。しかし、これによって幸せを手に入れるのは娘のプライドを傷つける。だから、発破をかけるつもりで年齢と跡目の事で少しプレッシャーをかけて結果的に追いつめてしまったと泣きながら謝罪する彼の事を、ダクネス同様まともに見る事が出来なかった。
とりあえず、貴方が一途な姿勢をやめて、貴方が跡目を作ってしまえばいいと助言したらグーで殴られた。ムカツいたので、バインドで縛ってヤバゲな目つきをしたメイド達に親父さんを引き渡した。
ズルズルと彼を寝室へ引きずっていくメイド集団の一人が言い放った「旦那様はまだ頑張れます! 大丈夫! 貧乏ですけど私も貴族なんですよ! 純血を産みましょう!」というセリフがやけに記憶に残った。
その日の夜、俺はゆんゆんにメイド服を着せた。
八カ月目、焦点の合っていなかったダクネスの瞳に光が戻り始めた。俺を笑顔で歓迎し、食事を一緒に楽しむ余裕も取り戻してくれた。どうやら、エリス様の荒療治が効いたらしい。
しかし、いざ会話をしてみると所々話が嚙み合わなかったり、ひたすら今までの自分の反省と謝罪を泣きながら繰り返すという事が何度もあった。
そして、彼女が語る夢に心が打ちのめされる。幸せな結婚生活、子供につける予定の名前、家族との平凡な日常。私の分まで謳歌してくれと懇願するダクネスに、少しだけ苛立った。
そして、とうとう一年が経過した。ダクネスは完全ではないものの人間としての生活を普通に営める程度には回復した。だが、完全に治ったわけではない。彼女が突然泣き出すのをどうしたら止められるのか。発作的に起こる偽妊娠を完全になくすにはどうしたらいいのか。
気が付けば、俺はエリス様に土下座しながら泣きついていた。
「ダクネスを完璧に治したい? まあ治療できない事はないですよ?」
「頼みますよエリス様! もうアイツのあんな姿を見るのはコリゴリなんですよ! ゆんゆんとさよりと過ごす幸せな日々に少しだけ後ろめたい気持ちを持つのも嫌なんです! だから、どうすれば……!」
「どうすればいいかなんて、カズマさんはよくご存知なはずですよ」
慈しむように俺の頭を撫でるエリス様は困ったような表情を浮かべていた。それから、俺の事を優しく抱擁しながら、耳元でそっと囁いた。
「ダクネスは頑固な子です。カズマさん以外では幸せにする事はできません。本当に彼女を幸せにしたいなら、貴方が折れるしかないんです」
「でも、俺にはゆんゆんとさよりが……」
「私は許します。でも、ゆんゆんさんが許すかどうかは貴方次第。ダクネスを諦める事も一つの手ですよ?」
「俺は……」
正直言ってダクネスは見捨てるつもりだった。でもここ数か月の彼女の姿を見て、俺の心も揺らいでしまった。でも、家族を失いたくはない……
「後は貴方次第です。別に深く考えなくてもいいんです。“餞別”を送って縁を切るという考え方だってあるんですよ?」
「…………」
「ふふっ、ハーレムなんて馬鹿げた関係に真の幸せなんてありません。でも、妥協はできる。悩んで悩んで悩み抜いてくださいカズマさん。そして覚えておいてください。私だって、貴方じゃないと幸せに出来ない女性の一人なんですよ?」
朗らかに笑うエリス様に俺は無言を返す事しか出来なかった。
そして、その日の深夜、俺はゆんゆんと少量のお酒を楽しんでいた。さっきまで、二人してさよりの無限ループ絵本読みに付き合っていたのだ。若干の疲労はあるもの、自然と朗らかな微笑みが浮かんでしまう。そんな気持ちの良い疲労だった。
「カズマさん、そろそろ寝ましょうか。えっちな事は……溜まっているなら口でしてあげますよ?」
「いやいい。それより、今から俺はお前に最低な質問をする。深く考えず、自分の気持ちに素直になって答えてくれ。いいか?」
「急になんですか? また、“ろーるぷれいんぐえっち”の話ですか?」
「ちげーよ! それより最低な話だ。いいか、即答しろよ! 考えるなよ!」
「はいはい」
微笑むゆんゆんの表情を崩したくない。でも、聞かずにはいられない。だから、俺は最低最悪な質問を彼女に投げかけた。
「ゆんゆん、ダクネスとの間に子供を作っていいか?」
クスクスと笑うゆんゆんの笑い声が、静かな部屋に響き渡った。
「カズマさんは本当にしょうがない人ですね……」
言葉を告げる一瞬、彼女の顔が僅かに歪んだ。
ダクネスママ……だと……!?
最高の具材を前に手を出せない苦悩……!
次回こそエロとギャグ回ですよ!(多分)