誰かが俺を呼ぶ声がする。苛立ちと不機嫌が混じったその声は泥のように濁った意識を揺り動かし、鉛のように思い体に活力を与えてくれた。だが、重い瞼に差し込んでくる朝日の光に思わず顔をしかめ、再びベッドに倒れ込む。本当に眠くてしょうがないのだ。倒れる瞬間に視界の隅で見慣れた青髪を見つける。もはや見慣れたメイド服姿のアクアが、俺を恨めし気な表情で見つめていたのだ。
「おう、どうしたアクア、昨日俺がお前を抱かなかった事が不満なのか?」
「はあ? アンタはいきなり何を言っちゃってくれてるわけ? 私は単にアンタ達が邪魔なのよ! 私はそのぐちょぐちょに汚れたシーツを洗いたいだけなんですけど!」
「…………」
「なによそのイラついた表情は? もしかして本当に私とえっちぃ事したかったの? 流石は性欲魔人のカズマさんだわ! 3人を相手して朝からなんて……どうしてもって言うなら高級しゅわしゅわとアンタが作ったおつまみを献上したら、考えてあげなくもないわよ?」
「そんな事はどうでもいいからシーツを変えてくれ。コイツらは俺が持っておくからよ」
惜しげもなく裸体を晒し、おまけに気持ちよさそうな寝顔まで見せつけるめぐみんとあるえを俺は抱き起こして持ち上げる。彼女達は言葉にならない寝惚け声をあげながらも、俺から離れまいと必死に抱き着いてきた。アクアはそんな俺達を見て不快そうな顔をして、テキパキとシーツを取り換える。そして、嫌そうに汚れたシーツを持ちながら顎をしゃくった。
「着替えはその棚に入れてあるわ。出来ればお風呂に入ってから着てちょうだい。アンタ達は色んな意味でばっちぃわよ!」
「悪いがそこまでの気力がねーよ。だからアクア、すまんが浄化魔法をかけてくれ」
「はぁ……しょうがないわね……“ピュリフィケーション”」
「おおう、せんきゅせんきゅー」
「アンタね……」
呆れ顔のアクアを尻目に、俺はベッドの上にめぐみんとあるえを放り投げる。彼女達は小さな悲鳴を上げた後、もぞもぞと毛布の中に姿を消していった。どうやら、俺と同じく眠いらしい。俺も毛布にくるまりたい所ではあるが、疲れた体は切実に栄養と水分を欲していた。
「そういえばゆんゆんがいないな」
「あの子ならキッチンにいるわよ。本当は私が朝食を作ってあげる予定だったのに、あの子が言う事聞かなくて……」
「ちょうどいい。ちょっと腹に入れてから寝るか~」
どこか不満げなアクアの目の前で、俺はのろのろと服を着ようとする。すると、突然アクアが俺の胸元までにゅっと距離を詰めて来た。彼女の顔は相変わらずの不満顔であった。それから、俺の肩にヒンヤリとした人差し指を当ててスッと滑らせる。その何とも言えない感覚に、肌が粟立った。
「ここ、痣が出来てるわよ。この歯形は……ゆんゆんでしょう?」
「無茶苦茶やられて下手人が誰かなんて分からねえよ。まあ、痛みはあるが我慢出来ないほどではないな。正直言ってこの行為に関しては色々と諦めがついてるさ」
「ふーん……“ヒール”!」
「ん……? ああ、消してくれるのか」
「“ヒール”! ここにもあるわね……“ヒール”! ええっ!? こんなとこにも……“ヒール”!」
ぶつくさ言いながら回復魔法を唱えるアクアを放置して、俺は着替えを再開する。確かに傷を治療してくれるのはありがたいのだが、ゆんゆん達は飽きずに俺の体に痕跡を残そうとするため、傷の治療は無駄な行為と言えるのだ。
「ねぇカズマ、ゆんゆん達が少し変なのは理解してるわ。でも、嫌な事は嫌って言いなさいな。どこかで歯止めをかけないと、そのうちとんでもない事をするかもしれない子達なのよ?」
「安心しろ。今のアイツらはいくらか理性的だ。俺がアイツら以外と浮気したらそれこそ食い殺されるかもしれないが、そんな事をしなければあんなのはただの愛情表現だ」
「そう……なんでか分からないけど、今のアンタを見てるとイライラしてくるわ……」
「知らんがな!」
アクアにこれ以上絡むと色々と長引きそうなので、俺はさっさと服を着て1階に行くことにする。そんなジト目な彼女に見送られ、俺はリビングへとたどり着く。キッチンには見慣れたおさげと、魅力的なヒップが揺れていた。早朝というだけあって、彼女以外の人影はない。俺は椅子にどっかりと腰を下ろし、それに気づいたゆんゆんはこちらへチラリと振り返った。
「おはようございますカズマさん。随分と早いですね。昨日は眠い眠いと言ってたのに……」
「眠いのは変わらねえけど、腹減ったんだよ。というか、お前こそ早いな。ほとんど寝てないのは俺と一緒だろ?」
「私は昨日いっぱいお昼寝していたので大丈夫なんです。それに心地よい“疲労”ですしね」
「気楽そうでいいな……俺も専業主夫になるか……」
「ふふっ、気楽そうに見えますけど、結構大変なんですよ? カズマさんが仕事を辞める事には反対しませんけどね!」
「そうかい……まあまだ仕事を辞めるつもりはねーよ」
笑顔で残念ですと答えるゆんゆんを俺は苦笑しながら眺める。ダメ男製造機である彼女の罠にハマったら最後、俺は本当のダメ男に堕ちてしまう。父親としてのプライドを保つためにも、子供達が成人するまではこの罠に引っかかるわけにはいかないのだ。
そして、俺の目の前に食パン、半熟目玉焼き、ソーセージ2本というゆんゆんの手抜き朝食セットが並べられた。まだ彼女と婚約中だった頃に開発されたメニューであり、場合によっては1カ月連続で朝食がこのメニューだったりした伝説のメニューだ。不思議と飽きない組み合わせなのである。朝食作りにエリスやアクアが混ざるようになって、今では中々お目にかかれない朝食だ。具材を全て食パンに乗せ、ケチャップをつけてかぶりつく。うん、いつもの味だ……と何故だか気分的に癒されていた俺に、ゆんゆんは一枚の紙ペラを突きつけてきた。
「カズマさんお食事中にすみませんけど、このチラシを見てください! 今朝の新聞と一緒に入っていたんです!」
「んー? なになに……“ずぃーさぼてん公園”? たくさんの植物と自慢のさぼてんが貴方をお出迎え……」
「ふふっ、すごいですよね! このテーマパーク内には可愛いサボテンがいっぱい! 行きましょう! 絶対に行きましょう! 今すぐにでも行きましょうカズマさん!」
「疲れてるからまた今度な。じゃ、俺寝るから」
「なっ!? 今度っていつなんですか!? この前も同じような事行って隣国への小旅行の計画を有耶無耶にしたじゃないですか!」
そんな事言われても眠いのだからしょうがない。ゆんゆん達のせいでほとんど寝ていないのだ。この状態で遊びに出かけるなんて無理に決まっている。俺は朝食を急いで平らげると、近くのソファーに倒れ込む。目頭が少し熱く、頭痛もある。典型的な寝不足状態だ。そんな俺にゆんゆんが猫撫で声ですり寄ってきたため、流石に少しイラついた。
「カズマさん行きましょう? 貴方の好きな“奉仕”にだって快く付き合ってあげますから……」
「アホか! その程度で俺が動くわけねえだろ!」
「そ、その程度……!? むぅ~! このチラシを見てくださいよカズマさん。ほら、“今なら来場者に多肉植物プレゼント!”ですって! 行きましょう行きましょう!」
「あ゛あ゛~」
俺の上に馬乗りになりながら肩をガクガクさせてくるゆんゆんに辟易する。彼女は控えめな性格であるのは確かだが、このように非常にわがままになる時が昔からある。今回は彼女の趣味である園芸にどストライクな施設を見つけてテンションが振り切れてしまったのだろう。その姿に可愛いなと思ってしまいつつも、疲労度極限の今の俺の体は彼女の提案を良しとはしなかった。
「“ドレインタッチ”」
「ひあああぁ!? なっ……ずるい……カズマさん……ばかっ……!」
「はいはい、また今度連れて行ってやるからな~」
「うぐぐっ……私の多肉ちゃん……!」
色々と活力が溢れているゆんゆんから体力を遠慮なく吸い取り、俺の体に活力が戻る。代わりにゆんゆんはぐったりと俺の上に崩れ落ちる。そんな彼女をぺいっと打ち捨てて再びソファーで微睡んでいると、リビングに新たな侵入者が現れる。お馴染みの紅魔族ローブに身を包み、麦わら帽子をかぶっているのは俺とゆんゆんの子供であるさよりだ。彼女は俺と床に転がるゆんゆんを見て少し眉をひそめる。だが、次の瞬間にはこちらに興味をなくしたように視線をそらして、リビングへ出ようとしていた。俺は思わず彼女に声をかける。朝の挨拶もしてくれないのは流石に悲しかった。
「おはようさより。こんな朝から外で何してたんだ?」
「おはようお父さん……何をしていたかなんて、私の姿を見れば分かるでしょう?」
さよりは麦わら帽子のつばを指でくいっと上げて苦笑する。彼女の片手には鳥餌の袋が握られており、ゼル帝とゼル帝の子供たちに餌をあげていたのは明白だ。しかし、俺はそんな事は百も承知だ。単に話のきっかけになればと投げかけた言葉である。そんな期待もむなしく、彼女は小さなため息をついて俺に背を向ける。その瞬間、俺の何かにピシリとヒビが入った。自覚しないようにしていたが、どうやら俺は避けられているらしい。さよりの塩対応は年齢相応の親への反発もあるだろうが、それだけが理由といえないよそよそしさであった。
早くも俺に背を向けて歩き出した彼女を、何とかして引き留めようと四苦八苦する。今更ながら休日にちょっかいをかけてくる親父の心理を理解しつつ、気づけば一枚の紙片を拾い上げて彼女へ突き出していた。
「待てさより、こいつを見ろ!」
「んっ……ずぃーさぼてん公園……?」
「そうだ! すごいぞ! このテーマパーク内には可愛いサボテンがいっぱい……らしいぞ! お前も好きだろこういうの? ゆんゆんも行きたいらしいし、行こうぜ!」
「んー……」
少し面倒臭そうにしているさよりに、俺はゆんゆんにもおすすめされた文言を突き付ける。こうなりゃゴリ押しだ。
「ほら、チラシのここを見ろよ! “今なら来場者に多肉植物プレゼント!”ってキャンペーンもやってるらしいぞ?」
「ふーん、それなら私も行きたいかな」
「しゃっ! それなら外出準備だ!」
「なんでそんなにテンション高いの? まあいっか、それじゃあ着替えてくるね……」
少し訝しげではあるが、俺に向けられた表情は肯定的なものであった。その事実に内心で嬉しの涙を流しつつ意気揚々と準備を始めようとした時、俺の足をガシリと掴む者がいた。視線を足元に向けると、ゆんゆんが幽鬼の様な表情でこちらを睨んでいた。
「何やってんだゆんゆん? 早く準備しろよ」
「カズマさん……貴方って人は……!」
「ん? ああ、そういえば俺のせいで……“ドレインタッチ”」
「んっ……」
俺の魔力を注ぎ込んで復活したゆんゆんは、少し不満そうな顔であった。俺はというと疲労感が戻ってソファーへと座り込む。そんな俺にゆんゆんはピシリとデコピンをしてきた。
「いたっ!? 今の俺に攻撃するなんて鬼かお前は……」
「急にあんな事するからです! それより、私の誘いは断ったのに、なんでさよりにずぃーさぼてん公園に行くなんて提案をしたんですか? 私は嬉しいですけど……」
「俺は子供との触れ合いを求めているんだ。疲れぐらい我慢するさ。それと……お前はそろそろ年齢ってものを自覚しろ。年甲斐もなくあんなおねだりされると、例え行きたい場合でも断って……いだだだっ!?」
「っ……っ……! 私はまだ若いです!」
ゆんゆんに頬を抓られながら、実はさっきから視界のすみでうろちょろしていたクリスに視線で助けを求める。彼女は俺の思いに応えてゆんゆんの攻撃を止めてくれた。彼女の攻撃から逃れた俺は痛む頬に軽くヒールを唱える。痛みの度合いからして、どうやらマジ切れしていたらしい。
「やぁ、ゆんゆん。今日はお出かけらしいね? “皆で”行くの? それとも、“君達”だけかな?」
「むっ……今回は“私達”だけでいきます。ですから、来週に関しては……」
「ふむふむ、それならあたしはこの日を……」
「なるほど。ではこちらの日は私の……」
手帳を取り出してぼそぼそ議論している彼女達から俺は視線を外す。彼女達が何を議論しているかは承知している。だからこそ、俺は押し黙るしかなかった。そんな時にリビングへアクアがやって来た。俺が手招きをすると、彼女はトコトコと素直に近づいてきた。
「どしたのカズマ? 疲れているならさっさと寝なさいな」
「いや、急遽外出する事になってな。お前も行くか?」
「へぇ……私は遠慮しておくわ。これでも中々に忙しい身なの」
淡々と答えたアクアの視線の先には取引をしているゆんゆんとクリスの姿がある。恐らく、アクアなりに空気を読んでいるのだろう。昔の彼女であれば、目を輝かせて二つ返事で同行を願い出たはずだ。その事が俺を何故か寂しくさせた。
「それなら、悪いが生命力を分けてくれ。疲れがマジでひどいんだ」
「アンタねぇ……分かったわよ。ほら、好きにしなさいな」
「恩に着る。“ドレインタッチ”」
「んっ……お土産買ってきなさいよね……」
アクアのうなじに手を当て、しっかりと体力を回復された俺は軽く伸びをして疲労感をほぐす。そんな俺をいつの間にか取引を終えたゆんゆんとクリスがジトっとした目で見ている。別に何も悪い事はしていないのだが、少し後ろめたい気分になった。
「ゆんゆん、さっさと出かける準備をしてくれ。ただでさえ、最近化粧する時間が長くなってるんだしよ」
「カズマ……さん……?」
「っ!? じょ、冗談だよゆんゆん! ゆんゆん化粧しなくても可愛いから、余計なことに時間使うなって意味だから!」
「…………」
「無視はやめてくださいゆんゆん様……」
その後、彼女達は各々の準備のため自然解散となった。外出前にトイレに入って大きい方の用を足した俺は、外出用の竜車に乗り込んだ時に娘を含めた3人から遅い遅いと責められた。これはゆんゆんなりの意趣返しなのだろうか。さよりによる『お父さんっていつもトイレ長いよね。しかも匂いがなくなるのに時間かかるし……』という呆れながらの一言が地味に心の深部へ突き刺さった.
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「いい天気ですねカズマさん! やっぱり今日外出して正解でしたね!」
「そうだな……ってあまり身を乗り出すなよ? 落ちたらシャレにならんからな?」
「それくらい分かってますよ……もう……!」
少しプンスコしているゆんゆんと俺は普段は商会で活躍している竜車の御者台へと腰かけていた。荷車を引く竜は紅魔の里近郊で飼いならしたファイアドレイクである。一応は竜種の端くれであり、馬よりも速く、外敵も勝手にファイアブレスで撃退してくれる便利な乗り物だ。
普段は紅魔の里をあまり出ないゆんゆんとありさは物珍しさからか、結構はしゃいでいた。俺の膝の上に陣取るありさも周囲をキョロキョロ見回しては気になったものについてあれこれ質問を投げかけてくる。そんな娘の姿に夫婦共々ほっこりさせられつつ、俺達は目的地である『ずぃーサボテン公園』とやらへと急いだ。
「ねえお父さん、なんでお姉ちゃんは荷台で引きこもって本なんて読んでるの……?」
「ああ、それはお年頃って奴だ。だから好きにさせてやれ」
「そうなんだ……そういえばお爺ちゃんがお姉ちゃんとお母さんは色んな意味でそっくりだって言ってた……“周囲の人達と一風違う私ってカッコイイ”って思ってるところとか、写真に写るのを異常なほど嫌がったりとか……」
「なっ……!? 私は別にそんな……というかお父さん達はありさに何を吹き込んでるの!?」
顔を真っ赤にしながらボソボソ言い訳をし始めるゆんゆんをよそに、俺は荷台の中へを目を向ける。そこには、竜車の揺れを意に介さず読書を続けるさよりの姿があった。外の風景でも見ないかと声をけてみたが、『別に興味ない』という一言で断られてしまった。そんな娘の表情は少しドヤッとしたものであった。
「うん、やっぱりアイツはゆんゆんそっくりだな!」
「物静かで……孤高……お母さんそっくりだね……なかなか出来ることじゃないよ……」
「ありさ!? それって誉めてるの!? お母さんの事をバカにしてるわけじゃないよね!?」
「大丈夫……お母さん……大丈夫……」
娘に煽られるゆんゆんという珍しいものを見ながら、俺は再び荷台へと目をやる。そこには興味深そうに窓の外の景色をじっと眺めるさよりの姿があった。彼女は俺の視線を気づくと、慌てたように目線を本へと戻す。母子共に捻くれた部分がある事に呆れつつも思わず笑ってしまった。
道中にモンスターによる多少のちょっかいはあったものの、全てはゆんゆんの魔法とファイアドレイクの攻撃によって無力化された。アクアの存在、ゆんゆんのフラグ発言がなければ旅の道中も平和なものなのだ。
そして、例の目的の施設へとたどり着く。入口で受け取ったパンフレットによると、とある植物好きな貴族が趣味でやっていた植物園を一般公開して出来上がった施設らしい。ついでにモンスターや動物も飼いならして放牧しているそうだ。寂れた園内には俺達と同じような家族連れが疎らに見受けられた。何故だか不思議な懐かしさを感じつつ、ゆっくりと園内を回ることにする。まず初めに異国の植物と鳥類が放し飼いにされたエリアに向かったのだが……
「カズマさんすごいですよ! こんな綺麗な鳥初めて見ました! ねえカズマさん、せっかくだから私とこの子の写真を撮ってください! ほら、さよりとありさも……!」
「わっ、私も一緒に!? 確かにそんな鳥珍しいし……ああっもふもふ!」
「可愛い……」
魔道カメラに三人の姿を収めつつ、思わず苦笑してしまう。ゆんゆんを筆頭にして娘達のテンションも異様に高いのだ。娯楽に満ち溢れた世界で生まれた俺にとっては単なるレジャー施設の一つとしか考えていなかったが、そもそもレジャー施設というものがあまりない世界出身の彼女達にとって、この寂れた施設は未知のものが溢れる楽園に見えているのだろうか。ともかく、これだけ楽しそうにしてくれるなら来た甲斐があるというものだ。
そして、ゆんゆんとさよりは次なる獲物を見つけて喜色満面で追いかけ始めた。無論標的となったピンク色のフラミンゴっぽい鳥は必死に足と翼をばたつかせて逃げていた。
残された俺は、眼下で極彩色のオウムっぽい鳥と戯れるありさを見て心を癒す。ありさに弄くられている鳥は無抵抗である。どうやら、この鳥にとっても慣れた事のようだ。
「お父さん、この鳥はなんで飛んで逃げないの……? ここ、柵しかないのに……」
「んー……そいつ、割と翼の先の羽が貧相だろ? 多分、風切り羽を切られてるんだろう。鳥って風切り羽がしっかり生えてないと上手く飛べないからな」
「へえ……お姉ちゃんから借りた小説に似たような話があった気がする……好きな人が逃げないように……こう……ポキッて……」
「何のどこをポキッてするつもりだ!? 全く、アイツも含めて有害図書の取り締まりを検討した方が良いかもな」
さよりはそこそこの年齢になったのでグレーゾーンとなるが、ありさに関しては流石に不適切な書籍と言える。まあ、児童書の類にもエグイ話は割とあるので微妙な所だ。例えどんな本でも読まないよりは、読んだ方が勉強になる事は否定できないからだ。
「カズマさーん! はやく来てください! 写真……写真撮ってー!」
「ゼル帝も可愛いけど、この子もいい……! いいな……!」
相変わらずの謎テンションであるゆんゆんとさよりに苦笑を返し、ありさに右手を差し出す。彼女は抱っこしていた鳥を放して俺の手をギュっと握る。それから、とても不思議そうな表情で俺の方を見上げていた。
「お父さん、ここ楽しいね……どうして、お兄ちゃんとレイカちゃんは誘わなかったの?」
「うぐっ!? そ、それはだな……ん~……今日はここの下見に来たんだよ。流石に皆で得体の知れない所に行くのは気が進まないんだ。いつも口を酸っぱくして言っているように、紅魔の里の外は危険でいっぱいなんだ。安全だと確認できるまでは大所帯では行かないようにしているんだよ」
「ふーん……そういえば学校の先生も、里の外の世界は最低でも上級魔法を覚えてからじゃないと危ない場所だって言ってた……」
「おう、つまりはそういう事だ。まあ安心しろ。俺と母さんは超強いから、ありさとさよりは絶対守るからな!」
「うん……」
ありさの答えにくい質問をその場しのぎの回答でもって何とか制する。そして、こちらを少し頼もし気に見つめるありさの手を引いてゆんゆん達の元へと向かった。子供を騙すのは気が引けるが、知らなくてもいい事である事は確かだ。
俺は相も変わらず大はしゃぎしているゆんゆん達を引きずって次の施設へと向かう。下手すれば丸一日ここに張り付いていそうな彼女達はぶーぶーと文句を言っていたが、この手の施設でよくある“ふれあいコーナー”とかいう看板を目にした瞬間駆け出していた。この時、俺は何となく今日は疲れそうだという予感がした。
「見てくださいカズマさん! この子は小っちゃいころのじゃりめそっくりですよ! ほら、このぷにぷにの肉球とかつぶらな瞳とか……あっ……今のあの子にはない柔らかさが……はぅ!」
「お母さん……エビ……」
「ん? あら、随分大きいエビねありさ。でも、昔お父さんと釣ったエビとは種類が違うわね。そういえばめぐみんが食べてたエビがこんな姿だった気が……」
黒猫を捕まえて嬉しそうに撫でるゆんゆんと、でかい水槽からザリガニを捕まえて何故か誇らしげなありさの姿を写真に収める。それはそれとして、さよりは先程とは打って変わって冷めた表情でふれあえる動物たちを見つめていた。行かないのかと指をクイクイ動かして合図すると、彼女は苦い顔をしながら首をふるふると振った。
「どうした? 触りに行かないのか?」
「さっきの鳥たちは珍しいから私もついはしゃいじゃったけど、ここにいるのは紅魔の里でもありふれた動物じゃない!」
「はぁ……」
「な、なんでため息つくの?」
「さよりもお年頃なんだなと実感しただけだよ。家族だから照れるのは仕方ねえけど、友達と一緒にいる時はバカみたいだと思っても、口に出さずに一緒にバカになって楽しめよ?周囲に合わせるのは何だかんだで重要な処世術だからな」
「ねえ何で私怒られてるの!? というか照れてないから!」
顔を赤くしているさよりを撫でようとして思いっきり手で振り払われた。仕方がないので俺は近くのおがくず広場でちょろちょろ動いていたハムスターっぽいネズミを摘まみ上げて、軽く撫でてやる。そうすると、奴は目を細めながら丸くなった。ほう、中々可愛いじゃないか。
「さより、コイツ結構可愛いぞ。触ってみるか?」
「ひっ!? ねずみ!? お父さんやめて!」
「あっ、おい!?」
予想したものとは真逆の反応をした彼女は、俺の元から逃げ去ってしまった。それでも俺はこのハムスターっぽい生き物の可愛さを共有したかったため、ゆんゆんやありさのにもコイツを見せたのだが何故か彼女達も目を背けるようにして去ってしまった。一人残された俺はハムスターっぽい生き物を置いて慌てて彼女達を追いかけた。
その後、何故か震える彼女達と合流して昼食を取ることにした。まずくはないが、おいしくもない園内のレストランで食事を終え、サボテンや良く分からい植物を使ったゲテモノデザートをつついて少し休憩する。早々に食事を終えたゆんゆんはありさと一緒にレストラン近くの牧場エリアで馬への騎乗体験を楽しんでいた。俺はその光景を牧場外のベンチでぼーっと眺めていた。はしゃいでいるのは分かるが、こっちはもうへとへとであった。
「大丈夫お父さん? 何だか疲れてるみたいだけど……」
「おう、まだ大丈夫だ。それより、さよりは乗馬体験はやらないのか?」
「馬は里にもいるし、お父さんも仕事用で持ってるじゃない。別にここでお金払ってまで乗る必要はないと思ったのよ」
「そうかぁ、さよりは大人だなぁ」
「なんかバカにされてるような気がする……本当に怒るよ?」
さよりはバカにされていると受け取ってしまったようだが、大人になったという事は俺自身かなり実感している事だ。昔はじゃりめやゼル帝に無茶な芸を仕込んだり、背中に乗って遊んでいたのをよく覚えている。どちらかというと、やんちゃなイメージな娘であったのだが、今ではかなり落ち着いた文学少女系になってしまった。環境によるものか、彼女生来の性格か、はたまたゆんゆんのぼっち遺伝子を受け継いだからなのかは分からない。確かなのは、身体的なものも含めて随分と成長したという事だ。
「そういえば、さっきのはどういう事だ? ゆんゆん含めてねずみが苦手なんて初めて知ったぞ?」
「それは……うぅ……あんまり思い出しくない事なの……」
「あれか、耳でも齧られたか?」
「手とか足じゃなくて、何で耳なの? まぁ、物理的と言うか、精神的に痛い目にあってね……」
某猫型ロボットネタが通用しない事に異世界を感じつつ、件のねずみについての話を聴くことにした。何でも、発端は俺が開発したゴキブリホイホイによるものらしい。商人になってから金目になりそうなものを粗製乱造していたのだが、ゴキブリホイホイもその実験作の一つであった。その試作品を倉庫や屋根裏、ちょっとしたスキマの場所に仕掛けた事は俺自身良く覚えていた。
「ある日、ありさがあの粘着トラップに引っかかったネズミを家に持ってきたの。可哀そうだから取ってあげてって……」
「それじゃあトラップの意味ないだろ。あれは引っかかったゴキブリやネズミごとゴミに捨てるもんだ」
「そんな残酷な事は妹の前じゃ出来ないでしょう? だから私達はねずみを救おうと四苦八苦したの。それで、お母さんが少し強めにねずみを粘着トラップから引っ張ったら……うぅ……今思い出しても嫌な思い出……!」
「ああ、引っ張ったのか……」
全てを察した俺は彼女達のトラウマに納得がいった。あの粘着トラップは捕らえた獲物を逃がさないように割りと強力な粘着力にしている。基本的には捕らえたものはそのままゴミに捨てるというのがあのトラップの役割だ。
「それで、お母さんがネズミを引っ張ったら……こう……皮がベロンってなって……血が噴き出して……一緒に臓物も飛び出て……!」
「ああ、分かったからもう思い出すなって」
「でも、まだ生きてて……バラバラなのに……きゅーきゅー鳴いてて……!」
思い出し泣きをしてしまった娘の頭をそっと撫でる。撫でる事を拒否されなかった事に嬉しく思いながらも、以前あのゴキブリホイホイに何故か否定的だったゆんゆんに納得がいった。あの時は光を失った目で「夢で見たんですカズマさん。害虫や害獣は私の友達になってくれる存在なんです……」と意味不明な事を口にしたためアクアとエリスに精神鑑定をしてもらうほど心配したのだが、つまりはそういう事なのであろう。ちなみにゴキブリホイホイは虫よけの結界石などには敵わず微妙な売れ行きであった。
「お母さん含めてどうしたらいいか分からなくて、三人で泣くしかなかったのは今でも覚えてる……」
「ほう、ゆんゆんも泣いたのか」
「なんで嬉しそうなのお父さん……ともかく、あの後は駆け付けたアクアお姉ちゃんが回復魔法で治療してくれたの。ねずみ自体は可愛いと思うけど、あの光景を思い出しちゃうから苦手かな」
体をぶるりと震わせて苦笑するさよりを、俺は落ち着かせるように軽く頭をポンポンと叩く。それを受けてはにかむように笑う彼女を見て確信する。見た目も性格も随分と大人びてしまったが、なんだかんだで彼女はまだまだ“子供”だ。そんな俺の思いを察したからだろうか、さよりは俺の手を捕まえて引きはがす。思わず少しの悪戯心が目覚めかけた時、ゆんゆん達が帰還した。
「カズマさん、さより、ただいま戻りました。ごめんね……なんだか私が一番はしゃいでるみたいで……」
「気にすんなゆんゆん。それに、ありさも楽しんでたみたいだしな」
少し申し訳なさそうなゆんゆんの横でありさは興奮冷めやらぬ様子で目を輝かせていた。子供が楽しんでいてくれる事は、親にとっては本当に喜ばしい事なのだ。
「楽しかった……お馬さんおっきかった……」
「そうかそうか、大きかったかー」
「うん……お風呂で見たお父さんの奴と全然違った……」
「ん?」
娘の発言の意味を理解できずに思考停止していたが、大体の意図を察して閉口する。ゆんゆんはというと顔を真っ赤にしながら小声でありさに話しかけた後、手をわちゃわちゃしながら俺に対して謎の言い訳をしてきた。
「違うんですカズマさん! 私達が乗った時に何故かお馬さんがその……興奮しちゃって……!」
「何故焦っているかは理解出来ないが、仕方ない事だろう。相手は動物だからな」
「そ、そうですよね! とにかくこの話題は終わりです! ほら、メインの植物園に行きますよ!」
娘たちの手を取って早足で歩きだす彼女の後をゆっくりと追う。散々俺相手に淫猥な事をしでかしてきたくせに、この程度の事で恥ずかしがるゆんゆんが非常に可愛らしかった。まあ、家族の前では恥ずかしいし避けたい話題だ。今度二人っきりになった時、またこの話題でおちょくってやることを俺は心に決めた。
そして、俺達は園内でも最大規模を誇る植物園ゾーンにやって来た。綺麗に管理され、何らかの魔法で温度調節もされている地球にあるものと勝るとも劣らない施設であった。そこにはゆんゆんの大好きな植物達の楽園であった。
鮮やかで綺麗な花をつけた多種多様な植物達にゆんゆんは感嘆と喜色に溢れた声を上げていた。また、ゆんゆんと同じく動植物が好きで園芸を趣味にしているさよりも一緒になって大はしゃぎしている。彼女達の様子は見ていて自然と笑みを浮かべてしまう光景だが、展示物の植物に対して俺は思わず糞ほども興味のない無表情を向けてしまう。どちらかというと、植物に興味を持っていないありさは、時節珍しい植物に興味を惹かれるものの、数秒後には興味を失って周囲をキョロキョロしていた。
「カズマさん、このお花すっごく綺麗ですよ! ほら、赤と青と白で…!」
「そうだなー」
「わっ、こっちはかなり貴重な種ですよ! この種の花は実がボンッてなって、種がしゅぱーんと……!」
「ほーん」
満面の笑みで植物についての知識を語るゆんゆんに適当に相槌を打ちつつ、少し蒸し暑い温室内をゆっくりと進む。そんな俺たちの周りをありさは所在なくうろちょろし、さよりは少し先に行ってると言い残してズンズンと先に進んでしまった。
そして、ゆっくりとさよりの後を追う俺の目に素人目に見ても珍しいと思える光景が飛び込んできた。この施設、さぼてん公園と銘打っているだけあって道中にも様々なさぼてんが珍しい草木に混ざって配置されていたのだが、この区画はさぼてんだけで構成された場所であった。しかも、そのさぼてんの大きさが10mや20m級の正に見上げるほど巨大なものだったのだ。案の定、ゆんゆんの目は爛々と輝いていた。
「はうっ! 凄いです! 感動です! すばらです!」
「ここまでデカいとなんだか禍々しいな」
「何を言うんですか! あの雄々しい立ち姿、瑞々しく鮮やかな緑色、鋭く美しい毛! 完璧です!」
「おおっ……そうだな……」
蜜に誘われる虫のようにフラフラと巨大サボテンに近づくゆんゆんを俺はそっと送り出す。人の趣味にどうこう言うつもりはないが正直少し引いてしまった。そんな俺の服をくいくいと引っ張る奴がいた。無論、近くでうろちょろしていたありさだ。
「お父さん、そこの看板“サボテンに近づかないでください! ハチの巣にされます!”って書いてある」
「ハチの巣?」
「ほら、このサボテンの説明版に書いてある……“育ったサボテンは自衛目的で周囲の生物に針を射出します”って……」
「ほーん……ってマズイ!」
俺は慌ててサボテンにおびき寄せられるゆんゆんの方へ走り出す。なぜこの世界の植物はこんなにもバイタリティに溢れているのかと呆れつつ彼女の肩に手をかけた。そして、俺に捕まって一瞬驚いた表情を浮かべた彼女は頬を緩めながら口の前に人差し指を立てた。
「しーっですよカズマさん、ここでは静かにしてなきゃダメですよ?」
「でも、このサボテンはヤバイって説明版にあったぞ!?」
「落ち着いてください。私がこの種のサボテンの特性を知らないわけないでしょう? ほら、この柵より内側にいれば大丈夫ですから」
「そう……なのか?」
「ええ、それに針を射出するのは敵対的な生物にのみです。こうして遠目で見るだけなら彼らも攻撃しようなんて考えませんよ」
クスリと微笑んだゆんゆんは、こちらに恐る恐る近寄ってきたありさを抱き寄せてじっくりと巨大サボテンを眺める。その表情にはどこか懐古的なものも混じっていた。
「ふふっ、大きくなったサボテンはきちんとした“心”を持つんです。育ててくれた人には針を射出するなんて事はしませんし、綺麗な花をつけて見る人を楽しませてくれるんです。私がありさみたいに小さな時は、いつか育てたサボテンと一緒にお話したり、遊ぶ事ができるんだっていつも考えていたんですよ?」
「なんだか、夢がある話だねお母さん……」
「そうでしょう? でも、後何十年かしたら夢じゃなくて本当になるかもって考えてるの。あの子達とも、何十年もの付き合いですしね!」
微笑むゆんゆんを見ながら、俺は彼女がもっとも大切にしている鉢植えのサボテンを思い出す。なんだかんだで、俺もあのサボテンとは十数年顔を会わせている。もし奴が自我に芽生えたら、俺は攻撃対象になるのだろうか。そんなしょうもない事を俺は頭の片隅で考えていた。
その後、先を言っていたさよりがベンチで項垂れている姿を発見する。彼女の頭からは数本の針が生えていた。どうやら、不用意にサボテンに近づきすぎて威嚇射撃を受けたらしい。思わず笑ってしまった俺とありさにさよりは顔を真っ赤にして怒り、ゆんゆんは苦笑しながらも彼女の治療をてきぱきと行っていた。それからは家族四人で残りの温室をゆっくりと散策する。ゆんゆんとさよりのテンションは相変わらず高いが、もはや何も言うまい。
そして、温室エリアを無事通過し俺は少し冷たい外の空気に身を震わせる。だが、温室の生温い空気に比べればいくつかマシであった。ゆんゆん達は再びパンフレットを広げて次の目的地を探し始める。そんな時、ありさがふらっと一人で歩き出した。彼女はそこそこの人だかりが出来た場所にたどり着き、その人だかりの中心にあるものをジーっと見つめていた。釣られて歩き出した俺の腕を、ゆんゆんとさよりが顔を青くしてぶるぶる震えながら掴んできた。
「カ、カズマさん! あれはダメですあの黒い瞳は私に対する恨みと殺意が渦巻いて……ひっ……ごめんなさいごめんなさい!」
「そうだよお父さん! げっ歯類なんて雑菌だらけで狂暴だって! しかもあんな大きさは……!」
「分かった、分かったからお前らは別のとこで楽しんでこい。俺はありさ見てるからさ」
「そうですか! それじゃあ私達は植物販売コーナーを見てきますね! また後でカズマさん!」
「わっ、置いていかないでお母さん!」
逃げるように走り去ったゆんゆん達をため息一つで見届け、俺はありさの元へ歩み寄る。彼女は件の動物を相変わらずじーっと見つめていた。その動物は1mほどの大きさの毛むくじゃらの奴だ。奴らは柵の中でのそのそと歩き、大半の個体は柵内のプール……に身を沈めて気持ちよさそうに漂っていた。近くの説明版には“カピパラ温泉”と書かれている。このげっ歯類は生意気にも温泉につかっていたようだ。
「ありさ、お前もネズミは苦手じゃなかったのか?」
「可愛い……」
「そうか? 俺にはデカいネズミにしか見えないけどな」
「可愛い……」
「……そうだな可愛いな」
柵につかまってげっ歯類を食い入るように見つめるありさを一撫でし、俺は近くのベンチに腰かけて彼女とカピパラ達をぼんやりと眺める。俺自身はカピパラがこの世界にもいたことに少し驚いていた。まあ、牛や馬などの見慣れた家畜や、大きさや詳細は違えど地球と同じ動植物がいる世界だ。カピパラくらいいるだろう。そう思う事にした。
それからは、ゆっくりと時間がすぎる。ありさはカピパラをじっくりと見つめ、俺はそんな彼女をぼんやりと眺めていた。30分後、ようやく動き出した彼女は俺の腕を引っ張って柵の前に立たせた。
「お父さん、写真とって」
「ああ、いいぞ! すいません、そこの旦那! 写真を一枚お願いしたくて……そう、スイッチはここで……出来れば後ろのカピパラも――」
ありさが俺の腕をしっかりと握ってくる。いつもは割と感情を表情として出さない彼女が、今は満面の笑みを浮かべていた。自然と俺の表情が緩んでしまうのも仕方がない事であった。
写真を撮って満足したのか、ありさはげっ歯類に小さく手を振って俺の横にちょこんとつく。どうやら、彼女の気が済んだらしい。俺はそんな彼女を連れだってお土産品が多数並ぶお店へと足へ運んだ。パンフレッットを見た限り、めぼしい展示物はすでに見ている。それに、空は紅く夕日が照っていた。そろそろお暇の時間だ。色々と面倒になった俺は、“ずぃーさぼてん公園に行ってきました!”とデカデカと書かれた菓子箱を手に取った。こういうのでいいんだよ、こういうので……
「お父さん……これ欲しい」
「うん? ああ、いいぞ。まったくすっかり気に入っちまったみたいだな」
「可愛い……」
「はいはい」
ありさからカピパラのぬいぐるみを受け取り、買い物カゴに放り込む。そして、会計に向かおうとする俺を彼女は引き留め、同じようなカピパラのぬいぐるみを二つ追加でカゴに入れて来たのだ。
「流石に同じのは3ついらないんじゃないか?」
「いる」
「そうだ、あそこのさぼてんストラップとかどうだ?」
「あれはいらない」
どうしたものかとそっと息をつく。まあ、たいした値段でもないので買ってやるのもいいかもしれない。だが、ここは教育的な意味でもしっかりしないといけない場面だ。そっとぬいぐるみに手をかけた俺の腕を彼女は掴み、じっと俺の目を見つめて来た。
「カイズお兄ちゃんとレイカお姉ちゃんのお土産……」
その言葉に俺は押し黙ってしまう。むしろ、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走った。疲れていたとか面倒くさくなっていたなどの言い訳は出来ない。ダクネスやエリスなどはこの際はどうでもいい。だが、カイズとレイカは別だ。俺達がここに来ていることはあいつらにとっては事後の事だ。羨ましい、一緒に行きたかったと思っているかもしれない。もしかしたら、泣いている可能性だってあるのだ。
「よし……そうだな! レイカにはこの中にサボテンが入った琥珀石を買っていってやるか!」
「うーん……」
「カイズは……“聖邪剣ヴァルム”のストラップでいいか! 懐かしいな、俺も昔こんなのをお土産屋で買ったなぁ」
「うわっ……ださ……」
ありさが横で何かぶつぶつ言っていたが、まあいいだろう。会計を終えた俺は決意新たに娘の手を取って歩き出す。色々あったが、ゆんゆん達はとても楽しんでいたようであったし、俺自身も楽しめた。今回はそれで良しとしよう。
「なあ、ありさ、楽しかったか?」
「うん……」
「また来たいか?」
「うん……カピパラまた見たい……」
「そうか」
彼女の手をぎゅっと握る。とても暖かい小さな手だ。
「今度は皆で一緒に行こうな!」
「うんっ……!」
ありさは俺の手をぎゅっと握り返して来た。
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ガタゴトと揺れる竜車は周囲の暗闇をものとせず突き進む。手綱を握り、時節竜たちに指示を飛ばす。その時俺の肩にゆんゆんが頭を預けてくる。彼女は気持ちよさそうに寝息を立てていた。俺はそんな彼女のでこをペシリと引っ叩いた。
「あうっ!? 何するんですかカズマさん!?」
「バカ、お前は家まで俺の話相手になれ。俺が眠ったら居眠り運転だぞ」
「もう、しょうがないですね……」
暗闇を駆け抜けながら、俺は彼女と今日の事についての話を続ける。やはりというか、彼女自身にとっても大当たりの施設であったらしい。笑顔で語る彼女の話を聞きながら俺は荷台に目線をうつす。そこには、気持ちよさそうに眠るさよりとありさ、ゆんゆんが購入した大量の植物達が乗っていた。こいつも相変わらずだな……
「ふふっ、さっきありさにも聞きましたけど、カピパラってそんなに可愛いんですか?」
「ああ、可愛いかはともかく、温泉につかっている姿を眺めているだけで癒されたな」
「癒し……鼠で癒し……温泉……」
微妙な表情で考え込んだゆんゆんはパっと明るい表情を浮かべて俺の顔をのぞきこむ。もう三十路に突入した彼女だが、その笑顔は十代の少女と何ら変わらないものであった。
「カズマさん、今度は温泉行きましょう!」
「ああ、温泉か。いいかもな」
「そうでしょうそうでしょう! そうだ、昔行ったあの温泉街にいきませんか! 今度も家族風呂付きです!」
「あそこか……そういえばあの時以来だな……」
嬉しそうに旅行計画を語る彼女に相槌を打ちつつ、俺は時の流れを改めて感じた。そして、しばらく旅行についての話をした後、コテンと再び肩にゆんゆんの頭がもたれかかる。どうやら、また眠ってしまったらしい。
「んみゃ……カズマさん……また皆で一緒に行きましょうね……」
その言葉に俺は無言で頷いてから、近くにあったブランケットを彼女にかける。そして、手綱をしっかりと握り締めた。
だが、俺は聞けなかった。“皆”とは俺とゆんゆん、さより、ありさの事なのか、それともエリス達を含めた“皆”なのか聞くことが出来なかった
聞くのが怖かった。
そんな俺の憂いも我が家に到着する事で終わる。眠たげな子供達を先に行かせ、俺はゆんゆんの植物達の一部を庭へと運びこむ。本日の功労者である竜達にもたっぷりと餌をやってから、俺は疲れた体を伸ばしながら我が家の扉を開けた。
リビングにはテーブルで談笑するゆんゆん含む大人な女性陣、ありさからぬいぐるみを受け取って笑い合う子供達がいた。俺は迷わず子供達の方へ歩み寄る。カイズは少しだけ、レイカはあからさまに不満そうな顔をしていた。
「ちょっと、あたしもカピパラ見たかったんだけど!」
「右に同じくですお父様……」
「悪かったって! また今度お前らも連れてってやるから!」
誤魔化すようにカイズとレイカの頭を強引に撫でる。そしてポケットから買っておいたとっておきのお土産を手渡した。とりあえずはこれで機嫌を良くしてくれるだろう。
「えっ……何このさぼてん入りの石……うーん……ありがと……」
「聖邪剣……ありがとうございますお父様」
「おいなんだその微妙そうな表情は! すごいぞ! 石にサボテン入ってるし、聖邪剣だぞ!」
「わかった、わかったから」
「うん……すごいですねお父様」
予想と違って思ったより不評のようだ。俺のお土産を手慰みながら、カイズとレイカはさよりとありさの話を興味深そうに聞いていた。それを見届けた俺は浴室へと足を運ぶ。今日はもう、寝よう……
「ちょっと、何よこの石……中にサボテンが入ってるじゃない! えっ、くれるの? ふふーん、いい心意気よレイカ! 先輩女神への贈り物なんてやるじゃない! アンタはエリスより優秀ね!」
「ほう、何だか禍々しいアイテムを持っていますねカイズ。聖邪剣ですか……そのアイテムはこのめぐみんお姉ちゃんに任せなさい。悪いようにはしませんよ」
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誰にも邪魔されず、ゆっくりとした入浴を終えた俺はベッドへと体を投げ出していた。そして、横にはゆんゆんも同じく疲れた体をベッドで伸ばしていた。今日は“ゆんゆんの日”だ。めぐみん達による襲撃もないため、俺の気分もいくらか安らいでいた。
「なあ、寝ても良いよな」
「ふふっ、別に許可はいりませんよ。お疲れ様です。ゆっくりと休んでくださいカズマさん」
「ああ、そうする」
そっと抱き着いてくるゆんゆんの柔らかさの気持ち良さに目を細めつつ俺は目を閉じる。寝ようと思えばすぐに眠れる。だが、頭の中に渦巻くモヤモヤが俺を安眠へと導いてくれない。だから、俺はゆんゆんの方へ向き直った。
「なあ、ゆんゆんは今の状況に満足しているのか?」
「どういう意味ですか……?」
「そのままの意味だ。まだお前だけが妻だった頃と、今の状況は随分と違うだろう?」
「そう……ですね……」
俺の視線から逃げるように顔を伏せたゆんゆんはしばらく沈黙を保っていた。そして、ゆっくりと顔を上げた彼女の表情はとても複雑なものであった。“複雑”であるとしか言い表せないのだ。
「思えば私がカズマさんと一緒になって結構経ちますよね。色々ありましたけど、私は今の状況に満足しています。もちろん、不満はいっぱいありますよ?」
「そうか……」
「もう、そんな顔しないでください」
ゆんゆんは微笑みながら、俺の頭をぎゅっと抱きしめる。柔らかな胸に顔を埋めつつ俺はゆんゆんの事を抱きしめ返す。あまりこういう姿を彼女に見せたくはないのだが、仕方がない事であった。
「この際だからはっきり言いますけど、私とめぐみん、あるえ、ダクネスさん、エリスさんとの間にある溝はまだ埋まっていません。いえ、多分この先も永遠に埋まることはないでしょうね」
「…………」
「私がダクネスさんを受け入れたのは以前言った通り、“余裕”、“優越感”あったからです。でも根源には彼女への恐怖がありました。私がダクネスさんの部屋を乗り込んだ時、彼女の部屋は滅茶苦茶に壊されていました。私は超然と振舞いましたが、心の奥底でさよりが……私の家族がこんな風に“壊される”のではないかって怖かったんです……」
「…………」
「エリスさんにもダクネスさんと同じ恐怖を持ちました。でも、彼女を見てると別の恐怖も浮かんでくるんです。彼女の美しさと優しさは私と比べるまでもありません。私だってそこそこ容姿に自信があるんですよ? でも、彼女には勝てない……カズマさんがあの人に釘付けになって私に振り向いてくれなくなる事が怖いんです。今はまだいいんです……でも……十年、二十年後が怖くて怖くて仕方なくて……!」
「安心しろ。俺はお前の“妻”だ。容姿が良いから一緒になったわけじゃない。一緒に“いたい”から結婚したんだ……」
「でもでも……ぐすっ……私にはさよりとありさがいるからいいんです……カズマさんの好きにしていいんですよ……」
「ああもう!」
気づけば立場が逆転していた。俺はゆんゆんを抱きしめながら頭を撫でて彼女を慰める。こういう卑屈な所は相変わらずだ。まあ、そこも彼女の可愛い所だ。
「めぐみんとあるえなんて最悪です! めぐみんは恐れていた凶行を実行しました。貴方がめぐみんに刺された時、私は安堵しました。別に悪い意味ではなくて私はカズマさんを信頼しているんです。その程度でどうにかなるほどカズマさんは弱くありませんから。でも、私の子供達にその凶行が及んでいたなら私は彼女に容赦はしなかったでしょうね」
「あれは……なあ……」
「彼女達はカズマさんの一番弱い部分……“私達”を狙う事を暗に示して貴方の思いに“諦め”をつけたんです。つまり“放し飼い”にするより、“鎖を繋いで傍に置く”選択を貴方に強要した。そうですよねカズマさん?」
「あ、ああ……」
否定はしたいが、残念ながら決して否定は出来ない。色々と複雑な事情や思いはある。族長とめぐみん、ダクネスの父親との契約の件もあるが端的に言ってしまえば俺はめぐみんとあるえに屈した事になる。家族に害を為しそうな野良犬を家族にして、逆に屈強な番犬にした。流石に彼女達との関係をこれだけでは言い表せないが、間違ってはいない部分だ。
「でも、何より怖いのは“私自身”です。“余裕”、“優越感”は彼女達に対してまだ抱いています。私にそんな余裕はないのに、優越感なんていつまで続くか分からないのに、私は彼女達と違うと勝手に思い込んでいる」
「大丈夫、大丈夫だゆんゆん……」
「何より、私は彼女達の“思い”を理解できるし、否定が出来ないんです! もし私がカズマさんの“奥さん”じゃなかったら、私も彼女達にみたいに……!」
「落ち着け」
「あうっ!? た、叩かないでください!」
しょうがない事だ。こうなったら負のスパイラルに巻き込まれるのが彼女の悪い癖だ。というか、色々面倒になってきた。
「ゆんゆん、俺はお前を愛してる! これじゃあダメか?」
「もう、誤魔化す気満々ですね。ふふっダメですもっと言ってくれないとダメです許しません」
「分かった分かった……」
「面倒臭そうなのは減点ですよ」
俺はゆんゆんの体を抱きしめ、愛を囁き続ける。許されようとは思わない。でも、これで彼女の気が楽になってくれるならそれでいい。
「ゆんゆん、愛してる」
「ええ、私もカズマさんの“全て”を愛していますよ」
翌朝、ベッドから起きた俺は体をぐっと伸ばす。誰にも邪魔されない自然な起床だ。おまけに体も調子が良い。たっぷりと睡眠をとった証だ。リビングに向かい、誰も姿がない事を確認した俺はそっと庭に出る。そこに、俺の“家族”の姿があった。
昨日買ってきた植物達を庭に植え替えているゆんゆん、それを手伝うエリスとダクネス。じゃりめ、ゼル帝を侍らせて読書をするさよりとそんな彼女に話しかけるクリス。カイズ、レイカ、ありさと一緒になって遊ぶめぐみんとあるえ。
そんな姿を見て俺は自然と笑みを浮かべた。
さて、何をしようか。そんな事を思いつつ俺は家の中へと戻る。寝起きで乾いた喉を潤したかったからだ。そして、リビングには箒を持って鼻歌を歌う水の女神の姿があった。俺は用意したコップで水を一気に飲み、アクアにそっと問いかけた。
「なあアクア、お前は今の状況に満足しているか?」
「急に何よ。今の状況に関しては見ての通りよ」
「アホ、分かんねえから聞いてるんだ」
「まったく……カズマ、窓の外を見て見なさいな」
「ん……?」
箒のつかに両手を乗せ、そのうえに顎を乗せるアクアに促されて俺は外を見る。そこには、先程見た光景と全く同じ光景が広がっていた。
「そう、アンタも皆も笑ってる。私はそれで良いと思うわ」
「笑ってるか……」
「そうよ。アンタの小難しい質問に答える気はないわ。でも確かなのは皆“笑ってる”の。彼女達が裏で何を思っているか、どう考えているかなんて今はどうでもいいわ。女神の私だから分かるのよ。あれは本物の“笑顔”よ」
クスリと笑ったアクアは俺の顔を覗き込み、そっと頬を撫でる。そして、満面の笑みを浮かべた。
「シワが出来てるわよ」
「うっせーよ。俺も年をとったんだよ」
「そうみたいね」
クスクスと笑い続けるアクアは再び窓の外を眺める。その笑顔に俺は押し黙る。そして、彼女の姿にどうしようもない程の“違和感”を覚えた。だが、俺は何も言わない。アクアは俺達の家族に絶対に必要なのだ。
アクアという“緩衝地帯”の存在が。
「ねえカズマさん」
「どうした?」
「んと…うん……なんでもないわ。ただ、世の中を舐めた糞生意気でヒキニートだったカズマさんが……うん……」
「いきなり罵倒か」
「ふふっ、なんでもないわよ」
逃げるように庭へ飛び出していったアクアを見送り、俺は勝手口から家の裏手へと出る。そこでポケットから煙草を取り出し、火をつける。慣れ親しんだ味に息をつきつつ俺はそっと呟いた
「似合わねえな」
ああ、やっぱり似合わない。
「アイツには似合わねえな」
吸殻を足で踏み消し、吸殻を携帯用の吸い殻入れへしまい込む。
そして、顔を上げた時、無表情のゆんゆんと目が合った。
慌てて言い訳しようとした口を彼女がそっと塞ぐ。彼女のキスはとても甘く、何故か背筋を凍らせるほど冷たい。まるで俺についた煙の臭いを上書きするように執拗なものであった。
「んっ、ねえカズマさん」
「いや、これは、その……!」
「私が何も知らないとでも思ってましたか?」
苦笑を浮かべるゆんゆんの前に俺は吸い殻入れを取り落とす。どうやら、俺は勘違いをしていたらしい。
「カズマさんが煙草をやめないのは中毒になっているからですか?」
「ああ、そうだ」
震える俺の唇をゆんゆんがそっと指で撫でる。俺を見上げる彼女の瞳はとても鮮やかな紅に揺らめいていた。
「それとも……」
「っ……」
ゆんゆんの体をぎゅっと抱きしめる。そうすると、彼女も俺の事を抱きしめ返して来た。
「カズマさん、私が一番怖いのは……貴方ならご存知ですよね?」
「ああっ……」
「なら、はっきり言わして頂きます。私は絶対に負けません、渡しません、諦めません! 例え何があっても誰が相手でも永遠に!」
俺は彼女を抱きしめ続けた。
そんな俺に彼女はそっと囁いた。
「死んでも離しませんから」