期待をしていたのは血と汗が飛び散る本気の戦い。愛するものを奪った私を恨み、その瞳に”私”が焼き付くほど見つめて欲しかった。しかし、理想は現実とは違う。私の愛したお兄様はすでに虫の息だった。右腕はズタズタに引き裂かれて変な方向に曲がり、両足も幾度かの攻撃を受け肉は削げ落ちていた。そんな彼は膝を折り、こちらに向けて頭を地につける。正直言って私の胸中は失望に満ちていた。
「どうしたんですかお兄様? そんな悔しそうな顔をして」
「見りゃ分かるだろ。土下座だよ。こうなっちまったのは俺のせいだが、レイカは関係ない。俺はどうなってもいいから彼女は解放してくれ」
「まだ戦いをはじめて5分も経っていないですよ」
「……この通りだ」
身体を地につけ謝る彼の姿なんて見たくなかった。私は彼に背を向けて、先ほどから泣きわめいている少女へと顔を向ける。神縛りの鎖で拘束は出来ているが、神力の無効化には至っていない。だが、彼女を汚す事はできる。目の前で娘が痛い目に合えば彼はとても悲しむ事であろう。そうすれば私の目的は達成できる。本当はあまりこういう事はしたくはないのだが、彼との戦いがここまで拍子抜けで終わってしまったのだから仕方ないのだ。女神の娘に取り付けるかは不明だが、私は触手生物の収用室を開けようとして……
「”不死王の手”」
「なっ……!?」
私は首筋に触れる彼の手を掴み、一気に投げ飛ばす。彼は投げられながらも綺麗に着地してこちらを睨み付けてくる。彼の目にはまだ復讐の炎に燃えていた。そう、求めているのはこの表情とこの目だ。やっぱり、彼は私の愛しのお兄様なのだ。
「くそっ、手応えがないな」
「ふふっ、私は状態異常無効の装備を身に付けてますから。それより、なんで傷が全て治癒しているんですか? もしかして高等治癒魔法も使えるのですか?」
「さあな! ただ、俺の愛する女神達のおかけだ!」
刀で斬りかかって来た彼に鉄球を打ち込むが、彼は自動回避スキルのおかしな挙動でそれを避ける。そんな彼に私は何度も回し蹴りを叩きこむ。彼の幸運依存のスキルは強力だが、回避できる確率は100%ではない。だからこそ私は執拗に蹴りを叩き込んだ。そのうちの一発が当たって吹き飛ばされた彼はすぐに口元の血を拭って立ち上がった。
「運頼みでは私の手数をさばけないみたいですね」
「そうみたいだな……だがこいつはどうだ! ”スティール”!」
「……!」
お兄様の右手が大きな輝きを放つ。その光を前に私は目を瞑ってしまった。それはこうした器用な技を多く持つ彼の前では失策と言えるかもしれない。でも、私は動じない。これが彼の強さだと知っているからだ。
「パンツ……すら盗めないか……」
「当然です。だって盗み無効のアクセサリもつけてますから」
「状態異常と盗み無効って……お前はゲームのボスキャラみたいだな」
「ふふっお兄様をよく知ってるからこそ出来た対策です。ほらほら、盗み無効のアクセサリを私が身に着けているのですよ。だから私をいたぶって身ぐるみ剥いで盗ってくださいよ」
挑発をする私を彼はとても強く睨みつけている。それが内心嬉しくてたまらなかった。すると、彼は突然上半身の服を脱ぎ捨て、懐から火を起こせる魔道具……確かジッポライターというものを取り出した。不敵な笑みを浮かべる彼のお腹には、私の手首程の太さをした筒状の何かがたくさん巻き付いていた。
「お兄様が服を脱ぐなんて、私を犯す気ですか?」
「軽口を叩けるのも今のうちだ。これは俺の故郷に伝わる最終手段。ダイナマイト腹巻き……通称”腹マイト”だ!」
彼のギラつく目には見覚えがあった。ここ最近でもよく見た目……大切な物を守るために命を投げ出すもののが宿す狂気の目つきだ。
「喰らえ! ”クリエイトアース”、”ウインドブレス”!」
「くぁっ……目に砂が……!?」
どうせ私には効果ないと余裕で突っ立っていたら顔面に砂を浴びてしまったらしい。どうやらこれは状態異常攻撃ではなく物理攻撃扱いのようだ。そして、私の両脇に腕が差し込まれ、抱きしめられる。目は見えない。しかし、愛しのお兄様が抱きしめてくれている事を全身で感じた。
「ふふっ、お兄様、嬉しいです」
私の背後からはカチンという金属音が聞こえた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の中に確かな自我が芽生えたのはいつか定かではない。しかし、私の一番古い記憶は大昔という事は確かであった。
「マスター、私の妹は動かないのですか」
「すまんがそうみたいだな。まったく、こんな事になるならエネルギー源をお前と同じにしておけば……しかし理論上の出力は……」
何かの端末を弄る黒衣の男はぶつぶつ呟きながら思考の海に沈む。私はしょうがなく一緒の石室で眠りについている妹……姉妹機の頭を撫でる。彼女の無機質な顔は私とまったく同じであるが、髪色は私の桃色と対象的な鮮やかな青であった。そんな私達に天井から砂ぼこりが吹きかかる。部屋には何か巨大なものが動いているようなズシンズシンという揺れと重苦しい音が響いていた。
「よし、最終チェック完了。ライム……最初で最後の命令だ。ここで眠れ。そして勇者の血を持つものがお前と接触した時……そのものに助力し魔王討伐を成し遂げてくれ」
「私は……」
「安心しろ。お前はノイズで一番凄い呪術士であるワシが作ったんだ。人型ホムンクルスの発想はあの勇者の模倣だが、それ以外は全部ワシの手で作ったんだ!」
「マスター、魔法大国ノイズで一番凄い魔法使いではなく、呪術士と言う所に器の小ささが出てます」
「なんでそう酷い事を平気で言うんだ! やっぱ恨みとか妬みみたいな負の感情をエネルギー源にしたせいか!? 」
顔を真っ赤にして怒る男から身を守るため、私は動かない妹を抱き締める。彼はそんな私を見てため息を吐いた後、端末を弄る。そして、私と妹を包み込むように金属製の棺が動き出した。
「まさか私を閉じ込める気ですか? この淫乱ハゲジジイ」
「ハゲは関係ないだろハゲは! とにかく、お前は眠れ。勇者の血を持つものに反応して目覚めるように設定してある。だからお前はこの国の叡知の一部を後生に伝えるんだ」
「マスター……いやハゲジジイ……」
「おいこら……お前を後生に残すのが不安になってきたよ」
苦笑を浮かべた彼は杖を持ち荷物を背負う。閉じる金属棺にあわせて私の意識も落ち始めた。
「さて、機動要塞デストロイヤーの所に行くとしようか。ワシと同じように後生に希望を託した奴らが決死隊を編成しとるらしい。破壊は出来なくとも、ここから遠ざけねばな」
「……」
「ライム、もし後生でお前が魔王討伐の一助となったならば……ワシの名を歴史に刻んで欲しい」
薄れ行く意識の中、私は背を向けて離れて行く彼に呼び掛ける。しかし、もう声も出せなくなっていたのだ。
ごめんなさいマスター、貴方の名前知らないの。
淫乱ハゲジジイの事なんて興味なかったから……
薄れていた意識がハッキリとして行く。私の眼前には、美しいブロンドを携えた少女がこちらを覗きこんでいた。まさかあのハゲがついに性癖を拗らせて性転換でもしたのかと思ったが、私の中の感知システムが彼女を勇者の血族だと告げていた。すぐさま、起き上がった私はそんな彼女に頭を垂れた
「はじめまして。私は戦闘用人型ホムンクルスのライムと申します。製造目的は、魔王討伐と魔法大国ノイズの技術継承です。勇者様、私をどうかお役立てしてください」
「うわっ喋った!? これはお宝発見ですね。でも……」
困った表情を浮かべる彼女を視界に収めつつ、周囲の状況を観察する。地下施設の壁は錆びに侵食され、植物が生い茂っていた。おそらく何百年も経過しているのだろう。幸い私の身体には傷一つないが、一緒に寝ていた妹は以前は感じられた僅かなエネルギーさえ失っていた。
「そのコは……貴方の妹さん」
「いえ、妹になる可能性があったガラクタです。ですが、解析すれば何か得られるものもあるでしょう。判断は勇者様に任せます」
「そうですか……とにかくわからない事だらけですが挨拶は大事ですね。私はアイリスと言います。勇者様だなんて今の私にとっては皮肉でしかないです」
「勇者様……いやお嬢様……!」
私は再び彼女に向けて頭を垂れる。そして、私の核に渦巻く力を強く全身に行き渡らせる。どうやら私の目的は達成できそうだ。
「お嬢様、私の感知システムは貴方をかなりの強者と認識しています。貴方と私の力があれば魔王討伐も夢ではなく……」
「あっ、魔王なら私のお兄様がもう倒しましたよ」
「わっつ?」
「ふふっ、一足遅かったようですねライムさん」
「……マジで?」
「マジです……ってわわっ!?」
何故か私のシステムが全てダウンして行く。慌てこちらに駆け寄るお嬢様を見ながら私は改めて実感した。やっぱハゲシジイよりかは美少女だなと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の愛しの”お兄様”が魔王討伐を成し遂げてから早くも数年が経過していた。私の中でくすぶっていた初恋の芽は残念ながら枯れてしまった。私とも交友があった紅魔族のゆんゆんがめぐみんさん達を差し置いて彼を手に入れた事には驚いたが、近況を教えてくれる彼からの手紙には今もめぐみんさんやダクネス、アクアさんの影がチラついていた。その姿を想像して思わず笑みを浮かべてしまう。しかし、口惜しい事は確かだ。
私は今になってもどこか期待している。笑顔を浮かべた彼が、『遅くなった』って言って私の手を取ってくれると。でも、現実はいつになっても厳しいものだ。彼からの手紙に同封された彼の家の族写真を前に私は閉口する。幸せそうな表情を浮かべるお兄様とゆんゆんさん、その間にいるさよりちゃん。その眩しい笑顔は私の恋の芽を焼き焦がし、一方で新たな生命の水を注ぎこんでくれた。愛しのお兄様……カズマさんに対する思いは少しずつ風化して”良き思い出”になりつつある。私はそれを肯定的に受け入れていた。だが、辛い現実はそんな私に容赦なくにじり寄る。一つはクレアとレインが私の元から離れたという事だ。レインは元々許嫁であったという王国内の貴族と結婚をした。時折私の元へ姿を現す彼女はいつも笑顔を浮かべていた。どうやら旦那が屋敷のメイドに結構なお手付きをしているようだ。そんな事を笑いながら話すレインには何とも言えない陰がまとわりついていた。もちろん、クレアと旦那の闇討ちを話し合ったが、派遣した内偵によると領地経営等に問題はなく、メイドへのお手付きも両者合意の上のものらしい。ここで無理やり迫られた、領民への手出しをしているとなれば天誅の対象であるが、残念ながらそういう事はしていなかった。むしろ、金払いの良さとアレの上手さはメイド達にも人気であるらしい。
王女であるのに私は何も出来ない。その無力感に苛まれている間に、クレアの結婚が決まってしまった。お相手は隣国で商人から成り上がって貴族となった男であった。クレアが泣きながら見せてきた写真には、品のない金色のアクセサリを多数身に着け、丸々と肥え太っている豚男であった。どうやらその商人とのパイプを持ちたい実家や国の事情も絡んで断れないらしい。クレアは別れを告げる馬車の前であっても悲痛な顔で泣き続けていた。しかし、彼女は私に言い含めるように……自分に言い聞かせるように何度も口にしていた。”これが貴族の義務だ”と。時を同じくして、ダクネスが心を壊したとの噂が王宮内でひろがっていた。もちろん、私は彼女に会いにいった。出迎えてくれたダクネスは光のない瞳でお腹をさすっていた。それが決定打になったのであろうか……私は今の生活や”身分”、”立場”が非常に嫌になった。
これ以降、私は嫌っていたお茶会や舞踏会にも足を運ぶようになった。ひとつは私の将来の伴侶にしてもいいと思える良い男を探すため、もうひとつはクレアやレインのように気軽に話せる”友達”が欲しかったからだ。だが、どちらも上手く行かなかった。私に声をかけてくる男はみな野心と下心を携えた者達であった。実はそのような強い意志を持つ男性は嫌いではないのだが、その誰もが私に少し怯えている姿を見ると正直言って幻滅してしまう。まあ、これは王女という立場でありながら武功を立てすぎた自分にも原因があるのだろう。彼らが他の貴族の女性には勇ましい武勇伝を語るのに対し、私に対しては押し黙るしかないのは滑稽だ。自分の経験が私の武勇と比べるとゴミみたいなものであるという自覚はあるようだ。
そして、私の味方になる存在も得る事が出来なかった。他の貴族達は全員何らかの派閥に属しているし、最大派閥である第一王子派、それを支えるダスティネス派は私に対してどこか冷ややかであった。加えて、弱小派閥に属する下級貴族は私を遠巻きに見るだけだ。恐らく余計な政争には関わりたくないのであろう。
今になって振り返ると、私はこの時とても孤独に飢えていた。幼いころからの付き合いであるクレアとレインとは疎遠になり、新たに配属された近衛騎士はダスティネス派に属し必要最低限の言葉しか口にしない堅物であった。元々交友関係の狭い私にとってそれは辛い物であり……そんな時に届くお兄様の……カズマさんの手紙は非常に甘美なものであった。
王族である私に対して心から優しく接してくれるし、私と幼い頃から交流があって気心もよく知っている。仲間のために魔王を倒す強さを持つ事も知っているし、そのくせコボルト程度のモンスターにも負けてしまう彼の弱さを知っている。おまけに資産家でお金にも困っていないとの事。改めて彼が私にとっては超のつくほどの優良物件である事に気づかされた。何より、彼との生活を想像すると自然と笑みがこぼれてしまう。
だから私は彼を王城で行うお茶会に招待した。手紙でのやりとりはあるが、直接顔をあわせるのは数年ぶりである。精一杯に着飾って、茶器や振る舞う茶菓子にもとことんこだわった。更にクレアやレインにも招待状を送った。彼女達の近況を聞きたかったし、心配だったのだ。こうして私主催のお茶会を盛大に開かれた。
でも、お茶会に来た客人は一人だけであった。
彼女は金髪碧眼のとても美しい女性であった。深紅のドレスは身につけているものの長身とスタイルの良さを際立たせている。口元は扇子で隠され表情は窺いしれないが、とても冷ややかなものである事は理解出来た。対する私は非常に居心地が悪かった。まさに悪事がばれた気分といったところであろう。
「お久しぶりですねララティーナ……」
「その名前はよしてくださいアイリス様。こちらこそお久しぶりです。私自身には覚えがありませんが、どうやら私の見苦しい所も見せてしまったようですね」
扇子をしまい、こちらに顔を見せるダクネスはこちらを無表情で見つめている。姿も口調も堅いおかげで彼女から感じる威圧感は5割増しだった。
「ダクネスもその口調はやめていつものようにしてください。それより……もう体は大丈夫なんですか?」
「もちろんそれは大丈夫です……いや本当に大丈夫だ」
私の質問に対し、ダクネスは満面の笑みを浮かべてお腹を撫でる。まさかまだ狂気に囚われいるのではないかと不安になったが、少し膨らみのあるお腹がそれを否定した。
「ふふっ、私は正式にカズマと婚姻を結んだんだ。立場的には第二夫人に近いが、国の書類上は私が正妻でゆんゆんは妾だ。ゆんゆんに対するちょっとした嫌がらせだがな」
「子供も身籠ったのですか……?」
「ああ、アクアとエリス様からも立派な男児を身籠ったと受胎告知をもらっている」
「そうですか……」
はっきり言ってショックであった。ダクネスとはゆんゆんさんより近しい仲であった。それだけに、愛しのお兄様とダクネスが愛し合う光景を鮮明に想像出来てしまう。子供が出来るという事はやる事はやっているという証拠であった。
押し黙る私に対し、ダクネスは再び冷ややかな目で私を睨み付けてくる。その視線から私は逃れられなかった。
「それでは本題に入りましょうアイリス様。私からの要求はただひとつ。今後はカズマに近づかないでもらいたい」
「それは……」
「アイリス様、説明しなければ分かりませんか?」
どこか嘲笑するようなダクネスに向けて私は思わず拳を振り上げる。だが、もう片方の手で押さえつける。ここで手をだしても立場を悪くするのは私だけだからだ。そんな私にダクネスは言い聞かせるように話しはじめた。
「賢明ですアイリス様。聡明な貴方なら今のカズマに近づく事はあってはならないとすでに理解しているはずだ。ですが、私の口から改めて説明しよう」
「…………」
「まず第一に、カズマは紅魔の里族長の娘……ゆんゆんと結婚している。あの男がいずれは紅魔の里の実権を握る事は確実だ。元々王国内に小さいながらも自治領を持ち、住民全員が上級魔法使いで魔王軍と互角に戦える彼らは我々にとっても目の上のたんこぶだった。だが、紅魔の里の特権を奪って彼らがこの国を離れるような事はあってはならない。国にとっても大きな損失であるし、他国について敵になるなんて想像もしたくない。しかも最近はあの男のおかげで経済的にも発展し、すでに王国内の半分近い商業活動を彼の商会が牛耳っているんだ」
少し自慢気な様子のダクネスは若干頬を染めてお兄様について語っている。もちろんダクネスの言っている事は私自身十分承知している。しかし、それでもなお私は彼に会いたかったのだ。そんな私の意思を察したのだろうか。ダクネスはより強い視線でこちらを見てきた。
「二つ目はカズマがエリス教とアクシズ教に深いつながりを持っている事。すでに教会の最上層部はこの世界の主神であるアクアとエリス様が彼を見染めている事を把握している。これに関しては非常にやっかいな事になっている。つまりはあの男はやろうと思えばこの世界の人類ほぼ全てを国家の垣根を越えて動員できるだけでなく、様々な宗教的対立と内乱の火種を持っている。これにさっきの紅魔族関連の事情を考慮するとカズマは正に”火薬庫”、もしくは眠れる獅子と言ったところだ」
「それは私も理解できています! でも……!」
「でも……では済まないんだよアイリス様。すでに不穏分子やよからぬ輩というものがカズマ達に接触しようとしたんだ。だが、すでにそれらは当家が粛清しているから安心して欲しい。ダスティネス家はこの国の”盾”だ。すでに父王とダスティネス家はカズマと二人の神の同席のもとで契約をしている。カズマに近づく不穏分子を処罰し、カズマ自身が下手な考えを持った場合は当家と私の命を使ってそれを止めるとな。アイリス様、カズマも平和に暮らしたいんだ。だから、国は彼の一族を未来永劫何があっても動員しない。その代わり彼自身も下手な考えは起こさない。それで終わった話だったんだ」
「それでも……私は……」
「聞き分けがないなアイリス様。では三つ目に……貴方の実の兄である第一王子はすでに最前線で戦友だったという隣国の姫と近衛騎士でもあったベルゼルグ公爵家の女性と結婚し、子供も授かっている。魔王を打ち取った我が国はすでに覇権国家だ。面倒だった周辺諸国も魔王軍との戦争のどさくさに紛れて結んだ条約のおかげでほぼ血を流さずに手中に収めたと言っていい。だからこそ、貴方がカズマに近づくと不穏分子が国内外から湧いてくる。私もカズマも余計な政争には巻き込まれたくないんだ。もしこちらに害が出た場合にも、カズマは何もしないかもしれない。でも、エリス教やアクシズ教、紅魔の里の住人……特に人間戦略兵器のめぐみんが何をするか分からない」
何も言えなくなった私は押し黙るしかない。そんな事は百も承知であった。だとしても私は彼に会って話がしたかった。もし彼が私の話を聞いてくれたなら、今の境遇と孤独を伝えたら、私を囲む壁を全て打ち破ってくれる。本当に救いようのない愚かな私を抱きしめ、一緒に過ごしてくれるかもしれない。そんな私の淡い期待をダクネスは知っているのだろう。だからここに招待していないはずの彼女がいるのだ。
「アイリス様、私は前々からアイツの障害になる出来事はなくしてやろうと奔走してきた。不穏分子を招きかねないアイツ個人の名声をゆんゆんや魔剣の勇者に押し付け、私の派閥にも理解を求めるだけでなく派閥の拡大を行った。よく調べている人間なら、カズマが余計な野心より自堕落な生活を望んでいる事は知っているし、私にも同志が出来た。それでも馬鹿な事を考える輩は後をたたない。ダスティネス家がカズマの権力を利用してクーデターを画策している……そんな事を吹聴して内乱を引き起こそうとした奴もいる。どちらも当家と父王とで対処してきて最近やっと落ち着いてきたんだ。それを乱したいのかアイリス様?」
「ダクネス、貴方も随分と変わりましたね。昔は貴方を友達だと思って……!」
「アイリス様、貴方が彼に近づくと良からぬ事が起こる。それを考慮すると私にとって貴方の存在は不利益の塊だ。今後はカズマや私に関わらないでもらいたい」
「っ……!」
ああだめだ。やはり涙が出てしまった。私はどこかで期待していたのだ。ダクネスなら私の味方になってくれると……そんな甘い考えだった。しかし現実は違う。彼女は明確に私を拒絶した。それに彼女の言葉の裏に愛しのお兄様が関わっている事も分かってしまった。つまり彼も私の事を厄介者だと思って拒絶しているのだ。手紙の中での彼は昔と変わらない。でも、彼もダクネスと同じように変わってしまったようだ。
そんな時、ダクネスがテーブルを強く叩いた。衝撃で床に落ちた茶器は割れ、茶菓子が床に散らばる。私は情けなくも体をビクつかせてしまった。彼女の表情は再び氷のように冷ややかで堅くなる。私はダクネスに怯える事しか出来なかった。
「アイリス様、友達なんてものは本当に欲しいものを手に入れたいときには邪魔にしかならない。それでも、私自身は彼女達も大好きなんだ。だから彼に近づく事を許容できるし、カズマを一緒に共に支えてきたという思いもある。だが、貴方はどうだ? 正直言って彼と過ごした時間も少なければ、彼に対する思いの動機も薄っぺらい。そんな貴方に……ゆんゆんと同じような輩にカズマを近づけたくない。あれは”私達”の男なんだ!」
「ひっ……!」
ダクネスのが私に向かってテーブルを蹴り飛ばしてきた。私は反射的にそれを腰から抜いた聖剣で切り飛ばす。だがそこで腕を止める。目の前の無礼者を切り捨てる事は私には出来なかった。彼女は扇子を開き口元を隠す。表情は窺い知れないが、先ほどとは違ってどこか暖かなものを感じた。
「アイリス様、貴方も大人になりましたね」
「ララティーナ……私は……」
「ふふっ、私自身も理解してます。カズマが私や貴方のような女性にとっては”劇薬”でしかないと。だからこそ、ごきげんようアイリス様。もう二度と会う事はないでしょう。もし次に会う事があるとしたら……それは私か貴方のどちらかが命を失った時です」
優雅な一礼をして去っていく彼女を、私は黙って見送る事しか出来なかった。
それからの私は着実に腐っていった。部屋に引きこもりがちになり、僅かな希望を託しお兄様に手紙を送り続けた。だが、返ってくるのは拒絶の言葉ばかり。時を同じくして、私のお茶会にダクネスを招いたのはお父様であると知ってしまった。父は私に謝りながら、これからは自由に過ごしてほしい、結婚なども強制しないと優しく語った。娘である私だからこそ理解できるのだが、お父様は私を手放したくないようであった。だが、そんな思いや言葉もお兄様の婚姻と跡継ぎに関する問題が上手くいったから出てきたものなのであろう。図らずも私が欲していた自由を手に入れたのだが、喜べるものではなかった
この時期の私は後になって考えても歪んでいたと言わざるを得ない。溜まった不満とストレスのはけ口は手紙を書く事と、時折会いに来てくれたレインとお互いの愚痴を語る事、彼女が置いて行ったお勧めの本を読む時だけであった。
そんな時期に私はあの作家の本に出会った。レインによると、作者は紅魔族の女性だそうだ。彼女の書いた本の数々には実に生々しい嫉妬と憤怒に感じられた。それと同時に、これでは終わらないという不屈の精神と野心も感じられた。だから私は再び立ち上がろうと決めた。私が彼の気を引くためにはどうしたらいいのか、何をしたら振り返ってもらえるのか。
それから数か月後、王都にはとある噂が流れていた。旧魔王領にて魔王軍再編の動きがあると……王都では何度目か分からない魔王領への遠征を行う兵士を募集していた。それに私は飛びついた。彼が作ってくれた平和を汚したくなかったし、私がこれを解決に導く事でもしかしたら彼に褒めてもらえるかもしれない。そんな淡い期待があった。
それが間違いであった。
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「お前があの噂の”血染めの王女”か! 許さない……私は絶対に許さない!」
燃えるような赤髪を短くまとめた鬼族の女性が私に大剣を向け、憤怒の表情で睨みつけてくる。彼女の周りには、王国遠征部隊の兵士達の死体が山のように積み重なっていた。私はそれを涼しい顔で受け流し、何だか物騒な異名を自分につけられている事にため息をついた。
「落ち着いてください。私は貴方達を殺したくありません。ですから、崇拝する邪教を捨て、こちらが管理しているエリス教、もしくはアクシズ教居留地に投降してください。それから然るべく教育を……」
「ふざけるな! お前達は私の故郷を奪った……文化と歴史を否定し、誇りを奪った! そんな奴の言う事など聞くか!」
「落ち着いて……戦争は終わったんです。それに、その言葉は私達にも言える事です。私達人類を絶滅間際まで殺し、犯し、故郷や親を奪った。でも今はお互いにそれを忘れて……」
「死ね!」
斬りかかってくる鬼族の女性はとても速かった。そして、一撃も重い。その斬撃を避けながら、私が前線に呼び出された事も納得が行く。確かに、遠征軍の兵士には荷が重い相手であった。
だが、私にとっては遅い。
私は素早く聖剣を振りぬき、彼女の両腕を切断する。彼女は呆けたような表情を浮かべて、宙に舞う両腕とと大剣を見つめていた。そして、数秒後には諦めたように膝を落としていた。
「見事だ……殺すがいい……」
「諦めが早いですね」
「私も一端の戦士だから理解している。噛みついてでも反撃したいが、それも無理……がああああっ!?」
「元気そうなので足ももらいますね」
「ぐうううううっ……早く殺せ……!」
切断した足を私は蹴飛ばす。残った胴体は呪詛のように殺せと泣き喚いていた。そんな私の周りに下卑た笑顔を張り付かせた男達が大勢集まってくる。足元からは怯えたような泣き声が聞こえてきた。
「ごめんなさい。遠征軍の皆さんは僅かな食糧しか出されないし、お給料も1エリスとして出されないんです」
「殺せ……殺せ殺せ殺せ!」
「だから、こうやって現地調達するしかないんです。この大剣は私が貰うので、後はこの人達にもお給料を支払ってあげてください」
「殺せ……殺してくれ……うぎゅっ!?」
私は近くに突き立っていた大剣を背負い、足元の物体を蹴飛ばす。そして周囲の男達に目配せをした。
「いや……私は……いああああああああああっ!」
自軍の方へ引きづられていった彼女を見届ける。多くの下品な笑い声と粘ついた音、小さくくぐもった、悲鳴が聞こえてきた。同時に私は前方からいくつのも敵影が近づいてくるのを感じた。だから、私は周囲で指示を待つ男達に命令を出した。
「焼き払いなさい」
「承知! 者どもかかれええっ!」
反乱軍の集落へと兵士達が蝗のように襲い掛かる。私もその群れに混じり、ストレスの解消を始めた。それから狂気の沙汰が始まった。
次に気が付いた時には私は全身を血で濡らしていた。周囲の死体をいたずらに蹴飛ばし、周囲で倒れうめく者達を敵味方問わず首をはねて行く。そんな時、私の耳が小さな悲鳴をとらえた。私はその方向へ足を向ける。それは今だ燃え残っている家屋の一つからであった。扉を開けて中に入ると、10歳に満たないであろう鬼族の少女が小さな箱を大事そうに抱えていた。そして、そんな彼女を三人の男が取り囲んでいた。
「お嬢ちゃん、その箱を渡してくれや。命まではとらねえからよ」
「いやっ……いやっ……!」
「頼むよ。横の二人は君みたいな奴が好きな変態なんだ。それを渡せば、俺がこいつらを止めて君もアクシズ教居留地に送り届けてやる。変態は多いがアンタみたいな元魔王軍も信仰さえすれば受け入れてくれるぞ」
「いやっ……これはお姉ちゃんが買ってくれた大切な……あっ……」
少女と男達の視線がこちらへ向く。男達は自然に一歩足を引いた。だから、私は少女の元へ行き優しく頭を撫でる。彼女は体をぶるぶると震わせていた。
「大丈夫怖くないから……だから目を閉じて……」
「やっ……あっ……!」
「貴方には見せたくない光景だから」
「ひぐっ……ひっく……なんで……」
「大丈夫」
私はそっと少女の両眼を手のひらで覆う。しかし、小さな少女はそれを振り払った。そして、不思議そうに私の事を見つめてきた。
「なんでお姉ちゃんの剣を持ってるの……?」
「大丈夫、怖い思いはもうしなくていいの」
「なんで……あっ……」
ゴトリと小さな首が地に落ちる。振りぬいた大剣を背負いなおし、思ったより切れ味が悪いことにため息をうつ。さっきから使用して分かったのだが、これは装飾は華美な代わり実用性が低い安物であった。同時に周囲の男達もため息を吐いた。
「おいおい……」
「貴重な幼女が……」
「もったいない……まあまだ使えるか」
二人の男のうち一人は胴体を、もう一人は転がっている首を拾って趣味の悪い自慰を始めた。残った一人は少女が持っていた箱を開け、顔をしかめてからそれを蹴飛ばす。そして、煙草をふかし始めた。私は何気なく目の前に転がってきた箱を手に取る。中には、煌びやかな装飾品が入っていた。だが、そのどれもが質の悪い玩具であった。その中から私は一つの指輪を手に取る。
それは私が彼から貰った物とそっくりであった。
「まったく、しけた家だ。金目のものがありゃしねえ……って姫様……?」
「…………」
「マジかよ……泣いてんのか姫様……いつももっとえげつねえ事……いやアンタも人間だもんな」
何故だか分からないが涙が止まらなくなった。そんな私を目の前の男が軽く撫でた。だが、涙は止まらない。何もかもがどうでもよくなっていた。そんな時、家の扉が強く押し開かれる。そこには血相を変えた男の姿があった。
「おいお前ら撤退だ! どうやらここに作られた地下壕にまだ立てこもってる奴がいるらしい。だからめぐみんの姉御が全部まとめて爆裂するってよ! 死にたくなきゃ逃げろ! 爆裂は五分後だ!」
「おいおいまだ俺達は稼いでないってのに……姫様逃げるぞ! おいペド野郎どもお前らも姫様を運ぶのを手伝え!」
「うるせえ! 俺はこの肉便器を運ぶんだよ!」
「悪いが俺は先に逃げさせてもらう。まだ死にたくねえんだ!」
首を放り投げて逃げ出した男の後を、私をおぶってくれた男と胴体をおぶった男性とで追う。それから私達が野営地に帰り着いた時、あの集落は爆炎と共に塵も残さず消え去っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その後、野戦病院に送られた私はすぐさま王都へと戻された。泣くだけだった私を、父は優しく抱きしめる。偉そうに負けた国はああなるんだとか語り始めた父の顔を私は殴り倒していた。それからはある意味吹っ切れてしまった。暇つぶしにダンジョンを踏破したり、賞金首をぶっ殺して金を街にばらまいた。また、お兄様への手紙はこの頃は客観的に見てもすでに嫌がらせの域に入っていた。それでも私の心は晴れない。結局、私は禁忌とされた愛しのお兄様のもとへ会いに行くことにした。しかし、彼の周囲の監視網を突破する事は厳しい。だから、私は旧知の仲を頼る事にした。
「という事から吾輩の所に来たのか壊れた娘よ」
「そんな所ですよハチベエ……いやバニルさん。それと私は壊れてなんかいません」
「おおう、自覚がない事ほど恐ろしいものはない。しかし、悪魔である吾輩を頼ったのは正解だな! あの男の周囲には女神の目がある。突破するには外法を使うしかあるまい。もちろんそれは吾輩という悪魔と契約をする事を意味している。それでも良いのか?」
「差し出せるものは何でも出しますよ。お金でも、体でも。魂でも」
「おっと、即答するとはこの吾輩でも予想外!」
さきほどからうるさいバニルさんを軽く小突く。私とて半端な覚悟でここに来たわけではないのだ。バニルさんはせわしなく動いて私の様子を見た後、そっとため息をついた。
「よかろう壊れた娘よ。吾輩が女神を欺く外法を教えてやろう」
「代償は?」
「心配しなくていい。吾輩は貴様の壊れた魂も身体も欲しくはない。吾輩が要求するのは……ダンジョンを作って欲しいという事だ」
「ダンジョン……?」
「そうだ! 吾輩が貯めたお金でこっそり作っていたんだが、何を思ったのかあの貧乏店主が爆裂魔法でダンジョンを壊し、おまけに吾輩のお金を勝手にガラクタへとつぎ込んだんだ! 『これで振り出しですね。さあ私とお店を続けましょう』と笑顔を見せるあやつは正に狂人で……」
悪魔なのに何やら体を震わせているバニルさんの手を私はとる。その代償を受け入れるという意思表示だ。それから、私はバニルさんからいくつかの技を伝授してもらい、何個かのアイテムも頂いた。代わりに彼の望むダンジョン作成を引き受けた。ダンジョンの場所や内装は私が好き勝手に作っていい事、出来ればダンジョンに配置できるモンスターなどを集めて欲しい事。期限は無期限で最低でも一階層を作ってくれれば問題ないという事であった。はっきり言って悪魔の代償としては破格のものだ。
「なあ、壊れてしまった娘よ。また何かあったら吾輩を頼るといい。また代償は頂くがな」
「だから壊れてませんって……」
それから数日後、私はしかるべき準備をして紅魔の里へと向かった。体に女神の目を欺く刻印を刻み、エリス教巡礼者達の間に混ざって紅魔の里へと侵入する。結果としてそれはあっけなく成功してしまった。そしてついに憧れのお兄様の元までたどり着いたのだ。だが、その歩みも彼を前にすると止まってしまう。彼は紅魔の里の小さな公園にいた。タバコを吸いながらベンチに座る彼は、ぼーっとした表情で砂場を見つめていた。彼の視線の先には紅魔族の少女と人間の男の子の姿がある。彼らは一生懸命に砂の御城を作っていた。
「お兄ちゃん、余計なものつけないで」
「いや、御城なんですから大砲は必要不可欠です。ほら、ここの塔の頂上にも大砲を……」
「えいっ」
「ぬあっ!? 砂かけないで貰えます!? うあ口に入った……ぺっ……ぺっ……!」
無表情で兄に砂を飛ばす少女はどことなくゆんゆんに似ている。あれが噂のありさちゃんであろう。そして砂をかけられて涙目になっている茶髪の少年はダクネスの息子であるカイズ君だ。彼は以前ダクネスと一緒にいるところを、舞踏会にて遠目で見た事がある。
「可愛いなあカイズ君……」
思わずそんな言葉が漏れてしまった私の口を慌てて塞ぎ、私は公園の茂みからそっと魔道カメラを構え写真を撮る。そうしているうちに、公園にもう一人の少女が現れる。美しく長い銀髪をツインテールにまとめ、この世のものと隔絶した美貌を持つその少女からは私にとって得体のしれない威圧感を覚えた。あれがエリス様の娘であるとされるレイカちゃんであろう。
「お父さーん、そろそろご飯だってー!」
「へいへいって登るな登るなっての……」
「いいからいいから! 今日の夕食のコロッケはあたしが手伝ったの! 絶対おいしいから早く食べて!」
「おう、それは楽しみだな……ほらカイズとありさも帰るぞ」
背中にレイカちゃんを乗せたお兄様のもとにありさちゃんとカイズ君は素直に集まり仲良く帰路へつく。結局私は話しかける事が出来なかった。だが、私の足は彼の跡を自然に追う。そうして、彼の家の玄関先まで来てしまった。そこでどうしようか迷って固まっている時に私は背後から話しかけられた。
「あの、ウチに何か御用ですか?」
「えっ……あっ……」
「巡礼者の方ですよね。道にでも迷ったんですか?」
そうい言って話しかけてきたのは、紅魔族ローブに身を包み、私より長身でスタイルの良い体つきをした女性であった。しかし、彼女の顔つきにはまだ幼さが残っている。恐らく私より年下であろう。
「いやあの……教会はどっち方だったかなー!」
「あちらの角を曲がって右ですよ。案内しましょうか?」
「そそ、そんなとんでもない! うぇひひ……ありがとねばいばーい!」
私はさっさとこの場所を離れる事にした。そして、転送屋を使用して王都へと帰り着く。結局はその日は興奮して夜も寝付く事が出来なかった。確かに私はお兄様と顔を合わせる事すら出来なかった。しかし、その姿を目にしただけで私は気分が軽くなったのだ。
だから私は次の日も、その次の日も彼のもとへ通い詰めた。資金がつきかけたら片手間にダンジョンで金を稼ぎ、巡礼者の一部を買収しては彼が使った品を少しづつ集めた。気づけば、私の拠点には彼に関する品であふれていた。
「くふっ、お兄様がいっぱい……」
「お嬢様、相変わらず趣味が悪いですね」
「おほー……見てくださいライムさん。これはこの前の遠征で私の前に落ちてきたんです! これがお兄様のパンツ……んっ……」
「気持ち悪いですよ変態」
「ちょっ、相変わらず口が悪いですね!」
「これは客観的事実です。はあ……あのジジイが恋しくなる日が来るとは……」
無表情ながらも心底嫌そうにため息をつくのは私の秘密の部屋の管理を任しているメイドさんである。彼女は資金調達のために踏破したダンジョンで見つけた古代のホムンクルスだそうだ。彼女は恨みと失意に満ちた数十人の人間の魂を圧縮して作られたというやば気な逸話を持ち、実際そのせいかかなり口が悪い。しかし、私の命令はしっかりこなす忠実な下僕だった。
「ダンジョンの方はどうですか?」
「貴方が指定した場所にすでに着工していますよ。途中で変な吸血鬼とか掘り起こしたりしましたが、今のところ順調です。後、お嬢様に向けて仕事の依頼も来てます。なんでも元魔王領アクシズ教居留地から逃げ出した奴らが夜盗と化してるとか……」
「そういう仕事は全部断っているんです! この前の遠征のせいで私に風評被害……というよりは余計な事をしてしまったせいでこんな目に!」
「いえ、お嬢様は立派です。魔族なんてさっさと民族浄化しちゃいましょうよ。この国がとっている同化政策は将来に禍根を残しますよ?」
「私は後の事なんてどうでもいいんです。明日より今日なんです! という事で私はちょっと自慰をするので隣の部屋で大人しくしていてください」
「頭おかしいよこの人……」
そう言いながら退出したライムさんを見届けてから私は体を脱力させる。今の私には過去に例を見ないネタが手に入ったのだ。それは最近返信のあったお兄様からの手紙だ。そこには私への罵詈雑言と彼女から送られたお兄様との卑猥な写真が数枚ついていた。
写真の中で下卑た笑いを浮かべる男は私の愛しのお兄様であり、アヘッている女性の正体は私自身も大ファンである本の著者、あるえ先生だった。どうやら最近の気のない手紙への返信は全て彼女のものらしい。その事実が私の脳をゆさぶる。得体の知れぬ喪失感、破滅的な未来への展望、屈辱と嫉妬に塗りつぶされ私はストレス解消に走った。
あるえ先生は私が貴方の本を参考にダンジョンを作っている一方で、絶対に無理だと思っていたお兄様を落としたのだ。あのダクネスやめぐみん、女神達を打ち破って意中の男性を手に入れたのだ。それなのに、彼女よりは旧知の仲である私は王城で順調に腐り、彼のストーカーにまで落ちぶれた変態である。おまけに今はそんな状態の私をどこか客観的に見て、悲恋に酔い、どうしようもない屈辱で顔を熱くする。やはり私はどうしようもない人間になってしまったようだ。
「お嬢様、来客のお知らせです。ん、なんですかこの卑猥な写真は?」
「んへへっ……私の大切なお兄様……寝盗られちゃった……」
「お嬢様、やっぱり脳が壊れていませんか? きちんとお医者様に診てもらった方がいいですよ」
「君、素質あるよ」
「気持ち悪い!」
衣服を整えられ、部屋から蹴りだされた私は仕方なく応接室へ向かう。恐らく、また賞金首モンスターや殺しの依頼だろう。さっさと断って部屋に引きこもろうとした私は、応接室で懐かしい人と顔を会わせる事になった。美しい金髪碧眼と、切れ長の目とクールで端正な顔立ちは何一つ変わっていない。だが、彼女から感じる雰囲気は、以前と比べてとても穏やかになっていた。
「お久しぶりですねアイリス様……」
「クレア!」
思わず彼女に勢いよく抱き着いてしまう。彼女はそんな私を優しく受け止めてくれた。そして、お茶とお菓子を交えながら彼女の近況を聞いた。まったく連絡の取れなかった彼女の事は心配であったのだが、私自身も色々ありすぎてクレアとこうして顔を会わせたのはあの涙の別れ依頼である。
「とまあ、ウチのダメ夫が結婚早々に事業に失敗したんだ。同時期に領地で起きた飢饉にあのバカは財も投げ出してしまって……おかげでレインの家にまで借金したりと大変だったんですよ」
「クレア……私に言ってくれればお金も出したのに……」
「アイリス様には絶対頼れませんよ。貴方には迷惑はかける事は私の誇りにも傷がつきますから。とにかく、ようやく最近になって事業も持ち直して借金も全額返済、経済的な余裕も出来たのでこうして貴方に会いに来たんです」
朗らかに笑うクレアからはとても幸せそうな感情が溢れていた。これには流石に私も戸惑う。レインと定期的に催す愚痴大会には陰鬱で怒りに満ちたものが多かった。それなのに、彼女からはそのような思いは感じられなかったからだ。
「旦那さんとはうまくやっているのですか?」
「んっ……まああのバカのおかげで色々苦労したが、あいつ自身は決して悪い奴じゃなかった。服や装飾品の趣味は最悪だし、私が作る下手な料理さえ美味い美味いと言って全部平らげる大食いの豚だ。容姿だってかなり……いや少し常人より劣っている。でも、私にはその……優しくしてくれるし、私の全部を任せてもいいかなと思えるくらい時には頼りなる男なんだ」
「あー……なるほど……なるほどね……」
正直言って聞いてるこっちが恥ずかしくなるベタ惚れっぷりであった。当のクレアも顔を真っ赤に染めてボソボソと旦那との惚気話を話し始める。今の私にとってそれらは実に耳の痛い話であった。
「クレア、変な催眠とか受けてないですか? それとも、旦那さんのモノが凄く大きかったとか……」
「なっ……! 流石に聞き捨てなりませんよアイリス様! あんな性欲強そうな見た目なのにかなり奥手で、こうやって経済的に余裕が出来てから私から何度も誘って最近ようやく……って何を言わせるんですか!」
「あーはいはいごちそうさま」
まさかの性事情を聞いて思わず笑ってしまう。このクレアが男を誘う場面を想像するだけで笑えてくるのだ。色んな意味で顔を真っ赤にして怒る彼女を私は微笑ましい目で見る。あのレズの疑いすらあった彼女が、自分の男の事で顔を赤くしているのだ。それがとても滑稽で……とても羨ましく思えた。それからはひたすら彼女の惚気話を聞き続けた。気づけば、窓の外も随分と暗くなっている。彼女との楽しい時間もこれで終わりであった。
「今日は楽しかったですアイリス様。今度はレインも交えてお話をしましょう」
「ええ、レインも喜ぶと思うわ」
クスクスと笑いながら、私は彼女を帰りの馬車のもとまで送る。そして最後に一つだけ質問をしてみた。
「ねえクレア、貴方はいま幸せなの?」
「もちろんですよ。最初は私の運命を呪いましたが、結果的にあの男とめぐり合わせてくれた事に感謝しています。それじゃあアイリス様、また今度お会いしましょう」
「ええ、ごきげんようクレア」
その夜、私はクレアがお兄様のチ〇ポに屈して家庭崩壊する想像をしながら自分を慰めた。
それから数か月の時が過ぎた頃、私は相変わらずストーカーをして日々を過ごしている。ただ、最近は彼を盗撮するだけでなく、彼の家庭環境も観察していた。私が言うのも変であるが、彼の家庭は軋むような妙な歪みが常に見て取れた。私はそんな歪みから逃れるように孤独に過ごす少女を見つけ、素早く設置していた望遠鏡を回収する。そして、彼女の方へ駆け出した。
「やあ、また会ったねさよりちゃん」
「あっ……イーリスさん……最近は毎日のように会いますね……」
「また一人で本を読んでるの?」
「そんなところです。ここはとても静かですから」
そう言って微笑む彼女はやっぱり憎き恋敵に似ている。だが、それ以上に私は彼女の事が少し心配だった。何だか、彼女は今よりもっとダメな時の自分に似ているのだ。彼女の横に座った私を、近くの木の下で伏していた巨大な黒い獣がじろりと睨む。だが、すぐに興味をなくしたように目を閉じて眠り始めた。
「相変わらずじゃりめちゃんはおっかないですね……」
「ふふっ、でもあのコ何も反応を示さないという事は、イーリスさんが良い人だって証拠ですよ」
「う、うーんそういう事にしておこうか」
変に墓穴を掘るような事はしなくていい。私はコクコクと頷きながらさよりちゃんがぽつぽつと語る話に耳を傾けた。家族の事、学校の事、今読んでいる本の事。お互いに笑いあいながら弾む話を楽しむ。彼女は私より10歳近く年下なのだが、不思議と仲良く話す事が出来た。それだけ、彼女が精神的に成熟し、私自身が精神的に幼かったのであろう。
「あのイーリスさん、貴方って冒険者なんですよね。その少し興味あるんです。学校を卒業したら私も冒険に出てみようと思うんです」
「ええっ……やめといた方がいいですよ? 痛いし血生臭いし、命の危険もあるし……」
「ふふっ、お父さんやお母さんと同じことを言うんですね。でも、私は負けないです! 絶対に成功して見せます!」
「おおう……どこからその自信が?」
「自信なんてありません。でも私がこのまま里にいたら、いつまでも今の自分を変えられない気がするんです。むしろ今よりダメになっちゃいます」
自嘲するように苦笑する彼女に私はそっと身を寄せる。彼女の身体はふるふると震えていた。
「私自身はこれでも努力をしてきたつもりなんです。魔法を学び、独学でモンスターテイマーのスキルだって習得しました。でも、人付き合いがダメで上がり症でそのくせ何処か他人を見下して……学校の同級生から嫌われるのは当然です」
「そんな事は……」
「私の妹のありさは、今の私より魔力が高くて人を引き寄せる生まれながらのカリスマを持っています。きっと次の族長になるのはあの子です。学校の先生もそんなうわさ話をしてました。カイズ君だって、小さいのに聖騎士を目指していっぱい努力して、今じゃ紅魔の里のアイドルです。それにレイカちゃんに至っては私自身が何度もお世話になっちゃって……」
恨めし気に、でも何処か誇らしそうに語るさよりちゃんはもう涙目になっていた。どうしたものかと私が思案していると、彼女は涙を拭いて立ち上がる。その顔は希望に満ちていた。
「だから、私が冒険者で成功して……いっぱいお金を稼いで、お姉ちゃん凄いって言ってもらうんです!」
「さよりちゃん……」
「あと、お父さんを見返してやる。いつもちゃらんぽらんで面倒くさがりのクソ親父だけど、里の名声だけは無駄に高くて……だから私はあの人だけには負けない!」
中々に手厳しい言葉だ。おそらくお兄様が今の言葉を聞いたらショック死するだろう。でも、私自身聞いていてどこかスカっとした。そんな私の手を、さよりちゃんはそっと握ってくる。彼女は耳まで真っ赤にしてうつ向いていた。
「だからその第一歩として……友達になってくれますかイーリスさん!」
「友達……」
その単語は私にとっても非常に嬉しいものだ。だから、私も彼女の手をそっと握り返した。
その日の夕方、私はとても気分よく転送屋までの道を歩いていた。この年になって、新たに友達が出来てしまったのだ。しかし、そんな私を小さな影が引き留める。彼女の表情はとてもイラついていた。
「最近お姉ちゃんが挙動不審だから後をつけてみれば……とんでもない奴に引っかかってたみたいね」
「貴方は……?」
「分かっているでしょう? 勇者サトウカズマと女神エリスの娘、レイカよ!」
ばばーんと登場した小さな女の子を前に私はたじろぐ事しか出来ない。せめて話し合いで解決しようとしたが、彼女は聞く耳を持たなかった。
「言い訳しても無駄、貴方からはあたしの大っ嫌いな匂いがするの。めぐみんやあるえさんが興奮してる時によく出してる嫌な匂い……貴方もお父さんが狙いなの?」
「それは……」
「お父さんはとても疲れてるの。特にアンタみたいにみるからに面倒くさそうな女はお父さんに近づけたくない! アンタみたいな奴に構わなきゃいけないお父さんが可哀そうだし……あたしにかまってくれる時間が減っちゃうの。そんな奴がお父さんやお姉ちゃんに近づくのは許さない!」
急速に冷たくなっていく少女の瞳には私に対する怒りとネバつく何かが宿っていた。慌てて逃げ出そうとした私に彼女は何やら月を模した小さな短杖を取り出してそれに力を込め始めた。それには洒落にならない力が渦巻いている。私は半ば反射的に体を動かしてしまっていた。
「喰らいなさい! ”セイグリッド……”」
「しっ!」
「えっ……あっ……」
私が振りぬいた聖剣は、レイカちゃんが持っていた短杖を粉々に砕いていた。彼女は短杖であった棒切れをぎゅっと抱きしめた後、ぽろぽろと涙を流し始めた。
「お、お父さんがあたしのために作ってくれた杖なのに……私の大事なものなのに……ひっぐ……」
ついに顔をくしゃくしゃにして、大粒の涙を流す彼女を私はどうする事も出来なかった。そして、周囲に神殿騎士や紅魔族の住民が物騒な顔をして近づいてくる。私は慌てて逃げるほかなかった。
翌日、私にお茶会の招待状が届いた。主催者はダスティネス・フォード・ララティーナ。この時点で私は全てを諦めた。
「というわけでまた恥もせずに吾輩のところへ来たのだな壊れた娘よ」
「そういう事です。それで、私のお願いは叶えられそうですか?」
「それは無理だ。貴様の読み通りあの女神達は貴様の記憶を消去しにくるだろう。ここで貴様の脳を弄れば吾輩の悪事も女神にバレてしまう。そこでだ……貴様はどうしても残したい記憶があるそうだな?」
「ええ、今更お兄様への記憶には興味ないです。むしろ、あんな”劇薬”は忘れてしまった方が幸せになるはずです。変に怖がっても仕方がありません。クレアみたいに高貴な身分でも素敵な出会いがある事は理解出来ましたから」
もちろん、お兄様に忘れられたくないという思いは今でも重く渦巻いている。しかし、いっそ彼の事を忘れてしまった方が、今の自分には良い気がした。私だって、いつまでも腐っているつもりはないのだ。
「お兄様の事はもう構いません。だから……!」
「善処しよう。今から貴様の記憶の一部をバックアップし、封印する。貴様が残したいもの、吾輩との契約を……」
口元を歪ませるバニルさんに私は笑顔を返す。そして、彼も笑顔で契約の代償を要求してきた。
「それじゃあこのバニル様と契約を結ぼうではないか! 代償は……”貴様が二番目に大切にしているもの”だ」
数日後、私は秘密の部屋でじっと彼との記憶を思い返していた。そして、大事にしまっていたジュエリーボックスから二つの指輪を取り出す。一つは彼との思い出の指輪。もう一つは、私の後悔が詰まった指輪であった。
私はそのうち一方を身に着け、もう一方をここまで尽くしてくれたメイドさんに託した。
そして、私は意気揚々とお茶会の場へ足を向けた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
その日のお嬢様はとても変であった。いつもよりヤケにテンションが高く、とても丁寧に化粧をし、衣装を整えていた。そして、以前は私が軽く触れただけで癇癪を起していたジュエリーボックスから指輪を一つ出して手渡してきた。彼女の命令は単純なもの。
この指輪を王都から遠く離れた場所で捨ててほしい。
その後は私の管理下から外れて自分の思うままにすごしなさいと……
「お嬢様も馬鹿ですね。首にされると分かってるんです。誰が貴方の命令なんか聞くもんですか」
そう愚痴を言いつつ、私はお嬢様の帰りを待った。しかし、その日は帰ってこなかった。次の日、隣の禁書庫で足音がしている事に気づき、私は秘密の部屋を出る。そこには案の定、お嬢様がいた。
「お嬢様……何故昨日は……」
「はい?」
振り返ったお嬢様の顔は、何か憑き物が落ちたような朗らかさであった。今までような陰鬱さや威圧的な感情を感じない。正に、王女様といったところだ。
「ごめんなさい。私、探し物をしてて……でも何を探してるのかも分からない状態で……」
「お嬢様、少なくともここにはないと思いますよ。ここはエロ本しか置いてないです」
「そ、そうなんですか!?」
顔を赤くしながら扉へ急ぐ彼女を私はじっと見つめる。彼女は照れ臭そうに振り返った後、そっと私に尋ねた。
「あの……初めて見る使用人さんですね。お名前は何と言うのですか?」
「ふふっ、別に私の名前なんてどうでもいいじゃないですか。それより早くここを離れてください。変な噂がながれちゃいますよ」
「そ、それは勘弁して欲しいです。それじゃあ……ありがとうございました!」
朗らかな笑みを浮かべて去った王女様に一礼を返し、私は秘密の部屋へと引き返す。そこにはすでに行き場のない感情の渦が出来ていた。そして、それを、私が持っていた指輪がどんどんと吸い込んで行く。禍々しい指輪は完全に呪いの品と化していた。
「はあ、正直言ってお嬢様はあのハゲジジイよりやべーご主人でしたが……最後までお供しますよ」
私はそっと手に指輪をはめる。それから、私と”お嬢様の感情と思い出”がぐちゃぐちゃに混ざり始めた。元々、私はあのハゲジジいが言う通り欠陥品だ。本来は私の未完成の妹のように人々の希望や夢と言った願いの力をこの体の動力源にするつもりであった。しかし、滅亡間際のあの国にそんな感情は残っていなかった。
だから私が作られた。人々の無念、怒り、絶望を糧に作られたいわば戦時急造品。所謂、戦時設計の倫理観を無視して作られた欠陥兵器だ。でも、だからこそこの指輪は私に馴染む。お嬢様の……”私”の無念をはらすために私は行動を開始した。
「ああ、まったく……あの悪魔はどこまで先を見通しているのだろうな……」
私はあの悪魔から渡され、使うはずがないと封印していたアイテムを取り出す。それは一見何の変哲もない鎖に見えた。
「神縛りの鎖か……バニルさんはエリスさん達には効果ないって言ってたけど……試す価値はある」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
こうして、私は本懐をとげる気であった。しかし、いつまでたっても私が望む破滅は訪れない。さっきまで私の身体を抱きしめてくれていた愛しのお兄様は体を離してしまっていた。代わりに耳障りな泣き声が聞こえてきた。
「お父さん死なないで! 魔王だって倒したんでしょ! だから負けないでお父さん!」
振り返るとお兄様はダイナマイトと呼ばれるものを脱ぎ捨てていた。そして、再び刀を構えていた。
「どうしたんですかお兄様……私と一緒に死んでくれないのですか?」
「ああ、それはやめだ。俺の娘にはカッコ悪い所は見せられねえ」
「ふふっ、良い覚悟ですね。でも、私には適いませんよ」
不敵に笑う彼はゆっくりと私に近づいてくる。私はそれに対し、再び手数で攻めた。しかし、飛ばした鉄球も、投げつけたナイフも、素早い蹴りも全て紙一重で躱していく。そしてついには彼の斬撃が眼前にまで迫っていた。慌ててモーニングスターの鉄球を刀にぶつけたが、おかしな事に鉄球は粉々に砕け散り、彼の刀は傷一つついていなかった。
「なぜ……こんな事が……!」
「あれだな、当たり所が悪かったんだろう。じゃあ武器の次は……」
すかさず彼に無数の蹴りを叩き込む。しかし、その全てを避けられ、逆に私が彼の蹴りを受けていた。壁際まで吹っ飛ばされた私は頭の中で急激に彼が強くなった原因を探る。しかし、まったく分からなかった。
「これで終わりだアイリス……いやアイリスもどき! 俺の必殺技を受けて散れ!」
「私は諦めません……こんな事は偶然の産物……必殺技……どうせハッタリでしょう」
「それはどうかな? 喰らいやがれ! 超必殺……!」
腕を突き出した彼に対し、私は体を引き締めて対処する。落ち着け、運とハッタりの強さが彼の強さの本質だ。だからこそ、こちらは気長に構えるべきだ。こんな幸運は何度も続かないのだ。
「”スティール”!」
先ほども聞いたスキル名を前に私は思わず吹き出してしまう。しかし、何故か突然身体を動かせなくなった。そして、私は膝から崩れ落ちてしまう。不敵に笑う彼の手の中には、私の大事な指輪が握られていた。
「なんで……窃盗スキルは無効化したはずなのに……!」
「アホか、俺にはアクアとエリスの”祝福”がついてんだ。おまけに娘にも応援されちまったからな。だから今の俺に不可能はない!」
「どうして……そんな……ありえない……!」
「今の俺ならげんじのこても余裕で盗めるな!」
彼は意味不明なことを言いながら錯乱する私をしばらく見つめた後、指輪を地面に投げ捨てる。私はそれを取り返すためにずるずると這うように体を動かした。あれは”私”という存在を定義づけるエネルギーの核なのだ。あれがなければ私はまともに動かない。頭部につけた”アイリスの髪を拾い集めて作ったかつら”だけでは身体を維持できないのだ。
そんな私をあざ笑うように彼は投げ捨てた指輪にもう一つの指輪を添える。それは”私”が以前彼に盗まれてしまった王家の指輪であった。そして、その二つの指輪に、彼は何かの液体を振りかけていた。
「すまなかったな。だからこいつは返すぜ」
「私の……”私”の指輪……返して……返して!」
「欲しかったら自分で取りな。だが、それはお前の指輪じゃねえよ。俺の知ってるアイリスは、どんだけ狂っても、子供に手を出すようなことはしねえな。だから、お前は偽物だ……さっさと死にやがれ!」
「お兄様に……お前に”私”の何が分かる! ……ひぐっ!?」
蹴飛ばされた私は地面を転がる。しかし、おかげで指輪により近づけた。視界の端で彼が娘の鎖を解いてこの場を離れる様子が見える。だが、今は彼より指輪だ。
「指輪……私の大切な指輪……」
私は指輪にそっと手を伸ばす。そんな時、指輪の近くに彼の魔道具……ジッポライターが転がってきた。その淡い炎はあっという間に指輪を包み込んだ。その炎は”私”の全身に燃え移り、何もかもが燃えて行く。私の失意も”私”の無念も、この身体に宿る行き場のない魂も全てを優しく浄化する。今になって私は理解する。半信半疑であったのだが、私のお嬢様の思い人は確かに魔王を討伐せしめた勇者であった。
炎に包まれながら、私はチリチリという音が聞こえるのを耳にした。目を向けると、そこにはお兄様が投げ捨てた変な服からひも状のものが私へと延びていた。ひもに炎が燃え移るのを目にしながら、私はそっとその服に手を伸ばした。
「お兄様、”私”の事……忘れないでくださいね」
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背中に背負う小さなぬくもりは、ぎゅっと俺に抱き着いてくる。その姿に俺は安心感を覚え、そっとため息をついた。
「ケガはないかレイカ?」
「もちろん! お父さんこそケガはないの?」
「アホ、見た目通りボロボロのクタクタだ」
「うん、そうだね……でもとってもカッコいいよお父さん!」
「あったりまえだろ! 俺は魔王も倒しちゃったカズマさんなんだぞ? あの程度雑魚だよ雑魚!」
確かにギリギリの戦いであったが、俺の勝ちには変わりはないのだ。そんな俺にレイカは嗚咽を漏らしながら痛いくらいに抱きしめてきた。やはり、レイカもまだまだ子供なのだ。
「お父さん! 私将来はお父さんのお嫁さんになるね!」
「おいおいマジか! 俺は一生離さないからな~!」
嬉しい事を言ってくれる娘を撫でつつ、俺はダンジョンの階段を上る。そこには裸でスライムや触手生物を追い掛け回すダクネスの姿があった。
「おいこら待て! 私を犯せ! 犯せと言っているんだ!」
俺は走り回る痴女を見なかった事にして、新たに階段を上る。そこには疲れたように座っているゆんゆん、めぐみん、あるえ、クリス。そして彼女達を治療するアクアの姿があった。彼女達は俺とレイカの姿を見て駆け寄ってきた。俺はぐずるレイカをゆんゆん達に渡し、アクアにダクネスが再び心を壊してしまった事を伝える。そして、さっきまでこのダンジョンにいなかった珍客に顔を向けた。
「おいおい、なんでお前がここにいるんだバニル」
「それは吾輩の言葉だ小僧。まさか貴様があの状況から生きて帰るとはな……」
「馬鹿にすんな。レイカに親の死に顔を見せるにはまだ早いんだよ」
そう吐き捨てた俺は、アクアに説明を求めた。こいつをここに連れてきたのはアクア以外考えられないからだ。
「あのねカズマ、さっきアイリスちゃんの頭を調べた時、コイツの封印処置が施されてたのを発見したの。しかも私への宛名つきでね……」
「おっと、変な事を言うな駄女神、吾輩とて今回の事は予想外だ。封印した記憶はそこのスケコマシのものではなく……」
アクア以外の全員がバニルへと武器を向ける。ただ、こいつなりの思惑があるのだろう。それをゆっくりと聞こうと俺も地に尻をつける。そんな時、何処かから何か歌声のようなものが聞こえてきた。俺は首を傾げながらめぐみんを見る。しかし、彼女は首をふるふると振る。そして、上層の階段からこれまた懐かしい顔が姿を覗かせた。しかし、俺達は全員押し黙る事になる。彼女が纏う冷気と魔力が尋常ではなかったからだ。加えて彼女の瞳からは光が消えていた。
「ばっくれつばっくれつ……あっバニルさん。こんなところにいたんですか?」
「おい、お前には店番を頼んだはずだぞ貧乏店主」
「ふふっ、また私に内緒でこんなダンジョン作っちゃって……ダメじゃないですか! バニルさんは私とダンジョンを作るんですよね?」
「それはそうだが……吾輩にも悪魔なりに人生設計というものが……」
「はい、じゃあお疲れ様でした! ここはもういらないので爆裂しますね! さんじゅうーにじゅきゅうー」
「おいやめろ貧乏店主! 貴様は本当に何がしたいのだ!」
「にじゅはちーにじゅななー」
気づけば俺達はバニルとウィズを残して慌てて逃げ出していた。しかし、途中でダクネスを忘れていたため俺は慌てて引き返す。すぐさま彼女を回収した俺は何とかダンジョンを脱出する事が出来た。直後にあのダンジョンは爆散して巨大なクレーターが出来上がった。荒い息をつきつつ、俺は皆の無事を確かめる。それから疲れたように呟いた。
「さあ、お家に帰ろうか……」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「んっ……」
そっと身体を起こした私はしばし宙を見つめた後、今の状況が理解できずに右往左往した。しかし、近くにあった。姿見には見覚えのある姿があった。スレンダーな体つきに、淡い青髪をボブカットでまとめた女性。”私”の記憶は確かにこの身体の事を覚えていた。
「なんで私がライムさんの妹さんに……?」
困惑する私は近くのテーブルにあったものを物色する。バックパックや携帯食料、水筒やいくつかのダガー、鞘に納められたショートソードを私は無意識のうちに身に着けた。
「やっぱり、バニルさんなのかな……私はこんな事頼んでないのに……」
ふと、私は屋敷から見える中庭に目を向ける。その光景を見て私は懐かしさがこみ上げる。ここは、アクセルの街にあったカズマさんの屋敷であった。そして、たどり着いた玄関先にはあのジッポライターという火の魔道具が落ちていた。そして、その魔道具の下に挟まれた紙切れには大きく文字が殴り書きされていた。
『君は自由だ! だから二度と俺に関わるな!』
その言葉を見て私は小さく笑う。そして自由への一歩を踏み出した。もちろん様々な疑問は尽きない。
でも、私は自分で考え、地に足をつけて歩いている。それだけで十分であった。そして、私は夢にまで見た冒険者ギルドへの扉を押し開く。そこには私が求めていた人がテーブルにポツンと座っていた。それを見て私はそっとため息をつく。これも必然……いや”偶然”なのであろう。
「やあ、さよりちゃん! 元気にしてた?」
「貴方は……あっ……もしかしてイーリスさん!?」
「ふふっ、こんなにも姿が変わってるのに分かっちゃうなんて……へぶっ!?」
「今までどこに行っていたんですか……私……心配して……もしかして私が悪いんじゃないかって……」
抱き着いてくる彼女をあやしつつ、私は胸中でも安堵の息をつく。唯一の心残りはこれで解消された。それならば私も新たな人生を楽しもう。そりゃあ、私の本体の事は気になるし、この身体にも疑問がつきない。それでも、私は体の中に渦巻く”希望”に身を任せる事にした。
「というか、凄いイメチェンですねイーリスさん! それとその仮面ダサいです!」
「おっと、これの悪口は許さないよ! これにはね私の夢や青春が詰まって……!」
私はさよりちゃんと一緒に笑いながら歩き出す。
夢と希望の冒険への始まりであった。