淡い薄暗闇の中に、私はポツンと漂っている。自分の意識はあるものの、肉体の感覚はない。ああ、これは夢なんだなと不思議と自覚する事が出来た。
そんな時、周囲にいくつかの人影が出現する。めぐみん、ダクネスさん、あるえ……彼女達は私に少し微笑んで見せた後、私の傍から離れて行く。彼女達には負けていられない。だから私は感覚がない中でも腕を伸ばし追いすがるがまったく追いつけない。
次に、いつの間にか出現したアクアさんとクリスさんが私に手を伸ばす。この手を握るかどうか、私は非常に悩んだ。何故かというと、私は彼女達の美しさを知っているからだ。この世とは隔絶した美貌、慈悲深く大勢の人を魅了する心。こんな女神達に私が敵うわけがなかった。
それでも彼女達の手をとる。劣等感に苛まれて、嫉妬心が膨れ上がったとしても現実は変わらない。そして、何よりこんな私でも愛してくれている旦那がいるのだ。足の感覚はない。それでも、一歩、また一歩前に進む。
もう少しでこの薄暗闇が抜けられそうだと感じた時、一人の女性が目の前の道をふさいだ。彼女は布面積の少ない扇情的な衣装を身にまとい、切れ長の目と艶やかな黒髪を背中の中ほどまで伸ばしていた。どこか蠱惑的な笑みを浮かべる彼女はアクアさんやエリスさんには劣るものの、それに負けないくらいの美貌を持っていた。だが、彼女は私の記憶に全く憶えのない人物であった。
『貴方、とっても美しいわ』
「えっ……」
『本当に美しく魅力的な女性とは惑わした男の数で決めるものではないわ。そう、”愛”が一番大切。千人の男を魅了するより、一人の男を魅了し続ける方が難しい。だから貴方には素質がある。こっちに来なさい』
私にそっと手を伸ばす彼女を前に私は迷ってしまう。彼女もまた、非常に魅力的だったからだ。迷った末に私は……
『”ゴットブロー”!』
『へぶっ!?』
『近寄んないでよこのゴキブリ!』
突然、隣のアクアさんが彼女を殴り飛ばす。吹っ飛ばされた彼女はそのまま霧のように消えてしまった。私はそんなアクアさんに苦笑しつつ、出口の光を目指した。
「んっ……」
ふと目が覚める。窓を見るともうお昼頃になっている事に気づいた。私はまだ寝起きで少し重い体を動かして整容をする。
そんな時、私は背後から何かの視線を感じた。ふと振り返ってみると、当然そこには誰もいない。だが、別に嫌な感じがする視線ではなかった。気のせいだろうと思いながら立ちあがり、リビングに向かう。
リビングについた私は見慣れたメイド服を身に付けたアクアさんと挨拶を交わす。彼女は私に満面の笑みを見せていたが、ほんの一瞬だけ曇った表情を浮かべた。
それから私はキッチンへと足を向けた。そこには、お弁当を作っているエリスさんがいた。彼女は私の方へ振り返ったあと、しばし呆然と立ち尽くしていた。私が挨拶をすると、彼女は我を取り戻し苦笑しながらこちらに完成したお弁当を見せてきた。
「いつもありがとうございますエリスさん。とっても美味しそうです」
「いいんですよ。それより、ここに一品追加しましょう。せっかくですしゆんゆんさんが作りませんか?」
「それなら……からあげでも作りましょうか」
「ふふっ、お願いします」
テキパキと材料の準備をしてくれたエリスさんの好意に甘えつつ、私は調理を行った。完成したからあげはいつもと同じく美味しく出来たと思う。そして、お弁当に詰める段階で先ほどよりお弁当の中身が減っている事に気づいた。
「むふぉっ……おいひいおいひい……」
「おっと、腹ペコ女神のアクアさんがつまみ食いしちゃいましたね。ゆんゆんさん、出来るだけ多くのからあげをお弁当につめちゃってください」
「急にどうしたんですかアクアさん……? からあげはいっぱい作りましたし、食べますか?」
「んっ……食べる……」
「私も一口いいですか?」
アクアさんはともかく、エリスさんまで食べたいと言い出したのは驚いた。私は彼女達に作りすぎたからあげが乗った皿を差し出した。すると、二人ともいっせいに口いっぱいに詰め込み始めた。
「美味しい……やっぱゆんゆんの料理は美味しいわ」
「当たり前です。だって私の料理の師匠で……ううっ……美味しい……!」
「な、泣くほど美味しいのですか!? まあ悪い気はしないですけど……」
からあげを食べながらぐすぐす泣き始める二人の女神を私は優しく撫でる。それから完成したお弁当を持って私は外に出た。目的地は私の友人の名が冠されるようになった巨大な湖だった。
紅魔の里の森からほど近い場所にある湖であり、最近は訪れる人も増えているらしい。途中、私に付き添って歩いていた女神は用事があるらしく別の道へ歩いて行った。だから私は一人で道を進む。森の中に漂う清涼な空気と、暖かな木洩れ日は私の心と体を癒してくれた。
こうしてたどり着いた湖のほとりに、私の愛する夫がいた。彼は折り畳み式の小さな椅子に座り、ボケっとした表情で釣り糸を垂らしている。ここ数年、彼は毎日のように、こうしてここで釣りをしている。私はそんなカズマさんに声をかけ、彼も朗らかな笑みを返してくれた。
「カズマさん、何か釣れましたか?」
「いいや、何にも……ここはいつも釣れねえんだ……」
「それならお昼にしましょう。お弁当持ってきましたから」
「いつも、ありがとな」
私がしいたレジャーシートにカズマさんも腰を落とす。彼は私から弁当を受け取り、中身を見て苦笑する。その反応を見て少しカチンと来たが、これもまあいつもの事だ。
「今日の弁当はゆんゆんが作ったんだな。俺の好物しか入ってねえ……んぐっ……やっぱお前のから揚げは美味いな」
「はいはい、エリスさんのお弁当とは違って栄養バランスを無視したお弁当でごめんなさいね」
「拗ねるなよ。俺はお前の弁当が好みだ。そもそもこの俺が栄養バランスなんかを気にすると思うか?」
「ふふっ、それもそうですね……」
お互い笑いあいながらゆっくりと食事を楽しむ。それから、しばしの休みを楽しんだ後、カズマさんは再び釣り竿を持って湖に糸を垂らし始めた。私はそんな彼の後ろ姿を眺める。暖かな日差しや、心地いい風が肌を優しく撫でる。そうしているうちに、眠くなってしまうのは仕方がない事であった。それは彼も同じだったのであろう。いつの間にかカズマさんも私の横に寝転がっていた。
「平和ですねえ……」
「そうだな……」
「このまま、こんな日々が続けばいいのに……あいたっ!?」
「だからなんでお前は昔からフラグになるような発言をするんだ」
呆れながら私の頭に一発入れてきた彼を理不尽に思いつつも、これもいつもの事だと苦笑する。それから、ゆっくり、ゆっくりと私の意識は眠りに落ちていった。
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目が覚めた時、私は家のベッドの上であった。おそらくカズマさんが家まで運んでくれたのだろう。その事実に気恥ずかしさを覚えつつ、私は大きな姿見の前にある椅子に腰かける。そして、鏡に写った自分の顔を私はそっと撫でた。
「情けない姿……」
そこには、一人の醜い老婆が写っていた。
昔は自慢だった白い肌も、今はくすんでしわだらけ。骨と皮しかないほど痩せ衰えた顔には、眼孔も浮き出るほど張りがない。紅魔族である証の一つである黒髪も、今では真っ白に染まっていた。何より自分の手を見ると自分自身の衰えがよく分かる。昔はしわ一つなかったのに、今はしわだらけで血管も浮き出ている。みずみずしさを失った肌はかさついたボロ布のようであった。そして、銀色の指輪と、白金の指輪はサイズがあわずぶかぶかになっていた。
だからこそ、私はアクアさんとエリスさんの事が妬ましかった。
彼女達は私達人間とは隔絶した美しさを持っていた。それなのに、彼女達は老いることなく永遠の美しさで彼を魅了した。だが、私は日に日に魅力がすり減っていった。自慢の黒髪や肌は色を失い、くすんで行く。大きかった胸も、いまではしわに包まれて垂れ下がる肉塊になっていた。
「体が醜いと、心まで醜くなった気がするわね……」
そう独り言ちて自嘲する私は鏡の中に違和感を見つける。三面鏡に写る老いた私のうち、右側の鏡には何故か私の若い頃の姿が写っていた。老いを知らない彼女は、自信にあふれた笑顔を浮かべていた。
「うわっ……幻覚を見ちゃうなんて……」
『ふふっ。貴方は美しいわ。だからこっちに来なさい……』
「幻聴まで……いよいよ私もダメね……末期のめぐみんみたいにはなりたくないわ……」
『そんな心配しなくても大丈夫よ』
鏡の中の若い私が、こちらに手を伸ばしてくる。私はそれを無言で受け入れる。実は、このような予兆はすでにかなり前からあったのだ。
『だって、あなたはもう死ぬのだから』
ふっと目の前の景色が真っ暗になり、意識が落ちた。
次に目が覚めた時、私はまた自室のベッドの上にいた。だが、隣には涙目で暗い表情を浮かべているアクアさんとエリスさんがいた。私はそんな彼女達の頭を優しく撫でる。本当に、泣き顔すら美しい女神達だ。
「アクアさん、エリスさん、今までありがとうございます。生き汚い私のお願いを聞いて頂いて……おかげで痛みもなく、最後まで彼と日々を共に過ごすことが出来ました」
「何を言ってるの……まだ頑張らなきゃダメよ……」
「アクア先輩の言う通りです……貴方がいなくなったらカズマさんが悲しんじゃいますよ……」
私は更に嗚咽を漏らし始めた彼女達を優しくあやす。実は、かなり前から私の身体は不調をきたしていた。しかし、私はこの女神達のおかげでこうして身体が限界を迎えるまで表面上はとても健康に過ごす事ができたのだ。
「アクアさん、エリスさん……後を頼みます。彼、ああみえてかなりの寂しがりやなんです……もうめぐみんも、ダクネスさんも、あるえさん、クリスさんもいませんから……」
二人の女神は、私の手を握りながら大きく頷きを返した。こうして心が軽くなった時、私は何かが崩れて行く感覚がした。それを、二人の女神達が必死に繋ぎとめようとする。だから私は彼女達から手を離した。それから、私の部屋に愛する人が入り、その後にぞろぞろと人が続く。さより、ありさ、レイカちゃんにカイズ君、めぐみんとあるえちゃんの子供達も後に続いた。そして、そんな彼らの子供や孫達も入ってくる。
そこそこの広さがあった私の部屋は、今では愛する人たちでぎゅうぎゅうになっていた。カズマさんは苦笑する私の両手をぎゅっと握り、こちらを睨みつけてくる。その姿に私はさらなる苦笑をこぼした。
「カズマさん、今から死んじゃうって人に怖い顔を向けないでくださいよ」
「アホか……お前まで俺を残して行くのか……」
「何を言っているのですかカズマさん。私は嬉しくてたまらないんです。昔、貴方とした約束を覚えていますか?」
「お前とはいっぱい約束していっぱい裏切ってきた。覚えちゃいねーよ……」
「まったくもう、それなら思い出させてあげます」
彼の顔を優しく撫で、私はまだ心も体も若かったあの頃を思い出した。
「カズマさん、私を先に死なせてくれてありがとうございます」
「お前は何を……!」
「だって、貴方のいない世界なんて考えられないんです。だから、私は先に行って貴方を待って……いや”待ってて”くださいね」
彼もまた、情けなく泣き始めた。しわを刻んだ肌も、薄くなった頭皮も、私にとってはとても愛おしい。だから彼の頬をそっと撫でる。彼がこうやって私のために泣いてくれる事が非常に嬉しかったのだ。そして、そんな私達を愛する子供達が見守ってくれていた。
「カズマさん、夢、適っちゃいました」
「ああ……」
「こんなにもいっぱいの”家族”に囲まれて……愛しの貴方や子供達に見送られて……」
私のそばにたくさんの”愛する家族”が身を寄せる。そして、彼ら全員と言葉を交わした。悔いなど残るはずがなかった。それなのに、私の愛するカズマさんは彼らより情けなく私を抱きしめてくる。
だから、私は彼の耳元でそっと囁いた。
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ゆんゆんはその日の夜にこの世を去った。
葬式を終えた後、皆が涙と笑顔を見せながら、彼女との思い出を語り合った。そして、一人、また一人と家を去って行く。当然だ、彼らにも愛する”家族”がいるのだ。最後まで残っていたさより、ありさ、カイズの三人も、俺を見て微笑みを返し、家を去って行く。そして、俺にとっての最後のお別れも訪れた。
「いやああああっ! いやだああああああああああっ! あたしはお父さんといるの!」
「まったく、貴方もいい加減に落ち着きなさい……それじゃあカズマさん、私も行きますね……」
「本当にいっちまうのか……?」
「ええ、私自身も断腸の思いです。でも、以前からお話ししていたでしょう。レイカのためにも……貴方の愛する彼女達のためにも……私もここで一旦お別れです」
そう言って涙を浮かべるエリスは、片手で駄々をこねるレイカの首元をひっつかんでいた。実は、この件について彼女とは前々から話は済んでいる。何でも、レイカが女神になるためには天界での修行が必要らしい。そして、この世を去ったゆんゆん、めぐみん、ダクネス、あるえの魂の安寧を確実な物にするために彼女も一度天界に戻らなければならないそうだ。
「大丈夫ですよカズマさん。私との繋がりは死を超越していますから」
「それは分かっているが……」
「大丈夫、大丈夫です。必ずまた会いに来ますから……だから貴方もゆっくりと心を休めてください」
「いやああああああああああっ! お父さん助けてええええっ……えうっ!?」
こぶしで娘を黙らせたエリスは俺にそっと手を振った。俺はそれをじっと見つめ返す。彼女の笑顔は相変わらず美しかった。
「カズマさん、また会いましょう」
「ああ、また会おうエリス、レイカ……」
天まで届く光の柱の中に、エリスとレイカは消えていった。
そして、俺は我が家へと足を向ける。家の中はとても静かであった。家族みんなで過ごしたリビングにも、台所から美味しい匂いを漂わせ、笑顔を浮かべて料理をするゆんゆんの姿もそこになかった。
『カズマさん、ごはん出来ましたよ』
そう言って満面の笑みを浮かべるゆんゆんの姿が脳裏に焼き付いている。でも、台所には誰一人もいなかった。その瞬間、俺は彼女が死んだのだと実感した。じわじわと胸中に広がる思いは止められるわけがなかった。しかし、そんな俺の背に急に暖かさが感じられた。背中から俺をぎゅっと抱きしめる両腕は俺を掴んで離さない。背中に感じる彼女の柔らかい身体は俺をまた奮い立たせてくれた。
「大丈夫よカズマ……私が傍にいるわ……」
「…………」
「貴方の愛する妻達がいなくなっても、この水の女神アクアは貴方の傍を決して離れない」
「ああっ……」
「大丈夫、私が傍にいる……私がいるじゃない!」
俺を抱きしめるアクアの手が、万力のように強くなる。思わずうめき、せき込んだ俺の耳元で、彼女は小さく囁いた。
「やっと、二人っきりになれたわね」