紅魔族随一の爆裂魔法の使い手『めぐみん』
彼女は元々頭のねじが数本抜け落ちている頭のおかしい女であった。
そんなめぐみんもある時を境に一気におとなしくなる。彼女も、二人の子を持つ母親となったのだ。あんなにも小さな体に双子を妊娠したのだ。それはもう大変な難産であった。そんな経緯もあり、彼女もかなりの親馬鹿になった。そして、二人の子供……兄と妹の教育に関してもそりゃあもう揉めた。彼女としては自分の命と等しい価値と誇りを持っている爆裂魔法を継いで欲しかった。だが、爆裂魔法を極めるのは修羅の道。自分自身がそれをよく知っていた。
だが、ゆんゆんの娘であるありさが上級魔法のついでに爆裂魔法を習得した時、めぐみんは吹っ切れた。二人の子供に爆裂魔法がなんたるかをしっかり教え込み、案の定子供達も爆裂魔法に魅了された。そうして、紅魔族で一番頭のおかしいめぐみんの子供は、世界で一番頭のおかしい兄妹になった。
めぐみんは客観的に見てもとても幸せそうだった。
自らの愛する爆裂魔法を最愛の子供達が受け継ぎ、そんな子供達も親となり子に爆裂魔法を継いでいった。まさにわが生涯に一片の悔いなしという所であろう。
だからであろうか、気が付けば彼女の頭のねじは全て抜け落ちていた。
「行かなくては! 示さなくては! 天に地に、我が爆裂魔法が最強だという事を!」
「うんうん、めぐみんの爆裂魔法は最強だって私が誰よりも知ってるわ」
「貴方には見えないのですか……聞こえないのですか!? 私を望む声が、私を見定める地獄の王の視線が!」
「ああ、そうだな。それじゃあ示す前に私とトイレに行こうか」
「ああ、離すのですやめるのですダクネス!」
アクアにあやされ、ダクネスにトイレに連れられて行くめぐみん。これが少女であったならまだ可愛さも感じられるかもしれないが、その正体は認知症にかかったおばあちゃんである。しかもまだまだ歩けるパワー系だ。こういうのは歩ける奴の方がやっかいなのだ。
「ダクネス……あの薄汚いジジイは誰ですか?」
「ふふっ、あれはカズマだ。アイツも老けたものだな」
「嘘です! カズマはもっと若くてカッコイイです。少なくともあんなに髪は薄くなかったと思います」
「まったく……ほら、トイレはこっちだ」
ダクネスに連れられて行くめぐみんを、俺は遠目で見つめていた。彼女がボケてしまったから、俺は一歩引いた立場にいた。だからであろうか、めぐみんは自分の世話をしてくれるアクア、ダクネス、エリスと彼女の子供の事しか覚えていなかった。また、ゆんゆんの事は目にするだけで不穏になって暴れ出すので非常に手を焼いていた。なにより、彼女が爆裂魔法を習得しているのがまずかった。昔と変わらず爆裂魔法の虜である彼女は、スイッチがいつ押されるか分からない核爆弾と化していた。だから、彼女にいくつかの魔力的拘束具が着けられるのは致し方のない事であった。
そんなある日の夕暮れ、俺が庭先で煙草を吸っていた時、めぐみんがふらふらと歩いて出てきたのを発見した。徘徊老人と化し、行方不明になりかけたのは今回だけではない。おまけに何かの拍子に爆裂魔法を詠唱されたら大惨事である。だから、俺は彼女を引き留めた。俺の方へ振り返った彼女は、虚空ではなく俺の目を見つめ返してきた。
「いい所に来てくれました。そこの薄汚いジジイ、我が爆裂魔法の凄さを見せつける時が来ました」
「馬鹿言ってないで帰るぞ」
「……お願いですカズマ」
思わず口にくわえていた煙草を落としてしまう。めぐみんが、俺をきちんと認識していた。以前、認知症の症状が重くなる前はこうしてまだらに我に返った彼女を見た事がある。今回もそのパターンであった。
「カズマ、私は爆裂魔法が撃ちたいです」
「馬鹿言うな。撃ったら冗談じゃすまされない事になる」
「お願いですカズマ。私が”全て”を忘れる前に……」
じっとこちらを見る彼女は今では醜い老婆である。しかし、俺にとって愛する女性である事は変わりない。俺は彼女の手をとって歩き出した。
たどり着いたのは紅魔の里近くの森の中。俺は気配察知で周辺をくまなく探り、安全を確かめてからめぐみんに着けられた拘束具を外す。そして、使い古されて年季の入った杖を彼女へ渡した。
「――――」
めぐみんが爆裂魔法の呪文を詠唱し始めた。無詠唱で爆裂魔法を撃てる彼女であるが、こうして威力を高める時は必ず詠唱を行っていた。俺はそれを腕を組んで見つめる。俺自身も、こうしてめぐみんの爆裂魔法に付き合うのも何だか非常に久しぶりであった。
「これが人類最大の威力の攻撃手段! これこそが究極の攻撃魔法! その目に刻め!」
めぐみんは魔力の込められた杖を掲げた。間違いない。これが彼女の人生の中での全力全開。
「“エクスプロォォージョンッ!”」
めぐみんの渾身の爆裂魔法は俺の記憶の中でも一番美しいものであった。
ばたりと倒れるめぐみんを、俺は優しく受け止める。彼女はとても満足そうに、とても誇らしげに笑みを浮かべていた。
「カズマ、今のは何点ですか……?」
「それは……」
「ふふっ、点数をつけるのも大変なくらい美しい出来でしたからね。すぐに採点出来ないのも理解できます」
「めぐみん……」
「だから、採点結果は次の機会に聞きましょう……また今度……またこうやって……」
俺は彼女の小さな体ぎゅっとを抱きしめた。
それから、どれくらいの時間が過ぎたのであろうか。気が付けば、怒りの表情を浮かべたダクネスが俺の前に立っていた。
「カズマ! お前が何をしたのか理解しているのか!? めぐみんはもう魔力制御なんて出来ないんだ……だから……!」
「そうだな。だから文字通り自分の命全てをかけたんだ。この爆裂魔法にな」
「それを分かってて……!」
「ダクネス、めぐみんの顔を見ろ」
俺はダクネスの顔を、俺の腕の中で動かなくなっためぐみんへ近づける。そうすると、ダクネスが涙と嗚咽を漏らす声が聞こえてきた。
「ダクネス……ずるいと思わないか?」
「そうだな、本当にずるい奴だ」
目の前にはあまりにも巨大なクレーターが出来ていた。クレーターの中ではいくつのもの場所から間欠泉のように地下水が噴き出ている。
こうして、”めぐみん湖”が出来上がった。
その馬鹿らしい名前にほくそ笑みつつ、俺は今日も釣り糸を垂らす。
そんな俺を見ながら、近くにパラソル付きのテーブルと椅子を設置し、優雅にお茶を楽しむ女性がいた。落ち着いた物腰と、あふれ出る気品は周囲のものを平伏させる。彼女……ダクネスはふり帰った俺に小さく手を振り、目の前に広がる巨大な湖を一瞥して大きくため息をついた。
「何か釣れたかカズマ?」
「いいや、ここはいつも釣れねえんだ」
お互い笑いあった後、俺はめげずに釣り糸を垂らし続ける。今日こそは、釣れる気がしたのだ。だが、そんな俺の決意を折るように、能天気な声が聞こえてきた。
「カズマさーん、今日はピクニックびよりですね~! わわっ!?」
「ちょっとゆんゆん、足元には気をつけなさい! 転んだら大変よ!」
「アクア先輩の言う通りです。骨でも折ったら、寝たきりになっちゃいますよ。ほら、あるえさんも!」
「う~外は勘弁して……まだ小説が完成してないのに……」
俺は苦笑しながら釣り竿のリールを巻いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「…………」
「カズマー?」
「…………」
「カズマカズマーカズマさーん?」
「…………」
「えいっ!」
「うぇあ!? 急に何すんだアクア!?」
私はぼーっとしていたカズマから釣り竿をひったくっていた。彼の視線はさっきまで近くにあった風化したパラソル付きのテーブルと椅子にあった。それが気に食わなかった私は彼にちょっとしたいたずらをしたのだ。
「ほら、竿を返せアクア」
「でも、ここってまったく魚が釣れないじゃない」
「バカいえ、今日こそ釣れる気がするんだ」
そう言って私から釣り竿を取り返したカズマは再び湖に糸を垂らし始めた。私はそんな彼を全身を使って抱きしめる。彼から香る匂いはかなりキツくなったけど、私はそれが大好きだった。匂いを嗅ぎ、まるで彼に支配されたかのような感覚に酔いしれる。そうやって、カズマとの時間をゆっくりと楽しんだ。
「そろそろお昼にしましょうか」
「うーい」
レジャーシートの上に、私は丹精込めて作ったお弁当を広げる。彼はそんな私のお弁当を無言で突ついている。その姿に私は苦笑した。
「どう、おいしい?」
「ああ、美味いな」
「ゆんゆんのお弁当よりも美味しい?」
「くくっ、それに関してはまだまだだよ」
「そっか」
小さく笑う彼に対して少しむくれて見せながらも、楽しい食事である事は変わりなかった。それから食休みを終えた彼は再び釣り糸を湖に垂らし始める。私はお弁当を手早く片付けて、彼へとにじり寄る。そんな時、地面に小さな木片が落ちている事に気づいた。
何気なくそれを手に取った私は、良い事をピコンと思いつく。懐から十徳ナイフを取り出し、木片を削って行く。そうして完成した品を、私はまたぼーっとしているカズマに見せつけた。
「見て見てカズマ、魚が釣れちゃったわ!」
「おう、なんだ……ってマジか?」
「ほうら、生きがいいわよ! ぴちぴち~!」
「くそっ! 俺が最初に……って偽物か……」
「ふふーん、よく出来てるでしょう?」
「ああ、お前の器用さも相まって本当に生きてるように見えたな……」
私が手渡した木製の魚を、彼はまじまじと見つめていた。それから釣り具箱からドライバーか何かの工具を取り出し、突然その木製の魚にぶっさし始めた。
「ちょっっと、いきなり何するのよカズマ! せっかくいい出来だったのに!」
「まあ見とけって……」
彼は木製の魚に穴を開け、やすりがけを行う。それから大きな釣り針取り付け、私が作った可愛い魚は今では完全武装していた。
「今日は趣向を変えてルアー釣りでいくか」
「うう、私のお魚ちゃんが……」
「これくらいで涙目になるなよ……ほら、お前が投げて見ろ」
カズマから手渡された釣り竿を受け取った私は、彼に指示されるままに竿を投げる。リールを巻いてルアーが生きているように、トップウォーターが云々かんぬん言っているが、理解は出来ない。確かな事はこの湖に魚はいないという事だ。まだ形成されてから十年経つか経たないかといった所であるし、付近の川や池からの流入はない。彼がここで魚を釣っている姿は今まで一度も見た事なかった。そんな時、急にぐっと竿が引かれるのを感じた。根がかりでもしたのかと思ったが、リールからはどんどんと糸が出て行っていた。
「カ、カズマ!? 釣れてる……なんか釣れてる!」
「そんなわけ……立てろ! 竿をもっと立てろアクア!」
「わああああっ!? 手伝って、早く手伝って!」
大きな引きにバランスを崩しそうになる私を彼が必死に支えてくれる。そうして、ゆっくりとゆっくりと獲物が岸へと近づいて行く。彼と一緒に大きく竿を引き込んだ時、獲物は岸に打ち上げられていた。木製ルアーのフックに引っかかっていたのは紛れもなく魚であった。
「やったじゃないカズマ! これ食べれるの!?」
「真っ先に聞くことがそれかよ……大きさは……尺はある。まあ形状とこの模様といいトラウト系なのは確かだな」
「じゃあ食べる?」
「食い意地はってるなお前は……今回はリリースだ」
彼は針を外した魚を湖へと離す。その顔はどこか寂し気ながらも笑顔であった。逃がしたのは少しもったいない気がするけど、彼のこの表情を見れただけでおつりがくるくらいだ。
「そうか、この湖にも生命が根付いたか……」
「私はこの湖に魚がいないと思ってたからびっくりしたわ」
「多分、増水した時に他の川から流入してきたか、最近増えた観光客か紅魔の里の住人が放流したんだろうな」
「へー……まあ魚が釣れるなら今後も楽しめそうね!」
「そうだな……」
彼はゆっくりと釣り具を片付け始める。そして、しばらく湖を見つめた後、彼はゆっくりと歩き出した。その姿を追いかける私は、彼の背中がなんだか小さくなったように見えた。
その翌日、いつも私より早く起きて釣りに出かけていたカズマが布団の中でまだ寝ていた。
カズマを起こし、いつものように釣り具とお弁当の準備を始める私の手を彼は止める。次の日も、また次の日も彼は釣りに出かける事はなかった。釣りに行かない理由を尋ねると、彼は決まって”もういいんだよ”と力なく笑っていた。
こうして、私は遅まきながら理解する。あの無意味に見えた湖での釣りは、彼にとっては正に”生きがい”になっていたのだろう。それを失った彼は次第に無気力になっていった。
「ほら、カズマ! ここをこうやってこうやって……はい、機動要塞デストロイヤーの完成!」
「相変わらずお前はすげえな。折り紙だけでよくそんなわしゃわしゃしたのを作れるもんだ」
「アンタにも作れるわよ! ほら、こうやって……」
「俺には無理だ」
「それじゃあ多兎を作りましょう? こうしてこうすると……ほら分裂した!」
「おう、マジで分裂してるじゃねえか……なるほどここをこうやって……」
「上手いわカズマ! 次にここをこうして……」
それでも、彼はまだ生きている。毎日を私と一緒に過ごし、一瞬として彼から離れず日々を過ごす。誰にも邪魔されない二人だけの時間。それでも時は過ぎて行く。彼の状態は何だか死ぬ間際のダクネスに重なって見えた。彼女の生きがいの一つはめぐみんのお世話であった。それを失った彼女はめぐみんの後を追うようにこの世を去ったのだ。
「カズマ、少し外に出ましょうか。ほら杖を持って」
「すまんなアクア……」
「ふふっ、いいのいいの! ほら、反対側は私が支えてあげるから」
彼の手を引いて家の外へ散歩に出かける。家にこもりがちになった彼は私がこうして強制的に連れ出さないと布団から一歩も出ない日もあった。そんな彼も、私が誘えば素直に応じる。目的が何であるか知っている私はため息をついた。
「神社裏の喫煙所に寄っていいか?」
「はいはい……結局ニコチン中毒は死ぬまで治りそうにないわね」
「あのなあ、何度も言うが俺がこの味を覚えたのはお前達のせいだからな」
こうやって責任転嫁して結局禁煙出来なかったのだ。だが、今更私が文句なんて言うわけがない。きっと、ゆんゆんが見たら凄く怒るだろうけど……
神社裏のベンチに腰掛けた彼はそうやって煙草をふかし始めた。それでも離れない私の事をカズマはどこか嬉しそうに見ていてくれた気がする。
「なんで俺が残っちまったんだろうな。こうして身体に悪そうな事をいっぱいしてるってのによ……」
「当然の結果よ。アンタの身体は神が一から作った”完璧な肉体”よ。アンタ自身に変わりはないけど、元々あった遺伝的な”エラー”も、その年までに身体に蓄積した毒素も全部除去してるわ。それに、アンタってば生き意地が汚いし」
「言ってくれるな……」
「でも、安心してカズマ。私は貴方の傍にずっといるわ」
「あ、ああ……まったく……」
苦笑するカズマに私は身を寄せる。彼の身体はまだ暖かく、生命の息吹が感じられる。でも、彼の事を近くで感じれば感じるほど、その火が弱くなっているのを感じた。
「それにしても薄情だなアイツらも……ゆんゆんが逝っちまってから顔も見せやしねえ……」
「きっと、気を遣ってくれてるのよ」
「誰にだよ……」
呆れるカズマに私は素っ気なく返す。彼の所へ子供や孫が訪ねてこないのは私に原因がある。本当にありがたい事だ。
「寒くなってきた……帰るか……」
「そう、じゃあ夕飯はハンバーグと肉じゃが、どっちがいい?」
「肉じゃが」
「はいはい」
そんなある日の夜、カズマは珍しく書斎の椅子に座って何か書き物をしていた。ランプ片手に訪問した私に対し、彼はその手を止めなかった。
「何かいてるの?」
「あるえと一緒さ。死ぬまでに書いときたいものがあるんだよ」
「小説でも書いてるの? 見せて貰っていい?」
「だめに決まってんだろう。少なくともアクアには見られたくねえ」
彼は急いで紙の束を引き出しに隠し始めた。そして、私に出て行けとハンドサインをおくる。それに素直に従い、自室まで戻った私は内緒でくすねた一枚の紙を広げようとした。しかし、それが小説ではなく手紙だと理解した私は読むのをやめる。宛名には”カイズへ”と書かれていた。
それから、カズマは日に日に弱っていった。今では生活の全てを私に頼っていた。
でも、そんな彼が愛おしくてたまらなかった。
「ほら、あーんしてカズマ」
「…………」
「おいしい?」
「ああ……」
私が差し出したスプーンを口に含む彼はまた一段と弱っていた。自力で食事を摂取する力もなくなってきた彼には、こうして私が食べさせてあげていた。
「ふふっ、可愛い」
「勘弁してくれ……」
「だーめ! まだいっぱい残ってるから食べなさい」
「食欲ねーんだよ」
そんな事を言う彼に私はゆっくりと食事を差し出す。彼は観念したように一口、また一口と食べていった。
入浴も私の仕事であった。もう立つ事すら出来なくなっていた彼だが、私が彼と一緒に毎日お風呂へ入っていた。昔とは違い、痩せてしまった彼の身体は私にとってはとても……とても軽いものであった。
そして、毎日同じ布団に一緒に入った。
ふと、目を覚ますと隣で寝ていた彼が涙を流している事があった。私はそんな彼を優しく抱きしめた。
「すまん……漏れちまった……」
「知ってる。でも、今綺麗にしたから大丈夫よ」
「便利な女神だな」
「思ってもそんな事口にしないの!」
カズマの頭を小突きながら、私は彼の涙を拭う。安心したように体を寄せてくるカズマの姿に私は得体の知れない快感を覚えた。
「めぐみんが羨ましいな……」
「何を言ってるのよもう!」
「お前には……お前だけにはこんな姿は見せたくなかった。こんな情けなくて……カッコ悪くて……」
「いいのよ。私はむしろ嬉しいわ。だから私を頼って……」
「…………」
彼の小さくなってしまった身体を私はぎゅーっと抱きしめた。
「私は貴方の傍にいるわ。どんなに情けない姿でも、どんなにかっこ悪い姿を見せたって、私は貴方を離さない」
「ああ……」
「大丈夫よカズマ。貴方には私が……私だけがいればいいの……」
私の腕の中で、彼は小さく咳き込んだ。
そんな幸せな日々が続いたある日、私はいつものように布団で目を覚ました。それから愛する彼を起こそうとした時、気づいてしまった。枕元に全身を黒いローブに身を包みんだ死神が立っていたのだ。そして、そんな死神の横に漆黒のスーツを着た老紳士が立っていた。彼の姿はよく知っていた。
「死の騎士……」
「私を知っているのかね? だが、安心して欲しい。私はこの新人の付き添いだ。それにこの男は死神に運命を定められたものではない」
「ならなんでアンタみたいな大物がここにいるのよ……」
「それは貴様も理解しているだろう? 死は皆に平等に訪れる。人間も、化け物も……いずれはお前のような”神”にもだ。その理は崩してはならない。私がいるのは、貴様らが余計な手出しをしないように見守るためだ。神が施す延命はこの者の魂にとっても苦痛でしかない。」
そう言って、慈悲深くカズマを見つめる死の騎士を前に、私は全身から力が抜けていくのを感じた。ついにカズマの寿命が来てしまったのだ。
それは、この愛すべき”二人だけの時間”の終焉を意味していた。
「お久しぶりですねカズマさん、アクアさん」
「お父さん……」
背後から、エリスとレイカちゃんの声が聞こえた。
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ふと目を覚ますと、俺は相も変わらず布団の上にいる事に気づいた。でも隣で俺を見守っていたのは、アクアではなくエリスとレイカであった。
「久しぶりだな」
「お久しぶりです、お元気でしたか?」
「こんな時に皮肉かよ……見ての通り死にそうだ。あれだ、俺の近くに死神がいるんだろう?」
「ええ、そうですね。しかも、今回は”死”そのものも来ていますよ」
「なんかやべー奴もきてるのか……」
「今も貴方の後ろで差し入れのハンバーガーを食べてます」
「何だか急に親近感が湧いてきたな……」
久しぶりに見るエリスの微笑みに癒されながら、俺は腹にある重みに目を向ける。そこには静かに涙を流すレイカの姿があった。この世を隔絶した美貌と、ツインテールにしてまとめられた美しい銀髪は昔と変わらない。でも、その身体はもう大人の女性になっていた。だが、親にとっては子供はいつまでも”子供”なのだ。
「泣くなレイカ。その涙は俺が死んだ後に流してくれ」
「変な事言わないでよ……」
「いいや、変じゃない。俺はお前の笑顔を見ながら逝きたいんだ」
「も、もう……! 本当にお父さんは!」
何やら顔を紅くしながらも、彼女はまぶしい笑顔を見せてくれた。そんな娘の頭を俺はそっと撫でる。おそらく、こうして俺がまともな思考でいられるのも、喋れるのも彼女達のおかげであろう。これほどまでの贅沢は他になかった。
「何か心残りはありますかカズマさん」
「ない……こともないな。アクアを呼んでくれるか?」
「分かりました」
エリスが部屋の隅で不貞腐れたように膝を抱えて丸くなっていたアクアをこちらへと引きずってくる。俺がアクアへと視線を移すと、彼女は顔をプイっと横にそらす。そんな彼女の姿を見て苦笑した後、俺は素直に感謝の気持ちを伝えた。
「今までありがとうなアクア……」
「いいのよ別に」
「情けない姿をいっぱい見せちまった」
「そんな事ないわよ」
グスグスと泣き出してしまった彼女の頭を撫でた後、俺はエリスに目配せをする。彼女は呆れたようにため息をつきながらも行動に移してくれた。流石は俺の愛する女神様だ。
「という事で脱げアクア」
「は? 急に何を……わひゃああっ!?」
エリスが引き裂くようにアクアの服をはぎ取った。一気に下着姿になったアクアはベージュ色の下着を着こんでいまいち色気が足りなかったが、俺にとって非常に眼福な光景である事に変わりはなかった。それからアクアの痴態をゆっくり楽しんだ。
「アクア、お前はクビだ」
「えっ……?」
「この家の主人がいなくなるんだ。だからお前もクビ。エリス、服を着せてやれ」
「はいはい」
エリスがパチンと指を鳴らすと、アクアはあの青色を基調とした羽衣を身に着けていた。今だ困惑しているアクアの姿を見て俺は懐かしさと満足感を覚える。やはり、メイド服なんてものはこの女神に似合わないのだ。こうして、安心したからであろうか。一気に身体が重くなってきた。かすれる視界の中で、俺は三人の暖かな影が優しく手を握ってくれたのを感じた。
それから、ゆっくりとゆっくりと全てが色あせて行った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「相変わらず、本当に長い行列だ……」
思わず、そんな愚痴を漏らしてしまう。目の前に見えるのは途方もない数の人間の列。そんな俺に励ましの声をかけてくれる奴がいた。
「大丈夫、一歩一歩確実に進んでる。だから、お話の続きをしてよ。あたしは興味あるなあ」
「お前も飽きねえな……まあいいさ。あれは魔王討伐後の事だ。いつもはうざさの塊みたいだったアクアが、急にしおらしくなってな。それがもう可愛くて可愛くて……」
「その話を聞くのは58654回目だね。まったく、口を開ければ女の子の話ばっかりだね」
「わははっ! 当時の俺はもてたんだよ!」
”老衰の方はこのまま前へ”と書かれた看板を首に下げる天使を一瞥し、俺は両隣にいる暇つぶしの相手を少しこちらへ引き寄せる。一人は白い装束を身にまとった女性。顔は他の人間達と同じく霞がかったように見えないが、お互い話も合うしこの行列に並ぶ間に様々な話をした。もう一人は黒い装束を身にまとった死神だ。何故か俺にだけコイツが付き従い、時折俺に向けて漂ってくる黒いモヤモヤを大鎌で切り払っている。そして、俺の話を静かに聞いてはたまにノートを開いてそこに何かを書き込んでいた。こいつも顔が霞がかって見えないが、何故か懐かしいものを感じられた。
こうして、俺は長い長い列を進む。
昔を懐かしみながら、ゆっくりと……
そして、ついに受付が見えてきた。栄養ドリンクの山を横に築きながら、疲れた表情を浮かべる天使の姿に俺は苦笑した。そんな時、隣の白装束が俺に小さな袋を手渡してきた。中身を確認した俺は、思わず苦笑してしまった。そこには、いつか渡そうとどこかにしまい、気がつけばなくしてしまった物が入っていた。
「心残りがないようにね」
「ああ、ありがとうクリス」
「……気づいてたの?」
「気づかないわけないだろ」
「やっぱり助手君は……助手君だよ……」
霞がかった彼女の顔が晴れ、そこには愛すべきクリスの姿があった。彼女は泣きそうな顔で俺に手を振ってきた。そして、黒装束が俺の手をとってクリスとは別の方向に歩き出した。
「君はこっちだよ」
「喋れたのか……」
「本当は私もいっぱいお話したかったけど、勘弁してくれるかい? この任務が終わるまでが新人研修なんだ。悪いね」
「別にいいさ」
それから、俺は彼女に付き添い、二つの大きな扉がある場所に案内された。彼女はそこで身体を停止させる。おそらく、どちらかの扉を選べという事であろう。
「なんで右の扉は赤いんだ?」
「さあね……とにかく選んじゃってよ。君に選んでもらうのが公平だって、上司が言ってたよ」
「そうかい……それじゃあせっかくだから……」
俺はゆっくりと足を進めた。
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長い間、私は仕事に手がつかなかった。私の代わりを務める天使は何やらグチグチ言っていたが、どうでもよかった。そんなある日、私の部屋に来客を告げるベルが鳴った。私はすぐさま天使を部屋から蹴りだし、椅子に座る。そして、荒くなる息を整えながら小さくガッツポーズをする。どうやら私の小細工が効いたようだ。エリスには少し悪い気がするけど……
「久しぶりだなアクア」
いつの間にか、私の前に一つの小さな魂が存在していた。吹けば飛ぶようなこの魂は、私にとっては何よりも大切だった。私は息を整えて定型句を告げた。
「ようこそ死後の世界へ。私はあなたに新たな道を案内する女神。佐藤和真さん、おめでとうございます。貴方は天寿を全うしました」
「ありがとよ」
「天寿を全うした貴方には、いくつかの選択肢があります」
久しぶりに見る天界マニュアルを投げ捨てつつ、私は彼に向き直る。まっすぐとこちらを見る彼からは、すでに定まっているであろう決意を感じた。
「新しい世界で赤ん坊として生まれるか。それとも天国的な所でお爺ちゃんみたいな暮らしをするか……さあどっち?」
「聞くまでもないだろ?」
「…………」
「俺を天国に行かしてくれ」
彼の目を見ていられなかった。それに涙が止められなくなる。こうなる事は分かっていた。それでも、現実を前にするとやはり動揺してしまう。しかし、ここで職務を放棄するわけにはいかない。私は誇り高く美しい”水の女神アクア”なのだから。
「本当に天国でいいの? あそこはカズマが想像している様な素敵な所ではないの。死んだんだからもう何もかもが必要ない。あるのは同じく天国に行った魂達だけ。彼らと永遠のように意味もなく、ひなたぼっこでもしながら世間話するぐらいしかやる事がないのよ?」
「前にも聞いた話だな」
「それに、途方もない時を過ごしていずれは何もかも忘れる。そうやって、磨り潰されて溶け合って……無垢の魂が生まれるの」
「それもまたいいもんだ」
「カズマ……」
彼の魂がきちんとした人間の姿を形どる。そして、私の頭をそっと撫でてきた。そうされる度に私は涙がどんどんと溢れてくるのを感じた。
「本当に、子供達より先に死ねてよかった。だからこそ、俺は天国に行く。そこでアイツらを待つんだ。それにすでに俺の事を待ってる奴がいる」
「でもっ……!」
「泣くなアクア、まあたまには遊びにこいよ」
そう言って苦笑するカズマの決意を私は無碍に出来なかった。それにここまで頑なになったカズマは一歩も動かせない事を経験上知っていたからだ。そんな時、彼が私の左手をそっととった。それから、薬指に昔見たことがある指輪がつけられていた。
「最後だ……結婚してくれアクア」
朗らかに笑うカズマが本当に憎らしかった。それでも、あふれ出る歓喜を彼に隠せそうにない。気づけば、私は笑ってしまっていた。
「本当に浮気者ね。ゆんゆん達が泣くわよ?」
「もう泣かせてるよ。それに、死後の事だからこれは浮気じゃない。ノーカンだノーカン!」
「ふふっ、そうね……ありがとうカズマ。その申し出、受け入れるわ」
「マジか……よし! やっとハーレム完成だな!」
「やっぱり、アンタは最低の鬼畜男ね……」
「おいおい、褒めるなっての!」
カズマと二人で一しきり笑った後、私は天国への門を出現させる。彼はそれを眩しそうにしばらく見つめた後、私の方へ振り返る。私は指輪を撫で、涙を拭う。最後は笑顔で送り出す。それが女神としての最後の務めであった。
「またな、アクア」
「ええ、また天国で会いましょう」
私は彼にそっと手を振る。彼はそれに軽く手を振り返しながら、天国への門を歩き出した。彼の背中は小さく、どこか頼りない。それでも、私の心と身体が知っている。彼はこの無限の世界で一番カッコ良くて頼りになる男だって事を。
「ばいばいカズマ」
私は、彼に永遠の別れを告げた。
そんな私の意思に反して、気づけば右手は彼の手を掴んでいた。
「行かないでカズマ……」
ダメなのに、こんな事は許されないのに、私の手は彼を手放してはくれない。溢れ出る涙に濡れながら、私の口は自然に言葉を紡いでいた。
「お願い……お願いカズマ……行かないで……」
大きくため息をつく音がする。振り返った彼はどこか呆れたように私を見ていた。そんな彼に私は恥も外聞も捨てて抱きすがるしかなかった。
「あのなあアクア、もうちょっと綺麗に行かせてくれよ」
「いや……いやなの……」
「ガキかお前は!」
私だって女神らしく彼を行かせてあげたかった。でも、もう我慢が出来ない。私を捕らえ絡めていた心の鎖も全部なくなってしまった。そうなった私を、もう自分自身では止められなかった。
「私だって貴方と恋を育みたかった……もっとお話しを楽しみたかった……!」
「そうか」
「こうやって結婚して……毎日馬鹿みたいに平和に暮らして……!」
「ああ」
「私だって子供が欲しかった……カズマと私の子だからそれはもうやんちゃなの……だからいっぱい苦労して……家族一緒にお出かけしたかった……!」
溢れ出る思いはもう止まらない。それを止める術を私は知らない。彼は私のそんな言葉をゆっくりと聞いてくれた。
「だからね……お願いカズマ……」
「まったく……」
カズマが呆れたように私を見る。それが情けなくて……みじめで仕方なかった。だから、私は彼の顔を見れない。そんな時、彼が髪をガシガシと掻いて再び大きくため息をつく。それから、縋り付く私をそっと引き離した。
「なあアクア」
「なによ……」
「お前のわがまま、久しぶりに聞いたよ」
そう言った彼は、私の顔を前に向かせる。そこにはとてもまぶしい笑顔を浮かべる愛しのカズマさんがいた。
「夫っていうのはなあ、妻のわがままにいつも振り回されるもんなんだ。こっちだって毎日必死に頑張ってるのにな」
「…………」
「それでも、それが夫の務めだ。だから、言ってみろ! お前の”わがまま”を……俺に出来る事は何でもしてやる!」
「カズマっ……」
本当はダメなのに……女神としてあってはならない事なのに、私は彼が伸ばした手に両手を重ねていた。
「ねえカズマさん……」
「どうした」
「これからも私の傍にいてくれる……?」
彼はまた大きくため息をついた。
でも、彼の浮かべる表情は私が一番大好きなものだった。
それから、私の一番好きな”言葉”を言ってくれた。
「しょおがねえなああああああああ!」
~てぃーちんぐゆんゆん~ アクアルート<完>