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20夜の少し前のお話です。
今まで4万、6万、8万ときましたが、10万は書きません。
そう言う意味を込め、この話を書きました(大嘘)
深夜 Star eclipse
―――遥か昔のその昔。
黒緑の鱗に紅の瞳の異形の竜は、何も無い宙へと警戒を向けていた。
表情は硬く、顔周りの鱗が黒く染まっている。
姿は見えぬ。呼吸の音すら聞こぬ。だが、異形の鼻は何かを嗅ぎ取った。
仄かに香る花香石の匂いは、風が吹けば消えそうで。
―――気が付けば、異形の竜の首は両断される寸前だった。
「…気が付かれたのは、久しぶりだねぇ」
僅かな挙動すらも許されない。
触れるだけでどれ程硬質な物でも切断できるだろうと思わせるほどに薄い翼刃が、触れるか触れないかのところで首につき付けられているのだ。
「主は言葉を解せるのか」
異形の竜は、相対する竜に知識があるという事の驚きに、首を刎ね飛ばされるという恐怖を忘れて言葉が出た。
「!話せる竜なんて初めて。名はある?」
首を刎ね飛ばされてもおかしくないこの状況に言葉を発してしまった事を後悔するが、翼刃だけが夜闇に浮かぶ竜は喜々として話に食いついて来た。
「我の名は“喰”。親を喰らい、禁忌を犯した竜よ」
「…そか。私は“星”。幾千もの星を見続けた傍観者」
ボウ…と無より現れたのは、迅竜の体をした“何か”。
影に溶けそうなほどに気配が薄く、姿はさながら星空のよう。
喰は艶やかな星の姿に目を奪われ、警戒を薄めた。
「喰、君は私に負けた。何をされても文句はないね?」
「…あと僅かに翼刃を首の方へと押せば、我は絶命するさ」
「うんうん、肯定って事ね。じゃあさ…」
翼刃が首より離れ、何のつもりかと喰が目を見開く。
星の紺色の瞳が、宙に空色のラインを引いた。
「友達になろう。もーね、そろそろ独りにも飽きた」
それに対し、喰の深紅の瞳が夜闇に線を引く。
「…元より我に選択肢は無い」
昔も昔。まだ竜人族と人の溝が深い時代。親喰いの竜と、星読みの竜の運命の歯車が噛み合った。
気が付けばその関係は400年という、竜人族でも妙齢となる年になって尚続く。
例え喰が人に紛れ、想い人を見つけて嫁ごうとも。
例え星が幼竜を拾い、親となり、師となろうとも。
時の流れで風化せぬ約束は、今も二匹を繋ぐ。
シナト村の伝説にすら語り継がれる二匹は、未だ健在していた。
○○○
今日もどこかで岩の崩れる音が響く、天空山の真昼間。
日の光を覆うよう遮る岩陰で、私はいつも通りに微睡んでいた。
走らぬ歩かぬ最早動かぬ。
体毛によって月の光を屈折させ、姿を見えにくくする力は夜間限定だ。
日中は日陰でぐーたらするのが私の趣味である。
―――月迅竜。
人は私を種と言う型枠に嵌める場合、そう呼称する。
迅竜と私が似ているのは否定しない。進化の過程で近くまで同じだったのだろうから。
ただ私は亜種やらなんやらと、似たような竜を同じ種として扱われるのは好きではない。
夜闇に紛れることに特化した彼らや、密林に紛れることに特化した彼ら。そして月光を利用して霧に隠れることを得意とする私。
皆がそれぞれ生きるため必死に体を作り上げた苦労を、似たようなものと断じてしまうのは纏めたがる人間の悪い考え方だ。
だがかといって月迅竜という種名が嫌いと言う訳では無い。というか割と好きだったりする。
「んー…肉…干し肉……」
ペタペタと手の届く範囲で地を叩き、今日の昼ごはんをどこに置いたかと探す。
ようやく見つけると、それをひょいと口に放り込んで咀嚼。飲み込むと、重力に負けてぺっちゃんこになるのではないのかと思ってしまうぐらいのびのびとだらける。
―――きっとこの姿を人間が見たなら、嫁に行き遅れたOLが汚部屋で過ごす休日を想像した事だろう。
それもあながち、間違いではない。
涎を垂らして惰眠を貪り続ける姿は伝説に語られるような存在とは全く思えず、カリスマも何もあった物では無いのだから。
だが、それも一変。
ここより遥か下。天空山の麓から叩き付けられるような威圧感に、ふらりと立ち上がる姿は先程までの姿は幻だったのではないかと疑ってしまう程に美しく。
「…突然だなぁ」
抑えられずに頬の緩んだ表情は、艶やかさすら漂わせていた。
●●●
「青年、天空山の採取ツアーに行っていいかい?」
「……なぜ僕に訊くんですか」
「そこにいたから。別にマカ錬金の坊ちゃんに訊いても良かったんだけどね」
赤色の布を体中に巻き付けた女性が、畑を耕している青年に話しかけていた。
場所はシナト村。竜人族の村とも呼ばれる秘境に位置するその村に、今日は珍しく客人が訪れていた。
否、ある意味では客人とも言えない。
「喰様…いえ、アリーシャ様、あまりここに来られても困るのですよ?」
シナト村の一部が知っている事。
訪れた客人、アリーシャがシナト村にとってどれほど貢献し、身を尽くしたのかを知る者は彼女を無碍に扱えない。
いつもはにこやかな竜人族の青年が、珍しく顔を顰めた瞬間であった。
「友達に会いたいっていうのが悪いの?」
「そのご友人…ご友竜?が問題なんですよ」
青年は頭痛を抑えるようにこめかみを揉むと、大きく息を吐く。
「星様が過去に貴方の所属するギルドに対して何をしたのか覚えているのですか?」
「ありすぎて逆に言えない」
アリーシャの即答に青年の顔が渋みを増した。
指折りで数えるアリーシャに、崖から落ちそうになった子供たちを助けてくれる星の姿を思い浮かべ、青年が口を開く。
「確かに、確かにあれはギルドが悪かったと思います。でも流石に皆殺しは容赦がなさ過ぎたのでは?」
「星は何をされても基本的に怒らないけど、アイツらは逆鱗に触れた。だから殺された」
当たり前じゃない?と首を傾げるアリーシャの言葉からは、人間に近づく竜人族でありながら、人間のことを何とも思っていない事が窺える。
それ程に彼女も怒っているのか。はたまた彼女も竜人族の頭の固い連中のように人間を見下しているのか。
彼女の夫の事を思い出し、青年は間違いなく前者だろうと断定した。
「以降ギルドはあの奥地を進入禁止と言う形にしましたが…」
「関係なく立ち入る私に不信を覚えている、と」
「よく分かっているじゃないですか」
ギルドがどれほど不信感を覚えようが知ったことじゃない。
青年の言葉に、アリーシャはそう思っていた。
夫に迷惑が掛かる事は申し訳なく思うが、星との関係は夫公認だ。
ギルドに口出しされようが、アリーシャの今の立場なら全て突っぱねられる。
ハンターも頂点に近づけば、権力も手に入れるものだ。
青年の何度目かも分からぬ溜め息が響く。
「採取ツアー許可書を書いてきます」
「ども」
雑貨屋のおばぁちゃんにペンと紙を借りてカウンターで文字を書き始める青年を尻目に、アリーシャはふと鼻をひくひくと動かした。
天空山からの風が運んできた匂いは、花香石の香り。
アリーシャが嗅ぎ慣れたその香りは、彼女なりの歓迎。
「良い匂いだね!」
「うん、私も好きなんだよこの匂い」
アリーシャは近付いてきた少女の頭を撫で、空を見上げる。
「気が付けば空も大きくなったね…」
「え、空はずっと大きいよ?」
少女の言葉にアリーシャは少女を抱き上げた。
「ふふ、私はもうちょっと小さいと思ってたんだ」
「?」
アリーシャの言葉の真意を読み取れずに戸惑う少女。
青年はその言葉をひそかに聞き取り、踏み込み過ぎたギルドナイト全員の頭と胴が離れた理由を噛み締める。
「過保護すぎるのも困りものです」
採取ツアーの許可証にサインをして呟いた言葉は、幸いにもアリーシャの耳には届かなかった。
●●●
崖を掴んで登り、時折降る岩を砕き。
寄る竜は片目を開いて威圧感を振り撒いて散らし、それでも向かってくる竜は拳で潰す。
目的地に着く頃には、私の体はあまりにも血生臭く。
『体流して来い』
「久しぶり」
『体流して来い』
友竜の口からは臭いを落として来いとしか発されない事になっていた。
○○○
こんな場所まで来てもらって何だが、とりあえず体を流して来いと言ってしばらく。
若干の生臭さを残して親友が帰ってきた。
「久しぶり」
『人間の言葉も通じるって便利だよね。おっひさー』
人の言語で話す喰に、私は苦笑する。
「随分とまぁ滑らかに発音できるようになったねぇ」
『伊達に200年も竜人族やってないよ』
「うーん、喰独特のあの発音も好きなんだけどなぁ」
『えー?ん゛ん゛っ…「この発音が好きとは主も変わりものよな」』
そう、これだ。
喰以外に聞いたことのない言語。
獣竜種、飛竜種、古龍種とも似つかず、人とも、“竜人族の主言語”ともまた違う。
発音は固く、明朗もハッキリしている訛りの強いその言葉は、どこか癖になる。
「だって面白いじゃん?」
「…小馬鹿にしおってからに」
不機嫌そうに唇を付き出す友人の顔に、言葉面のギャップが相まって思わず噴き出した。
「人の言葉で話してると表情が変わらないのが怖いって言うのが本音」
「…異な事に我もどうにかならざるかと思案中よ」
喰がある事件を境に竜から人に近付き、竜人族に紛れて早200年前後。
今では人の言葉で話し、柔らかな口調を手に入れているが、その逆に豊かだった表情は也を潜めてしまっていた。
これは人として生きることに竜としての精神が無意識化で負担を強いられ、本来の言葉の固さと精神の緩さを逆転させることで精神を安定させようとしている。と、そう私は考えている。
「まーね、コロコロ表情の変わる喰に見慣れてるから無表情だと怖いんだよね」
「…失敬」
ざわりと空気が変わった。
喰の首元に見えていた赤黒い鱗がどことなく黒さを増し、首元から頬にかけて罅が生じるようにして鱗が生える。
閉じていた瞳は無遠慮に開けられ、黒い粒子が微かに鱗から立ち昇り始めた。
「……溜まってるね」
「一儀の話なら間に合っているが?」
「雌雄の話はしてないよ。もしかしてボケてる?」
不思議そうな顔をして首を傾げる喰に笑ってしまった。
しかしその現象には、苦い顔しかできない。
「…そろそろ竜に戻る頃かもね。喰」
「……我は、何処にいるのだろうな?」
悲しげに寄り添ってくる喰に、大きくため息。
「好きなように生きるべき、だよ。私ないし喰ないし。…そ、空のように、ね」
口詰まったのは、血の繋がらぬ我が子のことを考えたから。
自由で、反抗的で。
喰を人に近づける要因となった事件以降、ずっと無気力だった私を変えてくれたあの子は、ここを飛び出してからは一体何をしているのだろうか。
白雲と濁った紺色の空の下。
紫の瞳が私を見ては疲れ切ったように鼻から息を噴き出す。
懐かしい記憶だ。楽しく、退屈しない日々。
長い間を生きてきたが、育てるという事が最も楽しかった。
「…星、その主の子について話したいことがある」
「―――空について?」
喰の口から出た言葉に、少し動揺してしまう。
一体何だろうかと、耳を傾ければ、喰が少し面白くなさそうに呟いた。
「雌と共にいたぞ。一儀の匂いもあった」
「よし、会いに行くかぁ」
挨拶も無しに交際するとはいい度胸じゃないか。
餓鬼が雌侍らすなんざあと百年生きてからにしろ。
……にしてもおかしいな。
通常種では無い、尚且つ亜種と言うには離れすぎている。
骨格の根底が少しずれている空は、自らが異種と言う事に疎外感を抱き、迅竜の雌を抱かなかった筈。
喰と私が
意思が変わった?いや、あの疎外感は心の底に根付くものだ。そう簡単には捩曲がらない。
番うには同じ異種でも見つけない限り――――
「…喰、その雌ってもしかして異種?」
「ふむ、異種であることは否定しない」
含みのある言い方に、嫌な汗が流れる。
異種ではある。つまりそれ“は”合ってるってことだ。
つまり…
「我も会った時は驚いた。その雌が雷狼竜でな」
空、私への反抗の次は種への反抗か。お前凄いな。
●●●
……そりゃ固まるよねぇ。
長年の付き合いの中でもトップ3に入るぐらいの反応に苦笑する。
自分の子が違う種と番いになっていると言われたのだ。反応に困るのは当然である。
ゆっくりと立ち上がった友に、分かり切った事を訊く。
「何処か行くのか?」
「その小娘を攫ってくる」
怒っている訳では無い。
だが、優しくしようという考えでも無さそうだ。
「場所を教えてくれ」
「孤島、人で言うエリア5の周囲を囲む岸壁遺跡の中の一つ。竜の遺産がある穴」
「竜の遺産…孤島にもあったんだ」
星の顔がどこか納得したようなものに変わり、遂には笑い出した。
「あっはっは、アイツ…物好きにもほどがあるでしょ……」
「それを主が言うか?」
知らぬ子を拾って来た挙句に育てる物好きが言うなど、鏡を見てほしいものである。
「く…まぁ、いいや。本当に面白い事になってるね」
「…空をあんまり怒らすなよ?タンジアにまで害が及ぶと敵わん」
「空が?」
「左様。空は主と違ってまだ若い」
気付かないうちに確実に首を落とす星と違い、空は真空の刃を飛ばす、不意打ちには適すが向かい合った際には分かり易い派手な攻撃が最たる特徴だ。
密林の中など障害物の多い場所では星直伝の高速移動からの視界外攻撃ができるが、冷静さを欠いてもしも私の元…タンジアの港まで来た場合は、タンジアのハンターの餌食となる事は逃れられない。
「そうなんだよねぇ…狡賢くても若いのが問題なんだよねぇ…」
「青さの残る攻撃は隙が多い。飛び出しは主の公認だったのだろうが…些か早すぎたと言い得ても過言ではないぞ」
「親離れの出来ない竜は有事の際に死んじゃうからね。危険を承知で黙認したんだけど…」
再教育が必要かな?と、そう呟いた星の瞳がギョロリと岩陰の外を見た。
次いで聞こえる無数の足音。音が殆ど聞こえず、歩幅は短く速い。
竜ではない特徴的なこの感じは断言できる。人だ。
「最近見なかったんだけど…喰が来たからかな」
「我を疫病神扱いするか」
「神…あぁ、人が信仰するやつね。どんな姿なの?」
「現存しない者の姿を訊くなど主も意地が悪かろうて」
他愛も無い言葉を交わすが、それぞれの動きに無駄は無い。
月より遥かに明るい太陽光を日陰との調節で屈折させ、霧が無くとも認識し辛くさせる星と、鱗を身に纏う布で隠し、立ち昇る粒子をどうにか抑え込む私。
――――数えて10が過ぎた頃だろうか。
緩急の付いた足音が岩陰の前で止まったので、視線を上げればそこに4人の人がいた。
黒いローブにフードを目深に被り、腰には一丁の拳銃。背負った武器は夜闇に紛れる黒塗り仕上げ。
「黒のギルドナイトに会うのは久しぶりだなぁ…」
それらは見紛うこと無き、ギルドナイト暗殺部隊だった。
○○○
ギルドナイトの暗部として活動してきて早六年。
部下を率いるほどの地位になった俺に先日舞い込んできた指令は『一人の竜人族の監視』だった。
誰なのかと聞けば、ギルドでも有名なハンター、最上夫妻の片割れではないか。
ギルド内でもそこそこの地位を持つ女性に一体何の疑いがあるのかと思うが、それを上層に訊くことはできない。
知らぬが仏。
不利益な情報を一時の興味で聞いたギルドナイトはどうなるか。
上が求めるのは馬鹿で、従順な犬。人に手を掛ける事すら何も考えずに実行できる――――どこかズレた人間。
ハンターであろうがギルド職員であろうが。例え…殺人を犯した悦楽殺人鬼であろうとも。
ギルドは利益になると思えば、それを引き込む。問題だらけの人格破綻者であろうが構わずに。
そんな寄せ集めの部隊が、俺の管轄する隊だった。
そんな部隊故に、殺人では無く監視という依頼が舞い込んできた時は隊員の不満が凄かった。
しかし次いだ言葉に不満を零した隊員は歓喜し、違和を得ていた隊員は逆に冷たい汗を流す。
『妙な行動をしたら殺害して構わない』
彼女はギルドに何をしたのだろうか?あれほどの地位と名声を手にしていながら命を狙われるなど…
――――ギルドの闇は深い。仕事着を身に着け、拳銃を腰に差し。頭を真っ白にして仕事のことだけを考える。
それがこの界隈で生きていく術だった。
○○○
監視してしばらく。
侵入不可の天空山の奥地に監視対象が足を踏み入れたことを妙な行動と判断し、我々は断罪を決定した。
が、同じようにして奥地に足を踏み入れてしばらくすると、手指の震えが止まらなくなった。
……何だここは…?
酷く嫌な感じがする。自らの命に危機が瀕しているような…
「……フゥ」
精鋭として選んだ三人も同じような感覚らしい。
いつもより動きが鈍いし、表情も硬い。
「大丈夫かお前ら」
「ケッ、たいちょーは任務のことだけ考えてりゃいいんっすよ」
女人格破綻者が唾を吐き捨てて言葉を返しやがった。
「お前らが大丈夫そうに見えなかったんでな。俺と違って」
「窒息させるっすよ?」
「ダルマにすんぞ」
「首落としたろかゴラァ」
ふむ、それぞれの殺しの好みがわかる最悪な応答だ。死ねお前ら。
「おい人格破綻者共、やる事は分かってるな?」
「殺処分っしょ。いつも通りにやりゃいいんっすよねぇ?ゴミ虫」
「良い態度だ。お前の働きに期待しているぞ畜生風情が」
妙な気を起こした竜人を殺すだけの仕事。
過去何人もG級ハンターを手に掛けた部隊だ。仕事の達成は確実だと思っていた。
「―――黒のギルドナイトに会うのは久しぶりだなぁ…」
岩陰の前に立つ我々に向けられた瞳に敵意は無く。
しかしほぼ全員が反射的に武器と暗器を構えた。
それほどまでに、異常だと何かが反応したのだ。
「んで、何の用かな」
以前ギルド内で聞いたことのある軽い口調。
武器を向けられても、ギルドナイト四人に逃げ道を塞がれても眉一つ動かさないこの女の胆力に驚かされる。
「…立ち入り禁止区域に立ち入ったことに関して言い開きは?」
「えー…別に良くない?それだったら私より闇ギルドの密猟者を暗殺してよ」
正論だ。確かにこんなくだらない事をしているよりそちらの方が有益に思える。
だが、我々の世界などこんなものだ。
「残念だがアリーシャ殿、違反の刑を受けてもらう」
「んえ、罪状は?」
「不法侵入、と言うのが正しいか」
「…ふーん成程ね。そう言う魂胆か」
一人納得したように頷くアリーシャに、何の話だと思うが顔には出さない。
するとアリーシャが人差し指を立てた。
「君はさ、人ってどんな味がすると思う?」
「…?」
人の味。それは
いくら人格破綻者の集まりと言えども、この隊に人喰いはいない。
「…血の味ではないのだろうか」
「“それも間違いでは無いね”」
アリーシャの言葉に愛用するガララアジャラの素材を用いた片手剣、パラスパイクサークルの柄を握る手に力が篭る。
「まるで人を食べたことがあるような言葉だな」
『間違いではない』。それは答えを知っているという事。
つまり…人の味を知っているという事に他ならない。
「うん、あれほど美味しくてマズイものを私は知らないかな」
「―――ッ」
―――ここでアリーシャの首に刃を叩き付けたのは、感情ある者なら当然の反応であり、反射だった。
喰われる。そう確信した生物は、ほぼ必ず何らかのアクションを起こす。
抵抗、闘争、擬態、呆然…。喰われる寸前まで真顔で突っ立っていられる人間はいない。
アリーシャの瞬間的な威圧に対するギルドナイトの隊長の反応は、“抵抗”だった。
しかし、それは抵抗と言うにはあまりにも足りず。
「ありゃりゃ、布が破けちゃったかぁ」
首を断つどころか皮膚を裂くことすら叶わない。
隊長の一撃は、アリーシャの首元に巻かれた赤い布を断ち切ることしかできなかった。
そして布の下に見えたそれに、隊長“だけが”目を見開く。
「…!?その鱗…」
「お、見たなぁ?」
鎖骨から顎下までを覆う、心拍と呼応するように表面の色が脈動する紅の鱗。
そしてその鱗を覆い隠すように立ち昇る黒い蒸気。
この女は竜人族ではない。ただの化け物だ。
そう判断して恐怖から後退れば、踵で何かを蹴った。
震えた足ではそれすらも障害となり、バランスを崩して倒れ込めば、今度は尻で何かを踏む。
「んー…酷いね」
「え、あ…!?」
立ち上がろうと慌ててついた手は朱に濡れ、状況を判断しようと視線を一瞬動かせばもう理解した。
―――首と胴体が離れた屍が三つ。周りに転がっていた。
長くともにいた奴らだ。間違える事は無い。
あの金髪はハルの、くすんだ赤髪はガイエンの、艶のある黒髪はトトの…首。
「クソが」
気付けなかった。
部下の死に、気付いてやることが出来なかった。
その事が隊長にとって一番、何よりも怒りが湧く。
しかし、ここで情に流されるようではギルドナイトは務まらない。
落ち着いて、距離を取って…何が起きていたのかを判断する。
経験は、死に際になって尚生きる。隊長はそのことを実感していた。
…ここでふとアリーシャが隊長の動作によって転がってきた頭を拾い上げたのは、気分からだった。
細面の男の赤髪を無造作に掴み、顔を確認し、頬に噛みつく。
繊維質の千切れる音が耳に届き、隊長は唖然とした。
「な、にを…」
ブチ…ブチィ……
噛みついたまま頭を掴み、口から離していく事で噛み千切ろうとする。
屈強な顎の筋肉によって皮膚が裂け、筋肉の断裂する音が天空山の奥地に静かに響いた。
「やめろ」
――隊長の顔は酷く歪んでいた。
静止の声も聞かず、ただ黙々と捕食を行う化け物を前に、隊長の顔は崩れてしまうのではないかと思う程に歪んでいた。
仲間の死に慣れた隊長であろうと、目の前で仲間の頭が弄ばれ、あまつさえ捕食されようとしているなど、黙っていられる筈が無い。
「やめろ!」
あまりの力にミシミシと軋みを上げる頭蓋に、隊長は思わず声を上げる。
しかしアリーシャは止めない。
顎に力を込め。腕に力を込め。理性無き竜のように力のままに貪っていく。
「やめて…くれよ……」
力無く発せられた言葉は、勿論聞き遂げられる事は無い。
ブチッ
引張限界を迎えた筋は嫌な音を立て、千切れてしまう。
ごっそりと抉れた頬から僅かな血を流すソレを渇いた眼で見ると、アリーシャは目の前で涙を流す隊長に向かって投げた。
胸に当たり、隊長はそれを必死に掴む。
「…私に敵対するという事はこう言う事なんだよ?」
肉を食み、口端から血を流すアリーシャは真っ赤な瞳で隊長を見た。
あまりにも哀れで、精神を叩き折るまであと一歩の弱い弱い存在。
人とはこうもちっぽけで、本当にどうしようもない。
「死に急ぎ過ぎたねギルドナイト」
ペッと吐き出したのは噛み千切った頬肉。
隊長はその行動の意味が理解出来ず、一瞬固まった。
「ん?あぁ、私は人間の中でもむっちゃんの肉しか食べないんだ。他は不味くて嫌だから。当然、これも」
もはや隊長の堪忍袋は限界だった。
立ち上がり、激情にに任せた原始的な行動、拳をアリーシャに振ろうとして――――
「バイバイ、人間」
首にうっすらとした痛みが走り、視界がそのまま落ちた。
何事かと思えば、自らを蹴飛ばす何者かの足。
それが落ちた首を蹴飛ばす自分の足だと理解する頃には、もう息をしていなかった。
○○○
『やっぱりおっそろしい切れ味だね』
「手入れは欠かさないから」
糸が切れたように地へスライディングする首なし死体を眇めて見ていたら、喰が話し掛けてきた。
「人間は嫌いじゃないんだけどねー。こいつらは嫌い」
『所属してる私は?』
「愛してる。私を孕ませて」
『フフ…馬鹿』
口だけで笑う喰が面白くて笑ってしまう。
だって…あらぬ方向を向いて話しているのだから。
逆立っていた毛を爪で
「こっちこっち」
『おっと…そっちだったかぁ』
緩慢な動作で振り返る喰の顔には、黒い鱗が数枚見えている。
困った友人だ。感情が大きく動くとすぐに鱗が顔を出すのだから。
「深呼吸して心を落ち着けな」
こちらの言い分通りにゆっくりと深呼吸をすれば、彼女の鱗から黒ずみが少しずつ抜けていく。
―――出会ったばかりの頃のような緑がかった黒い鱗には戻らず、紅の鱗になり、最終的には肌に紛れる色となった。
「いつも通り…にはならないね」
『…私にとってはむっちゃんが愛してくれるこの色がいつも通り』
「おー熱い熱い」
『ありがとね』
「くそ…なんかそのまま受け取られると悔しいな」
大きく一息。
「喰、いつものに戻して」
『いつも』
「いつもだけど違う!」
「戯言だ。これで良いのだろう」
言語が切り替わると同時、表情が明るくなる。
もうこれだけでも見てて面白い。
フスフスと笑いながら冷たくなった人間達の首と体をポイポイ投げて纏めると、喰の薄い目を見る。
「ねー喰ー…そこらへんの食っといてよ。邪魔」
「断る。
「じゃあほら、旦那だと妄想しながらさ」
「そこらの屍とむっちゃんを同一とするな。あれほど極上の血肉など…ふは……」
開けた瞳の瞳孔が開くほどにヤバい笑みを張り付ける狂竜がそこにいた。
匂いで分かるが、下から雌の匂いがし始めている。
コイツの頭の中は食欲と性欲が微妙に絡み合ってできているから面倒だ。
「食欲と色欲の果てから帰って来い変態」
「星読み竜が酷い言い草だな。主から抜け落ちた欲を楽しんで何が悪い」
「…食欲はあるぞ?多分…」
性欲は無い。これは断言できる。
種を残すとかそう言った考えは根本より、悦楽に浸りたいという欲が無い。
昔は使われぬ自らの雌穴に憐憫を覚えていたが、それより二百年余りが経過した今ではそういう“モノ”だと勝手に納得した。
「戯言だから真に受けるな。しかし…時には肉欲に溺れるのも良いぞ?」
「残念だが本当に性欲というものが無いんだ。行為は知っていてもやろうとは思えない」
例えば首を縛る者がいたとしよう。
本人は気持ちいい、痛くないと発言する。
―――だが、それを見てもこちら側は理解が出来ない。
あんなに顔が赤くなって…青くなって…痛くない訳が無い。気持ちいいなんて有り得ない。
そう、思って“しまうのだ”。
だから私は喰がどれだけ気持ちいいと言おうと、楽しいと言おうと、それが理解出来ない。
元々喰に会う前は性欲からほど遠い殺戮の世界を歩いていた。おそらくその事も関係しているのだろう。
一番近くにいた異性の同種を挙げてみても空ぐらいだ。雄として見るのは有り得ない。
…さて、だいぶ時間を無駄にしてしまった。
「とりあえずそろそろ飛ぶからそのゴミ頼んだ」
「そう急く必要があるのか?」
「面白そうな事に飛び込むのは好きなんだ」
「主らしいな。いいだろう。これらはその辺に捨て置くとするわ」
「その辺の竜が食べてくれるからそれ名案」
なんて軽口を叩くものの、無造作に一人一人を指一本で持ち上げる喰に冷たい汗が頬を伝う。
人間一人50キロ前後。首を差し引いて装備を付けたし65キロ近く。
それを指一本で持ち上げるなど尋常ではない。
「相変わらず常識外れだね。勝てる気がしない」
「…対峙すれば我の口からその言葉を聞くだろうな」
ケッケッケと枯れた笑い声を漏らす喰の目は、まるで過去を見ているようで。
「オイオイ、過大評価しすぎじゃないか?」
「事実だ。我は未だ、霧隠れした主の姿を捉えた例がない」
「…お前の目は、見通す為のものじゃないだろう」
こちらの言葉に、喰の瞳が零れ落ちそうな位に開かれる。
細い竜のような瞳孔が、ギョロリとこちらを見据えた。
同時に、硬直する体。
「コラ」
「戯れだ。久しく行っていなかったのでな」
「ったく…筋肉が変に固まるからやめてくれ」
瞳を閉じ、肉焼きセットを取り出した喰。
そのまま積まれている死体の腕を無造作に千切ると、括り付けて焼き始める。
「腹が減るのも相変わらず、か。それより人は嫌いじゃなかったのか?」
「焼けば木土と変わらん程度にはなる。不味い事に違いはないがな」
肉の焼ける臭いが、辺りに広がった。
「…忘れられたか?過去の、“彼女”は?」
「―――否、忘れた事など一刹那たりとも無い」
火から外した腕を掲げ、焼けた皮膚から残っていた血液が滴る。
肉の赤が茶色く変色し、それを前にして喰の細めた瞳が赤く輝いた。
「後悔は忘れられぬからこそ意味がある」
「詩人だね。嫌いじゃないよ」
「…我を人などと一緒にするな。だが…まぁ…」
口ごもる喰に、やはり時は全てを変えるものだと実感する。
殺戮と捕食の竜だった彼女は、人との恋情に目覚め、性に素直になった。
肉を齧り、良い笑顔で涎を垂らす色々台無しな女が、そこにいて。
『むっちゃんと一緒に人として生きるのも、悪くないよ』
「…あえて人の言葉で言うか、喰。…否、アリーシャよ」
『いや、いつまでも名は捨てない。でもね、でもさ』
大きく息を吸い、アリーシャは骨を咀嚼する。
『私は、死に場所を見つけたよ』
「――――あぁ、そうか」
人の言葉で、幸せを囁いたアリーシャに、私は心の底から笑った。
「ハッハッ!ならば星読み竜が言おう!結ばれた紐は解けない。千切れる事すら有り得ない、となッ!!」
「竜として受け取った。その読みは忘れんぞ」
互いに笑いあい、私は翼刃を目いっぱいに広げる。
「行ってくるよ。私は、私の幸せのために」
『行ってらっしゃい。私は竜として生き、人として死ぬけれど』
「『いつか、また』」
別れの言葉を言うと同時、宙を叩いて全速力で空を飛んだ。
空気を翼刃で裂き、とんでもない速度で滑空、羽ばたきを繰り返す。
「ジンオウガの異種…楽しみだ」
―――毛を靡かせる風の心地良さに、私は目を細めた。
キャラ紹介(外見)
星 ???歳
・月迅竜・キングクラウンサイズ・
喰
・黒緑と赤の鱗・紅の竜瞳
今回で外伝の文字数のハードルが下がりました!