……夢を、夢を見ていた。
それはとても暖かな夢。
誰もが望み叶えたいと願う夢。
暖かで柔らかな木漏れ日の様な夢。
そして、遠い遠い、昔の昔の夢。
「夢、か……」
窓から差し込む朝日に照らされて目を覚ました俺は大きく伸びをし、身体を起こす。
夢を見ていた気もするが、既に内容を思い出すことは出来なかった。
「どうしたのだ、団長。先程から随分とぼんやりしているようだが……。体調でも悪いのか? 」
「いや、そんな事はないぞ」
唐突に顔を覗き込んできたエキナセアに内心驚きつつ、首を横に振って否定する。だが、納得がいかないのか、エキナセアは更に詰め寄ってくる気配を見せる。
「すまんすまん。大した事じゃないんだけどな、今日の夢が妙に気になってな。それがどうにも思い出せなくて」
「ふむ……。しかし夢というのは思い出せないのが普通では無いか? 」
「まぁ、そうなんだがな。ただ、何と言うか。懐かしい様な、そんな気持ちにさせられてな」
怪訝そうに首を傾げるエキナセアに手を振りつつ「やっぱり気にしないでくれ」とだけ告げて書類作成に集中する事にした俺だが、やはり頭の片隅には今朝の夢を思い出そうとし続けるのだった。
午前中はぼんやりとしていた俺だったが、何だかんだと仕事をしていれば自然とそちらに意識が集中するわけで、いつの間にか夢の事はさっぱりと頭の中から抜けており、午後は花騎士達の稽古様子を見て回る事にした。
「こうしていると軍にいた頃を思い出すなぁ。毎日、部下達と稽古に励んでいたっけ」
俺はそう昔の事でもないのに随分と昔の事のように感じられて、懐かしげに呟く。
「あ、マスター。お疲れ様です。本日の執務は終わりなのですか? 」
「お、グラジオラスか。その通り、今日の書類仕事は終わりでな。皆の稽古を見て回っている所だ」
稽古の手を止め、こちらに歩いてきたグラジオラスに俺は片手を挙げつつ答える。
「グラジオラス、お前さん、何か言いたげだな。どうした? 」
「あ、いえ。その、私達はいつ害虫の討伐へ向かうのかと思いまして」
俺の顔をしっかりと見ながらグラジオラスは答えるが、その目には「今、ここでこうしていて良いのか」という想いが湛えられていた。
その瞳の中の迷いともつかない想いに答える事が出来るかは分からない。と考え、「それはまだ分からない」と返すが、当然、彼女もそれに納得は行かないのだろう。瞳には疑念が宿る。
「俺はまだ昨日就任したばかりだ。まだまだお前さん達の事も知らない事ばかりだし、何より昨日今日だ。市街地に虫共が出たとか緊急時を除けば、俺達をどこに出撃させるだの、遠征に出すだのという命令は上も安々と決められないのだろう。まぁ、恐らく初任務としての行き先の検討は付くし、そう長く待機ってこともないだろう。今は我慢してくれ」
そう言うと、グラジオラスの肩を軽く叩いてやる。そうしてやるグラジオラスは目を閉じて一息吐くと、何かを決めたかのように目を開いた。
「マスター。お願いがあります、今から私と手合わせしてもらえないだろうか」
そう言うグラジオラスに俺は「いいぞ」と首を縦に振るのだった。
誰に言ったわけでもないのにいつの間にか試合場の周囲には他の花騎士達や城に詰めている兵士達が集まっていた。誰も彼も何が起こるのかと、楽しみにするような目をしているが、エキナセアだけは心配そうな顔で俺を見ている。恐らく、俺の左脚の事を心配しているのだろう。
そんな周囲の様子も意に介さず、グラジオラスは訓練用の短剣を持ち、身構える。俺も訓練用の長剣を提げて対峙する。
俺が静かに構えを取ると、しんっ、と周囲が静まり返る。雲が日差しを遮り影を作る。そして少しの間を置いて、雲が晴れた。その瞬間、グラジオラスが動いた。
タンッ――花騎士の持つ膂力を活かして、こちらに突進するかの様に一跳びに突っ込みながら短剣を横薙ぎに一閃して来るが、それを一歩引くことで躱す。
立て続けに縦に、横に斜めにと両手に持つ短剣を駆使して斬撃を連続して放って来るも、それも躱したり、手にする長剣で逸しながら俺は徐々に後退していく。
しかし、俺も戦い慣れをしているとはいえ、所詮は只の人間。世界花の加護を受けている花騎士相手では一撃を逸らすだけでも手に重い衝撃が走り、鈍く痺れる。
それにグラジオラスは花騎士になる以前から戦いを積み重ね、実戦で培われたセンスを持っているだけあって、こちらの突かれると嫌な箇所を的確に突いて来る。
やがて俺は壇上の縁に追いやられ、これ以上は下がれない。となったところで、俺は左足を滑らせて体勢を崩した。
それを好機と見たかグラジオラスを凄まじい勢いで再び突っ込んで来るが、それは誘いだった。両足にあらん限りの力を入れ、前へと跳び出した。その次の瞬間、俺の剣はグラジオラスの首筋にトンッと当てられ、グラジオラスの短剣は俺の身体を捉えてはいなかった。
「俺の勝ちだな」
「さすがはマスターだ」
短く交わされる言葉だが、それだけで十分だっただろう。
勝負は一瞬だった。僅かに彼女の動きを冷静に見れていた俺が彼女の裏をかけただけ。銅とはいえ、流石の実力とも言えた。
「近々出撃もあるだろう。鍛錬を積んでおけ」
「分かりました。ありがとうございました、マスター」
深々と頭を下げるグラジオラスに対して軽く手を振りながら壇上を降りる。と、すぐにエキナセアが血相を変えて駆け寄って来た。
「大丈夫か、団長! 」
「大丈夫だ。今は何も言うな、エキナセア」
俺が先程の試合で足を酷使したものだから心配でならないのだろう。それを静止し、エキナセアと共に宿舎へと戻る。と、皆から完全に見えなくなった所で俺は遂に壁に手を着いた。もう壇上を降りる前から左脚が酷く痛んで仕方なかったのだ。
「やっぱり無理をしていたんだな、団長。キミもなかなか無茶をする」
「なぁに、これくらい。まだまだ」
「そういう事は、冷や汗ひとつかかないで涼しい顔をしてから言ってくれ。そんな歪んだ顔で言われても嘘だとすぐ分かる」
強がって見せる俺に呆れたのかエキナセアはやや肩を落としながら俺の左側に立って肩を貸してくれるようとするが、俺はそれを手で制して拒否する。
壁に手をつきつつ、痛む足を引き摺りながら、前へと歩く。
「俺はもう、部下や仲間を死なせたりしないと決めたんだよ。それがあの命令だ。そして、俺はそれを実行させる。お前達花騎士を決して死なせたりしない。その為だったら俺の身体がどれだけぶっ壊れようが、そんな事知った事じゃない」
手段を選ぶつもりもない。例えそれでお前達から憎まれようが、俺はそれでも……! その言葉を飲み込み、心の中で呟き、空いている方の手を固く握り締めたのだった。
それから俺は悲鳴を上げる左脚を引き摺りながら何とか執務室に戻った。
途中、何度か俺を助けようとエキナセアが声を掛けてきたが、それを俺はひたすらに断り続けた。
部屋に戻った俺は痛み止め薬を一飲みし、痛みは引いた頃に。
「そうだ、エキナセア。俺はこの後、少し出掛けて来るから、君もこの後は好きに過ごしてくれ」
「何か重要な要件ならば、私も同行するが」
俺が立ち上がるのに合わせて、エキナセアも立ち上がろうとするが、俺はそれを手で制して座らせる。
「いや、至極個人的な要件だ。だから俺一人で十分だ」
そう言う俺に、そうか、ならば。と呟きながらエキナセアは椅子に座り直した。
「悪いな。夕飯の時間までには戻る。何かあったらフォス街道脇の丘の裏まで来てくれ」
それだけを告げると、俺は一人、馬を走らせ街中で花束を買うとフォス街道脇の丘まで向かった。
そこには、共に戦った親友カイルと、部下であった仲間達の集団墓地があった。
「ヒャクニチソウ、花言葉は"亡き友を偲ぶ"か」
ズボンからシガレットケースを取り出し、中から一本のシガレットを取り出してライターで火を付ける。そしてそれを、墓石の前に花束と共に供え、手を合わせる。
そよそよと優しい風が、俺と供えられた花を凪いでいく。風に乗ってシガレットに織り込まれた花の香りが辺りを包み込む。
どれだけの時間をそうしていたのか、俺は屈んでいた状態からぐっと立ち上がると、懐から親友の形見であるシャインクリスタルを取り出すと。
「こいつは、その花束の代金として受け取っておくからな。……じゃあな、カイル。そして皆。俺がそっちに行くのはまだ暫く先になりそうだ」
そう呟き、再びシャインクリスタルを懐に仕舞うと、俺はくるりと踵を返し墓石に背を向けて歩き出す。
まだ悔いは晴れない。しかし、迷っていられる時も、立ち止まっていられる時も、既に過ぎ去った。今はただ、前に進むのみ。
ただ、ひたすらに前に進むのみ。
そう、自分に言い聞かせ、歩みを止めない。そう、背中の墓標に誓い、右手を天に掲げ、背にする墓石に手を振った。