言葉はない。
丈二さんが異界に入ってもう10分にもなるが、まだ戻っていないからだ。
召集された能力者達にはもう帰っていいと連絡されたらしいが、四大家の江戸に配属されている人達は1人も帰らず、ドアを見詰める僕を見ている。
そうしていなければ、ドアが開いた事にすら気づけないからだろう。
「丈二なら大丈夫だよ、天斗」
「うん。わかってるんだけどね……」
それでも、祈るような気持ちでドアノブを見詰める。
どれほどそうしていただろう。
ノブが、動いた。
「来たっ!」
おおっという歓声が広がる。
だけど僕だけに見えているドアから顔を出した丈二さんは、なぜか浮かない顔だ。
「丈二さん、まさか怪我っ!?」
「いや、そうじゃねえ。美和、妖異の遺体が伝染病の発生源になったりは?」
「それはないと思う。それにここには風の使い手もいるから、不安なら風の壁を作って、そこに陰陽寮妖異研究科の解析班を入れればいいさ」
「そうか。なら、すぐに遺体を出す。どうしても、弔ってやりたくてな」
そう言って顔を引っ込めた丈二さんは、すぐに小さな体を抱えて姿を現した。
「こ、子供っ!?」
「腐りかけちゃいるが、な」
「……ゾンビ」
「ああ」
丈二さんが男の子の遺体を丁寧に横たえる。
するとその体は、足からゆっくりと灰になり、四大家の女の人達が操る風に乗って空へ昇っていった。
「は、灰と臭気サンプルの採取をっ!」
白衣を着た人が叫ぶが、咄嗟に動ける陰陽寮の職員はいない。
その女性に丈二さんが歩み寄り、両手を差し出すように見せた。
「俺の手なら好きに調べりゃいい。ほら」
「あ、ありがとうございます」
数人の白衣を着た人が丈二さんの手をガーゼで拭ったり金属のヘラで擦ったりしたが、すぐに残念そうな表情で離れる。
これなら、あの灰は無害なのだろう。
「ふうっ。まずは報告か、美波?」
「そうね、天幕で聞くわ。四大家の代表を1人か2人ずつ、同席させてもいいかしら?」
「ああ。好きにしろ。ったく、せっかく探した写真まで灰になっちまうとはな」
天幕のテーブルに着くと、丈二さんが見た事とした事を詳細に語り出す。
マンガ、アニメ、ゲーム、ライトノベル。そういった物が発達していないので伝わり辛いゾンビの説明は、僕も手伝った。
「科学世界の創作物に出てくるバケモノ、それに酷似した妖異か……」
「新たな幻想種として、図鑑にも載せないと。強さがそれほどじゃないのが救いね」
「だな。22口径を3発、頭に撃ち込んだら倒せた。動きも酷く遅い」
「まあそれでも」
「ああ。天斗は置いてく」
「な、なんでさっ!」
思わず叫んでしまった自分に少し驚きながら、丈二さんの目を見る。
ドアが見えたのだから、僕だって有資格者というやつだ。
それに、スキルを手に入れられるなら、僕だって守られるだけの存在ではなくなるはず。
「ゾンビは腐ってたが、なぜか死体はそうじゃねえ」
「えっ」
「焼けた車の中にゃ焼死体、そのそばにも死体。最初の交差点までしか進んでねえが、その先は街になってた。おそらく、もっと酷いだろう。オマエ、そんな場所で探し物なんかできんのかよ?」
「あまり戦闘向きではないスキルを1つしか持っていなかった新選組の土方は、異界で2匹の鬼を斬って武器顕現系と使役系のスキルを手に入れたんだったかな。異界は鬼だらけだったそうだが、その2匹は別格の強さだったらしい」
「その前の赤穂藩の大石は、翁に化けた狒々だったわね」
「つまりは、ボスを倒さなきゃダメなんだろ。この体でいる限り俺は滅多な事じゃ死なねえが、天斗はそうじゃねえ。大人しく待ってろ。どうしてもってんなら、ドアの前にゴザでも敷いて茶でも飲んでな」
「い、嫌だ」
「あん?」
丈二さんが僕を睨む。
ヤンキーお得意の、アレだ。
子供で僕と同じ顔なのに少し、いや、かなり怖いけど、ここは退けない。
睨み返すまではいかないが、黙ってその目を見続ける。
「……ガキの胸に写真があったろ」
「え、うん」
「ありゃな、交差点にあった女の死体が握り締めてた」
「そうなんだ?」
「その死体にゃ、内臓がなかったよ」
「ええっ!」
「そして交差点にいたゾンビはあのガキだけ。その口の周りにゃ、乾いた血だ。面影はどっちにも残ってたし、親子に間違いはねえだろ」
「そ、それって」
「おそらくな。それに生き残りがいるにせよいないにせよ、人間の残酷さは俺の人生を見てたんだからわかるだろ。一緒に行けば、もっと酷い光景も見るぞ。トラウマ確定だ」
「……それでも、僕は行きたい」
丈二さんはもう僕を睨んでいない。
茫洋とした瞳で、見詰められただけだ。
「理由を聞こうか」
「この3日で、決めたんだ。丈二さんみたいに、強くなるって。すぐにはムリでも、いつかはって」
「せっかくこんな世界に男として生まれて、本人は何もしなくていい能力者になれたんだ。さらにスキルを得て、自分から苦労する必要はねえだろ」
「それでも、僕は強くなりたい。丈二さんなら、わかるでしょ」
「なにがだよ?」
「テメエの女は、テメエで守る」
若干、いやかなり頬が熱い気がするけど言えた。
「……くくっ。コゾウが言いやがる」
「ちょ、アタマ撫でないでって。しかもそんな乱暴にっ!」
「うるせえよ。無事に帰って、酒を酌み交わすまではガキとして扱う。まあ、それでもしばらくはコゾウ扱いだろうがな」
「じゃあ、僕も行っていいのっ!?」
「ああ」
「やった!」
「ただし」
「え?」
「テメエの女と、まだ16なんだから保護者、それと半人前だがそれを配下に置く水瀬家の当主は自分で説得しな」
「そ、それは……」
まず振り返って和音さんを見る。
この初恋の人とは、3日間ずっと一緒にいた。普通ならあり得ないだろうけど、トイレやお風呂も2人で行ったのだ。
勃起が出来ない男と普通の女がすると思われる、ほとんどの行為もした。
ここに来る直前も、そうだ。
勃起しそうでギリギリしないという状況に焦れた僕が濡れ切った膣を、丈二さんの肉棒の大きさを活かして犯そうとした時、和音さんはある事を言った。
そんなの許せないと、怒りとも哀しみとも取れる感情に揺れた僕は、たしかに勃起しかけたのだ。そして、電話が鳴った。
「天斗様」
「は、はいっ」
「もし怪我でもしたなら、あの計画をすぐに実行しますよ。それでも、行くのですか?」
「……うん。ごめんなさい」
「わかりました。それと、ご自分の所有物に謝罪など必要ございません」
「ありがと。えっと、母さん」
「なんだい?」
母さんは苦笑いしながらも、やはり心配そうだ。
それはそうだろう。
こちらでは丈二さんのいた世界の女の子より、男を大切に育てる。それこそ、壊れ物のように扱うのだ。義理とはいえ一人息子が異界なんて場所に踏み込むのを、心配しない母親などいない。
「きっと無事で帰ります。だから、行かせてくださいっ!」
立ち上がり、深々と頭を下げた。
「はあっ。まあ、丈二が一緒ならいいだろう。ただ、1つだけ約束してくれ」
「うん。なに?」
「丈二のように強くなるのはいいが、丈二のようにはならないでくれ」
「わかってる。さすがにこんな人みたいな性格には、いだっ! な、なんで殴るの、丈二さんっ。お尻痛いって!」
「うっせ、ボケ」
「うふふ。天斗ちゃん」
「は、はいっ」
微笑んではいるが、美波おばさんの目は真剣だ。
この迫力は、かなり怖い。
「数百年ぶりの異界発生。その中での出来事は、陰陽寮の職員が聞き取り調査をして克明に記録されます。水瀬家の当主として、もし天斗ちゃんがみっともない姿を記録されるなら……」
「だ、大丈夫ですっ!」
「よくも言い切れるよなあ」
「天斗は素直な子だからな。きっと、自分を信じているんだろう」
「男は3日で成長するって言うが、どんな事をしてどんな成長をしたんだか。異界で、殴ってでも聞き出すかな」
「後で母親にもちゃんと教えてくれよ?」
「任せろ」
「い、言わないからねっ!」
丈二さんが立ち上がる。
何をするのだろうと思ってその背中を視線で追うと、なんと丈二さんは美波おばさんの前で膝を折った。
「なっ、丈二っ!?」
「これは、さすがにわたくしも驚きました」
「ぼ、僕も……」
「当主様、お願いがございます」
丈二さんはヒモを平気でやれる人だが、他人を頼るのが本当に嫌いな人だ。
それが、片膝まで付いてこんな。
美波おばさんはキョトンとしていたが、すぐに母さんによく似た苦笑いを浮かべ、手ずから丈二さんを立たせる。
「お願いだから、そんな事はしないでちょうだい。言葉遣いも」
「そうかい。だが、どうしても助力を頼みてえ。俺1人なら着の身着のままでもいいが、天斗を連れてくなら万全を期して異界に入りてえんだ」
「聞きましょう」
「これを見てくれ」
丈二さんがポケットから出したのは、境内の敷石だ。玉砂利、とかいった気がする。
「それが?」
「銃は弾切れがあるし、ナイフも変な使い方をすると折れて指輪になって、しばらく実体化できねえらしい」
「そうね」
「だから俺は、そんな状況になったら投げて武器にするつもりでこれを拾ってった。あっちでも、しっかりポケットにあったよ」
「……なるほど。必要な物を、すべて言いなさい。和音、メモを」
「はっ」
丈二さんが美波おばさんに頼んだのは、驚くべき物ばかりだった。
和音さんが書いたメモを手に、美波おばさんが立ち上がる。どこかに、電話でもかけに行くのだろう。
「どんくれえかかる?」
「夜の明け切るまでには」
「焔家も協力しよう。松永」
「はっ。すぐに打ち合わせを」
「もちろん我が家も」
「うちとて!」
大人達がほとんど立ち上がり、美波おばさんと和音さんを囲むようにして天幕から出ていく。
「そんじゃ、駐車場とやらで仮眠でもすっか。四駆を出してくれよ、美和」
「わかった」
「待て」
天幕を出ようとした僕達に言ったのは、焔家の末娘で江戸に留学に来ているという小さな女の子だ。
おかっぱの髪を揺らして顔を向け、丈二さんを睨んでいる。
「どした、お嬢ちゃん?」
「う、あ。え、えっと……」
出た。
無意識であるらしい、子供と動物と気を許した相手にしか見せない丈二さんの貴重な笑顔。
映画でも見るように丈二さんの視点と俯瞰視点でその人生を見ていた僕は、この笑顔で丈二さんにまいった女の人をたくさん見てきた。
この子もそうなるのか。
少し、将来が心配になる。
「も、もし水瀬の家に不満を感じたら、焔家に来い。アタシがこき使ってやるから」
「そりゃありがてえ。もしもの時は、よろしくな」
「あ、ああ」
駐車場までの道に、来る時はあれほどいた能力者は1人もいなかった。
母さんが出した四輪駆動車の荷台に跳び乗り、丈二さんが夜空を見上げて横になる。
「中で寝ればいいのに」
「ここでいいさ。天斗もしっかり休めよ。眠れなくても目を閉じて横になってりゃ、それだけで体は回復してくれるもんだ」
「わかった」