異界から戻って3日目。
僕は陰陽寮の屋外演習場で、大口を開けて固まっていた。
「気前がいいなあ、陰陽寮」
「自分達が異界を踏破したなら、軍も警察も、それを統括する幕府の上層部までが羨むでしょうからね。このくらいは、当然でしょう」
「軍も貸しを作ったと思いたいのか、大盤振る舞いだもんな。ヤコの背負ってる狙撃銃、かなりのモンなんだろ?」
「はい。輸入したモシン・ガガンを、スキル持ちの職人が徹底的にバランス取りしたそうです。軍の特殊部隊でも、これほどの物は持たせてもらっていないかもしれません」
「俺の無坂9式もそうらしいな。ヤコはタッパがあるから、国産より輸入品か。そんじゃ、始めっかねえ」
「はい」
2人が歩き出す。
「なにしてんだ、天斗」
「えっと、丈二さんはそのラビットだよね」
「ああ。ボアアップして、足回りなんかもかなりイジってくれたそうだ」
「んで、普通のバイクがヤコさん。それに付いてる、小さなサイドカーが僕だよね?」
「とーぜん」
「サ、サイドカーに機関銃が付いてるんですけどっ!?」
「仕方ねえだろ。この2日で天斗がさんざん銃を試射して、それを見てたプロの出した結論が、危なっかしくて護身用の小型拳銃しか持たせられねえってんだから」
「機関銃なんか、もっと危ないでしょ!」
「ああ、それなら平気だ」
「えっ?」
「機関銃はレールで滑らせて前と後ろを撃てるようになってるが、射角が限られるようになっててな。絶対にバイクやヤコを撃てねえ。誤射するとしたら、俺だけだ。だから気にすんな」
「するって!」
「なら、たっぷり訓練するんだな。早く乗れ」
陰陽寮特殊装備課車両班、その班長さんがいい笑顔で皮の手袋を渡してくる。
薄手のそれを手に着けながら、僕は抑え切れずため息を吐いた。
僕達は、明日からまた異界に赴く。たった1日の訓練なんて、付け焼き刃にすらなりはしないだろうに。
「天斗様なら大丈夫です」
「和音さん……」
そうだ。
しっかりしなきゃ。
この人に、愛する人に守られているだけなんて、絶対に嫌だ。
「うん。いってきます」
「お気をつけて」
もうエンジンがかかっているバイクの、小さなサイドカーに乗り込む。
「うっわ、せまっ……」
「異界の扉の横幅に合わせているので。まずは走行テストですから、機銃には触れないでください。揺れるでしょうから、正面のバーに掴まっているのがいいでしょう」
「わかりました、ヤコさん」
「呼び捨てでいいと言っておりますのに」
「あはは」
まず動いたのは、丈二さんの乗った小さなバイク、ラビットだ。
子供サイズの都市迷彩服とやらを着て、僕と同じ皮手袋をしている。そして両の腰には、ずいぶんと気に入ったらしい無坂9式という大きな拳銃。
演習場は舗装なんてされていないのに、丈二さんはウイリーをしながら、かなりのスピードで走り出した。
「10秒後に、こちらも出ます」
「は、はいっ」
心臓がうるさい。
あれ、鼓動を10数えたのに動かないぞ?
そう思ってヤコさんを見上げようと顔を動かした瞬間、バイクは凄い勢いで急発進した。
「うわあぁっ!」
「さすが丈二殿。ですが、排気量がこれだけ違えば抜けるっ!」
「な、なんでいつの間にかレースになってんのっ!?」
風。
ハンパじゃない。
目が痛いのはもちろんだが、口を開くと空気が入って頬の内側なんかの感触が気持ち悪い。
着替えの都市迷彩服の上に、なぜ重いゴーグルが載せてあったのかやっと理解した。どうすればいいのかわからなくて首にかけていたそれを、急いで目に装備する。
「最初のカーブですよ、振り落とされないでください!」
「えっ」
そういえば荒れ地のような演習場には、いくつもの赤い三角形のコーンだかが置かれていたような。
遠心力。
それを感じた瞬間、バイクは横滑りしていた。
「うきゃーっ!?」
転がる。
思ったがそんな事はなく、バイクはバランスを取り戻していた。
遠くに、丈二さんの背中が見える。
「ヤコさんっ。その、もっとゆっくり」
「負けるかあっ!」
たった2日を共に過ごしただけだが、ヤコさんはなにくれとなく、丈二さんの世話を焼きたがる。初日に不思議に思って聞いたところ、眷属は眷属長のために何かすると喜びを感じるのだそうだ。
そのヤコさんが、こうまで……
「もう、諦めました。バーを握って足を踏ん張って、目は閉じてます……」
バイクが止まったのは、それからしばらくしてからの事だった。
体感では30分ほど巨人の手に握られて振り回されていた気がしたが、子供でも手首に着けられるベルトに改造した軍用腕時計の針は、10分しか進んでいない。
「おい、天斗」
「え?」
「コーナーを曲がりながら見てたんだが。オマエ、目を閉じてただろ?」
「う、うん」
「異界じゃそんなバカするんじゃねえぞ。運転してねえ天斗は、後方と右側の監視だ。ヤコのバイクにゃ、サイドミラーもねえんだからよ」
「そっか。でも、怖いんだよねえ」
「異界の道は舗装されてっし、ちょっと進めばゾンビがいる。こんなスピードは、耐久テストだからこそだよ。ほれ、降りろ。車両班が車体やパーツの点検をする」
「う、うん」
なら、少しは休めるのか。
そんな考えは、甘かった。激甘だ。
僕は演習場の隅のテントに連れて行かれ、機関銃の取り扱い方をみっちりと習わされた。
「講義はこのくらいでいいでしょう。次は、実際に撃ってもらいます」
「はっ、はい」
いつの間にかテントの前に来ていたバイクのサイドカーに乗り込むと、ヤコさんは歩くほどのスピードでそれを走らせる。
「気にせず射撃位置に行っていいですよ、霜月中尉」
「もう中尉ではない。いきなりの事ですまんな、田中」
「まだ言いますか。気にしないでください。それより、山口や太田が驚いてましたよ。あの霜月中尉から電話があって、何度も謝られたって」
「自分としてはスキルを与えてくださった神のため、眷属長にお仕えするのは当然。だが、それでお前達に苦労をかけるのはな」
「苦労なんかじゃありませんって。それより、将来が楽しみですねえ」
「将来?」
「能力者の男は、高確率で『性交渉可能者』なんでしょ。今はまだ子供でも、あの丈二って子だって3年もすれば。ぐふふ」
そうか。
田中さんは丈二さんの正体を知らされてないのか。
まだヤコさんとはセックスしてないって言ってたけど、時間の問題だろうなあ。
「どうしました、天斗殿。そんなに自分の顔をじっと見て」
「お気のど、いえいえ。なんでもないです」
ヤコさんは少し首を傾げたが、それ以上は聞いてこない。
バイクが停まったのは、誰かが置いてくれた標的の50メートルほど手前だ。
「い、いきなりこんな遠くからですか……」
「本番でこれを使うとなれば、走りながらでしょうから。ここからでも威嚇射撃くらい出来る腕にならなければ、機銃は外してしまいます」
「ええっ!?」
「嫌なのですか?」
「うん。僕は、守られるだけでいたくない。丈二さんみたいになるって、決めたんだ」
笑われるかもしれない。
そう思いながらヤコさんを見上げたけど、笑われるどころか真剣な表情で頷かれる。
「ならば、厳しくいきますよ?」
「お願いします」
「では、射撃準備を」
「はいっ」
とにかく、必死で機関銃を撃った。
最初は驚いたけど、唯一の攻撃手段を外されたら僕はただの荷物になってしまう。
マガジンを撃ち切るたびに、機関銃をサイドカーの側面に倒すようにして、また射撃準備から。
そのおかげで動作には慣れたが、肝心の射撃はギリギリ合格ですと言ってもらうまで、食事や休憩を挟んで8時間もかかった。
「つ、疲れたぁ……」
「お疲れさん。晩メシは、ホテルの個室で食えとさ」
「そうなんだ?」
「和音と少しでも一緒にいさせてやろうってんだろ、美和と美波は」
「気を使わなくていいのに」
「もう夕方だ。和音と先に帰ってな」
「丈二さんは?」
「たった2日でここまで高性能なサイドカーを組んでくれた車両班や、持ち込む物に改良を加えてくれた装備改良班、ヤコに貴重な舶来物の狙撃銃を融通してくれた軍の連中と酒盛りだ。ま、接待ってやつだな」
「ふうん。あんま変な事はしないでよね」
「へいへい」
「じゃあ、また明日」
「あいよ。せいぜいヤリ溜めしとけ」
そんな気分になれるだろうか。
丈二さんなら、簡単にやってのけるんだろうな。
平和な日本でチンピラだったとしても、銃なんか撃った経験ないのにあの強さだし。
「天斗様」
「あ、和音さん」
「ホテルに戻りますか。それとも、外でお食事にします?」
「できれば、2人でいたいかな」
「わかりました。なら、行きましょう」
「うん」
陰陽寮の職員に車を出すと言われたけど、ホテルはそう遠くないので夕暮れの街を和音さんと歩く。
子供連れの巫女はかなり視線を集めるのだが、年頃の少年や成人男性は酷く眩しそうに和音さんを盗み見ていた。
今の僕が和音さんは自分の女だと言っても、子供がマセた事をと鼻で笑うだけだろう。
だが水瀬家や和音さんがその分家の人間だと知る人は、心の中で思うはずだ。この女、かわいそうにと。家柄がいいだけのこんなガキのワガママで、恋人ごっこに付き合わされているんだろうと。
そんなのは、嫌だ。
「足りないな」
「え?」
「ううん。なんでもない」
「そうですか」
努力が、足りない。
「格闘技でも習おうかな」
「大水流の合気なら、教えて差し上げられますが」
「たいすいりゅう? それ、合気道とは違うの?」
「合気道は武術の体系化、近代化。それと独自の修練やその目的を、他流派と擦り合わせるのを良しとした流派が集まって立てた、営利団体のようなものです。似てはいますが、別物と思っていいでしょう」
「じゃあ、異界から戻ったら教えてもらおうかな」
「はい」
晩御飯は、ルームサービスのオムライスを食べた。
2人でお風呂にも入ったけど、キス以上の事はしていない。
それは、こうして和音さんに腕枕されてベッドに横になってからも同じだ。
暗い部屋。
じっと天井を見詰めていても、いつものように眠くはならない。
明日、僕はゾンビを撃てるだろうか。
丈二さんは、あちらの世界のゲームで言うリポップを警戒していた。もしあの男の子がまた交差点にいたら、今度は僕が楽に。
「眠れないのですか、天斗様?」
「あ、起きてたんだね」
「はい。眠れないのなら、ご奉仕いたしますか?」
「……いいよ。そんな気分じゃないんだ」
「そうですか」
「うん」
「なら、約束を果たしていただきましょうか」
「約束?」
「はい。初めて天斗様にお情けをいただいた日、繋がったままお小水をするなど許してくださいと申しましたら、天斗様はいつ僕を襲ってもいいからしてくれとおっしゃいました」
「あー。そういえば」
「ですから、その約束を。んっ……」
「ちょっと待って、するなら」
「いけません。天斗様は動いても、声を上げてもいけません。今から和音がするのは、天斗様を思っての自慰なのです。浅ましい、俗に言うオナニーなのです」
「そ、そんなの」
「声を上げてはいけませんと、和音は言いましたよ。お返事は?」
「……はい」