ヤコがタバコを受け取ったので、新しく咥えたタバコに火を点けた。
2人を異界から出す。
まず浮かんだのはそんな考えだが、新たなスキルを諦めろと言われて、はいそうですかとはならないだろう。ならばイの1、現実世界に戻るためのドアの前にでも待機させて、危なくなったら逃げてもらうか。
「もしかして自分1人で戦おうとか思ってる、丈二さん?」
「なっ。バカなっ!」
「いやだって、俺は滅多な事じゃ死なねえし。2人にはドアの前で待っててもらって、ヤバそうならいっぺん退却とかよ」
天斗が呆れたぞとでも言うように肩を竦め、ヤコを見上げる。
「これですよ。お仕置きしてやって、ヤコさん」
「そうしたいのは山々ですが、ムリに決まってます」
「いやいや。どう考えても、俺が1人で行くのが……」
「それだと、丈二さんの嫌いなあっちの世界と一緒じゃん。100を救うため1を殺すとか、大っ嫌いだったでしょ」
「アホか。世の中ってのは、そういうもんなんだよ。100を救うため1を? あたりめえじゃねえか、その1が俺なら問題ねえんだよ。んでそれを見過ごしてまで生き残りてえ連中とは、同じ空気すら吸っていたくねえ。それだけの話だ」
「その、丈二殿」
「あん?」
「何をそんなに、怯えておられるので?」
俺が怯えてる?
「……まさかと言いてえが、そうなんかもな」
唇に挟んだタバコから、ポトリと灰が落ちた。
認めるしかないのだろう。
俺は、怯えている。
天斗とヤコが傷つくという事に、酷く怯えているのだ。
「ああ。丈二さんもそうなんだ」
「どういう意味だ、天斗?」
「僕、父親を知らずに育ったでしょ。それに、兄弟もいない」
「あー。それが?」
「丈二さんが1人で行きたがってるってわかった時まず考えたのは、僕1人だけが置いてかれるんじゃないかって事」
「まあ、ヤコの手を借りるならそうなるな」
天斗が寂しそうに微笑む。
「僕が怪我をしたり、死んだりしたら、丈二さんは哀しんでくれるもんね」
「そりゃそうだ」
「僕も、そう。父親で兄貴で友達の丈二さんが死んだりしたら僕は僕でなくなると思うし、新しく家族になったお姉ちゃんのヤコさんでもそう。だから、なにがなんでも一緒にいないとね」
「おまえらは俺なんかとは」
「ストップ。ヤコさんが殴りかかりそうだよ?」
ヤコはたしかに拳を握り締め、俺を睨みつけていた。
少しばかり頭髪が逆立っているような気がするのは、気のせいではないだろう。
虎か、コイツは。
「取り消してください」
「あん?」
「俺なんか。その言葉を、今すぐ取り消してください」
やれやれ。
コイツは……
「じょ、丈二さんっ!」
「乗れっ、イの4までフルスロットルだ!」
叫びながら、小さなバイクに跳び乗る。
地響き。
ヤコも、ようやく気がついたようだ。
さっきまで脈動していた血肉の塊が、ゆっくりと巨大な人型に姿を変えている。
今はまだ肉を蠢かせて腕を作り、それを地に付いて身を起こそうとしているところだから、こっちが準備をする時間はあるはずだ。
それでも、そう余裕はない。
「曲がり角の向こうにエンジンかけたまま停車。ヤコは降りて、俺の隣だ」
「了解!」
タゲられてさえいなければ。
あまりやり込んだりはしなかったが、ネットゲームにも手を出した経験はあるので、そう祈るような気分で塀からデカブツのいた方向を覗き込む。
「あちゃー」
「這いながら壁なんかを崩して、こちらを目指してますね」
「いいか。今からは常にこの位置、次の曲がり角から狙撃だ。曲がり角で、遮蔽物を盾に。俺が合図したら次の曲がり角まで進んで、同じ事を繰り返す」
「了解。狙いは?」
「まずは眼球。潰しても効果がねえなら、手足のどれか1本」
「了解」
デカブツは、はいはいで進む赤ん坊のような格好だ。
だが、家より大きく、今まで見たどんな生物より醜悪なそれに、かける情けなどどこを探したって見つけられそうにない。
ヤコの半歩前に出て、狙撃仕様の無坂9式を抜く。
「丈二殿、お先に」
「ああ。ぶちかませ」
ストックを展開させている間に、2度の銃声。
「どうだ?」
「眼球と思われるブヨブヨに命中しましたが、特に変化は」
「せめてワンマガジンは撃ち込め。俺は、腕の肉か関節を削れねえか試す」
「了解っ」
デカブツはゾンビと同じく動きが遅いし、肌というものを持ち合わせてはいない。
それにまるでバケツで水でもぶち撒けて歩くような、血とも汗ともつかぬ汁まで垂らしているので、銃弾は効くはずだ。
もし痛覚がないにしても、あの巨体を支えている腕に攻撃を集中させれば。
「おら、鉛弾のプレゼントだぜっ!」
肘。
セミオートで、銃撃を集中させた。
「丈二殿、あれは眼球ではないようです。ただの腐肉の塊かと」
「そんじゃ、腕だ」
「了解っ」
2人で撃ちまくる。
そろそろか。
デカブツは、もう道路に這い出しているのだ。
2車線を塞ぎ、這いながらその腕が車の残骸に伸ばされた。
「やっぱしかよ。退避準備っ!」
「ま、まさかあれを……」
そのまさかに間違いはないだろう。
ミニカー、いや、それより大きいからラジコンか。玩具を喜ぶ無邪気な赤ん坊のように、デカブツが車の残骸を持ち上げた。
「退避っ!」
バイクに向かって走る。
驚いて俺達を見たサイドカーの天斗。その瞳が、さらに驚きで限界まで見開かれた。
背後で轟音。
おそらく、車の残骸が防壁にぶち当たったのだろう。
この異界の車はすべてが焼けているので、誘爆しないのが救いだ。
バイクはどちらも、エンジンがかけっぱなし。
ヤコが跳び乗る。
「おら行け、ヤコ! やる事はさっきと同じだ!」
「丈二殿はっ!?」
「すぐに追う!」
俺の小型バイクの荷台には、縦に長い箱型の収納ケースが括り付けられていた。
狙撃仕様の無坂9式のストックを折り畳み、ホルスターに納めてからその手前のベルトを外す。
「まさか、マジで使うとはなあ。秘密兵器」
装備課の誰かの恋人か婿が手縫いでもしたのか、綿のたっぷり詰まった保護カバーが2つ並んでいる。
その片方を取って、秘密兵器を1つ取り出した。
1メートルほどの、鉄パイプに砲弾を取り付けただけのような武骨な兵器。
なんちゃらファウストとかいう名前は、最初から覚える気がなかったので気にしてもいなかった。熱心に聞いたのはその有用性と、使い方だけだ。
「ま、舶来モンで数がねえから試射もしてねえのに、命中させられる自信があるから使い方はいいんだけどよ」
弾頭を外し、接合部に信管と点火剤を入れて戻す。
安全ピンは抜いて捨て、簡易照準器を立てれば、トリガーの下にある安全レバーを前に押し出せる。その状態で、さっきデカブツを狙撃した、民家なのかすらわからない建物の外壁へ。
そっと道を覗き込んで見れば、ノロノロとではあるがデカブツはこちらへと向かっている。
「まだ遠い、な」
デカブツはT字路を1つ過ぎた辺り。
この秘密兵器は射程が短いので、最後のT字路を越えてから発射しなければとても命中させられない。
「ヤコと天斗を急がせる必要はなかったか。俺も、過保護なモンだあな」
さっき言われて気がついたのだが、俺はあちらの日本で好き勝手に生きていたので身寄りがなく、そのせいかこちらで得た家族のような2人を、まるで宝物のように感じてしまっているらしい。
天斗はもちろん、年齢的にヤコも娘であっても不思議ではないのだろうが、ノリノリでキスしながら唾液を飲ませ、軽くだが愛撫までしていたのに呆れたものだ。
タバコを咥えて火を点けると、背後からエンジン音が聞こえた。
「丈二殿!」
「おう、ヤコ。天斗は?」
「丈二殿がその無反動砲を出したのを見て、イの5から2へ向かう最初のT字路の陰に手榴弾などを用意しておくべきだと。あまりにも自信に満ち溢れた表情で言うので、そこに弾薬等を下ろして準備をしていただいてます」
「それでいい。だが、あまり1人にゃしとけねえぞ?」
「もちろん、すぐに戻ります。その後の指示をもう少し詳しくと」
深く煙を吸い、ゆっくりと吐き出す。
「イの2の角を曲がってすぐの地点で、イの3までのゾンビを狙撃で始末しといてくれ。それから、イの2でデカブツの狙撃準備」
「了解です。狙撃開始の合図は?」
「ヤコの判断でいい。俺は手榴弾で、可能なら手足を潰す。その前に片腕だけでも、コイツでもぎ取れりゃいいんだがなあ」
「這って移動しているので、片腕だけでも潰せれば車は投げられない。両腕を潰せば、ただの腐肉ダルマですものね」
「ああ、天斗を頼むぞ。ヤコが俺の養女で愛人なら、アイツは義理の息子みてえなもんだ」
「躊躇わず養女を愛人にする辺り、さすがですね」
「嫌ならいいぞ?」
「まさか。天斗殿を守り切って、帰ったら丈二殿にたっぷり心力を回復してもらうのですから」
「言いやがる。頼むぞ」
「はい」
タバコを捨て、少しでも減った心力の足しになればと顔を寄せた。
ヤコは途中からバイクを降りて屈んで小声で話していたので、すぐに舌が絡み合う。
「よし、行け」
「はいっ。ご武運を」
後ろは見ずに、道を覗き込む。
いい感じにデカブツは距離を詰めてくれたようだ。
直近の車の残骸は、およそ60メートル先。
これなら、外さない。
「よう、デカブツ。早くそのミニカーを、俺に投げてみろよ」
道路に姿を晒して、呟く。
酷く臭いそうな汁を垂らしながら、デカブツは車の残骸を目指す速度をわずかに上げた気がする。
「そうだよ、急げ急げ。あんよが上手、ってな」
俺が担いでいるなんちゃらファウストは、歩兵が戦車を撃破するために作られた兵器だそうだ。
弾頭が破裂さえしてくれれば、デカブツだって無傷ではいられまい。
家より大きな異形のバケモノが、自分を殺そうと地響きを鳴らして接近する。
ヤコではないが、背の毛が逆立つような緊張感が心地良い。
もしかすると、俺の背にその姿を刻む、神とやらも喜んでいるのではないだろうか。
「だとしたら、とんだイカレ野郎共だ」
デカブツが車の残骸に手をかける。
まだだ。
距離は60。
外さないのなら、ベストなタイミングで、ベストな場所に着弾させたい。
デカブツの腕が上がる。
まだ、もう少し。
腕の付け根。
「ここならっ」
バシュッ!
音と煙が尾を引きながら、弾頭がデカブツに向かって飛んでゆく。
狙い通り。
思いながら、鉄パイプのような発射筒を捨てた。
「ギイアアッアァーッ!」
嫌な声だ。
腕の付け根に大穴。向こう側の空が見えるほどの、穴が開いている。
戦車を撃破するため、弾頭は装甲を貫通しつつ内部を焼き尽くす仕組みらしい。大穴が空いた傷口の内部が焼き尽くされているのだから、痛覚があるのなら正気ではいられまい。
デカブツの悲鳴が、車の残骸の落ちる音すら掻き消す。
車の残骸を取り落としたデカブツは、駄々をこねる赤ん坊のように、手足をバタつかせて暴れるだけ。
まさか、こんなにも効果的だとは。
ボーナスステージ。
自分で言った事だというのに、すっかりと忘れていた。それほどに、デカブツの巨体には威圧感があるのだ。
「もう1発でステージクリア、だな。楽勝じゃねえか。待ってな、デカブツ」