「い、いやああぁああ━━━━━━っ!」
ヤコさんの悲鳴を聞きながら、僕は静かに目を閉じた。
足音が聞こえる。
バイクを跳び降りたヤコさんが、ピクリとも動かない丈二さんに駆け寄る音だろう。
夥しい血の痕。
骸骨に折り重なるように倒れた丈二さんの横顔には、生きている人間の肌の色の欠片もなかった。
それはそうだ。
骸骨と古い着物の上に倒れている丈二さんのお腹には日本刀が刺さっていて、背中を突き抜けて切っ先が天を指しているのだ。
まるで、墓標じゃないか。
思いながらサイドカーを降りて、丈二さんのラビットに歩み寄る。
結界とやらは、もうなくなっているらしい。
ヤコさんは叫びながら丈二さんの小さな体を揺すり、半狂乱になっている。
「たぶんここだよね。……あった」
後部シートに据え付けられた縦長の荷物入れから、魔法瓶を取り出す。
「うあ、片目が潰されてるじゃん。グロいなあ」
「天斗殿、こんな時にっ!」
「まあまあ。まずは、この右目からかな」
少し、いや、かなり度胸がいるけど、丈二さんの右目に突き立った和風の小さなナイフを引き抜く。
「うえぇ」
とても直視できない傷口を見ないようにしながら、魔法瓶のフタを開けた。
それを傾け、中身を丈二さんのグロい目に流し入れる。
「た、天斗殿。それは?」
「母さんと美波おばさんが持たせてくれた、なんとかって傷薬になる水」
「水瀬の当主と、その実妹の癒しの水。それなら……」
ぐじゅぐじゅと、肉が蠢く。
丈二さんの潰された眼球や瞼は、瞬く間に元の姿を取り戻した。
「おおっ!」
「次はお腹かな」
「その前に首です、天斗殿。ここですよ、ここ」
「うわぁ、骨とか見えてるじゃん。だからグロいって、もうっ……」
首の次は、お腹。
「どうしたんです? 早く、癒しの水を」
「いや、この刀をどうにかしないと。って、ええっ!?」
小さな手が、動いている。
「えっ……」
驚くヤコさんが小さな肩を抱え直すと同時に、その手は日本刀の柄を握った。
自らの胴体を貫いている、それを。
「じょ、丈二殿っ!?」
「呆れるね、自分に刺さってる刀を自分で抜くとか。さすが、骨折を冷えピタで治そうとするイカレた人は違うや」
「……言うじゃねえか、兄弟」
ゆっくりと日本刀が抜かれてゆく。
「い、痛くないのですか?」
「ショック死しねえ程度にはいてえさ」
「水をかけるのは、抜いてからでいいんだよね?」
「ああ」
気丈に話しているが、丈二さんは尋常でないほど荒い息を吐いているし、顔面からは脂汗を流している。それに柄を握る手などは、まるで病気のように震えていた。
「ぐっ、抜けるぞ。まず背中から、癒しの水をぶっかけてくれ」
「うん」
どんな戦いを繰り広げていたのか、丈二さんの迷彩服の上着はズタズタになっている。
その裂け目に痛々しい傷が見えたと思うと、丈二さんは一気に日本刀を抜いて小さく呻いた。
「おー、逆ハラキリ。お見事」
「うっせ。いいから水」
「はいはい」
傷口に癒しの水をぶっかける。背中とお腹、両方にだ。
じくじくと蠢いた肉が体内に潜り込んで肌が再生されると、丈二さんは脂汗を流しながらくしゃくしゃになったタバコの箱を出してそれを咥えた。
「丈二殿、マッチです」
「……サンキュ」
煙を吐きながら手を差し出されたので魔法瓶を渡すと、丈二さんはそれを傾けて僕からは見えていない傷口に癒しの水をかけては顔を顰めている。
「痛むのですか?」
「少しばかりな。それより、ありがとよ」
「え?」
「天斗をよく守ってくれた。かなりの時間、俺は骸骨と戦ってたんだろ?」
「……4時間ほどですね」
「なら、ゾンビは狩り尽くしたか」
「はい。天斗殿は見事なものでしたよ。自身の守護者スキルの熟練度上げだけでなく、自分の狙撃や武器顕現スキルの熟練度上げまでさせてくれましたし」
「へえ。さすが、気の使える男」
咥えタバコで日本刀の刀身を陽に翳して眺め、丈二さんはそれをやはりズタボロのズボンで拭く。
どうするのだろうと思っていると、アスファルトに転がっていた鞘に納めてから頭蓋骨の前に丁寧に置いた。
「そうだ、天斗」
「ん?」
「この魔法瓶のあった荷物入れに、タオルで包んだウイスキーのポケット瓶がいくつか入ってんだ。取ってきてくんねえか?」
「……わかった」
立ち上がった僕がウイスキーを渡すと、丈二さんはそれを頭蓋骨に半分垂らしてから口へ運んだ。
「結局、剣じゃ相手にもなんなかったなあ」
「やっぱり強かったんだ、ガイコツさん」
「かなりの使い手でしたよね。立ち姿が違いました。あれほどの自然体、現代の剣客ではとても」
「強かった。とんでもなくな」
「でも、丈二さんは勝った」
丈二さんは返事をせず、ヤコさんが出した携帯用の灰皿でタバコを消し、ウイスキーを呷る。
「勝ちを譲られた。そんな気がするよ」
「それって、どういう意味?」
「そのまんま。組み付いて力比べに持ち込んでも、指の骨を脇腹なんかに突き刺されてよ。どう考えても、死ぬのは俺の方だったはずだ」
「……この骸骨は、まさか」
ヤコさんの言葉に、丈二さんが頷く。
そして2人でタバコを咥えると、1本のマッチの火を分け合って細く長く紫煙を吐いた。
「えっと、どゆこと?」
「異界はボーナスステージかも、って言ったろ」
「う、うん」
「この骸骨との戦闘経験。それさえも、神様とやらからのプレゼントなのかもってよ」
「そして銃だけに頼り過ぎるなという忠告、ですよね」
「ああ。おせっかいな神様もいたもんだ」
「……しかしそうまでして、丈二殿に剣の重要性を」
「意味があんのかもな。スキルも大盤振る舞いだしよ」
「これは、精進せねばなりませんね」
「テメエの都合なんか知るかって神様にツバ吐いて、自堕落に暮らしてもいいさ」
神様の思惑。
それを考えて真っ先に脳内に浮かんだのは、丈二さんが今より強くならなければいけない状況とはなんだという事だ。
この国を守るのは、異能者と呼ばれる存在の仕事のはず。
護国が目的でないのなら、神様は丈二さんに国外の戦場にでも行けというのか。
そんな考えが浮かぶと、酷い暑さだというのに背筋が冷たくなった。
欧州では今まさに、戦争が起こっている。
「じょ、冗談でしょ……」
「わっかんねえなあ。ま、考えても仕方ねえさ。それより、そろそろ行くぞ」
「あ、うん。思ったより早く帰れてよかったね」
「アホか」
「へ?」
「天斗のスキル。【守護者】、だったか。それの熟練度は?」
「ええっと。1段階は成長したよ」
「俺の銃と同じ上がり方なら、ここのゾンビで2段階にまで成長させられる」
「で、でもゾンビはもう狩り尽くして」
「そこらの建物で酒かっ喰らって寝りゃ、明日の朝にはリポップしてるさ。こんな便利な狩り場は、骨までしゃぶってやんねえと」
「……呆れた。いいのかなあ、そんな反則的な熟練度上げして」
「いいに決まってんだろ。さ、行くぞ」
「うん。って、丈二さんっ!?」
「ん?」
「足、足っ!」
丈二さんが視線を下げ、ポカンと口を開けて絶句した。
慌てて目をやると、僕の足も爪先から消えている。
ヤコさんのもだ。
「こ、こりゃ……」
「僕達、死んじゃうのかなあ……」
「待ってください!」
ヤコさんが叫んだので彼女を見ると、アスファルトの上だというのに正座をして両のてのひらを合わせて目を閉じていた。
「ど、どしたのヤコさん」
「まさか、神託ってヤツか?」
「……はい。丈二殿が言った熟練度上げは認められないので、荷物ごと自分達を日枝神社の境内に送るそうです」
「んだよ、ケチな神様だなあ。やっぱクソ神か、へぶっ!?」
「じょ、丈二さん。なにいきなり全力で首を横に振ってんのさ。筋を痛めるよ?」
「いってぇ。ちげえよ、ビンタされたんだ、ビンタ。いきなりな! それも小さな手の割りには、ゴリラみてえな怪力で、へぶうっ!?」
「……ええと、その。神様が、大笑いです。ザマを見ろと」
どんな神様なのさ。
「くっそ。伝言だ、ヤコ」
「は、はあ」
「あの手の大きさと柔らかさなら、俺達に能力を与えたクソ神は女。少なくとも、体だけはな。いつか押し倒して、あふんあふん言わしてやっからなって、へぶうっ!?」
「……も、もう口を開くなだそうです」
やれやれという気分で、アスファルトに落ちた丈二さんのタバコを拾う。
ついでに唇に運んで少しだけ吸い込んでみると、口の中が瞬時に苦みとエグみで満たされて思わず吐きそうになった。
「うえぇ。まっず……」
「タバコや酒を止める気はねえが、分身してる時だけにしとけよ? この体の時なら成長に影響しねえらしいが、16の体で喫煙や飲酒は健康と成長にあまりよろしくねえ」
「丈二さんが言うかなあ。でも、少なくてもタバコはムリ」
「そうかい。おお、腰まで消えてんのに普通に座れてる。おもしれえな、これ」
「お気楽だねえ」
神様は、丈二さんとヤコさんに何をさせたいんですか?
そう聞いてもらいたいところだが、どうせ神様はそんな事を教えてはくれないだろう。
丈二さんを筆頭にヤコさんのような人を眷属にするのだから、きっとかなりぶっとんだ思考の持ち主のはずだ。
間違いない。
「はぁ。でもまあ、自分の身を守る守護者スキルがあるなら、どんな状況でも【通信指揮】で役には立てるかな」
「……天斗殿、伝言です」
「ええっ。か、神様からっ!?」
「はい。スキルが成長すれば元の体のまま丈二殿を顕現させられるので、あまり頑張り過ぎるなと」
「ふうん」
「それとご褒美をあげるから、これからも丈二殿と自分をよろしくと」
「ご、ご褒美?」
「ステータスを見ろとおっしゃられてます」
慌てて自分用のタブレット端末を出して、ステータス画面を表示させた。
それは丈二さんにも見えるようで、興味深そうに覗き込んでくる。
「うっは、精力20だってよ。やったな、天斗」
「ええっ!?」
「ちなみに、普通の女は5くれえだとよ。天斗だけで嫁が4人は必要な計算だな」
「……うわぁ」
なにしてくれてんの、神様。
そう言いかけ、喉元まで透明になっている事に気づく。
これは、急がないと。
「あ、あの、神様っ!」
「ん?」
「丈二さんを生き返らせてくれて、本当にありがとうございますっ!」
言えた。
思うと同時に、頭を優しく撫でられる。
手は見えない。
感触はたしかにあるのにだ。
優しい神様なんだな。
「あー。俺からも礼を言うぞ、クソ神。ただ、いつか押し倒してあふんあふん言わして、へぶうっ!?」
この人は。
どうしてこう懲りないのだろうか。
でもまあ、これが丈二さんなんだな。
僕の父親で兄で、大親友の愛すべきチンピラ。
きっとこれからも、僕達はああだこうだ言いながらバカをやったり修羅場を潜ったりして、退屈なんかとは縁のない暮らしを続けていくのだと思う。
ついこないだまでならそんな日常はゴメンですと言い切る自信があったが、今の僕はこれから待ち受けているであろうそんな日々が少しだけ楽しみだと思っていたりする。
丈二さんのようにならないように気を付けながらなら、それを楽しむのは別に悪い事じゃない。
「ねえ、丈二さん」
「んん?」
「これからも、よろしくね」
「おう。いろいろと、2人でやりてえ事が山ほどあるぞ。まずは結婚前の火遊びを愉しむエロい女で、3Pを経験させながら女の喜ばせ方を教えてやるか」
「……前言撤回しよっかなぁ」
了