その日初めて人間を食べた日川にきていた人間は二人いた一人は男の人、もう一人は女の子だった。
この時羆2匹は、背後から男の人を、正面から女の子を襲って彼らはそれぞれ別の人間を食べたのだ。
一匹は、父親と思われる男性をそしてもう一匹は女の子をそれぞれ食べた。
羆は男性、エゾ羆は女性と、それぞれ襲う対象が違った。
やがて彼らは20人近い人々を食べ続けた。
そしてその噂は、伝説のマタギ、山岡銀次郎の耳にまで届いていたのである。
それから、2匹の羆は、春から秋にかけて動物と人間を捕まえては狩りをし、どんぐりと一緒に食べたり。
冬に備えて保存食に自分たちの巣穴まで運んだりを繰り返していた。
高い木にのぼって逃げたものは鋭い爪をハンティングに使用して振り落とすなどして、ハンターに追われたらどこに逃げ込めば安全なのかも把握していき自分たちはお互い強くなっていった。
そんなある日二匹はお互い狩りに出かけていると、5歳になる2頭の羆は川まで出た時に。一人の一匹が川岸の岩場まで降りると。
ダァアアアアンンン!!!
その場で雌の羆を射殺した。しかも驚くべきことにその弾道は眉間を正確に撃ち抜いていた。
やがてその場にいたもう一体はその場を一目散に逃げだした。
しかし、背後からなり続ける銃弾を立て続けに発砲されて足の方に弾丸を食らい、痛くても立ち止まることなく時速50キロの風の速さでその場から遠ざかっていった。
一体を仕留めもう一体を逃した山岡銀次郎は分が悪そうな表情をしていた。
(一体仕留めたがもう一体は取り逃がしてしまった)
すると手持ちの縄で仕留めた人食い羆を縛り亡骸を見ながら、
(この羆は、母親を目の前で他のマタギに殺される所を目撃して人間に復讐し、その後食った味がそれぞれ違ったのだろう)
それから彼は、熊を担いでいきながら
(後一体、何とかせねば、)と思いその場を後にした。
山岡銀次郎
当時北海道で活躍した伝説のマタギ、熊撃ちのプロフェッショナルだ。
彼が生涯かけて倒した熊の数はおよそ200頭以上に上る。
彼の特徴として挙げるところといえば、日露戦争から生還して来た時に身につけていた軍帽子と戦利品のライフル、
それから面倒見のいい兄貴だった。
ただ酒が進むとひとたび暴れだし、喧嘩を吹っ掛けられてきては相手に殴らせ一通り相手がへばったところに2,3発ぶち込んでノックアウトさせる位の荒れくれものだった。
更に若い頃は包丁で熊を仕留めたこともあり巷では”サバサキの兄”と呼ばれていた。
サバサキとはサバサキ包丁の名前の事。
そのマタギが住民の異変の噂を聞きつけて問題の2頭の羆の噂を聞きやって来たのだが。
もう一体を取り逃がしてしまった。
その後の雄の羆といえば逃げることに成功した後マタギ達の特徴を観察していった。
何処からハンターが撃ってくるのか?
どう対処すればいいのか。
を考えていくうちに。自分がアイヌ犬や、マタギに追われて、罠にかけて殺しながら、被弾しながらも着実に強くなっていき凶暴さも増していった。
やがて北海道の天候まで操るぐらいに強くなり。冬眠が出来ないぐらいの大きさにまで成長した。
そして男は殺し女は食べてを繰り返した。
やがて
大正4年12月
日本中を震撼させた三毛別羆事件が発生した。
六線沢村の夜中に夫婦の馬が騒ぎ出しその夫が見に行ったが辺りは静まり返り馬も大人しくなった。
そして次の日
家の庭に吊るされていたトウキビが半分以上なくなりその横には大きな獣の足跡が山に続いていた。
それが恐怖の始まりの第一歩だった。
最初の犠牲者は幹雄君6歳とマユさんだった。
幹雄君は頭から血を流しておりマユさんは抵抗した跡が残っており熊は家の壁をぶち破りマユさんを裏山へと持ち去ったのだ。
それから通夜を襲撃され明景の家の住人を惨殺した後、
六線沢の人々は三毛別に避難して、警察の助けを借りたが現場を見て目を覆う始末だ。
そんな絶望的な状況を打破したのは、伝説のマタギ山岡銀次郎だった。
当時彼は57歳で羆を100頭も討伐していた。
そして彼は死角から逃した羆を気づかれないように近づき、
ライフルで心臓と眉間に2発打ち込み、射殺した。
あれから2年が経ち奇跡的に生還したものから銀次郎宛に尋ねた客がいた。
「銀おじさんのお宅ですか?」
そう尋ねると彼の口はそうだと答え
それから少女は頭を下げ、
「お願いに来ました、私を使ってください!」
それはあの羆に命を狙われて奇跡的に助かった少女が銀次郎に弟子入りを申し込んだのである。