そもそも喧嘩してたっけ?
健介との秘密の面会が終わった後、誠斗は船の停まり場に行った。倉庫の屋根から身を隠しつつ辺りを見回すが、異常は見られない事を確認する。
その後、停まり場を後にし、梅子が入院している診療所へ行き、容態を確認する。
それから今日は屋敷に戻る。屋敷に着いた誠斗はそのまま自分の部屋にはいかず、司の私室に外から向かった。
そして、壁や木を使って身軽に駆け上った誠斗は司の私室の窓を軽くノックする。
「司様、ただいま戻りました。」
「入ってよい。」
司からの入室許可を得て、窓を開ける。しかし室内には入らず、窓枠に座る。色々回っていたため、身体や服には汚れが付いている。部屋にそれらを入れない為だ。
司もその事は理解しているため、強くは言わない。
「どうだった?」
「無事健介に事の次第を話しましたよ。」
「そうか、ご苦労だったな。 此方も頼まれていたものは手配済みだ。これであの夫婦も元通りに過ごせるだろう。」
「…そうなってくれればいいんですが。 俺はもうしばらく陰から様子見しておきます。」
「わかった。気が済むまでするがいい。誠斗も今日は休みなさい。」
「畏まりました。では、これにて。」
一礼し、窓から去っていく誠斗を司は見送り、自分も床に就く。しかし、まだ頭では今回の事件に考えを思い巡らせていた。
・・
誠斗が言っていたようにしばらくは様子見をしていなければいけない。彼らが疑問を覚える可能性もあるのだから…。
司は底知れないこの先の事を予想し、そうならないように祈りながら、眠りに入っていった。
★★★
司への報告を終えた誠斗は、また窓から私室に入る。汚れた服を脱いで、風呂敷に包み、衣装箱の中に入れる。そして、飲み水の水を手拭いに湿らせ、土等で汚れた身体を拭く。それから私室用のあっさりとした服を着て、ベッドに横になった。さすがに今日は港町中を走り回ったともいえる距離を往復したし、身体の神経をフルに活用して侵入したりとしたため、疲労を感じていた。
色々と頭を整理したかったが、別の意識は考える事を放棄したがっている。誠斗はそんな自分の内面に苦笑し、目を閉ざす。すると、ドアにノックの音がした。
既に日を跨いでしまっているため、誰も訪れる事はない。少し警戒しながらも、ドアの前に来て、ドアの先の気配から誰かは分かった。
「どうしました? お嬢。 こんな夜遅くに来るべきところではありませんが?」
そう。誠斗の部屋に来たのは、椿だった。
寝間着姿に肌寒い夜なので、薄手の上着を着ているが、それでもそんな服で来るべきところではない。誠斗は理性を必死に保つことを心掛けなければいけなかった。表面的にはそれを読み取らせなかったが。
「誠斗、話があるの。中に入っていい?」
小声で入室を問う椿に入り口を塞いだ形で立っていた誠斗はドアを開け、入室を進める。ここで話なんてしたら、他の使用人に変な勘違いされたらある事ない事を言い広められるに違いない。
誠斗の部屋に入った椿は部屋を見渡し、たくさんの本が部屋中にある光景に驚いた。誠斗の事だから、食べ物等をたっぷりと保管していると思っていたからだ。
誠斗の部屋の予想をしていた椿がきょろきょろしているのを後ろで見ていた誠斗が訪問の理由を聞く。あれからまったく無視をしていたのに、わざわざこんな時間にここまで来た事が気になったのだ。それも話をするという理由で。話なら帰ってきた後や稽古の休憩中でもできたはずなのに。
「で? こんな時間に来た理由はなんですか? 別にないなら、お送りしますよ?」
現実に戻ってきた椿が慌てて誠斗に近づき、しどろもどろになりながら用件を話す。
「実は…、その…、誠斗に謝りたくて…。」
「…え?」
椿の言っている事が理解できず、誠斗は口をぽかんと開けてしまった。
(どうして、お嬢が謝る必要があるんだ? 俺は約束通りに帰ってこなかったんだ。謝るなら、俺の方だろ?)
椿の謝罪の意味がよくわからず、眉をひそめると、椿がその理由を話す。
「誠斗、本当は早く帰ろうとしていたんだよね? でも急患者が現れて、必死に医者が来るまで看病していたんだよね?
それなのに、私のために急いで帰ってきてくれたのに、怒ってごめんね。」
「…何でそんな事を知っているんですか? まさかとは思いますが…」
「違うわよ! 誠斗が帰ってきたあの後、稽古を続けていたら、あの日の最後の舞の稽古の先生に聞いたの…。来る際に見かけたって。自警隊にある程度の指示をして、すぐに駈け出したって言ってた。
誠斗の性格なら、その急患者の人の容態とか気になって、安定するまでそばにいると思ってたから。でも、私が早く帰ってきてねってお願いしたから…、だから…、ひっく!」
泣き出した椿を誠斗はベッドに座らせ、手拭いを渡す。もちろん、さっき誠斗が使っていたものとは別の物だ。そして誠斗は椿の目の前に膝を付く。
「お嬢の所為ではないですよ。 俺がそうした方がいいと思っただけです。」
(あのまま、あそこにいたら、捜査している事件について何か聞いたとあいつらに知られてしまうだろうからな…。 極秘だったし。)
椿を宥めつつ、心の中で理由を吐露する誠斗。
「本当に?」
手拭いで涙を拭きながら、誠斗を見つめて聞く椿の顔には嘘はついてないと分かりやすく出ていた。
その考えている事がすぐに顔に出る椿に笑いを押し殺しながら、優しく頭を撫でて、返事する。
「はい。本当ですよ? だからお嬢が謝る事ではないんです。俺もお嬢を待たせてしまってすみませんでした。」
頭を下げて謝る誠斗を椿は見下ろし、誠斗と同じく床に座り込んだ。そして、誠斗の顔を手で持ち上げ、正面で見つめ合う。至近距離に誠斗の方が焦る。あまりにも近くて、薄手の寝間着から見える胸の谷間が視界に入り、窓から入る月明かりで色白な肌が輝いて見える。照れてしまい、顔を背けたいのに、手で椿に覆われていて無理だ。誠斗なら手を払ったりできるが、精神的に阻まれた。
とにかく、今は理性を必死に保つことに専念する誠斗の心情を椿が分かる訳もなく、ゆっくりと顔を近づかせる。
そして、
「ちゅっ…」
椿は誠斗の頬に口づけを落とす。
この椿の行動に目を開かせ、若干頬を赤くする誠斗。しかし内心的にはかなり動揺し、暴れていた。
「な、何を…?」
「何って、仲直りの印よ? 昔はよく喧嘩したら、仲直りするときにいつもこうしていたでしょ?」
首を傾げ、笑顔で答える椿の天然さに誠斗は口を開きっぱなしになる。
意識が軽く飛びそうになるのを防ぎ、誠斗は照れ隠しで頭を搔きながら仲直りを受け入れた。
その後、私室に戻る椿を送ると言った誠斗だが、椿が頑なに断ったので、深入りせずにドアの前で見送る。椿の姿が消えたのを確認し、私室に戻り、ベッドに横たわる誠斗は先ほどの衝撃で爆発しそうだった理性をぎりぎりで留めていた感情を一気に発散するかのごとく、転げまわった。
誠斗は自分がずっと椿に一方的に惚れている事は自覚している。身分が違い過ぎるからいつもこの感情を表に出さないように押し殺して生きてきた。でも、今回みたいな事をされると、理性が吹き飛び、椿に惚れているという想いが身体を突き動かし、椿に何かしてしまいそうで怖い。
悶えていた感情を発散し終わった誠斗は天井を見据え、今回の事件で死んだコウさんの事を考えた。
彼は幼馴染が好きな人と目の前で結ばれた時、どんな思いだったのだろうか。好きな人が自分の一番の親友と結ばれた時、どんな祝いの言葉を贈ったのだろうか?結ばれた後もどうやって一緒に過ごしてきただろうか?
彼の生きてきた人生を知り、いずれ自分も同じ立場になる者として知っておきたかった。
誠斗はこの想いに嘘はつかないと決めていた。しかし同時に椿に想いを打ち明けるつもりもなかった。それでも、年々大きくなるこの想いを胸に秘め、椿のために生きる事を誓ってきた。
(椿に俺のこの想いが気づかれませんように…。 椿が慕う相手を結ばれますように…。)
そう願って、誠斗は眠りについた。
久しぶりの椿だ~。 誠斗、椿一筋の愛が感動的だ!