極東の島国、日本。
この国の風土は海外出身者にとって厳しいものがある。とかく西洋に比べて寒暖の差が激しいのだ。
キャリーバッグを引いて街を闊歩するカイ=ペンテルにとってもそれは例外ではなく、今まさに彼は慣れ親しんだイギリスの気候との差違に悩まされていた。思えば飛行機と新幹線の旅が快適すぎたのだ。
フライトから降り立った東京であのまま聖杯戦争を開催してくれたほうがまだましだったとさえ思える。
時計塔では特に優秀というわけではない凡庸な学生であるカイだが、今回参戦が決まって急遽来日することになった。
知り合いやお偉方たちからは危なくなったらすぐに逃げてこいとアドバイスを受けてはいたが、彼は本気も本気だった。
特にこれといった願いがあるわけではないが聖杯を勝ち取ることで周りの者からの目も変わると信じていたのだ。カイは意欲に燃えていた。
「暑い! 暑い暑い! まったく、どうなってるんだよこの国は!」
燃えていてももちろん暑さには耐えられないのだが。
突然の呼び出しで聖杯戦争に参加することになったはいいが開催地は日本。ヨーロッパから出たことのない彼にとって異世界そのものだ。今回のマスターのなかで最年少の彼はこのようにまだまだ子どもらしさを残している。
「マスター。心頭滅却すれば火もまた涼し。何事も考えようです」
そんなカイを嗜める男が横にいる。口を開かなければ誰もその存在に気がつかなかっただろう。
そろそろ16に手が届こうというカイは男子としてはあまり身長が高くない。その彼と同じくらいの背丈なので彼もまた成人男性としては小柄な部類になる。
見た目からして日本人で年の頃は20代前半といったところだろう。
自身とはうってかわって涼しげなその様子に不満を感じた。
「セイバーはいいよな。僕と違ってこの暑さにも慣れてるんだろ?」
「そうは言っても私の時代より幾分暑くなっていますよ」
彼はカイが昨晩上戸に着いてすぐに召喚したサーヴァントで今回の聖杯戦争においてタッグを組む相手。性格が生真面目すぎるきらいはあるが7クラスの中でサーヴァント最優と評されるセイバー、しかも日本出身ときたらビギナーズラックを疑いたくもなる。
「そういえば昨日急に絡んできたあのKとかいう奴もマスターの一人なんだよな? 自分でそう言ってたけど」
「魔力も感じましたしそのようです。むこうはまだサーヴァントを連れていませんでしたが」
「やっぱりか。あんなんと戦うなんて嫌だなぁ」
セイバーの召喚直後に現れ、一方的に話したのちに去っていった怪しい人物についてカイは今回の聖杯戦争における強敵であると警戒を強めていた。
「あっ、やっと見えてきた。とりあえずホテルで休もうか」
「そういたしましょう」
昨晩は川原で野宿した二人。今日からは夢のホテル暮らしになる。
「着きましたぞ殿。ここが我らの城というわけですな」
「ランサーさぁ、その殿ってのやめてくんね? 俺そんなガラじゃねぇし。つーかここ城じゃなくてホテルだし」
「そうはまいりませぬ。某がお仕えする方はあまねく一国一城の殿なのです!」
市内を見渡す上戸グランドホテルの一室で、大槍を持った背丈の大きい女性に付きまとわれて頭を抱える男がいる。
香田憲治(こうだけんじ)は先ほどから槍をブン回しているランサーが手を滑らせやしないかひやひやしていた。
男性と伝えられていた英霊が女性だったというケースがあることは聞いていたが、彼女(彼?)をテレビゲームの影響からオヤジキャラと思い込んでいた憲治は内心困惑していた。
「……とりあえずその槍はしまってくれ」
「はっ」
立ち振舞いなどから優秀さは感じ取れるが何より武士臭くやりづらくて仕方ない。面倒なサーヴァントを引き当ててしまったものだ。
今風に言えば彼の引き運は途方もないリセマラを要するほどなのだが、今回もそれが発揮されてしまった。
「そういやお前さ、いきなり召喚されたわけだけど戦えるのか? なんというかもっとアレな状態で現界したほうが無理が利いたんじゃ」
「問題ありません。このランサー、御館様に聖杯を献上いたしますとも。現世で再び武功をあげられるとは武者震いが止まりませぬ」
(めんどくせぇ……)
心で思うだけでなく口にも出ていたがランサーは気にも留めない。
「それにしてもなんで俺だったんだろうな。魔術なんてろくに使えないし下手したら一般人より弱いぜ」
「決まっておりまする。某とともに戦って勝つためでございます!」
「うん、そこまでいくと逆に清々しい」
憲治は幼い頃に魔術師の両親を亡くしてから独学で魔術を学んだのだが、残念ながら魔力に乏しくこれまで一般人に紛れてうだつのあがらないサラリーマンとして生活してきた。
今回はその仕事を放り出し、人生の一発逆転を狙って参戦しているのでとにかく必死なのだ。
やり取りに疲れクールダウンした憲治は頭をかいた。
「まあやる気があるのはいいんだけどよ。俺いまだにピンとこねぇんだわ。本当ならば辞退するとこなんだけどな」
「昨日のK殿も仰っていたではありませんか。魔術師としての知識と力に乏しい者が勝ち抜いた例もあると。御館様もきっと大丈夫です」
ランサーの善意が槍のように刺さる。
「うん。お前わりと容赦ないんだな」
カイの逆パターンで日本から出たことがない憲治だったが、腕に突然令呪が発現した時には大層驚いてしまった。他の魔術師とのパイプがない彼は参加するだけでも一苦労だったのだ。
接触してきた仮面の男から聖杯戦争についての説明を受けたおかげで一通りの知識は得ることができたがそれでも足取りはおぼつかない。
(大丈夫。勝たなきゃいけないわけじゃねぇんだ)
Kから内密に送られてきた書面から得た情報によるとこの聖杯戦争で勝てばもちろん、敗退したとしても生き残ることさえできれば何らかの団体に目をかけてもらえるとのこと。
最悪の場合ランサーを捨ててでも生き残って魔術師としての人生を歩もうと考えていた。
そんな彼にとって今一番必要なのは戦いに巻き込まれないことだった。
「殺し合いなんてできねぇしなぁ。うまく逃げ回って生き残った奴との一騎討ちに持ち込むのが現実的かね」
対照的に戦いたくて仕方ない様子のランサー。
「命じてくだされば某が全サーヴァントを一纏めに討ち取ってご覧にいれますが」
自分の魔力ではランサーに満足なパフォーマンスをさせてやれないことを彼はよく分かっていた。
「じゃあお前に作戦を授ける」
「はっ!」
「俺と一緒に待機な」
「えっ」
「待機、な」
「はっ!」
ランサー陣営は静かな幕開けになりそうだ。
上戸市を見渡す小高い丘の上で青年と老人が街を眺めている。
老人は一眼レフのカメラで街を撮しながら時代の風を感じていた。
「なるほどなるほど。召喚の折に知識として得てはいたが、文明はここまで進歩していたのか。まさかこの目で見られるとは……」
「喜んでいただけたようで何よりです」
キュステはまるで子どものように目を輝かせて街を眺めるアーチャーを微笑ましく思っていた。
先の二人とは違いこのキュステは魔術師としてエリートで、在籍するアトラス院でもかなり高く評価されているばかりか今回の聖杯戦争の勝者として有力視されていた。
ベンチに腰かける二人。
「戦いはわしの生業とするものではないが経験はある。マスター、カミトの地図を見せてくれ」
「はい。これです」
アーチャーの意図を理解したキュステは上戸の地形図を手渡した。これが彼にとって最も重要な情報になる。
「なるほどなるほど。都市開発の影響が残っているせいか全域に凹凸がみられるな。まさにわしのための戦場といえる」
生前のアーチャーは学問の道で名を残したのだが戦争で大いに活躍したという記録も残っている。
それが事実であるかよりも『そう伝わっている』ことが聖杯戦争における強みになるのだ。
「それにしても魔術師はすごい。わしの時代にもそのような者がいたが、今ほど体系化されていなかった。時間とは偉大なものだ。マスターもその一人なのだろう?」
「ありがとうございます。しかしそれは他のマスターについても同じなのですよ」
キュステが特に警戒しているのはランサー陣営とキャスター陣営だった。
ランサーのマスターについては素性が分からないしキャスターのマスターについてはむしろ知りすぎていたからだ。
そして気になることがもうひとつ。
(あのKと名乗る人物。契約書について仄めかしていたが……)
厳格なアトラス院からキュステがかなり苦労して参戦した理由はKの言葉の真実を確かめるためでもある。
そして、賢人として知られるアーチャーに聞いておきたいことがあった。
「アーチャー。この戦い、どうみますか?」
「この世に絶対というものはない。故に必勝を謳うことはできん。しかしながらわしらが勝つと仮定するならば、その命題を証明することはできるだろう」