祭り囃子
しゃん、しゃん、しゃん。たわわな鈴の音が、3つ。最近、そんな音で夢が覚めるという。
「クリスマスソングかい」
「どちらかというと、祭り囃子だな」
白菜を切る手は止めず、くりちゃんはいう。今夜の夕食は豚汁だ。野菜室に余る野菜をふんだんに切るくりちゃんは、母の代から使い古しの包丁を片手に語る。その目はいつもの鋭い光はなく、茫洋としている。先週、ひどい風邪をひいて1週間程寝込んでいた名残だろうか。一応、色だけは同じ虹彩の僕が見ていると、くりちゃんは切った野菜を盥に移しながら続ける。
「ただ、この辺りのものではない。あそこまで単調ではないな」
「この辺のは独特だからねぇ」
風呂上がり、首からタオルを下げた僕は肯く。観光地として、国際的にも有名な地元だ。特に夏の祭りは伝統があり、独特の太鼓と横笛の音が夜遅くまで響く。1部からは騒音だと苦情が来るらしいが、少なくとも自分達兄弟にとっては子守歌のように馴染んだものだ。それはいい。
ただ、今は晩秋だ。来週にも雪が降る、とローカルテレビのお天気お姉さんはいっていた。この季節には、精々紅葉や菊を愛でるものしか祭りはなく、そしてそれを囃し立てる楽もない。
炊飯器のスイッチを押す。そしてくりちゃんは、大きな鍋に油をしいた。何でもなさそうな顔で、くりちゃんはいう。
「夢の内容は、いつもばらばらなんだがな。決まって、その鈴の音で起きるんだ。3回ぐらい鳴って、そして止まる」
「それも夢なんじゃないのかい」
「目が覚めたあとに、3回目が聞こえるんだ」
「……とはいっても、僕は聴いてないな」
片目が見えないから、聴覚には敏感だ。ましてや隣室のくりちゃんの部屋の物音は壁越しによく聞こえるのだ。それで何度、怖い思いをした事か。いくつになってもオカルト現象と縁が切れないくりちゃんと、存外平気そうな本人の落差はとても大きい。怖くない訳ではないらしいものの、いかんせん本人の感情表現が乏しかった。
そんなくりちゃんは、豚肉を炒めながらいう。
「それで、段々、音が大きくなっているんだ」
「へ」
「いっただろう、鈴の音が鳴っていると。最初は聞き間違いかと思っていたが、最近はインターホンの音かと思うぐらいには大きくなっているぞ」
「……くりちゃん、最近またどこかで変なの引っ掛けてきたかい」
「俺自身には覚えはないんだが」
「鈴の音といえば、オカルト現象あるあるじゃないか……」
鍋に根菜を追加しながら心底不思議そうにするくりちゃんに溜息を吐く。頭の水気を拭きながら、これまでくりちゃんが遭遇してきたオカルト現象を思い返した。
とにかく、何かと攫われそうになりやすい。あり得ない距離をほんの短時間で行き来してくる。墓場で足を引っ張られる。長じるにつれてそういった事は減ったものの、妙なものに好かれやすいのは変わらなかった。
ふと、僕は思い出す。つい先日読んだ小説に、こんな話があった。鈴などの、音を鳴らす行為は相手に自分の存在を知らしめるもの。その為に、身分の高いものがそういった品物を身につけて下々の者に先触れする効果もあった。
そして、くりちゃんに尋ねた。貴いもの。それには少しだけ、心当たりがある。
「くりちゃん。あの子供の頃に住んでいた公務員官舎があった場所。あそこの近くにあった古い神社、ひょっとして訪ねたりした」
「建て直しをしていたから、通る度に見かけはしたが。あそこ、神社の敷地内の不法占拠の家の住人が亡くなったらしいな」
「くりちゃん。明日、ちょっと別の神社に行こうか」
拒否は許さない。笑みにそういう意志を塗り固めると、くりちゃんは戸惑いながらも肯いた。
この時の僕は敢えていわなかった事がある。
鈴の音が先触れだとしても、音が鳴っていない時。そこに「貴人」が、じっと息を殺して背後に立っている事もあり得るのではないか。
出不精のくりちゃんを引っ張って別の神社に連れて行ったのち、くりちゃんの聴いていた「鈴の音」はやんだそうだ。
祭り囃子は夏に限る。
このこのいつつのおいわいに
くりちゃんが「七五三」と思いこんでいた記憶がある。くりちゃんと僕は同じ神社で七五三を迎えた筈だが、くりちゃんはその時の想い出とは別に、5才の頃に神社に赴いた記憶があるらしい。
とはいっても、先述の神社に、今は亡き母は普段着で共に赴いたそうだが。
先述の神社。実は同じ敷地内に3つの神社がある。正直なところ、神社の詳しい仕組みは知らない。まして僕はその近所にあった公務員官舎に住んでいた時間がある事情で短かった。だからそこの神社の事情についてはくりちゃんの方が余程詳しい筈だった。当てが外れた、と知ったのは、そろそろ七五三の季節だと気付いてそれを話題に出した時の事だった。
「俺の七五三は、あの神社でやったと思っていたんだが」
不思議そうに首を傾げるくりちゃんに、「くりちゃん、そこで千歳飴は貰ったかい」と尋ねた。そこではじめて、くりちゃんの記憶の食い違いが発覚した。
くりちゃん曰く、雪が降っていない季節だったそうだ。薄暗いような空だったので、恐らく曇天の日だったという。
くりちゃんは母に手を引かれ、当時の自宅から100歩もないような神社に赴いた。当時から神社は3つあった筈だが、入ったのは1番端の神社。当時から敷地内を不法占拠するあばら屋があり、その時も既にそこに建っていたそうだ。宗教法人に関する土地の法律についてはまた勉強せねばならないだろう。
「あぁ、いらっしゃい」
白色無紋の衣冠。それを着込んだ中年の男性が、2人を迎えたそうだ。どうやら事前に連絡を受けていたらしい。くりちゃんは母に背中を押され、屋内に上がった。
そこが神社のどこだったのかを、くりちゃんは今でも思い出せないそうだ。
額縁の掛かった、小さな和室。六畳一間……とまではいかなくとも、当時幼かったくりちゃんから見ても小さい部屋。そこで、母は後ろに。神主の男性の前で、くりちゃんは正座した。くりちゃんと神主の間には、黒い小さな台のようなものが置かれていた。
どれだけそこにいたかを思い出せないというが、幼く、そして決しておとなしさという言葉とは縁が深くなかったくりちゃんがせいぜい母と神主を苦笑させる程度しか動かなかった事を考えると大して長い時間ではなかったのだろう。くりちゃんは、神主が大幣を自分に向けて振っているのを、ひたすら眺めていたそうだ。
そして暫くすると、神主の男性はくりちゃんに笑いかけた。そして斜め後ろの母に話しかけた事で、何かが終わったらしい事に気付いたという。
そこで自分に渡されたものを、くりちゃんは考えているうちに漸く思い出した。
「多分、あれは形状からして破魔矢だな。紅白2本1セットで貰った」
「破魔矢……お宮参りか何かだったのかい」
「さぁ……お宮参りは赤ん坊の頃にするんじゃないのか」
「そういえばそうだね。それに雪がなかったって事は正月でもなかったんだろうし」
お互いに首を傾げる。くりちゃんは、再び語ってくれた。
母と神主が談笑しだした事で、どうやらその場が緊張していた事に気付いた。しかし、くりちゃんにはその理由がわからなかったという。そして母に連れられて、くりちゃんは神主に見送られながら神社をあとにしたそうだ。
その破魔矢は母が大事にしまいこみ、また自身もさして興味がなかった為に、その出来事を帰ってきた父に話す事もなく、当時は水戸の祖父母の元にいた自身も知らず、現在に至る。ただ、数年ののちも何度かどこかの抽斗にその破魔矢が入っているのを見かけた為、お礼参りに返した様子でもなかったそうだ。
「破魔矢は一年ごとにお礼参りで返すもの、だから買うのは面倒だと母はいっていたがな」
「そうだね、いっていたね。……で、くりちゃん。君は結局、何しに神社に行ったんだい」
「さっぱりわからん」
神社の外に出ると、日が暮れそうになっていた。秋の日はつるべ落とし、くりちゃんは母に手を引かれ、やはり100歩とない距離の官舎に戻った。そして今日に至る。
当時もその後も、なぜ神社に赴いたのか。なぜあの時に限って破魔矢を貰ったのか。神社にそうして赴いた機会は、あとにも先にもそれきりだったそうだ。
「破魔矢っていうのは子供への邪を避ける為のものだというけどね。寧ろくりちゃん、小さい頃の方が健康だったよね」
「お前の方が病弱だったろう。右目もそのせいだし」
「でも僕も、特別そういうお祓いみたいな真似は受けた事がないな。兄の僕の右目の件を受けて次男の心配をして、というには5才っていうのは今更な感じがするし。僕が目を失ったのって赤ん坊の頃だし、……」
「どうした」
僕の部屋で漫画を広げながら寝転がっていたくりちゃんは、首を傾げた。そんなくりちゃんに、母と、そして母方の伯母の面影を見出す。
くりちゃんは、言葉を話すのが遅かったそうだ。それを心配した母は、ピアノ教室を営んでいた姉――つまり伯母の元に、会話の練習も兼ねて、3才から通わせ出した。特技といえる程度にはピアノを弾けるようになったくりちゃんは、幼稚園に上がる頃にはそれなりに成立する会話が出来るようになっていたそうだ。
5才頃なら、外で見聞きしてきた事を比較的しっかりと母に話せるようになっていただろう。
そう、たとえば、外で見かけた幽霊の事とか。
引っ越した家で「天井裏で小人さんが走り回っている」と発言した当時小学校1年のくりちゃんに、平然と対応した母にも「初心者」の頃があっただろう。
「……まぁ、うん。今に問題がないようだし、いいんじゃないかな」
「しかしいずれにせよ、破魔矢は返却しないといけないだろう」
「母さんはどこにしまったんだろうね」
あまりあの神社にはもう行かせたくないのだが。そう思いつつも、往年の母の密かな苦労を偲んだ。
季節はずれ
赤いハイヒール。サングラス。それに、脹ら脛まで届く豹の毛皮のコート。
僕とくりちゃんがその人を見かけたのは、まだお互いに小学生だった、夏休み直前の事だ。
照りつける日光と肌を滑る汗。黒いランドセルを背負って家路を急いでいたその日の事を、今でも鮮明に思い出せる。近所の、最先端の歯学は取り入れるが実際の治療の腕が今ひとつの歯医者の大きな家。そこの角を曲がれば自宅の方向だ。そこを暑さから逃げるように急いでいた時、その人を見た。
高いヒールに、確か黒髪の直毛のボブ。真贋の区別はつかないものの、豹の毛皮は見事な毛並みだった。擦れ違いざま、思わず片目で追った。そんな子供の視線など一切構わず、彼女はさっさと僕達が来た方向へと去っていく。
思わず沈黙したまま角を曲がる。もうひとつ曲がれば実家がある。蝉の声が煩かった。そんな中で、僕は小声でいった。
「今の人、暑くないのかな……」
「大丈夫なんじゃないか」
浅黒い肌を更に日に当てながら、当時のくりちゃんはマジックテープの靴を家路に向けた。
「全く、汗を掻いていなかったしな。暑さを感じていないんじゃないか」
今ならわかる。熱中症の症状は「それまで夥しくかいていた汗が止まってしまう」のが初期症状だ。しかし、あの時の彼女は一粒たりとも汗をかいていなかったと、その時のくりちゃんはいっていた。
その話を掘り起こせば、モッズコートをハンガーに掛け直していたくりちゃんはいう。
「だから、『もう』暑さを感じていなかったんじゃないか」
それにしても、あの格好でどこに出掛けていたのだろうか。当時の流行と照らし合わせても、あの派手すぎる装いは、地味な地元には不釣り合いだなと他人事のように考えてしまった。
登山
以前にも書いた気がするけれど、僕とくりちゃんの進路は大体かぶっている。書類に書き出せば、幼稚園から高校までは同じ校名が並ぶのだ。なので自然と学校行事も共通のものを体験している。但し、文科省の方針の変化が即座に現れる学校でもあったので、些細なところで変わっている事もある。
あれは小学5年の林間学校の時だ。僕の時はなかったが、くりちゃんの時は1泊2日のその行程に、「登山」が含まれていた。県内の小さな山だ。しっかりと班を構成させ、列を乱させず、ガイドをつけて山登り。熊が出る心配もないような山だったそうだ。くりちゃん曰く、坂道からの崖に向かって山彦を呼んだり、その辺に生えていた桑の実をおやつにしたり蛇が出た、と他の子が騒いでもじっとそれを見詰めていたりなど、中々に野生児ぶりを発揮していたようだ。頂上からは雲が眼下に見えたという。昼食を食べ終わったあとは、下山。地元の宿泊施設に向かうバスに乗るだけだった。
ところが、山の中腹。くりちゃんはここで班員とはぐれた。
というのも、桑の実は利尿作用がある。登山中に代謝されたそれが、くりちゃんを山の中腹に設置されたトイレに駆け込ませた。トイレは他の児童で大変混雑しており、出て来るのも時間がかかった。そうして気付けば、同じ班の面子は下山してしまっていたのだ。折しも空がぐずついてきた頃、他の班員の気を急かせさせた。この頃から単独行動を好むくりちゃんは、正直な事をいえば存在を忘れられがちだった。勿論後ほどくりちゃんが他の班に混ぜて貰い下山した際は、担任の先生が顔を青ざめさせていたそうだ。それはそうだ、自分の担任しているクラスの児童が山で行方不明となれば、自身にもどんな累が及ぶか知れない。
さて、先述のように単独行動を好むくりちゃんが、ちゃんと他の班に混ぜて貰って下山した、という事に違和感を抱く人もいるかも知れない。実際、くりちゃんがその場にいた他のクラスの先生に「はぐれたからどこかの班に入れさせて欲しい」と申し出てきた時、その先生も意外そうな顔をしたそうだ。くりちゃんの単独行動はそれぐらい問題視されていたのだろう。それでも否やはある訳がない。その先生は自分のクラスのひとつの班にくりちゃんを編成させ、無事に下山させた。「大倶利伽羅くん、どうしたのー」「はぐれたのー?」「置いて行かれた」という会話を交わすくりちゃん達。山を下りきる頃にはぱらぱらと雨が降り出し、駆け足になったという。
何とか無事に自分のクラスと班に戻ったくりちゃんは、班員の謝罪を聞きつつ、山を見ていたそうだ。地元の山の資料館の人の話を聞きながらも、バスに乗ってからも、その視線は山に向かっていたそうだ。
その後、土砂降りの雨になった。午前中の晴れが嘘のようだったと、くりちゃんはいう。
実は本題はその日の夜に起きた怪異にあったのだが、僕はふとその下山のくだりを聴いて、疑問に思った。集団行動を嫌うくりちゃんが、なぜきちんと先生にはぐれたと報告し、まとまって下山したのだろう。
くりちゃんは頭を振った。
「登山中、過剰な程にもてなされた。それで下山した時にあれ程引き留められれば、いくら子供でも危機感は抱く」
「誰に」
尋ねると、今度はくりちゃんが首を傾げ――強いていえば、と前置きした。
「山に、だな」
山の神は女の人だという。ただ、その山に関しての説話は仏教に関する、古くて有難いお話もある。
気になる点といえば、その近くには全国的に有名な古代遺跡がある事。それと、夜になると火の玉が出る、という話ぐらいだ。高僧の魂が山を登っていくといわれているらしいが、勿論真偽は定かではない。
くりちゃんのあとに、僕達より10歳ぐらい下の従弟も、中学までは同じ進路を辿った。けれど林間学校にあの山を登ったかどうかは、聴いていない。
ただ、登山は2度と御免だと、くりちゃんははぐれた事を今でも根に持っている。
熟睡
このように同じ進路を辿っているので、くりちゃんも高校1年の時に「親交を深める」為に、クラスでの1泊2日の宿泊及びボランティア活動があった。くりちゃんの時も2日目に老人ホームを訪ねたらしい。無論、メインはそちらではない。
くりちゃんの時、軽い肝試しのようなものが行われたそうだ。
僕の時は特にそういった催しはなかったが、くりちゃんのクラスは中々にアクティブだったらしい。参加したい人だけ参加する、という体裁だったが、ただでさえ「ピアノを習っている」という理由で無理矢理合唱曲の伴奏を弾かされて不機嫌だったくりちゃんにとっては、心底「どうでもいい」ものだったらしい。そうでなくとも、くりちゃんにとって肝試しや、実際にオカルトに触れるとなると「危ない」からだ。実は小学5年、僕の林間学校の催しはそのものずばり肝試しだった。しかも、「経営者がそれより10年前に首を吊って死んだ喫茶店」に入る、という、今にしても学校が主宰するものではない罰当たりなものだった。僕はといえば、雰囲気で怖いといえば怖かったものの、寧ろ床に散らばったガラスの破片の方が危ないな、と暗い中で思ったものだった。肝を冷やしたのは、「そういう危ない破片なんかは昼間に片付けた筈だけど」と先生にいわれた時だったけど。その話を母にしたところ、母は大まじめに「肝試しはやめてください」と先生に訴えたそうだ。尚、当時のくりちゃんの鞄の底にはお守りの数珠が仕込まれていたらしい。ちなみに山に登っていた時は登山用の鞄だったので、数珠は持っていなかったそうだ。
閑話休題、いつの間にか終わった肝試しののち、くりちゃんは風呂に入り、宛がわれた部屋に入ると直ぐに眠ってしまった。その日の昼間も様々なレクリエーションがあり、ほとほと疲れていたらしい。同室の同級生達は様々な会話を交わしていたらしいが、さっさと布団を敷いたくりちゃんは、背を向けて直ぐに寝入ってしまったそうだ。さて、なぜこんな風に「直ぐに寝た」という事を強調するか。それは、くりちゃんが翌朝に、寝ぼけ頭に他の同級生から「昨夜騒いでたんだぞ、何であんなに起こしても起きなかったんだよ」といわれたからだそうだ。
くりちゃん自身もよくわからない、という。曰く、「白い影」が出たそうだ。よくある見間違いではないか、と欠伸混じりに答えるくりちゃんに、同級生達は主張したそうだ。
まず、1番奥の部屋から騒ぎ出した。それはくりちゃんが布団に入り、直ぐに寝息を立てはじめて「はやっ」と皆が笑った時だったらしい。悪ふざけでもしているのだろうか……それにしては、悲鳴が高かったという。女子と男子の部屋は廊下で別たれており、男子の部屋の列の中央に先生の部屋があったらしい。だからあまり派手に騒ぐと先生に気付かれるのでは――けれど、次に響いたのは、若い男の悲鳴だった。当時28歳の担任教師の声だったそうだ。それに戦く。一体、今、何が起きているのか。こわごわと、くりちゃんの部屋の度胸のあるひとりが、廊下の様子を窺ったそうだ。
ヒトの形をした、白いもの。それが、ぬらり。床や壁を舐めるように、斜め向こうからこちらの部屋へと滑り込んできた。
……そのひとりが視認したのち、それは突如姿を消した。姿を現した時と同時に。騒いだ生徒達は教師の部屋に詰めかけたが、彼はやや狼狽しつつも、「今日はもう皆寝よう」と言い聞かせたそうだ。
そして、戻ってきた同室の同級生は呆れたそうだ。ひとり、置いて行かれたくりちゃん。彼はその騒動の中でも、ぐっすりと眠り続けていた。
「元々出る、という話はあったらしいからな」
僕は聴いた事のなかった話をするくりちゃんは、当時の事を思い出しながら締め括った。
「肝試しなんてするからだ。折角寝てて大人しくしてた奴をたたき起こしたんだろ。俺だって怒る」
案外、「それ」はくりちゃんと似た気質だったのかも知れない。くりちゃんはいつになく熟睡できたそうなので。