▼前作の審神者が元になっています。
お題は「戯言掃き溜め(お題Bot)」(twitter/homuhomuura)様より。
それなりに、共に戦う事は多い。しかし、会う度に名前を忘れる。その意味について深く考えた事はなかった。これまでは。
「おーい、山姥切。やまくに君やい。飲まないの」
「……放っておけ、俺の事など」
その宴席で、山姥切はひとり、手酌していた。縁側の席、この本丸では常に天候はよい。刀剣の中でも最も美しいとされる太刀の名と同じ月だった。醸造技術の未熟なこの時代で手に入る、アルコール度数の低い酒でも頬はほてった。それに縁側の夜風は心地よかった。いつも通り布を被ったままそうしていれば、ひょっこりとやってくる影がある。布の為に顔は見えないが、低音の声には聞き覚えがある。だから誰何をせず、杯を呷った。遠征部隊が土産に買ってきた酒は、それなりに美味だ。そんな事を、アルコールで霞んだ頭で考えていれば、ぽすり。勝手に隣にその男が座る。咎めなかったのは、絶妙にパーソナルスペースを侵してこなかったからだ。間に自身の分のつまみらしいものを並べている彼は、「さっきから何本飲んでるの」と苦笑していた。そこで、はじめて視線をやる。
但し、視線の方向は彼の方にではない。間に置かれたつまみ達だ。正確には巻き寿司や唐揚げ、それにアルコール度数の低い洋酒の缶が置かれていた。確か、21世紀頃から日本に流通したものではなかったろうか。「酒は好きだけど、そんなに飲めないんだよね。主が取り寄せてくれたんだ」といいながら、山姥切の視線の先。彼の手には洋酒の缶と巻き寿司があった。恐らく酒よりつまみがうまい類なのだろう。つまり下戸だ。なるほど、宴席から逃げてきたようだ――部屋からは「もっと飲め」「俺の酒が飲めないのか」「もう勘弁してください」などという、アルコール・ハラスメントという概念は置いてきぼりにされたやり取りが轟いてくる。彼の方ではない、もう片側に目をやれば、同様に逃げてきたらしい他の刀達の姿もちらほらと伺えた。何やら絡まれたらしい審神者の悲鳴も聞こえた気がしたが、山姥切は無視を決め込む。明日にでもアルハラという概念を周知徹底すべきだ、と思いつつも、隣でつまみを食べる同僚に目をやった。
顔はよく見えない。そもそも、あまり覚えていない。戦う時は目の前の敵に一直線だ。内番や遠征で組んだ覚えもほとんどない。確か、刀種は太刀だと思ったが、あまり戦闘は得意だという印象はない。少なくとも同田貫のような猛烈果敢、猪突猛進という印象はない。近いのは三日月などだろうか。戦いに縁のない、祭祀対象の刀だ。だが、確かこんな異名を持っていた筈だと、山姥切は思い出す。
『あるじ切り』
その昔、戦国時代。大坂夏の陣で、奥州の小さな戦国大名で下克上に近い内乱があったという。頭の切れすぎた当時の当主を、これから訪れるだろう徳川の世に据え置くのは相応しくない――そういった理由で、1部の家臣が結託。戦のどさくさに紛れ、当主を襲った。彼の携えていた太刀を奪い――ほとんど即死だった。その威力と、忌まわしい逸話。元より歴史の古く、そして徳川の治世になってからは威力の強い太刀は厳しく規制された。その為に、以降は本家の家宝として仕舞われ、建立された神社の祭祀対象となったと聞く。2200年代の時点で1000年近くの歴史を持っていた筈だ。妖刀とすら呼ばれる彼は、存在こそひどくマイナーだが、もっと目立って当然だろうに。
(俺とは違う)
「さっきから酒ばっか飲んでるじゃん。つまみも食べないと胃に悪いよ」
「刀に臓腑に悪いも何もあるか」
手酌して杯を空けていく。それを見咎めながら、隣の青年はトンカツの巻き寿司を口に放っていた。そして口にするのは世話女房めいた台詞だ。同じ東の国の出身の為か、燭台切と似たところがある――そんな事を考えていたせいだろう。山姥切は、酒で軽くなった口を滑らせた。
「お前こそ、異名に反して全然飲まないんだな。『あるじ切り』」
かえってきたのは、一瞬の無言。思わず顔を向けた。
はじめてまともに顔を見ようとした。しかし、今日の三日月はやけに眩しかった。ただ、口元に、さみしげな苦笑が浮かんでいる事だけはわかった。
「……それは、僕の名前ではないよ。今はね」
「……は」
「君と同じだよ。僕も写しだ。但し、ちょっと前までは本物として扱われてたけどね。まぁつまり、僕は世間一般には贋作扱いだね、今は」
言葉を失ったのは、今度は山姥切の方だ。缶の酒を呷る、隣の彼の顔は、やはりよく見えなかった。ただ、自嘲めいた笑みが浮かんでいるのだけは、見えた。
「本家の『あるじ切り』は、明治維新で没落した大名の家から、早々に江戸に出て商家として栄えた分家に借金の形に取られたんだ。けど、その時点で神社はもうあった。だから、僕は家の体面もあって写しとして作られた。……但し、記録には残されなかったけどね。元大名にとっては、金で栄えた分家に家宝を取られたのが余程恥だったらしい。当時の彼らにとっては『写し』でも、記録に残されなければ後世には本物、そして分家にとっては贋作という事になった。皮肉にも、戦力の充実をはかる為に僕の家にやって来た審神者のお陰で、その事実の全てが露見したけどね。だから、僕が生まれたのは明治維新以降。この中じゃ年若いんだよ、実は」
さて、いつもこんなに喋る男だっただろうか。下戸ゆえに、口がよく滑ってしまっているのだろうか。思わず青い眼を瞬く。それに、彼は笑った。今度は苦笑だった。
「……ここでも知ってる刀は知ってるよ。主も承知の上だ。政府が探し当てた本来の『あるじ切り』は本物の妖刀で規格外過ぎて、刀剣男士にはなれなかった。その上、妖刀だから審神者の力も持ってたって話だ。今は美濃で審神者をやってるらしいよ。でも、僕は審神者に顕現されて、丁度良く使役できる程度の威力におさまった。刀としての実戦経験はゼロに等しいから、山姥切。君みたいには戦えないから、君が出るような強い相手の戦には、中々出られないんだよね。太刀の癖に」
それ以上、言葉は続かなかった。静かな騒ぎが、部屋から届く。低く、しかし普段より饒舌に語られた言葉は、彼らの間にしか届かなかったようだ。杯に手酌する。それを一口呷ると、山姥切は漸く我を取り戻した。
「酔ってるな、お前」
「酔ってるよ。だから、普段はいえない事もいえたんだ。……そろそろ俺は抜け出させて貰おうかな。明日も早いし」
ふらり、立ち上がる。気付けば、自分達の間に置かれていたつまみは残らず消えていた。下戸の代わりに大食漢らしい。そんな彼は、眩しい三日月の前で、あの月と同じように笑んでいた。その口元だけが、見えていた。
「ねえ。それで、僕の名前を君は知ってる。山姥切国広くん」
「……お前は」
「僕の名前はね、ないんだ。今は。奪われっぱなしだよ」
そういう彼は、やはり笑っていた。
「僕の正体を看破した審神者に、僕を打った刀工の名前を貰ったけど……全然馴染まないんだ。だから、名乗る名前がない。僕はどう言いつくろおうと、結局は贋作だから。君が羨ましいよ、山姥切。偽物なんかじゃない。『写し』っていう立派な形だなんだから。
……ああ、御免ね。喋りすぎたね。本当に、今夜は飲み過ぎたよ。下戸が飲み過ぎるのはよくないね。それじゃ」
翌日、早朝。その日は山姥切は非番だった。しかし自室にいても、「●●が破壊された」という声は聞こえてきてしまった。
それは、あのあと確かめた、彼の名。家の体面では自己満足として「写し」、実態は贋作として打たれた太刀の名だった。
結局、山姥切国広は、彼の顔を知る事はなかった。
(どう足掻いても、自分はオリジナルにはなれない。「本物」がいる限りは)
End.