お題は「わるものマニア」(http://www.w-mania.com/)より。
「まあ、俺の負けでもいいんだが」
大抵の相手には、そういって手合わせをはじめるという。それに正味な話、自尊心を傷付けられた覚えもある。天下五剣で最も美し刀――しかし、それがいかほどのものか。
(「不殺の刀」なんて、俺達には不釣り合いな肩書きだろう)
「……よし。どーんとかかってこいや」
正直にいおう。殺意を以て手合わせに臨んだ。
結果がこの為体だ。
「主さんよ、始末書ってこんなもんでいいか」
審神者の執務室。23世紀の人間にしては小柄な女が、そこでちょこんと座している。ホログラムのモニターに向かっていた彼女が顔を上げ、自身が渡した書類に眼を通した。それを機体に同期させながらいう。
「おっけーおっけー。あと手入れ部屋空いたから入ってらっしゃい。しかし、あんたも無茶したね。来た早々に、あの三日月と本気で手合わせなんて。ウチじゃたぬきが打刀になって以降、最強の太刀男士なんだよ」
「それを早めにいっておいてほしかったな」
溜息を吐く。応急手当の絆創膏やガーゼの感触が慣れない。支給された筆記用具。この身を得てはじめて書いたのは、「手合わせのやり過ぎて破損した道場」についての始末書だった。しかもこちらが一方的に負けたのだから、何とも面白くない始末である。審神者からの更なる情報も加え、自身は溜息を吐いた。腰に下げた酒瓶が音を立てる。先程までの酒を飲んでの反省会は、自身と三日月の純然たる練度差によるものという実りしかなかった。笑いながら自身が酒を注いだ相手は、のほほんと笑うばかりだった。その三日月には、精々頬にガーゼを当てさせるぐらいしか出来なかった。審神者はいう。
「それでも三日月の顔に傷をつけられるなんてのは、やっぱ槍のリーチ差だからだろうね。たぬきから手合わせの様子は聴いたよ。珍しく三日月がちゃんと相手をしてたっていうし」
「あれでかぁ」
食えない笑みを刷いて、自身の突きに応じる太刀。動きづらい衣装をものともしない動作。あれが「ちゃんと」というのか。化かされた気がしてならない。頭を掻く自身に、審神者は笑う。
「中々腹の中を見せない奴だからね。それより、ちゃんと字は書けたようだね。室町時代ぐらいの崩し字かな、読みやすくて助かるよ」
「俺はそれより、今の、『ふでぺん』ってやつか。あれの便利さに驚いたぜ。今はあんなもんがあるんだな」
この審神者、本性はヒトに非ず。生まれは室町の初期だという。ゆえに、刀剣男士もそれに影響され、話す言葉はともかく、書き文字がそれぞれの時代に合わせたものとなってしまった――なまじ、ここの審神者が、平安時代のものまでなら読めるというのが祟った。長谷部や一期一振などは勤勉に現代文字を習得したが、全員が全員、という訳にもいかない。更にはボールペンなどの現代の文房具が受け付けず、かといって一々硯を出していては面倒だという理由で、20世紀に開発された「筆ペン」なるものが各刀剣男士に配られるに至った、という。自身が来るまでにこの事態は大半が収束しており、特に若い刀剣男士程、現代語の獲得に至っているという。
そして今でも平安の名残を見せるのが、三条派だという。
「歌仙なんかは硯と墨を使って書いてくれるんだけどね。メモ書きなんかには筆ペンが便利なんだよ。三条派も、いまだに万葉仮名とか使ったりしてくるけど使ってるのは筆ペンだよ。鶴丸はカラーインクの筆ペンを欲しがるけど」
「だろうな」
まだ来て日が浅い。しかし彼の奔放さは既に知っていた。カラフルなインクの筆ペンを使って報告書を書く姿など、容易に想像がつく。戦いにおいて、真っ白な衣装を血に染める事に悦ぶ太刀男士だ。戦についてきて貰った際の、彼の戦いぶりを思い出す。
眼にも鮮やかな、彼の太刀筋。
「どうせ渡さなくても勝手にどこからか調達してくるから与えてるけどね。――話を逸らしちゃったね。ついでにもう一部屋空いたから、三日月にも一応、手入れ部屋に入っておくよう伝えてくれる」
「あれぐらいの傷でか」
「戦場では、少しの瑕疵が致命傷をもたらすもんだよ」
刹那、審神者が遠い目をしたのは気のせいか。あれはヒトの寿命が持つものではない。永きに渡り存在する者の、かなしみの顔だ。
しかし直ぐに、審神者は怒ったようにモニターの前で口を尖らせる。
「今度からはちゃんと、真剣じゃなくて模擬刀剣を使って手合わせしてよね」
「へいへい。気を付けますよっと。三日月宗近に手入れ部屋に行け、だったな。伝えとくよ」
――ここの審神者は、本性は刀剣であるという。いかなる所以か、男ではなく女として顕現したらしい。室町の頃に打たれた刀剣ならば、様々な悲哀を見てきただろう。ゆえのあの顔だろうか。見かけた刀剣男士に声をかけて、三日月へ言づてを頼むと手入れ部屋へと向かう。
思い返すのは、それ以上に永く存在する、あの美しい刀の事だ。
ぬっ、と顔を出す。暑さの目立つこの頃は開けはなったままの障子。そこから、白い毛並みの男が顔を出す。どこか不機嫌なのは気のせいか。
「主様。日本号とやらはどこに行きましたか」
「え、手入れ部屋だけど。どうしたの」
「……いえ。どんな様子かを確かめたかっただけでございます」
男――小狐丸は、いいながら胡乱そうに辺りを見渡す。どうやら先程まで、ここで立ち話をしていた気配でも感じているのだろうか。小狐丸の野生とやらはそこまでなのか。勝手にそんな事を考えていると、小狐丸が見下ろしてくる。先程提出された始末書。日本号のものは意外に早く上がったが、そういえば三日月のものはどうしたのか。
「三日月は酔いつぶれていまして」
内心を見透かしたようにいう言葉は、溜息混じりだ。実際には不明だが、三条派の中で、三日月は末弟に当たるらしい。美々しい末弟は、少なくともこの部隊では鶴丸と同様に奔放なところがあった。しかし小狐丸の言葉に、審神者は目を瞬く。
「おや、珍しい。お前ら平安勢、みんな酒に強いじゃん。羨ましいぐらい」
「主様はお弱いですからね。えぇ、本当に珍しい事ですよ。……ただの普通の酒だったのですがね、日本号とやらに振る舞われたのは」
「お前も相伴に与ったのか」
「えぇ、甘露でした。ただ、アルコール度数はごく普通でしたよ。だから困っておりまして」
「ふーん」
聞き流して、一瞬、手を止める。そして再び顔を上げた。
「……少なくとも、いつもの三日月なら酔いつぶれるなんてあり得ないって事か」
「浮かれていたようですよ。珍しく、気勢の強い輩と手合わせできた、と」
「そりゃ珍しい」
小狐丸と審神者の言葉は、同じでも意味するところは異なる。三日月にとっては珍しい戦う相手。そして自分達にとっては、そんな三日月が珍しい。
空に淡々と浮かぶ月のように、凪いだ気質の三日月宗近だ。何をおいても本気になる事はない。精々、戦に臨む時ぐらいだろうか。それでも強いのだから、堪ったものではない。本性は三日月達同様太刀の刀剣の付喪神に当たる審神者は、そんな彼が心配なので「気を付けろよ」と口を酸っぱくしていっていたものだ。
その三日月が、浮かれて酔いつぶれた。酒のせいだけではあるまい。しかも、日本号が振る舞った酒という。
「……確か、日本号は三日月の顔に傷をつけたんだっけ」
「えぇ、隙を突いて頬をすぱりと、と。同田貫からも聞いております。手当は私が致しましたが、見事な切れ味でしたよ。いっそ手入れをするのが勿体ないぐらい」
「で、日本号はその倍、ぼっこぼこにされたと。珍しい事に」
「えぇ、珍しい。三日月があそこまでするのは」
「……」
「……」
「……小狐丸。どう思う」
目線だけ向ける。日本号を捜しに来たらしい小狐丸が何を考えているかはわからない。ただ、今、語った言葉は、自身にある可能性を示唆してきている。
小狐丸は、自身の視線に気付いたか。ちろりと、眼を向けた。
「良いものか悪いものかは、私にはわかりませぬ」
いって、小狐丸は頬を掻いた。
「不殺の刀に傷がついた。いえ、元々いくつかはついていたそうですが……変化は、変化ですね」
三日月の兄のひとりは、そうして息を吐いた。
顔に出ていたらしい。日本号は「そんな顔をするなよ、まだ何もいってないだろ」と目の前で胡座を掻く。夕食後。自身の部屋に入ってきた昔なじみは、そうして自身が向かう机の向かいに勝手に座った。
「長谷部、お前、ここの主の近侍をやってるんだよな」
「そうだが。いっただろう、今の主が1番だと」
答えながら、手元の動きは止めない。やっと上がってきた三日月の始末書を現代語に訳している最中だった。日本号は直接、主に渡したという。その分、主にかけてしまった負担を気に病みながら、自身は続ける。
この昔なじみとは、一悶着を起こして、何とはなく決着をつけたばかりだ。その矢先に、三日月宗近との手合わせによる事件が起きた。一々騒動を起こさないと気が済まないのか、この槍は――そういう気持ちをこめて睨めど、「まぁほら、酒を持ってきたしあとで飲めよ」と相手は笑う。……黒田で馴染みの酒だ。晩酌しよう。出された酒瓶を引っ掴んで背後に置く。あとでこの部屋に設置させて貰った冷蔵庫に入れておこう。そして、万葉仮名を学びやっと読めるようになった三日月の始末書を尻目に、自身はいう。
「それで、こんな良い酒を持ってきたという事は、何か悪巧みでもするつもりか」
「悪巧みじゃねぇよ。寧ろ、お前にとっても、この部隊にとっても良い事だ」
「ふん、いってみろ」
すると、日本号は、自身の手元を示す。
三日月宗近の始末書を、現代文字に訳す仕事だ。万葉仮名で書かれたそれを見て、焦点を合わせるように眉間を顰める。
「俺に文字を教えろ」
「は」
「特に、万葉文字だ。お前、この本丸にいる刀剣男士の書き文字、全部訳せるんだろ。主がいってたぜ、『向学心に感動してる』って」
バベルの塔、という話が西洋にあるという。簡単にいえば、人間は昔、同じ言語を話していた。しかし、ある事から神の怒りを買い、人類はバラバラの言語を話す事となったという。
自身が行っているのは、その逆の流れを作る事だ。遡れば、現在最年長といわれる鶯丸。そして刀剣としては最年少の和泉守まで――一千年もあれば、言語はその形を変える。ここの審神者がなまじ古き存在ゆえに、その流れの大半を把握しているのが災いした。話す分には構わない。しかし、政府もこの事態は想定していなかったらしく、暫くは審神者がひとりで刀剣男士達から提出される万葉仮名や崩し字などを訳して政府に報告書を上げていたのだ。
それではいけないと、立ち上がったのが自身だった。平安時代から幕末まで。明治の一新にて日本各地の文字が統一されるまでの日本の文字を習得する為、資料を集めて勉強した。ここで編纂された「本丸用現代語訳集」は、政府にも提出され、似た事例の本丸で利用されているとも聴く。あの時に審神者から誉を賜ったのは長谷部の喜びの想い出のひとつだ。「それ、刀剣男士の仕事じゃなかね」という博多の指摘は無視した。
なので、ただ驚いている。来て直ぐにそんな事を自身に乞うてきたのは、この日本号ぐらいなものだったから。しかも万葉文字だという。驚きのあまり、単純に「なんでだ」と問い返せば、日本号はきっぱりと答える。
「口説く為だ」
「はぁ?」
「思いっきり疑問形だな。……三日月を口説く為だ。平安時代は手紙で口説くのが主流のやり方だったんだろ」
今度は言葉にも出来ない。目を瞬く。思わず口を閉じてしまった。それを呆れたととったのか、日本号はやけっぱちのようにいう。
「ほらよ、手合わせで道場壊しちまっただろ。……あの時は文字通りの真剣勝負でよ。ひと言でいやぁ、あの時の三日月宗近に、惚れた。だから口説きたい」
惚れたのだ――日本号は、あれから覚えた高揚の意味に気付いた。
最初は馬鹿にされたと殺意を以て。その後は、叢雲からいずる月の如く清廉な太刀筋に。
出来れば刀と槍を交えたい。けれどそれだとまた周囲を巻き込んでしまう。さすがにそれは悪いと思う。それに。
酒を飲んだ姿は意外に愛嬌があるとも思ってしまったから、始末に負えなかった。
「その為に文字を知りたいといってるんだ。……聴いてるか、長谷部」
長谷部は口を閉じていた。閉口していたのかもしれない。しかし、何やら目線を彷徨わせた後――
「…………いつからはじめる」
といった。
「出来れば直ぐにでも」
「じゃあ、まずは俺が作った現代語訳集をお前の分も取り寄せる。直ぐ来るぞ。だから明日から、呼んだら来い。とっとと覚えてさっさと口説き落とせ」
「完璧に覚えろ、とはいわないんだな」
珍しそうにする日本号に、長谷部は目線を落としながらいう。
「どうせ惚気混じりの講義になるのは眼に見えている。生憎と、お前の惚気話を大人しく聞き続けてやる程、俺は忍耐強くない。……とっとと口説き落とせよ」
「いわれなくとも。ありがとよ、長谷部。案外あっさり聴いてくれて」
それには答えず、日本号は立ち上がると、酒瓶を片手に立ち去る。障子を開いて、案外丁寧に閉じていった彼は、さっさと立ち去っていった。
それから数十秒。長谷部は深々と溜息を吐く。貰った酒瓶を片手に、背後の冷蔵庫へと躙り寄る。
扉を開いた。そこには、既にもう1本、酒瓶が入っていた。これもまた、高い酒だ。並べて置き、長谷部は溜息を吐く。
本丸に来て、直ぐに文字を教えてくれといったのは、確かに日本号がはじめてだ。
本丸に来てそれなりに経ち、今更「現代語か、もしくは室町時代ぐらいの文字を教えてくれ」と酒瓶を片手にやって来たのは三日月宗近だった。この始末書を片手に、である。
手入れ部屋から出てきた三日月は、どこかに出掛けていたかと思うと、酒瓶と始末書を持って長谷部の部屋にやって来た。その顔にはいつもの穏やかな微笑みがあったが、どこか頬が紅潮していた。
「長谷部。お前は確か、あの黒田の槍と馴染みだったのだろう」
「そうだが……無礼討ちでもするつもりか」
持ってきた始末書を先に受け取りながら、屋内で桜を舞わす三日月を呆然と眺める。話は聴いていた。手合わせで、日本号が三日月の頬に切り傷を負わせたという。更に返り討ちにして日本号は手入れ部屋行きになった、と審神者が溜息を吐いていた。天下五剣で最も美しい刀は、その返り討ちで気が済まなかったのだろうか。自身には日本号を特に害する気持ちはない。さすがに庇おうと考えていると、三日月はふっくらと微笑んだ。
「それだと、この酒の意味がないだろう」
「酒に睡眠薬でも盛って飲ませろとかいうのかと」
「長谷部、俺はあの槍と仲良くしたいんだ」
そういって、包みを取る。思わず目を剥いた。老舗の醸造酒だ。そういえばそこそこに金を貯めているとは聞いていたが――驚いたままの自身に、三日月はそっと自分の頬に手を添える。
そこは、日本号が傷を与えた場所だ。
「……長谷部。俺に、そうだな。現代語か、もしくは室町時代ぐらいからの文字の書き方を教えて欲しい」
「字」
「これは授業料だ。……日本号に文を送りたいが、生憎と日本号と俺は生まれがだいぶ違う。だから、日本号に伝わる文が書きたい」
「……」
「あの槍の姿に、そうさな。惚れたのかも知れん」
「惚」
「あんなに酒が甘く感じられたのは、奴のお陰だろうなぁ……」
「……いっそ2人まとめて講義を受けさせた方が早いかも知れんな」
冷蔵庫の扉を閉める。これから巻き込まれる事態を想定すると、早々に仕事を終わらせ、主の顔が見たかった。そして晩酌をして寝てしまいたかった。酒を飲んで眠れば、直前に見た主の顔がよく覚えていられるから。
三日月の始末書。手書きの文字。彼の筆致がいつもよりやや蕩けた様子なのも気のせいではないのだろう。そう思いながら、長谷部は溜息を吐いた。
手書きの文字
(ファーストミッション:ジェネレーションギャップを埋めろ)
End.