▼まんばは人間のDKですが三日月の爺様はそのまんまです
▼散歩の途中で差し掛かった公園にわっとたくさんのトンボが舞い上がったのを見て思いついた話。
pixivからの転載
ここは田舎町。朝、学校に行くのに近道をする公園がある。公園とは名ばかりの、遊具よりも雑草の芝生や木々が生い茂ることを優先とした、平たくいえば野原だ。そこをショートカットに使うのは、目に優しいその光景を好んでのことでもある。春は桜が散り夏は緑が燃ゆる、秋は赤く染まり冬は枝に雪が実る。今は夏の終わりかけ。秋のはじまりを告げるように風が涼しい。草は枯れて敷き詰められ、黄金色の絨毯を敷いていた。
自身が、その青年を見たのは秋風の吹き、よく晴れた朝のことだ。
青い狩衣を着た、美しい造型の男だ。それがヒトでないのは一目で看取した。この田舎であのような見目と衣装では、瞬く間に噂が千里を駆けるだろう。それに纏う空気が、ヒトとしてはあり得ないほどに静謐すぎた。自身は生まれつきとても目が良い。おかげで、青年の目もよく見えた――双眸に宿る三日月も。
(平安時代なら三日月の君、とでも呼ばれるところだろうか)
その青年は、蜻蛉を纏って歩いていた。
アキアカネかタイリクアカネかナツアカネか。区別などつかない。少なくとも、その青年が歩く度に先触れするのは赤い蜻蛉だった。透明な羽根で、青年に侍るように蜻蛉が付き添う。まるで貴人に誰をも触れさせないように、蜻蛉が頭から足元まで侍っていた。
蜻蛉の精霊か何かだろうか。蜻蛉といえば、日本では古くから珍重されていると聞く。さて、何の象徴だっただろう――そこまで考え、はたと思い出す。自分は今、学校に行く途中だったではないか。慌てて背中を向けた。
「もし」
赤とんぼが自身に回り込んできたのは、背後から声を掛けられたときだ。
「もし。国広や」
「――」
名前を呼ばれた。しかし、返事をしたものか。どう考えてもこの世のものではないそれに迂闊に声を出せばどうなることか。だから、無言で振り返った。
三日月の瞳が、こちらを見ていた。訴えるような双眸が、自身の足を縫い止める。蜻蛉が舞い、その形の良い指に乗る。それを見詰めた。そして思い出す。
蜻蛉は勝ち虫だ。不退転の虫。前にしか進まない、ゆえに武士に好かれた虫。
(ならば、そんな虫に傅かれているこの男は)
「国広。忘れたのか。国広」
名を呼ぶ。名を、呼ばれる。その度に脳みそがふるいにかけられる。思い出す、思い出してはならないことが。フード越しに頭を押さえる。しかし、蜻蛉と三日月の双眸から目を逸らすことはできない。
その目が、かなしそうに細められた。
声が、切なく自分を求めてきた。それだけは、身に沁み身を縛るほどに伝わって。動くことができない。
あの目を、自分はいつの日か置いていった。それだけがなぜかわかったのだ。
「忘れたのか、国広」
「俺と共に、最後まで最期まで、突き進み戦い続けることを誓っただろうに」
「俺の手を取って、戦ってくれただろう」
「引き返すことを知らぬ蜻蛉のように」
「……国広」
手が、震える。
「国広」
なんとか、手を伸ばした。今にも泣きそうな、あの青年へ。
「くにひろ」
青年は、か細く見える手で握り替えした。
蜻蛉が、飛んだ。空が暗んだ。
野原を蜻蛉が飛ぶ。赤とんぼばかりが飛ぶ。やがて人がやって来るだろう。学校に来ず、そのまま行方知れずとなった金髪の少年を捜して。
蜻蛉ばかりが飛んでいる、その野原に。
秋津ヶ原
了