※pixivからの転載
蝉が泣き喚く。太陽から注ぐ日差しは強い。時折吹く風は熱を伴っていた。
この本丸に夏以外の季節は来ない。
「五虎退。主を見なかったか」
括り上げた髪にも熱が籠もる。汗ばんだうなじをやや涼しい風が吹き付け、涼を得られた。書類を片手に粟田口の部屋を訪ねると、目当ての人物は絵本から顔を上げる。そして首を傾げた。
「あるじさまですか。あるじさまは執務室でお仕事をなさってましたよ。さっき僕がジュースを届けました。そしたら次に呼びに来るまで下がって良いって」
「そうかい。有難う」
「蜂須賀さん早く閉めてください。熱風が入ってくるー」
障子を開いたままで尋ねていたら、他の粟田口の者から文句が出る。蜂須賀が立っていたのは縁側。障子を開くと空調が効いていた。訴えを素直に受け入れて早々に障子を閉める。
そして縁側を歩き出した。執務室は、ここからさして離れていない。
蝉が泣き喚く。畳の上に横たえられた少女の体。縦に並べられたすだれの隙間から、夏の日差しが差し込む。腹にかけたバスタオルを握る手に、汗が滲んでいるようだった。
「主」
文机には書類が散見される。五虎退が持ってきたものだろう、グラスの中で氷が溶けていた。刹那、氷が割れる。
他の部屋と異なり、審神者の執務室には空調がない。それは彼女の私室も同様だ。常に夏のこの本丸はときに熱帯夜ももたらす。にも関わらず、審神者は他の部屋のように空調を設置しようとしない。熱中症の心配もされているが、彼女は構おうとしなかった。こうして昼寝をしている姿も珍しくないが、暑い中眠くなるのは熱中症の兆候とも聞く。
「主」
囁くように審神者を呼ぶ。幼い体はTシャツとスカートを纏っている。長い黒髪が畳の上にざんばらに広がっていた。いつも思うが、枕がなくて首が痛くないのだろうか。蜂須賀は暑さによりややぼけた意識で考える。そも、彼は彼女より厚手の格好――着流しの上に羽織を着ていた。暑さより見栄えを優先していたが、彼のきょうだいは遠慮せずに脱いでいる。彼らを見習って自分も薄着の工夫をしようかと考えているこの頃だ。刀剣男士は体が頑丈で今のところ熱中症患者は出ていないが、それも保障され続けているものでもなかった。
「主」
そもそも、主が夏以外の季節を景趣にしてくれれば解決する話だった。しかし彼女は決して、夏以外の景趣にしようとしない。それは初期刀の蜂須賀が知る限り、この本丸がはじまってからずっとだ。その理由を、蜂須賀は知らない。ひょっとしたら近侍を務めることの多い五虎退は何かしら聞いているかも知れないが、彼の口からそれに関することはもたらされたことがなかった。
「主」
蝉が泣き喚く。審神者の前に屈み込む。太陽がやや傾いてきているのだろう、蜂須賀の影が審神者に差し掛かった。そういえばこの部屋は西側だったのか。そんなことを思っていると、不意に審神者が寝返りを打った。蜂須賀の方に顔が向く。起きないかと、顔を覗き込んだ。
その顔が、苦渋に満ちていた。
「……寒い」
口から、気温と無縁の言葉がこぼれた。
審神者は寝たまま、自らの体を抱きしめる。バスタオルが畳に落ちた。体を縮こまらせる審神者の様子に、焦った蜂須賀はより顔を近づけた。審神者の口からは、吐息混じりの呟きが漏れ続ける。
「寒い……寒いよ……」
蝉が泣き喚く。
「お父さん……お母さん……」
蝉が泣き喚く。
「……やめて……」
蝉が泣き喚く。
「食べないで」
蝉が泣き喚く。
「お父さんとお母さんを食べないで」
泣きやんだ。
跳ね起きた。
「――……あ……蜂須賀。どうしたの」
蜂須賀は目を瞬く。尻餅を搗かなかったのが不思議だった。飛び起きた審神者を避けられたのは刀剣男士の反射神経の賜物だ。しかし驚いている蜂須賀に、目を見開き、そして目を伏せた審神者は、肩で息をしながらも尋ねてきた。それはいつも通りの、年齢に見合わぬ沈着な彼女で。蜂須賀は、それで、本来彼女を訪ねてきた用事を思い出す。右手に握っていた書類を差し出した。
「あぁ……君の研修先だった本丸から連絡があってね。なんでも今度の審神者会議について相談したいことがあるらしい」
「……叔父さんからか。わかった。下がって良いよ」
それまで眠っていたことが嘘のように、スムーズに半身を起こし書類を受け取る。バスタオルを片手で握ると、そのままずるずると文机の方へ畳を這っていった。その様を、普段なら無精だと叱るところだった。しかし。
「主」
「なに」
振り返る審神者に、蜂須賀は言った。
「寒くないか」
審神者は、瞼をゆっくりと開閉させる。そして、笑みを刷いた。もの悲しい笑みだった。
「『ここ』は冬にならないから、平気だよ」
背中を向ける。小さく細い背中を見つめたが、やがて立ち上がった。すだれを避けて縁側に出る。
刹那、日差しが降り注ぐ。目が眩んで手を翳した。
蝉が、再び泣きはじめていた。
了