pixivより転載
血走った目で、長谷部は宣った。
「今日はキスの日とやららしい」
「急にどうしたの」
答えたのは、執務室にて同席していた加州だ。座卓にて向かい合わせに座っていた彼は、近侍を務めている長谷部を怪訝そうに見遣る。「キスの日」という言葉自体には聞き覚え自体はあった。テレビや雑誌で見かけた気がする。それがなぜ長谷部の口からもたらされたのか。ある予感を持ちながらも加州は問う。
「魚の鱚の日とかってボケじゃないよね」
「そういうボケは100万回は見た。接吻の話だ」
「切腹……」
「加州。ボケはいらんといっているだろう。口付けの話だ」
「……で、そんな話をふってきたのは理由があるんでしょ」
「無論だ」
持っていた書類を繰りながら、長谷部は言う。
「主に合法的にキスをしてもらえる日じゃないかと思ってな」
「長谷部。眠いなら寝たら」
「毎日8時間は寝ているし三食摂っている」
「心が疲れてるんじゃないの」
「何を言う。主の元で日々主命をいただき戦場を駆け抜ける。これほど充実した生活はない」
「……というか、そもそも付き合ってるんでしょ。キスの日じゃなくてもキスしてるでしょ」
「何を言うか」
長谷部は座卓を叩く。飲み物がなくてよかった。加州はそう思った。座卓に置いた拳を固めて、長谷部は唸る。
「日本人はクリスマスやバレンタインやホワイトデーを恋人同士で祝う。それが特別な日だからだ。特別な日に特別なことをしたいと願うのは摂理だろう!」
「わかったわかった。とりあえずキスをするにしろしないにしろ目の前の仕事を片付けよう――あ、主。厠から戻ったの」
「主!? い、今の会話を聞いてましたか」
加州の言葉を遮るように障子が開かれる。目を剥いた長谷部は、思わず書類を握り潰しそうになりながら彼女を見上げた。審神者は、きょとんと目を瞬いている。
「何の話? 猥談?」
「えっちな話なら長谷部とはあんまりしないなぁ。近いものはあったけど」
「主、仕事中にするべき話ではないですよ」
顔を引き締めて長谷部は宣う。そんな彼を加州は胡乱な目で見遣った。キスがしたいと先に言い出したのはお前じゃないか。
審神者はそんな2人の会話を知らずに、ふと座卓を見下ろす。そして言った。
「お茶淹れてくるよ」
「そんな、俺が淹れるよ」
「いえ俺が」
「2人は座ってて。仕事を手伝ってくれる2人に私が淹れたいんだし。厠に行く前に言い忘れたけど休憩にしよう――長谷部はなんだか疲れてるみたいだし」
「そんなことは……」
立ち上がりかけた姿勢のままの長谷部に、審神者は微笑む。そして、彼の傍に寄って腰を屈めた。
長谷部の前髪を退けると、その額に唇を落とす。
そして身を離した。審神者は微笑んだままだ。
「なんだか知らないけど興奮してるみたいだし。鶯丸じゃないけど、落ち着いてお茶にしよう。美味しいお茶菓子ももらったからね。それにしても清光」
「なに」
「キスの日だからってノリでやるもんじゃないね。あとは頼んだ」
そういって、審神者は踵を返すと後ろ手に障子を閉めた。
その声がうわずっていたのを、加州は聞き逃さなかった――今目の前にいる男など、顔を手で覆いながら首まで赤いが。
加州は、審神者に心で叫んだ。
(恥ずかしいんならやるなよー!!)
「……主……口がよかったです……」
「黙れ長谷部」
顔を覆ったままの長谷部が欲望を吐露するのを、加州は低く吐き捨てた。
了