「俺が、何もしなければよかったのかも知れない」
彼はそういって、頭を抱えた。悲痛な声だった。自身の本丸での彼を知る身としては、あまりにもその落差が激しく、哀れさを催した。
――調査に携わったある審神者より
厚がその本丸に着任したのは、夏の名残を残す初秋のことだ。
「それで、ここがあなた方粟田口の部屋になります」
「へー、広いんだな」
着任した者は次にやって来た刀剣男士を世話すること。それがこの本丸のルールだった。特に異を唱える者はいなかったので、今回は江雪が、彼の次にやって来た厚の面倒をみているところだった。
「粟田口は大所帯です。これからも粟田口が実装されることが予想されると聴いて、主が判断なされました。希望があれば別室を用意するそうですが」
「いや、ここがいい。黒田の連中と組みたいところだが、小夜も長谷部もそういうのは嫌いそうだしな。蒲団はどうすりゃいい」
「押し入れに予備がいくらでも詰め込まれていますよ。他の方が自分の蒲団を下ろし終わって、余ったうちの一組が貴男の蒲団です」
「わかりやすいな」
「合理性を追求したと主は仰有っていました。私たちには、本当に優しくしてくださる……さて、これで一通り案内は終わりました。何か困ったことがあったら、北にある私の部屋を訪ねてください。それでは」
「おう。ありがとな」
そういって江雪は立ち去る。足音もなく髪を揺らして歩いていく彼は、やがて静かに廊下の角を曲がっていった。厚が何とはなしに嘆息したのはそのときだ。
良い雰囲気の本丸ではあると思う。鍛刀された直後に会った審神者は、人が好さそうだった。大凡白刃隊を率いる将とは思えなかったが、「争いは嫌いですが」という言葉を皮切りにはじめた江雪によると、無理な出陣はさせず、重傷になったら即撤退。手入れも放置せずその日のうちに行ってしまう。資材のバランスも整っている。そういう、所謂「ホワイト」の本丸らしいとは聴いていくうちに理解した。
ただ、ひとつ。気になったのは、江雪の――
「ひゃっ」
「うぉっなんだ」
ぼんやりと、粟田口部屋の前で立ちつくしていた厚。その腰の辺りに何かがぶつかってきた。悲鳴が上がる。――これは子どもの声か。短刀の誰かだろうか。苦笑して振り返った。
「こら。俺は今日来たばっかりなんだから奇襲は勘弁してくれよ」
「あ……ご免なさい。前を見てなかった」
「――」
振り向いて、驚く。そこにいたのは、どう見ても幼い少女だった。年の頃は10才にも満たないだろう。襟の伸びきった大人向けサイズのTシャツをワンピースのように着ている。首には黒いチョーカーのようなものが巻かれていた。髪はぼさぼさで長い。足は裸足だ。
少女のような装いをする藤四郎とはもう会った。この本丸の初鍛刀だという彼はオレンジ色の髪に碧眼。しかしこの少女は、どう見ても平均的な日本人の肌色と髪と目をしていた。だから、余計に混乱する。この少女は一体誰だ。
少女は、困惑する厚に構わず頭をひとつ下げた。
「本当にご免なさい。次があったら気を付けるから」
「あ、おい」
厚の横をすり抜けて、少女は駆け去る。手を伸ばしても、その少女はやがて角を曲がって見えなくなった。
呆然と、残された厚は、少女の去ったあとを見る。この本丸に着任して1時間弱。もう疑問が出てしまった。
「なぁ、江雪さん」
「呼び捨てで構いませんよ」
「なら江雪。刀剣男士って、男体しかいないんだよな」
厚が疑問をぶつけたのは、その日の大広間での夕食でのことだ。いくつもの四角い卓袱台をくっつけたものに食事の膳が配置されている。上座には審神者が座っていた。同じ粟田口の誘いを断り、小夜を挟んで左文字で座る江雪の隣に「世話係」を口実につけて陣取った。静かに箸を運ぶ江雪に、心持ち低い声で尋ねる。江雪は伏せ勝ちの目を厚に向けた。
「ええ。男性の体を持った者だけですよ。余所の本丸では、バグとやらで女性の体を持って鍛刀される刀剣女士というのもいるそうですが、少なくともウチの本丸にそういう例はありません」
「隠してるって場合は」
「ウチの風呂は大浴場です。……まぁ、主の私室に個人風呂があるそうですが、基本的には刀剣は大浴場を使っています。使っていない刀剣は、今のところ見たことはありませんね。……それがどうしましたか」
「……」
厚は、自らの疑問の可能性を悉く潰されたことを知った。だから、代わりにぶつけられた疑問に、彼はただ答えることしかできなかった。その声は、存外、大広間に響いた。
「女の子がいたんだ。10才にも満たないぐらいの」
――刹那。水を打ったように室内が静まりかえる。
厚は慌てて辺りを見渡した。何か不味いことをいっただろうか。きょろきょろとする厚に、上座の審神者が、ゆったりと声を掛けてくる。
「その子はお客様だよ。好きなようにさせておいて。御役目のためにこの本丸にいるんだから」
「……そうなのか」
審神者以外に、誰も言葉を発しなかった。ただ、黙々と目の前の食事を平らげることに集中しようとしていた。
どうやら、その「御役目」とやらは余程の大事らしい。なんとなく、そう思った。
そんな大事なら、政府も関わっていることだろうか。なら、政府との交渉係だというこんのすけに聴けばわかるだろうか。夕食を食べ終えたらこんのすけを探そう。そう決めた。
結果として、こんのすけは最後まで姿を見せなかった。あるいは、見せることができなかったのかも知れない。
その少女に2度目に会ったのは、畑内番のときだ。
まだ残暑の厳しい季節。汗ばむ陽気に、額の汗を拭った。まだ土いじりというものに慣れていない。辿々しい手で、この日同じ畑内番だった薬研に教わった通りに、畑になったトマトを収穫していた。ちょうど、薬研は厠へと席を外していたときだった。
「ご精が出ますね」
不意に、声を掛けられて振り返る。聞き覚えのある声だった。トマトを片手に見れば、果たして、予想していた通りの人物だった。
襟の伸びきったTシャツをワンピースのように着た、ぼさぼさの黒髪の少女。よれて薄汚れたTシャツと同様のクロックスに対し、首のチョーカーは真新しく見える。それに違和感を覚えながらも、口を突いて出たのは、
「あんた、まだここにいたのか」
という言葉だった。審神者にこの少女は客分だと聴いていた。大抵、客というのは長く逗留しないものである。とはいっても、厚がこの本丸に来てまだ2,3日だ。参勤交代を思えば短いものだ。そう思いながらの言葉だったが――少女は、厚の言葉に苦く笑う。その手が、チョーカーに触れた。
「うん。出してもらえないからね」
「――? どういうことだ」
「あのおじさんからは何も聴いてないの」
少女に不思議そうに問われ、厚は思考を巡らせる。「あのおじさん」。恐らく少女が指し示してるのは審神者のことだろう。現在この本丸にいる刀剣男士で、年嵩に見えるのは石切丸や山伏、あと長谷部だろうか。しかしなぜか彼らとは思えなかった。恐らく審神者がいかにも人の好さそうな中年男性のせいだろう。中年太りもしているし、なにより頭部がすだれ模様の冬景色だ。この本丸の中でおじさんofおじさんを選ぶとしたら全員が全員審神者を示すだろうことは想像に難くなかった。閑話休題。厚は先日の夕食で聴かされたことをそのまま答える。曰く、客分で、大切な御役目があるから放っておけといわれたと。
すると、少女は今度こそ笑った。嗤った、という方が近かったかも知れない。
「そうだね、『大事な御役目』があるね。……お兄さんはそれ以上は知らないんだね」
「おう、大将からはそれしか訊いてないな。……1個食べるか?」
「ありがとう」
持っていたトマトを、手拭いで拭いてヘタを千切り取ってから少女に手渡す。少女はその場でトマトにかぶりついた。熟したトマトが少女の口に吸い込まれていく。ぼんやりとそれを眺めていた厚だったが、やがて少女がトマトを食べ終えると、何とはなしに尋ねた。
「なぁ。『御役目』ってなんだ」
「――」
「……って、俺が訊いたらまずい話か?」
口を手の甲で拭っていた少女は、厚の言葉に顔を強張らせた。それを見て厚は焦る。こんな子どもにできることは思いつかないが、自分も短刀男士として子どもの姿で顕現している。ひょっとしたら人間の子どもでも今の時代ならできることがあるかも知れない。そう思ったからだったが――少女は、辺りを見渡すと、そっと厚に近寄った。
「あのね」
恐る恐るといった様子で、少女は口を開いた。
「私の『御役目』っていうのはね」
「おーい厚、待たせたな」
「薬研。――あ、おい」
薬研の低い声が向こうから届く。厠から戻ってきたらしい。すると、少女は身を翻した。厚が止める間もなく、少女は背を向けてどこかに立ち去る。
「? どうした、厚」
「ああ、うん……」
薬研は手拭いで手を拭きながら戻ってきた。それを尻目に、厚はトマトの収穫に戻ることにする。少女の言葉に引っかかりを覚えながら。
3度目。その日は、朝からぴりぴりしていたと厚は思った。
尤も、ぴりぴりしているのは刀剣男士たちの間だけで、審神者はなんともなかった。寧ろ上機嫌だと、厚は感じた。なんで上機嫌なのかは、わからなかったが「今日は客が来る」という言葉で納得することにした。この日は出陣の予定は入れられておらず、全ての部隊が遠征に赴くことになっていた。
厚はといえば、まだ練度不足で遠征要員には入れられていない。出陣で練度を上げねばならないが、その出陣がない。手合わせの内番もないから、この日は顕現されてはじめてまともな休日となった。しかし、まだ趣味らしいものはなく、同じ粟田口は皆遠征に赴いている。仕方ないので家事の手伝いでもしようかと考えていた。
しかし、洗濯室を見ても、誰もいない。厨を見ても誰もいない。今日は客が来るはずなのに準備もしていないのだろうか。これはどうしたことかと、初日に教えられた江雪の部屋を訪ねることにした。正確には左文字の部屋である。
訪ねていく道中、どの部屋も静まりかえっていた。誰も廊下を歩いていない。昼間だというのに談笑する声も聞こえない。
角を曲がって、3番目の部屋。そこが左文字の部屋だった。障子の前に立ち、声をかけようとしたとき、その会話は漏れ聞こえた。
「……いつまでこんなことを続けるんでしょうね、主は」
「あれは……もう、どうしようもないのでしょう。せめて、今の少女も、これから来てしまうだろう子どもらにも、平穏が訪れることを祈りましょう……」
「あの子たちは……復讐を求めるだろうね……」
「――入っていいか」
「おや、厚殿。どうされましたか」
聞こえてきた会話は不穏だったが、そのまま立ち聞きしているのも気が引けたので、断りを入れて入ることにする。障子を開くと、左文字兄弟が車座になって座っていた。厚が入ってくると、宗三と小夜は視線を逸らす。江雪は入って来た厚に膝を向けた。厚は頭を掻きながら尋ねることにする。
「あのさ、今日、なんで誰も外にいないんだ。俺は今日は休みなんだけど、客が来るって訊いたから準備を手伝おうと思って厨とかも訪ねたんだけど、誰もいないし。いいのかなって」
「あぁ、そのことですか。いいのですよ、何もしなくても」
「え、でも」
「『彼ら』は自分たちで簡易な水や食料も持ち込んでくるそうですから。何か必要になったら主が自ら用意するので、我々の手伝いは必要ないそうです」
「そうなのか……」
「あと」
江雪は言った。
「今日は、夕食まであまり表に出ない方がいいですよ」
「なんで」
「……理由も、知らない方がよいでしょう」
厚の質問を、このときの江雪は答えなかった。
そして結局、厚はこのときの江雪の言葉を聞き入れなかった。
「あーあ、暇だな」
欠伸混じりに庭を歩く。ここの本丸の庭はそこそこ広い。あまり庭の手入れ自体は熱心にされていないようだが、それでも自然に咲く花は美しかった。それらを眺めながらぼんやりと歩いていた。反芻するのは、左文字部屋で漏れ聞いた彼らの会話だ。特に、気になったのは江雪の言葉だった。
『せめて、今の少女も、これから来てしまう子どもらにも、平穏が訪れることを祈りましょう』
(少女って、ひょっとしてあの女の子のことか? まさかな)
根拠もなく、自身の考えを否定する。この瞬間の厚は、まだ幸せだったかも知れない。
とりとめもなく思考を巡らせながらぐるりと歩いていた先。そういえばまだ来たことのなかった場所に、厚はやって来た。
そこに、ゲートがあった。そして審神者が立っていた。あの少女も、彼の傍らに立っていた。
(なんで裏手にもゲートがあるんだ? ゲートって普通ひとつじゃないのか)
反射で身を引っ込めたのは、もしかしたら頭のどこかでは事の次第をわかっていたのかも知れない。建物の影からそっと覗いていると、ゲートから人がやって来た。それも複数。
(あれが客か?)
そう思いながらも、厚は違和感を覚えた。なにせ彼らは機械のようなものをそれぞれ携えていたからだ。のちにそれが「機材」と呼ばれるものだと知ることになる。彼らは審神者と何事かを話していた。談笑といってよかったが、それにしては下卑ているように感じた。困惑した。着任して日が浅いが、審神者のそのような姿は見たことがなかった。あるいは、隠されていたのか。
審神者たちはどこかへ歩いていく。少女はその場に立ちつくしていた――かと思うと、審神者に腕を引っ張られる。
「行くぞ」
「――」
少女は抵抗するようなそぶりを見せたが、審神者に強く引っ張られると、もうそのまま引き摺られていった。
厚は、無言で彼らのあとを追った。
審神者たちが入っていったのは、ひとつの部屋だった。障子を開け放ち、機材を搬入している。その様子を木陰から覗いていた。まだ練度は特にも達していないが、刀剣男士の視力は人間のそれよりも強化されている。今の位置からなら中の様子がよく見えた。
部屋の中央。そこでは審神者が蒲団を敷いていた。機材がその蒲団を囲うように置かれる。少女は人形のように、部屋の隅に座っていた。会話は聞こえない。
やがて何かの準備が整ったらしい。のちに「カメラ」だと知るそれが回され出したとき、審神者は少女の腕を引っ張った。少女は嫌がる様子を見せたが、やがて蒲団の上に引っ張られる。声は聞こえない。
厚は目を瞠った。少女は相変わらずTシャツ1枚だった。そのTシャツの裾が、審神者によってゆっくりと捲られる。少女はTシャツの下はパンツ以外何も着ていなかった。それがわかったのは、そこまで捲られていったからだ。
審神者の舌が少女の小さな尖りに触れ、右手は少女の下着へと伸びた。声は、聞こえない。
初日の江雪の言葉が蘇る。
『私たち”には”、本当に優しくしてくださる』
厚の頭がスパークしたのと、その部屋に乱入し、審神者の手から少女を奪ったのはほぼ同時だった。
「どこに行くの」
「逃げるんだよ!」
刀剣男士の足と、人間の少女の足とでは速さが違う。その上少女は裸足だ。いっそ抱えた方が早かったが、このときの厚にはその発想は浮かばなかった。少女を引っ張る形で走りながら厚は唸る。
「大将があんなことをしてたなんて――」
「前からだし、私がはじめてじゃないよ。あなたは最近来たから知らないだろうけど」
「え――」
思わず立ち止まる。やがて審神者たちが追いかけてくるのが見えたので再び走り出したが、少女は息を切らしながらも話を続けた。
「私は家出をした先で捕まってここに来た。ここに来たとき、私の前に私と同い年ぐらいの子がいたし、その子は私が来るとどこかに連れて行かれた。たぶん、生きてないと思う」
「――」
「私の『御役目』はね。ここで、大人の男の人たちに気持ち悪いことをされて、それを撮影されることなの。すくなくとも、ご飯は食べさせてもらえる。おうちにいたときよりそこだけはましかな」
「――」
「……あなたがはじめてだよ。怒って、こうして連れ出してくれたのは。でも、ここまででいい」
表のゲートの前。誰もいない。政府へのコードを入力させている最中、少女は厚の手を放した。
厚が目を見開く前で、少女は微笑んだ。
「私はここを出ると生きていけないから」
「何を言ってんだよ! ここにいたってろくな目に遭ってないだろ!」
コードを入力し終える。政府へのゲートが繋がった。空間の向こうに施設が見える。厚は再び少女の手を取った。
「部下を大切にしない奴はひどい目に遭う。でも女子どもを大切にしないどころか無体を働くのは、もっと非道だ! こんな主の元にはいられるか! 一緒に政府に行くぞ!」
厚はゲートを潜り抜ける。少女の腕を引っ張った。少女の体が、すべて政府施設側に滑り込んだ。
途端に、少女の目に諦観が宿る。
首のチョーカーが点滅しだした。それを見る厚に、少女は問いかける。
「ねぇ。あなたの名前は」
「え? あぁ、俺は厚藤四郎」
「そう。私はね」
少女の言葉は続かなかった。
チョーカーが爆発したからだ。
少女の首が吹き飛び、床に転がる。少女の首のない体がぐらりと傾ぐ。やがて施設内から悲鳴が上がり出す。血飛沫を浴びた厚は、呆然と、少女の体を支えた。
何が起きたのかわからなかった。ただ、漠然と、恐らく少女を「本丸の外」に出したから爆発したのだろうと、見当が付いた。
『私はここを出ると生きていけないから』
あれは、事実をそのままに言っていたのだ。やがて武装した政府職員が駆けつけてくる。厚はただ呆然と、少女の体を支え続けた。
『キッズポルノ本丸』
罪状:本丸不正利用、ゲート不正増設、殺人、児童虐待、人身売買、未成年者略取、……
■■国No.●●●●●●審神者
・14人の子どもを本丸に連れ込み、性的暴行を行いその様子を撮影した動画を売買
・共犯グループとはネットを通じて共謀
・13人の子どもの遺体は本丸内に埋める
・14人すべての子どもの首に本丸を出ると発動するセンサー付爆弾を装着させていた。子どもたちにはそのことで脅して動きを拘束していたと供述
14人目は厚藤四郎(後述)に本丸から政府施設に移動したことで爆弾が作動。即死
・「本丸を使えば子どもを拉致監禁しておくのに便利だと思った」と供述
・所属する刀剣男士33名のうち32名は保護、別本丸に配属
・残り1名の厚藤四郎は現在(22**/09/25)も放心状態が継続 要観察
補遺
当本丸の厚藤四郎は22**/09/30に正気を取り戻したものの、重度の鬱状態が見られる
刀剣男士カウンセラーの処置が求められる