▼この中だと清光が1番冷静です。手早く項にチョップ食らわせて失神させて縛って放置します。それから堀川のケアに入ります。普段色々出ている分、対処が冷静そう。
ひと目ぼれでした。審神者は、正座させられた上でそう宣った。最初の近侍の山姥切が、長めの前髪と被ったぼろ布越しにきつく睨んでいる。今にも斬りかかりそうだ。実際、他の刀剣男士やこんのすけに留められなければそうしていただろう。偽物だといわれようと、一応は兄弟のくくりだ。山伏に対して同様、堀川にも情はあるらしい。こんのすけは、絶賛現実逃避をしていた。審神者のサポート兼監視役として、23世紀の政府から審神者や山姥切と共に追従して来て1ヶ月も経たない。しかし、こんのすけ越しの政府の審神者は、猛烈にこの現場から離れたかった。自分が現場にいた時だって、こんな事はなかったのに。
ここの審神者は、特に問題はない。なかったのだ。200年程前に生まれたブラック企業という言葉。それをもじったブラック本丸というやり方の部隊の運営もしていない。遡れば200年前、人類が制海権を巡って戦っていた時にもブラック鎮守府という言葉が密かに流行ったという。地獄には超過労働を強いた事への罪に対する部署もあるというから、こればかりは人類が存続している限りなくならない問題なのかも知れない――が、それに類する事もしていない。毎日のように鍛刀でやってくる山姥切に悲鳴を上げる以外では、ごくごく普通の、良心的な審神者だったのだ。これまでは。
「おい、あんた。なら、説明して貰おうか」
「や、山姥切。落ち着いて」
「堀川、被害者のお前が怒るところだろうが!」
「だって……」
今にも切れ味鋭い本体を抜かんばかりの弟分を、堀川が宥める。こんのすけには、この場合の反応は山姥切の方が正しいように思えた。堀川自身は、着任したばかりで現状の把握が出来ていないのだろう。あどけなく整った顔に困惑の色ばかり滲ませながら、それでも打刀の彼を必死におさえている。その中で、審神者はぽつり。性別・年齢をシャットアウトする特殊な面越しに、呟いた。
「堀川国広くん、だっけ」
「はい、そうですけど」
肯く彼に、審神者はほぅ、と溜息を吐いた。それは恍惚の吐息だったと、こんのすけは看破してしまった。自身の眼力を、今程呪った事はない。そんなこんのすけの煩悶に構わず、審神者は宣った。
「彼の新撰組副長、土方歳三の脇差し……さすがだなぁ」
「おい」
「繰り返すようだけど、ひと目ぼれです。どうか! どうか私をそのおみ足で踏んでください!!」
「首を差し出せ!」
「ちょ、え、待ってとりあえず山姥切、落ち着いてー!!」
「ま、待て山姥切、それは僕の台詞だ! あと思いとどまれ!! 何があった!?」
土下座する審神者、とうとう抜刀した山姥切、それを羽交い締めにするも膂力の差により負けそうな堀川、堀川に加勢する歌仙――現場は混沌としていた。
こんのすけは、大事な事なのでもう1度思った。帰りたい。
その貼り紙を見た時、和泉守は目を瞬いた。着任初日の事である。
「何だこれ」
「あんたには特に組んで貰いたい特殊内番」
横から出てきた者の声に、振り向く。自身と同様に黒髪を伸ばしているが、きちんと括っている。口元のホクロと赤い眼が特徴の青年だ。「あんたとは接触らしい接触はなかったけど、加州清光だよ。池田屋事変までは沖田君の打刀だった」と自ら名乗ってきたので納得した。つまり同じ新撰組の刀剣男士という訳だ。それに頷きながら、自身がやってきた本丸の、廊下に作られた掲示板。その1枚を眺める。
内番というものがあるのは、既に把握している。刀剣男士として、政府から分霊として送られてきて、そういった本丸で過ごす為の基礎知識はインプットされていた。だが、自身が知る内番は3種類。馬当番、畑当番、それに手合わせだ。自身が楽しみにしているのは3番目のものだが、この「堀川国広を守る会」とやらは知らない。というか、恐らく、他の本丸にはない。戸惑いながらそれを示す。堀川国広といえば、自身の相棒だ。何だかんだと、同じ主の元で過ごした大事な仲間だ。そんな彼に、ここだと危険があるらしい。しかも、審神者から。ここは所謂ブラック本丸なのだろうか、そういった不安が顔に出ていたらしい。加州は頭を振った。
「あぁ、うん、大丈夫。あんたは好みじゃないだろうから。というか、多分堀川以外は好みじゃないと思うよ」
「好みって……おい、まさか、ここの主に国広の奴、ケツ狙われてんのか」
青ざめる。自身の主人が大の女好き、反面、新撰組の中で流行った衆道を好んでいなかった事は知っている。特に土方と付き合いの長かった堀川が、昔彼の元で過ごしていた頃に呆れて笑いながら教えてくれた事だ。その堀川の貞操が危ないのか。直ぐに血の気が上がりそうになるが、かえってきたのは、深い深い溜息だった。肩を竦めて、加州は頭を振る。
「そっちの方がまだマシだったかもね……」
「は」
「おいゴルァ主! 隙見せりゃまた何してやがる!!」
途端、右方から聞こえてきたのは怒鳴り声だ。こちらは聞き覚えがある気もする。確か大和守安定、沖田の愛刀の一振りではなかったか。驚いて駆け寄ろうとした自身より速く、加州がそちらへと走り出した。それについていきながら、加州がぼやく。
「あーあ、何で血の気の多いあいつの時に怒らせるかなぁ」
「お、おい、何が起きてるんだよ」
戦闘時の自身の事は棚に放り投げて呟く、加州に困惑して問う。括った髪を棚引かせて前方を駆ける彼は、「見ればわかるよ」と、その一室の前で立ち止まった。慌てて自分も蹈鞴を踏む。そして見た。障子の開かれたままのその一室、この本丸の主の執務室を。
一期一振に羽交い締めにされながら、刀を振り回そうとしている、同じ新撰組の羽織を羽織った青年。どこか、沖田の面影を感じさせる彼が大和守なのだろう。先程届いてきた怒鳴り声と同じ声で「ほらほら、これが嬉しいんだろ? これで満足しろよ!」と、足下に審神者の面隠しした顔の頭を踏みつけている。……面隠しの隙間から見えた頬が赤くほてっていたように見えたのは、和泉守の幻だと思いたかった。だが、彼の幻想は審神者の声で打ち砕かれる。
「悪くない、悪くないけど! 私が欲しいのは堀川君のおみ足! 堀川君みたいな上品そうで知的できれいで可愛い子に踏まれたいの!! 堀川君のおみ足に踏まれたいの!! 堀川君、ほら、怖くないからこっち来て私を踏んで!!」
「そ、そっち行ったら安定が余計に怒りますよ……」
「その通りだよ国広、こっち来るな! 今僕がこの変態被虐趣味審神者の首を落として殺してやるから!!」
「待て、落ち着いてくれ大和守! ――あ、丁度良かった2人とも! 審神者を捕縛してくれ!!」
「はいはい」
いいながら、どこから取り出したのか。加州が縄を手にしている。そして足早に室内に入り込むと、大和守に踏まれていた審神者の両脚を掴んで引っ張る。大根のようだ。目の前の光景の情報処理を、エーテル体で形成された脳が拒否する。慣れた手つきで審神者の体を体育座りさせて縛る彼の縄裁きは捕り物を見ているようだ。その間も「堀川君に縛られたい」と宣い続ける審神者を呆然と眺めていた。すると審神者は、漸く和泉守に気付いたらしい。ころりと声を変えた。
「あ、あんたが例の『兼さん』? よかったね堀川君、相棒が来たよ!」
「か、兼さん! よかった、やっと来てくれたんだね!!」
「兼さんって、和泉守の方の兼定!? 遅いんだよ!」
まだ興奮しながらも、しっかりと縛られた審神者に安堵したのか。刀を降ろす大和守は、障子の前で呆然と立ちつくしていた和泉守に怒鳴る。一期一振も「あぁ、君が例の」と心から安堵した様子だ。駆け寄ってくる相棒は、喜色の他に彼らと同じ安堵を浮かべている。……堀川の目尻に涙が溜まっているのは、こればかりは目の錯覚ではないだろう。自身の袖を掴んで喜ぶ堀川は「よかった、やっと会えた」と声を震わせていた。
そんな彼らの前で、和泉守は口にする。
「なんだここ。地獄か」
「地獄の方がマシじゃないかな」
「特に主にとっては地獄の方がいいんじゃない、性癖的に」
「地獄の鬼が堀川君みたいな獄卒ばっかりだったら天国だね!」
「主……」
縛られ転がされて、尚、畳の上で元気な声を張り上げる。そんな審神者に、一期一振が目頭を押さえた。「以前はこんな方ではなかったのに」とぼやくのが聞こえる。ひとまず、無意識に堀川を自身の背中へとやりながら、和泉守は察した。
とんでもねぇところに配属されちまった。
「マゾヒスト、という言葉を御存知ですか。ここの審神者殿はそういったフェティシズムのようで」
訊きたくなかった言葉。本人、否、本狐も嫌なのだろう。大和守と交代する形で「堀川国広を守る会」の内番を請け負う事になった際、こんのすけから「ここに着任する刀剣男士には最初に説明する」という前置きをされ、そんな言葉を吐かれた。まぞひすと、ふぇち。石切丸が沈痛な面持ちで黙っている。そういえばなぜ彼が共に配属しているのか。目をやれば、「君が太刀だからね」と答えられる。そういえば石切丸は大太刀だ。しかしそれに何の関係があるのか。石切丸と同様の雰囲気で、こんのすけはいった。
「以前はそういった傾向は……今にして思うとありましたが、それでもあそこまでひどくありませんでした。ですが、堀川殿が着任された瞬間に」
「爆発した、と」
「ご明察。……以来、普段はいいのですが、堀川殿と顔を合わせる度にこれでして。最初の時は、ここの審神者殿の最初の近侍であられる山姥切殿が大層怒りまして」
「あぁ、あのぼろ布をかぶった……」
いわれて思い出す。自身がやってきた時、「やっと来たか」と山伏と共に呟いていた金髪の男だろう。自身が写しであるという事にひどくコンプレックスを抱いているというが、偽物といわれている堀川に対しても兄弟の情はあるらしい。根暗そうだが実は良い奴なんだな、そんな好印象を抱いたところでふと思い出す。最初の近侍、つまり大抵はその本丸で最も練度が高い刀だ。しかも打刀は実用性が高い。よくあの審神者は今でも健在なものだ。それを問えば「堀川殿と、丁度通り過ぎた歌仙殿が一緒に止めて下さいまして」と答える。なるほど、打刀と脇差しで何とか止めたらしい。そしてふと、そういえば「堀川(略)会」の内番。先程は大和守と一期一振だったという。前者はわかる、同じ新撰組の刀剣男士だ。しかし、後者は全く関係のない、時代も異なる刀だ。そしてふと、共通項に気付く。
今、自身が組んでいる石切丸は大太刀だ。自身より膂力が強い。大和守と一期一振も、打刀と太刀だ。そして、どちらも堀川と直接関係がない。こんのすけは吐息混じりにいった。
「この特殊内番は山姥切殿が提案されたものでして。片方は自分達国広兄弟か、新撰組の刀剣男士。片方は自分達より強い且つ冷静な刀剣男士で組もう、と。さすがに審神者殿を斬り殺す訳にいかないという事で」
「国広にあんな風に迫る審神者にか」
「普段は本当に良心的な方なんですよ……本当に」
こんのすけが前足で顔を覆う。石切丸も同様の仕種だ。……どうやら、日頃との落差がひどいらしい。確かに、あの自身への毒気のない呼びかけを思うと、普段は「良い奴」なのだろう。堀川に対しての執着以外では。和泉守も額を押さえる。
確かに、あの審神者の妄言通り、見目がよいのは認める。和泉守と比べると大人しそうだ。見ようによっては品もあるように見えるし、血の気の多い和泉守や、他の新撰組の刀剣男士に比べれば温厚な方だろう。但し、戦闘時以外は――既に共に出陣を終えた上での感想である。審神者に対しても強く出られないだろう。頭が痛い。人の身体を得る事が苦痛も伴うとは。そんな事を思いながら、ふと顔を上げる。毛繕いをしていたこんのすけに、和泉守はふと問うた。
「でも、何で国広……堀川なんだ。もっとやってくれ、っていえば積極的に踏んでくれる奴だっているだろうに。みんな見てくれもいいだろ、俺みたいに」
「最後のひと言は余計でしたね」
「うーん、私も大概色んなものを祓ってきたけど……主の場合は、抑圧されたものを無意識に発散しようとしてあんな行動に出ているんだと思うよ」
顎に手を添える、石切丸がいう。怪訝そうな和泉守に、「主殿の生まれる200年ぐらい前からその傾向があったらしいけどね」と彼は説明する。
「たとえば、今の日本人男性は『さらりーまん』と呼ばれる仕事に就いているものがほとんどだ。雇われ人だね。これにも色々あるんだが……特に家庭持ちの場合、上からも下からも突き上げられ、身も心もがっちがちだ。こうなると、ただのお祓いじゃ効かない。いきなり不意を突いて上から叩き潰すぐらいじゃないと、この固まったものというのは崩れないんだよ」
「……つまり、ここの主にとっては国広がそうだと」
「ここの審神者殿は、本当に普段は良心的で頑張りすぎるところがありますから。出来るだけ私も政府に交渉しているんですが……」
暗に、上から圧力がかかっている事を仄めかす。それに、和泉守は顔を顰めた。
腐るのは、末端からではない。いつも中枢からだ。ブラック本丸と呼ばれるところが存在するのは、それを看過している「上」がいるからだ。ここで短刀達の笑い声が響いているのも、偏に審神者が「それ」を耐えているから。事実上、下の者となる自分達にとっては良き主だ。しかし、どこかで息を抜かないと、崩れてしまう――その矢先に、現れたのが堀川だった。
「端的にいえば、本当にひたすら『好み』だったんでしょうね」
とは、こんのすけの談だ。よく訊くと女性らしいその声は、溜息を溢した。
「好みの『上司』、自分にとって理想の主。自分を抑圧するものを全部突き崩してくれそうで、何もかもを放り投げて身を任せたくなる。そういう『好み』だったんでしょうね。その表現方法が実にアレな訳ですが」
「国広、とばっちりじゃねーか……」
「堀川も、それをわかっていて強く出られない、というのもあるんだろうね。何せ『お手伝いなら任せて』が口癖だ。主の事をよく理解してしまうんだろうねぇ……」
しみじみと溜息をつきあう、その様は何度も繰り返されたものなのだろう。和泉守が心中で思い出すのは、堀川と、そして嘗ての主の事だ。彼の人も「新撰組副長」という立場の重圧があっただろう。堀川は、今でこそヒトの形を得ているが、それでも彼を助けてやる事は出来なかった。その悔しさもあるだろう。中間管理職というのはいつの世も胃を痛めるものらしい。和泉守はどちらに同情の天秤を傾けさせたものか判断に迷いかけた。
「か、兼さーん!!」
だがしかし、相棒の悲鳴を聞いて天秤はあっさり堀川へ傾いた。すぐさま立ち上がる。
「国広?! どうしたー!!」
「ま、待て和泉守!」
部屋を飛び出し、縁側を駆け出す。その和泉守を追いかける石切丸。あっさりと2人に置いていかれたこんのすけは、埃が立つ中、ぽつりと呟いた。
「ぶっちゃけ、堀川殿が『サディスト』になってくれれば、1番なんですがね」
こんのすけの目に浮かぶようだ。あんなに悲痛な悲鳴を上げる時は、大抵はたったひとりで審神者に迫られている時だ。そして今頃、恐らくは興奮した審神者に足にしがみつかれてすり寄られているに違いない。谷崎潤一郎氏の小説の作風の特徴に、女性への脚への執着が見られる事は有名だ。恐らく、ここの審神者の性癖はあれに近いのだろう。「ウチの国広に舐めた真似してくれたなぁ!!」とちんぴら裸足の怒鳴り声が聞こえてきたので、その予測は正しかったらしい。こんのすけは泣きつく堀川と、刀を振り回しているだろう和泉守を必死で止めているだろう石切丸の様子を想像しながら、大事な事なので再び思った。
帰りたい。23世紀に帰りたい。だが今のこんのすけには、あまりにあえかだった。
「ちなみにこの内番で上がるのは」
「目に見えない結束……かなぁ」
End.