pixivより転載
「煙草を喫ったら、早く死ねるから」
はじめて喫煙をしているところを見たとき、咎めたことへの、主の返答がそれだった。
その日の夜も、主は縁側に腰かけていた。鈴虫が静かに輪唱している。アルミの灰皿を傍らに置いた彼女は愛飲している煙草を1本口に咥えると、人差し指を巻紙の先端に添えた。
指が、見る間に赤く染まる。それは血の色ではなく、高温の色だった。そして発火し、煙草に火が付く。それを深く深く肺腑に吸いこんだ審神者は、超高温の指先をもみ消すようにこすり合わせた。あっと言う間に温度が下がったようで、赤みが消える。
体温を異常なほど上下させられる――下は零下30℃、上は少なくとも260℃以上――、彼女の異能の一端がこれだった。彼女はこれを「シガーソケット替わりになって丁度いい」と評している。
煙を吐き出した彼女は、「それで」、と、ようやく傍に控えていた私を見た。
「また煙草を喫うの止めに来たの? 飽きないね」
「いえ、もう止めるのは諦めています……あなたのその匂いにも馴染みましたしね。今日は別件です」
私は、切り出した。
「今日、政府で妹さんに会われたでしょう。そのときのことが気にかかっていまして」
「――楽しい話じゃないよ。あの子との会話でもわかったでしょ、ウチは家庭環境がちょっとアレなの」
紫煙を燻らせ表情を隠す、彼女の得体は何年も仕えて来た身としても知れない。
超能力と言っていい異能ゆえに、怪奇対策部に駆り出されることもあるこの主。聞いたことのあるのは、本来はパイロキネシスの家系だということ。
その本来の「パイロキネシス」の異能を以て、怪奇対策部に駆り出されるようになったのが彼女の妹だった。面差しもストロベリーブロンドの癖毛も、よく似ている。ただ、喫煙者と言うだけでなく荒んだ印象を他者に抱かせる姉に対し、妹はいかにも「人に愛されて育ちました」という風情だったが。
その妹は、風邪かアレルギーかは不明だがマスクをつけていた。それ越しに彼女は姉に語り掛けた。
「久しぶりだね、お姉ちゃん」
「……LINEでは聞いてたけど、本当に審神者になったんだね。イギリスで魔法使い関係の仕事に就くと思ってた」
「もう2年経つよ。私の卒業時点で、日本で魔法使いが求められてると聞いてね。まぁ、まさか元ブラック本丸を宛がわれると思わなかったけど」
そう言って擽ったそうに隣の山姥切国広を見やる妹。彼も苦笑していた。主は言う。
「そっか。元ブラック本丸、って聞いてたから心配はしてたけど……その様子だと大丈夫そうだね」
妹の傍らには極の山姥切国広がいた。彼が彼女の初期刀なのか元ブラック本丸にいた彼なのかは不分明だったが、極になっているということはそういうことなのだろう。納得した私の前で、妹は姉に尋ねてくる。
「そう言うお姉ちゃんは大丈夫?」
「あんたよりはしっかりやってるから大丈夫」
「あっひどいなぁ」
「優秀な近侍もいるしね」
そう言ってちらりと私に目配せしてきたので、私は軽く一礼した。こういう時の礼儀ぐらいは弁えているつもりである。
不意に、妹の表情が陰った。
「それでさ、お姉ちゃん。お母さんのことは」
「あの女の話はしないで」
ぴしゃりと叩きつけるような返答。息を飲む私の前で、主はふいと顔を背けた。
「……あんたにとっては、通信教育を支えてくれた大切な母親かもしれないけど、私にとってはそう思えない。お父さんが離婚したのも当然だと思ってる。だから、この話はここでおしまい。……でも、何かあったら連絡するんだよ」
「……うん。わかった。お姉ちゃん、ごめんね」
それが何に対する謝罪なのか、私には聊か不分明だった。
宵闇に、紫煙が揺蕩う。開け放たれた彼女の私室からの明かりで、地面に影ができていた。それを眺めながら、彼女は言う。
「なんてことはないよ。よくある話」
吸いさしの煙草を指に挟んで、アルミの灰皿に灰を零した。
「私たち姉妹の母親は、母親になるべき人間じゃなかった。それだけの話だよ。――娘が、第1子が、長女が、初孫が生まれたことで自分の両親も義実家も夫も、関心を自分から離した。当然の距離感が生まれた。それが、ウチの母親には許せなかったんだよ。――その憎悪の対象が、自分そっくりだから猶更。鏡に映った娘を、母親は憎悪した……――次女は長女ほどには『特別』じゃなかったから常識程度に愛せただけ。私は母親と反りが合わなくて、中学に上がる頃には友人や男友達の家に泊まりこんでた。あぁ、煙草もその頃憶えたな」
長広舌ののち、彼女は息を吐く。煙が僅かに漏れた。黙り込んで話を聞いていた私に、主は笑って見せた。かなしい笑みだった。
「ここは楽だよ、江雪。男は私が愛想を振りまくだけで泊まらせてくれた。けど、ここの皆は私が何もしなくても……審神者として振る舞えば、ちゃんと主として扱ってくれる。人間として認めてもらえてる気がするんだ」
そして、彼女は灰皿に煙草の先端を押し付けた。そして、煙草の箱と灰皿を手に取る。
「もう寝るよ。――あぁ、ちゃんと歯磨きはするから」
「主」
私は言葉に詰まっていた。けれど、なんとか声を絞り出す。
「私たちは――私は。あなたの味方ですから。何があっても、ずっと」
それに、今度こそ主は破顔した。
「有難う」
そう言って、彼女は私室へと引っ込んだ。障子が閉じられる。
煙草の残り香を感じながら、私は障子の向こうの灯りが消えるまで、そこにいた。
了