何となくここでは
父:長谷部(社畜公務員)
母:審神者(♀)
兄:CCP
弟:大倶利伽羅 と決めてます。長谷部薄め、審神者の存在感は濃いめ。作中での「水戸」というのは地名より名字みたいな感覚で。屋号というか親戚内での「●●の家」みたいな呼び分けというか
父方の従兄はとりあえず御手杵って事にしてます。何となく「親戚の兄ちゃん」が似合う。
▼これを思いついた切欠の諸/星/大/二/郎先生の漫画「あ/も/く/ん」系の話です。
序論
くりちゃんこと大倶利伽羅は僕の弟だ。とはいっても、ちゃんとした「兄弟」になれたのは、僕が小学校に上がってからの話だ。それまでは、僕は水戸の祖父母の元で暮らしていた。
くりちゃんが1才の頃までは一緒に暮らしていたし、彼を乗せたベビーカーが強風で吹っ飛んだのを慌てて走って捕まえに行った幼い記憶もある。僕が4才の頃、水戸の祖父母が引っ越しの手伝いにやって来た際、「兄の方の世話を見る」と僕を引き取り、そのまま娘夫婦の元に返さなかったそうだ。比較的近所に住んでいた両親は、何度も僕を迎えに来ては追い返され、その度に母と祖母が怒鳴り合っていたらしい。らしい、というのは、そういう時は決まって祖父に奥の部屋にいるように言いつけられていたからだ。くりちゃんが今の性格になったのも、この時の母と祖母の怒鳴り合いを見せつけられた為だと、僕は推察している。関心は自分ではなく兄の光忠にあり、他者に口を挟ませぬ怒鳴り合いは大倶利伽羅の口を閉ざさせたのだろう。それに触れる度に、第一子であったがゆえの優越感と、それを大きく凌駕する罪悪感が起きる。祖父母は比較的聞き分けの良い、上の子の僕の方がかわいく、当時は大人しくなかった上にまだ1才のくりちゃんは手間がかかるから、と僕を連れて行ったのだった。「初孫が生まれるまではまともな人達だった」と、両親が寂しそうに呟いていたのを聴いた事がある。
結局、僕が今の家に帰ってこられたのは、僕自身が帰りたいと言い出したからだ。幼さゆえに順応していた環境も、成長すれば違和感を覚える。偶にやって来る、同じ色の目をした浅黒い肌の男の子は弟だという事。なぜ両親がいるのに、自身は祖父母の元にいるのか。それらに疑問を覚えられるようになって、祖父母に訴えた結果、僕はあっさりとこの家に帰ってこられた。当時の住まいは公務員官舎だった。父が公務員だからだ。その官舎は二階建てのアパートのような造りで、そして全体的に古びていた。風呂と母屋が離れていたし、隣には保健所があった。毎週木曜日には殺されていく犬猫の声が聞こえると、母がいっていた。僕もくりちゃんも、それは1度も聞こえた事がないのだけれど。母は、くりちゃんを生んだだけはあり、少々人と異なるものの聞こえ方がしているようだった。
元より田舎である。自然の1部に溶け込んでいたその官舎は、あまり入居者がいなかった。その為に僕が帰ってきたそれなりにすぐあとにその官舎は保健所の駐車場として取り壊される事になる。僕の記憶では、僕と隣に住む同じ公務員の夫妻しか人気がなかった。だから親元に帰ってきて、新しく家を建てて引っ越すまでの間、弟のくりちゃんと庭で遊んでいた。庭とはいっても、官舎の敷地のほとんどがそれで、少しだけ坂を下りると、水の綺麗な川まであった。大きな栗の木もあり、秋になれば隣の夫妻と共に栗を取っていた。「毎年取っていた」とは、僕がはじめてそれに参加した時、母が栗を塩水につける横で大倶利伽羅が呟いた事だった。ドクダミが生い茂りその匂いが強烈で、野バラが咲き乱れているのを眺めた事もあった。夏に大きな蜂の巣が出来て、父がそれの駆除の為に自分達子供に家に入っているように言いつけられた時は、2人で家の中で遊んでいた。リビングから庭に降りると、母が洗濯物を干していた。狭い官舎といえど、ほとんど入居者がいないそこは塀が低く、吹きさらしだった。駐車スペースとして確保された区域は草木が生い茂り、ライラックやあじさいなどの色鮮やかな花を咲かせ、スモモが実を付けた。くりちゃんが枝を片手に「蜜が吸える花」を教えてくれたのもこの時だった。
そして事実上子供の天下だったその庭で、幼いながらもふと、くりちゃんはそこの王様だったのだと気付いた。近所に子供は住んでいない。幼稚園から中学までエスカレーター式の同じ学校に通っていた僕ら。校区がとても広く、電車やバスで学校に通う児童や生徒は数多かった。だからこの辺りの子供といえば、僕がいない間はくりちゃんひとりだったのだ。くりちゃんにとって、長い事「ひとり」は当たり前の話だった。何せ、時に顔を合わせられた僕の事を、長い事「従兄のひとり」だと思っていたぐらいだった。兄がいる事も、彼の記憶に薄かったのだ。事実上のひとりっ子として、くりちゃんはひとり遊びに長けてしまっていた。近くの寂れた稲荷神社や、フェンスの向こうは病院の敷地だという川のせせらぎ。夏場はひんやりとして涼しいわき水の名所、少し脚を伸ばせば五重塔を構えた神仏習合の名残が強い神社も見える。城下町で、主家は関ヶ原にて直ぐに東軍に下りながらも幕末には真っ先に新政府に下った地元は、その為なのか城跡などが根強く残っていた。官舎を出て真っ直ぐ行けば、くりちゃんのかかりつけだという、無愛想だが腕の確かな歯医者さんと、歯医者さんとは全く会話しないのに治療には全く支障を来さない歯科衛生士さんが働いていた。漆喰の土蔵や、1度火事が起きた事があるという消防署があった。ちなみに火元は寝たばこだったという。そういった些細な話も、くりちゃんはぽつりぽつりと、僕に話して聴かせてくれた。子供同士の話し相手に飢えていたのだろう。気がつけば庭で草木と戯れていたくりちゃんは、幼稚園でもあまり友達がいなかったらしい。幼稚園の広い校庭でよくひとり遊びをしていたそうだ。変なところに入り込むくりちゃんを、同じように猫のように変なところに潜り込みたがる子供が偶々話すという事はよくあったらしいが、それも年を追う毎に減っていった。それをくりちゃんは特別寂しいとは思っていなかったという。
「それが当たり前だしな」
寂しそうでもかなしそうでも、ましてや拗ねた様子すらない。それがごく当然というように、くりちゃんはいった。
成人したあとに、くりちゃんはいった。「あの頃の自分は、母親と祖母の怒鳴り合いや遊び相手のいない環境を当たり前だと思いこむ事でやり過ごしていた」と。それの自覚も、大人になってからやっとだったという。
しかし、僕の見解は少々異なった。あの頃のくりちゃんにとって、周りの全ては当然のものであり、特別に変化を与える事も与えられる事もないものだった。彼自身もまた、周りの現象の1部となっていた。
だから、引っ越してからのくりちゃんは、大きく環境が変わった事で、その変化を体現しているようだった。「まるで引っ越しについてきて家に慣れない猫だ」と母が評していたのも覚えている。
もし妖精がいたら、くりちゃんはあの境界の曖昧な庭の片隅で、フェアリーサークルを潜っていたかも知れない。
くりちゃんは、人とは違うものを感じ取っているようだった。
屋根裏ってあるの?
そもそも、家を建てたのは水戸の祖母からの命令に近かったらしい。古い官舎は入居者が少なく、上層部から引っ越すように以前からいわれていた事が祖母に漏れた。近所にマンションもあったのだが、当時はまだ「マイホーム主義」の名残があった頃だ。ろくに近所の事情も調べずに、スーパーやバス停、何より子供達の学校が近い住宅地の一角を買い取った。当初は家を建てる事を渋っていた両親だったが、自分達兄弟を浮き足立たせた。自分達の家、というのは有名なアニメ映画を彷彿とさせたのだ。たとえ近所の子供に「お前んち、お化け屋敷!」と罵られようと、豪雪地帯に住んでかまくらを作っていた僕達にとって、自分達だけの住処というのは心躍るものだった。両親にとっても、子供達の嬉しそうな様子が決め手だったらしい。有名な建築会社に頼み、「出来るならいい家を」と35年ローンを組んで立てた。それが現在の、3LDKの実家だ。
引っ越してきた当初はひとつの部屋が両親の部屋、ひとつの部屋が自分達兄弟の部屋。そして残りの一部屋が書斎兼勉強部屋として宛がわれていた。祖母がプレゼントしてくれる形で、僕はベッド。くりちゃんは官舎時代から持ってきた布団で、同じ部屋で寝ていた。それまでは両親と4人並んで寝ていたのだけれど、古い考えだった祖母は「子供といつまでも一緒に寝ているものではない」といったらしい。どこかそれを寂しがりながらも、隣の布団に潜り込むくりちゃんを、僕は宥めるようにベッドから見下ろしていた。当時はまだ真っ暗にして眠れなかったくりちゃんの為に、常夜灯を点けながらも「おやすみ」といった。くりちゃんは昼間は気がつくとやはりひとりで遊び回っていた為か、寝付きが良く、布団に入ると直ぐに寝入ってしまった。だから、この頃は気付かなかった。
異変に気付いたのは、僕とくりちゃんの部屋が離されてからの事だ。
引っ越し後、もうひとつのベッドを買う余裕が出来た。だからそれまで僕が使っていたベッドがくりちゃんに譲渡され、僕は書斎兼勉強部屋だった部屋を自室として宛がわれた。まだ7才か8才だったくりちゃんをひとりで部屋に寝かせるのは不憫と感じた覚えもある。しかし、母は負けん気が強くとも、どこか祖母、自分の母親に弱い一面を持っていた。扉は開け放したままにしておく事だけは厳命して、僕達兄弟はめでたくひとり部屋を宛がわれる事になった。僕はといえば、祖父母の元にいた時はベッドを買い与えられており、祖母と一緒に寝る事には慣れていた。しかし本当のひとり寝はこの時がはじめてで、当時は寝付きが悪かった覚えがある。一方、昼間にひとりでも遊び回り、近所を探検する無表情でアグレッシブなくりちゃんは、寂しがりはしても寝付き自体は良かったらしい。毎朝、熟睡した様子で起きてきていた。
けれど、僕はある事が気になっていた。
それは学校帰り。当時は同じ小学校に通っていたといえど、下校時間が異なる事が多かった。なので、家に帰った時に「くりちゃんなら2階だよ」といわれたりする事は多かった。偶に逆の事もあったが、これはランドセルを放り出してひとりで近所の探検に出ていた時の事である。引っ越してきた当初は居心地が悪そうだった事にも加え、「大倶利伽羅は猫のようだ」というのも納得のいくマイペースだった。けれどその日も、自室に引き取ると、「それ」はくりちゃんの部屋から聞こえてきた。耐えかねて、僕はくりちゃんの部屋に入った。くりちゃんは、部屋にひとりだった。くりちゃんは不思議そうに、僕を見上げている。宿題をやっているようだった。
「どうしたんだ、光忠」
離れていた頃の暮らしの名残だ。中々自身を兄と呼ぶ事のないくりちゃんは、小首を傾げながら僕を見上げていた。僕は直ぐに答えず、周りを見渡す。あまり整理整頓の上手でないくりちゃんは、それでも見栄っ張りのところがあり、人が来れば急いで片付けをする。しかし、この時もくりちゃんの周りは雑然としていた。ベッドすら整頓した様子がない。何より、お菓子やジュースの類もなかった。この頃は母に食べ物の持ち込みを禁じられていたのだからそれは当たり前といえば当たり前だったが――僕は思いきって、くりちゃんに尋ねた。
「くりちゃん。今、誰か友達が来てたのかな。もしくは独り言、喋ってた」
「俺しかいないぞ。それに、俺の自覚してる限りじゃそんな事はしてない」
何を当然。そういわんばかりの態度に、僕は台所の母の元へ取って返したのだった。
ならば、あの話し声はなんだったというのだ。昼夜を問わずに、漏れ聞こえていたあの囁き声は。確かに、あれらは子供の声だったのだ。
それを母に訴えると、母は深刻そうな顔で肩を竦めたのだった。
「今にはじまった話じゃないんだよね」
そういいながら、母は白い皿と杯を棚から取り出していた。
その後、母はくりちゃんの部屋の棚に、杯と皿を置くようにした。僕の部屋にも同じものを用意した。動かさないように、といわれたそれの中身は、どうやら塩と酒らしかった。
それからぱたりと、くりちゃんの部屋から漏れ聞こえる声はなくなった。
但し、くりちゃんは後日、無表情で無邪気な様子で、こんな事を尋ねてきた。
「なぁ、天井裏に小人がいるよな。毎晩、足音が聞こえるぞ。小さい小さい、足音がたくさんだ」
はて、この家に天井裏があっただろうか。父に問うと、困った様子で答えた。
「活用できる程のスペースはないし、精々点検口があるぐらいだ。それに新築だから、鼠が入るには少し早いな」
尚、押し入れを隔てた隣の部屋の僕には、その足音は聞こえない。長じてからは「そういえば昔は聞こえていたな」と答えられた。正体はなんだったのか、いまだ不明だ。
祖父母の元にいた頃、そして官舎に住んでいた頃は無縁だった話は、こうしてくりちゃんを通して聞かされる事になっていく。
スーツのおじさん
先述の通り、父は公務員である。常にスーツであり、クールビズやウォームビズという概念のなかった頃だった為、父は年がら年中スーツだった。夏場は半袖のワイシャツだったが、ネクタイは必ず締めていた。「公務員として当然だ」と宣う父はまさしく社畜の鑑だった。実際、丸首のTシャツが全く似合わない人であったし、最低限カラーのついたものでないととにかく似合わない人だった。制服しか似合わない人間というものはいるものである。そんな父だったが、休日はそれでも私服だった。専業主婦だった母が父のワイシャツを洗ってやり、アイロンをかける。それが在りし日の日常だった。
忙しい父の為に、玄関先のコートかけは充実していた。鏡とハンガーかけが一体化した家具が常に置かれていた。自分達兄弟も時にそれを見ていた。この頃から身形を気にしていた僕は、くりちゃんよりも長い時間よく見ては、母に「遅刻するよ」と黒いランドセルを背負わされたものだった。当時はまだカラーリングの表だった自由化がされていなかった頃だった。衣服が並ぶそれは当時の自分達よりも頭ひとつ以上高かった。
そんなある日の事だった。自室で宿題をしていた僕が見たのは、溜息混じりに歩いていく母の姿だった。くりちゃんと同様に扉を開け放していたから見えたので、僕が声を掛けると、母は苦笑して腕を振り回していた。
「ちょっとね。くりちゃん曰く、『知らないおじさん』が入り込んだらしくて」
「えっ」
それは侵入者では。驚く僕に構わず、母は夫婦の部屋に入っていったかと思うと、直ぐに降りていった。そういえば、くりちゃんは先程帰ってきたばかりだった。「ただいま」という静かな声が、吹き抜けの階段を超えて届いていたので、部屋から挨拶を返した。それから少し経っての事だったので、思わず慌てて部屋を出た。階下に降りて玄関を尻目に、リビングへ飛び込む。くりちゃんはお菓子を食べていた。暢気な様子に僕が問い質すと、くりちゃんは事もなげにいった。
「あぁ、いたぞ。そこの玄関先だ。スーツを着た知らない男が、そこに立っていた」
父を知らない男とはいわないだろう。ましてや若い頃から顔の変わらぬ父だ、下手をすれば自身よりも付き合いの長いくりちゃんが父を見間違える筈がない。思わず振り返って玄関を凝視する僕の前で、台所から出てきた母は、やはり塩と神酒を持っていた。
のちに詳しく聞くと、真っ黒いスーツを着た黒い髪の男で、顔は「間近で見たのによくわからなかった」という。少なくとも、茶髪で真ん中分けの父とは違う髪型だったらしい。父がその話を聞いたかはわからないが、後日、母がくりちゃんに「あの知らないおじさんは遠くに追い払ったからね」といって聴かせるのを目撃した。
あの玄関には、よく何かがいるらしい。後年、母がいっていた事だ。
子供はよく好まれる
あれは母方と父方、どちらの法事だったのだろう。家族と親戚で墓参りに行った。目指したのは墓地公園だった。雨上がり、くりちゃんはよく走り回っていた。
少子高齢化の昨今、地元のいとこの数はそう多くない。父方に3人、母方には当時はひとりもいなかった。くりちゃんが10才の頃に、母方の伯母が従弟を生んだのだが、当時はまだおらず、そして父方も3人のうち2人は東京に住む兄妹だ。よって、事実上、父方の従兄とは、当時は3人兄弟のようなものだった。特に、自身が母方の祖父母の元に拘束されていた頃は、くりちゃんはこの従兄によく懐いていたという。この日も、くりちゃんは従兄とじゃれ合いながらよく遊んでいた。父方はさっぱりとした気質の人が多く、特に父方の祖母から「竹を割ったような」性格だといわれていた。それでどうしてあの父が……と思わなくもないが、例外はどこにでもあるものだという。母は実母よりも姑のこの祖母との方が仲が良かった覚えがあった。だからだろうか、子供達が3人でじゃれ合っていても、道路に飛び出したりしないように気を配るだけで特に見咎められなかった。大人達も喋り合いたい時があるものだ。
墓地公園は広く、自衛隊の基地が間近にある。子供の転落防止に柵の張り巡らされた沼を見たり、足下の草花を観察したりなど、従兄とくりちゃんが子犬のように遊び回っているのを、僕はのんびり歩きながら眺めていた。
「うわっ」
そんな時だった。唐突に、くりちゃんが転んだのは。
声を上げて前のめりに転んだくりちゃんに、従兄と僕が駆け寄る。舗装された地面に座り込んだまま膝を見ていた。膝はそれ程ひどくはないがすりむけている。従兄がきょとんとした顔で、傷とくりちゃんの顔を交互に眺めた。
「お前、今どうして、というかどうやって転んだんだ」
「わからない」
「道路が濡れてるからかなぁ……」
従兄がくりちゃんを連れて水場へと向かう。傷口を洗う為だ。ひとりっ子の従兄はくりちゃんを実弟のように扱っていた。実兄としては、従兄に素直についていくくりちゃんに焼き餅を焼きつつも、足下を見遣った。確かに道路は濡れている。しかし、簡単に転ぶような素材でもなかった。
そうしていると、大人達の声が近付いてきた。傷口を洗ってポケットティッシュで軽く拭ったくりちゃんと従兄が率先して駆け寄る。僕が遅れていくと、母がくりちゃんを見咎めた。母は、よくその辺りで遊んでは転ぶくりちゃんの怪我には特に目敏い。膝を赤くしたくりちゃんを見、素直に「転んだ」と答えるくりちゃん。僕や従兄が状況を説明すると、母はくりちゃんの手を握った。
「あまり走り回らないようにね。濡れてて転びやすいみたいだから」
僕が首を傾げた結論に、母は飛びついたのか。先祖の墓の前までついていきながら、僕は首を傾げていた。
一通り墓の手入れを終え、花を供え、食べ物を備える。酒が多かったのは父方の酒飲みの家系のせいか。それぞれが線香を上げると、これでもう引き揚げるつもりだったらしい。親戚一同は、解散の気配を見せはじめた。どうやら帰るつもりらしい、僕が従兄に挨拶をしようと振り返ると、ふと、くりちゃんの姿が見えないのに気付いた。さて、また迷子になったのだろうか。ひとりで彷徨き、気がつくと自分達家族の元に戻っている事の多いくりちゃんは、それでもごく稀に迷子になった。捜し出すのが大概僕の役目だったので、今回もいわれる前に捜し出そうか――その時だった。
「う、わっ」
小さな声だ。しかし確りと、それは聞こえた。
「大倶利伽羅!」
母の声だ。呼応して僕もあだ名で呼ぶ。一瞬、くりちゃんの姿は確認できなかった。しかし、母はさすがに早い。視界の下。立ち並ぶ墓の後方の、草の生い茂った墓。露に塗れたそこに、くりちゃんは落ちていた。
どうやって落ちたんだ。母が手を繋いでいた筈では。疑問を覚えながらも、従兄と僕が率先してくりちゃんを一旦下の道路に降ろし、正規の坂道から戻ってくる。駆け寄ってくる母は何だか必死で、くりちゃんは問われるがままに答えた。
「なんか、あの辺りを歩いてたら、滑った」
そう示す場所は、草の生えていた場所ではなく、舗装された通路の部分だった。
幸い、半ズボンだった為に滑った際に草で多少脚を切っただけで済んだ。「帰ったら消毒と手当てだな」という父に、くりちゃんは肯く。軽く捻ったのか、少しばかり歩きづらそうにしていたので父が負ぶった。それを眺めながら、ふと、母を見遣る。母は深刻そうな顔で、夫と下の息子を見ていた。
翌日の事だ。母が熱を出した。
子供だけでは面倒を見られない。父は仕事を休み、看護をしていた。学校から帰ってきた僕達も、時折母の様子を見に行った。「昨日の疲れが出たのかな」と首を傾げながらスポーツドリンクを持ってきた僕に、母は微苦笑をしていた。そんな中、脚に絆創膏を貼ったくりちゃんは、頻繁に母の元を訪ねていた。病勝ちの母の元で育ったくりちゃんだ。母の体の具合には敏感なのだろう。そう思いつつも普段より元気のない弟を気にしてそっと部屋を覗くと、母がくりちゃんに語りかけていた。
「3回転んでたら、代わってあげられなかったよ。今度から必ず手を繋いで歩こうね」
その夜、看護に忙しい父に代わり、弟のくりちゃんをお風呂に入れた。その時に見た。くりちゃんの足に、強く掴まれたような痣が薄らと残っていたのを。それは気がつけば消えていたが、足に負った傷は暫く消えず、母の熱も暫く引かなかった。発熱の原因を、僕はいまだ知り得る事はなかったが、病院に行く事はなかった。
かがみあわせ?
全てを当たり前の事として受け止める。それを不自然と思わない。現状に疑問を持つ事がない。そういった悪癖を持っていたくりちゃんも、年を追うにつれて「奇妙な事」は奇妙だと気付く事が出来るようになったらしい。中学に上がり、まだ小学生だったくりちゃんと下校時間が異なるようになった頃。ポテチをほおばっていたくりちゃんは、その日の昼間に母と共に遭遇したという出来事を話して聴かせてきた。
その時、母とくりちゃんはリビングにいたという。ドラマを観ていたのか映画を観ていたのかは知らない。どんな難しいドラマや映画だろうと、直感で犯人を言い当てる事に定評のある母と息子なので、さぞこの時も「犯人はこいつだな」などと言い合っていたのだろう。その様子を想像していると、しかし、先に異変に気付いたのは母の方だったと、くりちゃんはいった。
「お隣さんの、窓」
「窓?」
くりちゃんはつられて見上げたという。古い家並みのこの住宅街では、三方を囲む家々は古い建築基準法で立てられていた。つまり、隣り合わせの家同士の距離が近いのだ。だから、窓も近い。それでも、南東の窓から見えるお隣さんの家の窓は磨りガラスで、プライバシーはそれなりに保たれていた。くりちゃんは最初にそちらを見て、母がやや強張った様子を見せたのがわからなかった。母に問い返そうとして――ふと、何かに引っ張られるように、そちらを見たという。
斜め上。リビングのレースのカーテンの隙間から見える、お隣さんの2階の窓。そこに、明らかな「異変」が生じていたという。
「何か映ってたの」
「……形容がし難い。言葉にして説明しづらい。だが、明らかにいえたのは、『異形』だった」
言葉少ないくりちゃんにしては、その時は珍しく言葉が多かった。端的に言い表す事の多いくりちゃんが言葉を多くしなければならないほど、「それ」はよくわからないものだったらしい。果たして自分と母が見ていたものが共通していたかはわからないとも、くりちゃんはいった。ただ、とくりちゃんは言い切った。
「隣の家の窓ガラスが、『鏡』になっていた。何かが映り込んで、極彩色の『それ』がにやにや笑いながら歩いて、あるいは蠢いていたんだ」
あえていうならピエロのようだった、とくりちゃんは締め括った。それがぼやけ、また普通の窓ガラスに戻ったのち。母とくりちゃんは「珍しいものを見たね」と顔を合わせたという。
それから、僕も時折、リビングから見えるお隣の2階の窓を見る。しかし、事故による火傷で片目を失った僕の隻眼にも、ただの窓ガラスにしか見えなかった。そして、あの時、あえていなかった事がある。くりちゃんは気付いているかいないかわからないが、偶に部屋を訪ねると、大抵はドレープカーテンを閉め切っている。大抵夜だからかも知れないが、夕方になると直ぐに閉めるようだった。
その2階の窓ガラスは、丁度くりちゃんの部屋の窓にも面していたのだ。
しみ
くりちゃんの部屋のベッドで本を読んでいた時だ。枕元、白い壁紙に赤いシミがついていた。
「くりちゃん。これ、洗剤で落とした方がよくない」
「あ? ……あぁ、それか」
数学の宿題に頭を抱えていたくりちゃんは、さも面倒そうにそれを見て肯いた。部屋を片付けるのも無精するくりちゃんだ。ましてや壁紙の掃除など面倒な事この上ないだろう。何せ、昔、何を思ってか霧吹きに墨汁を入れ、壁紙に吹き付けて母にしこたま叱られたものの結局壁紙をそのままにしたくりちゃんだ。それを放置させた母も母である。几帳面なところは父に似たらしい僕は、薄赤いそれが、1度気になる引っ掛かって仕方ない。だから僕は本を置いて、ベッドから降りようとした。机に向かう大きくなった背中に声を掛ける。
「何なら僕が拭くよ。洗剤の場所も覚えてるし。くりちゃん、どうせ面倒なんでしょ」
「いや、やめろ」
「あれ、洗剤のにおいが気になる質だっけ」
いやに強い拒絶の声に、僕は首を傾げた。そういえばくりちゃんが小学校1年の冬、ひどいインフルエンザに罹った。その時の切欠、というより体調不良を自覚したのは、スキーの授業の為に教室の片隅でスキー板の手入れをしていた担任教師の固形ワックスの独特のにおいだったという。それ以降の記憶がないらしい。高熱を発し早退したくりちゃんは、けれど粉薬を飲むのをとにかく嫌がった――という事を穿り返すと拗ねるので黙って答えを待っていると、椅子の背もたれから振り返る事なく、宣った。
「においも気になるがな。多分、消しても大きくなるだけだ」
もしくは、増える。手垢がつくとも思えない不自然な位置についた赤いシミを振り返りもせず、くりちゃんは宣った。
10年程のち、壊れたベッドを廃棄し布団に切り替えたくりちゃんは部屋の模様替えをした。頻繁に模様替えを行う僕と異なり、とにかく無精するくりちゃんにとっては引っ越し後の模様替え以来だった。というより、くりちゃん自身が模様替えをするのがはじめてだった。あとから新しいベッドを買い与えられたものの、早々に壊してしまった僕の布団生活に少し憧れていたという。家具の位置が変わったくりちゃんの部屋を新鮮に眺めながら、ふと、壁紙を見た。それに気付く。
「くりちゃん、壁紙、掃除したの」
「する訳がないだろう。面倒臭い」
新しく買った布団を敷くくりちゃん。嘗てベッドのあった辺りから、あの小さな赤いシミは消え失せていた。ベッドを片付ける際に手伝った際は、変わらずに鎮座していたシミだった。
そういえばあのベッドは、水戸の祖母から買い与えられた僕のものだったな。そんな事を、なぜか思い出した。
心霊番組と電波
幼い頃、オカルトが流行っていた覚えがある。夏になれば、昨今では減少一方の心霊番組が必ずといって良い程放送された。
それを冷やかして見る、という悪い趣味があったのが我が家だった。何せその頃には、零感だがSFなどは好む父と、どの程度はわからないが明らかに自分達以上に何かを見ている母。それに動物的に「何か」を見ているくりちゃん。そして感化されたのか、その頃には何度か心霊現象らしきものに遭遇するようになった僕、という構成だった。「この心霊写真は写りが可笑しい」「位置的に違うだろ」などと冷やかして夕食を食べるのが夏の日常だった。実に趣味のいい一家である。
ただ、そんな僕らが1度観て以来、映ると途端にチャンネルを変えるようになった心霊スポットがある。訪ねる機会はなさそうだが、知る人ぞ知る観光名所にして自殺の名所だ。地元民の方には申し訳ないが、どうやらウチとは相性が悪い土地のようだった。断崖絶壁の壮麗な観光名所、当時のその番組はそこに幽霊が出る、という事で定点カメラを設置する、という方針で特集を組んでいた。
結論からいうと、出た。らしい。同じ番組を観ていた僕には見えなかったものが、母とくりちゃんには見えてしまったそうだ。
「電話ボックスに、女がいる」
特にテレビからは、それに関する情報は流れない。寧ろ、電話ボックスの中に誰もいない事を強調している。だが、母とくりちゃんは同じものを観ていたらしい。顔を引き攣らせていた。この2人がこういう顔をするのは珍しい。テレビと2人を交互に見遣っていると、口元に手を添えた母が声を漏らす。
「……肩胛骨の辺りまでかな。セミロングの黒髪……かな? の女の人だね」
「そうだ。それでスリーピースの淡い黄色の服を着ている。スカートは膝上だな」
「電話に向かって俯いて立ってる……あ、見えなくなった」
カメラがやや遠ざかった時。くりちゃんには「チャンネルを切り替えたように」その人が見えなくなったという。結局、テレビではその女の人について触れる事は1度もなかった。
同じテレビ番組を観ていると、母が段々と顔色を悪くしていくのがわかった。顔を顰め、最終的には母は番組を切り替えてしまったのを覚えている。断崖絶壁の方を観ていた母は、「手がわらわらと拱いている」ように見えたらしい。ただ、それはくりちゃんには見えなかったらしい。しかし、それ以外の番組でも、同じその土地が映ると直ぐに切り替えてしまうのが習慣になってしまった。
曰く、所謂「波長が合いやすい」ところらしい。冷やかすにしても、安全なものの方がいいようだ。
しかし、この件に関して、母やくりちゃん、僕も疑問に思っている事がある。
「心霊写真や心霊動画は、霊感を持っている人じゃないと撮れない」
これは母の言である。ならば、あの番組は何だったのだろう。僕だけが見えず、くりちゃんや母だけが見え、そして母だけが見えた部分があった。僕と母はともかく、くりちゃんと母。2人が観たものは、一体何だったのだろう。そして今でも、あの電話ボックスに女の人は立っているのだろうか。否、携帯電話の普及した昨今、電話ボックスは撤去された可能性がある。
さて、ならばその女性はどこへ行くのだろう。僕が思い出したのは、「八尺様」の顛末だった。
「考えられるとしたら、向こうから訴えかけてきていた、という事なのかもな」
この件に関して、くりちゃんが締め括ったのはそういう言葉だった。
ちなみに、心霊番組を冷やかす趣味は母亡き今も変わっていなかったりする。今は中々心霊番組はやらないので、専らUFOの実在について父と共に冷やかしているところだ。
僕らが生まれる前に起きた話
こんな風に「好かれやすい」くりちゃんと、色々と経験してきたらしい母にとって怪談とは日常だ。ただ、それが昼ドラ風の話と相俟って洒落にならない事もある。例を挙げると、これは親戚の話だ。
母方の遠い親戚の話だ。とある夫婦がいた。この夫婦、妻は所謂貞淑な女性で、料理掃除裁縫何でも御座れの良妻。夫は絵に描いたようなろくでなしだった。飲む打つ買う、当時は母とくりちゃんが通っていた大学近辺のコンビニや居酒屋となっている土地を持っていたものの、これら全てを売り払って――当時は土地がまだ売れる時代だったのだ――、行きつけの飲み屋の女性とのちに逃げるような男だった。尤も、蓄財に興味がなく散財にばかり走るのは母方の家系の傾向だったらしい。昔は分限と呼ばれる程だった地主だったのが、僕とくりちゃんの代では家数件分ほどの土地しか残っていない。その上このご時世、売れそうにない土地などただの税のかかる厄介者である。「もっと金になるものを残して欲しかった」というのが子孫としての嘆きだが、それはひとまず置いておこう。
どういう縁で婚姻したのか僕達は知らないが、とにかく妻には冷淡だった。終いには妻は病に倒れたのだが、この際に救急車への通報が遅れたのもあり妻は亡くなった。のちにこの妻の実家が「態と通報を遅らせて、厄介な妻を死なせたのでは」と嫌疑をかけた。それを肯定するかのように、土地などを売り払い金を纏めると、夫は愛人の女性と行方を眩ませた。結局のところ証拠がないので、妻の実家は泣き寝入りかと思われた。
ところが数年後。公的機関を経由して、妻の実家に連絡が届いた。嘗ての夫が、たったひとりで入院しているという。駆けつけてみると、伴っていた筈の愛人の女性は、金の切れ目が縁の切れ目といわんばかりにやはり行方を眩ませていた。すっかりやせ細り衰弱していた夫に、怒りも失せた妻の実家は、しかし医者に夫の病名を聴いて震撼した。
癌だとは聴いていた。妻もまた、末期の癌で倒れた。癌での死亡は珍しい話ではない。特に飲酒や喫煙率の高いこの雪国では。そして酒を飲む夫が肝臓癌になるならまだわかる。しかし、なぜ膀胱癌なのか――妻と、全く同じ。
夫もさして老けていなかったので、それなりに進行は早く、間もなく夫は死んだ。籍を抜いていなかったので、妻と同じ墓に入れられたという。
「着物も縫えるし、私にとっては良い叔母さんだったんだけどね」
そう嘆息する着道楽の母の傍で、くりちゃんは黙って茶を飲んでいた。
僕はといえば、父のような執着の強い人と母が結婚できた理由に何となく納得したエピソードだと、小さく息を飲んだ。
父方は竹を割ったようで、引っ繰り返せば情に薄い。その中で生まれた父はやや異端だっただろう。それにどろどろとした愛憎で寿命さえ縛る母の家系は丁度良かったのかも知れない。無言のくりちゃんは、空を眺めていた。彼が中学に上がった頃から飼い始めた猫の視線とそっくりだった。
お間違えですよ
先だっての話とは反対側の家での不幸だった。20年寝たきりだったその家のお年寄りが亡くなったという。しかし田舎といえど、昨今はさほど付き合いが濃厚という訳ではない。精々「この度は……」という挨拶程度で済ませた。大きい造りの家相応に、それなりに大きな葬式が行われていた記憶がある。そうはいっても、向こうの騒ぎ。対岸の火事だ。この当時はまだ理解できない事だったが、長年の介護から解放された隣家の中年の夫人は、喪服に身を包みながらもどこか晴れやかだった印象があった。それも、他人事だった。母が自身の両親の事を考え、他人事ではないという顔をしていたが、それもまだこの頃は他人事だった。
一時的に他人事でなくなったのは、その通夜が執り行われた日。外からかけられた声の為だ。
「おーい」
その声を聴いたのは、偶々台所でひとり、紅茶を淹れていた僕だ。リビングには父母がおり、くりちゃんは自室にいた。
その呼び声、玄関から聞こえた気がした。家の外からだ。聞き覚えのあるようなないような、男性である事と、恐らく年を取っている事だけはわかる声。それが、続けていう。
「ただいまー」
「あ、うん。お帰りなさい」
反射で答えたのは、幼少期に祖父母に育てられたゆえだ。僕の大声に、父母が驚いた声を上げる。父が顔を覗き込んできた。
「どうした、光忠」
「え、今おじいちゃんが……」
「おじいちゃん? どっちのおじいちゃんも、こんな時間に連絡もなしに来る訳ないよ」
次いで、母が覗き込んでくる。そしてついで、「……おじいちゃんっていった?」と、やや青ざめた声でいった。それにふと、首を傾げる。はて、なぜ今自分は「おじいちゃん」と思ったのだろう。誰かもわからなかったのに。
呟いたのはやはり母だった。
「……隣で亡くなったお年寄りは、おじいさんだったね」
僕がうっかりと招き入れてしまった隣家の老爺は、どうやら肉体から解き放たれてテンションが上がっていたらしい。特に、呼応してしまった僕を孫と見なしたらしい。脱衣所で服を脱ごうとしていたらドアノブを引っ掻いて押し入ろうとした(背中を流してくれるつもりだったのだろうか)。死して尚ボケが入っていたのだろうか。印象的だったのは、こういった事態では真っ先に被害を食らうくりちゃんが、全くといっていい程何も感じなかったらしい事だ。
「年寄り受けが悪いのかもな。光忠の年寄り受けは水戸のばあさんとじいさんが保証しているし」
心霊現象を好んでいる訳ではないが、これはこれで複雑だったらしい。少々怯えてしまった僕だったが、気がつくとポルターガイストは止んでいた。どうやらやっと自宅ではないとわかってくれたらしい。慣れない心霊現象から解放され、母とくりちゃんはよく平気でいられるものだと思ったものだ。実のところ平気なのではなく、慣れてしまっているからこそ対処が冷静のようだが。
さて、こういう電話番号を掛け違えるような事は、実のところよくある。本来、この家で掛け違われる対象はくりちゃんや母だ。
高校受験の終わった頃。くりちゃんはある朝、げっそりとした様子で起きてきた。センター試験でインフルエンザを貰い、前期日程で落ち、後期日程で滑り込みしたのちにベッドに倒れた僕が漸く起きられた頃の事だったと思う。頑丈なくりちゃんは風邪のひとつもひかなかったようだが、その日の朝は顔色も悪く、母と話していたかと思うと、朝食を摂っていた僕の胸倉を掴んできた。
「ど、どうしたんだい。くりちゃん」
「光忠。……何でお前が見なかったんだ」
「はい?」
「みっちゃん。ほら、貴男の小学校時代の担任の先生が亡くなったって話は聞いたでしょ」
「あぁ……」
事情は障りがあるので割くが、確かにそれは事実だった。この頃、小学校時代に一時期担任教師を勤めてくれていた女性教師の訃報が、僕の元にも届いていた。しかし、それがどうしたというのだろう。怒り混じりに朝食の席に着くくりちゃんの代わりに、母が微苦笑した。
「悪夢を見たんですって。全然知らない人が出てきたって」
「悪夢なら受験のストレスじゃないかな」
「それも考えたらしいけど、夢の中のその知らない人の特徴を聴いたら、どうにも貴男の担任の先生だった人みたいなんだよね。……1度も担任された事ないのにね、くりちゃん」
「何で俺の元に来るんだ」
苛立たしげに、手ずから盛った飯を食べる。目を瞬く僕に、母は掻い摘んで教えてくれた。
曰く、大倶利伽羅は夢を見た。途中まではごく普通の夢だったらしいが、途中からおどろおどろしいものになり、なぜか見知らぬ女性が何かを訴えかけてきたという。その女性の顔を、なぜかよく覚えていた――
「夢枕に立つなら、全く縁のなかった児童の俺ではなく、自分の担任した光忠の元に立つべきだろう」
「インフルエンザで弱ってたし、何よりみっちゃんは零感だからじゃない」
どうやら「かけ間違え」が生じたらしい。「私も小さい頃はよくこういう事があったよ」と、母はくりちゃんを宥めていた。それを眺めながら、僕は内心で嘗ての担任の教師に謝った。零感過ぎてすいません、と。
尚、「かけ間違え」は父からも経由したらしい。母の死から三回忌が過ぎた頃、ある日、くりちゃんは夢を見た。リンゴ畑でリンゴをもいでいる、若い父と従兄の姿だ。正確には、違う人物だとくりちゃんは理解していた。理解しつつも声をかけると、笑顔で手を振ってきた。何よりもこの時に、特に父が別人だと理解したという。何せ、父は「滅多に本気で笑わない」事に定評があるのだ。
特に悪夢とも思わなかったらしい。父方の実家はリンゴ農家だ。そんな話を僕にしたのち、帰ってきた父は「親戚が死んだ」という事を知らせてきた。聴けば、その人は父の叔父に当たる人だった。話を聞けば誰かはわかったが、交流する時といえば法事の時ぐらいしかなかった。そして何より、父の顔は、母と同じ年に亡くなった父方の祖父に似ていた。祖父と父の叔父、彼らははとこであり、祖母の弟だった。近親婚である。親戚づきあいの多い農家で、彼らも姉婿としてはとことして親しかったという。
この時もくりちゃんは、渋い顔をしていった。
「夢枕に立つなら、父の方にだろう。俺はほとんど会話した覚えもないぞ。甥っ子のあんたの夢枕に立つべきじゃないか」
父は苦笑し、「お前は本当に母親似だな」と呟いた。
ところでよくある話だが、母方のどこかに神職の関係者がいるらしい。遺伝か……と、ネクタイを緩めている父に文句を垂れるくりちゃんに、そんな事を思った。
今頃、祖父と大叔父は根の国でリンゴをもいでいるのだろう。
白い人
こんな危なっかしいくりちゃんだが、1番危なかったのは思春期に入った頃だった。反抗期ではない。自我の確立――つまり、自分の見ているものがおかしいのだと、くりちゃんが漸く気付きだした頃だった。
それまでのくりちゃんは、「神のうち」という言葉がぴったりな振る舞いだった。ラップ音がしようと、変な影を見ようと、唐突にお守りの紐が切れた数日後のスキー教室で事故に遭おうと、「そういうもの」で済ませていた。しかし、自我が確立してくると、これに齟齬が出る。「ここからが危ない」と、母はまるで見てきたかのように、くりちゃんにそれを渡した。
30cm程もない、小さな仏像だ。それをくりちゃんの部屋の棚の隅に置いた。
「特にお祈りをする必要もないよ。置いておけばいい。まぁ、気休めだね」
そういって、きょとんとする息子達に母はいった。
それだけの事だ。それからのくりちゃんの様子は、少しだけ落ち着いた気がした。マメなくりちゃんは、時々仏像を磨いて置き直していた。時になぜか勝手に棚から落ちたりしていたらしいが、特に割れる事もなかったという。尚、同時期に職場のトラブルでストレスを溜めていた父が寝不足で自損事故を起こした時、偶々法事で鞄に入れっぱなしだった観音像の飾りが彫られた数珠がなぜかはじけ飛ぶように切れていた。父は怪我ひとつなかった上に、このあとも何度か自損事故を起こしたものの、1度も怪我をする事がなかった。母曰く、「昔から偶に事故を起こしてたけど、その度に怪我もなかったし色々と運良く免れていまだに免許を取り上げられていない」らしい。父の零感は、ひょっとして感じなくても充分な守護でもある為だろうか。敏感な弟を不憫に思いつつも、くりちゃんはなんとか日々を過ごしていた。高校に上がると、その後今でも付き合いが続く程の友人が出来、大学に入った頃にはすっかり安定していた。
そしてその頃、ふと聴いた。
「最近、白い女性を見ないな」
「白い女の人」
「家でも稀に見たんだがな」
大学から帰ってきたくりちゃんは、ゆっくりと語ってくれた。
思春期に入り、自分の見ているものがおかしいのだと気づきはじめた頃。くりちゃんは小学校から部活に入っており中学でも入っていたが、この頃から部室で、教室で、家路で。偶に家でも「白い影」を見かけたという。それは視界の片隅、錯覚ともとれるものだったという。ただ、それをあまりに頻繁に見るものだから、くりちゃんは最初は怖いものかと思った。
しかし、その白い女性は何もしてこなかった。服装ははっきりとわからなかったが、白いワンピースを着ているのかと思った。ホラーでは定番だな、と、くりちゃん自身も思っていたらしい。しかし、その女性は、ただくりちゃんの視界に偶に入る程度で、一定の距離を保ったまま近付いても遠ざかりもしなかったという。だから、くりちゃんは特に怖がらなくなった。高校を卒業する頃、後期日程に滑り込んだくりちゃんは、ひとりの教室で時にその背後に存在を感じながらも、穏やかに無視する事が出来た。
だが、大学に入った頃から、その女性を見かけなくなった。
母の母校でもあるくりちゃんの大学のキャンパスはそれなりに歴史はあるが、「高校までと違って全然怖さがない」とくりちゃんは語っていた。中学は進学校でところどころに淀みのような陰があり、人死にもあった。高校は平凡だったものの、歴史の古さの為か、あまりひとりでいたくないと思わせる雰囲気がどこかにあったという。しかし、大学のキャンパスはそれがなかったらしい。それに気付いた頃に、ふと、その女性を見かけなくなった事にも気付いた。
「いなくなったらなったで、寂しいものだな」
そう呟くくりちゃんの部屋の机の上の棚。そこには仏像がいまだ鎮座していた。30cmもない、磁器製と思しきそれ。白い観音像が、優しげに微笑んでいた。
そして僕は思う。
(くりちゃん、観音菩薩様は性別がないっていうのが主流の説だよ……)
見るものの受け取り方によって性別は異なるらしい。のちに調べて知った事である。
「くりちゃん、まだ変なものは見えるのかな」
問うと、くりちゃんはふん、と鼻を鳴らした。フライパンが音を立てる。
「変な人間の方が多くて訳がわからん」
「世知辛いねぇ」
そんな事をいいながら、くりちゃんはご飯を作る。たたみ終えたタオルを運びながら、僕らは父の帰りを待っていた。
この話を思いついた「あもくん」のパロも入れようかと思いましたが、実録の数が思ったより多かったのでそれオンリーにしました。ちなみに母方の大叔母が縫ってくれた着物は私の成人式と大学の卒業式で活躍。きれいな着物でした。多分祖母んちにあります。
また思いついたらくりちゃんと僕みたいな感じで日常ホラー系のものをうpりたいです。