pixivより転載
審神者はそのとき、ただ呆けていた。
直前に二筋樋に言われたのは、「すまん、隠すぞ」という台詞。かと思えば臍から捩れるような感覚がして──気が付けば、どことも知れぬ場所で引っ繰り返っていた。
──清しい香り。
どこからか川が流れる音がする。そのためか水の匂いもした。
審神者がいた現世は昼間の街中だった。任務の一環で、二筋樋と加州と共に出掛けていた。その矢先に襲撃を受けたのだ。
今、審神者がいる場所は夜だった。「常夜」という言葉が彼女の脳裏に浮かぶ。腕時計を見ると、時刻は確かにこの日の昼間を示している。
(ひょっとして、「隠す」って言ってたし、ここが神域ってやつか?)
ようやく立ち上がった彼女は、その辺りをぶらついてみることにした。
地面は舗装されておらず、草が生い茂っていた。建物は見当たらない。これらの光景が確認できるのは、随所に篝火が配置されていたからだ。
──蛍が舞っている。
1匹の蛍が、まるで彼女を誘うかのように飛んでくる。蛍を見て一瞬蛍丸を思い出したが、次の瞬間、それとは違うと気付いた。
その蛍は青かった。まるで、「彼」の瞳のように。
鬼火、という言葉が浮かぶ。古代中国では、蛍はまさに鬼火のことを指していたらしいが、その青い蛍はまさにそのイメージぴったりだった。しかし、不思議と恐怖は湧かない。思わず触れたくなる。しかし自然の蛍にそのようなことをしてはいけないと聞いていたので──23世紀初頭の現在は既に蛍は絶滅しているが、歴史に関わる者としてそのことは知っていた──、手を引っ込める。
しかし、蛍の方から近寄って来た。
「わ」
熱い──と思ったが、そんなことはなかった。ほのかな温もりだ。安堵したつかの間、同じ蛍が数匹迫って来た。
「え──」
蛍は、審神者の頭の周りを旋回した。それから時折、頬や額を掠める。思わず声を上げる。擽ったい。きゃっきゃと蛍と戯れる。その蛍のうち1匹が、首筋に寄ってきて──
「相棒」
蛍が散開した。審神者は振り返った。
……少し負傷した様子の二筋樋が、彼女の数m背後に立っていた。審神者は言う。
「あ、片ついた?」
「ついた。迎えに来た。加州が待ってる」
そう言って、二筋樋は手を伸ばしてきた。
……それから、なぜか何かを躊躇った様子で手を引っ込める。
「……こんな殺風景な神域に閉じ込めて、悪かったな。せめて四阿のひとつでも作っておくべきだったな」
「え? そんなことないよ」
審神者は心底不思議だと言わんばかりに笑う。
「いいにおいするし、篝火も蛍もきれいだし。夜ってのも悪くない。良い神域だと思うけど」
「……そうか。あんたにはそう思えるのか」
そう言って、二筋樋は深々と溜息を吐いた。
「え? なんか悪いこと言った?」
「いや。……ただ、神域って言う、刀剣男士が全権を握るところで迂闊な発言はよした方がいいな」
「具体的に」
「今みたいな相手を迂闊に喜ばす発言はやめておけ、ということだ」
「え? 嬉しかったの、二筋樋」
「………………」
二筋樋は、今度は黙って審神者の腕を引いた。
不意に光が差し込んで──
昼間の日差しに、審神者が思わず目を伏せていると、加州が歩み寄ってきた。刀は既に仕舞っている。
「あ、2人とも戻ってきた。警察が事情聴取したいって」
「げ。めんどくさ……」
「………………」
了