pixivより転載
あとから確かめたところ、刀剣男士が赴いた先は丁度風邪が流行った時期だったらしい。
それも、胃腸風邪が。
「おげろろろろろろろろろ」
「はい吐いてー全部吐いてー」
本丸のトイレは和服を着ている者が多いことから和式トイレが多いが、審神者の私室にあるトイレは洋式だ。それが審神者自身の希望だったと聞いて不思議に思ったものだった。審神者も和服を着ているというのに。
理由は着任してはじめての秋でわかった。体調を崩すと、人は座っていられる洋式のトイレの方が体力の消耗が少なく、そして嘔吐するときは座面に凭れるように吐瀉物を吐き出せるからだ。それがわかって1年。審神者が体調を崩す季節が来て、誰かが風邪菌を持ち込んだ。その結果がこの惨状だ――加州は自室のトイレでひたすら嘔吐し続ける審神者の背中をさすり続ける。脱水が心配だな、と思っていると審神者はおもむろに顔を上げた。口の端からは唾液か胃液か判断しがたいものが垂れていた。
「おえ……もう何も出ない……胃液しか出ない……お腹空っぽなんだけど……」
「まだ吐き気やまない?」
「絶賛継続中、おえええええ」
審神者の口からはもう透明な液体しか出ず、それが彼の喉を焼いているようだった。加州はひたすら背中をさすってやりながら、端末で調べた情報を思い出す。
胃腸風邪は要は腹を壊す病気だ。嘔吐または下痢、もしくはどちらか一方。どうやら審神者は後者で嘔吐のみの症状らしい。「お医者さんが来るまでの我慢だよー」と、げっげと吐き続ける審神者の背中を撫でさする。
そして、トイレの便器。そこに浮かぶ中途半端に消化された食べ物の白い塊が浮いているのを眺めながら、加州はあることを思い出す。それは、審神者がやがて落ち着き、口を濯がせ、ひとまず洗面器を傍らに置いた布団に寝かせるまで、決して口にしないことだった。
「あ、清光。主大丈夫だった?」
「……うん。ところで下手人は特定できた?」
「下手人て。まぁとりあえずそれっぽい奴らは殺菌消毒したところ」
縁側を歩いていると、相棒の刀。大和守が洗濯籠を抱えているところだった。恐らく「下手人」の衣服だろう。そう思いながらも、加州はふらふらと彼の下へと歩み寄ってくる。
大和守は察して、洗濯籠を足元に置くと、両手を広げた。
その中に加州は突っ込んだ。頭を撫でる手が優しい。それに半ば夢見心地ながらも、加州は吐露せずにいられなかった。彼の腕の中で。
「主が、ゲロ吐いてたんだ」
「辛そうだったよね」
「でもさ、俺、それを見て思っちゃったんだよね」
それから告げた声は、あまりにも小さかった。
「吐くのが、血じゃなくてよかったな、って」
「――」
「苦しんでる主には悪いけど、ゲロが赤くなくてよかった……」
大和守の腕の中で呟く彼。それに、大和守は頭を撫でさすった。
「うん、それ、主に言った?」
「言うわけないじゃん……」
「ならよし」
抱き締める腕の力を強くしながら、大和守は言った。
「ただでさえ体調を崩してる主に、そんなことを言ったら更に体調が悪化しちゃうからね」
「……ん」
弱弱しい返事だった。
それは本丸が始動して1年目のこと。
なお、「拷問受けたり暴行されたりして血を吐くのも慣れてるよ」という闇歴史が更新されるのは数年後のことだ。
了