pixivより転載
はじめは、大丈夫だった。
審神者になって、不慣れな新生活。虚弱な体はそれに緊張してあっという間に風邪をひいてそのまま冬の間は軟禁された。病弱な主という存在に暴走した沖田組に堀川は止められず、和泉守が来たことでそれが何とか緩和したという具合だった。
まずかったのはそれ以降のことだ。体が、本丸に慣れてしまった。心も、慣れてしまった。
この「家」に慣れてしまった心は、時に記憶をぶり返す。それが良い想い出ならいい。それが、一般的に言う「悪い記憶」――トラウマなのだ。
俺は当初、それを隠していた。
普段は押し隠している傷。平気な顔をして笑っている。それの反動と言わんばかりに、月に1度はフラッシュバックが起きた。
激しい頭痛、止まらない冷汗、脂汗。激しい動悸、息切れ。そして――止まらない涙。古傷が痛むこともある。
それでも、隣室に控えている夜警の近侍に気付かれないようにすることはできた。慣れたものだった。長い療養生活、入院中に同様にフラッシュバックを起こし、同室の患者に気付かれないように、布団を抱き締め、歯を食いしばって耐えたものだった。病院ならば看護師を呼べばよかっただろうし、精神科で適切な投薬を施されただろう。俺は、しかしただでさえ医療崩壊が叫ばれて久しい看護師たちに、「余計な手間」を増やしたくなかった。俺は、体を適切な治療を施してもらえればそれで十分だった。
十分ではないと誰よりも自分がわかっていたけど。
閑話休題、俺はそういう夜は頭から布団をかぶって、自分を抱き締めて無言で泣き濡れた。大丈夫、だいじょうぶと自分に言い聞かせながら――なにも大丈夫ではないとわかっていたけど。布団の中で震えて泣きながら、強張った体を抱き締めて眠ろうと努めた。
眠れずに朝を迎えたときは、起こしに来る近侍に「ごめん、今日は具合が悪いや」と布団の中から声をあげた。
俺の心のグロテスクな傷よりも、虚弱な体のことの方が周知されていたから、それで通じた。通じてしまった。そして昼を過ぎれば俺は起き上がれるようになる。それはいつも通りだった。
(耐えられる)
俺はそう信じていた。
刀剣男士たちと親しくなっていくにつれて俺の体の不調に限らず心の不調も気付かれやすくなったけど、俺はそれでも隠した。
刀剣たちを信じていなかったわけではない。寧ろ逆だ。信頼していたからこそ、家族のような部下にこそ思っていたからこそ、言えなかった。
俺は誰よりも家族や友人に、自分の不調を言えない人間だった。
それがどういう心理によるものなのか、自分でもよくわからなかった――分析されたことがなかったから。
それでも、これでいいと思っていた。耐えられると思っていた。「家族」という名の部下が増えていくにつれて笑うことも増えた。俺は、幸せなのだと。そう思っていた。
けれど、それは無慈悲にやってくる。
(血だ)
(血だ)
(その血は、誰から出てる?)
(この血は、誰の手から滴っている?)
(簡単な話)
(俺が――)
「――っ……!!」
がば、と起き上がる。引っ掻けただけの肩から寝間着がずり落ちる。それに構えないほど、俺は呼吸がままならない。喘鳴を起こす胸。止まらない冷汗、脂汗。心臓がバクバクとする。涙も止まらない。今回はこの中でも呼吸がままらなかった。噎せ込みながら酸素を吸い込もうとする。うまくいかない。駄目だ、このままでは、このままでは――
迷惑をかけてしまう。
「主?」
「――」
存在を忘れていた。
今夜は御手杵と褥を共にしていたのだ。上半身裸の御手杵が、寝ぼけ眼で俺を見上げていた。
「どうした? 眠れないのか」
ふぁ、と欠伸交じりに体を起こしてくる。それが申し訳ない。けれど誤魔化すこともできないほど、今夜のフラッシュバックは酷い。口を押さえて呼吸しようとする俺に、御手杵はやがて目をしっかりと見開いた。
「大丈夫か?」
「――」
「……大丈夫なわけないよな。よいしょっと」
言って、御手杵は体を起こす。
それで、俺を抱き締めた。強すぎない程度に、しかししっかりと。
思わず目を瞠る俺に、御手杵は俺の背中を撫でさする。
「ゆっくり息をしろ。吸って、吐いて。吸って、吐いて。吸って、吐いて」
「……」
穏やかな声の穏やかな口調に誘われるように、息をする。できたのは浅い息だったけども、それでも繰り返すごとにだんだんと深くなっていった。静かな部屋。呼吸が戻った頃に、俺はようやく御手杵に胸を涙で濡らしてしまったことに気付いたけど、御手杵が気にする様子はなかった。俺を抱き締めて、穏やかに背中を撫でてくれる。そして、俺の頭をぽんぽんと軽く叩いた。
「怖い夢を見たんだな。よしよし」
それで、1番強く抱き締められて――布団にゆっくりと倒れ込んだ。片手で、俺たちの口元まで布団を引き寄せる。それから、また俺を抱き締めてた。俺の心臓は、まだバクバクと早鐘を叩いていたけど。
「ここには怖いものはないぞ」
そう言って、背中を撫でる御手杵の手が優しくて。俺の動悸はゆっくりと収まっていき、そして、眠気が訪れた。
きっと、今度は悪夢を見ない。そう確信しながら。
……審神者が眠った。
(吃驚したな)
健やかな寝息を立てる審神者。それでもこちらが落ち着かなくて、彼の背中を撫でさすり続けた。それで、思う。
まだ、俺は審神者の過去を詳しくは知らない。それはきっと恐ろしく陰惨な出来事だったのだろうと思う。あの、少年とは思えないほどに強い審神者を泣かせ、呼吸困難を引き起こさせ、冷汗をかかせるほどの――
俺は密かに決意した。
(主をこんなにした奴は、いつか必ず刺す)
それが「奴ら」という複数形だと知ったあとも変わらない決意だった。
審神者の丸い頭を撫でる。小さな頭だった。
了