▼大侵寇後のif
pixivより転載
がたん、がたん。がたん、がたん。規則的な音。それは電車がレールを走る音。
ふと目を覚ますと、橙色が満ちていた。緑色の柔らかなシートに腰かけ、背もたれに寄りかかっていた自分に影が差す。そこで私はあぁ、と納得する。出先から帰って来たのだ。出版社に寄る用事があって、その帰途に就いているのだ。西日を浴びて体温が高い。火照るようだ。
そして、不意に肩に重みを感じて見遣る。
そこには、幼子がいた。驚きはしない。今、我が家で預かっている娘の方の孫息子だ。娘が第2子を産むと言うことで一時的に預かっていた。小学校にも上がっていないこの子どもをひとりで留守番をさせるのは忍びなかったので、出版社に連れて行った。それだけのことだ。そして今、私は〆切を守るための睡眠不足が祟って居眠りをしていたようだった。そして、どうやらこの孫も幼さゆえの体力のなさと電車の震動で睡魔に誘われたのだろう。耳を欹てるとかすかに寝息が聞こえた。
(ふふ)
人目があるので、心の中でだけ笑う。微笑ましい。子どもたちが幼かった頃を思い出す。あの頃は幸福だった。妻に見放され息子は連れて行かれ、娘とは年を追うごとに心の距離が離れて行った。
しかし、今はここに幸福があった。娘が一時的にとは言え託してくれた孫。幼い命は無条件に愛しかったが、それが血の繋がりのある孫だと思うとより一層愛しさは増した。いっそ手元に置いておきたいと思う。それは娘のかなしみに繋がるから口にもしないし実行もしないけれども。
病勝ちの幼子。ゆえに健やかに成長して、寿命を全うしてくれればいい。その命の行き先を、きっと自分は見ることがないだろう。それがいいのだ。それが1番なのだ。そう思いながら、私は幼い孫の温もりを感じた。
がたん、がたん。がたん、がたん。電車がレールを走る。
あの電車の音を思い出す。あの温もりを思い出す。
こうして抱える、背丈ばかりが大きくなった孫の体は既に冷たかった。
「主」
そう呼ばれ、数秒経ってからキーボードを叩いていた手を止める。まだその呼び名に馴染まなかった。私が顔を上げると、開きっぱなしだった執務室の障子。そこに細長い黒髪の毛束を括った男――加州が立っていた。特徴を確認しないと名前が一致しないこの現状は早急に慣れないといけないと思う。特に、この本丸の初期刀「だった」加州清光のことは。
「なにかな」
答えながら再びキーボードを叩きはじめる。加州は、それになぜか微笑んだ。微笑みながら書類を差し出してくる。
「これ、報告書。同期して」
「長谷部が電子化してくれるんじゃなかったのか」
「その長谷部に遠征に行かせたのは主でしょ」
「あぁそうだった……」
答えながらスキャンする。モニターに現れたそれを確認していると、障子の縁に凭れて立っていた加州は不意に言う。
「主は、前の主は違うね」
「……血のつながりがあっても違う人間だからね」
「そう言う物言いは似てるんだけどね」
加州は微笑んだままだ。あるいは、それが固着している。
「前の主は、完璧主義なところがあったから。だから、死んだんだけどね」
政府本局を半ば陥落させた大侵寇。防人作戦と呼ばれたそれで多くの本丸が戦い、そして多くの戦績を上げた。それは三日月宗近と言う刀剣男士の活躍のためもあった。
けれど、被害がないわけではなかった。ここの本丸の以前の審神者が――私の孫がそのひとりだった。大侵寇の際、偶々政府本局にいたのが運の尽きだったと言う。
店を営んでいる両親、同じく審神者を勤めている次男はすぐに来られず、1番に駆け付けたのは祖父である私だった。
政府本局の霊安室に置かれた遺体。傍にいたのは泣いている青年。袈裟懸けに斬られた跡のある体。背丈ばかりが大きくなった、娘の面影が濃い顔――
私はあのとき何を思っただろう。ただ、抱きかかえたことだけは憶えている。酷くずっしりとした、冷たい塊だった。
それから色々あり、戦力の充実している本丸をそのまま解体するのも忍びないということで引き継ぎを政府が求めた結果、私が引き受けることになった。娘たちは先述の通り店を営んでいるし、弟は既に審神者を勤めている。文筆業を続けて良い、と言うことで引き受けた。
孫の面影を追ったためもある。
孫がどういう方針だったのかはわからないが、刀剣男士の大半は刀解を望まず続投した。初期刀兼近侍だったという加州曰く、「前の主は殉死は望まないだろうからね」と言うことだった。慕われていたのだろう、と思う。
報告書を読み終えてから、ふと再び加州を見る。彼はまだそこにいた。影が、夕暮れの彼の影が、私の顔にかかる。私が見上げると、加州の顔はよく見えない。顔が、影で。
「ねぇ、主」
彼は、ゆっくりと言った。
「主は長生きしてね。老い先短い、なんて思わず」
彼の顔は見えない。
「前の主の分も」
がたん、がたん。がたん、がたん。あの日の電車の音が頭の中に響く。あの小さな温もりは、永久に失われたのだ。夕暮れの中で、私は彼の言葉に答えられなかった。
後を追いたくて仕方なかったから。
了