主、最初は俺らの事にびびってたでしょ。五虎退の虎の1匹を抱き上げていた審神者に、加州がそう笑い混じりに尋ねたのは、そろそろ夏を迎える頃だっただろうか。抱える虎の毛並みは、夏毛に生え替わりつつあった。向こうでは、青江が打刀や脇差達に怪談をしている。そろそろ暑くなってきたから、という事らしい。それを努めて聞き流していた審神者は、ひとりで座っていた審神者に付き合うように隣に座った加州の言葉に目を瞬く。
「何を急に」
「今でこそ平気そうだけどさ。最初の頃は、結構目が合わなかったよ。頑張って良くはしてくれてたみたいだけど」
「ああ……」
いわれて、虎を膝に乗せた審神者は加州の目を見る。鞘の拵えに相応しい色の目だ。美しさを謳われただけはあり、それに見合った容姿を取ったものだと、今はしみじみ感慨に耽る。目を瞬きながらも、顔を逸らす事はなかった。そういえば、自身も慣れたようだ。最初の近侍である加州の指摘に、素直に肯いた。
「うん、そうだね。最初は、お前らに怯えてたかも。そんなつもりはなかったんだけどね」
「それはわかってるよ。ただ、ここの連中に対して、最初は態度が一貫してたなって。こんのすけにすら、中々目を合わせなかったじゃん。口振りは普通だったけど」
いいながら、審神者の膝の上の虎を撫でる。ネコ科の共通なのか、顎を撫でると心地よさそうに眼を細めた。明るい色の目だ。動物好きだという審神者が、当初はこの五虎退の虎にすら目を合わせようとしなかった事を、当初から見ている加州は気付いていた。今でこそ改善されたものの、その態度に不審の念を抱いていたものだ。どうやら生い立ちにかなり複雑な部分があるらしいのは、それなりの付き合いで察していた。それと関係があるのか、まだ成人していない審神者の保護者代わりでもある加州は心配していたものだ。
しかし、虎の耳元を撫でる、審神者の言葉は、どうやらそれとは無関係のようだった。
「うーん。ひと言でいうと、『付喪神』の目が苦手だったのかも」
「……こんのすけは違うでしょ」
訝る加州。まるで以前にも日常的に付喪神に接していたような口振りだ。審神者の言葉に首を傾げながらも矛盾を問うと、「ああ、ほら、こんのすけはぬいぐるみっぽいから」とまるで繋がっていないように聞こえる事をいう。虎は、少し強い日差しの元、審神者の膝の上で微睡む。ここに着任したばかりの頃よりは、鍛えられてそれなりに少年らしく堅くなった膝の筈だが、虎にとっては充分クッションの代わりになるらしい。そんな虎の、瞑られていく目を見て、審神者はいう。
「あのさ、清光は、俺が生まれた時からずーっと病弱だった、ってのは知ってるでしょ。ここに来てからも過保護なぐらい看病してくれたのもお前だし」
「そうだけど」
「だから、親からは結構甘やかされてたと思う。上の子だけど、弟とは結構年が離れてたし。何より、この時代に送り込まれる前に政府に色々治療して貰うまでは、いつ死ぬかわかんないような子供だった。だから、偶にちょっと元気になって出掛ける時は、俺よりも親の方がはしゃいでた」
突如語られ出したのは、審神者の思い出話だ。加州は眉を顰めながら困惑する。一体、付喪神と目を合わせられない事と、今の話に何の繋がりがあるのか。黙りながらも途惑う加州に、構わず審神者は話を続ける。手は、虎の頭をなで続けていた。
「それで、俺の健康状態が良くて、1週間ぐらい出歩いても平気だった頃があってさ。それが丁度クリスマス。……まあ、大体日本だとお祭りの一種と思ってくれ。そのイベントだと、子供には親からプレゼントを渡すもんでさ。親は俺が欲しがるものは何でも買ってやろう、っていうスタンスで。で、俺が偶々気に入ったのはぬいぐるみだった。確か、犬のぬいぐるみだったと思う。何が気に入ったのかは、ちょっと思い出せないな。それでクリスマス当日、同じ店に出掛けた俺は、そのコーナーに置いてあった同じものだった筈のぬいぐるみを買って貰ったんだよ。ただ、違和感はこの時からあった」
「……?」
「確かに同じ、『犬』のぬいぐるみだった。でも、俺が欲しがってたぬいぐるみとは違うものに思えたんだ。確かに同じぬいぐるみだった筈なのにな。こんな風に目のくりくりした、ミニチュアダックスフンドのぬいぐるみだった」
いいながら、虎が目を開けた時にそれを示す。金色の目は日差しの中で瞳孔が開いていた。いわれて、23世紀までの一般常識がダウンロードされた知識から「ダックスフンド」の画像を頭の中で取り出す。垂れた耳が特徴的な犬だ。「黒が基調のぬいぐるみだったよ」と、審神者が付け加える。
「子供の記憶は曖昧なもんだからな。中途半端に古い、客の出入りも微妙な店だったから売れたのかも知れないし、本当は俺が欲しかったぬいぐるみはどこかに仕舞われたのかも知れない。店の事情はわかんないけど。まあ、見てくれはかわいかったから、最初は気に入って飾ってたよ。病弱な俺の主な居場所は自分の部屋で、ベッドから少し空いた棚の上に置いておいた。丁度、ベッドに転がると、顔の左側だけ見えた。茶色い虹彩と黒い瞳孔の、よく出来た目だったよ。ぬいぐるみにしては毛並みもよかったし、クリスマスの楽しい気分の中で、常夜灯を点けて寝たんだ」
「……平和そうだけど」
「ここまではね。ただ、異変は気がついたら起きてた。違和感というべきかな」
虎の手を撫でる手は、穏やかなままだ。淡々と思い出話を語る口調で、審神者はいった。
「部屋を真っ暗にするのがまだ怖かったのが仇になってね、気付いちゃったんだ。ふと、ある晩、そのぬいぐるみを見てて気付いたんだ」
「何に」
「瞳孔が、動いてたんだ」
ぬいぐるみの話をしていた筈だ。いつから生きた動物の話になったのだろう。虎が不思議そうに加州と審神者の顔を交互に見遣る。呆ける加州に、審神者は何て事はなさそうに続けた。
「昼間はさ、瞳孔はまんまるい目玉の中で真ん中にちょこんと居座ってた。でも、夜にベッドに潜り込んでふと見ると、必ず上を向いてたんだ。瞳孔だけね。見間違いかと思ったよ、幾晩もね。でも何度見ても、何度近くで見ても、確かに瞳孔は動いてた。そんなギミックなんてない、ただの布と糸と1部のプラスチックのぬいぐるみの筈だ。なのに、確かに夜になると、瞳孔が上を向いてたんだよ。何を見てるのか、無表情のまま、ダックスフンドのぬいぐるみはいっつも上を見てた。じーっと、ただ、上を見てたんだ」
「……」
「年明けだったかな。耐えられなくなって部屋を飛び出したよ。親に泣きついたよ。……信じて貰えたかはわからないけど、とにかく俺の怯えようを見て親はそのぬいぐるみをしまってくれた。そのあと、また体調を崩して入院したから、今はどこにあるかわからないな。実家に連絡したら教えて貰えるかも知れないけど、敢えてまたあの恐怖に飛び込みたくないし。ただ、あれから、目玉のついている人間以外のものが怖くなったのは事実かな。特に、『付喪神』のお前らはね。モノに宿った想念だから、直接コンタクトを取れる今は怖くないけど、その術がなかったあの頃はとにかく怖くて仕方なかったな」
虎を撫でる手は、優しい。加州を見遣る目も、優しいものだった。だが、加州はとある1点が気になって仕方なかった。
そのぬいぐるみは、一体、何を見ていたというのか。
それを読み取ったように、審神者は答えた。五虎退が4匹の虎を抱えながら、こちらに駆け寄ってくるのが見える。それに目を合わせ、微笑んで手を振りながら、審神者はいった。
「それにしても、あのぬいぐるみは何がしたかったんだろうね。天井裏に何かいたのかな。確かに、俺が小さい頃は、よく天井裏から、丁度『子供が複数人はしゃぎ回っているような』足音がよく聞こえたもんだけど」
ひょっとしたら、守ろうとしてくれていたのかもねえ。暢気に語る口調は、どこか三日月や御手杵などののんびりとした気性の刀剣男士を思わせた。
背後では、怪談話が続いている。審神者が苦手とするホラーを、青江が嬉々として語っている。そういえば、審神者が以前、ホラーを不得手とする理由を語っていた気がした。
『ホラーは怖がらせようとして意図してくるじゃん。だから苦手なんだよ』
その言葉の意味の一端を、理解した気がした。五虎退がくしゃりと笑い、それに審神者が同じような表情をして、膝の上の虎を渡した。目は、自身の主を真っ直ぐに見ていた。
ぬいぐるみと足音の話は書き手の体験談。