pixivより転載
ある仲夏の日のことだ。
ボクが暑さの中、庭に出ることもできず暇を持て余して、加州にピンクのネイルを塗ってもらっていながらテレビを観ていたときのことだ。そこは座敷のひとつで、テレビにはゲームのハードがいくつか傍に置かれていた。娯楽室のようなものだ。そこにいたのはボクや加州だけではなく、審神者もいた。彼は壁に凭れて新聞を読んでいる。紙媒体のそれを彼は丹念に読んでいた。審神者はいくつもの新聞を取っており、忙しいときはざっと目を通す程度だが、今日のように仕事を終えた日にはじっくりと読んでいた。仕事のためもあるだろうが、彼の場合活字中毒者なので趣味も大半だろう。
そんな彼をちらりと盗み見たのち、テレビに視線を戻す。加州は手際よくボクの爪を塗っていた。
不意に、放送が切り替わる。何の番組だろうと思っていると、「ローザンヌ国際バレエコンクール」とテロップが出た。
「ローザンヌ国際バレエコンクール?」
そのとき審神者がぴくりと身動ぎしたのを見た。ボクはそれを見逃さず尋ねる。
「主さん、知ってるの?」
「――まあ、多少は」
「へぇ、主、バレエなんて知ってたんだ」
意外そうな加州に、審神者は答える。
「小さい頃、一時期だけやってたんだ。そのあとは野球に転向したけどね。――ローザンヌ国際バレエコンクールは、若手の登竜門って言われてる。15歳から18歳までのバレエダンサーのためのコンクールで、ここで入賞すれば確実に留学先や研修先も紹介される。1973年から開催されたから……もう200年以上の伝統のコンクールだね」
「へー」
「主さん詳しいね」
「まあね」
そうこう言っているうちに、テレビの中では少女や少年がキラキラした衣装を着て踊っている。煌びやかな世界だ。バレエに造詣がないので詳しいことも上手下手もわからないが、ボクの目には魅力的に映った。
「キラキラしててきれいだね」
ボクの素朴な感想に対して、いつも穏やかな審神者にしては珍しく皮肉げな様子だった。
「きれいなものには裏があるんだよ」
ボクはどういうことかと問い返した。答えはなかった。審神者は新聞の頁を繰るばかりだった。
その真相をなんとなく知ったのは、数日後の演練のときのことだ。
極カンストしている短刀のボクは、他の極カンストしている短刀らと共に部隊長(桜が舞っていない、あるいは練度が足りていない)を支えるために演練に出る。ボクらと同じように極カンスト短刀部隊と当たると泥仕合になるのだけど……閑話休題、ボクらはその日も演練会場に出た。
「―――」
不意に、規制音。それが真名隠匿システムによるものだと知っていたので、ボクは審神者の顔を見上げてから、振り返った。
全体的に細くて華奢で手足の長い女性が、そこに立っていた。刀剣男士を連れているから彼女も審神者なのだろう。最初、ウチの審神者は彼女が誰かわからないようだった。
「ええと、どちらさまでしたっけ」
「わからないか……私だよ、――」
再び規制音。恐らく真名を名乗ったのだろう。
――その途端、冷え込む気配。
ぎょっとして見上げると、ウチの審神者は顔を強張らせていた。滅多にない様子だ。ここに加州がいればうまくフォローできるのだが、いないから初鍛刀のボクがフォローするしかない。ボクはできるだけ明るく言った。
「主さん、このお姉さんはどなた?」
「――言ったでしょ、この前」
審神者の声はかすれていた。
「小さい頃、一時期バレエをやってたって。そのときの……」
「あぁ、やっぱりバレエ辞めちゃったんだね」
落胆した様子で、女性は言う。
「まぁかくいう私も、教室が解体されてから別のバレエ教室に通ったけど大成しなかったし……ローザンヌも2回連続審査落ちだったし。でもあなたは幼いながらに華があったから勿体ないな」
「そうなの?」
ボクが尋ねると、審神者は言う。その声まで蒼褪めていた。
「才能があろうとなかろうと、俺にとってはバレエは忌むべきものなんだ。……悪いけど、もう俺には話しかけないで。行くよ、乱」
「主さん?」
ボクは強い力で手を引かれ、その場をあとにした。ボクたちが帰ろうとするのを見て、他のウチの男士もついてくる。何事かと尋ねられたけども、ボクには何も答えられなかった。
――そう言う話を加州にしたところ、彼は苦虫を3ダースぐらい噛み潰した様子で顎に手を添えた。
「……バレエを習ってたのは小さい頃。それで、……主が処女を喪ったのは3……らしいから……多分、そういうことじゃないかな」
衝撃的なことを言われて、ボクは立ち竦む。加州はと言えば、「主の闇歴史が更新されたな……」と溜息を吐くばかりだった。
――初鍛刀として、審神者の傷は知っているつもりだった。けれどどうやら初期刀兼近侍はもっと色々なことを把握しているらしい。ボクはそのことを知って、どうすればいいかわからず尋ねた。
加州は答えた。苦笑交じりに。
「乱はいつも通りにしていればいいよ。主は、今の日常が大切なんだから」
ボクは、頷いた。
審神者には穏やかでいて欲しい。切にそう願った。
了