pixivより転載
それは梅雨の景趣に変えてしばらく経った頃のことだ。
「……」
「主?」
いつも通り仕事をしていた審神者。彼のこうした背中を見つめ続けて10年。成長期と共に大きくなり、そして実際よりも大きく感じるようになった。御手杵はそれでも自分よりずっと小柄──読者諸兄もご存知の通り、御手杵が大きすぎる──な彼の後ろ姿を御手杵は我知らず微笑みながら眺めていた。
第1部隊長の御手杵が執務室にいるのは、単に初期刀兼近侍の加州が所用で席を外しているからだった。御手杵は戦術・戦略面では意外と博識だが、日常の本丸運営に関しては比較的不得手だった。その点で加州はオールマイティに審神者の補佐を行える。だから、今は本当にただの代理だった。近侍と言う役目の原点にして最大のものである「護衛」と言う役目を、彼は担っていた。尤も、槍男士の彼は室内戦に不利なので基本的に相手を殴ることになるが。
話を戻そう。
御手杵は、不意にキーボードの音が途切れているのに気付いた。
審神者を呼びながら見ると、審神者は動きを止めていた。どうやら眉間を揉んでいるらしい。疲れ目だろうか。
「主、大丈夫か? 目薬出すか?」
そう言いながら、御手杵は執務室にあるミニ冷蔵庫の扉の取っ手に手をかける。この中にエナジードリンクと栄養ドリンクと缶コーヒーと市販の目薬が入っている。審神者が仕事を詰めているときの必須アイテムである。
「ん……いい……」
そう言いながらも、審神者は両手で目を擦っていた。
「あー駄目だって、痒くても眼を擦っちゃ」
言いながら御手杵は、審神者の両手を持ち上げようとする。
しかし、予想外のことが起きる。──審神者が、背中から御手杵の胸に凭れたのだ。
「へっ」
断っておくが、この御手杵と審神者は結婚している。しかし審神者は徹底して公私を分けるので、昼と夜で御手杵に見せる顔が全く違う。そのはずだ。そういうところも愛しているのだ、御手杵は。しかし偶には公私が乱れてもいいのにな、とは思っていた。そんな話を槍・同田貫部屋の飲み会で話したこともあった。
だから、不意打ちをされて御手杵は固まってしまった。しかも審神者は御手杵の胸板にうりうりと頭をこすりつけている。まずい。非常にまずい。御手杵の槍(隠語)が反応してしまう。出逢って10年、御手杵の槍(隠語)はこの審神者にしか反応しなかった。なので、昼間からこんなにデレられては――
「……眠い……」
「へ?」
「なんかわからんけどすっごい眠い……御手杵の胸板いい感じの枕……」
「待て、今布団出すから」
「行っちゃやだ」
「ああああそれ夜に言ってくれ! 可愛い!! 主が可愛い!! 本当大好き!! あ~~清光助けて~!!」
「……何してんの」
御手杵が悲鳴交じりの愛を叫んでも、審神者は既に寝入っていた。御手杵は宛ら猫飼いがこれから出勤と言うところで飼い猫に膝に乗られたときのように困っていた。そこに現れたのが、恐らく所用を終えたであろう加州だった。
「清光! 助けて! 布団敷いて!!」
「何? 昼間からヤるの? 10年経ってもお盛んだね」
「違う! よく見ろ、主が寝てる!」
「あれ、また?」
「また?」
加州の言葉に、御手杵は目を瞬く。
加州は言った。
「この間から昼間にやたら眠がるんだよね。ちゃんと夜寝かせてるんだよね?」
「ね、寝かせてる」
「ならなんでだろうね……」
考え込む中、審神者の健やかな寝息が響く。外は梅雨の景趣のため、雨が降っている。
御手杵が、不意に言い出した。顔色を悪くしながら。
「──なぁ……前、主、呪いかけられたよな。やたら眠る呪い」
「あっ……」
沈黙が下りる。やはり寝息が響いた。
御手杵は、審神者をがっと抱え上げた。加州が障子を開け放った。
「こんのすけ! こんのすけー!!」
「主のことスキャンしてー!!」
あれからこんのすけは呪詛の探知方面もアップデートしたのだ。
結果。
「呪詛の様子はありませんね」
「そうなのか……?」
厨で油揚げを食べていたこんのすけは、隣室の畳の上に横たえられた審神者の身体を残らずスキャンした。それでこの結果である。
御手杵と加州、それに今日の厨当番がなんだなんだと様子を見に来た。その騒ぎにも構わず眠り続ける審神者は、やはり多少異状があるように彼らには思われた。
加州は問う。
「メディカルチェックは?」
「えー少々お待ちください、今一緒にしたので情報処理が……あぁ、気になる点がひとつ」
こんのすけは答えた。
「自律神経が過剰に働いていますね。それで審神者殿、疲れているんじゃないですか?」
「自律神経が過剰に働く理由ってなんだ」
「最近主変わったことしてたか?」
「俺が見る限りではごく普通に仕事してたよ。今みたいに狩衣着て」
「狩衣……」
不意に、御手杵が外を見た。
雨が降っている。なので、湿度も高い。
御手杵がこんのすけに尋ねた。
「こんのすけ、今の本丸の気温は?」
「30℃ですね。このところこのサーバーは急に気温が上がりまして、どこの本丸も高温の傾向が──」
「暑気あたりだこれ!」
「俺らが平気だったから主のこと忘れてた! 主は人間だ!」
「主の夏服もってこい! あれだ、甚兵衛! すぐ着替えさせて!」
「冷房も点けるよ!! 近侍権限で!」
「点けろ点けろ!!」
その日、本丸はちょっとした騒ぎになった。
そして翌日目を覚ました審神者に、「暑くなったら言ってくれ!」と加州と御手杵が言い、「まだ梅雨だから狩衣いけるかなって思ってた」と飽くまで季節感を重視した発言に彼らは顔を手で覆った。
「あのさ、1年通して春みたいな気候でも俺ら不満ないよ……? 主ファーストだからね」
「季節感ないと寂しいじゃん。それに1年通して同じ気候って入院生活思い出してイヤ」
了