pixivより転載
この本丸は、表面上は賑やかだが穏やかなものだ。
日常で煩わらしいことは一切ない。内番などの業務はあるが、本丸を営むに当たって面倒なことはなかった。少なくとも二筋樋はそう思っていた。
それを何気なく、洗濯物を仕分けしている作業を一緒にしていた初期刀兼近侍の加州に言ったところ。
「……はぁ?」
地を這うような声が出た。二筋樋は少し怯えた。そんな彼に構わず、加州は溜息を吐く。
「新入りのお前がそう感じるんなら、主の見栄も無駄じゃないってことだね……」
「主? 主が何かしているのか」
「何をしているも何も」
加州は深々と溜息を吐いた。
「……まぁ、見ればわかるか。これ終わったらついてきて」
そう言われたので、二筋樋は大人しく加州についていった。傍から見ると身長差20㎝のある彼らは、それぞれの印象もあり、宛ら「先住の飼い猫についていく大型犬」だった。閑話休題。
「ここ、そっと見て」
「……主の執務室じゃないか?」
二筋樋が連れて来られたのは、彼の言う通り、確かに審神者の執務室だった。加州は人差し指を口の前で立てながら、二筋樋を招き寄せた。それから、ほんの少し障子を開く。そこから覗き込んだ。
「──ええ、その件は片が付きましたので。既に報告書はそちらに送りました。それでは。──はい、菱潟です。ええ、その話は……はい、処理しておきました。ご確認お願いします。──もしもし、組対部ですか。この間の一文字一家が暴力団に絡んでいた……はい、その件なんですが──」
……一筋だけ開け立てた障子の向こうで、審神者は携帯端末でひっきりなしに電話をかけ、その間にも手はキーボードを叩いている。時折左手で紙切れに何かしらを走り書きしている様も窺えた。忙しなく働いている様を見て、加州はひそりと二筋樋に声をかける。
「……ね、わかったでしょ。ウチの主、めっちゃ働いてんの。俺らの前ではちゃらんぽらん振る舞ってるけど、大抵の本丸で事務ができる系男士が過労になってるのに、ウチの本丸がそうじゃない理由がこれ」
「……働きすぎ、というのでは?」
「全く以てその通り」
二筋樋の疑問に、加州は頷く。
「ちゃんと『自分がいなくても動く仕組み』は作ってるんだよ? でも『自分がいる』ときは働いてんの。主、体が丈夫じゃないのに、ほっとくとこういう風に働き詰めするからさぁ……俺たちが平和なのは、主のおかげ。逆に言うと主の『せい』だね。主が仕事を回してくれないから、要はみんな暇なんだよ」
「そういうことだったのか……」
「そういうわけで今から突入しまーす」
「えっ」
「御用改めである! 主、休め!!」
「わあ清光!? ……と二筋樋!?」
「端末没収! 主は今から昼寝の時間です!!」
「待ってまだ話し中ー!」
「……」
(俺にできることはあるんだろうか)
その日、審神者は政府への所用で出向いていた。ただ報告するだけなのだが、二筋樋は政府への案件に馴らさせるようにと長谷部に連れて来られていた。長谷部は政府案件の近侍だ、と彼は言っていたし審神者も肯定していた。執務室での電話を盗み聞きした際にもわかったことだが、政府の案件を解決することもあるという。1度など連続殺人事件を解決したこともあったそうだ。なので──仕事が来る。
仕事は、できる人間の元に押し寄せて来る。そして熟せば熟すほど仕事はもっと押し寄せて来る。それをわかっていて、審神者は仕事をしているようだった。
──聞いた話では、この審神者は嘗て本丸のバッテリー役としてのみ期待され徴用されたという。その後、戦の采配に関して思わぬ才幹を見せ、政府での案件も熟すようになり、重用されるようになったらしい。
審神者は言っていたという。「政府で出世したい」と。
その言葉の意味を、二筋樋は正確に理解できる自信がなかった。
「──はい、ではその件は完了と言うことで」
はっと顔を上げると、審神者は政府の組織犯罪対策部の役人と話を終えたようだった。社交辞令で和気藹々と話をしている。長谷部がホッとしたような顔をしていた。長谷部もまた審神者を心配している一振りなのだろう。……彼が見たところでは、審神者と鶴丸の悪戯に怒り狂って刀を振り回していたが。
しかし、安堵は一瞬で引くことになる。
その役人が言い出したのだ。
「そうそう、菱潟さん。この件も頼めます?」
それは、新たな仕事の無茶ぶりだった。審神者が請け負おうとして、長谷部が間に入る。
「待ってください、ウチの主はもう仕事でいっぱいいっぱいなんです」
「えーでもこの件は菱潟さんじゃないと……」
「そう言っていくつもの仕事をウチの主にふっているでしょう! あなた方、本当に仕事をしているんですか?」
剣呑な雰囲気になっていく。審神者はと言うと、「長谷部、俺は大丈夫だよ」と笑っている。それを見て益々長谷部は激高し──
二筋樋は溜息を吐いた。自分にできることがひとつだけあった。
なので、審神者の背後に回った。長谷部と役人が目を瞬いている前で、二筋樋は審神者の首に腕を回す。
「主、すまんな」
そう言って、キュッ、と絞め落とした。見事な裸絞めだった。3秒で審神者の意識が落ちる。
その審神者を横抱きにすると、二筋樋はまるでなんでもなかったかのように役人に言った。
「すまんな。主はこの通り使い物にならなくなった。その仕事は他の奴にふってくれ。それじゃ帰ろう長谷部」
「あ、お、あっ……? あ、あぁ」
長谷部は色々言いたそうだったが、「主が仕事を新たに請け負うことなく帰れる」事実に気付いて、呆然としている役人たちに「それでは失礼する」と二筋樋の後を追った。
二筋樋の隆々とした腕でなされる絞め落としは滑らかなものだった。
なお数時間後に意識を回復した審神者は二筋樋を強く咎めることもなかったので、この後似たような事態(審神者が仕事で無茶をするとき)が発生した場合、彼が呼ばれることになる。
「お巡りさんの仕事ではないのはわかっているんだがなぁ」
そう言いながら審神者を絞め落とすので、その言葉は説得力を持たなかった。
了