▼一食1合というのは書き手の往時の食べる量から量りましたが、ひょっとしたら若い男性はもう少し食べますかね
そういった事は彼が最初だったと思う。こんのすけが連れてきた「御手杵」は、自身の元の彼よりもずっと平板な表情をしていた。
「審神者殿。この御手杵殿を暫くここでお預かりいただきたい」
こんのすけがいうには、彼のいた本丸は政府によりお取りつぶし。部隊は解散され、一定水準で精神の安定している刀剣男士もあちこちの部隊にばらばらに預けられる次第となったという。それはお願いという名の政府からの命令で、この本丸の審神者である自身も、自身の御手杵も否やはなかった。ただ、わかりづらいので目印代わりに彼には常に内番着でいて貰うという事。それと呼び分けの為に、客分の彼は仮称として「義助」と呼ぶ事。彼らは快く応じてくれた。
けれどもどうしても気になったので、「義助」が蜻蛉切や日本号に連れられて槍部屋の近くの部屋へと案内されていく向こう。御手杵と2人で、こんのすけに尋ねた。
「彼の前の審神者は生きているの」
こんのすけは肯いた。深刻な様子で。
「存命です。但し、もう審神者になる事はありません。だからこそ、貴男のような審神者の元にひとまず預ける事にしたのですよ」
「ここ、何を育ててるんだ」
間延びした声。それは確かに「御手杵」の声だった。しかし聞き分けは既に出来ている。これは「義助」の方だ。縁側に座って野良作業を眺めていた審神者は、のんびりと歩いてきた義助を見上げる。彼もここに馴染んだ。未定の滞在期間の中、出陣をしない方の「御手杵」は、この日もジャージを着ていた。指定の服である。当初は自身や他の刀剣男士達の見分けの為に指示したものだが、今では無駄な事だったかも知れないと思っていた。隣を勧めると、義助は遠慮なく座る。その程度には彼も、ここの部隊に慣れていた。そして顔を上げる。義助の視線の先、内番着の男性が2人いる。日本号と御手杵だ。先日の政府による大々的な訓練の際、やって来た3番目の槍と御手杵は畑内番をこなしていた。
槍男士が三振り揃った時、「蜻蛉切が浮いている……」と思った事は、審神者は口にしていない。ついでにいえば、蜻蛉切と並ぶと若く見える御手杵が、日本号と並ぶと老けて見えるともいっていなかった。たとえていうならば工事現場の監督とアルバイトの学生だ。槍としては蜻蛉切が最年少だったという事を否が応にも思い出させられた……閑話休題、その槍男士達に、義助もかわいがられていた。事情は知らないが訳ありだという義助は、この部隊の御手杵よりも稚く見えたのだろう。比べるとここの御手杵は比較的表情が豊かで、義助は比較的静かに笑う方だ。今も文句をいいながらも土いじりを続けている御手杵に、日本号が背中を叩きながら同じ作業を続けてこちらを示す。すると御手杵も破顔して、義助に手を振るのだった。義助が手を振り返すのを尻目に、審神者は胡座を掻いた膝に頬杖を突く。
「今、日本号達が手入れしてるのは豆の畑だよ。枝豆も取るし、大豆にもする。他にもキミや茄子とか胡瓜とか芋とかトマトとかゴーヤとか」
「キミって」
「あ、トウモロコシの事。俺んちだとこう呼んでたからさ。方言らしいんだけど。んで、あっちだと花も育ててるよ。歌仙や宗三とかが華道をやるからね」
「色々育ててるんだなぁ」
「ま、家庭菜園程度だけどね。陸奥守なんかが張り切っちゃって……」
義助ののんびりした声音に、やや嘆息混じりに審神者は畑を見渡す。当初はこれ程に大規模な畑を作るつもりではなかった。内番で刀剣男士達に任せきりにしていたら、燭台切が欲しい野菜を提案し、それに見合った苗の購入を要求され、それに答えて配給した。気がつけば家庭菜園などというかわいらしい表現ではすまない規模になっていた。籠城しても暫くは喰っていける、どころではない。御手杵と日本号の向こうに見える蔵を眺めて、審神者は溜息を吐く。
「さすがに米は育てられないから政府からの支給だし。でも凄いよ、何せ50人近くの若い男に喰わせる米の量だからね。週1で政府から届けて貰ってるけど、しまっておく米倉も大きくて。大体ひとりにつき一食1合と計算しても、それを3食、更に50人分だからね。えげつない量になるよ」
「更に五虎退の虎とか鳴狐の餌なんかも必要なんじゃないか」
「それはほら、ちゃんとメインの餌もやってるけど、米倉に鼠が出入りするから。タンパク質をセルフで確保してくれてるよ」
「成る程」
義助が肯く。審神者は遠い目をした。五虎退の虎や鳴狐のお供が、米倉に侵入しようとした複数の鼠を競って捕まえている様を目撃したのはいつの日か。リアル猫いらずである。「あ、主殿! 鳴狐を知りませぬか!」と口の端に鼠の尻尾を垂らした鳴狐のお供に尋ねられた時の事は少しばかりトラウマになっている。そういえば狐も肉食だった。余所の部隊でもこうなのだろうか。自分で淹れてきた茶を啜りながらやさぐれた気分になっていると、義助はいう。
「うちは基本的に大体政府からの支給の食料だったな。ここまで自分達で確保してるところも珍しいんじゃないか」
「うちの刀剣男士達はやけに自立心が強いからねえ……」
笑いながらも、義助の言葉に内心で目を剥く。これまで、義助が自分のいた部隊についていってきた事など1度もなかった。
『御手杵……いえ、ここでは仮称として義助殿でしたね。彼が自分から何かいってきたら、それを受け止めてあげてください。それが今の義助殿に1番良い事ですから』
こんのすけに、義助の以前の審神者について尋ねた時。続けてそういわれた。
それはカウンセリングの必要を示唆していた。
こんのすけとのやり取りを思い出す審神者に、義助は目線は日本号達に向けたままだ。彼はぼんやりとした声音で、しかしどこか不思議そうにいってくる。
「っていう事は、この畑を広げたのは、あんたの要望じゃないんだな」
「まあ、万が一の為にちょっとは広げた方がいいのかな、とは思ってたけどね。ここまで広げたのはうちの刀剣達だよ。農業に関しては知識しかないから、彼らもよくここまで手入れしたもんだとは思ってるよ」
「自分の食べたいもんとか……」
「どっちかっていうと野菜より肉を食べたいお年頃だから」
頬に手を添えていえば、義助は笑った。なぜか、どこか寂しそうな笑みだった。
「確かにな。あんた若いもんな。いくつだっけ、脇差しの連中と変わらなそうだけど」
「見ての通りの年齢、とだけいっておくよ。偶に岩融なんかが猪や鹿を狩ってきて燭台切が美味しく調理してくれるから、それでいっぱいご飯を食べるのが1番好きな食事かな」
野菜を食べろ、とは近頃はまるで厳しい母親のように接してくる長谷部の言葉も素直に訊いて野菜も食べるようにはしている。病弱な自身には栄養バランスの取れた食事が1番だ。しかし1番好きなのは肉なのだ。トンカツ定食は至上である。キャベツの千切りに乗った揚げたてのトンカツ……それを思い出すと思わず涎が垂れそうだ。隣の現在進行形の「問題」を一瞬忘れかける。しかし、引き戻された。
「あんたは欲がないなぁ」
それは素朴な、しかし決然とした言葉だった。思わずゆっくりと顔を向ける。湯飲みを片手の審神者に、義助は笑っていた。やはり、ここの「御手杵」と異なり、元の端正な鼻梁が際だって人形めいた印象の表情だった。
1番違うところは既にわかっている。ここの「御手杵」は泣くし、怒るのだ。義助は今までの短い間でも、笑った顔しか見せていない。
その結論を証明するように、義助は笑っている。いつもの、穏やかな笑みだ。
「俺の主だった人も、良い奴だったと思うよ。少なくとも、無体はしなかった。みんな笑ってたし、手入れもして貰ってた。賑やかで和やかな部隊だったと、今でも思ってる。居心地が良いところだったよ。ただ、前の主は、欲がありすぎた」
「……欲は、あった方がいいよ」
「うん、あんたを見てるとそう思う」
審神者の言葉に、義助は肯く。しかし、視線を畑に戻した義助は、言葉を続けた。
「ただ、あんた程とはいわずとも、もう少し普通に生きて欲しかったな」
「普通」
「あんたは、法を破る愚を犯す程、欲望は強くないだろう。前の主は、その愚か者だったんだ」
やって来て数週間。沈黙を保っていた義助の事情は、彼の口からあまりにもあっさりともたらされた。言葉を失う審神者。それに、義助は構わず続ける。胡座を掻き、頬杖を突く。審神者と同じ仕種だったが、今はもう、審神者にはその挙動ひとつひとつが目を奪っていく。一方、義助の目は畑にばかり目がいっていた。特に、緑の葉の生い茂ったところへ。
風が吹く。葉が揺れた。義助の目も揺れたのだが、審神者には見えない。
「内番にさ、今、ここの俺と日本号がやってるように畑の手入れってあるだろ。俺の部隊でも、行われてたんだ。でも、ここだと刀剣達に自由にやらせてるだろ」
「……うん」
「俺の部隊だとさ、そこらへんは主が全部指示してたんだ。それに、四季を一定させていた。でかいビニールハウスみたいなもんだったと思うんだ、『それ』に気付いた前の主にとっては」
「……」
畑、主が全て指示、大きなビニールハウス。それらの言葉に、審神者の頭には付合していくものがある。法を破った愚か者――動悸が速くなる。
「博多の言葉が、切欠だったのかもな。『この菜を売ったら、いくらになるのか』。……あの畑にあるものを売るという発想に気付いた時から、主は畑の内番の度に同じ植物を俺達に育てさせはじめた。それを収穫すると、どこかに持っていって売り飛ばして、その金で俺達に色んなものを充実させてくれた。最初は、主が何をしているのかなんて俺達にはわからなかったよ。
でも、明治維新以降も市井に触れる機会のあった連中は気付いたみたいだった。主が『それ』を売り飛ばしに行く度に、表情が曇っていく奴らがいた。多分、その連中の誰かが政府に通報したんだろうな。……主に幕末以前に活動していた俺達にはわからないだろうと踏んでいたんだろうな、前の主は。政府からのガサ入れが入った時、前の主は本当に驚いた顔をしていた。
前の主は、『薬』の元を売っていた。聴いた話じゃ、億単位を懐に突っ込んでたって話だ。多分、今、あんたの時代じゃウチの部隊発の『薬』が出回ってる。俺達刀剣男士を働かせて作ったのがな」
――話は聞いていた。こんのすけから、「刀剣男士を本来の用途――歴史修正主義者や検非違使との戦い――以外の用途に用いた審神者が逮捕された」と。政府としては、治安の悪化して久しい国内に新たに「薬」が流通する事よりも、刀剣男士や本丸が本来の用途以外に使われていた事が問題視された事は容易に想像がついた。だから、その内容まで、特に追及しなかった。しかし、それを後悔している。知っていれば、まだ心の準備が出来た。
淡々と、あまりに淡々と。何の表情も浮かべず語る義助は、「過ぎ去った事」という風体で、以前の彼のいた部隊について語っていた。実態を知らぬうちは幸せだっただろう日常を。
義助は不意に、掌を見詰める。長柄の槍を振るうにぴったりの大きな手だ。これで「薬」の元となった植物も育てたのだろうか。やるせない気持ちで見詰める。同情というには、刀剣男士の心情は計り知れなかった。特に、「御手杵」については。義助は語る。
「何が起きたかさっぱりわからなかった。役人に泣きすがったり、斬り掛かったりする奴もいた。ただ、俺は、槍を持ったまま、呆然と見送った。役人に連れて行かれる主を、ただ見送る事しか出来なかった。罪状を聴いて、俺達がやらされていた事を知って、少なからず衝撃を受けていたんだと思う。自分に、そんな『人間』みたいな心があった事に、俺は驚いてたんだ」
その掌に、姿が浮かぶ。槍だ。この長く大きな槍は、「御手杵」の槍だ。この本丸に預けられてから、1度も出して見せた事のなかった、義助自身の本体だった。それにぎょっと目を剥いたのは、審神者ではなく、畑の日本号と「御手杵」だ。審神者は、それを見て、ただかなしい気持ちで見上げていた。隣の刀剣男士は、立ち上がっていた。久しぶりに握るのだろうそれを、懐かしそうに。
「それが、心残りだったんだ。俺は、主を守れなかった。たとえどんな奴だろうと、俺達刀剣男士を、『武器』として、戦で正しく運用してくれた審神者だったのにな」
「好きだったんだね、前の主が」
「……あぁ、そうだな」
審神者が尋ねると、義助は肯いた。歩いてくる日本号と御手杵。彼らの顔に警戒の色があるのは、これまで、自分自身の武器を「出現」出来ずにいた義助が、自分達の主の隣で唐突に出してみせたからだろう。しかし審神者は、隣の義助のその姿に、別れが唐突にやって来た事を悟った。
義助は、笑っていた。照れたように笑ったのは、はじめてだった。
「衝撃が強すぎて、自分の武器すら出せなくなるぐらいにな。俺以外にも、そういう刀剣男士がいた。そういう奴らが、あんたみたいな『ちゃんとした』審神者のところに預けられたんだろうな。有難うな」
「俺は何もしてないよ。礼をいうなら他の刀剣達にいいなさい。……お前ら、大丈夫だから。そんな怖い顔するなって」
歩み寄ってきた2人を諫める。そして日本号に、こんのすけを呼び出すように伝えた。
保護していた「御手杵」は、もう大丈夫だと。
「審神者殿は、以前いわれていましたね。刀剣男士に人権を認めるかどうかについて。今回の事件は、審神者殿が提起した問題に一石を投じる形になったそうです」
「義助」が政府の役人に連れられ、笑顔で去っていったのち。彼の行く末が幸せである事を祈っていれば、「やはり貴男に彼を任せて正解でした」と、こんのすけはいう。新たに淹れた茶を啜っていた審神者は、こんのすけを見返した。こんのすけは、出された水を平皿で飲みながらいう。
「何せ、刀剣男士を『人間』として扱う方が、今回の事件について片付けるのが簡単ですからね。簡単にいえば共犯です。しかし彼らに法的処分を行うには、彼らの立場はあまりに弱すぎる」
「審神者が騙して犯罪に荷担させていた。けれど彼らは、日本に『薬』の知識が出回る前に活動していた刀剣がほとんどだ。幕末までは、元となる植物自体が存在してても、それの利用法を人々が知らなかったからね。おまけに、刀剣達は審神者に従う存在だ。……それで、生き残った刀剣達はどう扱われるの」
「そんな怖い顔をなさらなくても大丈夫です。彼らはそれぞれ、ばらばらの部隊に配属される事になります。ベテランの審神者の方々にですから、貴男が心配される必要はありませんよ」
「……そう」
胸の内で安堵し、湯飲みを卓袱台に置く。そうでなくては、「義助」に再び刀剣男士として活動できるようにさせた意味がないだろう。そう結論づけていたが、それでも心配なものは心配だった。1度懐に入れた者なら尚更だ。そして、審神者は尋ねる。
「で、こんのすけ。それで結局、刀剣男士に関する人権意識の問題はどうなった訳」
「まだ、議論の段階です。時間をかけねばならないでしょう。……残念ながら、『こんのすけ』の警備を強化しても、本丸や刀剣男士を別の形で利用しようとする審神者は絶えない。意識を高める事が重要でしょうね」
「そういう点で、俺は信頼されているんだね」
皮肉のこもった視線を向ける。しかしこんのすけの毛皮は、そんなものは弾いてしまう。
「えぇ。貴男は罪を犯すよりももっと効率の良い金の稼ぎ方がわかるでしょう。犯罪程割の合わないものはないと、そのお年で分別の付いている方だと判断していますから」
「心に染み入る言葉だね」
唾を吐きたいのを堪え、茶を飲んだ。
脳裏に浮かぶのは、去っていった義助の姿。預けられた時より幾分か表情が豊かになった彼の言葉を思い出す。
『たとえどんな奴だろうと、俺達刀剣男士を、『武器として』、戦で正しく運用してくれた審神者だった』
(もし、自分の主が最初から『薬』を作る為に手伝ってくれといっていたら、義助の部隊の面子はどうしたのだろう)
通報したのは恐らく刀剣男士だと、義助はいっていた。しかし、泣きすがり、斬り掛かる者もいたという。十人十色――
「ウチの部隊の刀剣には、出来れば、悪い事は悪いと訴えて欲しいな」
ひとり言というには、少々声が大きかった。しかし、こんのすけは何もいわない。ただ、平皿の水を舐めるだけだった。
End.