▼カン/タレ/ラ@黒/う/さPを聴いてたら書きたくなったので。
お題は「晩霞」(http://www11.plala.or.jp/harutake/banka/banka_top.html)より。
この部隊の本丸の資料室は充実している。資料というより、ちょっとした図書館だ。偏に、ここの審神者の趣味である。電子媒体よりも紙媒体が多いのも、古き物に宿る付喪神である刀剣男士達への計らいよりも、この本丸の主が紙の手触りを愛してやまないからだった。
なので、定期的に行われる本の虫干しもまた、この本丸の日常風景だった。内番として、その手伝いに駆り出されていた蜂須賀は、日陰に干された分厚い文献を片手に溜息を吐く。少し離れたところでは、審神者が鶴丸と共に楽しそうに本を改めていた。今回の虫干しは「ヨーロッパ史」のコーナーの書物だ。表紙にはカタカナが踊っていた。
「全く、本を読むのは感心するが、こういう事を刀に手伝わせるとは……」
「まーいいじゃん、結構楽しいし。それにしても洋綴じの本の干し方ってこうやるんだなー」
傍で本を広げていた弟が、人好きのする笑顔を見せていう。そうするととても心和むが、視界の端に新撰組男士と共に本を持ち運ぶ義兄の姿を認めて目に剣が走る。
全く、態となのかそうでないのか――ここの主は、自身と長曽祢の関係が良くない事を把握している筈だった。にも関わらず――寧ろ焚きつけるように自分達を一所に置こうとするのだから困りものだ。蜂須賀は密かに嘆息した。傍では書物が風でページを捲られる。
(俺と長曽祢の仲が良くない事など、承知の上だろうに)
「あ、なぁ蜂須賀兄ちゃん」
縁側で嘆息する。日陰で干されていた本の1冊を手に取った浦島は、悩める実兄の内心など構わず、その隣でページを捲っていく。そして首を傾げた。
「浦島、それは虫干し中だからあまりいじらないように」
「『カンタレラ』って、なんだ」
聞き覚えのあるような単語に、蜂須賀は見下ろす。弟の持つ書物には、「イタリア・ルネサンス期」と題が冠されているようだった。
審神者の意思ひとつで季節が移ろう。快いその日差しの元、蜂須賀は黙って、長曽祢と共に本を運ぶ審神者を示した。
誰もその真名を知らぬ審神者。少なくとも知られているのは、この部隊のウォーキング・ディクショナリーである事だ。別名、「無駄知識が狩衣を着て歩いている」である。「え、俺」と目を瞬く彼の人は、今は動きやすいように自前のジャージを身に纏っていた。
庭の地面。そこに、落ちていた枝で地図を描く。それは長靴に似た半島。イタリアである。
「チェーザレ・ボルジア。『イタリアの信長』といわれた男は、このローマで生まれたんだ。ローマ法王の息子としてね」
その中部を枝先で示す。集まる視線はひとつではない。浦島、陸奥守、博多。白刃隊における柔軟・新しいもの好き勢が、地面の地図を囲んでいた。呆れたように見遣るのは、縁側の蜂須賀。たった今放たれた「信長」という言葉に振り向いたのは、本を大量に抱えた長谷部だ。その長谷部を手招く審神者に、博多は手を上げる。
「はいはい、質問」
「はい博多君」
「ローマ法王っていうたら、ばてれんの聖職者じゃなかと? 結婚したらだめじゃなかと。なんで息子がおると?」
「良い質問だね。答えは簡単。どこの国でも聖職者は権力者と結びついて腐敗する。ちなみに腹違いの兄弟もいるぞ」
「……よくわかったばい」
「チェーザレはその立場をフルに使って、成長すると破竹の勢いで天下統一に向かった。イタリア、とはいったけど当時は『イタリア』と呼ばれる国は存在しない。所謂群雄割拠の戦国時代だった訳だ」
「成る程。チェーザレが信長、といわれるのはそれに絡んでの事ですか」
本を置き、にわかの世界史講義に参加する。陸奥守の横に入って来た長谷部に、審神者は苦笑混じりに地図を広げた。描かれていくのは、イタリア半島から続く広い欧州の地図だ。
「そうだね。境遇は似ているよ。美人の妹もいるところもね。――但し、日本と違うのはイタリアは半島。当時から大陸の国々の争いにも巻き込まれていたところが違う。更にいえば、信長公は天下統一に曲がりなりにも成功している。チェーザレは結局、道半ばにして殺された。そしてイタリアは他の国々にばらばらにされて、ヨーロッパのあちこちの国に持って行かれたんだ。もしチェーザレがもう少し長生きしていたら、統一イタリアは300年ぐらい早く実現していたかも知れない。ちなみに織田信長が生まれたのはチェーザレの死後30年ぐらいあとだね。――その辺で、向こうも歴史遡航軍が大変らしいよ」
「それで主さん、結局『カンタレラ』ってなんなんだ。この本にはあちこちに出て来るけど」
現代史に話が戻りかけたところで、浦島はその本を示す。衆目が集まる、それは浦島がこの話の切欠を生み出した本だ。史書の体を成しているようだが、どうやら娯楽小説の装飾が強いようだ――それを看破した審神者は、苦笑しながらその本を受け取る。こんな本もあったのか、ひとりごちながらそれを捲った。
「チェーザレはイタリアの信長、といったでしょ。手段の為には人を殺す事も躊躇わない。彼が政敵に使ったといわれるのが、『ボルジア家秘伝の毒薬』――カンタレラ。盛れば必殺の甘美な毒薬を使っていたと、チェーザレは噂されていたんだそうだ」
「そんなおっそろしげなもんが存在したのか」
「んな訳ないでしょ。こんな都合の良い毒薬があったらそれこそ歴史が変わってるよ」
肩を竦める陸奥守に、審神者はあっさりと首を振る。目を瞬く刀剣男士達に、本を叩いて苦笑しながら彼は説明した。
「チェーザレは、のちの『君主論』を著したマキャベリに、理想の君主の実例として書かれた。一方、政敵にとっちゃチェーザレほど恐ろしい奴はいなかった。劇薬のチェーザレの存在こそが『カンタレラ』というべきだね。あまりに辣腕を振るう様から、あいつは秘密の毒薬でも使っているんじゃないかと後世の人々から根も葉もない事をいわれただけ」
「なーんだ」
「名前の響きが音楽的だし、美人の妹との関係もまことしやかに噂されているから退廃的で耽美な感じがするんでしょ。さーて、また話が聞きたかったら執務室においで。今は本を片付けちゃおう」
いって、審神者は浦島に本を返す。彼らが見ると、太陽はそろそろ西に傾きはじめていた。膝に手を突いて立ち上がる審神者は、背筋を伸ばしながら同様に立ち上がり出す刀剣男士達に指示を出す。すっかり虫干しの済んだ書物を、日が暮れる前に片付けねばならなかった。
その中で、長谷部は不思議そうに問いかける。
「主。その『美人の妹』とやらはお市様の事をいっているんですか」
「ああ、そうそう。信長公の妹さんだったか従妹だったか。秀吉公が憧れていたっていうモデル体型の美人さんだったっけ。チェーザレにもそりゃ可愛がっていた妹がいてね。ただ、愛情と政治は別物でね」
浦島が片付ける本。それらは他の本に紛れていく。ずっと弟を見守っていた蜂須賀の視線に気付いてか気付かないでか、審神者はいった。長谷部の向こうには長曽祢がいる。加州や和泉守と共に本を抱えていた。
「名をルクレツィア。チェーザレ達の思惑で3回ぐらい結婚させられてるんだ。まあその3回目で漸く腰が落ち着いたっていう様子だけどね。31才の若さで戦死した兄と違って、彼女はボルジア家を代表する立派な女性と賞賛されてるんだ。ただ、実際のところはどういう人だったかは不明でね。噂だけが飛び交ってて、時間遡航技術が開発されるまでは真偽は不明だったんだ。特に」
見下ろす長谷部に、審神者はいう。
「兄との近親相姦説は濃厚でね。文学や音楽なんかで、よくこの2人を題材にした話が描かれているんだ。波乱の中世ヨーロッパで辣腕を振るう兄と、その兄が政治的に利用しながらも愛した美貌の妹っていうのはね」
改めて、彼の話の危うさに気付いたのは、浦島が廊下で話し出した時だった。
「さっきの、主さんが説明してくれたチェーザレっていう人さ。妹の事が嫌いだったのかな」
「え」
「さっき、長谷部さんの質問に答えてた時にさ。政略結婚に別嬪さんの妹を利用したっていってたじゃん。政治の道具としてしか見てなかったのかなぁって」
「……それこそ、主がいっていた通り。違うと思うよ。俺は」
それぞれ、本を両手に持つ。隣の弟の存在はほのかにあたたかい。だから、自身も安堵してその襖の前を通り過ぎたのだ。
「妹に対しての愛情とは、また別だったんじゃないかな。俺だって弟のお前がかわいいよ。でも、お互い、戦の事に関してはまた別だろう」
「……そうだなー、俺も蜂須賀兄ちゃんや長曽祢兄ちゃんは好きだけど、兄ちゃん達よりもいっぱい戦果を挙げたいと思うし」
「そうだろう」
長曽祢、といった方は意図的に心の中で無視をする。
しかし、ふと、胸を過ぎったのは。
嘗て実の兄と信じて慕っていた時。偽物だと知った時。自身の胸にそれでも変わらず抱いていたものがあった。
「……どんなにいわれようと、譲れないものがある。人にだって俺達にだって、そういう事があるんじゃないか」
「あ、やっぱりいたいた! 浦島君!」
「あれ、どうしたの堀川ー」
刹那に、仮初めの心臓がはねる。気にも留めずに振り返る、隣の弟は背後の襖を開いてこちらに声を掛ける堀川を――長曽祢の同輩を見ていた。固まってしまった自身を余所に、本を抱えたまま堀川の元へと駆け寄っていく。人懐こい性分が、今ばかりは憎らしい。堀川は蜂須賀の様子に首を傾げながらも、「脇差男士に集合がかけられてるよ」と用件をいう。
「何でも物吉くんに色々実技で教えなきゃいけない事があるって。戦力として鍛えなきゃだから」
「すぐ? 困ったな、俺これ持ってるから」
「あ、じゃあ長曽祢さん。悪いけど浦島君の代わりに資料室に持っていってくれない」
出てきた名に、その場で数cmはねた。気がした。
「……あぁ、わかった」
それにまるで遠慮するように、どこかばつの悪そうな声がする。長曽祢の声だった。「それじゃよろしくな、兄ちゃん」と、浦島は堀川と共に軽い足音を立てて廊下を駆けていった。
……あとに残されたのは、本を片手に襖を閉める長曽祢。それに、立ち止まったままの蜂須賀だ。遠くからは仲間達の声がするのに、ここにあるのは、痛いばかりの沈黙だ。
「……ほら、早く行くぞ」
「……いわれなくても、わかっている」
通り過ぎざま、長曽祢がいう。蜂須賀は意図せず跡を追うように歩いた。
資料室までの道のりが、やけに長く感じる。そろそろ夕焼けが見える頃だろうか。足音を立てながら、2人きりで廊下を歩いた。自然、蜂須賀の視線は本に傾く。カタカナの文字が目に痛い。蜂須賀は、あの活字中毒の主が、資料室で読んだ事がない本があった事に驚いていた。しかし、どちらかというと漢字を好む主にとってはカタカナの踊る本に比較的食指が動かないのは無理もないかとも思えた。……そうして、現実逃避を図っていた。
(関係ない、関係ないんだ。イタリアの話だ。俺達には関係ない)
無意識に歯を食いしばる。しかし、蜂須賀の目は、義兄の背中から頭を辿っていた。
関係ないと、言い切れない。いつか、義兄を実の兄だと信じていた折。自身よりも、主が虎徹というならば自分も虎徹だ。そう言い切った兄に、自身はどんな感情を抱いたか。
その苛烈に生きる様を、実の兄と信じていたからこそ、あれ程に愛していた。
「蜂須賀。……本が濡れるぞ」
「――」
不意に、長曽祢が立ち止まる。振り返った彼の言葉に、そこで漸く気付いた。
蜂須賀の頬を伝うものを。
両手が塞がっている、今は目元を拭う事が出来ない。その上、なぜ自身が涙を流しているのか。声もなく困惑し、そしてその場に本を落としてしまう。慌ててしゃがみ込み、本を拾う。目元を必死で拭いながら。……頭上から降ってきたのは、溜息。
前方を歩いていた男は、同様にしゃがみ込む。そして自分の本を置くと、蜂須賀が散らかしてしまった本を1冊、手に取る。だが、その手を止めた。顔を上げる。
蜂須賀の髪が引っ張られた。硬い肉が、唇に当たった。
「……毒、だな」
低い囁き。髪を掴む、硬い手の感触。何もかもが懐かしい。言葉の意味はわかっていた。だが、本を掴んだままの蜂須賀は、それでもかき寄せてくる手を、腕を拒む事が出来ない。
実の兄だと思いこんでいた、だから尚更許されぬと思っていた。今は違う。けれども、今、自身を許さないのは「虎徹」としての矜持だとわかっていた。
だから、何も答えなかった。答えずに、ただ、応えた。腕を首に回す。言葉を口にしてしまえば、長曽祢を拒絶する言葉しか出ない。だから塞がれるままに、再び薄く、涙を流した。誰もいない廊下。誰もいない部屋の前で、水音しか響かなかった。
本棚の空いたスペース。そこから向こうを覗き込む。
「あれ。この欄の本はどうなったんだ」
「おやま。きれいにないね」
本棚の向こうの鶴丸の顔。それに審神者は首を傾げる。今回の虫干しは、この本棚の本を行った。場所を取る為に別室で行われたそれらの本は、全て回収した筈だった。しかし、丁度2人で分担できる分。それらの量の本が、まだ埋められていなかった。資料室を出て行く短刀達の足音を聞きながら、ふと、鶴丸は顎に手を添えて辺りを見回す。
「そういえば、今日の虫干しの担当。新撰組に黒田組、それに虎徹兄弟もそうじゃなかったか」
「……虎徹が来てないな。浦島はさっき脇差組で招集かけたから、兄2人か」
正確には長曽祢は本物の虎徹ではないというけれど。そう付け加えつつも、ふと、思い当たる節を思い出す。
意識しなかった訳ではない。目の前に虎徹兄弟がいた。長曽祢もいた。生来、無闇に勘は良い。兄達の関係を察していなかったといえば嘘になる。だからボルジア家の兄妹の話を強調した。長谷部に聴かれずともいうつもりはあった。
鶴丸は思いついた様子で、ほくそ笑む。
「効果覿面、ってやつかい」
「意地が悪いね、鶴丸は」
自身の表情から事情を察したらしい。これだから平安生まれは……と頭を振っていると、加州が寄ってきた。不思議そうな顔をしている。
「主、ここの本はどうしたの。それに長曽祢もいないし」
「あー、まあ大丈夫だよ」
近侍の彼に、審神者は肩を竦めた。全く素直でないが、普段は好青年の蜂須賀。日頃は鷹揚に構えながらも、一寸先に闇を抱えながらも踏みとどまっている長曽祢。彼らが互いを支え合えれば、それに越した事はない。
「長曽祢も蜂須賀も仕事には真面目だし。『終わった』ら、ちゃんと本を戻しに来るでしょ」
「へ」
「ま、そーいうこった。よし、加州。厨に菓子をくすねに行こう」
「ちょ、鶴丸さん、引っ張んないでよ!」
本棚の向こうから飛び出てきた鶴丸が、加州を引っ張っていく。ついで資料室をあとにしようとした審神者は、忘れずに「鍵を掛けずに」出る事にした。
夕飯前には戻ってくるだろう。それから本の催促をしても遅くはない。そう思いながら、審神者は縁側を歩き出した。
(それでも劇薬は良薬に転ずる事もある)
『言葉ではなく、行動だ』
その姿勢を、本当に真摯に、尊敬していたのだ。
End.