▼春限定「桜に攫われそう」ネタ
無事に桜を迎えるとは思わなかった。本音はそこにあった。
「うっわ、転びそう」
「主、率直すぎ」
障子を開いた先に広がる、一面の桜。吹雪くそれは、神気を散らしている時の自分達の比ではない。見るモノを化かす、散りきる事のない桜の花弁。それらは池の水面、架かる橋や縁側も花浸しにした。
この度、各部隊に実装された「春の景趣」である。万屋で買い取ったそれを、審神者と共に心躍らせながら設置した。開け放たれた障子の向こうは、意想外な程に絢爛と花が咲いていた。それにあまりに実生活に基づいた感想を溢しながらも嬉しそうにする審神者を尻目に、加州は思う。
『ただのバッテリー役』
初期刀として、政府に言い含められていたのは、自身が事実上の「主」となる事だった。聴けば、この少年は、ただの霊力の高い学生。ある事情により他より早く戦に参加する事になったものの、年端も行かぬ子供。ゆえに城に安置し、近侍が部隊を指揮すべし。これが政府の意志だった。悪くないと思ったあの時の自分を正直、殴りたい。ついでに政府の役人のしたり顔も殴りたかった。新撰組の刀剣は多く配属されている。しかし自分達は旧政権側として戦った、いわば賊軍の身の上だという事を政府は忘れている気がした。
この半年弱で学んだのは、軍略の才とは非常時にしか出ない。本来ごく普通に生きるべき少年は、気がつけば幕末の動乱に使われ、あるいは由緒ある戦国大名に用いられた刀剣達とも対等に戦略・戦術の案を練り采配を下す「将」になっていた。これが政府にとって良い誤算か悪い誤算か、向こうの手を待つしかないのが現状である。幕末にもぽろぽろとそんな人物が出ていたではないか。加州は改めて、戦というものの異常さを思い知る。
(バッテリー役、とは)
加州の憂いに構わず、畳に座った狩衣の少年は、床に落ちた花弁を摘む。日の当たらない生活をしていた生白い手は血色が悪く、薄い青と淡い朱が対照的だった。
「この桜って、お前らの桜みたいに消えるのかな」
「……俺らの桜は雪みたいなもんだけど、この桜はちょっと違うみたいじゃない。第一、景趣っていうからには落ちてる花弁だって風流でしょ」
「おお、清光が歌仙みたいな事をいっている」
「斬るよ」
「堪忍してつかあさい。おお、風が強い」
安定した気候を保つ本丸も、時に波が出る。不意の突風が、自分達の髪を靡かせた。元より長い加州の髪と、まだ中途半端な長さの主の髪も靡く。括った髪の長さが、彼のここでの滞在期間の長さを示していた。切り揃えながら伸ばした髪は、少しでも霊力を貯める為のものだ。出会った当初はごく普通のボブヘアだった。着慣れない様子の狩衣で、手を伸ばしてきたのを思い出す。薄い割に堅い掌を握り替えした時は、まさかあんなに病弱な子供だとは思わなかった。
――沖田君が死んでから300年も経っている。なのに風邪も克服できていないなんて。
頭を抑えながら苦笑する審神者に、抜きかけた刀身を鞘に戻す。青白い顔、年頃にしては高い背丈だが、まだ薄い身体。去年の最後の季節の変わり目に、この少年が高熱を発した時は動転してしまった。風邪は万病の元と誰がいったか。些細な熱で、あの頃は簡単に人が死んだ。「冬が明けるまで外に出るな」はさすがに言い過ぎだったと今は反省している。和泉守に諫められて監禁はやめたものの、それでもこの主は、ともすれば簡単に死んでしまうのではないかと思わせる。
『大事な電源役だから、しっかり守るように』
恐らくあれは、敵襲の事を指していた筈だ。しかし病魔からは刀剣男士は守れない。精々衛生に気を付け、看護してやるぐらいだ。体力をつけさせる為にも、冬が明けたら、この少年に剣を教えて鍛えさせようと会議しているところだ。流派の候補は陸奥守の小栗流が優勢だ。ひとまずそれで自分達の採れる最善の策は尽くせた。問題は、この審神者自身だ。
ふにゃりと笑う、少年の姿は儚い。
「夜桜もきれいそうだね。今日か明日にでも、本丸の皆で花見をしよう」
「……うん。いいね」
「いなり寿司を作ったら小狐丸も喜ぶだろうなあ。前に弁護士の先生から教わったちりめんじゃことごまの具のいなり寿司っていうのがあってね。確か丁度ちりめんじゃこはあった筈だから、燭台切と歌仙に会ったら俺も作るって伝えておいてくれる」
「美味しそう。いいね」
自身が重ねて肯くと、審神者も柔らかく微笑んだ。桜が、吹雪いている。彼の視線は、1本の、他の桜とは少々趣の異なる桜の木に向けられていた。
この本丸では、今、春の花々が一斉に咲いている。早春から晩春にかけて咲く花も無節操に。その中でも一層存在感を放つ桜は、自分達の高揚に関わる為か印象的だ。
(誰が言い出したんだっけ。「桜に攫われそう」って)
刀剣の身にはわからないが、恐らく、儚げな人の事を指したのだろう。実際、自分達の目からすれば、この人はいっそ直ぐに倒れてしまいそうだ。先程の「転びそう」という物言いの事は忘れて、そんな事を思う。見張っておかないと、直ぐにかき消える命。近侍として、彼を守らなければ。鞘を握る。
不意に、審神者が身を乗り出す。縁側、桜の花弁を手で踏んだ。その視線は、先程から見詰めていた1本の樹に向けられている。
「それにしても、早く葉っぱが生えないかな」
「……葉桜が好きなの」
葉が生えれば、少々景観を損ねる。それはそれで風情を見出すモノもいるだろうが、加州にとっては、今の花しかついていない桜か、もしくは青々とした葉の方が好きだった。
しかし彼の言葉は違った。頭を振る。髪が揺れた。
「葉桜より、あの桜の葉っぱが欲しいんだよ」
「葉っぱ」
「あの桜だけ、大島桜なんだよ。他にも向こうに山桜とか枝垂れ桜とかあるけど。こんのすけに、本丸にはサクラの木が植えられているって聴いて頼んでおいたんだ」
「……花の品種には詳しくないんだけど……」
「あれっ、桜餅って清光の時代からあったよね」
一転。空気が固まる音を聞いた。
「桜餅に使われるあの葉っぱ、あれって大島桜の葉っぱの塩漬けなんだよ。葉っぱがついたら塩漬けにして、来年の桜餅に使おう」
「………………」
「あれ、どうしたの。清光」
「……自分の思い違いが甚だしい事に気付かされただけ」
「へっ」
縁側に両手を突いたままの審神者は、目を瞬く。思わず眉間を押さえた。
(桜に攫われそう? 冗談じゃない。誘拐犯を取って喰おうとする奴が攫われるタマか)
「あ、あと八重桜もあるんだよ」
「……随分色んな品種を植えて貰ったんだね」
「うん。八重桜は見るからにさくさくしてそうで美味しそうだし。桜湯にするんだー。ソメイヨシノが大半だけど、サクラご飯も美味しいし」
「…………生命力が溢れていて何よりだよ」
「ところでお前らがまき散らすサクラ、あれって食べr」
「やめろ!!!!!!」
思わず全力で叫ぶ。こいつは攫われる側じゃない、攫って取って喰う側だ。そう確信した加州は、我が身を庇った。
(美味しくない! 多分あの桜は美味しくない!!)
それが1年前の事だ。今年も春が来た。桜が吹雪く中、縁側に腰掛けて2人で茶を飲む。真実、「来年」という言葉通りに1年以上の付き合いになってしまった審神者と並び、間に置かれた皿からそれを取る。餡の甘味と葉の塩気のグラデーションが美味だった。隣で、腰掛けた縁側につく程に髪が伸びた審神者は、暢気におやつに齧り付く。
「燭台切と歌仙が作ってくれた桜餅、やっぱり美味しいね」
「そーだね。なんか関西風か関東風かでもめてたけど、結局両方作ろうって事で落ち着いてたし」
いいながら、皿に手を伸ばす。関東風の桜餅だ。桜はきれいだし、茶は旨いし、桜餅は旨い。思い起こせば色々と事件の絶えない1年だったし、これからもそうだろう。東京出身と聞いていたが、機嫌の良さそうに関西風の桜餅に齧り付く審神者を横目で見遣る。
1年で、少しばかり成長したように思える。本来は、任務を解かれると元の時代に戻される為にあまり本人の時間も流れない事になっているのだが、髪の長さを見ると恐らくあまり信用できたものではないだろう。政府の説明を思い出しながら、茶を啜る。
桜に攫われるぐらい柔な主ではない。しかし、かといって完全に放置できるかといわれれば、子供だからそうもいえなかった。そう、子供だ。食い意地の張った子供なのだ、この審神者は。
「主、東京出身じゃなかったっけ」
「うちは代々関西風派なんだ」
「そっか。……主、葉っぱは食べないで」
大島桜の葉ごと貪ろうとする審神者を口で制する。
……桜に攫われる事はなくとも、春風で転ぶ事はありそうな子供だった。
「……主、頼むからもう少ししっかりして頂戴ね」
「考えておく」
口元に餡をつけた審神者は、あまりに良い笑顔でそう答えるので、思わず湯飲みを置いてから頭を叩いた。
まだ戦は続いていた、春の一日だった。
End.