山道を歩いていた。大して険しい山ではない。女の自分でも、半日で乗り越えられるなだらかな山だ。この山の麓に辿りつくまでは鬱蒼と生い茂った森も、進むにつれ徐々に道がしっかりとして大きくなっていった――人の手入れが入っているらしい。そもそも道中、山賊に出逢わなかったことが治安の良さを物語っていた。
(ここの豊かさは噂以上のようだな)
「おや旅の方。ちょっと休んでいきませんか」
ひとりごちる彼女に、若い娘が声を掛ける。見ると「団子有ります」という幟。赤い毛氈が敷かれた長椅子が表に置かれ、そこでひとりの老人が腰掛けて茶を啜っていた。傍らには長い包みが置かれている。彼女は首を傾げる。
「ここはなんだ」
「お茶と団子を売っています。旅の方が休むついでに甘いものとお茶を提供しています。茶屋と称してるんですよ」
「へぇ。それはうまい発想だ。店主が発案したのか」
この当時、茶屋というものはおろか店というものが存在しない。あと100年以上は経たないとそれらは生まれないのだ。彼女は懐の金子を確かめながら問うと、娘は笑って応えた。椅子では老人が団子を頬張っている。
「いいえ。実はここのお殿様の案によるご下命なんです」
「殿様が商いにか」
「『山で疲れたところに甘い団子と茶があれば最高だ』と」
「しかしここは山だろう。山賊が出ないか。幸い今は遭遇せずに来られたが」
すると娘は擽り笑う。その頬に古傷が窺えた。
「大丈夫ですよ。――私たちがその山賊だったんです」
「ほう」
「山のことは山にいる者に任せるって。他の者は木こりや猟師になってます」
耳打ちする娘。店の奥で働いている男の後ろ姿はやけに隆々としていた。
(成る程。征伐のついでに山の充足を図ったか)
団子と茶を頼み、老人の隣に座る。長い包みが両者の間に陣取っていた。
今、自分が訪ねる領地の大名は随分と開明的なようだ。奥州にある海辺の土地。■■家が治めるこの土地は鉱物が採れる。良質なそれらは貨幣や具足となり、この地の大名はそれらを周辺の領地へと流通させる。攻め入られないのは、その鉱山の管理を大名が一手を担っており、仕損じれば折角攻め入ったところでうまく鉱山が管理しきれない可能性の方が大きいからだ。かといって無理に攻め入った土地に執着すれば元の自分の領地を疎かにして弱体化を招く。さらにこの土地は鉱山が豊かだが米は採れにくい。石高は期待できなかった。こうして■■家は、武力は弱いがこの戦国の世で舌先三寸で力の均衡を保っていた。当代の主は弱冠10代と聴いている。
こんな家の発祥は謎に満ちている。伝承では藪知らずの土地をひとりの人物が刀を振るい、魑魅魍魎を斬り伏せて平定。それが■■家の開祖であり、その刀は妖の頭領との契約の証として呪われた銘が刻まれている――という根も葉もない話もある。いずれにせよ開祖は良い場所に目をつけたものだった。
いずれも、以前いた家で聞いた話だ。
「はい、お待たせしました」
団子が差し出される。湯飲みを受け取ると、それを啜って団子を手に取った。ひとまずは腹を満たさねば。老人はゆったりと茶を啜っている。
「暢気に茶など啜って、余裕だな。■■■」
名を呼ばれ、団子を詰め込む。茶で洗い流して、見れば店の周りを遠巻きに男たちが取り囲んでいた。林の中を回り込んだのか、道の下りにも上りにも立ちふさがっている。計8人。一様に編み笠を被り、似たような着物と袴を着ているのがおかしい。盆を持ち息を飲む娘の横で、座ったまま誰何する。
「どこの家中の者だ。毛利か小早川か前田か、今更龍造寺か」
「どれとはいわぬ。来てもらえばわかることだ」
「無駄だと思うが……嫌だと言ったら」
「運ぶのが手間になる。手は駄目だが、足を切っては駄目といわれていないからな」
椅子から立ち上がって身構える。8人――少しばかり多い。笑みを刷きながら手を構える。それに侍たちも心得た様子で刀を抜いた。頭らしき男が唸る。
「あの女の手に触れられるな。奴はあやかしの術を使う――魂を抜かれるぞ!」
「冗談。お前らの魂なんぞいらん。もらうのは記憶だ。――ご老人?」
傍らで動く気配がする。娘の後ろから、店主が凶相を漲らせていた。彼ではない。自身の直ぐ隣にいた人物だ。
老爺が「ええよっこいしょ」と立ち上がっていた。長い包みを手にして。自身は怪訝に見た。
「ご老人、見てわからないか。今は危ないぞ」
「そういわれてもなあ」
「邪魔立てするなら容赦はせんぞ」
自身と男たち双方にいわれて、老爺は包みを剥がした。
立派な黒塗りの鞘――太刀だ。躊躇いもなく刃が抜かれる。白刃ではない。黒い刃――否、黒く見えるだけか? 銘がびっしりと彫られているようだった。一見見窄らしい老爺と立派な刀の差異に驚いている間に、彼は刀を構えた。
刹那、男のひとりが倒れる。編み笠が落ちた。中年の男を足元に。
そのとき自身は目を瞠った。刀を引っ掛けたのか――老爺の頬が「破れて」いた。そこから白い肌が見える。しかし老爺は気付いた様子もなく、嗄れた声でいった。
「お嬢さんに寄って集って無体を働こうとする輩を放っては置けんからな」
「抜かせ!」
男たちが襲いかかった。
数十秒後。老爺は刀を収める。男たちは残らずひとり目の男と運命を共にしていた。死屍累々――というには血が一滴たりとも流れていなかったが。自身は呆然としながら手を叩く。
「殺さなかったんだな」
「人死にが出るとあとが面倒だからねえ。それよりお嬢さん。それに店の2人も大丈夫かい」
「おかげさまで無事ですよ。ありがとうごぜぇます」
店主が凶相を和ませる。存外顔が怖いだけで元が山賊という割には愛想が良いように見えた。その前で娘が、自身よりも音高く拍手をしてから声を上げる。
「すごい! 久し振りに見たけどすごいです! さすが殿様!」
「あっこら」
「は?」
娘の言葉に目を剥く。今なんといっただろう。凝視していると、老爺は――否、老爺というにはあまりに若々しい動きをしていた。彼は慌てて口を噤んだ彼女の前で頬を掻く。するとその頬の「破れ目」に気付いてはたと頬を押さえた。そして自身の視線――破れ目に注目している――に気付いた様子で溜息を吐いた。思わず口を突いて言葉が出る。
「ちょっと待て。当代の当主はまだ二十歳にも満たないと聞いていたが」
「――旅の人がそんなのを知っているとは、追っ手がかかっていたことといいやはりただ者じゃないようだ」
途端、老人から若々しい声が漏れる。耳に心地よい低音だ。老人は自らの顎に手を掛けた。皮膚が「持ち上がる」。 ――たしかに少年だった。捲られた皮膚の下。皮膚によく似た何かだったのだろうか。そこには10代半ばと思しき少年がいた。服装が庶民の老爺のためにその差が瞭然だ。剥がしたそれを懐にしまいながら老爺――否、少年は笑う。
「あーあ。これ作るの手間だったのに。破けちゃった。また新しいのを作らないと」
「よくできてましたよ。私たちは声でお殿様だってわかっちゃいましたけど」
「そんなに特徴的かなあ。――それでお嬢さん。これからウチに来ませんか」
「は?」
思わず声を低くする。まさか会ったばかりの女を側室にしようというのか。しかし少年は慌てて否定を入れた。
「何も取って喰うというわけじゃないです。失礼ながらあなたは見たところ男性にも通じる容姿。衣服も男性寄りだ。ウチで客分としてお過ごしになられては。俺が客人を連れてくるのはいつものことですから家内にも通じます」
「……どういうつもりだ。海のものとも山のものともつかぬ見知らぬ者をいきなり」
「すくなくとも侍に追われているような人をこのまま野に放つより、うちで管理していた方が民草にとって安全という話です。現に今、目撃者がいたにも関わらず躊躇いなくあなたを連れて行こうとしたでしょう。あのままぼーっとしてたら俺たちまで殺されていた」
「……」
娘と店主が同時に頭を振る。その仕種はそっくりでたしかに血筋を感じた。少年は笑む。
「俺のことを知っていたということは、俺の家の世渡りの仕方も知っているんでしょう。仮にあなたを引き渡せといわれてもうまく言い逃れしますよ」
「……得はないだろう」
相手が武士、大名とわかっても口調は改めない。これまでもそうだった。それを気にした様子もなく、少年は笑っていった。
「それで民草が安穏と過ごせる。これが俺の施政の仕方です」
「…………ひとまず、土地を案内してもらおうか」
懐から金子を取り出す。娘にいった。
「お代を払う」
「あ。はい。有り難う御座いました」
「それから、少し待ってくれ」
少年に向かっていうと、彼が肯いたのを見て男たちの方に歩いていった。それぞれの頭に手を乗せる。
――記憶を抜いておく。そうしないとまた追いかけられる。これで少なくともしばらくは追っ手がかからないだろう。男たちを森の方へ引き摺ると少年や店主も手伝ってくれた。男たちを茂みへ放ると、そこではじめて少年についていった。店主たちに見送られて。山を登りながら少年は、刀を片手にいった。
「ようこそ。■■へ」
目を覚ました。
「おい。主。夕餉だぞ」
「……ああ。切国か」
起き上がる。少しからだが痛い。畳の上で寝転がっていたせいだろう。傍らの山姥切に起こされ、緩慢な動きで起き上がる。頭を振ると面布が揺れた。山姥切は物珍しそうに見下ろした。
「あんたがそんな風に寝ているのははじめて見たな」
「どんな風にだ」
「無防備」
「……ここに慣れたんだろうな」
膝を突いて頭を掻く。そして欠伸をした。熟睡していたらしい。夜に眠れるか不安だった。
昔の夢を見た。もう600年も前の話だ。客分として、事実上家臣として仕えていた中で1番居心地の良い家だった。自分の異能も、人の記憶を操作するのではなく、ただの鑑定に用いてくれた。あんな家はあそこしかなかった。
あの家は没落したと聞く。当時の当主が優れすぎていたのだ。江戸時代に入り当主が替わって堕落し、明治維新後に鉱脈が尽きて資金源もなくなった。東京の分家に家宝の刀を持って行かれたという話も聞いた。あの少年が使っていた刀だろう。
聞いただけだった。自分はあの当主の少年が大人になり、戦の最中に殺されてから間もなく家を出た。彼の少年がいなければ自分に対しての庇護がなくなるとわかっていた。泰平の世になり自分はそう追いかけられることもないともわかっていた。そしてまた数百年。自分は政府に捕まり今ここに至る。
(永く生きすぎた)
「早く来いよ。飯が冷める」
「あぁ」
「それと、次の審神者……審神者日本史会議とやらは明日だろう。準備をしておけ」
「そうする」
そんなものにも入っていたなと思い出す。戯れに参加してみた会議だ。日本史ならば自分ほど詳しいものはあるまいと自覚していた。もっとも史料に残っていないことも覚えているからなかなか本当のこともいえないのだが。
そして思い出す。あの日の少年の顔は、子孫によく似ていた。ついこの間のように思える。政府に呼び出されて向かった先。そこにいた、三日月に憑依された少年はあの日の彼そのものだった。遠い子孫。それにしたってよく似すぎていた。同一人物とでもいうように。
(生まれ変わりを見るのははじめてじゃない。青髭事件のときといい、いつだってお前は、大変な立場なんだな)
やけに強い確信を以て自身は思った。
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