桜も解ける頃だった。厚と共に、鍛冶場で口を開けていた。
「4時間」。そう告げられ、蹈鞴の妖精に手伝い札を渡した。すると瞬く間に現れた、白い毛並みの美丈夫。2人揃って見上げていると、どこか彼の兄を思わせる悠然とした仕種で、彼は自身の名を告げた。
「大きいけれど小狐丸。いや、冗談ではなく」
「うわ」
「まして偽物でもありません。私が小! 大きいけれd」
「うわああああ! 三日月いいいいい! お前の兄弟が来たぞおおおおおお小狐丸だあああああ本当に来たああああああ」
鍛冶場を飛び出る勢いで扉を開く。そして大声で廊下に向かって叫んだ。すると間もなく「おぉやっと来たか」と暢気な声が届いてくる。それに呼応するように「えっ小狐丸?!」「嘘ぉ!」「本当に厚の効果あったのか!」などと高低の差はあれど、男性の声が次々と届いてきた。足音も姦しく届いてくる。そんな中で、狩衣姿の少年の背中を見詰める小狐丸は、「……あの、訊いておられますか。主様」と呟いた。隣にいた、厚が黒い頭を振る。妖精は用は済んだ、とばかりに既に片付けをはじめていた。
「今の大将には何いっても無駄だぜ。それより小狐丸、だっけ。俺は厚藤四郎。短刀だ。よろしくな」
「あぁ、宜しく頼む」
差し出された手を握り返す。小さいが、その名の通り厚く堅い手だ。エーテル体と呼ばれる物質で作られた体は、嘗て平安の頃。自身を打った鍛冶職人と同じような人肉に酷似していた。審神者の声に呼応して駆けつけてきて野次馬騒ぎをしている刀剣男士達も、それぞれ個性があるが同じ人肉を得ていた。嘗て自身を打つ手助けをしたのは稲荷の使いだという。それに追従する勢いだ。随分と人間の技術は進歩したものだ。そんな事を、向こうに兄弟の姿を見つけながら小狐丸は思った。
そんな小狐丸の感慨も吹っ飛ぶ程、今の審神者の顔は渋面に満ちている。
「……主様、どうなされました」
「大丈夫。気にしないで」
新入りが来ると毎度の事だという、歓迎会。日課の任務も終えての酒宴。歓迎会という名目の酒盛りは、既に宴もたけなわ。先程、一期一振が短刀達を連れて行くのを見届けた。その中で、上座。今回の主役として、審神者の隣に並んで座る小狐丸も酒が入って機嫌が良かった。だがしかし、隣の席。上座に座る少年の事が気に掛かって仕方がない。
正確には、その少年があどけない目で見詰めている――否、睨んでいるもの。先程から自身も美味しく食べているそれが、小狐丸には気になった。気にするな、と本日から主として仕える事となった少年はいう。しかし、気になるものは気になる。なので、少しだけ声を低めて尋ねる事にした。
「……いなり寿司、お嫌いなのですか」
「嫌いというより、苦手。燭台切と歌仙が作ってくれたのだから、美味しいんだろうけど」
ここの厨を預かっているという2人の刀剣男士の名を出しながら、審神者は半ば唸るようにいう。自身が狐ならば、この少年は犬か狼の子か。まるで親の仇を見ているよう。片手には「ジュース」と呼ばれているという飲み物があるが、その料理にだけは手を付けようとしない。並べてある他の料理が軒並み片付けられていく一方で、置き去りにされているそれが目立っていた。代わりに自分が食べようか、とも思うが、しかし審神者の前に並べてあるのでそれも憚られる。ジュースを飲む審神者は、酒も入っていないというのに、絡み上戸のようにいなり寿司を睨んでいた。
「……うん、屹度美味しい。美味しいんだろうけど。地味に手間暇かかる料理だから食べたいんだけど。でも、いなり寿司なんだよなあ……」
「油揚げがお嫌いで」
「油揚げは好きだよ。味噌汁とか、中に詰め物入れたりした料理とかも好き。基本的に好き嫌いはないよ。苦手なものがあるだけで」
それを好き嫌いというのでは、という言葉は飲み込んだ。空になった皿を片付けに来たらしい。眼帯の男――燭台切光忠と紹介された同じ太刀男士が、ひょっこり顔を出してきたからだ。ジュース片手にいなり寿司を睨んでいる審神者に、「あれ、いなり寿司、君、嫌いなのかい」と窘めるようにいう。見た目に反して母親のようだ。そんな印象を抱いていると、審神者はまるで叱られた子供のように、ばつが悪そうに呟く。
「嫌い、ではないんだけど。苦手で」
「駄目だよ、好き嫌いしちゃ。ただでさえ君は体が弱いんだから。というか、君は好き嫌いしない子だったじゃないか。あぁ、小狐丸君。主は体が弱いから気を付けてあげてね」
「体が弱いという割には、昼間は元気に叫んでいらしたが」
この時の小狐丸は、季節の変わり目ごとに風邪をひくというこの審神者の極端な虚弱体質を知らなかったので宣う。しかしそれに気を害した風でもなく、漸くいなり寿司のひとつを手に取った審神者は、いわれてみれば日焼けの痕跡のない顔を心なしか更に白くしている。それ程に嫌なのか。一応は「稲荷」に関わる身としては少々複雑な気持ちを抱きそうになる。
だが、次の発言で、それは払拭された。
「あのさ。これ、紅ショウガ、入ってるかな」
「……は?」
燭台切と声が重なった。だが、審神者の表情は飽くまで深刻だ。まだ二十歳にも届かぬという年の審神者は、手にしたいなり寿司を睨み付けたまま唸る。
「紅ショウガの入ったいなり寿司、苦手なんだよ。あの独特のしゃりしゃりした食感と、紅ショウガの独特の甘さが混じったご飯がさ。入ってないいなり寿司は平気、寧ろ好きなんだよ。紅ショウガも単体なら大丈夫。でも、紅ショウガ入りのいなり寿司が凄く苦手なんだよ。元々味付けが薄いもんでもないのに、何で更に濃くしちゃうのか……どうしたの、2人とも」
思わず、燭台切と共に見詰めていた。目を瞬く。先に口火を切ったのは小狐丸だった。
「主様」
「何」
「いなり寿司に紅ショウガの混ぜご飯を入れる、というのは訊いた事がないのですが」
「えっ」
「……あーうん、主。ひとついいかな」
目を剥く審神者。その隣では、この時代の「情報端末」だという薄い板のようなカードをいつの間にか手にしていた燭台切がいた。彼は苦笑気味に尋ねる。
「ひょっとして、君、先祖か親戚に雪国出身の人はいないかな。特に、蝦夷や津軽、陸奥……北海道や青森とか」
「あ、うん。よくわかったね。結構遠い先祖なんだけど。その辺から東京のウチに嫁に来た人がいたって」
「いなり寿司に紅ショウガを入れるのはその辺りの風習だよ。宮城にはないようだけど」
「えっ」
「……郷土料理というものじゃな」
ひとりごちる。小狐丸は、鍛刀された際にインストールされた23世紀までの常識の中から情報を集めた。
寒冷な地域ほど、料理の味付けは濃くなりがちだという。特に顕著なのは味噌汁で、雪国の出身の人間が東京の味噌汁を飲んだ際、「味がしない」と感じたという例もあるらしい。これは厳しい冬を乗り越える為の保存食を作る為ゆえかも知れない。いなり寿司に紅ショウガ、という味付けの濃さを想像すると、なるほど、確かに雪国らしい。そんな事を考えている横で、景気よく審神者がいなり寿司にかぶりついた。
その中は、ただの酢飯だ。それに、審神者は――この時の彼の表情をなんと表現すればいいのか。いまだに小狐丸には的確な言葉が思い当たらない。
「美味しい」
「それならよかった」
「美味しいよ、ちくしょう……! 何だよ、今まで損してたよ! つまり東京のいなり寿司は紅ショウガ入ってないって事か! ウチの両親が作る料理以外だと!! 親戚の集まりで出されるいなり寿司以外だと!!」
この時の小狐丸は、まだ知らない。病弱ゆえに、ろくに学校に登校できず、給食でいなり寿司が出てもその中身がただの酢飯だという事を知らない事を。たとえ遭遇しても、それを「食欲ないからあげる」と決まって隣席の同級生に渡していた事を。これまでの人生の大半を病室と家で過ごしていた為、家でいなり寿司が出ればさり気なく紅ショウガ入りのいなり寿司も食べられる弟に押しつけ、病院では隣の患者にいなり寿司を押しつけていた事を。
「ちくしょう、美味しいよー!」
「お、どうしたんだい主ィ、酒入ってんの?」
「主は未成年だ、飲酒はしてないぞ」
自棄のようにいなり寿司を食い散らかしはじめた審神者に、次郎太刀が絡もうとしてそれを長谷部が阻む。それを苦笑しながらも微笑ましそうに眺める燭台切――小狐丸は、自身の手に握られたままだったいなり寿司の存在を思い出した。自身も口にする。確かに、丁寧に作られた美味ないなり寿司だった。
そして同時に思う。
(大丈夫か、この部隊)
一応慕われてはいるらしい。この幼い年頃で審神者をやっているだけはあるらしい少年を見下ろしながら、しかし小狐丸は、やや不安を禁じ得なかった。席の向こうで、兄弟分がやはり微笑ましそうに杯を傾けていたので、一応は信頼する事にしたが。小狐丸はまだ知らない。この日、のちの「政府を変えた男」と呼ばれる審神者にに召喚されてしまった事を。
(紅ショウガ抜きなら大好きですちくしょう)
「でも好き嫌いはよくないよ。今度から紅ショウガ入りのいなり寿司を」
「やめて! 本当にやめて!!」
End.