※この作品はR-18です。

波の行方   作:アンダーグラウンド

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打ち寄せられた希望

 〝パン屋の親父〟と慕われた男は飛び起きた。

 若い頃の面影を幾分か残した妻を退け、ベッドから転げ落ちる。もう100年は使っていない魔法の戸棚を激しく揺すり、うんうん唸ってようやく開けることに成功した。

 山のような書類が雪崩のように降りかかり、パン屋の親父は懸命に腕を泳がせる。

「アーレ、アーレが帰ってきたぞ」

 もはやこの地方でも使われていない言語を叫ぶ。

 戸棚の奥、壁に立て掛けられた片手剣が青く光る。

「アーレ!!」

 泣きそうな声で剣を引っ掴むと、パン屋の親父は階段をドタドタと駆け下りる。

「ええい! 起きんか、この」

 羊皮紙に書かれた地図に、青く光る剣を乗せる。

 確かに感じる、もう片方の剣の場所。ここだ──

「海からなぜ──」

 首都は大陸の中心にあった。海の向こうは同盟を結んだばかりの国。側にほかの魔法使いが居る様子もなく、ひどく嫌な予感がした。

「船団でないとするなら──」

 深夜もとうに過ぎた時間帯、誰も来るはずのない辺境──そして息子──。

「あなた、どうしたの」

 久しく見なかった妻の魔法。二階の床をすり抜け、一階の床に足を着ける。

「なんだかよくわからないんだ」

 300年も軍人をやっていたのに、いざ息子のこととなるとこれだ。

「明日は美味しいパンが焼けるかしら」

 ──この100年の間に、夫婦共々衰えたらしい。

「とにかくいくぞ」

 

 

 目の前に広がるのは絶望だった。最先端の魔法飛行船が、巨大な破片になっていた。

「アーレ!! アーレ!!」

 船から出る人は全員、女子供ばかりだった。

 妻が魔法で助けを呼んだお陰で、大半の村人が救助に当たっていた。そのうち遠くの役場からも人が来るだろう。

 壁のすり抜けや移動術などは妻の専門分野であり、こういうときに俺の魔法は役に立たないんだ、とパン屋の親父は自身に悪態を付く。

 乗客の救助は村のみんなや妻に任せ、パン屋の親父は魔法で軍団を作る。軍団は旧式の装備しか再現出来ず、随分と変わってしまったな、と親父は嘆く。

 浮遊し、辺りに散らばる軍団に防衛を任せ、自身はコックピットに向かってひた走る。

「飛べば一目散なのに──」

 旧友の色褪せた笑いとともに、言葉が再現される。

「ああ、もう!!」

 血だらけの女性を見つけて抱える。泣きたい衝動を堪え、息子から離れる。それを何往復も繰り返すことになった。

 やがて役場から移動魔法を使い、人が大勢やってきた。

「シャーペイ、レモンドは? バニスは? カラルラは?」

 シャーペイと呼ばれた男は一言、「みんな亡くなったよ」。

 魔法なんて使わなくても生きていける時代だった。科学の目覚ましい発展はそれを促した。それこそ魔法で寿命を伸ばせば、あっという間に古代人になる。何もかもが早く過ぎるのに合わせ、みんな普通の人間として亡くなっていったのだ。

「おや、それは──」

 布から明かりが漏れているのに気付いたシャーペイは、顔色を変える。

「相棒が近くに居る、そして息子も──」

 そう信じたくて声に出したが、言葉は最後の方で途切れる。何度も女性を運ぶうち、女性の口から惨状を耳にしていた。

「とにかく行こう」

 シャーペイは、パン屋の親父を励ますように言った。

 

 

 コックピットは真下から抉られ、ほとんど内部を留めていなかった。海岸から見えたのは外側だけで、もしかしたらと、一縷の望みも絶たれてしまった。

「シャーペイ、あそこだ、ほら」

「おお、一つだけ小さな空間があるぞ」

 何かの力で辛うじて崩壊を免れたといった感じで、それは詰まる所──。

 シャーペイの脂汗をよそに、コックピットの左側側面に小さく飛び出した床に降り立つ。パン屋の親父は今にも泣きそうな顔で、丸く膨れた布に手を伸ばす。

「ギン・アレスト」

 変わらない息子の言葉が聞こえる。そして片言の英語で、その名を口にする女性。

 布に広がる赤い液体、床に突き刺さった息子の剣、その剣を掴む息子の手首。巻かれた布から、黒髪の赤ん坊が顔を見せている。

 すべてを悟り、言葉はなかった。

 パン屋の親父に、起きたばかりの赤ん坊が手を伸ばす。

「ギン・アレスト」

 パン屋の親父は希望にすがった。

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