※この作品はR-18です。

比企谷八幡がイチャラブするのはまちがっている。R   作:暁英琉

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比企谷くんはビンカンです。2

「超、敏感体質……?」

 

 再び教室に戻ると、さっきの姿を見られて観念したように比企谷くんが教えてくれた単語は、微妙に聞きなれないものだった。

 

「ああ。と言っても、家族内で言ってるだけだけど」

 

 親が彼の異常に気付いたのは小学生になった頃、らしい。それまでもやけに小食だなどと所々疑問には思うところはあったようだが、幼稚園生だった妹さんが彼に抱き着いた途端苦しそうに震えだしたので、慌てて病院に運んだそうだ。

 

「それで……診断結果は……?」

 

「……そこで分かってたらその病名を教えてるよ」

 

 とりあえず分かったことは、およそ触覚と呼ばれる感覚が異常に強いということ、だけ。昔からだっこや撫でられるのを嫌がる節があったようで、その原因を両親はその時知ったのだ。

 

「けれど、そんな身体じゃ……」

 

「ああ、まともな学校生活なんて無理だ。そして実際無理だった」

 

 元々自己主張の強いタイプではなかった比企谷少年はなんとか小学校生活を送っていた。できるだけ人に触れられないように注意して、先生にも知られたくないからと水が通るだけで震えそうになる口に給食を押し込んで。

 けれど、運動会の学年種目で決まったダンス。その練習中、彼の身体に同級生が触れて――

 

「完全に不意打ちでな。いや、相手だって悪気があったわけじゃないんだが……」

 

 さっきのように、いつもより高い声を出してしまった。

 小学生というのは好奇心の時期だ。自分と違うもの、興味を持ったものはなんでも“おもちゃ”にしてしまう、残酷な時期。

 最初は遊ぶおもちゃとして突然ボディタッチをされたりという嫌がらせは、彼がコミュニケーション能力が低いせいもあって、次第にいじめへと変わっていった。大衆は異物を受け入れない。それは小学生だって同じことだ。

 まだ小学校一年生。地元の公立中学校に行くことを考えれば、彼の体質を知っていて、おもちゃに、いじめの対象にしている生徒たちとは九年弱一緒だ。

 

「だから、対策をする必要はどうしてもあった」

 

「対策?」

 

「嫌な奴、変な奴って思われることさ」

 

「あ……」

 

 やけに攻撃的な言動、教師が呼び出すほどの一般大衆とは違うレポート。

 ひょっとして、あれは対策の一つ……?

 

「小学校だと、あれが効果的だったな。比企谷菌」

 

「比企谷……菌?」

 

「そ、比企谷菌。めっちゃ強いしバリアも効かないんだぜ」

 

 そういえば、私の小学校でも男子が似たようなことをしていた気がする。おにごっこのようないじめ。彼はそれを逆手に取って、比企谷菌の話を自分でばらまいたのだ。

 

「総武に入ってからは幾分か楽だな。うちの学校から受験したの俺だけだし、自転車で通えるから電車やバスに乗る必要もない。まあ、自転車も自転車で風がこそばゆくて困りものなんだけど」

 

 体育はすべからくサボり、人が多くなる体育祭や文化祭もこっそり抜け出す。できるだけ変な奴、気持ち悪い奴だと思われるようにわざとライトノベルをカバーなしで読んだりして周囲に人を近づけさせないできた。丸一年、ずっと。

 

「これで分かっただろ? お前に、というか一学生になんとかできる問題じゃねえんだよ」

 

 確かに、医者も匙を投げた問題を少し勉強ができるだけの土建屋の娘が何とかできるはずがない。きっと姉さんだって無理な話だ。それは分かっている。

 

「二つだけ、聞かせてほしいのだけれど……」

 

「なんだ?」

 

 けれど、一つは興味本位で、もう一つはどうしても聞かなくてはいけないことがあった。

 

「あなた、食事は一応ちゃんと取っているのよね」

 

「相変わらず少ねえけどな」

 

「けれど、口の中は外よりはまだマシ、ということよね」

 

 口腔は肌より敏感なはずだ。腕を掴まれただけでああなってしまう人の口腔内が一応でも食事ができるものなのだろうか。

 

「まあ、俺もよく分かんねえけど……食事は否が応でもしなくちゃいけねえし、毎日やっててある程度は慣れたんじゃねえかな」

 

「それなら……!」

 

 ということは、肌だって慣れていけばある程度は人並みを手に入れられるのではないだろうか。そう思って思わず声が弾む私に、彼は力なく首を横に振ってくる。

 

「パン二つ」

 

「え?」

 

「俺の昼食だ。十七年ほぼ毎日食事して、これが限界なんだよ」

 

「ぁ……」

 

 男子高校生がパン二個で空腹より触覚に対する苦痛が勝ってしまう。はたしてそれを“慣れた”と言えるだろうか。

 

「高校残り二年、ここが部活なら一年半くらいか? それでなんとかできる問題じゃないってのは分かるだろ」

 

「…………」

 

 無言で頷くと、彼は小さく顔をしかめて後頭部をガシガシ掻きながら二つ目の質問を促してきた。一度閉ざした口を開き、けれど躊躇してしまう。

 

「? どうした?」

 

「いえ、あの……その……」

 

 言葉にすれば一瞬なはずなのに、肝心の言葉は喉を通り過ぎる前に音を失ってしまう。この質問をして彼がどう思うのか、それが怖くて仕方がなかった。

 何も話さない私に彼は不審そうに首を傾げ、けれど立ち去らずにこちらに視線を注いでいる。秘密を知られたからか、その目は幾分優しくなっているように見えた。その目が真実を知ったときどう変わってしまうか、怖くて仕方がない。

 けれど、言わなければ。一年間、クラスが別なのを理由に逃げ続けてきた。ここまできて、また逃げるなんて――ダメだ。

 

「……触覚が敏感ということは……その……」

 

「ん?」

 

 向き合わなければ。

 

「痛覚……は?」

 

 恐る恐る、ようやく喉を通り過ぎた音に、彼は少しの間黙って……一度だけ頷いた。

 

「当然、痛みにも弱い。と言っても、他人がどれくらいの痛みを感じてんのか俺が知らんから何とも言えないんだが、体育を休む理由もそれだ。昔腕に擦り傷ができただけで全身が痺れるみたいに痛くなって、丸一日なんもできなかった」

 

 擦り傷だけでそんな状態になる。それなら、それならあの時はどれほど痛かったのだろうか。どれほどあの事故を、加害の象徴であるあのハイヤーを呪っただろう。

 どれほど……どれほど……――

 

「お、おい……雪ノ下……?」

 

 思考が暗く沈む中彼の声が聞こえてきて顔を上げるけれど、なぜかその姿はモザイク映像のようにぼやけてしまっていて。

 

「なんでお前……泣いてんだよ……」

 

 自分が情けなくも涙を流しているのだと分かった。

 本当に情けない。涙を流せば許してもらえるとでも思っているのだろうか。許してもらえたとしても、同情を誘っての許しなんて、卑怯だ。陰湿だ。

 けれど、一度流れ出した涙を止める術を私は持ち合わせていなくて――

 

「ごめんなさい……ごめん、なさい……」

 

 ただただ、涙ながらに謝罪することしかできなかった。

 

 

 

「……はああぁぁ」

 

 一年前、入学式の日のことをつっかえながらも話し終えると、返ってきたのは呆れるように盛大なため息だった。当然よね。一年も経って泣きながら謝られても今更過ぎて――

 

「お前さ、実は馬鹿なんじゃねえの?」

 

「え……?」

 

 心底呆れた比企谷くんの声は、けれど怒っている感じは一切なくて。涙を拭って焦点を合わせた顔も……やはり怒ってはいなくて。

 

「…………え?」

 

「いや、『え?』じゃねえよ」

 

 思わず漏れた間の抜けた声に彼は再びため息をつくと、癖なのか後頭部を掻きながら視線をすっと外した。

 

「別にお前が運転してたわけじゃねえだろ。都築さんだっけ? 入院中にあの人めっちゃ謝ってきたし、後ろに乗ってただけのお前が泣くほど悩む必要は一切ない。こっちはもう終わったことだと思ってたしな」

 

「け、けど……あの時の怪我、相当痛かったんじゃ……」

 

 震えて裏返りそうになった声に比企谷くんは一瞬キョトンとして、「あー……」と力なく頬を掻くとふっと肩の力を抜いて椅子に深く座り直した。

 

「あの時はもう痛み通り越してぶつかったって思った瞬間に気絶しちまってな。目が覚めたときにはもう手術も終わってた。つまりあの時の俺の損失は入院中の一ヶ月弱って時間だけ。それだって、そもそも学校じゃ一人になるつもりだったからほぼほぼノーダメージ。オーケー?」

 

「え、えっと……」

 

 あ、あれ? そう言われると確かに問題ないように思えてくる。

 私が反論――反論という言いかたはおかしい気もするけれど――することができないでいると、ククッと彼が喉を鳴らして笑ってきた。何事かと未だに涙に濡れた顔を向けると、「いや、なんつうかさ」と薄い笑いをにじませる。

 

「同じ学生の相談を受けるなんて、最初はどんだけ自意識過剰でクールビューティ気取りの傲慢女なのかと思ったけど、思ったよりずっとかわいいとこあるから。一周回って笑えてきた」

 

「か、かわ……」

 

 何気なく言ったのであろう言葉に、顔がゆだるような熱さを覚えた。彼は特に気にしていないようにカラカラと笑いながら時計を見て、「うお、もう完全下校時刻じゃねえか。こんな時間までいたの初めてだわ」などとぼやいている。

 こっちの気も知らないで。

 最初は正義感に溢れた熱血漢な人だと思っていた。今日初めて話をして攻撃的な態度に驚いて、そうかと思えば不意にあんなドキリとする姿を見せられて。

 そして今はそんな笑みでまた私の胸の鼓動を速くしてくる。

 ずるい。なんてずるい人なんだろうか。

 比企谷八幡という男の子を、一年前から知っているつもりだった。けれど今日一日だけで知らなかったいろんな一面を見せられて、その一つ一つに心惹かれてしまって――

 もっと彼のことを知りたい。もっと、もっと、できる限りたくさん。

 

「ま、ペナルティらしいから部活には入る。よろしくな、部長さん」

 

 だから、彼の言葉は気を抜いたら飛び跳ねてしまいたくなるほどうれしいもので。

 

「依頼の件も、やりたいって言うなら止めねえ。秘密も知られちまったし、泣くほど真剣な奴を突っぱねる趣味もないしな」

 

 続けられた依頼の承諾は、私の心を固めるには十分すぎるもので。

 

「分かったわ、比企谷くん。ようこそ奉仕部へ、歓迎するわ」

 

 きっと涙に濡れてひどい顔になっていると自覚しながらも、心の底から彼の入部を受け入れたのだった。




 当分は日常(?)回が続きます。

 あ、一応言っておくとこのシリーズは結構性格改変があるので、「あれ? なんかおかしいぞ?」と思ってもスルーしてもらえると幸いです。

 それでは今日はこの辺で。
 ではでは。
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