比企谷八幡がイチャラブするのはまちがっている。R 作:暁英琉
比企谷くんはビンカンです。1
奉仕部。特別棟の空き部屋を使って行われている部活の、私は部長だ。
飢えている人に魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教える。要は自助努力を促す部活なのだが、平塚先生に提案されて半年、今までこの教室の扉がノックされたことはない。ただの一度も。
――人ごと、この世界を変える。
一年の中頃、平塚先生にそんなことを漏らしたことがある。小学校の頃、普通に過ごしていただけで女子から嫌がらせを受けた。ある出来事を気に海外に留学して、二年ぶりに戻ってきて転入した中学校では、学校中の女子が私を排除しようとしてきた。正しいことをすれば疎まれ、信念を貫けば蔑まれる。そんな理不尽から出た言葉。
そんな私に平塚先生が提案してきたのが、奉仕部という部活。けれどやっていることと言えば、ただ依頼人を待って本を読むだけの毎日だ。
本当は分かっているのだ。人ごと世界を変えるなんてこと、私みたいな人間にはできないと。
顔が良くて成績優秀、習った事はそのほとんどを三日もあればそつなくこなせる。子供の嫉妬心を刺激するには十分なスペックだ。
けれど、他にもやりようはあったはずなのだ。例えばもっと彼女たちと交流を持つとか、壊れてしまった関係を再構築する努力をするとか。そんな努力を私はしてこなかった。きっと心のどこかで、醜い嫉妬心を向ける彼女たちを見下し、自分が特別な存在であるように錯覚していたのだ。
総武高校に入学して、学年に一クラスだけある国際教養科に所属した。女子の比率が圧倒的に多いせいか、それとも義務教育から抜け出したことで少し大人になるのか、嫌がらせのようなものは起こっていない。
けれど、では彼女たちが友達なのかと聞かれると、たぶん私は『いいえ』と答えるだろう。彼女たちは私を対等には見ていない。まるで自分からへりくだるように、信仰するように私に接してくる。そんなものは、少なくとも私の望んでいる友達ではないはずだ。
――今、私が本当に欲していることは、欲しているものは……。
「雪ノ下、失礼するぞ」
一人ゆえに有り余っている時間を思考に費やしていると、聞き覚えのある凛とした声と共に教室の引き戸が開かれて、脳内で紡いでいた言葉が霧散する。
「平塚先生、入るときはノックをしてくださいとあれほど……」
奉仕部の顧問である平塚先生に注意をしながら――まあ、この人は何度言ったところで実践してくれないのだけれど――入口に視線を向けて…………。
「君はノックをして反応した試しがないじゃないか……どうした、雪ノ下?」
先生の声は耳を素通りして教室の隅へと抜けていく。ノックと同時に開かれたら返事のしようがないなどと悪態をつく余裕すら、今の私にはなかった。
この部活に依頼者が来たことなんてない。来るのはたまに様子を見に来る顧問だけ。だから今回も、扉の先にいるのは平塚先生だけだと思っていた。
顧問の後ろに立っている猫背気味の男子生徒。一房だけ自己主張するように跳ねた黒髪にどことなく力のない眼。初対面だったら、割と警戒していたかもしれない。
けれど、私は彼を知っている。
「雪ノ下、入部希望者だ。比企谷、自己紹介を」
「あー、二年F組の比企谷八幡、です……って、入部ってなんですか。奉仕活動って聞いたんですけど」
比企谷八幡。去年の入学式の朝、私の乗っていた車が轢いてしまった男の子との、事実上二度目の邂逅だった。
去年の入学式、主席で入学した私は入学生代表挨拶などの打ち合わせのために少し早く学校へ向かっていた。実家の使用人である都築の運転するハイヤーの後部座席でこれから三年間通う道を眺めていると、視線の少し先を走っている自転車が見えた。運転手は総武高校の制服を風になびかせていて、生徒会の上級生か、それとも入学式が楽しみで早く出てきた同級生かとどうでもいいことを考えていたとき、「ワンッ」と高めの犬の鳴き声と都築の「あぶないっ!」という焦った声が重なって――
『っ――!』
急ブレーキによって身体が前方に押し付けられる。思わず目を瞑った私の耳に入ってきたのはガシャンという何かが倒れる音と、ドンッと車体に与えられた衝撃で――
『だ、大丈夫ですか! 今救急車を――ッ』
都築の慌てた声に恐る恐る瞼を開けた私の眼に飛び込んできたのは、ミニチュアダックスを抱えてオロオロしているパジャマ姿の女の子と、都築に介抱されている気を失ったさっきの男子生徒だった。後で聞いた話では、リードの外れて車の前に飛び出してきた犬を、自転車の男子生徒が飛び出して庇ったのだそうだ。
全治一ヶ月の怪我から復帰した彼を一度だけ見に行ったことがある。休み時間、机を抱え込むようにして眠っている彼に声をかけるべきか悩んで、悩んで……結局何もできずに自分の教室に戻っただけだったけれど。
そんな彼が、今目の前にいる。
いるのだけれど……。
「グルルルルル……」
彼は何をしているのかしら。力不足な目を必死に釣り上げて犬歯を覗かせて唸っているこれは……威嚇、かしら。なぜ威嚇をされているのだろう。ひょっとして、私があの事故の当事者であることに気づいている?
「そんなよく分からないことをしていないで、あなたも座ったら?」
「お、おう」
ため息交じりに促すと、キョロキョロと教室を見回した彼は隅に積み上げている椅子を一脚取ってきて、私の対角線上に座り込んだ。
やはり避けられている。それもそうよね。自分を一ヶ月も病院送りにした車の関係者と無条件に仲良くできる人間なんてそういないもの。
これは仕方のないことだ、とため息を漏らして去り際に平塚先生が渡してきたプリントに視線を落として――
「……ねえ、比企谷くん」
「なんだ?」
「これは……なんのレポートだったのかしら」
「なにって、『高校生活を振り返って』だけど」
彼の言う通り、確かにレポート用紙の書き出しは「高校生活を振り返って」になっている。けれど、その書き出しは「青春とは悪である。」というものから始まり、挙句の果てに「青春を謳歌する愚か者ども――砕け散れ」なんて文で締められていた。
「これ、私には犯行声明に見えるのだけれど……」
痛みを覚えた頭を抑えると、「それ、平塚先生にも言われたぞ」となぜかため息をつかれた。つきたいのはこっちの方だ。
「俺から高校生活で見たもの、感じたことをそのまま書いたらそうなった。ただそれだけのことだ」
もう一度犯行声明文、いやレポートに視線を落とす。私も同じものを現国で書かされたがなるほど、どうやら彼は「自分の高校生活」ではなく、「高校生活の中で見てきた高校生たち」を“青春”という基準で書いたようだ。そう考えると、一応題材の主軸には従っている……かもしれない。犯行声明文には違いないけれど。
「ま、犯行声明って言われりゃ確かにそうだが、その内容を撤回するつもりはない。性格に関してもそうだ。依頼だかなんだか知らないが、俺はこの性格を気に入ってるし、そもそも一人でいることが好きだから孤独体質の改善も結構だ」
平塚先生が私に依頼してきた彼の捻くれた性格と孤独体質の改善。それを彼は一切望んでいないようで、椅子から立ち上がろうとする。
確かに本人が望んでいない依頼を受けるべきではないだろう。しかし――
「客観的に見て、その性格を変えないと社会的にまずいと思うわよ?」
主義主張なんて個人の自由だ。しかし、社会は明らかな異分子を善悪問わず嫌う。堂々とこんなレポートを書く彼が社会に、会社という組織に入ったらどうなるか……想像に難くない。
しかし、私の忠告は彼が面倒くさそうに鳴らした鼻息にかき消されてしまった。
「仮にそうだとして、なんで変える相手が初対面のお前なんだよ。普通本職のスクールカウンセラーの仕事だろ。学年一位はその下を変える権利でもあんのか?」
彼の言い分も尤もだろう。私もなぜ最初の依頼が性格矯正なのかさっぱり分からなかったし。
それにしても、私は今少しだけ驚いている。自分でも普段から言動に棘があるという自覚はあるのだが――今は依頼ということもあって頑張って抑えている――、男子という生き物は凹みながらも私の意見を支持してくるものだった。こんなに真っ向から意見してくるなんて初めてだ。
「そう、確かにそうかもしれないわね」
それに、一つ分かったことがある。彼は私に初めて会ったと思っているということだ。最初は怪我をさせた加害者を邪険にしているのかと思っていたが、それではこの攻撃的な言動はデフォルトということだろうか。
一度引き受けたら投げ出さない。私の心情ではあるけれど。
これは、なかなか骨の折れる依頼になりそうだ。
***
「……そろそろ帰りましょうか」
あの後、特段の会話もなく下校時刻になってしまった。初めての依頼な上に今まで見てきた男の子の枠にはまらない彼にどう対応するべきか分からなかったのだ。
私の提案に、比企谷くんも読んでいた本を閉じて立ち上がる。彼に続いて部室を出るときも無言だ。こんな調子で大丈夫だろうか。いやそもそも、明日彼はここに足を運んでくれるだろうか。
思わず漏れそうになるため息をグッと飲み込んで教室を出てから鍵をしめるために振り返ろうとして、左手が比企谷くんに当たってしま――
「ひゃぅっ!」
…………。
………………ん?
隣からなにやら聞きなれない声が聞こえた気がして、そっと振り向く。状況的に考えて音源であるはずの彼は、さっきまでと変わらない力のない目でぼーっと窓の外を眺めていた。
「どうした?」
「……いえ、なんでも」
ふむ、どうやら幻聴を聞いてしまったようだ。今日は慣れないことをして疲れてしまったのかもしれない。……それで幻聴を聞くレベルまで疲れるのはさすがに私の体力がなさすぎるのではないかしら。やはり体力づくりはするべき……?
と、そこまで考えたのだけれど。
「いえ、幻聴とは思えないわね」
ボソッと呟いて、隣に身体ごと向き直る。鍵も閉めず自分の方を再び向いた私に首を傾げている比企谷くんには何も言わず、そっと手を伸ばし――
――彼の手首をそっと掴んだ。
「――――っ!!??」
手首を掴む。ただそれだけだ。特に力を入れているわけではないし、なにかのツボを押したわけでもない。それこそ握手をするようにそっと手を這わせただけ。
それなのに、私が掴んだ彼の反応は尋常ではなかった。
「やめ……、ゆきの、した……はな、せ……ひぅっ」
やる気がなさそうな、けれどどこか不遜で堂々としていた彼の声はかすれてしまいそうなほど震えていて、半オクターブ近く音が上がっている。顔は羞恥とはまた違う何かによってほのかに朱に染まり、身体中が跳ねるように震えていた。抗おうとしているのか私が掴んでいる手首の先はギュッと握りしめられ、唇は真一文字に強く引き結ばれていて。
「…………」
「お、おい……っ、やめろ、って……くふっ、ん……言ってるじゃ……うぁ……っ」
鍵を持った方の手を肩に乗せただけでまた異常な反応を見せる。さっきまでと違う彼に、私の心臓は脈打つ速度を速めて……ではなく!
両手を離して、肩で息をする彼をよそに奉仕部の扉に向き直り、鍵をポケットにしまって扉を開けた。ここからでも見える黒板上の時計は、まだ完全下校時刻は指していない。
「はあ、はあ……雪ノ下、帰るんじゃ……」
今日、彼と出会ってからイレギュラーなことが多すぎる。この件に関してだって、どうすればいいのか答えどころか方法だって分からない。
それでも。
「比企谷くん、教えてほしいことがあるの」
それでもこのことは知るべきだと、私の直感が精一杯に主張していた。
お久しぶりです。なかなか投稿ペースの上がらない私です。どうも。
いい加減こっちにも上げるかということで比企谷くんはビンカンです。シリーズを再掲しておきます。現在最新話を少しずつ執筆中( ˘ω˘ )
そうそう、まあ宣伝になってしまうんですが、夏コミでFGOのSS合同誌を出してました。モードレッドと学園パロみたいなお話で。
また今度活動報告で委託情報を載せておくので、興味のある方はぜひポチッてみてください!
それでは今日はこの辺で。
ではでは。