――お兄様。
血縁でもないのに兄と呼ばせたがる男と、実際にお兄様と呼ぶ王女。
冒険者カズマ様と私は、そんな奇妙な関係を築いた。
そしてお兄様が最近王都を騒がせている義賊を捕縛すると言い出し、城から出ていってはや数日。
「では第一次報告をお願いします」
「はっ」
私の声に応え、クレアとレインが前に出た。
それぞれ膨大な資料の山を抱えていて、落としてしまわないかと見ていて心配になるが、クレアは私の視線を気取ったのか。
「申し訳ありません。まだ調査を始めたばかりで、整理までは手が回らず」
「構いません。今はあらゆる事項を洗い直すときでしょう。それで、魔王軍の工作の痕跡は見つかりましたか?」
「いえ、見つかりませんでした」
「……そうなのですか?」
ミツルギ様との会食で魔王軍の工作の可能性を聞いたときは、なるほどありえる話だと思って城内の一斉調査を命じたのだけど……考え過ぎだったのだろうか。
私が首をかしげると、クレアは慌てて。
「いえ。厳密には、工作の痕跡は見つかりました。それも割とあっさり。王族の教育方針、騎士の訓練計画、警備システムの予算申請など……。工作内容もミツルギ殿が指摘していたように、とにかく正面から戦力をぶつけ合うよう特化させること、搦め手を使うような発想を無くさせる方向に我が国を動かすこと……というか後者がメインで、前者は副産物に過ぎなかったようですが。ただ、これらの工作はどうも外部から侵入した魔王軍の仕業というわけではなく、国の内部の――それも一部の貴族がやったことではないかという推測が立っていまして」
レインが続く。
「これも推測になりますが……その貴族の狙いは、王族やその周辺から判断力や政治力を衰えさせ、将来的には国を乗っ取る計画があったのではないかと思われます」
「……やけに具体的なところにまで推測が及んでいるようですが、そこまでわかっているのにその不届き者の特定までは終わっていないんですか?」
「絶対黒幕はこいつだ、と思うような人物はいます。ですが、なぜか決定的な証拠が出てこないのです。道筋は必ずその貴族に通じているのに、あと一歩のところで消えてしまう。まるでその人物に都合が良くなるよう、世界が辻褄合わせでもしているかのように」
「そもそもの話、ここ数年でここまで急激な体制の変化が起こっておきながら、誰もそれを疑問に思わなかったということ自体が不自然です。自分が小さかった頃には魔法使いにも多彩な戦術を教えていた記憶がありますから……いえ、そうしていたことを“思い出しました”から、本当にここ数年の話のはずです」
その話なら、私も今なら疑問に思うことができる。
いくら王族や魔法使いの魔力運用に集中力が必要だろうと、敵の正面でただ強力な魔法を準備するだけの戦術しか教えない理由にはならない。戦場では臨機応変に動き、いざ魔法を使う場面となったらそのときに集中力を高めればいいだけの話なのだから。
とはいえ、こんなことを疑問に思うようになったのもつい最近の話。城の外部から疑問を提示してくれたミツルギ様と……人をからかうような、意表を突くような視点から見ることを教えてくれたお兄様のおかげと言ってもいい。
それまでの私なら教えられたことを疑いもしなかったはず。誰も疑問に思わなかったことを不自然とレインは言ったが、私自身その不自然な状況に巻き込まれていた可能性は高い。
「……化かされているようで嫌な気分になってきますね。わかりました。目星がついていて道筋もわかっているようなら、引き続きその線で追ってください」
「かしこまりました。では、失礼致します」
そう言って二人は出ていこうとするが。
「あ、その資料の山は置いていって。もし手元に無ければ困るようなものなら後で写しを寄越してください。私の目でも確認したいですし」
私の言葉に、クレアがぎょっとした。そして気まずそうに口を開く。
「その……ひとまず怪しいと思った事象を片っ端から掻き集めたので、今回の件とは無関係のものも混じってると思いますが」
「構いません。あなたたちにはその怪しい貴族に繋がりそうな線を追ってもらい……私は私で他に何か怪しい線はないか探してみようと思います。これを機に多角的な視点を以って城内を綺麗にしてしまいましょう」
「かしこまりました。では資料はそのまま置いていきます。リストは作ってありますから、必要になるようならこちらから取りに伺いますので。ですが無理はなさらぬよう……ただでさえ勉学に遅れが出ているのですから」
「気遣いありがとう。大丈夫、できる範囲でやってみます」
そう言って、早速試しにと渡された資料の山をペラペラとめくってみて。
「……あら、これは――」
「どうされました? もう何か見つかりましたか」
「いえ、件の貴族とは関係ないのかもしれませんが……ふむ、そうですね……私の方で怪しいと思った点はリストアップしておきます。近い内に関係者を呼んで事情聴取をしてみましょう。担当部署と今後の立て直しについても話しておきたいですし」
「はっ。準備しておきます。それでは」
「失礼致します」
私が何度も引き止める形となってしまったが、二人は今度こそ部屋を出ていった。
それを確認して、私は一人呟く。
「……なるほど。紅魔族が大工に使役しているという話を聞いたこともありますし……悪魔も使いようということなんですね……」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この日、王都は魔王軍の襲撃に遭った。
それはいつものことと言えばいつものことなのだが、しかし今回に限っては我が方の大勝という結果に終わることができた。
大勝も大勝。あまりにも気持ちのいい勝ちっぷりに、応戦に参加してくれた冒険者たちにも報酬が弾まれ、戦勝祝賀会まで開催されることとなった。
しかしその場で――。
「いやああーっ! いやよぉおお!」
「ど、どうか落ち着いて」
泣き叫ぶアクア殿を前に、私は狼狽えていた。
アイリス様を誑かしたあの男――サトウカズマはコボルトの集団にあっさりと殺されるような醜態を晒したが、他のパーティーメンバーは目覚ましい活躍を見せてくれた。
アクア殿は回復力、めぐみん殿は火力、ダスティネス卿は防御力。
欠点があるとは聞いているが、一芸に秀でている彼女たちの力をあの男のパーティーに留めておくなど宝の持ち腐れ。ここは国から要請を出し、ミツルギ殿のパーティーに加入してもらおう、あの男のパーティーからの移籍をしてもらうよう取り計らおうと、私は考えた。
とはいえ国からできるのはあくまで『要請』だけだ。
国からの要請と聞けば大抵の冒険者は喜んで飛びついてくるものだが、所属しているパーティーを抜けることに難色を示す人間も、やはりいる。あの男は口がひたすらにうまいようだし、後日手続きを経てから要請を出しても口八丁でメンバーの引き抜きを阻止される可能性は高いだろう。
そう思った私は、根回しをしに来たのだ。事前に引き抜きの条件や報酬などを伝えておいて、正式な要請を出す前に心を決めさせてしまおう、あの男の意志が介在するより前に勝負を決めてしまうのだ。……そういう腹づもりだった。
ところが――。
「いやぁぁあ! 絶対にいや!」
「どうか私の話をどうか聞いてください!」
「そ、そんなこと言って……あなたも私のお酒、奪うつもりなんでしょう!?」
アクア殿は酒瓶を大事そうに抱えたまま、こちらを睨みつけてくる。
なぜ私が奪うという発想になったのかわからないが……ふむ、銘柄的には確かに高い酒だが、決して私個人が出せない金額のものというわけではない。
そう思った私は、なんとか話を聞いてもらおうと。
「そんなものでよろしければぜひ私からも――」
「!! 『そんなもの』って言った! 私の治療にものすごく感謝してくれた人が、お礼にって捧げてくれたお酒を『そんなもの』って!」
――しまった。
そう思ったが、時すでに遅し。
「あなた、天罰食らわせるからね! 具体的には、気になっている人といっしょにお風呂に入ろうとしてもなにかと邪魔が入って実現しないっていう天罰を!」
「ええっ!? ちょ、ちょっとそれは困るのですが――!」
さすがに冗談だと思いたいが、つい最近似たような状況に直面した覚えがあったためヒヤッとしてしまう。
そして私がたじろいだ隙に、アクア殿は逃げ出してしまった。
「は、速い……っ!?」
酒瓶を抱えているというのに、なんという素早さだ。
あっという間にパーティー会場の人混みに紛れて見えなくなってしまう。あの綺麗な青髪は目立つので探せないこともないだろうが……パーティー会場で必死に人を探している様子を他の貴族に見られるのは外聞に悪い。
「出直すか……」
そう呟きながらかぶりを振ったところ、今度は黒髪の美女――めぐみん殿が目に入った。
今回の戦闘において敵の指揮官を爆裂魔法で消し飛ばすという、MVPといっても過言ではない活躍を示しており、魔法使いの集団から褒め称えられて嬉しそうな顔をしている。
……今度は彼女に声をかけてみることにするか。パーティーメンバーが一人でも移籍を受け入れれば、他のメンバーの心理的ハードルは下がる。アクア殿も一緒についてくる可能性は高くなるだろう。
そう思って声をかけてみたのだが――。
「嫌です」
けんもほろろに断られてしまった。
こちらの話を聞いてくれなかったアクア殿とはまた違う。こちらの話を完璧に理解した上で、明確に拒絶の意志を示してきた。
その言葉に秘められた意志の強さに圧倒されそうになりながらも、なんとか踏みとどまる。
「な、なぜでしょうか……?」
「……ふぅ。あなたは回りくどいことを言っても引いてくれないでしょうから、はっきり言いますね。私は、パーティーリーダーであるカズマに惚れています。好きなのです。ずっと一緒にいたい。だから、カズマから離れるなんて論外です」
「なっ……」
強い意志表示に秘められた理由は、恋心。
絶句している私に、めぐみん殿はもう一度言ってくる。
「嫌です」
私はふらふらと歩みを進めていた。
連続で根回しに失敗したのもあるが……めぐみん殿の強い恋心に衝撃を受けたのが大きかった。あそこまではっきりと、自分の気持ちを第三者に伝えられる彼女が羨ましい。
「どうした、シンフォニア殿。足元が覚束ないようだが」
「ああ、ダスティネス殿……。すまない、恥ずかしいところを見せた」
私を見かねて声をかけてくれたのは、ダスティネス卿。
先の戦闘でも、王家の守護者と言われる家名に恥じない見事な防御力を見せてくれた。
彼女とは家柄が同格なこともあり、幼少の時分からの知り合いだった。
そんな彼女が、心配そうな顔をしながら。
「何か悩みがあるなら、聞くが」
「……それが、アクア殿とめぐみん殿に今のパーティーを抜けて移籍してもらえるよう要請を出そうとしていた件で、根回しをしておこうと思ったのだが……断られてしまってな」
「ああ、シンフォニア殿がカズマと言い合っていたときの話か。そうか、二人は断ったのか……」
ダスティネス卿はそう言って少し嬉しそうに、そしてなぜか寂しそうに笑みを浮かべた。
「……そうだ。ダスティネス殿からも二人を説得してもらえないだろうか。あなた達の能力は、きっと他のパーティーでこそ活かせるはずだ」
「なるほど。私はもともと道楽で冒険者をやっているのを許してもらっているような立場だし、国からの要請とあれば断わるわけにはいかないだろうが……」
「何か、あるのか?」
ダスティネス卿は辺りを見回し、誰も聞き耳を立てていないことを確認して。
「父が臥せっているのだ」
「なんだと、イグニス殿が!?」
「声が大きいぞ」
「す、すまない……しかしそれは一大事ではないか。国一番のプリーストや呪術師をすぐにでも派遣して――」
「もう手は尽くしたさ。しかし治らなかった。体力だけがどんどん衰えていく。本人はもう寿命かと諦めている」
「そんな……」
「いつ容態が急変するかもわからない。だから日帰りで戻れるような距離や、知らせがあればテレポート屋を利用してすぐに駆けつけられるくらいの都市なら遠出するのは構わないが……王都を拠点とする冒険者と組んで冒険の旅に出掛けるとなれば――」
「みなまで言うな! ……すまない。要請は取り下げることにしよう」
「そうしてもらえると助かる。ありがとう……」
私達は友情を確かめ合うように、固く手を握りあった。
こうして私が思い描いていた彼女らの移籍の話は、立ち消えになってしまう。
事前の根回しがうまく行かなかったのもあるが、この晩、城を揺るがすような事態が起こり、それどころでは無くなってしまったから――。
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戦闘が終わり。
大勝利を祝した祝賀会も終わり。
私の部屋にララティーナ、めぐみんさん、アクア様を呼び寄せて、お喋りを楽しんでいたところ。
「んー? 何か騒がしいわねー?」
城を内から食い破るように蠢く喧騒に、最初に気づいたのはアクア様だった。
このどう見ても女神にしか見えない美貌と、どう考えても人並み外れたアークプリーストとしての能力を持つ彼女は、どうやら五感も人間以上の性能を誇っているらしく、お兄様の話で盛り上がっていた私達の中からいち早く城内の異常に気付いたようだった。
「……確かに、何か騒いでいるようだな。賊か?」
ララティーナがそう言いながら窓から乗り出して、城内の様子を確認し始める。
めぐみんさんとアクア様もそれに続いた。
「あ、あそこよ。誰かが追われてるわ」
「姿は……ここからでは全身は確認できませんね。黒尽くめの賊が、一人、いや二人? ……ああっ!? 騎士が転ばされました!」
私も窓から身を乗り出したところ、ちょうど騎士が無力化されるところだった。
凍らされた通路で転んで、縄で絡め取られ……そのまま賊が手をかざすと、その騎士は一通り悲鳴を上げたあと突然魂が抜けたように脱力し、二度と起き上がらなかった。見渡せば、同じような攻撃を受けたと思われる騎士や魔法使いがあちこちで昏倒している。
「む? あのスキルは……いや、まずいな。こちらに向かってきている」
「そのようですね。早速返り討ちの準備をしましょう。……えーと、あなたは戦えるのですか?」
「馬鹿にしないでください。王族は強いんですよ!」
「ああっ!? 魔剣の……えーと、えーと……魔剣と賊が対峙してるわ!」
「あの男、私達の前でカズマにのされた記憶しかないんですが、王都では結構高名な冒険者なんですよね?」
「え、ええ。そうですが」
「そう言ってやるな。さっきの魔王軍との戦闘でも、私が見た限りではあるが、かなりの活躍をしていたぞ。きっと精神的にも成長したに違いない。あれならまた不覚を取ることもないだろうが……。ん? あ、ああ……やってしまった……」
ララティーナが頭を抱える。
その視線の先では、無手の賊を前にミツルギ様が倒れ伏していた。
「瞬殺されたわね」
「なんなんですかあの黒尽くめの賊の動きは。格好良すぎるんですが」
「そんなことを言っている場合か。あそこを突破されたとなると、間違いなくここまで来るぞ。……うーむ、どうしたものか。いやまだ人違いという可能性も……」
皆が曲者を迎撃するために準備万端で待ち構える。
だけどそこに現れたのは、仮面を付けたお兄様で。
私が将来婚約者に渡すために身に着けていた指輪を奪い。
そのまま夜の闇に姿を消したのだった。
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死屍累々。
城の惨状を表す言葉があるなら、まさにそれだろう。
「う、うう……」
「ヒール使えるヤツを寄越してくれ! プリースト……アクア様を呼んできてくれ!」
「スキルで拘束されている! スキル破壊を――アクア様ー! アクア様ー!」
城のあちこちで、呻き声や怒号が飛び交う。
原因は、城に侵入した二人の盗賊だった。
剣技に磨きをかけていた騎士達、魔法の鍛錬を続けていたアークウィザード……数多くの者が曲者をひっ捕らえようと参上したが、ことごとく返り討ちに遭い、惨憺たる様を晒していた。
ある者は凍った床に脚を取られて転倒し怪我、ある者は拘束されたままなぜか体力が低下して生命活動すら危うい状態、得物を破壊されたり奪取されたりして無力化された者も多数――。
そう、無力化されただけ。誰も殺されていない。
だがそれを慈悲や神の加護と受け取る者など城の中にはいなかった。賊に手加減されたこと、その上で無力化された自分達の至らなさを悔い、俯いてその表情に影を落としながら事態の収拾に努めていた。
しかし、心に傷を負いつつも気力を保っていられる者ばかりではない。呆然として、立ち直るのに時間がかかりそうな者もいた。
私の教育係であるレインに至っては、代々家に受け継がれてきたという杖が破壊されたことに泣き崩れていた。
「ひどいです……ひどいですよ……激戦の中で折れたとか、相手の魔法に拮抗して自分の力及ばず宝玉が砕けたとかならまだ納得いくんです……でも、あの賊、一瞥しただけで、何の感慨もなく、作業的に、邪魔なものをとりあえず片付ける的な感覚で、あっさりと……う、うう……」
私に対していつも真面目に教鞭を取っている彼女が、ただただ瞳を潤ませながら恨み節をブツブツと呟くだけの状態になっているのを見て背筋が寒くなった。
この現状を、たった二人の手で作られたのだという。
いや、一人はサポートに徹していたらしいので、下手人はほとんど一人。それは、私のよく知る人であった。
「お兄様……」
血もつながっていない私を、いくら私が「お兄様みたい」と言ったからとはいえ、本当に妹扱いしてきた不思議な人。
私に遠慮することなく、本当の意味で遊び相手になってくれた人。
暖かな、朗らかな気持ちを抱ける人。
それが今では、ただひたすらに。
「……怖い……」
――王家は優秀な戦士を輩出するために、様々な職業の可能性、様々なスキル構成を模索している。その中で、冒険者という職業がいろんなスキルを覚えられるということで、器用に立ち回れる可能性を模索したことはあった。
しかし、どうにも力不足であり、考えるに値しないという結論に至った。冒険の舞台では、そして魔王軍との戦いの場では、より短時間で相手を無力化できる火力や、より早く戦線に復帰させる治癒力が大事。いろんなことができる器用貧乏よりは、一部分だけでも特化させた専門家が求められるようになった。
何が力不足だ。十分ではないか。
人を、殺すだけなら。
強靭な身体を持つモンスターと違って、人の身体は脆すぎる。
窒息させられれば、すぐに死ぬ。
首をはねられれば、一瞬で死ぬ。
それでなくとも四肢のどれかをもげば戦闘能力の大半を奪える。
もっと言えば、転ばせるだけでもいい。
そこにはステータスの差など、微々たる違いでしかない。
冒険者カズマはそれができた。できたのに、やらなかっただけ。
人は、簡単に人を殺せる。
「ふぅ……っ!?」
足元からせり上がってきた悪寒に、思わず息を漏らした。
怖い。
人が怖い。人を簡単に殺せる人が怖い。
そのようなことができると教えてくれた人が怖い。
冒険者カズマが、怖い。
「――あ」
そのとき私は自分のカラダに違和感を感じた。
下半身に身につけている下着に、湿り気を感じていたのだ。
「これは……?」
恐怖ですくみ小水を漏らしたのではない。
「……あ、ああ……これは」
強者の血を求めてきた王家の血筋のせいなのか。
ステータスの差を覆して上級職を圧倒して見せたあの冒険者に。
私に恐怖を――自分を上回るものを感じさせてくれたあの男に。
血のつながりもないのに肉親に近い親しみを感じたお兄様に――。
私は性の目覚めを感じていた。
「はぁ……っ……!?」
自覚した瞬間、恐怖で冷えていたカラダに熱が迸った。
下腹部を中心に発せられた情欲が、全身を駆け巡っていく。
甘酸っぱい初恋と、猛るような性欲。
限りなく遠く極めて近い二つの感情がぐるぐると渦巻いて、脳を狂わせていく。
「アイリス様!? まだ賊が潜んでいるかもしれません。ここは部屋にお戻りに――」
「クレア……今から人を一人、呼び寄せてほしいのですが……」
「は、はぁ、それは構いませんが……」
この国の貴族には性的倒錯が過ぎる者が多いと聞くが。
どうやら私も例外ではなかったらしい。
……私は、『恐怖』に性欲を感じているのだから。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「……来ないなー。またすっぽかされちゃいましたか」
私は【アンケート用紙】をくしゃりと握りしめて、宿屋から飛び立ちました。
カズマさんは今日も、事前に予約していた時間にやってきませんでした。これで何日目でしょうか。
まぁ、最近は新しくできた支店との間でシフト調整がうまくいっていたり、冒険者たちの資金も尽きてきたのか予約が先々まで完璧に埋まっているということもないので、私が飢えるような事態も起きていないのですが。
それはそれとして、予約をすっぽかされたのは普通にムカつきます。
キャンセルするならするで、せめて事前に連絡を入れてくれればいいものを。
「――ああ、カズマさんね、どうも誘拐されたらしいのよ」
「え、ええっ!?」
店に戻った私がシフトリーダーにカズマさんのことを愚痴ると、そんな驚愕の事実を知ることになりました。
「本当についさっき、この店に連絡が入ってね」
「……ん? なんでウチの店に連絡が来たんですか?」
誘拐と言えば、目的はレイプだったり、身代金目当てだったり、色々あると思いますが……それにしたって連絡が行くのは家族とか保護者とかにでしょう。
なにゆえ、誘拐対象がよく利用している風俗店というだけのこの店に、そんな連絡が届いているのでしょうか。
「それがね……誘拐犯の方から、貴女をご指名でね……」
「……はいぃ?」