と思っていたら原作ではすっかり騙されましたよ……!
殺害、自害、不慮、災厄、失敗――死んで戻る。
「――――」
繰り返し、繰り返し、繰り返す。
よりよい未来に進むため、誰も犠牲にならない希望を手にするため。
自分の命を省みず、大切なヒトたちが生きてくれるように、ずっと笑顔でいてくれるように。
ナツキ・スバルは『死に戻り』を躊躇わない。
だって――それはきっと正しいから。
「自分で死ぬのにも慣れちまったな」
自嘲にも苦笑が湧かなくなってきた。
さっさとしろと溜息――ナイフを首に刺す。加減はしない。する理由がない。
この世界で生きる意味は失ったのだから。
誰よりも愛する少女エミリアが少し――ほんの少しだけ、失敗してしまったのだ。
だから、次の世界で取り返す必要がある。
――エミリアたんは悪くないからね。
――俺が全部、命懸けでどうにかするから。
分厚い刃が薄い首の皮を突き破り、反対側までいとも容易く貫通する。
「あ゛あ゛……い゛って゛ぇ゛ぇ゛な゛……」
とてつもない痛み、けれど、スバルは無様に叫んだりはしなかった。
そんなことをすれば誰が来てしまうだろうから。
生きることはもう望んじゃあいないのに、延命をされてはまずいのだ。
絨毯が敷かれた床に静かに倒れ、己が死ぬのを待つ。
『まったく……死ぬにしても、もう少しやりようがあったんじゃないかい?』
契約した魔女エキドナの思念波が刻々と死んでいく脳を揺さぶる。
その声は本当に自分を心配しているように、か細く活気がない。
実際、この魔女はスバルを労わってくれてはいるのだろう。
――その理由はどこまでも自分本位だが。
(あーくそ……くそったれ……わかってるのによぉ……)
いつもの調子で、お茶会を去る時みたいに見届けてくれたら、悪態の一つでもついて死ねるっていうのに。
『君が答えに悩む姿は望むところではあるけれど、君が痛みに苦しむ姿は見たくないよ、ボクは。ボクの世界ならいざしらず、ソコじゃあ、ひとおもいに楽にしてあげることもできない』
暗に、今すぐ自分の世界に来いと魔女は言っていた。
自分の領域ならば安らかに終わらせられると。
それこそ眠らせるように精神を解体し、肉体の苦痛から解放させられると。
それはきっと――この世界に在ったナツキ・スバルの最後の救いになるだろう。
「ゲボッ――ゴヒュ……ハッ……うる、せぇ……よ……」
喉にへばりつく血を吐き出して毒づく。
スバルは最後の力を振り絞って胸元の黒いペンダントを握りしめる。
魔女が息をのむのがわかった。
頷いた? 肯定した? スバルがエキドナに死を委ねることを?
……冗談じゃない。
――お前には必要以上に頼らねえって、あれだけ言ってるだろうが。
……頼っちまったら、あとに引けなくなるんだよ。
「……君という人は本当に『強情な人間』だ」
契約者は最期まで己の死を渡そうとせず、苦しみながら息絶えた。
「だからこそボクの契約者に相応しい」
大切な人たち全てを導こうなど……よくもそこまで献身的になれるものだ。
聖人でもそこまではしやしないよ。
取り残された白い魔女は瞳を伏せる。
誰もいない草原。
誰もいないお茶会。
自分を満たしてくれていた少年は死んでしまった。
その喪失感をどう喩えよう?
これで終わりにはならず、次があるとしても、アイを抱く人が死ぬのは中々堪える。
彼の命を己の知識欲よりも優先するかどうかは……別次元の話だが。
知識欲の権化、『強欲の魔女』の名は伊達ではない。これ以上ないほどの栄名だ。
「――――」
エキドナは何かを言おうとして諦め、ティーカップを手に取ろうとする。
そして、静かすぎる世界に割れる音が響き――
「エキドナ」
夢の世界に入り、丘を上ってきたナツキ・スバルの表情は険しい。
状況は、彼がこの夢の世界に来るよりも早くに理解している。
前触れのない突発的な起床――荒い呼吸、暫くの沈黙――そして黒い結晶石を握る――
これだけ揃えばどんな阿呆でも答えにたどり着ける。
(分かってあげられるのはボクだけだけど)
口が弧を描くだけの優越感はあった。
礼儀を守るんだよ、と正面の席を指してやると、唾を吐くように舌打ちをされる。
スバルは乱暴に座ると、エキドナが丹精込めて生成したお茶を飲み干す。
一息に。
情緒や優雅さの欠片もない。
お茶とは本来よく味わって飲むべき物で、気持ちをリラックスさせて会話をスムーズにしてくれる有り難い嗜好品なのに、この少年はどうやらまだ解ってくれないらしい。
回数も時間もある意味無限数なのだから、もっと余裕を持ったらどうだろうか。
「このやり取りも何度目なんだろうね?」
「聞きたいか? 今回で99822回目」
「ふむ。君がここに訪れた回数なら、確かにそのぐらいにはいきそうだ」
「マジレスしてんじゃねえよ。いちいち数えてられるか、こんなやり取り。だいたいお前、同じ道筋とか同じ結果とか嫌いなんだろ。なら、ルールをなくせば変化があるかも知れねえし、俺もお前の茶=体液を飲まずに済む。お互いに万々歳だぜ」
「賢しいことを言うようになったね。成長してくれているようでボクは嬉しいよ、ナツキ・スバル」
親指と人差し指との間に隙間をつくる。
一センチもないそれを見たスバルの口元がヒクついた。
「君の言う通り、ボクは」
「死んだ原因を話させてもらうぜ」
「『強欲の魔女』の話を遮るとは素晴らしい度胸だ!」
あんまりな態度に憤慨し、こなれたやり取りに笑う。
「ここまでボクを夢中にさせる人間は世界に君一人だ。断言しよう。誇ってくれたまえ」
「そうかよ」
「……おや。嘲笑や否定はないのかい。『お前の好意なんて誰が欲しがるか』と言ってくると予想していたのに。そう真顔で頷かれたら、ボクも次の言葉に困るよ」
「別に。俺はお前の知識に頼ってるワケだしな。何回も何回も……数えきれねえぐらいに」
「…………」
「『これはやる必要あるのか?』って感じる時はあるけど、その経験で先のコトに役立つ可能性もゼロじゃあないし、実際何度かあったろ」
腕を枕にしてテーブルに頭を寝かせる。
「だから、まぁ……感謝してるよ。お前と契約したから俺はここまで来れてる。大切な人たちは全員無事だし、関係ない人たちだって殆ど守れてるんだ」
気怠げなスバルの様子に、エキドナは薄い唇に指を当て――パチンと指を鳴らす。
「――うおわぁっ!?」
テーブルと椅子が急に消失し、情けない声を出しながら草原に顔から突っ込む。気が抜けていたからか受け身も取れなかった。
幸い草や土を味わうことはなかったが、滅多にない感謝をした直後にこの仕打ちはないだろう。今のは自分なりの本心からの言葉だったのだ。
前の世界で自分を楽にしようとしてくれた事に対しての。
それが打算的で合理的な思考の下の結果だとしても。
エキドナ本人が覚えていなくても、ここにいる自分ははっきり覚えているのだ。
(なんだってんだっ)
それをすぐに忘れて憤る少年は単純細胞と言わざるを得ない。
不良のようにガラの悪い目付きをさらに酷くして、
「おいエキドナ……」
「なんだい、ナツキ・スバル」
正面で女の子座りをしている白い少女に言葉を失った。
「な、なにしてんだよ」
「? 君の前に座って――」
よいしょと少年の頭を自分の膝の上に置く、白黒の魔女。
「こうしようとしていただけだよ。危害を加えられるとでも思ったのかい? そのことなら心配無用さ。君がよっぽど失礼な言動をしない限りはね」
「そ……そうじゃ、ないだろ」
「ボクは君の契約者。協力者にして共犯者。一心同体。運命共同体。陰陽の勾玉。
君の善行はボクの善行でもあり、君の悪行は紛れもなくボクの悪行だ」
「…………」
「そんな相手を――ナツキ・スバルを気遣うことに、ボクは何の思惑も持ちはしない」
「……嘘つきやがれ。てめえは何時だって自分の知識欲を優先するだろうが」
「理性は本能には勝てないし、精神と肉体は魂には逆らえないんだよ」
エキドナは申し訳なさそうに微笑む。
「ボクがどれだけ君を愛していてもね……」
か細い指がスバルの額を撫でる。
「この身に刻まれた『強欲』は消えてくれない。ボクが今こうして君を癒そうとしているのも、突き詰めれば自分の為になる。何故かだって? こんなところでナツキ・スバルに壊れられてしまっては困るからだ。全ての賢人が願って止まない能力を持つ君は貴重に過ぎる。何度でも蘇られる? しかも記憶を持ったまま? 素晴らしいじゃないか! 他者に全てを話すことができないというのは痛いけど、それも生き返るための代償と考えれば安いものさ。
おっと、君自身にも興味はあるんだよ?」
「いやいや蛇足な感じで付け加えんなよ!? 最初と最後で矛盾してませんかねぇ!? お前もし俺と同じ能力手に入れたら、絶対俺を見捨てるだろ!」
「絶対にないとは言い切れないね、うん。しかも『嫉妬』由来のものじゃなかったら……」
駄目だこいつ……早く誰かどうにかしてくれ。
『愛していてもね』で閉じてくれたら涙が出そうな美談で終わっただろうが。
とことん己の中の欲求に正直な少女である。こんな魔女と契約したヤツは大馬鹿野郎に違いあるまい。目指す場所に辿り着くまで、どれだけ自分は死ななければならないのか。
「……で、なんでこれなんだよ」
少女の柔らかいふとももを後頭部で体感しながら訊ねる。
世の全ての男子が一度はやってもらいたいと夢見る『膝枕』を、エキドナはスバルにしてくれていた。魔女が人間にしていることを踏まえれば、ある種の偉業ではなかろうか。
感想? まぁそんなには悪くないだろう。氷みたいに冷たいこともないし。
(エミリアたんには到底及ばないけどな)
マイ・エンジェルの彼女は別格である。
「膝枕のことかい」
「お前ならもっと効率の良い方法知ってるし、出来るだろ?」
「効率……ね」
整った顔を苦笑いの表情に変えて逸らす。
腰までもある雪のように白い髪がさらりと揺れて、自然に綺麗だなと思った。
花園を遠くに見つめるエキドナは「笑わないでくれるかな?」と言い、スバルは「笑わねえよ」と下種の勘繰りはせずに返す。
「……エミリアが君に同じことをして、君が立ち直ったことがあったみたいだからね。ボクも実践してみただけさ。効果のほどは……上々とは言い難いが、少しはあったようだね」
間抜けな顔をさらした契約者は物すごーく悩んで、悩んで、それから。
「……ありがとうよ、エキドナ」
「い、いや――う――――コホンッ。いや、礼には及ばないとも」
驚き、取り直し、当たり前のように努める。
緩みかけた唇を戻そうとして、頬は赤くなってて、髪を忙しなく指でクルクル巻く。
わざとやってるんじゃなかったら、天性の男たらしの才能がある反応だ。
既に、心に決めた少女がいなかったら、惚れてやってもいいぐらいには可愛かった。
「ほんっと……『強欲』じゃなかったら、普通の女の子だな、お前」
「普通はボクの望まぬ性質だけど……褒め言葉として受け取っておこう。そのまま惚れてくれてもいいんだよ?」
「生憎、魔女の人形になるのは死んでもお断りだぜ」
「大いに残念だ。でも、ふふふっ……今の言葉は面白い。実に面白いよ」
エキドナが顔を前に傾ける。
スバルは恐れない。
「言いなりの人形の方がボクにとって都合が良いのに」
「だろうな。思い通りに無茶させられる」
「そう――だから今すぐ君のココロを操って、何でも言うコトを聞いてくれる傀儡にしても全然構わないんだよ。死んだとしても、次の君も操れば完結する」
「できるのか?」
「それでこの好奇心を満たせるのなら……ボクは躊躇わない。次のボクもそうしてみせる」
断言する。
人間がどんなに死のうが、痛がろうが、苦しもうが、悲しもうが、魔女は迷わない。
それほどまでに魔女は身勝手で理不尽な存在なのだ。
そう告げているのに――目の前の少年は笑ってみせた。
「お前には無理だな」
「理由を確かめさせてもらおうか」
「現実的な理由――出来るならとっくにやってる。でも、やっていないのは自信がないから」
「これから出来るようになる可能性もある」
「俺が記憶を持ち越せるの忘れてないよな? 次の俺はお前のことを頼らなくなるぜ、絶対にな。そんで現実世界にいれば、夢の世界にいるお前は思念以外で俺に干渉できなくなる」
「それさえも可能にしてみせれば、どうだい」
「どんだけ長い付き合いをするつもりなんだよ。そもそも何百年て時間があったんだから、現実への干渉の開発は思いつく限り試してるだろ? で、無事失敗したからこうなってる」
「悪くない返答だ」
「お前が記憶を持ち越せるように……『世界の記憶』を読めば『知っている』ことにはできるんだっけか?」
「それを嫌うボクがするかどうかはともかく、記憶に書き加えることはできるとも」
「なら、お前が記憶を持ち越せる方法を編み出すか、『世界の記憶』で前の自分の記憶を絶対に確認するようになるかの二通りで――現実世界への干渉方法を開発できるようになる、だな」
「そんなところだろうね」
「……やらないし出来ないって自分でも分かってるんじゃないのか」
「残念ながらね。ボクでも手に余る難問だよ」
「だろ?」
「うん」
満足気なスバルにエキドナもまた微笑で応じる。
――――実を言えば、現実世界へ干渉できる手段は残してある。
ただとても遠回りだし、一度失敗してしまったら取り返しがつかなくなるのだ。
(少なくとも『今』のボクは駄目になる)
君という人間の人格を無くすのも惜しいしね、という本命は言ってあげない。
それを言ってしまうのは、ナツキ・スバルに対して敗北を認めたような気がする。
「あーエキドナ。まだ理由はあったんだけど……聞いておくか?」
「ボクが君について知らないことがあるのは不愉快だね。君と違ってボクはやり直せないんだ。不公平も甚だしい」
「OK、ちゃんと言うから首には触れてくれるな」
スバルが深呼吸――そんなに重要なのか、とちょっと期待するエキドナ。
「ナイフで首ぶっ刺した俺にさ、お前。
『君が答えに悩む姿は望むところではあるけれど、君が痛みに苦しむ姿は見たくないよ、ボクは。ボクの世界ならいざしらず、ソコじゃあ、ひとおもいに楽にしてあげることもできない』
――――こんなこと言ったんだ」
「――、――、――、」
「どうせ魔女のお前のことだし、自分の為なんだろうさ。俺も心ん中で悪態つきまくったからそこは責められないし、責めるつもりもない。……けど、少しだけ救われた。信じた理由はそれだ」
顔が、熱い。
スバルの眼と口を閉ざさないのが奇跡だった。
エキドナは『前』の自分の迂闊さを呪い、行動力を讃える。
「楽に死なせてあげれば、次の時に扱いやすくなるという、頭脳的な判断だね」
「言わなくてもわーかってる。さっき感謝したのもそうだし、大人しく膝枕されてんのもそうだ」
「…………」
「そして! 膝枕してくれてんだから、俺は少し寝させてもらうぜ」
「ちょっ……現実の君は大丈夫なのかい!? 慌ててきたってコトは命の危険があるってコトだろう!? いくら流れる時間に差があるといってもそんな呑気に……!」
「問題ない」
「なにが!?」
「……知りたきゃ、『世界の記憶』で確かめてみたらいいだろ」
そう言ってナツキ・スバルは眠りの世界に逃げてしまった。
肩を揺すっても、頬を抓っても、一向に起きる気配を見せない。
「あんなことを言っておいて寝るとはね……!」
怒りの笑顔を浮かべ、エキドナは一冊の本を取り出す。
その、純白の装丁の本は彼女が『世界の記憶』と呼んでいる物だ。
「いいじゃないか。確かめてあげよう。君が死んだ原因について」
いつになく乱暴な手つきで捲り、目当てのページを見つけ、噛み付くように読み進める。
「――――これは卑怯だ」
一息に読み終えた魔女は不機嫌のようで上機嫌のような、酷く複雑な様相になった。
ナツキ・スバルの今回の死因はそうさせるに足るものだったのだろう。
「狙ったのかい? だとしたら、君もだいぶボク色に染まってきたじゃあないか」
口が勝手に笑ってしまう。
心の内側で拍手喝采が巻き起こる。
「ナツキ・スバル。今回は特別だよ? 何度もあるとは思っちゃいけない。
では、君が寝ている間に『強欲の魔女』であるワタシが――最善の結果と過程を一度で ――尚且つ楽に達せられるように――知識を振り絞って考え出しておこう」
そして、鼻歌を歌いながらエキドナは考え始めた。