みんなを救いたい。救わなくちゃいけない。救える方法があるのだから。
万を千に、千を百に、百を十に、十を一に、一を0に。
誰も死なせたりはしない。
誰かの死は自分の死を以て覆らせる。
心が折れない限り自分の命は無限に等しい。だったらどうして見捨てることができる? 無関係な人だとしても助けられるのなら助けるべきだ。
死力を尽くすべきだ――本人たちから感謝の言葉を言われなくても。
わかっている。こんな考え、狂っているのはわかっている。
自分は普通ではなくなった。常識なんて生易しいセカイはとっくの昔に捨てた。
突き詰めれば結局は自己満足なのだろう――それでも間違っているとは思わない。
偽善でも救えるのならいいじゃないか――『強欲の魔女』は肯定してくれた。
「君は間違ってなどいない」
「ワタシは君の正しさを知って、識っている。誰よりもだ。誰よりも正しく理解できる」
「誰かを救いたいと願い、想い、行動する――それが間違っている筈がないよ」
最も欲していた言葉を言ってくれる。
契約者、協力者、共犯者、関係性の呼び方はなんだっていい。
あの魔女はナツキ・スバルの例外だった。お望みなら、特別だと言ってやるとも。
一番良い未来を得るために『死に戻り』を重ね続ける行為を、自分の命を自分で断つという狂気を、エキドナは「正しい」と励ましてくれる。
スバルを介して知識を蒐集する『強欲の魔女』なら、とてもではないが受け取れなかった。
スバルの愛情を欲する『強欲の魔女』なら、まだ信じることができる。
だから俺は何度だって――
「確認したいことがある」
一つの難関を乗り越えられるだけの算段がついたとき、ナツキ・スバルはエキドナに切り出した。『嫉妬の魔女』によって『死に戻り』のセーブ時点が更新される前に自害し、リセットした上で新たに考えついた方法を試すというのは二人の常套手段であった。
だが……
「どこが気になった?」
テーブルに頬杖をついたエキドナが問う。
「君に一定以上関係のある人物の命は確保されている。ない者たちの犠牲も限りなく低い。今の状態は決して悪くないよ」
「ない人たちの犠牲もゼロにしたい」
スバルの瞳に曇りはなかった。
「最小限ではなくゼロにしたいと……。スバル、君よりも知識を多く持つ『強欲の魔女』としてはっきり言わせてもらう。それはとても困難な問題だ」
「難しいだけで無理じゃないんだな」
「思い付きはするさ。そして君であれば必ず実行できる。しかし、実行できるようになるまでの負担が大きすぎるように思える。十や二十の繰り返しではきかないだろう」
「プリステラの時に死んだ回数思い出してみろよ。今更そんぐらいでビビるか」
「……ワタシが言えた言葉ではないけどね。多少の犠牲は容認するのも強さの一つであり、君が正気を保ったまま終わりに辿り着くためにも重要なことだよ」
この違和感はまずいと直感的に理解する。
歯車がズレ始めている。ズレてはならない大事な歯車が。
「……助けられる手段があるのに見捨てるなんて出来ない。俺の命で一人でも多くの人が助けられんなら、生きていられんなら、笑っていられんなら、何回だってやり直す」
「思考と試行を重ねる知の探究、諦めを放棄するその心に『強欲の魔女』は深く敬意を示そう。だが――」
テーブルを掌で叩いたスバルが言葉を遮る。
「『しかし』も『だが』も求めてない。欲しいのは答えだ」
叩いた勢いのまま言われ、エキドナは黙りこくる。向けられる黒い瞳から感情を読み取ったスバルが申し訳なさげに「悪い……最近のお前が、俺のことを本気で考えてくれてんのはわかってる。今回だってかなり助けられた」と伝える。
吠える犬から子犬になってしまった少年を魔女はクスクスと笑う。
「少し悲しい顔をしただけで動揺するなんてね。君は純情だなぁ」
笑われてスバルの頬に朱が差し、怒ったような安心したような顔になる。
「お、お前な……からかったのかよ」
「中々の演技だったろう? でも、スバルを心配する気持ちは本当だよ。今のワタシは君に無茶をしてもらいたくないし、させたくないんだ」
魔女は椅子から立ち上がり、少年に近寄ると手と手をテーブルの上で重ね合わせた。
心地よい温かさに息が詰まる。なんだか妙に照れくさい。
「ちょっと冷たくないかい」
「……エキドナが温かいんだよ」
「そうなのかい? それは嬉しい評価だな」
にっこりと破顔するエキドナ。
そして、ふと思いついた風な表情になると、スバルの手の甲を指先で撫でながら、
「あなたさえ良ければ、ワタシの体温をもっと感じさせてあげようか」
そう艶やかに囁きかけた。白と黒のコントラストを完璧に両立した絶世の美少女の誘惑。童貞の少年には少々刺激が強い。真っ赤のしどろもどろ、椅子ごと横に跳ねて離れる。
「おおままままおまっ、ちょっと俺が好きになってきたからって調子に乗んなよ!」
「自爆してるけど大丈夫? 結婚する?」
「やかましいわっ」
「ワタシを妻と認めたら強欲の権能が発現するかもしれないのに」
「うぐ」
「悪い話じゃない。無敵の力は不確定だが、自分の事をよく考えてくれる妻は絶対に迎えられる」
釈然としないが間違ってはいない。エキドナはスバルを誰よりも――『嫉妬の魔女』は例外としてだ――考えている。しかし〝間違ってはいない〟というのはエキドナを相手にしていて気を付けるべき要点である。ここをセールスポイントとして押されて契約してしまった過去の契約者たちの末路は、なりかけた者としては想像したくもない。
「正直に言うとね……興味津々なんだ」
スバルの内心がわかっているのかわかっていないのか、顔を少し赤くしながらエキドナは告白しようとしてくる。彼女がどれに興味津々なのかは流石のスバルも理解できた。
だがここで男らしく切り出せないのが彼であり、魔女は膨れっ面になる。
「……きみ、ここは助け船を出してくれたらありがたいんだけどね?」
「自分から乗り出した船だろうがッ!? こっちは胡散臭いお前を信じていいのか真剣に考えてたんだぜ!? なのにその話題の振り方はどうよ! ってか、エキドナとしてみたい気持ちがないって訳じゃないけど脱線しすぎだろ!!」
――――ぬがっ。
最悪の自爆をかましてしまった。もう話を戻すどころではない。自分の間抜けさに頭を押さえる。そんなスバルとは反して、赤面したエキドナは両手の指を合わせ、花も恥じらうような華を咲かせた。直視できないほどに色鮮やかだった。『チッ』と吐き捨てるような舌打ちの音がどこかで立てられたのだが、幸か不幸か魔女と人間には聞こえなかった。ある意味二人だけの世界に突入していた。
「そ、そう……スバルもしてみたいのか……嬉しいな。うん……とても嬉しいよ」
「ちちち違うわい! 誰がてめえみたいな魔女なんかに!」
「さすがに暗くして寝室を用意したほうがいいかな……いやスバルが明るくて開放的な場所を望むんだったこのまま臨むのも……で、でも初めてはやっぱり大切にしないと。いくら何でも一度目で青姦は上級者すぎないかい……?」
「お前その――なんかすっごい優れた頭でなに考えてんの!?」
「スバルのことに決まってる! 自慢だけど四六時中見てるし考えてるよ、ワタシは!」
「もうやだこの魔女!」
わーわー、きゃーきゃー。
なんかもうそういう間柄にあるとしか見えない二人は言い合いを続ける。
『……二人ともあざとい。爆発すればいいのに……』とまたしても誰かが呟いたのだが当然聞こえていなかった。
「少し、頭を冷やそう」
色々暴露してテンションも落ち着き、若干自己嫌悪してしまったエキドナが額に拳を当てる。彼女から離れた位置で座るスバルは警戒心を解いていない。桃色の妄想をブチ撒けられたのだからやむなし。エキドナの自業自得である。あれやこれやと業が深すぎた。
「気分転換にお茶の一杯でもどうだい」
「飲むかっ」
「だよね。ならまあ、今夜の茶会はここまでにしておくかい、契約者殿」
おちゃらけて、お開きにしようとするエキドナ。
……あからさまだった。あからさますぎた。言ったことは全部本当でも彼女はスバルを遠ざけようとしていた。
自分が選択死を与えることで少年が
「気にすんなよ。俺を死なせてるのは俺だ」
「――――」
「お前じゃない」
「…………これは驚いたな。一歩先を行かれた気分だよ」
そうじゃない。たまたま今回は分かりやすかっただけだ。
「ナツキ・スバル」物憂げな表情でエキドナは言った。「君は死ぬのが怖くないのかな?」
一転して暗くなった彼女にスバルの息が詰まる。
なにを今更、誰の所為でこうなったのだと――そう憤りそうになる自分がいるのを少年は否定しないが、沈思しだした魔女と向き合うほうが遥かに優先された。
「怖いに決まってる……痛いのは怖いし、死ぬのはもっと怖い」
世界に人間は数いれど、ナツキ・スバルほど多くの死因を体験した者はいない。もしかすると探せばいるのかも知れないが、そんな仮定は無意味だという事を二人は理解している。
「繰り返すようだけど、ワタシは君の理想が理解できる――できるからこそ不安なんだ。君が進んでいる場所と道の険しさは言語に尽くし難い」
『強欲の魔女』は青空を仰ぎ見た。
「生前……君と似たような存在がいた」
反応せずにはいられなかった。少年を見た魔女は自嘲するように肩を竦める。
「無知のくせに、無力のくせに、志しだけは一人前。この世のすべての絶望を消し去り、繰り返される惨劇と悲劇を止めようとしていた。恐ろしく諦めの悪い大馬鹿者で、周囲を巻き込んで進み続けていたね。その結果、どうなったと思う?」
「……届かなかったんだな」
刹那――悲痛なる表情をして、エキドナは目を伏せた。
その反応から、この魔女なりに親しい人物だったのだろうとスバルは推測した。
「あぁ、届かなかったよ。辿り着いていれば、君が同じ道を選ぶこともなかっただろうに」
この魔女が、この少女が、こんなにも哀愁を漂わせられるとは知らなかった。
いつものように微笑んでいるのに今にも泣きそうな……。
そんな姿は似つかわしくなくて、見ているこっちまで泣いてしまいそうになるから、スバルは無理矢理に明るい笑顔を作って言うのだ。
「別に俺は世界とか人類を救う気はねえよ。そんな正義の味方みたいな御大層な理想は持ってない。俺は周りにいるヒトたちが笑ってくれていたら、それでいいんだ」
戸惑いながらも今度は――自分からエキドナの手を握る。
口を開きかけていた彼女はそれを見て止まった。
「大丈夫。お前が支えてくれるなら、信じてくれるなら、俺は大丈夫だよ」
エキドナは目を開いて深く俯き――ただ一度だけ首肯する。
「よっし。んじゃあ、さっさと解決しますかね!」
納得のいく回答と手順を話し合ったナツキ・スバルが去ってから。
エキドナは椅子に座ったまま両手で顔を覆い、
「……ワタシの所為だ……」
己が犯してしまった罪を今更のように思い知らされていた。
次回からエキドナがどんどん壊れていきます