今回のAct、スバルがまったくでませぬ。
エキドナとスバルがいちゃいちゃするのもいいですが、第三者との交流もしっかり書かなければなりませぬのじゃ。
最後にちょびっとだけ、完全形態(完全妄想)のスバルが登場します。
次話はこのActの続きか、普通に無視して新しいお話を書きます。
(書くにしても俺TUEEEEEEなスバルなんて受け入れられるのか不安だゾ……)
(散々死に目に遭ってきたんですから多少はね? とは少し思う)
(あ、そうだ。この状態のスバルでもラインハルトにだけは勝てませんねぇ!)
背の高い本棚が所狭しに置かれた書庫――書斎でもある部屋に、一人の女がいた。
年齢は二十と半ばほどだろうか。
世界中の同性を余さず嫉妬させてしまうような、残酷なまでの美貌を持ってしまっている女性だった。
腰まで伸ばされた髪の色は純白。だがそれは老衰が故の枯れた白さではなく、自然のまま、かく在るがままの美しさだ。
僅かながら覗ける肌もまた白く透き通るようなきめ細やかさ。まだ誰にも踏まれていない処女雪を彷彿とさせる。迂闊に触れてしまえば、赤い跡がついてしまうのではないか――そんな不安を覚えさせるまでに儚く淡い。
身に纏う衣は漆黒。他の彩色は一切ない。装飾の類は必要最低限に抑えられている。忌憚のない意見を述べるならば、ドレスにしては煌びやかさが足りていないだろうか。
では、彼女に相応しくないのかと言えば――絶対と断定の否だ。
端的に表現するなら「素晴らしい」の一言に尽きる。意識した結果なのか、それとも無意識の選択なのか……彼女は自分に適切適当な衣装を着ていた。
そも彼女に派手な色も飾りも必要ない。
彼女を表現するには二つだけの色でいいのだ。白と黒の二色のみで事足りる。それ以外の色は必要ないと断言してもいいだろう。
混じり気のない二色で構成された彼女の名は――エキドナという。
七つの大罪をそれぞれ背負う七人の魔女が一人。
冠する大罪は『強欲』。呼称は『強欲の魔女』。
世界の滅亡を避けるべく神龍ボルカニカによって再臨した魔女であり。
極めて人間らしい愛を抱いた稀有な魔女でもあった。
紙とインクの匂いが充満した部屋で、蓄積してきた膨大な知識を本に記していく。
四百年前からずっと、エキドナはこの作業が嫌いではなかった。むしろ好ましいほどだ。
書き終えた瞬間の満足感と達成感は決して悪くないし、後世に己が知識を遺すのは識者として当然の行いだ。
最も――エキドナが手掛けた数多の著書を、完全に理解できる存在は極僅かだろうが。
彼女の契約者は読む努力は一応したものの――あまりにも難解だったので――直ぐに伝説伝承が描かれた男性向けの本に逃げた。彼の名誉を重んじるなら夢中になったともいう。
「この本はどうだろうか」
筆を動かす手を一度止め、一冊の本を虚空から取り出す。
大して厚くない本だった。重量もなさそうだ。読書に興味があるなら、子供でも一日で読み終えられそうである。
しかし、
「やっぱり少し重いな」
その漆黒の装丁の本は、持ってみれば分かるのだが、見た目に反する『重さ』があった。
見えない重さと言うべきか。口語では形容し難い。心で感じる重みなのだ。
そして、幾ら捲っても最後のページに辿り着けない。
それは、一人の人間が歩んだ果てしない道のりの記録。
異世界からの来訪者が、この世界を救う英雄になるまでの歴史。
エキドナが愛する青年の永い旅路の足跡――ナツキ・スバルの『物語』が書き綴られた本だ。
『死に戻り』で幾度となく挑み続けた彼である。その物語を正しく書こうものなら、尋常ならざる長さになるのは必然。重くなるのも当然といえば当然だろう。
「これでも削ったんだけどね。……ほんの少しだけど」
一文一文、一文字一文字まで拘り抜いて書き上げた。
納得するまで何度も何度も何度も、削除し、修正し、加筆した。
もうこれ以上は不要だと判断して、完成したときの喜びようといったらなかった。
あまりの充足感に思考が停止しかけたくらいだ。
エキドナ本人が完璧に納得した本の出来栄えは他者の太鼓判付き。
恋敵だったエミリアにしてもレムにしても、禁書庫を四百年も守り続けさせてしまった娘のベアトリスにしても、何やら敬愛以上の感情をワタシに抱いていたらしいロズワールにしても、文句一つ言わせなかった完璧さだ。
ただ――――…………まだ、スバルには読んでもらっていなかった。
完成した日から今日までずっと隠し続けてきている。
理由は何とも可愛らしく、いじらしい内容だ。
他の人が認めてくれても、スバルが認めてくれなかったら、どうしよう。
彼以外の全ての存在が肯定しても、彼に否定されたら意味がない。
あの青年が「面白い」と言わないと虚しく霧散してしまうのだ。
もちろん自信はある。
「俺の黒歴史本かよ!?」とか「な、なんつーことしてくれてんの?」とか「余計なお世話だっつーの」とか言うだろうけど、最後には嘘偽りのない感謝をしてくれるという確信めいた自信がある。
それでも一抹の不安を覚えてしまうのは、ワタシがスバルを信じ切れていない所為なのだろうか……?
「エキドナ様、お茶をお持ちしました」
そのとき、扉をノックされる。
続く言葉にエキドナの意識が現実へと戻された。
相手が誰なのかは分かっている。
ロズワール邸にほど近い場所に新居を用意させた際、スバルとエキドナ付きのメイドになると明言して付いてきた少女――ペトラ・レイテである。
エキドナは件の本を見えない保管庫に収納……しようとして思い留まり、入室を許可する。
するとペトラはワゴンを押しながら入ってきた。
「お勤めご苦労様。いつも悪いね」
メイド服姿の少女は華のように微笑んで「いいえ」と小さくかぶりを振る。
「大変なのはエキドナ様です。『黒騎士』――ナツキ・スバル様と力を合わせ、ルグニカ王国の発展と平和維持に尽力されているのですから。わたしはそんなお二人の給仕係でいられて幸せ者です」
「スバルはともかく、ワタシは進んでやっている訳じゃない」
幾分か不機嫌になるエキドナ。
ティーカップを彼女の手前に置いたペトラは微苦笑。本の存在に気付いて瞳がキラキラ。
『強欲の魔女』が機嫌を損ねた原因は明白だった。
エキドナとスバルの二人がルグニカ王国に尽くしているのは、今でも絶賛険悪な仲(エキドナが一方的に嫌っている)のエミリアによる命令だからだ。
二人は世界を救い、エミリアは王国の新しい王になった。
当初の目的は最終まで達成し、旅に出る日は何時にしようかとワクワクしながら話していたときに、「二人とも優秀なんだから手伝ってよね」というふざけた提案。
エミリアの横暴に堪忍袋の緒が切れたエキドナは激怒した。
恥も外聞もなく怒鳴り散らした。
王城でエミリアと暴れ回った。半壊させた。
しかし……遺憾ともし難いことに、『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアを駒に使える女王の命とあっては拒絶しにくく、スバルは別に構わないという事でなし崩し的に話を進められてしまった。
ルグニカ王国を手助けする事にメリットはなくもない。
信用と信頼の蓄積だ。
強欲の魔女エキドナは四百年前、良くも悪くも各地に逸話を残した大罪の魔女である。知識を回収する過程で誰かを救ったこともあり、誰かを不幸にしたこともある。
どこの国にも特別に所属せず、自由気ままに、知識欲を満たすために動いていたのだ。
ナツキ・スバルを世界を救う英雄になるまで導いた功績は多大なるものだが、大罪の魔女とあっては不信感を完全に消し去るのは困難であった。
どんなに自分が無害な存在なのかを必死に説いても、神龍ボルカニカの一声で上層部の対応は大きく変えられる。
最悪の場合、あの魔女は過去に蒐集した魂を用いて――――
『怠惰の魔女セクメト』、
『憤怒の魔女ミネルヴァ』、
『暴食の魔女ダフネ』、
『傲慢の魔女テュフォン』、
『色欲の魔女カーミラ』、
――――五人の大罪の魔女を蘇らせるのではないか?
その懸念をボルカニカは賢人会に流した。
賢人達がどれだけ荒れたのかは想像に難くないだろう。
誇大妄想にも近いソレを解消する為にもエミリアは善意から助言し、神龍ボルカニカは自責の念から――というのは建前で底意地の悪い嫌がらせ――ルグニカ王国の味方となり、功績を献上し、忠誠心を示せと告げた。
エキドナは知力を以て、ナツキ・スバルは武力を以て、我が王国に仕えよ。
「あの王女様の公私混同、神龍の嫌がらせで恐ろしく計画が崩されたんだ。スバルとは離れ離れになるし……この恨みは絶対に忘れてなるものか」
借りは必ず返してやる。
「ですが、そのお陰で……というのはエキドナ様への無礼になるでしょうが、こうして仕えられている身としては、主人がいることは僥倖です。お二人が旅に出られても勿論わたしはこのお屋敷におり、お二人がいつ戻って来られても大丈夫なよう万全の状態を保つつもりですが……」
「主がいない従者、王がいない城ほど寂しく虚しいものはない、か。ペトラ、君は本当によくできたメイドだね。どこに出しても恥ずるような真似はしないだろう」
「勿体ないお言葉です。……しかし、遠回しに他所に移そうとしていませんか?」
「おや、そう聞こえてしまったかな」
「はい、そう聞こえてしまいました」
魔女に臆さず、微笑みを浮かべたまま言い切る。
今年で十七歳になる乙女は年不相応に肝が据わっていた。
これは油断ならない少女だと肩を竦める。
ナツキ・スバルの正妻がエキドナなら、ペトラは愛人の枠を虎視眈々と狙う曲者だ。
こちらへの悪意がないだけ、エミリアとレムのような恋敵よりも性質が悪い。
「安心して欲しい。ワタシの目利きは確かだ。有能な人材を追い出す愚挙は犯さない。それに、君を強制的に追い出そうものならスバルに怒られるだろうしね。
だからこそ――ペトラ・レイテ。これからも、これまでのように給仕に励むといい。働き次第によっては〝もしかして〟が有り得るかもしれない」
「お強いですね」
「自信があるのさ。スバルに関してならワタシは全て知っている、分かっている。それ故に断言できる」
身体に、精神に、魂に、エキドナという女の存在を強烈に刻み込んだ。
彼は最早ワタシ以外の女を選べない。
「極小の可能性を拾い、君が彼と寝るような展開になっても、取り戻すだけの話。そのあと君がどうなるかはワタシの気分次第。夫を寝取ろうとしたんだ。魔女らしく、煮るなり焼くなり自由にね。後始末が面倒だから殺しはしないよ。人格を消去して人形行きかな」
「恐ろしいお考えです」
「冷や汗一つ掻かないでよく言う。耐性がない筈の人間なのに、ワタシと対面して吐かなかっただけはあるね。いや、すごいよ。屈強な武人でも耐えきれなかった事があったというのに」
魔女の面目が潰れそうだ、と付け加え、メイドが淹れた茶の味を楽しむ。
「……信用している人が用意してくれたお茶は良い物だね。ずっと振る舞う立場だったから感慨深い。ペトラ、君のお茶はとても美味だよ」
「光栄です。更に気に入っていただけるよう、精進します」
「殊勝なことだ。では、忠誠心と野心溢れるメイドに一つ頼み事をしようか」
本題に入ると暗に告げられ、ペトラ・レイテの表情がやにわに強張る。
無理難題に挑ませるつもりではないエキドナは「そう固くならないで」と柔らかく言い、英雄ナツキ・スバルについて書かれた本を片手で持ち上げる。
「意見が聞きたいだけなんだ。先程から君が盗み見している、この本についてのね」
あう、と見た目に相応しい少女らしい反応。
魔女は目を愉しげに細めた。
「ワタシを満足させてくれる意見が言えたら、複製品が完成次第、最初に贈ろう」
「本当ですか!? あっ――――し、失礼しましたっ!」
頬に差した朱をなんとか消そうとするペトラ。
さっきまでの落ち着いた態度は綺麗になくなり、表面化した初々しさが大変愛らしい。
これだから咲いている華の花弁を弄るのはやめられない。
「……この本を手に入れてしまうと仕事に集中できなくなりそうだね。残念だけど、君のコトを主として思うなら、贈らない選択が正しいだろうか」
「エキドナ様っ」
「ふむ、なんだい?」
「…………あ、あまり意地悪をなさらないでください……」
よし、ここまでにしておこう。過食はよくない。
「そんなつもりはないんだけどね。これがワタシの平常運転だとも」
「うぅ……」
「恥ずかしがって落ち込んでいる暇はない。停滞していては、手に入る物も手に入らなくなるよ」
「っ――――はい、畏まりました」
しっかりとした深呼吸の後には、時間が巻き戻されたように直っている。
特別な才はないが、ペトラ・レイテは真によくできた給仕係だ。
予期せぬ掘り出し物が見つかったみたいで気分がいい。
「前置きはなしにして……ナツキ・スバルがこの本を読んだら、どんな反応をすると思う?」
返事は即には来なかった。
そのことに不満はない。このような場合、即決の言葉では駄目なのだから。
熟考が正解。されど、あまりにも長く考えるのは、自信をなくさせてしまうので不正解だ。
主に不信感を抱かせない時間――それで正しい言葉を考え出し、表情と声色にも注意しながら言わなければならない。
相手が相手なだけあって尋常ならざる緊迫感が心を蝕む。
しかし、泣き言を漏らすようなペトラ・レイテではなかった。
難問難題、上等である。
己の有用性を示せというなら全力で応え続けるまでのこと。
「まず、ぎょっとするでしょう。次に嫌そうな顔をされます。思いっきり」
「活躍もあれば同じくらいの醜態もあったしね。幻滅したかい?」
「とんでもございません。ますます好きになりました。……正直、スバル様の対応の完璧さが恐ろしくなった時期もありますので……」
「『死に戻り』の試行錯誤の果てに得た最善最適最上の攻略ルート。『死に戻り』の存在を知らなかった君たちには、未来予知でもしたかのような正確〝すぎる〟行動に見えただろう。
それが過ちだと彼自身が気付くのに、膨大な時間が費やされた」
「ちょっとぐらい抜けているほうが愛嬌がありますのに」
「まったくその通り。人間味を亡くしたナツキ・スバルなんて面白くないし、美味しくもない。ワタシは彼の人柄に惹かれたんだ。――続けて」
「はい。ですが、文句を垂れても、やっぱり受け入れてくださると思います。喜んで、怒って、哀しんで、楽しんで、最後には笑って。『こんなこともあったなぁ』と」
月が綺麗な夜。
暖炉の前のソファに二人で腰掛けて回想し合う。
それはなんて――素敵で幸福で――穏やかな一夜だろうか。
想像力が豊かなエキドナには、夢のような光景がありありと目に浮かんだ。
「……む」
思わずニヤけてしまいそうになってティーカップを傾ける。
冷静を装ったがメイドは見逃さない。瀟洒に微笑む。
「その本を否定するということは、エキドナ様との歩みを否定するのも同然。そんなことをスバル様がなさると思いですか?」
「……強気で出てきたね」
「付け込めると感じたら付け込む、と心に決めていますので」
粛々と従うだけなら誰にでもできる。
主人の為と判断したならば、迷わず即座に動けてこそ忠臣。
「御大層な口振りをしておいて、他者の確認を得ようとしたワタシに伝えたい言葉はあるかい?」
「あ、追及していいのですか?」
「追及させないよう釘を打ったけど、妄想が酷く素晴らしかったんでね。褒美だよ」
「では失礼して。んんっ――――E・M・O(エキドナ・マジ・乙女)です」
赤色がまじった茶髪の少女は、それはもう、物凄くイイ笑顔。
綺麗な白髪の魔女は、額に片手を当てて、夫の戯言に苦笑い。
このワタシをこんなに恥ずかしい目に遭わせるなんて、なんと罪深い男だろうか。
「スバルのバカ」
味方には親愛を、敵方には畏怖を籠められて『黒騎士』と呼ばれる男がいる。
歴代最強の『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアに次ぐ戦力と評される英傑である。
曰く――その黒騎士は決して傷つくことがないと
曰く――その黒騎士は不可視の手を振るうと。
曰く――その黒騎士は龍に転身できると。
曰く――かの黒騎士は、魔女の寵愛を授かりし人間だと。
「あれ? エキドナのやつ、今、俺のこと呼んだっぽい?」
漆黒の騎士礼服に土埃一つ付けずして。
その場から一歩も動かずして。
妻の贈り物の黒刀を鞘から抜くこともなく。
近衛騎士団を山の如く築き上げた青年――ナツキ・スバルは振り返った。