次回は超絶イチャイチャさせます。
R15かR17かR18か……。
一騎当千の力を手に入れても、ナツキ・スバルの中には、絶対強者たる王のような高揚感は湧き上がって来なかった。
あまりにも多くの〝痛み〟と〝死〟を体験してきたからか。
自分がどれほど非力な存在であるかを痛感してきたからなのか。
目に見える形、自分の物理的な強さには固執しなくなっていた。
『強欲の魔女』にあらん限りの祝福を施され、それこそ無敵に等しい存在になろうが、ナツキ・スバルは驕らず、慢心とも過信とも無縁な――――『英雄』と呼ばれるに相応しい能力と風格を身に付けただけであった。
「そりゃあ鬱憤は溜まってたけどよ。嬉しいっつーより、なんか安心したって感じだな。これでもう痛い目は見ないで済むのかね、ってさ」
祝福が与えられたその日の夜。
二人で窓辺に立ち、少年はそう言って、不思議がる魔女の頬に優しく触れた。
「俺の命はお前に預けた。頼んだぜ、エキドナ」
ナツキ・スバルはルグニカ王国に属する騎士だが正式な形で所属してはいない。
当然ながら、エミリア女王直属の近衛騎士団に入団してもいない。
エミリアが王となった時点で彼女の騎士としての役目は十分果たしたと判断され、自身の愛情を正々堂々と勝ち取ってみせた『強欲の魔女』エキドナの騎士となっている。
それ故か――恐らくは意趣返しなのだろう――彼の騎士装束の色は近衛騎士団のソレとは真反対だった。
黒色。漆黒。
髪も瞳も、腰に佩いた刀も黒く黒い。
時には異形のヒトガタとなり、肌さえも黒く染め上げ戦場を駆け巡る。
人呼んで『黒騎士』――魔女の寵愛を授かりし人間。
その異名を付けられて呼ばれるようになるのに、さしたる時間は掛からなかった。
「これで終わりか?」
蒼穹が高く見える練兵場にて、『黒騎士』ナツキ・スバルは睥睨する。
殺気はない。
鬼気はない。
三白眼の目付きの悪さは筆舌に尽くし難いが、それは母からの遺伝であり、侮蔑嘲笑など以ての外。
『黒騎士』は練兵場の中心に立って待ち続ける。
不可視の物理干渉、『見えざる手』によって四方に殴り飛ばされた近衛の騎士たちは、歯噛みしつつ陣形を素早く再構築した。
「『見えざる手』の攻略のポイントは教えたな」
あの誓いの夜から数年の時が流れた今。
かつて痛恨の恥を晒したルグニカ王国の練兵場にて――ナツキ・スバルは一般兵士並び近衛騎士団の鍛錬の相手を務めるようになった。
その能力の特殊性を見込まれての人選である。
大罪司教の悉くを打ち滅ぼし、魔女因子と権能を引き継いだスバルの戦闘能力は多岐に渡り、通常では得られないような戦闘経験を他者に積ませる事を可能としていた。
『見えざる手』などは最たるものだ。
目に見えない攻撃の初見殺しぶり、悪辣さ、理不尽さを知るスバルは快諾した。
『見えざる手』に類似する攻撃が存在するかどうかはともかく、自分の協力で対抗策が練られるようになるのであれば、協力しない理由などどこにもない。
「相手の表情、目線、仕草、意識。神経を尖らして、とにかくよく観察しろ。視えなくてもあんた達の力量なら感じられるはずだ。小細工を弄するのを躊躇うなよ。俺はそいつでここまで来られた。土なり水なり色なり付けて、有利になりそうだと思った手段は全部使ってこい。
これは訓練だから死にゃあしないけど、実戦じゃ一度でも喰らったら間違いなく殺られるぞ」
……やれやれだ。
この人たち相手に、こんな大口叩けるようになるとは……。
ほとほと自分の図太さと傲慢さぶりには呆れる。
運命の女神様とやらは奇想天外な展開がお好みらしい。くたばりやがれ。
たまさか強力な権能を手に入れ、与えられただけの自分が、歴戦の強者ぶって指導しているのが現状。外面に出すようなヘマは犯さないが、息苦しさにも似た気まずさは常々感じてしまう。
曲がりなりにも騎士として成長した今ならば、いかに自分が無知で無礼だったのかが分かる。
デメリットなしに時を遡れるのなら、とりあえず自分をブン殴るのは確定事項だ。
「準備はできたな」
それぞれツーマンセルを組んだ近衛騎士団たちの戦意が高まるのを感じ、スバルも『見えざる手』を構えた。
『―――、―――、―――』
影より湧き上がる黒い魔手は陽炎のように揺らめき、五指を、掌を騎士たちに向ける。
数は二十本。十のツーマンセルに合わせたかたちだ。
最大展開数にはまるで及んでいないが、いずれも魔獣を殴り飛ばし、束ねれば竜種の巨体すらも容易く捻じ切る悪魔の手に変わりはない。
そんなものが人間に向けられている。
視界に映らなくとも……いや、映らないからこそ、耐えがたい恐怖が総身を覆いこむ。
『黒騎士』がその気になってしまえば、我が身は瞬きの間に霧散させられるのだから。
「行きます」
しかし、王国随一の剣にして盾――近衛騎士団は見えない恐怖を乗り越える。
アイコンタクトで一斉に動き出した彼等の動きに迷いはない。
『見えざる手』を相手に密集するのはご法度。
練兵場の広さを利用して二人一組で散開し、一人が攻撃を務め、一人が『見えざる手』の予測を担当する。
「二、右上前方!」「了解!」
「後方、二本来てる!」「ああっ! ――――あぶっねぇ……!」
「左右挟撃」「うむ」
「真上とド真ん中だ!」「掠め、た……けどッ。よし……!」
「前後水平上からです」「よしきたぁ!」
「私の方に二本共来ています!」「気を付けろよ!」
手に持った武器で地面を抉ることで土の雨を降らし、水や風の簡易魔法を駆使し、実力のある組み合わせはスバルを注視して匹敵する。
弓兵などの遠距離攻撃を持つ者は隙を作ろうと果敢だ。
『見えざる手』に防がれるのは承知済み。だが、高速で飛来する十数本の矢を防ぐためには、スバルも何本かを防御に回さなければならない。
今回でこの訓練は何十回目になるが、一回目とは比較にならないほど移動と攻防の精度は増していた。
二十しか出していないとはいえ、十組……二十人全員、誰一人脱落する様子はない。
嬉しく思う――その上から目線にスバルは内心で自分が嫌になる。
『自分を嫌悪しちゃいけないよ』
途端、声が脳内で聴こえた。
愛妻に言われた言葉だった。
ワタシが愛するあなたを、スバルを好きであって欲しいという睦言。
多すぎる数の醜態を晒してきたナツキ・スバルにとってそれは、あまりにも残酷で、あまりにも優しすぎるものだった。
その言葉にどんなに救われたろうか。
(気分は改善……惚気てる場合か)
思い返しは数瞬だけ――――精鋭集いの近衛騎士団は、その一秒に届くかどうかの時間で距離を詰めてきている。
彼等の勝利条件はスバルに攻撃を当てるか、その場から一歩でも動かすか、腰に佩いている黒刀を抜かせるか。
要は無敵の『黒騎士』に脅威を覚えさせれば勝ちである。
――――来るな。
真正面だ。
姿勢を低くし、剣の刀身を後ろに流す構えで、獣のように疾走する若い騎士と視線がかち合う。殺気に等しい戦意を叩きつける。青年の、引き絞られていた顔の筋が限界まで硬くなる。
騎士装束のマントの色は赤。近衛騎士団の第一軍を意味する。
「全部戻したぞッ!!」
観察眼のある一人が叫ぶ。正しい伝言だ。
スバルは二十本の魔手を背後から追わせていた。
赤いマントの騎士を包み込むように扇形に。
「おおぉぉ……!!」
迫りくる無数の見えざる脅威を背中に感じ、振り払うように雄叫びを上げながら、突き進む。
一本――五指の一指でも触れられれば敗北は確定してしまう。
『黒騎士』の絶妙な手加減で大きな怪我こそしないだろうが、生半可な傷の痛みよりも何倍も勝る悔しさに悩まされるだろう。
それも今回で終わりにする。終わりにしてみせる。
遥か高き頂に立つ英雄にこの剣を届かせる。
屈辱的すぎるどん底から這い上がり、頂点にまで登り詰めようとしている男へと。
侮蔑は躊躇になり、やがては是認になり、いつしか尊敬や憧憬になり。
星に手を伸ばす子供のような無垢さばかりが残った。
その思い、その一念のみで追い縋り、
「――――はッ!」
彼の手が黒刀に伸ばされようとしているのを見て、歓喜に塗り替えられた。
それは『強欲の魔女』が創造した至高の一振り。
それは『黒騎士』が剣技を極めようとした要因の一つ。
至高を超える至上の剣である龍剣レイドを除けば、過去・現在・未来に在った如何なる剣をも一刀の下に斬り捨てられると豪語する魔刀。
星を統べる者を抱く――転じて『夜空』。
恐悦至極。光栄の極みだった。
そしてその喜びが致命的な隙を生む。
黒騎士が『夜空』を抜くのを無意識に待ってしまった。
(しまっ……!)
はったりだと気付いたときには手遅れ――スバルの口の端が意地悪く吊り上がる。
騎士の後頭部に触れた『見えざる手』が地面へと叩き伏せ、仲間たちに向かって放り投げる。
そこからの展開は速かった。
動揺が走る近衛騎士団を掴んでは叩きつけて投げ、掴んでは叩きつけて投げ、小山を作る。
「敵の武器に見惚れるアンタの純粋さが悪いんだぜ」
十九人の下敷きになり、重さに苦しんでいた赤いマントの騎士は「狡いお方だ……」と呆れる。
「卑怯? 俺にとっちゃ褒め言葉だな。勝てば官軍、勝てばよかろうなのだ。でも、アンタがさっきの避けられてたら抜いてたよ」
「……次は注意しましょう。して、途中、僅かながら気が抜けられたようですが」
「ん? んー……あれはだなぁ」
『スバル』
見えざる手で一人ずつ動かそうとして、またもや妻の声。
今日はよく幻聴が聴こえるな。
「あれ? エキドナのやつ、今、俺のこと呼んだっぽい?」
振り返れば彼女がいるような気がしたから、間抜けを装って後方確認。
「……」
――あかん。
――――もう一回。
――――――――おま、肩掴むな。
「やあ、スバル」
「げぇ、ラインハルト!」
違う、違う違う!
口調は似てなくもないけどお前じゃありませんことよ!?
「僕もお相手を願っても構わないかな」
赤毛でスラリとした美青年。
今代『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアがニッコニッコしながら、一対一の決闘を申し込んできた。
腰に下げた龍剣が、腰に佩いた魔刀が、お互いを威圧するように震える。
「お出かけになれるのですか?」
「王都にね。夫が頑張っているんだ。妻として様子を見ておきたい」
「いってらっしゃいませ、奥様。よいものが見られるコトを願っておりますね」
「ルグニカ王国近衛騎士団所属、『剣聖』の家系――ラインハルト・ヴァン・アストレア」
「大罪の魔女が一人、『強欲の魔女』エキドナの騎士――ナツキ・スバル」
名乗りは流暢に済ませ、各々の武器を構える。
『剣聖』は鞘込めのままの龍剣を両手でやや低く。
『黒騎士』は魔刀の先を相手の眼に向けて中段に。
『いざ尋常に――』
二人の決闘を聞きつけ、練兵場に集った観衆たち。
静まり返っていた緊張と興奮が隠しきれなくなった、その時。
『――勝負』
世界の法則を置き去りにした戦いが始まった。
まず先に断言しておくことがある。
ナツキ・スバルに剣才はない。
元の世界では木刀を振っていたりはしたが、いたずらに握力が強くなるばかりの結果で終わっている。
その彼が剣の腕前で一定以上の評価を得られたのには、理由があった。
「ワタシとしてはね、自分の騎士にはやっぱり刀剣を使ってもらいたいなぁ、とね」
偏に妻の存在。
もう一言添えるなら『愛』という不確定な要素。
「ドナドナの気持ちは分かんなくもないけどさ……」
夫として、騎士として、男として、応えてやりたい想いは有り余るほどにあった。
個人的にも、やっぱり、鞭よりかは剣のほうが格好いいし。
だが、ないものを強請っても叶うことはない。どんなに懸命な努力をしても超えられない壁の高さがある。
それは生まれもった才能の差。決して超えることのできない隔絶。
「後天的に付け加えれば解決する」
そんな悲観から『強欲の魔女』は目を醒まさせた。
醒ますべく用意した。手段は問わなかった。『強欲の魔女』の信念を曲げてでも創造した。
差し出すように伸ばした両の掌の上に黒い光が舞い降り、収束してカタチを成す。
実用性を重視した堅実な造りの刀。装飾は彼女らしく最小限に。鞘は漆色、下緒は白色。
反りは緩やかで、研ぎ澄まされた地金は夜空を反映したかのような漆黒。
曇りなき刀身を、迷いのない一直線の刃文がささやかに飾る。
何を考えるよりも先に――まず、綺麗だと思った。
斬るための道具なのに美しいと感じた。
元いた世界の、元いた国で最も知られていた武器。
「…………」
感激のあまりに感謝の言葉もなかった。呼吸を忘却して見惚れた。
その反応に充足感を覚えながら魔女は語る。
世界で唯一の存在、ナツキ・スバルの為だけに誕生した業物が、彼にどのような変化を齎すのかを。
叡智の書――強欲の魔女エキドナが『世界の記憶』と呼ぶ本。
過去において在った事実・事象・事物を引き出す無形の歴史書。
それが如何に厳重に秘されていた真実であろうと、不確かで一定のカタチを持たない『世界の記憶』はページに記す。
世界の上に生きる我々が世界に隠し事をするなど不可能なのだ。
未知を知るものとする過程を大切にしたいエキドナは直接、情報を記憶野に植え付ける『世界の記憶』を好んで使ったりはしないが、無理難題をクリアさせたいなら、強引でなければならない。
彼への愛情と己の知識欲を天秤にかけた。
どちらに傾いたのかを述べるのは無粋に過ぎるだろう。
ナツキ・スバルが同じだったように、一度意識してしまえば、身体は勝手に動くようになってしまうらしい。
然程難しくはなかった。材料を探すのに手間取ったぐらいで、四百年前の不老不死の実験より簡単だっただろうか。
ナツキ・スバルが贈った黒刀には意思があり――過去に存在した、刀剣に纏わる知識を片っ端から学習している。
構え方、振り方、躰の動かし方、効率の良い鍛え方、etc、etc……諸々の要素を漏らさず、零さず、余さず。
それも一通りではない。全通りである。明らかに不要だと思われるものは削除したが。
模範となる者は詳しく探さずともすぐに見つけられた。
歴代の『剣聖』だ。今代剣聖のラインハルトの剣技も披露されたものは取り込んでいる。
そして――契約を結ぶことで、契約者を根本から組み直すのだ。
この場合、ナツキ・スバルが該当する。
というより、創作する過程で惚気話を聞かせていたら「彼としか契約しません」と言うようになった。どうも女になったらしい。要・注意するべきか?
剣神が見込んだ者の剣才を限界まで引き出すのが『剣聖の加護』ならば、黒刀はナツキ・スバルの剣才を限界以上に引き延ばす。
いきなり超一流の剣技を身に付けさせられたら、こんな婉曲にもならなかったのだが――才ある者ならまだしも、全くの無才ではさしものエキドナといえど壁を取り払うのが限界だった。
「意識のことだけど、剣神より格段に友好的な性格だね。パトラッシュのような忠誠心に溢れ、レムのように献身的で厳しい」
「そいつは、ありがたいな……」
喉が詰まって声は掠れていた。
エキドナの説明に、スバルの理解は追い付いていなかった。
だから妻は静かにし、夫が落ち着くのをひた待つ。
「……名前は?」
「自己紹介を」
『夜空と申します。要・記憶です、我が主にして我が弟子にして我が父』
〝いやに落ち着いた〟起伏のない声が黒刀から発せられる。
この世界に来てからというもの奇想天外、天地鳴動、世界仰天などなど阿鼻叫喚の体験をしてきたので驚くことはなかった。
「喋れるのか。相変わらずエキドナは何でもありだな。ドナえもんの呼び名が似合ってるぜ。……俺との関係性はつっこまないからな。敢えてな」
「母はワタシだよ。君への愛情を糧に創ったんだし、その刀はワタシ達の子供と言っても間違いはないと思うんだけどね」
「一人目の子供が無機物ってどうよ」
『訂正を願います。意思ある私は生きています。れっきとした子供です』
「そういう論理観とか哲学的な話はだな……」
感動が台無しだよ。
『剣術、教わりたくないのでしょうか』
「よぉーしオッケー! 炎髪灼眼みたいな、そっちが親でこっちが子供な、逆のパターンなら結構ありそうだけど、今日をもちましてお前さんを俺とエキドナの第一子と認めます!」
『母、母。父から言質を頂きましたよ』
「早速尻に敷いたね。その調子で君の父親、ワタシの夫をよーく鍛えてあげてくれ」
エキドナがスバルを見つめる。
喋らなくても言いたいコトは伝わってくる。
親睦を深め、愛情を交わしてからは、彼女は口語なしでの会話も好むようになった。
スバル、期待しているからね――。
その想いに『黒騎士』は応じる。
凡人の枷から解放されたならば、あとは鍛錬あるのみであった。それを続ける精神力に問題はなかった。誰も疑いはしなかった。
ナツキ・スバルは万を超える『死』を、億を超える『痛み』を乗り越えてきたのだから。
この世界でも有数の、金剛石の硬さに比類する精神を持つ者だ。
(あいつの愛に報いる)
さあ、『剣聖』よ。
全ての剣士たちが目指す場所の頂点に立つ男よ。
いざ知るがいい。
とくと見るがいい。
『夜空』の教えに従事し、『強欲』の権能を駆使して、寝食の暇も惜しんで磨き上げた剣技を。
魔女の寵愛は剣神の寵愛に譲らないということを――!!
「――っ!」
「……ッ!」
剣戟の響きと、ぶつかり合う鋼から咲く火花を散らしながら斬り結ぶ、黒と白の二人の騎士。
彼等の一振りで地面が抉れ、大気が裂かれ、余波が観衆に叩きつけられる。
攻勢に回っているのは『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレア。
防勢に立たされているのは『黒騎士』ナツキ・スバル。
――――語弊があった。訂正しよう。
『黒騎士』は防御に敢えて回っている。
『剣聖』は押してはいるが、攻めあぐねている。
二人の戦いを目で追うことができ、剣に自信がある者は皆同じ判断をし、驚愕した。
守りに徹することで鉄壁を誇り、あるいは風水のように受け流しているのだ。
それはスバルがラインハルトに対して仕掛ける度量がないから――ではない。
語るに及ばず。無論異なる。
彼我との実力差、己の性質を理解した上での闘い方だ。
いつでも、どんな時でも、ナツキ・スバルは後手からの反撃で苦難を乗り越えてきた。
カウンターが主戦法。力を手にした今でも、それはあまり変わっていない。
そして、相手と自分との間に力量の差があると知れていたら――明鏡止水の心持ちで耐え続ける。突き込める隙が生じるまで待ち続ける。
(格好悪い闘い方とは思うけどよ)
スバル風にぶっちゃければ、亀みたいに甲羅に籠って子供たちが飽きるまでジッとしているようなものだ。
(こいつは子供じゃないけどな……!)
こんな糞強いガキが二人も三人もいてたまるか。
一秒も持たない。
表面上も内面上も平静を保てているが、脳の余った部分が愚痴を考えさせる。
龍剣レイドの斬り上げに『夜空』が手元から飛びかけ、『父、少し危ないです』とスバルにだけ聞こえる思念波で伝える。
『時間停止』と『獅子の心臓』の権能の組み合わせで、彼女も自分も傷ついたりはしないが――ラインハルトが本気を出し、龍剣を抜刀したら話は別だ――そうと分かっていれば『剣聖』も強気で出られる。
最強・無敗・無敵――強過ぎた英雄はどんな敵と相対しても完勝してきた。
そんな彼に、それなりの力を出して〝剣〟で闘える存在が現れたのだ。
喜ばしくない筈がない。
ましてやその相手が、肩を組んで笑い合える友人であるのなら。
やがては追い付いてくれるかも知れない好敵手だとしたら。
これに勝る喜びなどないのではないか――そう思えてしまう。
「君との剣戟は本当に楽しいよ、スバル」
「そりゃどうも。けどよ、こっちには楽しむ余裕なんてないぜ……!」
「なら、本気を出すんだ。僕も全力で挑もう」
「冗談――お前と俺がマジでやったら、練兵場どころか王都が全壊するわ!」
百合を瞬く間に、千合を超えたところで鍔迫り合いに追いやられ、間近で会話をする。
涼しい笑顔のラインハルトに、スバルは獰猛な笑顔で訴えた。
『色欲』の変異の権能でも覆しきれない身体能力の差で、強引に押し切られそうになるところを自身と刀身を回転させることでいなし、その勢いに乗ったまま踵で整った顔面に打撃しようとする。達人も唸るような後ろ廻し蹴り。
スバルは剣術だけでなく武術も修めていた。『夜空』の自己学習と教導の賜物である。
しかし、直撃すればそっ首が飛びかねない蹴り技を――やはりと言うべきか、ラインハルトは鮮やかなまでの動きで回避。紙一重ではあったが、それでも当たらなければ意味はない。
続く胴体への前蹴りを『剣聖』は飛んで避け、返礼と言わんばかりに廻し蹴りを放つ。
『彼のボルテージが高まってきたようですね』
『ンの野郎、俺じゃなかったら軽く死んでるぞ』
『父、怠惰の権能を』
『あいあいよ』
無事顔面に直撃し、壁際まで吹き飛んでいくスバルは『見えざる手』で自身を掴み、激突する前に空中へと投げ飛ばす。魔手で己の命を潰しかねない荒業だが、無敵にある現状態なら選択肢の一つとして気にせず選べる。
『見えざる手』を何本か両足の裏に配置し、中空にそのまま留まる。即席の足場だ。
観衆の驚きの声、目下ではラインハルトが感心するように頷いていた。
『こっからミーニャなりで絨毯爆撃したいけどな……』
『矢避けの加護を与えられていては難しいでしょう』
『自分が避けられるようになるんじゃなくて、勝手に避けていくとかチートすぎないか?』
『そういう加護ですので。反則具合なら父も同程度かと存じます』
『ぐうの音も出ない正論ですわ』
持たざる者が持つ者になれただけでも幸運の極みだとも。
『本気も出されていませんし』
『……無人かつ広大な場所で、あいつが全部直してくれるんだったら、出すけどよぉ……』
戦闘知識など欠片も持ち合わせていなかったレグルス・コルニアスですら、ラインハルトに重傷を負わせられたのだ。それに関しては能力の詳細が明らかになっていなかったのもあるが、あの『強欲』の大罪司教の権能が強大である事に変わりはなく、おいそれと攻撃に使用していいものではない。
『盛り上げる見世物の一つとしてやってみましょうか?』
スバルは無言の首肯を返し、切っ先をラインハルトに向ける。
次の瞬間――『アル・ジワルド』と紫の紋様を露わにした『夜空』が唱え、星のような白い光が大気を裂き喰らいながら突き進む。
細々とした光ではない。極光にして極太の熱線が『剣聖』に浴びせかけられた。
観衆の魔法使いたちが熱風に構わず瞠目する。
マナを練る、詠唱を行う――それらのモーションをほぼなしで最上級魔法を行使したのだ。
眼球が熱せられた空気に焼かれそうになりながらも、目を離せなくなるのも無理はなかった。
「魔法を使えない身としては羨ましくなるね」
加護に頼らず、灼熱の白光を掲げた龍剣の腹で受け止めた『剣聖』は呟く。
防げたとしても熱の影響があるだろうに、赤毛の青年は熱がる素振りも見せない。
英雄を通り越して神様とすら感じる超越ぶりだ。
――さて、ここからどうしようか。
斬り払うのは造作もないし、照射が終わるまで耐えるのも容易い。
練兵場の影響を考慮するなら今すぐ斬った方がいいかな?
「よお」
と、考えていたところに、『黒騎士』が不意に隣に出現した。
自身の感覚を信じるなら、スバルは高速で接近してきたのではない。それならば察知できる。
この移動の仕方は転移魔法の類だ。
「お前らしくもないな。慢心ってヤツか?」
彼は徒手だった。
アル・ジワルドの行使はまだ終わっていない。恐らくは『見えざる手』で愛刀を固定しているのだろう。
対応しようと動けば白光に灼かれるが、このまま防いでいても無防備を晒してしまう。
一呼吸を置いた『黒騎士』の殴打脚撃の嵐が『剣聖』に叩き込まれる。
龍剣レイドの腹に添えていた手を防御に回すも、片腕だけで捌き凌ぐには限界があり……
「くっ……!」
ラインハルトの腕を払い落し――『色欲』の権能によるものか――浅黒く染まった凶拳が胸板にクリーンヒットした。
心臓を大きく揺さぶられる感触。痛烈な痛みに呻く。
スバルがいた世界では金剛八式・衝捶の一撃と名付けられたその拳技は、『剣聖』の肉体にも重いダメージを与えうるものだった。
衝撃にラインハルトは吹き飛ばされ、それと同時に白き旭光も消え失せる。
「これは一本……取られてしまったね」
「さっきのお返しだ」
石壁に激突するも、即座に体勢を立て直したラインハルトが口元を拭う。
『見えざる手』に投げられた『夜空』を受け取ったスバルは腰元で拳を握る。
剣技ではなかったが、あのラインハルトに一撃を喰らわせられた。もうこれだけで満足した気分になったから潔く降参したい。
観衆もお腹一杯だろう。
「スバル、まだだ。まだだよ。ここからじゃないか」
未だ鞘から抜かれることのない、至上最高の剣を正眼に構えた『剣聖』が言う。
総身より溢れ出る剣気に『黒騎士』は息を呑んだ。
――――これだ。
全力の片鱗。ちょっと本気を出されただけで矮小な自分は圧倒されてしまう。
敗北はもちろん死すら覚悟してしまう。死ぬことなんて多分もうないというのに。
あいつなら俺を殺せると確信したくないのに確信させられる。
『リラックスです』
「わーあってる」
返答は、愛刀とラインハルトの両方に向けたものだ。
発露してしまいそうになった弱気は噛み砕かれた。
「来いよ、『剣聖』」
「行くよ、『黒騎士』」
ここからが本当の闘争の始まりだった。
誰にも悟られないように練兵場を訪れた『強欲の魔女』エキドナは、また同じく見つからないよう細工を施した上で観衆の席から決闘を見守っていた。
「…………」
感嘆の吐息は出るが感想を言う様子はなかった。
夫の雄姿に夢中になって忘れているのだ。
この世界に存在する何者よりも頭脳が優れていると言っても過言ではないエキドナには、今繰り広げられている決闘の凄さが誰よりも理解できている。
あの赤髪の『剣聖』がどんなに強大な存在であるか……そしてその存在に対して果敢に喰らい付く夫がどれだけ凄いのか。
よく鍛錬をしているとは思っていた。だけど、ここまで強くなるとは予想外だった。
期待していたラインを超えて遥か先にまで進んでいた。
その懸命なる努力の源が自分にあると知っている――――だからこそ何も言えない。
胸元でぎゅっと手を握り、息を詰めて、瞬きも忘れて見守る。
(頑張って……スバル)
自分の騎士の勝利を願う。
――小癪な。
『剣聖の加護』を齎した剣神が苛立ちを隠さず嘯いた。
それを聞いたラインハルトは内心で苦笑する。
剣の頂に立つ自分が押し切れていないことよりも、ナツキ・スバルと彼が握る『夜空』が気に食わないらしい。
――借り物と贋作の分際で。
視界に映る不可思議な白線。剣神が見せる勝利への道筋だ。そこをなぞるように剣を振るえば、あまりにも簡単に勝つことができた。
それがよりはっきりと、克明となり、数を増やし、剣神は己が見込んだ傑物を導く。
『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアは忠実に応じる。
果てなどないかのように勢いを増し続ける剣戟は、最早誰の眼でも追い切れない領域に入りつつあった。
眼前で、死力を尽くして抗い続ける『黒騎士』唯一人を除いては。
「るるる、る、あぁぁぁ……!」
『夜空』と『見えざる手』を最大限に活用しながら全ての斬撃を迎撃し。
華麗さも優美さもない獣同然の唸り声を出すは、ナツキ・スバルという青年だ。
剣神が指し示す白線が、彼が振るう黒い刀に斬り裂かれるのをラインハルトは確かに見た。
まったくの同一。鏡合わせのような剣線は、この二人が自分たちの領域に踏み込もうとしている証拠に他ならない。
君と『夜空』は、本当に僕と剣神に付いてこられるのか。
驚愕、そして歓喜。
――龍剣レイドを。
痺れを切らした剣神が切り札を抜けと指示を下す。
是非もなし……レイドもまた眼前の存在を〝好敵手〟として認める。
ならば、と『黒騎士』を一振りで引き離したラインハルトが躊躇わず抜き放つ。
剣が鞘走る金属音――白い刀身が蒼穹と陽光の下に顕れた。
ついに伝説の宝剣が顕現したのだ。
『――――! ――――!! ――――!!!』
龍剣が声もなく吼える。その身を眩く尊く輝かせる。
己の領分を弁えず、神聖なる〝剣〟の領域を侵犯しようとしている不埒な輩共。
龍剣レイドは、その不逞の輩共に罰を下さんとしていた。
誰かの驚くような声が聞こえた気がした。
少女……否、女性のものだろうか。
誰であるかを考える暇はなかった。今この状況においては刹那の時間すら惜しい。
確認はあとにしておけ、とスバルは自戒する。
その人にどんな顔で会うのかは、この一戦が決めるのだから。
『要・観察です』
予想だにしていなかった龍剣レイドの抜刀。
ただの決闘だったのに、どうして死闘に様変わりしてしまったのか。
摩訶不思議だ。終わったら文句を言って休暇でも頂かなければなるまい。
「一撃のみで終わりにしよう」
ここにきて『剣聖』の眼光が真剣味を帯びていた。
剣神か龍剣のどっちかは知らないが、斬るべき存在に値すると判断されたのだろう。
ここまでやって、ここまできて、やっとだ。
「頼む。二撃目があったら俺は確実に死ぬ」
『強欲』の権能ごと斬られる最悪の未来が、ひっきりなしに脳裏で繰り返されている。
ラインハルトが龍剣を抜いたのを確認すると、スバルは『夜空』を鞘に納めていた。
敗北を認めたワケではない。降参の意を示すためでもない。
日本刀という武器にある攻撃の一つの型を構える為にだ。
座っているかのような腰の低さをスバルは取った。
抜刀術もしくは居合術。帯刀した状態から一気に引き抜き、神速の斬撃を放つ技である。
「「――――」」
最早、言葉は不要だった。
ごく短い沈黙の後……先に動いたのは矢張り『剣聖』であった。
元より居合術は迎撃を念頭に置いたものだとナツキ・スバルは考えている。
相手の攻撃を限界まで見極め、勝機を見出し、一刀に命運を賭けるものだと。
どこぞの流派のように二撃目など考慮しない。
一念一刀。
初撃に全てを籠める。
「…………」
待ち、待って、待つ――――。
眼前に『剣聖』が迫り、龍剣レイドが斬撃の軌跡に入ろうとした極小単位の時の中。
ラインハルトの胴体に、黒い線が真一文字に浮かび上がるのを視認した。
『夜空』が見出した勝機だった。スバルも同じ気持ちだった。
どうか届いて――ああ、絶対に届かせてみせるとも。
そうして、白と黒の騎士の二人が交差した。
どちらかが握る鋼が折れる。
どちらかが膝を屈する。
折られた鋼が地面に突き刺さる。
その三つの音が勝敗を告げる審判者となった。
「……やっぱ強いな、あいつは」
刀身を真っ二つに斬り折られた『夜空』を抱き、ナツキ・スバルはそう言った。
不思議と悔いはなかった。
「君もじゃないか……。スバルはこんなに強くなっていたんだね……」
感極まった様子で愛するヒトが、優しく受け止めてくれたからだろうか。